aikoおすすめアルバム4選

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aikoの歌詞世界の魅力をファン歴20年の筆者が紹介!aikoに対して恋に恋する恋愛ソングばかりと感じているとすれば、それは誤解です。コアなファンにとってのaikoのキーワードである「哀愁」「渋み・エグみ」「普遍的な愛」に焦点を当てaikoの歌詞世界を解説!

『本当は深いaikoの歌詞 ~コアなファンが語る3つのキーワード~』はこちらから!

はじめに

実は誤解されているaikoのイメージ ~深遠な歌詞世界の魅力~

第1章 aikoという「存在」を理解する

aikoはなぜ誤解されるのか?

20周年を越えてなお愛される理由

第2章 aikoの歌詞世界を理解する3つのキーワード

① 哀愁

② 渋みとエグみ

③ 普遍的な愛

第3章 今聴くべきaikoおすすめ作品

隠れた名曲満載!カップリング曲

おすすめアルバム

著者:MAKO

1980年代生まれ。aikoのファン歴20年。aikoの楽曲は全曲カラオケで歌うことができる(息継ぎまで再現できる)。子供の頃から母親の影響で60~70年代の邦楽・洋楽を聴いて育つ。中学3年の時aikoと椎名林檎の楽曲に出会い、青春を捧げる勢いでのめり込む。洋邦問わず、深みのある詞を書く、艶っぽい声のシンガーソングライターが大好き。今一番気になるアーティストは吉澤嘉代子。

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『本当は深いaikoの歌詞』目次へ  (全8ページ)

 

このページを書いている2019年7月の時点でaikoがこれまでにリリースしたアルバムは計13枚です(ベストアルバムを除く)。

それぞれに特徴がありどれも聴きごたえのある作品ですが、今回のWebonのテーマである歌詞という点に着目して、次の4枚のおすすめアルバムを選びました。

▼歌詞に注目して選んだ!aikoおすすめアルバム4選!

リリース アルバム名
2002年 『秋 そばにいるよ』
2008年 『秘密』
2012年 『時のシルエット』
2016年 『May Dream』

 

陰陽のバランスが絶妙な『秋 そばにいるよ』(2002)

▼アルバム『秋 そばにいるよ』収録曲

曲番号 曲名
1 マント
2 赤いランプ
3 海の終わり
4 陽と陰
5 鳩になりたい
6 おやすみなさい
7 今度までには
8 クローゼット
9 あなたと握手
10 相合傘(汗かきMix)
11 それだけ
12 木星
13 心に乙女

 

アルバム『桜の木の下』『夏服』が大ヒットしたのち、声帯結節という健康上のトラブルも経て、公私ともに落ち着いた時期にリリースされたのがこの4作目『秋 そばにいるよ』です。

そうした状況も関係してか、前2作では「明るく元気なaiko」が全面に押し出されていたのに対し、このアルバムはどちらかというと「陰」の部分を感じやすい作風になっています。

このアルバムはシングル「おやすみなさい」「あなたと握手」「今度までには」の3曲を含みますが、このうち「おやすみなさい」と「今度までには」は別れの歌です。

デビュー曲「あした」からこの時点までのシングル曲を振り返ってみると、「ラブソングのaiko」であるにもかかわらず、実は「おやすみなさい」以前に一度も、明確に別れそのものを歌った曲をシングルとして発表していません。

前作『夏服』までは比較的「陽」に偏ったイメージ戦略がなされていたと言えるでしょう。

『秋 そばにいるよ』はそうした縛りからある程度解放されています。

 

『秋 そばにいるよ』の1曲目を飾る「マント」の歌詞を見てみましょう。

 

夏草に委ねてあたし今を生きる
欲しかったもの手に入れたもの全て放り投げてしまえ
グッバイ

見上げた空を黄色く塗って
あるはずないものを創り出せばいい
傘をマントに綿毛の様にあたしはゆらゆら舞い落ちる

引用:aiko「マント」

 

一応歌詞の中に「あなた」が出てくる箇所もありますが、総じて「あたし」自身の生き方について語られており、「恋愛ソング」という枠には収まりません。

歌詞の内容も潔いので、恋に恋するような「甘さ」を期待して聴き始めると肩透かしを食らうかもしれません。

アルバムを厳かに締めくくるラスト2曲の歌詞にも注目してみましょう。ともに「宇宙」というキーワードが使われています。

 

2人の時間は宇宙の中で言うチリの様なものかもしれない
引用:aiko「木星」

宇宙の隅に生きるあたしの大きな愛は
今日まで最大限に注がれて
引用:aiko「心に乙女」

 

「宇宙」はaikoの歌詞の中でよく用いられる言葉です。

「ボーイフレンド」では次のような表現がありました。

 

テトラポット登っててっぺん先睨んで宇宙に靴飛ばそう
引用:aiko「ボーイフレンド」

 

「ボーイフレンド」における「宇宙」はテンションの高さや愛情の大きさといったポジティブなエネルギーの象徴でした。

一方、「木星」と「心に乙女」では自らの存在の小ささを示すキーワードとしても使われています。

「宇宙」という言葉を通して「ボーイフレンド」で描かれた「陽」の世界を違う角度から捉え直し、補完するような趣があります。

これまでのaikoの明るいイメージを、より多面的で奥深いものに変換しています。

 

前2作(『桜の木の下』『夏服』)ではアルバム本編の後に隠しトラックがあったものの、本編はあくまでヒットしたシングルを中心にアルバムが構成されていました。

『秋 そばにいるよ』は隠しトラックを用いず、アルバム曲によって本編がスッキリと結ばれていることから、アルバム単体としてのテーマ性がより追求されていることもうかがえます。

 

▼アルバム『秋 そばにいるよ』

 

恋から愛に変わる『秘密』(2008)

▼アルバム『秘密』収録曲

曲番号 曲名
1 You & Me both
2 二人
3 学校
4 キョウモハレ
5 横顔
6 秘密
7 ハルとアキ
8 星電話
9 恋道
10 星のない世界
11 シアワセ
12 ウミウサギ
13 約束

 

前ページではaikoが恋だけでなく愛も描いているということをお伝えしてきました。

『秘密』をおすすめアルバムとして選んだ理由は、デビュー当時のaikoの作品は「恋寄り」だったと思いますが、この作品は「恋から愛へ」という微妙な表現の移り変わりを、アルバム全体を通して描いているからです。

明確に分けられるわけではありませんが、『秘密』より前のアルバムはどちらかというと「一過性の恋」に比重が置かれていました。

若者が恋をしては失くす悲しみと、それでもまた新しい恋をする喜びが繰り返し描かれ、まさに「恋したくなる音楽」だったと言えるでしょう。

『秘密』ももちろん様々な「恋」を描いていますが、6曲目の表題曲「秘密」を通過したあたりから、グラデーションのように徐々に恋から愛へと比重が移っていきます。

カギとなるのが10曲目「星のない世界」と11曲目「シアワセ」でしょう。

アルバムの中でシングル曲が続くとそこだけ浮いてしまうことがありますが、この2曲はむしろうまく溶け込み、まるで一連の物語のように「一生ものの愛」の世界を紡いでいます。

