90年代J-POP界のムーブメント② 【ドラマタイアップ=ヒット】

Webon紹介目次著者

あなたにとっての“あの頃”はいつですか?著者にとってアツかった時代「90年代」のJ-popヒット曲を生粋の邦楽ファンの著者が分析します!読めば“あの曲”を聴きたくなる事間違いナシ!!

90年代J-popヒット曲入門 ~音楽で振り返る90年代!~(全11ページ)はこちらから!

著者 シン アキコ

30代前半女性。邦楽ファン歴25年。70年代、80年代、90年代の邦楽を愛しています。「歌詞」「曲が生まれた背景」「当時の流行との関連性」などを分析することが好き。

お問い合わせはこちらから

 

『90年代J-popヒット曲入門』目次へ  (全11ページ)

 

この章では90年代のJ-POP界のムーブメントを

①【90年代に活躍したバンド
②【ドラマとのタイアップ
③【バラエティ発のヒット曲

という3つの主要なところにスポットを当てて解説いたします。

このページでは「ドラマタイアップ=ヒットの法則」について説明いたします。

1990年代のJ-POP界。ドラマタイアップ曲がヒットしたのが印象的な出来事でした。

1991年の2大ミリオンセラーがいずれも人気ドラマの主題歌。トレンディドラマ全盛期ともいえる90年代初頭は、タイアップありきで作られた主題歌が多く、ドラマとの相乗効果でCDの売り上げも加速したことがヒット曲が多く誕生した要因だったと思います。

 

1990年代タイアップドラマのヒット曲一覧

▼1990年代の高視聴率ドラマの例一覧

年代 ドラマ(最高視聴率) 曲/アーティスト
1990年 すてきな片想い(26.0) 愛してるっていわない!/中山美穂
1990年 世界で一番君が好き!(25.5) 今すぐKiss Me/LINDBERG
1991年 東京ラブストーリー(32.3) ラブ・ストーリーは突然に/ 小田和正
1991年 101回目のプロポーズ(36.7) SAY YES/ CHAGE&ASKA
1992年 ずっとあなたが好きだった(34.1) 涙のキッス/サザンオールスターズ
1992年 愛という名のもとに(32.6) 悲しみは雪のように/浜田省吾
1993年 ひとつ屋根の下(37.8) サボテンの花/チューリップ
1993年 誰にも言えない(33.7) 真夏の夜の夢/松任谷由実
1993年 高校教師(33.0) 僕たちの失敗/ 森田童子
1994年 家なき子(37.2) 空と君のあいだには/中島みゆき
1994年 妹よ(30.7) めぐり逢い/CHAGE&ASKA
1994年 人間・失格~たとえばぼくが死んだら~(28.9) 冬の散歩道/ サイモン&ガーファンクル
1995年 金田一少年の事件簿(29.9) Kissからはじまるミステリー/KinKi Kids
1995年 愛していると言ってくれ(28.1) LOVE LOVE LOVE/DREAMS COME TRUE
1995年 未成年(23.2) Top of the World/カーペンターズ
1996年 ロングバケーション(36.7) LA・LA・LA LOVE SONG/ 久保田利伸 withNaomi Campbell
1996年 協奏曲(28.2) ヴァネッサ・ウィリアムス/アルフィー
1997年 ひとつ屋根の下2(34.1) ひだまりの詩/Le Couple
1997年 ラブジェネレーション(32.5) 幸せな結末/大滝詠一
1998年 GTO(35.7) POISON 〜言いたい事も言えないこんな世の中は〜/反町隆史
1998年 眠れる森(30.8) カムフラージュ/竹内まりや
1999年 魔女の条件(29.5) First Love/宇多田ヒカル

 

1990年代前半はドラマタイアップ曲がヒットした

 

「月曜21時には、繁華街からOLが消える」

1991年1月より月曜21時に放送されたドラマ「東京ラブ・ストーリー」がヒットした際にメディアで用いられた言葉です。

この言葉はトレンディドラマ(=バブル景気前後の1988年~1991年に作られた都会の男女の恋愛などを描いたドラマ)全盛期である90年代前半を良く表していると思います。

老若男女問わず誰もがドラマのストーリーに一喜一憂し、毎週の展開を心待ちにしていた時代。

視聴率が跳ね上がるのと同じくして、主題歌や挿入歌もセールスを伸ばしていきました。当時はタイアップ至上主義とも言えるほど、タイアップありきのシングルリリースが多かった時代。

歌詞はドラマの内容ともリンクし、ストーリー展開をより一層盛り立てる役割を果たしていました。

主題歌や挿入歌に決まれば、リリース前からヒットは約束されたようなもの。この相乗効果により、実際に数々のミリオンヒットが生まれました。

 

1991年、2組のアーティストがダブルミリオンセラーという快挙を成し遂げました。

小田和正「ラブ・ストーリーは突然に」(東京ラブストーリー)と

CHAGE&ASKA(当時の表記)「SAY YES」(101回目のプロポーズ)です。

いずれも言わずと知れた大人気ドラマの主題歌。

とはいえ、90年代の年間CD売上枚数はドラマ主題歌以外にも今も愛される名曲が続々と名を連ねています。特に1991年は90年代J-POP創世期に相応しいヒット曲豊作の1年でした。

▼1991年オリコンシングルCD年間売上ランキング(3位~5位はドラマ主題歌ではない)

順位 歌手/曲
1位 小田和正「ラブ・ストーリーは突然に」
2位 CHAGE&ASKA「SAY YES」
3位 KAN「愛は勝つ」
4位 槇原敬之「どんなときも。」
5位 ASKA「はじまりはいつも雨」

 

そして、J-POP界はいわゆるCDバブル時代(カラオケブーム到来・タイアップ戦略により若者を中心に音楽需要が高まった時代)へと突入していきます。

以後99年までずっと、年間売り上げベスト10にもなるとミリオンセラーは当たり前、ダブルミリオンも続々と生まれるという、面白いほどCDが売れた時代。

その幕が開くきっかけには「ドラマタイアップ曲のヒット」がありました。

 

ヒットしたドラマタイアップ曲

 

以下ではヒットした4本のドラマとその主題歌をピックアップし、ドラマタイアップ曲がヒットした当時のJ-POP界について解説いたします。

 

▼以下で紹介するドラマ簡易年表

 

東京ラブストーリー「ラブ・ストーリーは突然に」

タイトル 東京ラブトーリー
放送枠 フジテレビ月曜9時
放送期間 1991年1月7日-3月18日
オープニング 小田和正『ラブ・ストーリーは突然に』(1991年間シングルチャート1位。CD売上270万枚を記録)
若い男女の恋愛の物語。複雑な三角関係が描かれる。平均視聴率は22.9%、最終回の視聴率は32.3%を記録する。鈴木保奈美演じる赤木リカの「セックスしよう!」というセリフはとても有名。

 

まずは「東京ラブストーリー」について。

「東京ラブストーリー」は鈴木保奈美・織田裕二のW主演のドラマです。

2019年には鈴木保奈美・織田裕二のW主演「SUITS」が放送され「東京ラブストーリー」の再放送もおおいに盛り上がったのは記憶に新しいですよね。

 

1991年放送当時は携帯電話もメールもなかった時代。

待ち合わせも、伝言も、たった一度のすれ違いが別れにもなり得た「ハラハラ感」。

ストーリーの山場では毎回、ギターのカッティングが特徴的な“あの”疾走感ある「ラブ・ストーリーは突然に」のイントロが流れ、視聴者を引き込みました。

 

あの日あの時あの場所で 君に会えなかったら

僕等はいつまでも 見知らぬ二人のまま

引用:小田和正「ラブ・ストーリーは突然に」作詞作曲 小田和正

 

