JAGATARAの軌跡② 【江戸アケミ精神疾患の発症】

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鶏やヘビを食いちぎるなどの過激なパフォーマンスで注目を浴びたJAGATARA。精神疾患を患いながらも奇跡の復帰を遂げた江戸アケミ。そして死まで。1980年代を駆け抜けた伝説のバンドの軌跡をお伝えします!

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著者 積 緋露雪

1964年生まれ。音楽雑誌「CDで~た」の執筆・編集・企画を担当。ライター歴20年以上。小説『審問官』シリーズ出版。

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前ページでは名盤「南蛮渡来」のリリースまでの活動を振り返ってまいりました。

このページではシングル「家族百景」リリースから、江戸アケミの精神疾患の発症の経緯などをお伝えします。

▼このページで紹介する出来事

年月 出来事
1983年5月 シングル「家族百景」
1983年 スタジオ制作
1983年11月頃~ 江戸アケミ精神疾患発症・JAGATARA活動休止
全体年表はこちら(クリックorタップで開く)
年月 出来事
1979年 最初のギグ
1980年 過激なパフォーマンスに走る
1982年5月 デビューアルバム「南蛮渡来」
1983年5月 シングル「家族百景」
1983年 スタジオ制作
1983年11月頃~ 江戸アケミ精神疾患発症・JAGATARA活動休止
1985年9月 「アースビート伝説85」江戸アケミ出演(復帰の第一歩)
1987年3月 アルバム「裸の王様」リリース
1987年12月 アルバム「ニセ予言者ども」
1988年4月 アルバム「それから」でメジャーデビュー
1989年12月 アルバム「ごくつぶし」(江戸アケミ生前最後のアルバム)
1990年1月 江戸アケミ死亡
1990年7月 アルバム「おあそび」

 

【1983年5月】「家族百景」リリース

 

デビュー・アルバム「南蛮渡来」は評判が評判を呼んで、自主制作した3000枚は完売しました。

1983年になり暗黒大陸じゃがたらはEP12インチ・シングル「家族百景」をリリースします。

▼シングル「家族百景」(画像クリックで商品詳細へ)

そして、江戸アケミは「南蛮渡来」完売で得られた収入約300万円で自前の録音スタジオ制作に着手します。スタジオ制作の目的は自前のレコード製作を考えている人に使ってもらうためでした。

江戸アケミはこの時もしかするとメジャー・デビューの芽すらないバンド連中との“連帯”を志向していたのかもしれません。

本当のところは分かりませんが、江戸アケミは自分のために録音スタジオの制作に着手したのではないことだけは確かです。”自分のためより、他人のため”に生きていたような人物が江戸アケミなのです。

それに加えて江戸アケミにはレゲエを生み出した国であるジャマイカに対する羨望があったようです。

江戸アケミはレゲエそのものに嫉妬するほどにレゲエを愛していたと思われます。

「レゲエ」はバラック(粗末な家屋)みたいなスタジオで制作されているにもかかわらず、“世界的な音楽”になりました。一方、日本はというと、やれ機材がどうしたなど体裁ばかりにこだわっていてレゲエの足下にも及ばない、という忸怩たる思いが江戸アケミの胸の内にあったのは想像に難くありません。

 

スタジオ制作に取りかかる

 

江戸アケミは1983年、東京都渋谷区・松見坂にあったとあるビルの屋上で自前の録音スタジオ制作に取りかかります。

江戸アケミ自身が工事を行うという本当の手作りのスタジオだったのです。

ただし、機材は当時としては最新式でかなりのものが揃っていました。

完成するとそのスタジオは「じゃがたらスタジオ」と命名されました。

通称“じゃがスタ”と呼ばれたそのスタジオは“とがった音”ではなく“暖かい音”でレコード製作ができるスタジオとして次第に知られてゆきます。

江戸アケミは生真面目だった一方で色々な人から慕われる“親分肌”なところがあって、“じゃがスタ”には江戸アケミを慕った人たちが集まる場所になっていきました。

そうなると普通であれば“族”と呼ばれる集団へとなるがお決まりのコースだったのですが、“じゃがスタ”に集った人たちは最後までほんわかとした集まりだったそうです。

 

【1983年11月頃】江戸アケミ精神疾患の発症

 