 

過去も未来も心の底はいつも一人だと思ってたから
全部我慢してやっと溢れ出した涙に
本当の恋を初めて知った
とても大事な宝物をあたしはやっと手に入れたんだ
引用:aiko「星のない世界」

二人何処かで廻るストーリー 静かに終わりが来たとしても
最後にあなたが浮かんだら それが幸せに思える日なのです
引用:aiko「シアワセ」

 

これが12曲目「ウミウサギ」、そしてラストの「約束」へと違和感のない流れを作り出していきます。

 

汗が首を歩いたゆっくりと 君の言葉にとても驚いて
「ずっと一緒にいようか?」だなんて
君が緊張しながら言うから
引用:aiko「ウミウサギ」

どんな事があっても忘れたりしない
幸せも痛みも永遠の約束
引用:aiko「約束」

 

「全編愛の歌」であっても決して浮つかない理由が、この「一生ものの愛」の表現にあります。

aikoのアルバムはしんみりとした曲で終わるのが常ですが、このアルバムも例外ではありません。

しかし、ただ単にしんみりするだけでなく、最後に温かい気持ちを残してくれます。

 

▼アルバム『秘密』

 

魅力満載の名盤『時のシルエット』(2012)

▼アルバム『時のシルエット』収録曲

曲番号 曲名
1 Aka
2 くちびる
3 白い道
4 ずっと
5 向かいあわせ
6 冷たい嘘
7 運命
8 恋のスーパーボール
9 クラスメイト
10 雨は止む
11 ドレミ
12 ホーム
13 自転車

 

初のベストアルバム『まとめ Ⅰ』『まとめ Ⅱ』(2011)を経て、翌年にリリースされたオリジナルアルバムが『時のシルエット』です。

ある意味、ベストアルバム以上にこれまでの集大成という位置付けにある作品ではないでしょうか。

期待を裏切らず、まさに集大成と呼べる内容になっています。

 

というのも、このWebonで解説してきた歌詞の3要素である「哀愁」「渋みとエグみ」「普遍的な愛」全てがまんべんなくバランスよく含まれ、なおかつaikoらしい明るさやかわいらしさも散りばめられているからです。

もしaikoを全く聞いたことがない人にベストアルバム以外で1枚だけおすすめするなら、おそらくこの『時のシルエット』を選ぶでしょう。

それだけ偏りのない、誤解されにくい作品です。

 

1曲目「Aka」とラスト13曲目の「自転車」の歌詞をピックアップしてご紹介します。

 

あなたがあたしの事をどう思っているのか
それはそれは毎日不安です
引用:aiko「Aka」

気持ちは昨日今日毎日変わって行く
明日あなたはあたしの事をどう思っていてくれるだろう
引用:aiko「自転車」

 

意図したわけではなくあくまで偶然とのことですが、どちらの歌詞も同じことを歌っています。

とはいえ、物語の持つ雰囲気は実は対照的です。

「Aka」は歌詞全体を通してみると、不安にさいなまれながらも幸福感に満ちた力強い一曲ですが、「自転車」は喪失について切々と歌ったものです。

幸福の中で幕を開けた物語が喪失で終わるという何とも切ないアルバム構成なのですが、歌詞がリンクすることによって両極端な2つの物語がつながり、聞き手に円環的なイメージを与えます。

数多くの曲を通して繰り返し描かれてきた、「不安と幸せは表裏一体」「始まりと終わりはセットである」というaikoの永遠のテーマをアルバム全体で体現しています。

 

「自転車」というタイトルですが、歌詞の中に「自転車」が登場するのは、やはりaikoらしく曲の終盤です。

実際にはもう見ることのできない自転車について語ることで、失ったものの鮮烈なイメージを呼び起こします。

誰かを失ったことのある人の心にまっすぐ突き刺さるラストシーンです。

その重みと愛おしさは、ぜひ実際に聴いて確かめてみてください。

 

▼アルバム『時のシルエット』

 

愛の意味を問う『May Dream』(2016)

▼アルバム『May Dream』収録曲

曲番号 曲名
1 何時何分
2 あたしの向こう
3 冷凍便
4 もっと
5 信号
6 夢見る隙間
7 愛だけは
8 好き嫌い
9 かけらの心
10 大切な今
11 合図
12 プラマイ
13 蒼い日

 

タイトルが示すように「Dream=夢」がテーマとなっているアルバムですが、通して聞いたときに耳に残るのは頻繁に繰り返される「愛」という言葉です。

そもそもaikoはラブソングライターなので「愛」や「恋」「好き」「愛してる」といったキーワードは多用される傾向にあるのですが、この『May Dream』では相対的に多いという印象を受けます。

言い換えれば、愛の表現が遠回しではなく直球なのです。

 

1曲目「何時何分」のサビ「愛してる愛してる だからね 好きだよ」に始まり、

「愛なんて知らない」(5.信号)と言い放ったかと思えば、

「あなたの愛だけで生きていたい」(6.夢見る隙間)

「変わらないこの愛だけは」(7.愛だけは)と力強く訴え、

時には「愛の形を壊してしまってよ」(11.合図)と攻めてきます。

まるで愛の定義に挑むかのようです。

「あたしの楽しみにしてるラジオ」(3.冷凍便)、

「ピアノの前に座って目をつぶって」(9.かけらの心)のように、aikoの私生活を思わせるようなフレーズもあり、

総じて「素直さ」や「距離の近さ」を感じる作品です。

そういったある種の「過剰さ」とバランスを取るかのように、最後は大きな余白を与える一曲で締めくくられます。

 

少し離れるね 元気でいようね
抱きしめてくれた熱い首に流れる優しいしるし
本当の言葉を2人だけの秘密を楽しい時を
いつかあたしもあなたに話すね あの日何を言いたかったか

また思い出すな 聞こえない 見えない 知らない ふりをただしていたね
一番星はずっと前に気付いてた そしてあたしたちだけを見ていた
いつかあたしに教えてほしい あの日何を願ったのか
引用:aiko「蒼い日」

 

大切な人との別離の歌ですが、二人の関係についてはもちろん、別れの理由も直接的な愛の言葉も語られません。

お互い核心に触れないままいつか再会することを願って離れていく様子が描かれるだけです。

アルバム全体を通して臆することなく「愛」や「恋」や「好き」というキーワードを散りばめてきたところへ、急にぽっかりと余白が生まれます。

「愛」という言葉が一切使われていないからこそ、そこに描かれる愛の形は一人ひとりの想像力にゆだねられます。静かな喪失感と余韻が残るエンディングです。

 

▼アルバム『May Dream』

 

おわりに

 

「歌詞」という観点からaikoの音楽を分析してきましたが、実際に曲を聴いたとき、または歌詞を読んだときに受け手が何を感じるかはそれぞれの自由です。

このWebonでの解釈にとらわれず、「私ならこの部分、もっと明るく感じるよ」という風に、一人ひとりの味わい方を見つけてほしいと思います。

『本当は深いaikoの歌詞』目次へ  (全8ページ)

 

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はじめに

実は誤解されているaikoのイメージ ~深遠な歌詞世界の魅力~

第1章 aikoという「存在」を理解する

aikoはなぜ誤解されるのか?