いつの時代の恋愛にも通ずる歌詞ではありますが、ネットで誰とでも気軽につながることができる現代と比べ「出会う人の母数」は圧倒的に少なかったはず。

好きになれる人と出会える確率、出会えた奇跡は、今とは比較できないほど尊いものであったのだと思います。

だからこそ人々はドラマにも歌詞にも共感した。

結果、200万枚以上を売り上げ今も歌い継がれる名曲となったのでしょう。

小田和正氏が今も当時と変わらぬ歌声でこの曲を届けてくれることには感謝の言葉しかありません。

 

▼『ラブ・ストーリーは突然に』MP3(リンク先で試聴可)

 

101回目のプロポーズ「SAY YES」

タイトル 101回目のプロポーズ
放送枠 フジテレビ月曜9時
放送期間 1991年7月1日 – 9月16日
オープニング CHAGE&ASKA「SAY YES」(オリコンシングルチャート13週連続1位を記録)
恋愛に不器用な中年男が100回目のお見合いで出会った美女との恋愛が描かれる。平均視聴率23.6%、最終回36.7%。ドラマ内で武田鉄矢が演じる達郎がトラックの前に身を投げ出し放ったセリフ「僕は死にましぇん」は新語・流行語大賞(大衆部門・金賞)となる。

 

「101回目のプロポーズ」も高視聴率(平均視聴率23.6%、最終回36.7%)を記録しました。

「僕は死にません あなたのことが好きだから」

ストーリーを知らないという人がいたとしても、この名シーンを知らない人はいないでしょう。

そして流れる「SAY YES」。またいいところで主題歌が流れるんですよね。

イントロを聴けば、今も条件反射のように胸がときめく。

そういう人も決して少なくないはず。

「SAY YES」は、デビュー12年目のCHAGE&ASKAがはじめてオリコンチャート1位、ミリオンセラーを達成した曲です。

その後93年にもCHAGE&ASKAの「YAH YAH YAH」も織田裕二主演「振り返れば奴がいる」の主題歌に起用され、ミリオンセラーを達成。

いずれも彼らを代表する曲となりました。

 

CHAGE&ASKAの曲は、ASKAが紡ぐ繊細な歌詞も魅力。

 

言葉は心を超えない とても伝えたがるけど 心に勝てない

引用:CHAGE&ASKA「SAY YES」作詞  飛鳥涼/青木せい子 作曲 飛鳥涼/CHAGE

 

「SAY YES」2番のこの歌詞は、ふっと心を揺さぶられた大好きな歌詞です。

ベタと言われればベタかもしれません。

曲を流すタイミングも、ひいてはドラマそのものも。

これは当時のドラマのほとんどに言えることで、決してドラマ自体が斬新なテーマを扱っていたわけではないのです。

むしろ今のドラマのほうがおもしろい切り口や奇抜なテーマが多く「作品」としては面白いのかもしれない。

でも、毎週夢中になって見て、泣いて、笑った。そこに明確な理由はなくとも「そうだった」のです。

 

▼「101回目のプロポーズ」DVD

 

野島伸司作品がドラマ界を席巻

 

「101回目のプロポーズ」は、当時ドラマ界を席巻していた野島伸司氏による脚本作品。彼も90年代を象徴する存在と言え「高校教師」「家なき子」「ひとつ屋根の下」「聖者の行進」「未成年」など、数々のヒットドラマを連発し、時にはその内容が物議を醸すこともありました。

 

物議の例
「高校教師」では教師と生徒の恋愛を描き、教室内での性行為を描き物議を醸した。「家なき子」では過激な暴力やいじめのシーンが批判の対象となった。

 

彼の作品では90年代中盤以降、タイアップありきの主題歌ではなく、ドラマの世界観に合った独特の選曲がなされることがありました。

「高校教師」では森田童子、「人間・失格~たとえばぼくが死んだら」ではサイモン&ガーファンクル、「未成年」ではカーペンターズ、「リップスティック」ではレベッカの楽曲を使用。それらもまた、リバイバル的にヒットしたものです。

 

【コラム】ドラマの世界に合った曲の例
 ◆ドラマ「高校教師」/森田童子「僕たちの失敗」 

「高校教師」というドラマじたいが、教師と生徒の禁断の恋愛を描き悲劇を詰め込んだような重苦しい空気をまとった作品でした。ハッピーエンドなど叶わないだろうなという。

ピアノのメロディと、森田童子のささやくような儚い歌声は、切なさを演出するのはもちろんのこと、どこか希望を見出したくなるような「ほっとする」ものがありました。

アンハッピーエンドが待ち構えていると知りつつも、桜井幸子(女子高生。本作のヒロイン)のピュアな姿や、主人公たちの純愛にひとときだけほっとするのと同じような感情です。

歌詞がすべて「過去形」というのも、ドラマの内容とは無関係ながら、悲劇的なこの作品には合っていたように思います。ラストシーンを見た後、ずっと頭のなかでリフレインするような曲でした。

 ◆ドラマ「人間・失格~たとえばぼくが死んだら」/サイモン&ガーファンクル「冬の散歩道」 

「人間・失格~たとえばぼくが死んだら」は個人的にたいへん好きなドラマなのですが、主に2曲が使用されていました。OP・EDには「冬の散歩道」、これは学校という閉ざされた空間をさまようような少年たちの喧騒、終わりの見えないいじめに疲弊していく少年の心、鬼と化していく父親の心情など「ザワザワする」気持ちをはやし立てるような曲でした。イントロをうまく活用した例だと思います。

最終回には「明日に架ける橋」という名曲が用いられています。このドラマの主要人物として、いじめにより自殺した「誠」という少年が登場するのですが、まさしく彼の心の優しさのとおりの歌詞であると思います。いじめの裏にあった「友情、偏愛」父による「復讐」が主なテーマであり、こちらもなかなか救いようのない悲劇ではあるのですが、誠の優しさだけが視聴者にとっても救いであったこの物語に「よくこの曲をセレクトしたな」と、とてつもないセンスを感じました。

 

家なき子「空と君のあいだに」

タイトル 家なき子
放送枠 1994年4月16日-7月2日
放送期間 日本テレビ土曜ドラマ(21時放送)
エンディング 中島みゆき『空と君のあいだには』(1994年度オリコン年間5位)
小学生の少女が家庭内暴力を受けならがらも力強く生きていく物語。過激な暴力やいじめのシーンは物議を醸した。「同情するなら金をくれ!」というセリフは新語・流行語大賞に選ばれる。シリーズ第一作目は平均視聴率24.7%、最高視聴率37.2%。

 

94年には野島伸司氏が企画・原案として参加した「家なき子」の主題歌、中島みゆき「空と君のあいだに」がミリオンセラーを記録しました。

有名な話ですが、この曲は「家なき子」の主人公・すずのそばに常に寄り添う愛犬・リュウの視点になって書いたものです。

日本テレビ「1分間の深イイ話(2007年9月14日放送回)」で中島みゆき氏本人が「犬の気持ちで見れば、犬が見えているのは『空』と『君』しかないんです」と語っています。

 

空と君とのあいだには 今日も冷たい雨が降る
君が笑ってくれるなら 僕は悪にでもなる

引用:中島みゆき「空と君のあいだに」作詞作曲 中島みゆき

 

理不尽、不条理、偽善、孤独…重いテーマを扱うドラマのなかで、視聴者の癒しにもなった忠犬・リュウ。

悲しき少女に常に寄り添い心をなぐさめた彼の気持ちになって曲を聴きなおすと、また新たな魅力が見えてくるかもしれません。

両A面として収録された「ファイト!」も必聴の一曲です。

 

▼「家なき子」(AmazonPrimeで視聴する)

 

トヨエツブームとキムタクブーム

 

95年 「愛していると言ってくれ」(DREAMS COME TRUE「LOVE LOVE LOVE」)ではトヨエツブームが到来。同年にヒットした「若者のすべて」(Mr.children「Tomorrow never knows」)ではいわゆるキムタクブームがやってきました。

 