1983年といえば、江戸アケミが突然に精神疾患を発症した年でもあります。

江戸アケミが発症した精神疾患は現在の統合失調症といわれています。

 

それは突然やってきました。

JAGATARAがそのとき関西から北陸へのツアーへ出発した直後のことでした。

「南蛮渡来」の成功やラジオ出演で全国のライヴ・ハウスから声がかかっていたのは想像に難くありません。

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メンバーの証言などから江戸アケミの様子に異変が現れ始めたのは1983年10月30日のことだったようです。

それでも神戸での11月1日、2日のライヴ・ハウスでのライヴは無事に終えたそうです。

 

しかし、問題は11月3日の京都の精華大学の学園祭でのライヴです。

その前段にJAGATARAのメンバーの京都の宿舎には多くのジャンキーが出入りしていたそうです。

それが、江戸アケミには悪い意味で衝撃だったようです。

色々な人の江戸アケミ像はというと、江戸アケミは何をおいてもまず、自分よりも先に相手のことを考えて行動する人だったそうです。

ジャンキーに出くわしてしまった江戸アケミは非があるのは相手ではなく自分にあると、はなから思い込んで、それでなくとも生真面目な江戸アケミはジャンキーの悪しき生態に当てられたのだと思われます。

多分、ジャンキーの生態が江戸アケミには理解不能で、それでもとことん考えないと気が済まない江戸アケミは、倒錯してしまったのかもしれません。

つまり、ジャンキーの生態が“普通”でおかしいのは江戸アケミ自身だと。

 

【コラム】江戸アケミとドラッグの関係性

江戸アケミはドラッグを全否定していました。しかし、実際にドラッグに溺れた人たちを目の当たりにして、それはもしかしたならば、江戸アケミは自分の音楽がそうさせてしまったのではないかと自虐的と思えるほど自省してしまっていたのです。そのときの江戸アケミの落ち込みようは大変ひどかったと想像されます。これは江戸アケミのルーツにクリスチャンということが関係していると言われています。“ジャンキーを救えなかったのは自分の罪”と江戸アケミは考えていたようです。

 

その宿舎を出て精華大学へ向かう車中、江戸アケミは「UFOが出るぞ」などと変なことを口走り始めます。

そして、ツアーの同行者の一人がある不気味な池を右手に通り過ぎたときに“自殺する人が多い池”という趣旨の言葉をつぶやきます。

精華大学に着くと、2台の車でJAGATARAのメンバーは移動していたのですが、1台が30分くらい遅れて精華大学に到着しました。

それに対して怒った江戸アケミは“5時間待っていたんだぞ”という風に怒鳴り散らし、それを見たメンバーは呆気にとられたといいます。

 

いよいよ精華大学でのライヴが始まります。

集まった学生たちは踊り出したそうです。

そのせいなのか、江戸アケミはライヴ途中、突然歌うのをやめてしまいます。

そのときの様子は、もう江戸アケミは完全に“イっちゃっていて”、目は虚ろで、ただ首を左右にゆっくりと振っていたそうです。

 

ライヴはそこで中止になりメンバーたちは楽屋に戻ったのですが、江戸アケミは、放心状態で“じゃがたらをやめる”と言い残し、楽屋を去ったとのこと。

メンバーの多くがこのとき江戸アケミは発病していたと振り返っています。

 

この後、江戸アケミは都内の病院に入院し、その後、退院し、故郷の高知県に帰郷して療養します。

JAGATARAの活動は休止に追い込まれます。

江戸アケミは故郷にいて四万十川をぼうっと眺めているのを日課にしていたそうです。

江戸アケミは退院したからといって精神疾患が根治したわけではありませんでした。

大量の薬を毎日飲んでいたといわれています。

残されたメンバーは、それでも江戸アケミが復帰するときを辛抱強く待っていました。

 

さて、このページでは江戸アケミの精神疾患が発症するまでの軌跡について振り返ってまいりました。次のページでは、江戸アケミが復帰に至った経緯などについてお伝えします。

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著者 積 緋露雪

1964年生まれ。音楽雑誌「CDで~た」の執筆・編集・企画を担当。ライター歴20年以上。小説『審問官』シリーズ出版。

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