20周年を越えてなお愛される理由

第2章 aikoの歌詞世界を理解する3つのキーワード

① 哀愁

② 渋みとエグみ

③ 普遍的な愛

第3章 今聴くべきaikoおすすめ作品

隠れた名曲満載!カップリング曲

おすすめアルバム

著者:MAKO

1980年代生まれ。aikoのファン歴20年。aikoの楽曲は全曲カラオケで歌うことができる(息継ぎまで再現できる)。子供の頃から母親の影響で60~70年代の邦楽・洋楽を聴いて育つ。中学3年の時aikoと椎名林檎の楽曲に出会い、青春を捧げる勢いでのめり込む。洋邦問わず、深みのある詞を書く、艶っぽい声のシンガーソングライターが大好き。今一番気になるアーティストは吉澤嘉代子。

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JAGATARAの軌跡④ 【江戸アケミの死】

Webon紹介目次著者
鶏やヘビを食いちぎるなどの過激なパフォーマンスで注目を浴びたJAGATARA。精神疾患を患いながらも奇跡の復帰を遂げた江戸アケミ。そして死まで。1980年代を駆け抜けた伝説のバンドの軌跡をお伝えします!

『JAGATARA』入門 はこちらから!

著者 積 緋露雪

1964年生まれ。音楽雑誌「CDで~た」の執筆・編集・企画を担当。ライター歴20年以上。小説『審問官』シリーズ出版。

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『JAGATARA入門』目次へ  (全5ページ)

 

前ページでは江戸アケミの復帰後の軌跡についてお伝えしました。

このページでは、メジャーデビュー、江戸アケミの死、死後リリースされたアルバム「おあそび」などについてお伝えします。

 

▼このページで紹介する出来事

年月 出来事
1988年4月 アルバム「それから」でメジャーデビュー
1989年12月 アルバム「ごくつぶし」(江戸アケミ生前最後のアルバム)
1990年1月 江戸アケミ死亡
1990年7月 アルバム「おあそび」
全体年表はこちら(クリックorタップで開く)
年月 出来事
1979年 最初のギグ
1980年 過激なパフォーマンスに走る
1982年5月 デビューアルバム「南蛮渡来」
1983年5月 シングル「家族百景」
1983年 スタジオ制作
1983年11月頃~ 江戸アケミ精神疾患発症・JAGATARA活動休止
1985年9月 「アースビート伝説85」江戸アケミ出演(復帰の第一歩)
1987年3月 アルバム「裸の王様」リリース
1987年12月 アルバム「ニセ予言者ども」
1988年4月 アルバム「それから」でメジャーデビュー
1989年12月 アルバム「ごくつぶし」(江戸アケミ生前最後のアルバム)
1990年1月 江戸アケミ死亡
1990年7月 アルバム「おあそび」

 

【1988年4月】メジャー・デビューに対する複雑な思い

 

JAGATARAは1988年、アルバム「それから」でメジャー・デビューを飾りました。

しかし、江戸アケミはメジャー・デビューすることに関してディレンマを抱えることになったのです。

そもそも江戸アケミはメジャーのレコード会社を信用しておらず、毛嫌いしていました。

それは、メジャーで活動すると色々と制約を受けてしまい、自分たちの活動が自由にできなくなってしまうという理由からです。

それでもメジャー・デビューすることを決断した江戸アケミは再び、情緒不安定な状態になり、なかなかメジャー・デビューすることを決断してしまったことを受け入れられなかったのでした。

 

【コラム】なぜメジャーデビューを決断した?

これは推測でしかありませんが、江戸アケミにもメジャーに対する憧れのようなものがあり、それには抗えなかったのだと思います。例えば、それは有名になりたいなどといった欲です。江戸アケミもやはり普通に出世欲がある人間だったのだと思います。

 

江戸アケミはメンバーに対して何度も何度もなぜメジャー・デビューするのかということを問いただし、また、自問自答しては答えを見いだせないまま、心は乱れるばかりだったのです。

最終的に江戸アケミは答えを求めることをやめて、メジャー・デビューしたことに関する複雑な思いに蓋をしました。

しかし、「それから」制作の頃からJAGATARAのメンバー間の関係にも微妙なずれが生まれ始めました。

それは音楽性の違いであったり、意思疎通の小さな齟齬であったり、原因は様々です。

 

「それから」はどんなアルバム?


▲アルバム「それから」

 

「それから」を聴いた第一印象は、なんだか倦み疲れているという印象なのです。

「裸の王様」「ニセ予言者ども」、そしてJAGATARAがサントラを担当した映画「ロビンソンの庭」での颯爽とはつらつとしたJAGATARAの音楽はもう「それから」には存在していないのです。

確かにいえることは「それから」でJAGATARAは何かが根本的に変わってしまったということです。

 

微妙な揺れを見せるアフロビートに、なんだか今にも壊れそうな危うさを覚えてしまう「TABOO SYNDROME」では、江戸アケミの日常生活が赤裸々に歌われています。

メジャー・デビューするに当たり非常に神経質になっていた江戸アケミの日常生活は、精神疾患が再び悪化したのではないかと思わせるような奇行が目立つようになりました。

例えば“くそをつかんでうろつき”などの奇行が日常茶飯事であったようです。

このナンバーで江戸アケミは気分が落ち込んでしょうがないということを訴えているのです。

この原因がメジャー・デビューにあったのですから、「それから」はなんとも皮肉なアルバムなのです。

跳ねるに思いっきり跳ねていない感のあるファンク・ビートが、それでもうねり回る「GODFATHER」は、どうして皮肉なアルバムに聴こえてしまうのかを考えたとき、もしかすると「GODFATHER」で何か新しいことがやりたかったのかもしれません。

ギターのリフが繰り返す中、江戸アケミはこのナンバーで“音楽演劇”を行っているのです。

歌うところは歌を歌っているのですが、映画の「ゴッドファーザー」にかけてのものなのか、それに似たような物語が台詞のやりとりで進んでゆくのです。

江戸アケミはこのナンバーでついに歌を超越し、ミュージカルとは全く異質の“音楽演劇”を、つまりそれは現代版義太夫を創出したといえるのです。

ホーン・セクションが華やかなR&Bナンバーに仕上がっている「BLACK JOKE」まで聴き進んでゆくと、「それから」の第一印象の倦み疲れた印象にも慣れ、江戸アケミのヴォーカルにやっと以前にあった力強さが宿り始め、聴かせるのです。

「CASH CARD」は、英国のプログレッシヴ・ロックの大御所、ピンク・フロイドの「マネー」を彷彿とさせる音楽世界を展開しています。

▼ピンク・フロイド「マネー」

 