トヨエツブーム

95年に放送された「愛していると言ってくれ」は最高視聴率28.1%の大ヒットドラマとなる。主演の豊川悦司(通称トヨエツ)は聴覚障害の画家を演じて人気を博した。

▼写真右 豊川悦司

キムタクブーム
1994年「若者のすべて」が放送され最高視聴率18.3%を記録。主演は萩原聖人と木村拓哉(通称キムタク)。木村拓哉がドラマ中で履いていたエンジニアブーツを履く男が急増した。

 

ロングバケーション「LA・LA・LA LOVE SONG」

タイトル ロングバケーション
放送枠 フジテレビ月曜9時
放送期間 1996年4月15日 -6月24日
オープニング 久保田利伸 withNaomi Campbell
『LA・LA・LA LOVE SONG』(オリコン1996年度年間3位)
結婚式当日に婚約者が失踪したヒロインと、ルームメイトだった年下のピアニストの同居生活を描いたラブ・ストーリー。週刊誌では「月曜日はOLが街から消える」などと騒がれ、主人公に影響されてピアノを習い始める男性が増えるなどの社会現象を起こし「ロンバケ現象」という言葉が流行語となった。最終回の視聴率は36.7%。

 

翌96年、久保田利伸「LA・LA・LA LOVE SONG」は木村拓哉、山口智子主演「ロングバケーション」の主題歌となり大ヒットを記録。

 

▼久保田利伸「LA・LA・LA LOVE SONG」

 

ドラマは初回視聴率がいきなり30%を超え「ロンバケ現象」として社会現象を巻き起こします。松たか子、竹野内豊、稲森いずみが助演に控えているというなんとも豪華なドラマでした。

ピアノを奏でる年下の美青年との同居を妄想した女性も多いことでしょう。この二人の恋も、とにかく何度もすれ違い、うまくいかない。「どうせくっつくんだろう」と安易に思えない、この二人はどうなってしまうんだろうというハラハラした気持ち。

あの気持ちを超える感情はもう自分には訪れないのではないかと、大人になってしまうたび少し悲しくなることもあります。

 

▼松たか子(1977年生まれの女優。日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞している)

▼竹野内豊(1971年生まれの俳優。映画「冷静と情熱のあいだ」ドラマ「ビーチボーイズ」など数多くの主演作を務める)

 

ドラマ主題歌のヒット曲の特徴

 

こうして書き連ねてみて思うのは、ドラマ主題歌としてヒットしたタイアップ曲は総じてイントロが特徴的でした。

イントロを聴くだけで、当時のブラウン管テレビの粗い画質や、家族と囲んだテーブル、翌日感想を言い合った教室など、当時の風景がありありと思い浮かびます。

そして私のなかでいつまでも、キムタクは24歳であり山口智子は31歳(ともにロンバケ出演時の年齢)であるし、トヨエツはよれっとしたシャツとサンダルでとんでもない色気を醸し出す男のままなのです。

ドラマのようなめくるめく世界などないことは、もうこの年齢になれば嫌というほど実感します。

ラブストーリーみたいな恋愛は現実にはない。木村拓哉とも、織田裕二とも、竹野内豊とも恋愛はできません。

電光掲示板にメッセージを流してくれる男性などいないし、実際いたらちょっと引いてしまうのが現実です。※「電光掲示板にメッセージ」は「ラブジェネレーション」第5話での告白シーン

 

でも、90年代ドラマには視聴者の「当たり前」「冷静」を超えてくるときめきとわくわくがあった。

月並みどころではなく単純な言葉を繰り返しますが、間違いなくトキメキとわくわくがあったのです。

そしてそこにも、欠かせない「音楽」という存在がありました。

『90年代J-popヒット曲入門』目次へ  (全11ページ)



スポンサーリンク

目次著者

著者 シン アキコ

30代前半女性。邦楽ファン歴25年。70年代、80年代、90年代の邦楽を愛しています。「歌詞」「曲が生まれた背景」「当時の流行との関連性」などを分析することが好き。

お問い合わせはこちらから

『KAN』入門 ~「愛は勝つ」だけじゃない!天才であり変態!類まれなるソングライター~


電子書籍で読む

はじめに

200万枚を超える大ヒット曲「愛は勝つ」。この曲の印象が強いかもしれませんが「愛は勝つ」はKANさんの一面に過ぎないのです。 Mr.Children桜井和寿さんをはじめ多くのアーティストがリスペクトするアーティスト「KAN」。ファン歴30年のしあ氏が「天才であり変態」「日本のビリー・ジョエル」と称するKANさんの魅力を解き明かします。

KANとは ~稀有な存在のソングライター~

第1章 人柄

KANさんはトリンドル玲奈さんに捧げる曲を作ったり、夏目漱石に扮してみたり、ユーモア溢れる人物です。大ヒット曲にとらわれずにオリジナリティー溢れる楽曲を作り続けています。KANさんの人柄は知るだけで面白い!

経歴
キャラクター
トーク
仲間

第2章 ライブ

KANさんのライブは【バンド編】【弾き語り編】があります。バンド編ではリオのカーニバル風の羽がついた衣装で登場したりとても楽しいライブ。弾き語り編ではKANさんのピアノの練習風景を見ることができます!

バンド編
弾き語り編

第3章 楽曲

KANさんの楽曲は幅広いです。「よければ一緒に」のようにやさしい人柄が伝わる曲もあれば、中田ヤスタカさんを意識して作った曲や、「丸いお尻が許せない」なんて変態ソングも!

バラード・ミディアム編
ポップ編
おふざけ・変態・自虐編
オマージュ編
コラボ編

著者 しあ

40代後半女性。KANのファン歴30年。1988年「BRACKET」を聴いて感動したのが出逢い。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。著書に『スターダスト・レビュー入門』『だいすき!岡村靖幸!』。
お問い合わせはこちらから

KANとは ~稀有な存在のソングライター~

Webon紹介目次著者
KANさんは200万枚を超える大ヒット曲「愛は勝つ」で有名ですが、この曲はKANさんのほんの一面に過ぎないのです。ファン歴30年がKANさんの魅力を人柄・ライブ・楽曲に分けて徹底解説!

『KAN』入門 ~「愛は勝つ」だけじゃない!天才であり変態!類まれなソングライター~はこちらから!

著者:しあ

40代後半女性。KANのファン歴30年。1988年「BRACKET」を聴いて感動したのが出逢い。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。

お問い合わせはこちらから

『KAN入門』目次へ  (全12ページ)

 

KANとは ~基本情報~

名前 KAN
本名 木村 和(きむら かん)
生年月日 1962年9月24日
出身地 福岡県福岡市
デビュー年/曲 1987年4月アルバム『テレビの中に』でデビュー。
1990年9月にリリースされた8枚目シングル「愛は勝つ」がフジテレビ系「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」の挿入歌として人気を博す。累計売上201.2万枚を記録(1991年度オリコン年間3位)。1991年には第33回日本レコード大賞を受賞し、同年の紅白歌合戦にも出場。


▼『よければ一緒に』PV

 

「愛は勝つ」という国民的大ヒット曲を持つKANさん。

KANさんの名前は知らなくても「愛は勝つ」という楽曲は、多くの人が知っているのではないでしょうか。

この曲が大ヒットしてから、もう30年近くなりますので、当時のことを知らない若い世代の方はKANさんの事をよく知らないかも知れません。

また、あまりにも「愛は勝つ」が大ヒットしすぎて、KANさんの他の楽曲やKANさんというシンガーソングライターそのものについてもよくわからない、という方もいるかと思います。

 

日本の「ビリー・ジョエル」「天才であり変態」

 

私はKANさんの事を「日本のビリー・ジョエル」「天才であり変態」と思っています。

「変態」という言葉はいい意味で使っています。

大ヒット曲があるとそれに縛られて本来の自分が出せなくなることもあるかと思います。ただ、KANさんには「大ヒット曲の呪縛」というものがなく、自由に様々な楽曲を生み出しています。

