つんく♂は何がすごかったのか? 【90年代邦楽のヒットメーカー解説②】

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あなたにとっての“あの頃”はいつですか?著者にとってアツかった時代「90年代」のJ-popヒット曲を生粋の邦楽ファンの著者が分析します!読めば“あの曲”を聴きたくなる事間違いナシ!!

90年代J-popヒット曲入門 ~音楽で振り返る90年代!~(全11ページ)はこちらから!

著者 シン アキコ

30代前半女性。邦楽ファン歴25年。70年代、80年代、90年代の邦楽を愛しています。「歌詞」「曲が生まれた背景」「当時の流行との関連性」などを分析することが好き。

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この章では90年代邦楽のヒットメーカーである【小室哲哉】【つんく♂】【織田哲郎】の3人にスポットライトを当てて、当時のJ-POP界がどのようなものだったかをお伝えします。

ある時は人気バンドのボーカリスト、ある時は女性シンガーのプロデューサーという2つの顔をもち、その両方で大成功をおさめたつんく♂。

記録にも記憶にも残る人物、そしてヒットメーカーとして、90年代のJ-POPを語る上で欠かせない人物のひとりです。

このページではつんく♂の魅力をお伝えする中で「シャ乱Qがなぜ人気を得たのか」「ボーカリストつんく♂の魅力」「つんく♂の作詞の魅力と特徴」という点にも迫りたいと思います。

 

つんく♂の基本情報

名前 つんく♂
生年月日 1968年10月29日
出身地 大阪府
職業 音楽家、総合エンターテインメントプロデューサー
デビュー 1992年シャ乱Qシングル「18ヶ月」 
1988年シャ乱Qを結成。最大のヒット曲は145万枚売上の「ズルい女」。同曲を含め4曲でミリオンセラーを記録。プロデュースしたアイドルグループ「モーニング娘。」の「LOVEマシーン」(1999年)は売上176万枚以上を記録。

▼シャ乱Q「ズルい女」

▼モーニング娘。「LOVEマシーン」

 

つんく♂の魅力

①ボーカリストを務める「シャ乱Q」

唯一無二のボーカリスト「つんく♂」

 

骨太のパワーサウンド、センセーショナルな外見、派手なパフォーマンス。男女問わず愛され、90年代のヒットチャートを駆け上った人気バンド「シャ乱Q」。

ボーカリスト・つんく♂の歌声はまさに唯一無二のものでした。

鼻にかかった甘い声、クセのある発音、安定した歌唱力。繊細なラブソングもコミックソングも、彼が歌えば耳に残って離れない。

🎤つんく♂の歌声を堪能するなら以下の曲がおすすめ🎤

【ラブソング】
・シングルベッド
・My Babe 君が眠るまで
・涙の影 など

【コミックソング、あるいはインパクトのある曲】
・ラーメン大好き小池さんの唄
・ズルい女
・とってもメリーゴーランド(つんく♂が中学生のころに作ったとか。つんく♂らしいコミカルでポップな曲です) など

 

彼の当時のトレードマークといえば細い眉とアイシャドウ。

 

▼写真中央でカメラ目線がつんく♂

 

バンドマンにおいて、派手なメイクやカラフルな髪色など、さほど珍しくはなくなっていた時代。

その中にいてもつんく♂は、ひときわ目を引く存在でした。

中性的で華奢な出で立ちから放たれる、圧倒的なオス感。

トーク場面で見せる顔や現在の穏やかな表情とは違う、見るものを射貫くような挑発的な視線も彼の魅力でした。

関西によくいるニイチャン

 

シャ乱Qは、メンバー全員が関西の出身。そのためか、

「関西によくいるニイちゃん」

当時の彼らに対し、同じ関西の人間である私はそんな印象を抱いていました。

派手で、遊んでいそうで、車乗って女の子連れて、ちょっと悪いこともやったりして、でも子どもやお年寄りには優しかったりする。

そんな“ちょっとワルそうな大人”“なんか遊んでそうな男”。

心の奥にある“ちょっとかっこつけたい”“ワルぶりたい”部分をシャ乱Qに投影していた人も少なからず存在していたことでしょう。

 

彼らは地元で着々とファンをつかみ、本格的なメジャーデビューのため東京へ向かいました。関西発のバンドが成功するというのは、当時はまだまだ珍しかった時代。

「上京」というひとつのドラマティックな体験を経て人気バンドへとのし上がったこと。それがシャ乱Qの楽曲に奥行きや切なさ、古い言い方をすれば「ロマン」を色付けしているようにも思うのです。

 

メンバー全員が楽曲づくりを手掛ける

 

シャ乱Qはメンバー全員が楽曲づくりを手掛けるバンド。

例えばヒット曲「空を見なよ」「上・京・物・語」はドラマーまこと、ギタリストはたけのコンビによる作品です。

 


 

根強い人気を誇る名曲「シングルベッド」も、はたけによる美しいメロディラインにつんく♂がとびっきり切ない歌詞を乗せました。

シングルベッドで夢とお前抱いてた頃 くだらないことだってふたりで笑えたね
今夜の風の香りはあのころと同じで 次の恋でもしてりゃ ああ辛くないのに

引用:シャ乱Q「シングルベッド」作詞つんく/作曲はたけ

▼「シングルベッド」

 