キャッシュ・カードが持つ便利さに潜む落とし穴を江戸アケミは、皮肉たっぷりに歌い上げています。

EBBYが作曲し、江戸アケミが詞を書いた「つながった世界」は、打ち込みを取り入れた楽曲でリズムは非常に複雑な構成をしています。

▼EBBY(JAGATARAのギター)

 

中でも“今が最高だと転がっていこうぜ”と歌う箇所で江戸アケミは、ビートに乗った悦楽のようなものを感じていたかもしれないと思わせるほど、ビートとヴォーカルが渾然一体となって押し寄せてくるのです。

「ある平凡な男の一日」は、スチール・パン(ドラム缶から作られた打楽器)の音色がとても印象的なカリブ海の音楽を思わせるナンバー。平凡な男が、もらったばかりの給料をすべて使い果たし、それでも“俺の女房”は許してくれるとのろけを歌にしたものです。

JAGATARAとしては面白い試みのナンバーです。

そして、これも名曲の誉れ高い「中産階級ハーレム-故ジョン・レノンと全フォーク・ミュージシャンに捧ぐ-」では、生ギターで江戸アケミが弾き語りをしていて、中産階級においてのなんとも居心地の悪さを胸底から吐き出すように歌い上げています。

最後の息を吐ききってホーンが事切れた後に江戸アケミが“だいじょうぶマイフレンド”と叫ぶところは秀逸です。

 

【コラム】どういった点が秀逸?

江戸アケミにまだ精神疾患の症状があり「中産階級ハーレム~」ではかなりシリアスな内容の絶望的な内容の歌を歌っているのですが、エンディングで“頭をからっぽにするんだ”と何度も叫んでいます。そのあまりにも病的に聞こえてしまうことに対するカタルシスとして江戸アケミが最後に“だいじょうぶマイフレンド”と叫ぶのです。これで、聴くものも江戸アケミは大丈夫だとほっと一息つけるのです。この効果は絶大です。

 

ラスト・ナンバーの「ヘイ・セイ!(元年のドッジボール)」はスカ・ナンバーで、江戸アケミの口癖だったという“お前はお前のロックンロールをやれ”という歌詞が含まれていて、メジャー・デビューを果たした自身に対する皮肉を歌っているようでもあります。

このナンバーはあまり注目されませんが、意外と江戸アケミの当時の本音が詰まったナンバーといえ、最後はJAGATARAらしくハチャメチャなカオス状態で終わりを迎えます。

 

【1989年12月】生前最後のアルバム「ごくつぶし」リリース


▲アルバム「ごくつぶし」

 

1989年12月、江戸アケミ生前の最後のアルバム「ごくつぶし」がリリースされます。

 

「ごくつぶし」はどんなアルバム?

 

この「ごくつぶし」は江戸アケミの36年という人生の集大成にふさわしい力作となっています。

まず、23分以上もの大作「SUPER STAR ?」はラテン・ビートを軸に、様々に変化を遂げるナンバーです。

これは「それから」の「GODFATHER」で切り開いた“音楽演劇”と呼ぶしかない物語を語り尽くすように歌う、つまり、ファンキーなラテン・ビートの現代版義太夫を江戸アケミは思う存分このナンバーで繰り広げています。

物語はオカマのジョニーの甦生の壮大な物語で、あるいはそれは江戸アケミが自分の死を予感していたとしか思えない内容なのです。

 

「BIG DOOR」も18分あまりに及ぶ、これまた大作です。

このナンバーはフリー・ジャズかインプロヴィゼーション(即興演奏)かクラシックの現代音楽に通じるものがあり、ここに江戸アケミの“狂気”が閉じ込められています。

すでにこの頃、江戸アケミはヘトヘトに精神的に疲れ果てて、再び精神疾患の症状が顕著に表れ始めていた時期で、都会の中を白いライオンが蠢くという内容の詞は、実際に江戸アケミがそのようなことを体験した事実が書かれています。

演奏はもうハチャメチャでありながら、奏者の息はぴったりと合っているという奇妙なナンバーでもあります。

 

「MUSIC MUSIC」では江戸アケミはひたすらロックというものを問うています。

サウンドはJAGATARAの初期のパンキッシュな要素が見られる上に、オーソドックスなロック・サウンドで構成されています。

“俺にはロックなんかいらない”と歌う江戸アケミの胸中は相当複雑なものを抱え込んでいたように思います。

 

【1990年1月】江戸アケミの死

 

1990年1月27日、江戸アケミが自宅浴槽で溺死しているのを発見されます。

享年36です。

それが江戸アケミの限界だったのかもしれません。

それまでの江戸アケミは、肉体は充実していくのに精神的にはヘトヘトで、死の直前、江戸アケミはJAGATARAをやめると言い残して亡くなりました。

JAGATARAそのものが空中分解寸前だったのです。

メンバーの目指す方向の違いや音楽に求めることの違いなど、様々なことが重なってのことでした。

そんなときの江戸アケミの突然の死でした。

 

【1990年7月】アルバム「おあそび」リリース

 

レコード会社との契約上、JAGATARAはもう一枚アルバムをリリースしなければなりませんでした。

そこでOTOが中心となり「それから」と「ごくつぶし」の音源を元に、南アフリカのメマハラティーニ&マホテラ・クイーンズなど海外のミュージシャンが参加し、JAGATARAの音楽の本質をさらけ出して見せたアルバムが「おあそび」です。

▼アルバム「おあそび」

ただし「そらそれ」だけは江戸アケミが生前にレコーディングした最後のナンバーで、アフリカの土着音楽のビートに楽しそうに乗る江戸アケミのヴォーカルは、新たな何かを見出したかのようで、その死が惜しまれてなりません。

 

その後も相次ぐメンバーの死

 

江戸アケミの死後、JAGATARAのメンバー2人が相次いで亡くなります。

1992年4月8日、JAGATARAの最初期からのメンバー、渡辺正巳(ベース)が急性肺炎のために亡くなります。享年38です。

同年12月9日、JAGATARAで異彩を放つサックスを吹いていた篠田昌已が心筋梗塞で亡くなります。享年34です。

JAGATARAの中でも特に江戸アケミに近しかった2人が相次いで亡くなりました。

ここに何か人生の綾を見てしまうのですが、それにしても2人とも若すぎます。

 

JAGATARAは現在進行系

 

その他のJAGATARAのメンバーはそれぞれ今もJAGATARAを背負って音楽活動などをしています。

それはJAGATARAを伝説のバンドにせずに、いつまでも現在進行形のバンドにしておきたいからに他なりません。

JAGATARAは江戸アケミという稀有な才能の周りに才能ある人たちが集った“運動体”であり、また、JAGATARAはデビュー・アルバム「南蛮渡来」から「ごくつぶし」へと音楽的に一気に駆け上ってしまった感があり、太く短く、そして大きく輝いたバンドで、JAGATARAのメンバーだった人たちの心の中では今もJAGATARAは伝説のバンドとして過去のバンドではなく、現在も現役のバンドとして存在し続けているのです。

▼2019年6月に開設されたJAGATARA公式Twitter


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目次著者

著者 積 緋露雪

1964年生まれ。音楽雑誌「CDで~た」の執筆・編集・企画を担当。ライター歴20年以上。小説『審問官』シリーズ出版。

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JAGATARAの軌跡③  【江戸アケミの復帰】

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鶏やヘビを食いちぎるなどの過激なパフォーマンスで注目を浴びたJAGATARA。精神疾患を患いながらも奇跡の復帰を遂げた江戸アケミ。そして死まで。1980年代を駆け抜けた伝説のバンドの軌跡をお伝えします!