「愛は勝つ」が、KANさんの全てではありません。

他の曲を知ることで「こんな素晴らしい曲があったのか」と、KANさんの才能に気づかされるかと思います。

KANさんを知れば知るほど「愛は勝つ」が、KANさんの一面にしかすぎないことがわかることでしょう。

KANさんはビリー・ジョエルとの出逢いで、本気で音楽を志すようになりました。KANさんは自らが尊敬するビリー・ジョエルのように、とてもピアノが上手で、ピアノ一本で音楽を伝えられる人です。

 

ビリー・ジョエル

1949年生まれ。アメリカ出身のシンガーソングライター。全世界で1億5000万枚以上のレコード・セールスを記録。1973年にリリースのアルバム「ピアノ・マン」が大ヒットとなる。

▼「ピアノ・マン」公式MV

 

ピアノをさらに勉強するために音楽活動を一時休止し、フランスへ留学していたこともありました。

その際には「フランス人になりたいという夢を叶えるため」という、KANさんらしいユーモア溢れるふざけたコメントも残しています。

実はKANさんは、とっても遊び心満載のエンターテインメント精神溢れる人なのです。

 

 

エンターテインメント精神溢れる人物

 

ライブは「弾き語り編」「バンド編」の2種類に分かれています。

弾き語り編は、KANさんのピアノ1本でライブ(またツアー)が行われます。

バンド編では多くの趣向を凝らし、バンドメンバーと共にエンターテインメント性の高いステージを繰り広げています。

衣装に凝っていることでも有名。

でも、奇抜な衣装や、ちょっとしたおふざけがあっても、KANさんの基礎には素晴らしい音楽センスがあるから、何をやっても許されるのです。

▼奇抜な衣装の例

 

KANさんは、アーティストの友達も多く、若い世代のアーティストからはリスペクトされている存在。

 

KANさんをリスペクトするアーティストの例

Mr.Childrenの桜井和寿/TRICERATOPSの和田唱/山崎まさよし/ASKA(CHAGE and ASKA)/スターダスト・レビュー/杉山清貴/馬場俊英/などなど…。KANさんの仲間については詳しくは第1章にて紹介!

 

お互いのライブに参加したり、コラボ楽曲などもあります。

KANさんがいろいろなことをしているので、スターダスト・レビューの根本要さん※からは「才能の無駄遣い」と言われています。

また、KANさんは、中国語、イタリア語、フランス語も勉強していて、日常会話には困らないほど。

旅行にもよく行っていて、ラジオ番組では旅先でのエピソードや、現地で買ったCDなどをかけたりしています。

 

スターダスト・レビュー根本要

スターダスト・レビューの代表曲はシングル売上約15万枚の『木蘭の涙』。カルピスのCMに『夢伝説』が起用され世間に広く認知された。デビュー35周年を迎えた現在も年間70本を超える全国ツアーを展開してる。根本要は同バンドのボーカル。(関連;『スターダスト・レビュー入門』(全14ページ)

 

筆者とKANの出逢い

 

私が初めてKANさんを知ったのは、1987年のセカンドシングルでありアルバム「No-No-YESMAN」にも収録されている『BRACKET』という曲です。

▼「BRACKET」

 

NHKの人気音楽番組「JUST POP UP」でピアノを弾きながら歌っているのを見て「めちゃめちゃいい曲!」と感動しました。

イントロ、間奏にたっぷりピアノが使われていて、その軽快さ美しさに一目ぼれ、というか一聴ぼれしたのです。ボーカルはもちろん間奏のスキャットが新鮮で、激しく足を動かしながらピアノを弾く姿もとても印象的でした。

 

スキャットとは

主にジャズで使われる歌唱法で「ダバダバ」「ドゥビドゥビ」など意味のない音を即興的につないで歌うこと。

▼スキャットで有名な楽曲。スキャットマン・ジョン『スキャットマン』

 

すぐにアルバムを買って聴きこみましたが、この頃のKANさんは、まだそんなには世間に知られていませんでした。

後に「愛は勝つ」が大ヒットした時に、「才能がある人は、やはり世の中に出ていくのだな~」と思いました。

このWebonでは類まれなる才能の持ち主で、稀有な存在であるKANさんの魅力についてお伝えしたいと思います。

まず第1章では4ページにわたって、KANさんの人柄について紹介します。次のページではKANさんの経歴を紹介します。

『KAN入門』目次へ  (全12ページ)

 

 

目次著者

著者:しあ

40代後半女性。KANのファン歴30年。1988年「BRACKET」を聴いて感動したのが出逢い。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。

お問い合わせはこちらから

1990年代とはどんな時代だったのか?

Webon紹介目次著者

あなたにとっての“あの頃”はいつですか?著者にとってアツかった時代「90年代」のJ-popヒット曲を生粋の邦楽ファンの著者が分析します!読めば“あの曲”を聴きたくなる事間違いナシ!!

90年代J-popヒット曲入門 ~音楽で振り返る90年代!~(全11ページ)はこちらから!

著者 シン アキコ

30代前半女性。邦楽ファン歴25年。70年代、80年代、90年代の邦楽を愛しています。「歌詞」「曲が生まれた背景」「当時の流行との関連性」などを分析することが好き。

お問い合わせはこちらから

 

『90年代J-popヒット曲入門』目次へ  (全11ページ)

 

このWebonでは1990年代と当時のJ-POPシーンについて語ります。

このページでは筆者がなぜ1990年代J-POPが好きなのか、なぜ魅力的だと思うのか、どういった思い入れがあるかなどをお伝えいたします。

 

1990年代の主要な出来事一覧

年代 出来事
1990 『ちびまる子ちゃん』放送開始/スーパーファミコンがヒット/大学入試センター試験開始
1991 バブル崩壊/「お立ち台」ディスコジュリアナ東京オープン/『東京ラブストーリー』『101回目のプロポーズ』等のトレンディドラマが全盛期
1992 日本人宇宙飛行士の毛利さんが宇宙へ/『美少女戦士セーラームーン』放送開始/学校週5日制スタート
1993 コギャルブーム/Jリーグ開幕/ポケベル普及
1994 ドラマ『家なき子』アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』が放送/プレイステーション発売
1995 阪神淡路大震災/地下鉄サリン事件/Windows95発売
1996 アムラー/プリクラ登場/たまごっちブーム
1997 消費税5%に引き上げ/映画『タイタニック』『もののけ姫』ヒット
1998 長野オリンピック/お笑いコンビパイレーツの『だっちゅーの』が流行る
1999 iモードサービス/「2000年問題」が提起される/『だんご3兄弟』約290万枚の大ヒット

▼宇宙飛行士の毛利さん

パブリックドメイン

▼たまごっち

By Tomasz Sienicki [user: tsca, mail: tomasz.sienicki at gmail.com]投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, Link

 

はじめに

 

「あのころに戻りたい」そんなふうに思えるかけがえのない時間が、誰の心にもあるでしょう。

時折心を傾け懐かしむだけで「明日からまた頑張ろう!」と思える、いつも心の奥で自分を支えている「あのころ」。

今回語るのは筆者にとっての「あのころ」。

1990年代と当時のJ-POPシーンです。

筆者は1980年代後半生まれ。物心がつき思春期を迎えるまでの、人生で最も色濃く、単純に楽しかった時間、多感な時期を過ごしたのが90年代にあたります。

近年、90年代を彩ったアーティストたちがだんだんと姿を消していくのを見て、平成の終わりとともに自分の青春の終わりを感じています。

いつからでしょうか、ドラマやバラエティ番組を心待ちにしなくなり、CDも買わなくなってしまいました。自分自身も変わったくせに「時代が変わったのだな」と、世の中のせいにして勝手に寂しがっている日々です。

戻りたい。時々強くそう思います。

 

1990年代はどんな時代だったのか?