先ほど彼らの上京について触れましたがリスナーは想像・妄想することがくせみたいなもの。

この曲が果たして実体験を元に書かれたかどうかはわかりません。

しかし「シングルベッド」は夢を追って東京に出てきたつんく♂が歌詞を紡ぎ、歌ったものであるからこそ、なんとも言えない切なさが増すのだと思うのです。

 

② 作詞家として紡ぐ“パワーワード”

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つんく♂の独特の言葉選びは好き嫌いが分かれるかもしれません。

しかしあれほどオトコ心もオンナ心も違和感なく歌うことができる人、愛や恋といった「歌いつくされてきたテーマ」をオリジナルの言い回しで表現できる優秀な作詞家は、なかなかいません。

彼の豊かな想像力が、耳に残って離れない独特のフレーズを生み出し、多くの人が口ずさむものとなりました。

シャ乱Qとして自ら歌う楽曲においては「情けないオトコ」がつんく♂の代名詞といえます。

「女に引導を渡してしまう」「負けを認めてしまう」そんな男心を隠さず赤裸々に歌うというのは当時としてはまだ珍しかったかもしれません。

でもそれこそがシャ乱Qが男女問わず愛された所以であると思うのです。

 

つんく♂の歌詞にはいわゆる「パワーワード」があります。

中身があるとかないとか、深いとか浅いとかでなく、スコーンと頭に入ってくる言葉。

例えば語呂が良かったり、理由もなく口に出したくなったり、何年たっても頭にこびりついて離れないようなそんな言葉。

今回はシャ乱Qのシングル曲から、彼の生み出した“パワーワード”をいくつかピックアップしていきましょう。

 

My Babe 君が眠るまで

君が先に眠るまでもったいないから起きてる
明日の仕事とか多分つらいんだけど

引用:シャ乱Q「My Babe 君が眠るまで」作詞作曲 つんく

 

「愛してる」をこれ以上ないオリジナリティで綴った言葉だと思います。

恋愛をしていると、物理的な時間は削られ、自由も減り、疲れてしまうこともあります。

けれどそれ以上に、力が湧いてくる瞬間もある。

この歌詞に出てくる“男”も、明日の仕事がつらくなると頭ではわかっていながら、恋人と過ごす時間を大切にしたいと思っている。

相手を想う愛おしい気持ちが、このフレーズで充分に伝わります。

きっと誰もが頭によぎったことのある感情を、ストレートに具現化する。自分だけのものにしておきたいような体験や感情を具体的に歌うことで共感を生む。

つんく♂はその才能に長けていると思います。

 

いいわけ

淋しい夜はごめんだ 淋しい夜はつまんない 淋しい夜は会いたい 淋しい夜はCRY CRY CRY

引用:シャ乱Q「いいわけ」作詞作曲 つんく

 

「いいわけ」は、これぞつんく♂節ともいえる曲。当たり前のことを歌にするすごさ。それがつんく♂がつんく♂たる所以だと思います。

普通の人ならそんなこと歌にしない。

それくらい普通のことを歌って、ヒットに変えてしまう。

女性シンガーソングライターでいうならば森高千里や広瀬香美もこの類と言えるかもしれませんし、もっといえばニューミュージック時代の歌手もこのような手法で若者の共感を得たといえます。

 

ニューミュージック

1970年代から1980年代にかけて流行した日本のポピュラー音楽のジャンル。フォークソングにロックの要素が混じった、当時としては新しい音楽。吉田拓郎はニューミュージックの代表と称される。井上陽水、松任谷由実、さだまさし等もニューミュージックのミュージシャンとされる。

 

③ プロデューサーとしてのつんく♂

 

つんく♂のプロデュース業は、大人気オーディション番組ASAYAN(1995-2002日曜21:00-21:54放送 テレビ東京)から始まりました。

公開オーディション、メンバーの卒業&加入、レコーディング風景公開など、ハラハラしながら見守った人も多いでしょう。

つんく♂が合格させる女の子たちは、とびっきりの美人や、抜群の歌唱力を持っている子ばかりというわけではありませんでした。

当時人気を博していたいわゆる「美人」「歌がうまい」という女の子とは少し異なる路線。はじめこそ、視聴者としては「ん?」と思う場面もありました。

 

しかし、つんく♂のセレクトはブレない。

彼は確固たる「シンガー像」を持っているように感じました。

最初こそ意外で、めずらしく、違和感もありました。

 

しかし次第につんく♂のプロデュースは「ハロプロっぽさ」「つんく♂っぽさ」として世の中に浸透し、メジャーなものとなっていきます。

先見の明ともいえるかもしれませんが、つんく♂が持っているのは原石を確実に磨き上げる力。

 

彼女たちへの指導場面、レコーディングには迷いがありません。

つんく♂はいつも明確なビジョンを持ちながら、その都度“おもしろいもの”を見つけ舵をきる柔軟な思考もある。

かといって自分色に染めてしまうわけではない。

 

プロデューサーという役割を「楽しんでいる」からこそ、ハロープロジェクトはさまざまな顔を見せる魅力的な集団となり、今も進化を続けているのだと思います。

「面白そう」を確実にヒットさせてしまうプロデューサー。それがつんく♂だと私は思います。

 

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