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著者 積 緋露雪

1964年生まれ。音楽雑誌「CDで~た」の執筆・編集・企画を担当。ライター歴20年以上。小説『審問官』シリーズ出版。

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前ページでは江戸アケミの精神疾患が発症するまでの軌跡を振り返ってまりました。

このページでは、江戸アケミの復帰の第一歩となるコンサート「アースビート伝説85」への出演から、アルバム「ニセ予言者ども」のリリースまでの軌跡を振り返ってまいりましょう。

 

▼このページで紹介する出来事

年月 出来事
1985年9月 「アースビート伝説85」江戸アケミ出演(復帰の第一歩)
1987年3月 アルバム「裸の王様」リリース
1987年12月 アルバム「ニセ予言者ども」
全体年表はこちら(クリックorタップで開く)
年月 出来事
1979年 最初のギグ
1980年 過激なパフォーマンスに走る
1982年5月 デビューアルバム「南蛮渡来」
1983年5月 シングル「家族百景」
1983年 スタジオ制作
1983年11月頃~ 江戸アケミ精神疾患発症・JAGATARA活動休止
1985年9月 「アースビート伝説85」江戸アケミ出演(復帰の第一歩)
1987年3月 アルバム「裸の王様」リリース
1987年12月 アルバム「ニセ予言者ども」
1988年4月 アルバム「それから」でメジャーデビュー
1989年12月 アルバム「ごくつぶし」(江戸アケミ生前最後のアルバム)
1990年1月 江戸アケミ死亡
1990年7月 アルバム「おあそび」

 

【1983年~1985年】江戸アケミ活動休止中のJAGATARA

 

江戸アケミは発病後に入院しましたが、それでも外出許可がもらえた時などはライヴに出演していたりもしていました。

しかし、故郷の高知県に帰郷した江戸アケミは前述の通り四万十川をぼうっと眺めるのを日課にして、回復をじっと待っていたのです。

その間、江戸アケミ以外のメンバーはどうしていたかというと、江戸アケミの復帰を我慢強く待ちながらも、それぞれ演奏の技術を向上させようとセッションを重ねたり、または自身のバンドを作るなどして音楽活動を継続していました。

この江戸アケミの活動休止期間というのは、JAGATARAというバンドの形が、それまで江戸アケミという強烈な個性の渦に各メンバーが丸ごと呑み込まれた形でのバンド形式から、各メンバーが力をつけることで、各メンバーが小さいながらもしっかりと渦を巻きながら江戸アケミの強烈な渦に丸ごと呑み込まれることなく各自が自存しながらも連動する“共同体”へと次第にバンドの形式が変化してゆく過程でもあったのです。

つまり江戸アケミ以外のメンバーもJAGATARAが活動休止していた時間にそれぞれ実力をつけ、また自分を見つめ直す時間が持てたことにより、各メンバーにもまた江戸アケミの強烈な個性と対峙できる“個性”が備わったのです。

こうして江戸アケミ不在のJAGATARAは活動休止という窮地の時間の中、江戸アケミ以外の各メンバーはたくましく成長を遂げたのでした。

 

【1985年】「アースビート伝説85」で江戸アケミ復帰の第一歩を飾る

 

江戸アケミが精神疾患を発症してから約3年経った1985年9月15日。

東京都・日比谷野音で世界各国の音楽が集結したコンサート「アースビート伝説85」が雨降る中、決行されました。

このコンサートに江戸アケミは高知県から駆けつけ、久しぶりにJAGATARAとして出演することになったのです。

これはギターのOTOらが江戸アケミの復帰を切望したから奇跡的に実現したといっても過言ではありません。

江戸アケミはというと、薬のせいでろれつが回らずにしゃべられないにもかかわらず、演奏が始まるとむっくりと何かが江戸アケミの内部で目覚めたかのように身体は踊り出し力強い歌声を発するのでした。

症状的に厳しい状態であったにも関わらず、復帰できたことは奇跡に近いものがあります。

このコンサートにはJAGATARAの外に、八丈太鼓(日本)、ハムザ・エル・ディン(スーダン)、フランシス・シルヴァ(ブラジル)、ネパール民族舞踏団(ネパール)、フールズ(日本)、後に芥川賞を受賞することになる町田康氏が「町田町蔵」名義で率いた町田町蔵+人民オリンピックショー(日本)などバラエティに富んだ出演者が出演しました。なお、町田町蔵と江戸アケミはセッションをする間柄でした。

この「アースビート伝説85」で江戸アケミは復帰への第一歩を踏み出したのです。

 

【1987年1月】江戸アケミが再上京しアルバム「裸の王様」完成


▲アルバム「裸の王様」(画像クリックで商品詳細へ)

 

この頃、江戸アケミはOTOの言うことだけは聞いたそうです。

そのOTOの強い勧めもあって江戸アケミは病気は根治していないにもかかわらず、再上京します。

当時の江戸アケミは薬のせいでぼうっとし、ろれつがよく回らない状態なのでしたが、ひとたび歌になると病気を発症する以前よりもなお一層ビートに乗り、歌う姿は神々しく見えていたそうです。

JAGATARAのメンバーはこの頃、衣装をそろえ、JAGATARAが変わったことを強く印象づけるのでした。

そして1987年1月にアルバム「裸の王様」が完成します。

 

「裸の王様」はどんなアルバム?

 

アフロビート全開でどこか切なさが漂うアルバム・タイトル曲「裸の王様」で幕を開けるアルバム「裸の王様」。江戸アケミが薬漬けでまだ、ひどい状態だとは微塵も感じられないほど溌剌と切れ味鋭いヴォーカルが収録されています。

またサックスが一際光る演奏を聴かせていています。

なるほど、JAGATARAの各メンバーは演奏力をかなり上げたと思われます。

各メンバーが演奏力を上げると自然と江戸アケミに意見が言えるようになり、実際に、JAGATARAの各メンバーはかなり議論を重ねて音作りなどをしていたそうです。

新たに加わったYukarie(ユカリ)の女声コーラスがとてもよい味を出している「岬でまつわ」もアフロビートが効いたナンバーで、うねるビートに全身全霊で乗る江戸アケミのヴォーカルは聴き応え十分です。

