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はじめに
第1章 活動休止までの軌跡
第2章 復帰後の軌跡
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前ページでは江戸アケミの復帰後の軌跡についてお伝えしました。
このページでは、メジャーデビュー、江戸アケミの死、死後リリースされたアルバム「おあそび」などについてお伝えします。
▼このページで紹介する出来事
年月 | 出来事 |
1988年4月 | アルバム「それから」でメジャーデビュー |
1989年12月 | アルバム「ごくつぶし」(江戸アケミ生前最後のアルバム) |
1990年1月 | 江戸アケミ死亡 |
1990年7月 | アルバム「おあそび」 |
目次
【1988年4月】メジャー・デビューに対する複雑な思い
JAGATARAは1988年、アルバム「それから」でメジャー・デビューを飾りました。
しかし、江戸アケミはメジャー・デビューすることに関してディレンマを抱えることになったのです。
そもそも江戸アケミはメジャーのレコード会社を信用しておらず、毛嫌いしていました。
それは、メジャーで活動すると色々と制約を受けてしまい、自分たちの活動が自由にできなくなってしまうという理由からです。
それでもメジャー・デビューすることを決断した江戸アケミは再び、情緒不安定な状態になり、なかなかメジャー・デビューすることを決断してしまったことを受け入れられなかったのでした。
これは推測でしかありませんが、江戸アケミにもメジャーに対する憧れのようなものがあり、それには抗えなかったのだと思います。例えば、それは有名になりたいなどといった欲です。江戸アケミもやはり普通に出世欲がある人間だったのだと思います。
江戸アケミはメンバーに対して何度も何度もなぜメジャー・デビューするのかということを問いただし、また、自問自答しては答えを見いだせないまま、心は乱れるばかりだったのです。
最終的に江戸アケミは答えを求めることをやめて、メジャー・デビューしたことに関する複雑な思いに蓋をしました。
しかし、「それから」制作の頃からJAGATARAのメンバー間の関係にも微妙なずれが生まれ始めました。
それは音楽性の違いであったり、意思疎通の小さな齟齬であったり、原因は様々です。
「それから」はどんなアルバム?
「それから」を聴いた第一印象は、なんだか倦み疲れているという印象なのです。
「裸の王様」「ニセ予言者ども」、そしてJAGATARAがサントラを担当した映画「ロビンソンの庭」での颯爽とはつらつとしたJAGATARAの音楽はもう「それから」には存在していないのです。
確かにいえることは「それから」でJAGATARAは何かが根本的に変わってしまったということです。
微妙な揺れを見せるアフロビートに、なんだか今にも壊れそうな危うさを覚えてしまう「TABOO SYNDROME」では、江戸アケミの日常生活が赤裸々に歌われています。
メジャー・デビューするに当たり非常に神経質になっていた江戸アケミの日常生活は、精神疾患が再び悪化したのではないかと思わせるような奇行が目立つようになりました。
例えば“くそをつかんでうろつき”などの奇行が日常茶飯事であったようです。
このナンバーで江戸アケミは気分が落ち込んでしょうがないということを訴えているのです。
この原因がメジャー・デビューにあったのですから、「それから」はなんとも皮肉なアルバムなのです。