 

「1990年代とはどのような時代だったか?」当時を知る人はなんと答えるでしょうか。

良い時代であったかどうかは別として、間違いなくアツイ”時代であったと私は思います。

現在より娯楽が少なかったことも要因のひとつですが、なんでもブームになった時代。ひとつのことに注ぐ熱量が、現代とは桁違いでした。

 

【1990年代のブームの例】

●インターネット文化の浸透1992年に日本初のウェブサイト誕生。1997年にYahoo!Japanサービス開始
●Jリーグブーム
Jリーグは日本のプロサッカーリーグ。1993年に設立
●アムラー
:1995年をピークに流行。歌手の安室奈美恵のファッションを模倣する若者が多く登場した。
●コギャルブーム:1996年頃から本格的にブーム。コギャルは、金髪にして肌を黒くする「ガングロ」というスタイルが特徴

 

▼1990年代登場したコギャル


By pepewk – https://www.flickr.com/photos/jennywebber/272217707/, CC 表示 2.0, Link 

 

1990年代はバブル経済の崩壊」「阪神淡路大震災」「松本サリン事件」「少年犯罪の増加」など、暗いニュースが多かった時代です。けれどもそれらに屈することなく、素晴らしいエンターテインメントが次から次へと誕生した、そういうエンタメ文化の「アツさ」を私は感じていました

音楽面においてはGLAY EXPO(音楽史上最大動員数)」「宇多田ヒカルファーストアルバム「First Love」(歴代アルバム最大セールス)」など、数々の新記録が生まれました。

ミリオンセラーも他の年代に類を見ないほど連発した時代。肝心の音楽については、次の章からたっぷりと語らせていただきます。

 

1990年代は、始まりと終わりの時代でした。

元号が変わり、たった数年で90年代に突入。同時に世紀末という大きな節目、ひとつの終わりに向かって進むというどこか不思議な空気をまとっていました。

そもそも1999年には人類が滅亡するとも言われていたのだから、パッと咲いて消える花火のように、 いけいけどんどんの精神が誰の心にも少しくらいあったのかもしれません。

 

1999年には人類が滅亡する噂

「1999年7月に人類が滅亡する」という「ノストラダムスの大予言」が広く流布していた。

 

だからでしょうか。

私よりいくらか年上の世代、この時代まさに青春を送った若者たちは、流行に非常に敏感であったし、楽しむ天才・楽しみを創り出す天才であったように思います。

変化する時代についていくばかりか、自分たちでブームを生み出していました。現に彼らは今もパワフルであり、パイオニアであり続けています。

◆バンドブームを彩った90年代デビューバンドが今も現役でいること
◆同じく90年代デビューのアイドルがいまも“アイドルとして”現役でいること
◆90年代デビューのアクターが今も“主演として”現役で活躍していること

当時では考えられなかったことであり、想像もしていなかった未来でした。

 

そして歌は世につれ世は歌につれ。

90年代のJ-POPシーンは実にアツイものでした。

「90年代感」といえば伝わる人もいるでしょう。いずれのヒット曲も、まごうことなき「90年代感」をまとっています。

聴いた瞬間、それこそイントロから「あの時代」に一気に引き戻されます。90年代のJ-POPが放つ引力はある意味「力技」です。

 

1990年代は終わったが音楽は生き続ける

 

90年代はとうに終わりました。

リスナーだった我々も、もう子どもでなければ若くもない。憧れた当時の彼らの年齢などはるか昔に追い越してしまいました。

それでも名曲たちは、一瞬で私を無垢な子どもに引き戻してくれる。多感な女の子にしてくれます。

街角でふいに90年代の曲に出会ったそのとき、思い出す情景や匂いもあれば、新しく生まれる感情もあります。

私たちは、生きている間にそれを何度も繰り返します。

曲と再会するたびに新しい側面が何通りも見えてきます。当時の想い出を多角的な方向から振り返ることができ、そのたび想い出が増えていく。

 

時代を超え、発売当初に産まれていなかった子どもが口ずさんでいたりします。

私たちが愛した名曲はそうして永遠に生きていく。

音楽は変わらない「核」を持ちながらも、変化してゆくものなのだとつくづく感じます。
なんとなく元気のない時代だからこそ、そして新しい時代のはじまりを迎える今だからこそ、1990年代のJ-POPが放つ“力技”のメッセージを伝えたいのです。

 

次の章からは実際のヒット曲を例に出し、その魅力やヒットの背景を独自に解説していきます。ぜひ改めて聴いていただきたいですし、ともに語り継いでもらいたいです。

当時を知らない世代には、色褪せない名曲たちが持つパワーが伝われば幸いです。

そして一番の願い。

読んでいただく皆様へ。ほんのひととき一緒に、あの時代へと戻りましょう。

『90年代J-popヒット曲入門』目次へ  (全11ページ)



スポンサーリンク

目次著者

著者 シン アキコ

30代前半女性。邦楽ファン歴25年。70年代、80年代、90年代の邦楽を愛しています。「歌詞」「曲が生まれた背景」「当時の流行との関連性」などを分析することが好き。

お問い合わせはこちらから

ファンが伝える!邦楽ミュージシャン入門

 

Webonでは音楽ファンの方が様々な邦楽ミュージシャンの入門コンテンツを作成しています。

ファンの方によって作られた、ミュージシャンへのリスペクトと愛がこもった入門コンテンツを読めば、そのアーティストのことをより深く学べることでしょう。

このページは、邦楽ミュージシャンの入門コンテンツをデビュー年代ごとにまとめたものです。ぜひ、お気に入りのミュージシャンを探してみてくださいませ。

 

70年代デビュー

 

 『山下達郎』入門 ~極上の音楽空間~(全14ページ) 

山下達郎さんは「音の職人」「音楽界の宝」と称されます。テレビやライブの映像を解禁しないため、動く達郎さんが観られるのはライブだけ!プレミアムチケットになっているライブの魅力をお伝えします。

 

▼『山下達郎入門』はこちらより

 

 スターダスト・レビュー入門 ~日本一のライブバンドと言える理由~(全14ページ) 

数百本の音楽ライブに足を運んだ筆者が「日本一のライブバンド」と称するスターダストレビュー。その理由を知ればきっとライブ会場に足を運びたくなるはず!

 

▼『スターダスト・レビュー入門』はこちらより

▼ダイジェスト版はこちら!

 

80年代デビュー

 

 『岡村靖幸』入門 ~超個性的シンガーの魅力に迫る~(全13ページ) 

「岡村靖幸」は、DAOKO、小出祐介などと若手アーティストとのコラボで再び注目を集めていますが「あのスーツのおじさんは誰?」と思っている方も多いかと思います。岡村さんはとても魅力的なアーティストですが、その反面少し気持ち悪くもあります。岡村さんの場合はむしろその気持ち悪さが「かっこいい」のです。

 

▼『岡村靖幸入門』はこちらより

 

 『角松敏生』入門 ~こだわり抜かれたサウンドの世界~(全15ページ) 

角松さんはキラキラとしたおしゃれなサウンドが特徴で「シティポップの貴公子」と称されることも。手掛けた楽曲である『WAになっておどろう』は長野オリンピックのテーマソングになりました。世間的な知名度はあまりありませんが、音楽のクオリティの高さなどから、音楽関係者のファンも多いです。こだわりの抜かれたサウンドの世界に、角松サウンドの世界に触れてみてはいかがでしょうか。

 

▼『角松敏生入門』はこちらより

▼ダイジェスト版はこちら!

 

近年の邦楽ロック事情を知る

 

 邦楽ロック入門 ~近年注目のおすすめバンドを聴こう~(全12ページ) 

近年の邦楽ロックでは「エモい」「ボーカロイド」など多くの注目すべき熱いジャンルがあります。ジャンルごとのおすすめアーティストを知ることで、自分の好みに応じた楽しい邦楽ライフをお過ごしください!