ギターが光る「ジャンキー・ティーチャー」もアフロビート・ナンバーです。

とはいえ、ここはJAGATARAです。JAGATARAの音楽は一筋縄ではいかず単にアフロビートをそのまま取り入れることはなく、アイデア満載なのです。

基本のビートはアフロビートなのですがビートに乗った江戸アケミは破天荒ともいえるように暴れ回ります。

また、例えばフランク・ザッパのようにハチャメチャなのです。

それでいて、カオスには陥らず、江戸アケミがその強烈な個性で、曲をギリギリの線でなんとかまとめてしまうのです。その豪腕ぶりに凄みがあります。

「ジャンキー・ティーチャー」はかなりユニークなナンバーといえ、途中、“危ないね 危ないね 危ないね”と不安を煽るようなサウンドがあるかと思えば、エンディングでは江戸アケミがジャンキー・ティーチャー(聴いている人を指している)に対して“この中にたったひとつだけ正解がある”などとがなり立て、挑発します。

最後は哀愁漂い名曲と言われているレゲエ・ナンバーの「もうがまんできない」です。

“ちょっとのひずみならがまん次第でなんとかやれる”と歌う江戸アケミは最後は“心の持ちようさ”とかなり深刻に歌い上げ、この言葉が胸に突き刺さるのです。

 

【1987年12月】アルバム「ニセ予言者ども」リリース


▲アルバム「ニセ予言者ども」

 

1987年12月にはアルバム「ニセ予言者ども」をリリースします。

 

「ニセ予言者ども」はどんなアルバム?

 

ファンク・ビートが跳ね暴れる「少年少女」「みちくさ」で、江戸アケミはビートに全身全霊で乗っているのです。

「少年少女」では夢や未来ある少年少女の現実からの解放を歌い上げ、

「みちくさ」ではホーン・セクションが花を添えながら、“時は流れ 人はまた去る”と歌っては“おまえの考えひとつで どうにでもなるさ”と江戸アケミ自身にいい聞かせるように歌っています。

江戸アケミの精神疾患でJAGATARAが活動休止せざるを得なかったことを指して「みちくさ」といっているのか、“やりたいことがたくさん残ってる”と叫ぶ江戸アケミは活動再開したことに対してやる気満々といった気概が伝わってきます。

しかし一方で、それは江戸アケミの遺言にも聞こえるのです。

 

これまた、ファンク・ビートが跳ね回る「ゴーグル、それをしろ」でも江戸アケミは全身全霊でビートに乗っています。

現実が幻想という化け物に取り憑かれているのでそれを避けるために“ゴーグル”をしろと江戸アケミは訴えているのです。

“俺は何でも見てきた 魂の抜け殻になった奴らを”と歌うところなど、グサリと心に突き刺さる強烈な印象を残すナンバーが「ゴーグル、それをしろ」です。

 

最後は哀愁を帯びたアフロビート・ナンバーで名曲といわれている「都市生活者の夜」です。

“昨日は事実 今日は存在 明日は希望”という歌詞がとても印象に残るこのナンバーで、江戸アケミは都市生活者が否応なく帯びてしまう存在の哀しみを実によく表現していて、深く深く歌詞が心に染み入る名曲と呼ばれるにふさわしいナンバーが「都市生活者の夜」なのです。

 

【コラム】「ニセ予言者ども」が傑出したアルバムである理由

このアルバムでの江戸アケミは弾けるファンク・ビートに日本人離れしたリズム感で乗り、また収録されたナンバーの歌詞が、心に突き刺さるものであったり、じんわりと心に染み入るものであったり。その歌詞が激しい江戸アケミのヴォーカルとは裏腹にまだ、精神疾患が根治していなかった江戸アケミの「存在の哀しみ」が滲み出たナンバーばかりなのです。

「やりたいことがいっぱい残ってる」といった「魂の叫び」を上げもしています。また、バンド演奏もこのアルバムではほどよい緊張感の中、引き締まった演奏で、心にビンビンと響くのです。JAGATARAの「顔」であったファンク・ビートがこのアルバムは傑出してよく、また、アフロビート(ジャズやファンクの要素を下地としたアフリカ音楽)も取り入れてのナンバーの哀愁など、JAGATARAのこれからを決定したアルバムと言っても過言ではありません。

 

さて、このページでは江戸アケミ復帰後のJAGATARAの軌跡を振り返ってまいりました。次のページではJAGATARAのメジャーデビューから、江戸アケミの死後リリースされた「おあそび」などについてお伝えします。

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著者 積 緋露雪

1964年生まれ。音楽雑誌「CDで~た」の執筆・編集・企画を担当。ライター歴20年以上。小説『審問官』シリーズ出版。

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JAGATARAの軌跡① 【ヘビを食いちぎる過激パフォーマンス!伝説のアルバム「南蛮渡来」】

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鶏やヘビを食いちぎるなどの過激なパフォーマンスで注目を浴びたJAGATARA。精神疾患を患いながらも奇跡の復帰を遂げた江戸アケミ。そして死まで。1980年代を駆け抜けた伝説のバンドの軌跡をお伝えします!

『JAGATARA』入門 はこちらから!

著者 積 緋露雪

1964年生まれ。音楽雑誌「CDで~た」の執筆・編集・企画を担当。ライター歴20年以上。小説『審問官』シリーズ出版。

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今は亡き江戸アケミが率いたJAGATARAを知っている人は熱狂的なJAGATARAのファンだと思います。

JAGATARAはこれからというときに江戸アケミが亡くなってしまいました。「伝説」と化して歴史に固定化されることを嫌っていた江戸アケミ自身にとっては不本意かもしれませんが、今やJAGATARAというバンドは「伝説」と化しています。

このページでは最初のギグから名盤の誉れ高い伝説のデビュー・アルバム「南蛮渡来」発表までの軌跡をお伝えします。

▼このページで紹介する出来事

年月 出来事
1979年 最初のギグ
1980年 過激なパフォーマンスに走る
1982年5月 デビューアルバム「南蛮渡来」
全体年表はこちら(クリックorタップで開く)
年月 出来事
1979年 最初のギグ
1980年 過激なパフォーマンスに走る
1982年5月 デビューアルバム「南蛮渡来」
1983年5月 シングル「家族百景」
1983年 スタジオ制作
1983年11月頃~ 江戸アケミ精神疾患発症・JAGATARA活動休止
1985年9月 「アースビート伝説85」江戸アケミ出演(復帰の第一歩)
1987年3月 アルバム「裸の王様」リリース
1987年12月 アルバム「ニセ予言者ども」
1988年4月 アルバム「それから」でメジャーデビュー
1989年12月 アルバム「ごくつぶし」(江戸アケミ生前最後のアルバム)
1990年1月 江戸アケミ死亡
1990年7月 アルバム「おあそび」

 

【1979年】最初のギグ

 

JAGATARAというバンドが活動を開始したのは1979年のことでした。

JAGATARAのファースト・ギグといわれているのが1979年3月8日、東京都世田谷区上馬にあったライヴ・ハウス「ガソリンアレイ」での“江戸&じゃがたら”とのバンド名で“猫だまし演芸一座ジョイントコンサート”と銘打って行われたギクです。