跳ねるに思いっきり跳ねていない感のあるファンク・ビートが、それでもうねり回る「GODFATHER」は、どうして皮肉なアルバムに聴こえてしまうのかを考えたとき、もしかすると「GODFATHER」で何か新しいことがやりたかったのかもしれません。
ギターのリフが繰り返す中、江戸アケミはこのナンバーで“音楽演劇”を行っているのです。
歌うところは歌を歌っているのですが、映画の「ゴッドファーザー」にかけてのものなのか、それに似たような物語が台詞のやりとりで進んでゆくのです。
江戸アケミはこのナンバーでついに歌を超越し、ミュージカルとは全く異質の“音楽演劇”を、つまりそれは現代版義太夫を創出したといえるのです。
ホーン・セクションが華やかなR&Bナンバーに仕上がっている「BLACK JOKE」まで聴き進んでゆくと、「それから」の第一印象の倦み疲れた印象にも慣れ、江戸アケミのヴォーカルにやっと以前にあった力強さが宿り始め、聴かせるのです。
「CASH CARD」は、英国のプログレッシヴ・ロックの大御所、ピンク・フロイドの「マネー」を彷彿とさせる音楽世界を展開しています。
▼ピンク・フロイド「マネー」
キャッシュ・カードが持つ便利さに潜む落とし穴を江戸アケミは、皮肉たっぷりに歌い上げています。
EBBYが作曲し、江戸アケミが詞を書いた「つながった世界」は、打ち込みを取り入れた楽曲でリズムは非常に複雑な構成をしています。
▼EBBY(JAGATARAのギター)
中でも“今が最高だと転がっていこうぜ”と歌う箇所で江戸アケミは、ビートに乗った悦楽のようなものを感じていたかもしれないと思わせるほど、ビートとヴォーカルが渾然一体となって押し寄せてくるのです。
「ある平凡な男の一日」は、スチール・パン(ドラム缶から作られた打楽器)の音色がとても印象的なカリブ海の音楽を思わせるナンバー。平凡な男が、もらったばかりの給料をすべて使い果たし、それでも“俺の女房”は許してくれるとのろけを歌にしたものです。
JAGATARAとしては面白い試みのナンバーです。
そして、これも名曲の誉れ高い「中産階級ハーレム-故ジョン・レノンと全フォーク・ミュージシャンに捧ぐ-」では、生ギターで江戸アケミが弾き語りをしていて、中産階級においてのなんとも居心地の悪さを胸底から吐き出すように歌い上げています。
最後の息を吐ききってホーンが事切れた後に江戸アケミが“だいじょうぶマイフレンド”と叫ぶところは秀逸です。
江戸アケミにまだ精神疾患の症状があり「中産階級ハーレム~」ではかなりシリアスな内容の絶望的な内容の歌を歌っているのですが、エンディングで“頭をからっぽにするんだ”と何度も叫んでいます。そのあまりにも病的に聞こえてしまうことに対するカタルシスとして江戸アケミが最後に“だいじょうぶマイフレンド”と叫ぶのです。これで、聴くものも江戸アケミは大丈夫だとほっと一息つけるのです。この効果は絶大です。
ラスト・ナンバーの「ヘイ・セイ!(元年のドッジボール)」はスカ・ナンバーで、江戸アケミの口癖だったという“お前はお前のロックンロールをやれ”という歌詞が含まれていて、メジャー・デビューを果たした自身に対する皮肉を歌っているようでもあります。
このナンバーはあまり注目されませんが、意外と江戸アケミの当時の本音が詰まったナンバーといえ、最後はJAGATARAらしくハチャメチャなカオス状態で終わりを迎えます。
【1989年12月】生前最後のアルバム「ごくつぶし」リリース
1989年12月、江戸アケミ生前の最後のアルバム「ごくつぶし」がリリースされます。
「ごくつぶし」はどんなアルバム?