 

▼『邦楽ロック入門』はこちらより

5分でわかる!角松敏生 ~ファンが語る概要と魅力~

 

このページでは「角松敏生」がどんなミュージシャンなのかを大体5分で理解できるように概要とともに魅力をお伝えします。

もちろん角松敏生さんを5分で説明しきるのは困難ですので、さらに深く知りたい方は『角松敏生入門』をご覧ください。

※このページはWebon編集部が角松敏生ファン歴30年以上のしあ氏による『角松敏生入門』の内容をまとめたものです。

 

▼『角松敏生 入門』(全15ページ)

 

 

角松敏生とは ~クオリティが高い!知る人ぞ知るミュージシャン~

名前 角松敏生(かどまつ  としき)
生年月日 1960年8月12日
出身地 東京都渋谷区代々木
デビュー年/曲 1981年にシングル『YOKOHAMA Twilight Time』アルバム『SEA BREEZE』でデビュー

 

角松敏生さんは1981年デビューのシンガーソングライターです。

キラキラとしたおしゃれなサウンドが特徴で、デビュー当時は「シティポップの貴公子」というキャッチコピーがついていました。

手掛けた楽曲『WAになっておどろう』はNHK「みんなのうた」で話題になり、長野オリンピックのテーマ曲になりました。

角松さんは「杏里」「西城秀樹」「中山美穂」をはじめとした多くのアーティストに楽曲提供をしており、杏里さんに提供した『悲しみがとまらない』が大ヒット(1984年のオリコン年間19位)。

 

▼悲しみがとまらない:杏里さんの代表曲のひとつ(提供曲について詳しくはこちら

 

角松さんにはとても熱狂的なファンが多く、音楽のクオリティの高さなどから音楽関係者のファンも多いです。

ただ、世間一般的にはあまり知名度がありません。

なにしろ長い音楽生活の中で代表曲というものがありません。それが世間での評価につながっていない理由の一つであると思いますし、この辺りは角松さん本人も自虐的に語る部分です。

しかし一度でも「角松敏生のサウンド」に触れてもらえれば、その素晴らしさにきっと感動してもらえるはずだと思います。こだわりにこだわりぬき、決して妥協しないその音創りは音楽マニアにはたまらないものなのです。

 

角松敏生氏のサウンド魅力について詳しくはこちら!

 

フュージョン界に大きな影響を与える!

 

角松敏生さんは1987年、1990年に2枚のインストゥルメンタル(歌のない曲)アルバムを発表し、とても高い評価を受けました。

 

▼1987年リリース「SEA IS A LADY」(画像クリックで商品詳細へ)

▼1990年リリース「Legacy of You」(画像クリックで商品詳細へ)

 

このアルバムはフュージョン界に大きな影響を与えました。

 

フュージョンとは

フュージョンは音楽のジャンルで電子楽器を使用したジャズのようなもの。

▼日本で活躍するフュージョンバンド「T-SQUARE」の代表曲

 

 

1980年代前半に「ザ・スクエア(現T-SQUARE)」などによるフュージョンブームが起こりましたが、1980年代後半にはそのブームも停滞気味でした。

そんなフュージョンブームが停滞気味の中、シンガーソングライターの角松さんがインストアルバムをリリースしたことで大きな話題となりました。

この頃はフュージョンやインストを聴くファン層と、歌物を聴くファン層とには割と隔たりがあったように思います。

ですが、角松さんがインストアルバムをリリースすることにより大きな話題を呼びました。角松ファンはもちろん、普段フュージョンを聴かない層にもフュージョンの門戸を広げることになりました。

ちなみに1987年リリースの「SEA IS A LADY」は2017年に「SEA IS A LADY 2017」としてリメイクされ、日本ゴールドディスク大賞の「インストゥルメンタルアルバム・オブ・ザ・イヤー」を受賞しています。

 

▼アルバム「SEA IS A LADY 2017」(画像クリックで商品詳細へ)

 

ギタリストとしての角松敏生氏の魅力について詳しくはこちら!

 

謎の覆面バンドとして活動した?

 

角松敏生さんは活動を無期限休止としている時期がありました。

その時に、「角松敏生」という名を伏せて謎の覆面バンド「AGHARTA」として活動していました。

AGHARTAの楽曲『WAになっておどろ』がNHK「みんなのうた」に採用されたこともあり大きな話題となります。そして『WAになっておどろう』は長野オリンピックのテーマソングになりました。

 

「AGHARTA」の活動について詳しくはこちらのページで解説

 

ぜひ聴いて欲しい!定番の名曲10選!

 

角松さんに名曲が多くあります。ここでは定番の名曲をいくつかご紹介します。

 

▼厳選!定番の名曲10選

曲名 収録アルバム
NO End Summer GOLD DIGGER(1985)
Tokyo Tower GOLD DIGGER(1985)
Girl in the Box 1981~1987(1993)
初恋 T’s 12 INCHES(1986)
Take You To The Sky High Breath From The Season 2018~Tribute to Tokyo Ensemble Lab~(2018)
飴色の街 Reasons for Thousand lovers(1989)
IZUMO INCARNATIO(2002)
浜辺の歌 1998~2010(2011)
ハナノサクコロ Fankacoustics(2004)
RAMP IN T’s BALLAD(1985)

 

NO End Summer

 

『NO End Summer』は角松ファンの間でもとても人気の高い名曲。

ピュアな想いが綴られたスイートなラブソング。

ラストの

「Love is you Love is me Love is the neighbor Love is the everything」

のコーラスはライブではみんなで大合唱。

聴くたびに感動する、とてもとても大切な曲です

 

Tokyo Tower

 

角松敏生さんの定番曲のひとつ『Tokyo Tower』。

ラップから始まるこの曲のカッコよさと言ったら!

まだラップが今ほど認知されていなかった1985年当時、ラップやスクラッチを取り入れた角松敏生を代表する、最高にファンキーでダンサブルなナンバー。

歌詞の内容がセクシー。リリース当時NHKでは放送禁止に。

歌詞がセクシーすぎるから?と思っていたのですが、商標名だから連呼するのはダメなんだそう。

 

Girl in the Box

 

『Girl in the Box』も角松敏生を代表する楽曲。

オリジナルアルバムには未収録ですがとても人気の高い曲。

「箱入り娘」をこれほどカッコよく歌うアーティストがいたでしょうか(笑)

夜10時になると、好きな女性が自分の手をすり抜けていってしまうもどかしさが描かれています。

こちらもNHKで放送禁止に。

私は、なんとなく門限破りを推奨するような歌詞だから?と思っていたのですが、「気が狂いそうさ」という部分がダメだったそうです。

ライブでは、ラストの部分でみんなで何度もジャンプするのが楽しい!

 

角松敏生氏の定番の名曲について詳しくはこちら!

 

ライブで用意しておきたい「紙ヒコーキ」

 

角松ライブに参加する際に、用意しておきたいのが紙ヒコーキです。

「TAKE YOU TO THE SKY HIGH」の時には観客は一斉にステージに向かって紙ヒコーキを飛ばします。

カラフルな色の紙ヒコーキが飛ぶかう光景は、とても楽しく美しい。

特に2階席前方から見る光景は圧巻です。

 

 

私が初めて行った角松さんのライブで、座席が2階の1列目真ん中だったんです!

そこで見た、紙ヒコーキが一斉に舞う姿は鳥肌ものでした。

後ろからも降ってくるし、下を見ればぐるぐると舞っているし、あの光景は今でもはっきりと覚えています。

何度も何度も紙ヒコーキを折り飛ばしてきたので、折り方も紙の選び方も上手くなりました(笑)

 

角松敏生氏のライブの魅力について詳しくはこちら!

 

以上、角松敏生さんの紹介でした。

『角松敏生入門』では角松敏生さんのことをさらに深く知ることができます。ぜひともご覧くださいませ!