当時のJAGATARAは音楽性に脂がのっていた頃のJAGATARAのアフロビート(ジャズやファンクの要素を下地としたアフリカ音楽)とファンク・ビートがはね暴れるものとはかなり違っていてロックンロール色が強いものだったようです。

メンバーもJAGATARAの音楽の核となるメンバーであるOTO(村田尚紀・ギター)などはまだ参加していませんでした。

一方で江戸アケミはアメリカ南部のブルージーなロックがしたくて、メンバー募集の告知をしていました。江戸アケミの根本にはブルースがあったのです。

 

【1980年】江戸アケミが過激なライヴ・パフォーマンスへ走る

 

JAGATARAの原型ができた1980年。

江戸アケミは当時、全盛だったパンク・ロック(1970年代半ばにアメリカで誕生した過激で攻撃的なロック)を標榜していました。

しかし、生真面目で大変な照れ屋だった江戸アケミはライヴでのMCが大の苦手。それでもMCをするのですが、その際いわゆる“親父ギャグ”を飛ばします。

しかし、それがあまりにもくだらなくて客からヤジが飛びます。

あるときそれに窮した江戸アケミは何を思ったかマイクに頭をゴツンとぶつけたのです。

それが観客にウケてしまったのが運の尽きだったのです。

この自虐的なパフォーマンスはエスカレートせざるを得ないのです。

それというのも、観客は前と同じパフォーマンスでは満足しないものです。

江戸アケミは生真面目で照れ屋であった反動で異常なまでにサービス精神があったために、観客がはやし立てれば、それに応じてより過激なパフォーマンスをしてしまうのでした。

初めはマイクにゴツンと頭をぶつけていたものが、激しくマイクに頭をぶつけるようになり、それを観客が喜んだのです。

観客が喜べば、江戸アケミは何でもしてしまうのです。

 

さらに過激になるライヴ・パフォーマンス

 

観客は江戸アケミの自虐的なパフォーマンス見たさに大勢やってきていました。

江戸アケミのライヴ・パフォーマンスにより、ライヴ・ハウスはいつも観客でいっぱいだったそうです。

江戸アケミのライヴ・パフォーマンスは観客の求めを満足させるために更に更に過激さを増していきました。

鶏やシマヘビを食いちぎりそれを食らって、そして自らをフォークやカミソリで切りつけ、時には出血多量で救急車で病院に運ばれるまで、自虐的な江戸アケミのライヴ・パフォーマンスは過激になっていきました。

また、ときには他のバンドのライヴに殴り込んでは血だらけでぶっ倒れたり、全裸になったりもしていました。

観客には“江戸アケミ信者”のような人たちが現れ、怖いもの見たさでライヴ・ハウスは大盛況だったと言われています。

 

初めは江戸アケミ本人がやりたくてやっていたパフォーマンスでしたが、江戸アケミは次第にそんなパフォーマンスに嫌気がさしてきて、本心ではやりたくなくなっていたのです。

しかし、観客がはやし立てるから過激なパフォーマンスをしてしまうのでした。

江戸アケミは当時、負の連鎖の中にいました。

1980年8月、負の連鎖を断ち切ろうと江戸アケミは過激なパフォーマンスはもう金輪際やめて、音楽で勝負する決意をします。

そして時を同じくしてJAGATARAの音楽の核となるOTOが加入します。

この後、JAGATARAは“暗黒大陸じゃがたら”と名乗り、ツアーを敢行し、全国のライヴ・ハウスを巡ります。

 

【1982年5月】「南蛮渡来」リリース

 

まだ、インディーズという言葉もほとんど知られていない時代の1982年、JAGATARAは暗黒大陸じゃがたら名義でファースト・アルバム「南蛮渡来」をリリースします。

▼アルバム「南蛮渡来」(画像クリックで商品詳細へ)

このアルバムは少なからず、業界関係者だけでなく一般のJAGATARAのファンに衝撃を与えるものだったのです。

例えば音楽雑誌『ロッキング・オン』の編集者兼代表取締役でラジオのパーソナリティとしても知られている渋谷陽一氏に高く評価されました。

渋谷陽一氏のラジオ番組に出演したり、音楽評論家中村とうよう氏にも高く評価されたりと「南蛮渡来」は発表当時、日本を代表する音楽評論家に高く評価されたのです。

 

南蛮渡来はどんなアルバム?

 

「南蛮渡来」は“日本人てくらいね、性格がくらいね”という言葉とサックスが強烈な印象の「でも・デモ・DEMO」のファンク・ナンバーで始まります。

この中で、親しい人やどうでもいい人に対して別れを言って“せこく生きてちょうだい”と突き放す江戸アケミ。

これは思うに過去の自分自身に対しての惜別の言葉にもとれます。

更にいえば江戸アケミが書く歌詞はどれもが江戸アケミの遺言のように思えて仕方がないのです。実際に曲を聴けば、それが伝わってくることでしょう。

 

ノイジーなパンク・ナンバーの「季節のおわり」では“何かがちがう”社会への反抗が歌い上げられ、「BABY」ではパンキッシュなファンク・ビートに乗せて、江戸アケミの思いの丈をがなるように歌われています。

 

そして大槻ケンジらにカヴァーされ愛されている名曲「タンゴ」

“都会の隅で”生きてゆく生きづらさをアフロビートによるアレンジのレゲエ・ナンバーとしてその不合理を切々と江戸アケミが歌い上げています。

 

社会に対する敵愾心むき出しのパンク・ナンバーの「アジテーション」は、他者との関係の破綻から見えてくる社会の嘘くささに対する“アジテーション”です。

パンク・ナンバーの「ヴァギナ・FUCK」では卑猥な言葉で聴くものをアジテーションしています。

パンキッシュなレゲエ・ナンバーの「FADE OUT」も“息苦しくてかなわない”日常に対する反抗の歌で、そんな終わらない日常から逃れられないことに嫌気がさして仕方がない様が言葉を吐き出すように歌われています。

 

終曲は一転してこれまた名曲「クニナマシュ」です。

“人類ミナ兄弟”とアフロビートに江戸アケミは心底乗ることに集中しています。

そして「クニナマシュ」では女声がうまく使われています。

「クニナマシュ」は次第にカオス状態になっていって有名な“ぼくたちは光の中でチャチャチャ”というフレーズを女声が歌い、その中を江戸アケミが息苦しそうに“あいつの躰に 火をつけろ”とあまりに残酷な“祭り”を煽って終わりを迎えます。

なお、1989年にCDが再々発売された際にボーナストラックとして「元祖家族百景」「ウォークマンのテーマ」が収録されました。

 

さて、ここまでは名盤「南蛮渡来」のリリースまでの活動を振り返ってまいりましたが、次のページではシングル「家族百景」リリースから、江戸アケミの精神疾患の発症の経緯などをお伝えします。

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著者 積 緋露雪

1964年生まれ。音楽雑誌「CDで~た」の執筆・編集・企画を担当。ライター歴20年以上。小説『審問官』シリーズ出版。

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90年代J-POPヒット曲入門 ~音楽で振り返る90年代!~


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はじめに

1990年代は「バブル経済の崩壊」「松本サリン事件」「少年犯罪の増加」など、暗いニュースが多かった時代。しかしどんなときでもエンターテイメントは屈しない、そんなエンタメ文化の「アツさ」を筆者は感じていました。

1990年代とはどんな時代だったのか?