この「ごくつぶし」は江戸アケミの36年という人生の集大成にふさわしい力作となっています。
まず、23分以上もの大作「SUPER STAR ?」はラテン・ビートを軸に、様々に変化を遂げるナンバーです。
これは「それから」の「GODFATHER」で切り開いた“音楽演劇”と呼ぶしかない物語を語り尽くすように歌う、つまり、ファンキーなラテン・ビートの現代版義太夫を江戸アケミは思う存分このナンバーで繰り広げています。
物語はオカマのジョニーの甦生の壮大な物語で、あるいはそれは江戸アケミが自分の死を予感していたとしか思えない内容なのです。
「BIG DOOR」も18分あまりに及ぶ、これまた大作です。
このナンバーはフリー・ジャズかインプロヴィゼーション(即興演奏)かクラシックの現代音楽に通じるものがあり、ここに江戸アケミの“狂気”が閉じ込められています。
すでにこの頃、江戸アケミはヘトヘトに精神的に疲れ果てて、再び精神疾患の症状が顕著に表れ始めていた時期で、都会の中を白いライオンが蠢くという内容の詞は、実際に江戸アケミがそのようなことを体験した事実が書かれています。
演奏はもうハチャメチャでありながら、奏者の息はぴったりと合っているという奇妙なナンバーでもあります。
「MUSIC MUSIC」では江戸アケミはひたすらロックというものを問うています。
サウンドはJAGATARAの初期のパンキッシュな要素が見られる上に、オーソドックスなロック・サウンドで構成されています。
“俺にはロックなんかいらない”と歌う江戸アケミの胸中は相当複雑なものを抱え込んでいたように思います。
【1990年1月】江戸アケミの死
1990年1月27日、江戸アケミが自宅浴槽で溺死しているのを発見されます。
享年36です。
それが江戸アケミの限界だったのかもしれません。
それまでの江戸アケミは、肉体は充実していくのに精神的にはヘトヘトで、死の直前、江戸アケミはJAGATARAをやめると言い残して亡くなりました。
JAGATARAそのものが空中分解寸前だったのです。
メンバーの目指す方向の違いや音楽に求めることの違いなど、様々なことが重なってのことでした。
そんなときの江戸アケミの突然の死でした。
【1990年7月】アルバム「おあそび」リリース
レコード会社との契約上、JAGATARAはもう一枚アルバムをリリースしなければなりませんでした。
そこでOTOが中心となり「それから」と「ごくつぶし」の音源を元に、南アフリカのメマハラティーニ&マホテラ・クイーンズなど海外のミュージシャンが参加し、JAGATARAの音楽の本質をさらけ出して見せたアルバムが「おあそび」です。
▼アルバム「おあそび」
ただし「そらそれ」だけは江戸アケミが生前にレコーディングした最後のナンバーで、アフリカの土着音楽のビートに楽しそうに乗る江戸アケミのヴォーカルは、新たな何かを見出したかのようで、その死が惜しまれてなりません。
その後も相次ぐメンバーの死
江戸アケミの死後、JAGATARAのメンバー2人が相次いで亡くなります。
1992年4月8日、JAGATARAの最初期からのメンバー、渡辺正巳(ベース)が急性肺炎のために亡くなります。享年38です。
同年12月9日、JAGATARAで異彩を放つサックスを吹いていた篠田昌已が心筋梗塞で亡くなります。享年34です。
JAGATARAの中でも特に江戸アケミに近しかった2人が相次いで亡くなりました。
ここに何か人生の綾を見てしまうのですが、それにしても2人とも若すぎます。
JAGATARAは現在進行系
その他のJAGATARAのメンバーはそれぞれ今もJAGATARAを背負って音楽活動などをしています。
それはJAGATARAを伝説のバンドにせずに、いつまでも現在進行形のバンドにしておきたいからに他なりません。
JAGATARAは江戸アケミという稀有な才能の周りに才能ある人たちが集った“運動体”であり、また、JAGATARAはデビュー・アルバム「南蛮渡来」から「ごくつぶし」へと音楽的に一気に駆け上ってしまった感があり、太く短く、そして大きく輝いたバンドで、JAGATARAのメンバーだった人たちの心の中では今もJAGATARAは伝説のバンドとして過去のバンドではなく、現在も現役のバンドとして存在し続けているのです。
▼2019年6月に開設されたJAGATARA公式Twitter
7/1のアケミ誕生夜のライブに向けてのMTGでした。
CO-JAGATARA@ 新宿OPEN RASTA-FA-I CULTURAL SOUNDS
19時~23時30分 / Door: ¥2000 + 1D order
※当日受付のみ 満員になり次第入場制限ありライブは20時より。
東京都新宿区 新宿2-5-15 第1山興ビルB1 TEL 03-3226-8855#JAGATARA pic.twitter.com/dRvyvz9tVT
— JAGATARA2020【公式】 (@jagatara2020) 2019年6月18日
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第2章 復帰後の軌跡