▼『角松敏生』入門(全15ページ)

 

角松敏生入門の目次著者

著者:しあ

40代後半女性。音楽が大好きでJ-POP K-POP 洋楽 演歌歌謡曲とさまざまな音楽を聴いています。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。全部チケットの半券をとっているのでとても大切な想い出です。音楽はとても生活を豊かにしてくれるもの。私の好きなアーティストの魅力を知っていただければ、と思います。

お問い合わせはこちらから

5分でわかる!スターダスト・レビュー ~ファン歴24年が語る概要と魅力~

 

このページでは「スターダスト・レビュー」がどんなバンドなのかを大体5分で理解できるように概要とともに魅力をお伝えします。

もちろんスターダスト・レビューさんを5分で説明しきるのは困難ですので、さらに深く知りたい方は『スターダスト・レビュー入門』をご覧ください。

※このページはWebon編集部がスタレビファン歴24年のしあ氏による『スターダスト・レビュー入門』の内容をまとめたものです。

 

▼しあ氏 著『スターダスト・レビュー入門』(全14ページ)

 

スターダスト・レビュー(スタレビ)とは

基本情報

グループ名 スターダスト・レビュー
通称 スタレビ
メンバー ・根本要(ボーカル/ギター)写真右から2番目
・柿沼清史(ベース/ボーカル)写真左から2番目
・寺田正美(ドラムス/ボーカル)写真左
・林“VOH”紀勝(パーカッション/ボーカル)写真右
デビュー 1981年5月25日シングル『シュガーはお年頃』アルバム『STARDUST REVUE』でデビュー

▼スターダスト・レビュー(スタレビ)の代表曲「木蘭の涙」

 

スターダスト・レビューってどんなバンド?

 

スターダスト・レビュー(通称スタレビ)は、男性4人組の音楽グループ。

1984年にリリースされた『夢伝説』カルピスのCMに起用され世間に広く認知されました。

 

▼『夢伝説』ライブ映像

 

代表曲は1993年にリリースされシングル売上約15万枚の『木蘭の涙』。2005年にはニッカウヰスキーのCMにアコースティックバージョンの『木蘭の涙』が起用されました。

 

▼スターダスト・レビュー(スタレビ)の代表曲「木蘭の涙」

 

ただ、スターダスト・レビューは知名度は高いとは言えません。ファン歴24年のしあ氏は以下のように語ります。

「私はスタレビの大ファンなのですが、初めて会う人と好きなアーティストの話になった時には必ず『知らないかもしれませんが~』という枕詞を使ってしまいます。これは『スタレビファンあるある』で、私だけではなく多くのファンに通ずるスタレビの知名度の低さゆえの悲しい性なんです。」

ライブ鑑賞歴数百本のしあ氏はスタレビを「日本一のライブ・バンド」であると思っているそうです。

その理由は「今まで行ったアーティストのライブはどれも全てよかったです。本当に感動したもの、楽しかったものが多く、どのライブが一番よかったと比べられるものではありません。

でも、スタレビと比べるとどのライブもスタレビを超えないんですよね。スタレビの他にも大好きなアーティストはたくさんいるけれど、私にとってスタレビは殿堂入りしていて絶対王者なんです。私は今までスタレビにがっかりしたことがないんです。盲目的なファンではありませんが、スタレビの悪いところが見つからないというのでしょうか。」

スタレビは、デビュー35周年を迎えた現在も年間70本を超える全国ツアーを展開しています。ライブ・パフォーマンスに定評があるバンドなのです。

 

スタレビのライブはなぜ日本一なの?

 

スターダスト・レビューはどんなにキャリアを積み重ねても決しておごらず常に低姿勢で、1曲1曲終わるごとのお辞儀は深く、ファンへ感謝の言葉を投げかけます。

「『高い音楽性と低い腰』これこそがスタレビの生命線であり、それがここまでライブバンドとしてのキャリアを積み重ねることができた要因だと思うのです。」としあ氏は語ります。

 

スタレビがライブに力を入れてきたのは、CDの売り上げやTV出演を主な活動場所にしなかった・・・できなかったから。でも、そのことで全国各地で確実にファンを増やし、そのライブパフォーマンスは年々高くなり、今では「日本屈指のライブバンド」と呼ばれています。

 

スタレビのライブは誰もが楽しめるエンターテイメント性も魅力です。

スタレビのボーカル・根元要さんは「知らない曲はみんな新曲です」と言います。曲を知らなくても大丈夫、それでも十二分に楽しめるのがスタレビライブなのです。

スタレビのライブは通常のツアーだと3時間半~4時間近くなりますが、そんな長時間を感じさせない全然飽きさせないライブです。

 

▼ライブの魅力の詳しい解説はこちら!

 

ボーカル根本要のMCが面白い!?

 

スターダスト・レビューを語るとき「根本要さんのトーク」は絶対に欠かせません。要さんのおもしろいトークは誰もが認めるところです。

 

気配りがあり、決して人を傷つけないトークで笑いを起こして、みんなを笑顔にします。

要さんは、スタレビのことを自虐的に語ることがありますが、ファンは目の前で自虐ネタを言われても全然嫌な気持ちになりません。要さんは自虐を言いながらも、スタレビのファンに対して最大の感謝があるのです。

以下は数年前のライブでの、根本要さんのMC

「今さ、ここでコンサートやってるじゃん? 今、街中に出たらスタレビのファンは一人もいないよ。 だってみんなここに来てるんだもん。ここの人たちがすべてだもん。 みんなおかしいよ、だってスターダスト・レビューに出会うって、プールに落ちたコンタクトレンズを拾うようなものじゃん? なかなか見つけようと思っても見つけられないよ?」

これにはみんな大爆笑。

「みんなおかしいよ、お前らおかしい」

は、要さんがよく言う言葉。

みんなおかしいと言われながらもファンは喜んでいます。

 

▼根本要氏のMCの魅力について詳しくはこちら!

 

ファンへの愛の深さがすごい!

 

スタレビはファンへの愛が深いです。それはCDやチケット代などにも表れています。

とにかくスタレビはファンの金額的負担を少なくしたいそう。アーティストやミュージシャンはそんなに儲けなくていい、できるだけ価格を安く、というのがスタレビのモットー。

スタレビほどキャリアを積むと、チケット代も8,000円~9,000円台になるかと思いますが、ツアーのチケット代はいまだに6,000円台。

さらに25歳以下と65歳以上、障がい者と介助者1名は1,000円キャッシュバックしています。

 

▼スタレビのファンへの愛の深さについてさらに知りたい方はこちら!

 

スタレビおすすめの名曲

 

スターダスト・レビューの代表曲と言えば「木蘭の涙(もくれんの涙)」を思い浮かべる方が多いと思います。しかし、スタレビにはこの「木蘭の涙」以外にも隠れた名曲、おすすめの曲があります。

 

▼ファン歴24年が厳選!おすすめの曲8選

曲名 収録アルバム
トワイライト・アヴェニュー TO YOU -夢伝説-
Best Wishes
と・つ・ぜ・んFall In Love THANK YOU
Syncopation Love Goodtimes&Badtimes
HELP ME
KEEP ON ROLLIN’
約束 B.O.N.D.
春キャベツ 太陽のめぐみ
道 ~The Song For Us~ SHOUT

 

『トワイライト・アヴェニュー』は1983年にリリースされたスタレビ初期のヒット曲。スタレビファンのしあ氏はこの曲の魅力について以下のように語ります。

「女性目線で「友達から恋人へと発展できない恋のせつなさ、悲しみ」が歌われているのですが、要さんの優しいボーカルがとてもよく合っていて切なくなります。」

「この曲はアカペラバージョン(楽器無しで歌のみ)で歌われることも多く、それもとっても素晴らしいのですが、バンドバージョンのほうが曲の良さをより実感できると思います。」

▼トワイライト・アベニューのバンドバージョン

 

また『と・つ・ぜ・んFALL IN LOVE』は、スタレビのライブでは外せない、欠かせない大人気曲。

「1、2 He we go Jump!!!!! 」

のボーカルの根本要さんの掛け声とともに、みんなでジャンプするのが最高に楽しい曲。

 

 

▼おすすめの名曲8選、全ての曲の詳しい魅力の紹介はこちら!

 

以上、スターダスト・レビュー(スタレビ)の紹介でした。『スターダスト・レビュー入門』では、スターダスト・レビューのことをさらに深く知ることができます。

▼『スターダスト・レビュー入門』(全14ページ)

 

スターダスト・レビュー入門の目次著者

著者:しあ

40代後半女性。音楽が大好きでJ-POP、K-POP、洋楽、演歌歌謡曲とさまざまな音楽を聴いています。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。全部チケットの半券をとっているのでとても大切な想い出です。音楽はとても生活を豊かにしてくれるもの。私の好きなアーティストの魅力を知っていただければ、と思います。お問い合わせはこちらから

ロリータファッションと【音楽】【文学】【オタク文化】の融合

Webon紹介目次著者

ロリータファッションを愛して20年以上の著者だから語れた!ロリータファッションをこれから始める方も、既にこよなく愛する方も必読の入門書!これを読めばロリータのすべてがわかる!?

ロリータファッション入門 ~現実世界とのバランスを考えた楽しみ方~(全22ページ)はこちらから!

著者:佐藤遊佳

高校卒業と同時にロリータファッションに目覚め、以来13年間私服ではずっとロリータ服やゴシック&ロリータ服を着続ける。鍼灸師として患者さんを診るかたわら、ロリータファッションの服飾小物、アクセサリーの個人作家として活動。現在は結婚し地元で鍼灸院を開業し、執筆活動もしている。

お問い合わせはこちらから

『ロリータファッション入門』目次へ  (全22ページ)

 

ロリータファッションに限らず、全てのファッションにおいてジャンルの定義はあいまいです。おおよそのジャンルは分けられるけれど、細かなジャンル分けは「着ている本人がどう思っているか」次第なのです。とはいえ、ある程度の傾向はもちろん存在します。

この章ではロリータファッションのジャンルについて【定番】【ゴシック&ロリータファッション】【サブカルチャーと融合して生まれたジャンル】【ジャンルに対する考え方】に分けてご紹介いたします。

ロリータファッションは音楽、文学、さまざまなサブカルチャーとの関係性も深いファッションです。このページでは【音楽】【文学】【オタク文化】とロリータファッションの関係性や融合して生まれたジャンルについてご紹介致します。

 

【音楽】とロリータファッション

 

ロリータに限らずファッションは音楽と密接な関係を築いてきました。

ライブ会場に行けば共通のバンドのファンが分かるくらいファッションが連動していたり、どの系統の音楽が好きかで普段着る服の傾向が変わるほどです。

現在パンク・ロックファッションがパンク・ロック(1970年代半ばにアメリカで誕生した過激で攻撃的なロック)の音楽とは離れて、あくまでファッションのいちジャンルになっています。

▼パンクロックファッションの例

 

ロリータ、ゴシック&ロリータはヴィジュアル系ファンの女の子=バンギャさんが多く好んでいたファッションですが、こちらも現在では音楽から離れています。

 

ロリータさんの中には音楽と無関係に、いちファッションとして着ている方も多く居ます。

私がそういうタイプです。

着始めた当時(2000年頃)はヴィジュアル系全盛期で、私はヴィジュアル系を知らないままファッションから入りました。

着始めてしばらくしてからヴィジュアル系の存在を知り、それはそれで好きになりました。

 

厳密にいえば、バンギャさんたちの着こなしはライブハウスで動きやすいことが最優先なので「バンギャファッション」などと呼ばれ、ロリータ・ゴシックロリータファッションと区別されることもあります。

出演するバンドのメンバー(大半は男性)の衣装の系統も、オーソドックスなゴシックにパンクやロックの要素を加えた「V系ファッション」と呼ばれるものが多いようです。

▼パンクの要素を加えた「V系ファッション」の例

 

個性的で華やかなファッションですから、アーティストのライブ衣装に最適だったことも、ロリータファッションとヴィジュアル系を結び付けた理由のひとつでしょう。

2019年現在、ヴィジュアル系の流行は最盛期より落ち着いていますが、2000年台初頭はヴィジュアル系とロリータファッションの関係は非常に密接。雑誌の特集からもその雰囲気が伝わってきます。

▼2008年発売『もえるるぶ COOL JAPAN オタクニッポンガイド』ムックより


引用:2008年発売『もえるるぶ COOL JAPAN オタクニッポンガイド』ムック

“ロリータファッションと【音楽】【文学】【オタク文化】の融合” の続きを読む

山下達郎のライブで感動した言葉

Webon紹介目次著者

山下達郎さんは『クリスマス・イブ』で有名なミュージシャン。達郎さんはテレビに出演しないため、動く姿を観れるのはライブだけ。チケットは入手困難であり「音の職人」と称される達郎さんのライブは「極上の音楽空間」。

『山下達郎』入門 ~極上の音楽空間~(全14ページ)はこちらから!

著者:しあ

40代後半女性。音楽が大好きでJ-POP、K-POP、洋楽、演歌歌謡曲とさまざまな音楽を聴いています。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。全部チケットの半券をとっているのでとても大切な想い出です。音楽はとても生活を豊かにしてくれるもの。私の好きなアーティストの魅力を知っていただければ、と思います。

お問い合わせはこちらから

 

『山下達郎入門』目次へ  (全14ページ)

 

私は何度も山下達郎さんのライブに行っています。このページではライブで聞いた達郎さんの言葉で感動したものをいくつかご紹介します。

ライブでの発言を知ることで人間性がわかり、より達郎さんの魅力を知ることができるかと思います。そして、ライブにも参加してみたくなると思います。

 

※ちなみに参加したライブは全て「大分iichiko総合文化センターグランシアタ」で行われたものです。

大分iichiko総合文化センターグランシアタ

大分iichiko総合文化センターグランシアタは、通称「大分グランシアタ」と呼ばれます。大分県立総合文化センターの大ホールです。

▼大分県立総合文化センター


By 大分帰省中投稿者自身による作品, CC 表示 3.0, Link

“山下達郎のライブで感動した言葉” の続きを読む

ギタリスト佐橋佳幸とは

Webon紹介目次著者

山下達郎さんは『クリスマス・イブ』で有名なミュージシャン。達郎さんはテレビに出演しないため、動く姿を観れるのはライブだけ。チケットは入手困難であり「音の職人」と称される達郎さんのライブは「極上の音楽空間」。

『山下達郎』入門 ~極上の音楽空間~(全14ページ)はこちらから!

著者:しあ

40代後半女性。音楽が大好きでJ-POP、K-POP、洋楽、演歌歌謡曲とさまざまな音楽を聴いています。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。全部チケットの半券をとっているのでとても大切な想い出です。音楽はとても生活を豊かにしてくれるもの。私の好きなアーティストの魅力を知っていただければ、と思います。

お問い合わせはこちらから

 

『山下達郎入門』目次へ  (全14ページ)

 

前ページでは山下達郎さんのバンドメンバーについてご紹介しました。

このページではギタリスト佐橋佳幸さんについてより詳しくご紹介いたします。

達郎さんのライブは佐橋佳幸さんのギターを間近を聴ける機会でもあります。私は佐橋さんを大大大好きで、歌を歌わないギタリストの中で日本一のギタリストだと思っています。

ぜひ、佐橋さんの魅力を知りより山下達郎さんのライブを楽しんでいただきたいです。

また佐橋さんとスターダスト・レビューの要さんが組んだユニット「本日のおすすめ」を知れば佐橋さんのことをより深く知ることができるでしょう。

▼スターダスト・レビューについては別Webonで詳しく解説!

“ギタリスト佐橋佳幸とは” の続きを読む