第1章 ムーブメント

ここでは90年代J-POP界の3つの主要なムーブメントを解説!当時は現在でも活躍するバンドが多く登場し、ドラマでは野島伸司作品が物議を醸し、猿岩石・野猿などバラエティ発のヒット曲が多く生まれたそんな時代。

90年代活躍したバンド
ドラマタイアップ=ヒット 
バラエティ発のヒット曲

第2章 ヒットメーカー

ここでは90年代のブームの立役者3人を解説!「TKブーム」「つんく♂の魅力」「ビーイング系アーティストの台頭」。あの時なぜ流行っていたかはこの3人を知れば見えてくる!

小室哲哉
つんく♂
織田哲郎

第3章 ヒット曲20選

「有名な曲を改めて味わう」 をテーマに90年代感を堪能できる名曲を選出。90年代J-POP界の雰囲気を名曲とともに振り返ってみましょう。

【男性ボーカル編①】
【男性ボーカル編②】
【女性ボーカル編①】
【女性ボーカル編②】

著者 シン アキコ

30代前半女性。邦楽ファン歴25年。70年代、80年代、90年代の邦楽を愛しています。「歌詞」「曲が生まれた背景」「当時の流行との関連性」などを分析することが好き。
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山下達郎おすすめの名曲③ 【鈴木雅之への提供曲編】

Webon紹介目次著者

山下達郎さんは『クリスマス・イブ』で有名なミュージシャン。達郎さんはテレビに出演しないため、動く姿を観れるのはライブだけ。チケットは入手困難であり「音の職人」と称される達郎さんのライブは「極上の音楽空間」。

『山下達郎』入門 ~極上の音楽空間~(全14ページ)はこちらから!

著者:しあ

40代後半女性。音楽が大好きでJ-POP、K-POP、洋楽、演歌歌謡曲とさまざまな音楽を聴いています。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。全部チケットの半券をとっているのでとても大切な想い出です。音楽はとても生活を豊かにしてくれるもの。私の好きなアーティストの魅力を知っていただければ、と思います。

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この章では達郎さんの楽曲を

定番】【隠れた名曲】【鈴木雅之への提供曲】【ジャニーズへの提供曲】【カバー

とジャンルに分けて5ページにわたって紹介します。

 

山下達郎さんは、他アーティストへの楽曲提供もしています。その中でも私が一番好きなのが、鈴木雅之さんへの提供曲です。

このページでは鈴木さんへの提供曲と、達郎さん自身によるセルフカバーについてご紹介します。

 

鈴木雅之とは

名前 鈴木 雅之(すずき まさゆき)
生年月日 1956年(昭和31年)9月22日
出身地 東京都大田区大森西
職業 歌手
デビュー 1980年『シャネルズ』としてシングル『ランナウェイ』でデビュー。1986年2月16日『ガラス越しに消えた夏』でソロデビュー。
サングラスに口髭がトレードマーク。「ラッツ&スター」(旧シャネルズ)のメンバーであり、1983年にリリースされた『め組のひと』はCD売上60万枚以上の大ヒットとなる。1986年に『ガラス越しに消えた夏』でソロデビューし『紅白歌合戦』に初出場を果たす。

▼ラッツ&スター『め組のひと』
▼鈴木雅之『ガラス越しに消えた夏』

 

鈴木雅之さんは、1980年にグループ「シャネルズ」としてデビュー。

その後「ラッツ&スター」と改名し活動します。

1986年にソロデビュー。

グループ時代もソロになってからも、たくさんのヒット曲があります。鈴木さんはソウルフルな歌声で、たくさんのラブソングを歌っておりラブソングの帝王と呼ばれています。

山下達郎さんによる鈴木雅之さんへの提供曲は全部で3曲あります。以下、紹介いたします。

 

提供曲

おやすみ、ロージー -Angel Babyへのオマージュ-

リリース年月 1988年4月21日(アルバム『Radio Days』)
時間 2分43秒
収録アルバム アルバム『Radio Days
ベストアルバム『MARTINI

 

『おやすみ、ロージー -Angel Babyへのオマージュ-』は達郎さんの作詞、作曲、編曲の和製ドゥーワップ。

ドゥーワップを愛する達郎さんだからこそ書ける曲。

 

ドゥーワップとは

R&Bのコーラスの一種。1950年代半ばから1960年台初頭のアメリカ合衆国で流行した。メロディー以外の旋律は「ドゥーワ」「シュピデゥビ」などハミング風のコーラスを歌う。

下記、代表的なドゥーワップの曲。

▼ The Penguins『Earth Angel』

▼The Platters『Only You』

 

鈴木さんの、ソウルフルで濃厚な重めの歌声が、曲とぴったり合っていて本当に素晴らしい。

達郎さんが歌ったバージョン(セルフカバー)は鈴木さんより軽く歌っているのですが、それがまた違った味わいで心地よく感じます。

達郎さんにとっても、とても愛着のある曲でライブでもよく歌っています。

ライブでアカペラで披露されるこの曲の存在感はとても大きいです。

達郎さんバージョンはベストアルバム『TREASURES』『OPUS』などで聴くことができます。

 

▼ベストアルバム『TREASURES』CD(試聴可)

▼ベストアルバム『OPUS』CD

 

▼鈴木雅之の『おやすみ、ロージー -Angel Babyへのオマージュ-』をストリーミングで聴く(無料体験有)

 

Guilty

リリース年月 1988年7月21日(シングル『Guilty』)
時間 4分40秒
収録アルバム アルバム『Radio Days
ベストアルバム『MARTINI

 

『Guilty』は竹内まりやさん作詞、達郎さん作曲、編曲。許されぬ恋が、都会の情景と共に描かれている曲です。

「Guilty=有罪」というタイトルがとてもドラマティック。

詩の内容とムードたっぷりなR&Bの曲調がとても合っていて本当に素敵。

私は大人な雰囲気のこの曲が大好きなのです。

達郎さんバージョンは、ベストアルバム『OPUS』の初回限定盤のボーナストラックでしか聴けません。

 

▼ベストアルバム『OPUS』初回限定盤CD

 

また、この曲はセルフカバーではなくデモ音源となっています。

ライナーノーツ(=CDのジャケットなどに書いてある解説)には「声の音質に難がありますが、すでに元のテープは現存しないのですいません」と書いてありますが全然気になりません。

大好きなこの曲を、達郎さんバージョンでも聴けることがとってもうれしいです。

達郎さん自身もとても気にっている作品だそう。

 

▼鈴木雅之の『Guilty』をストリーミングで聴く(無料体験有)

 

Misty Mauve

リリース年月 1988年4月21日
時間 4分36秒
収録アルバム アルバム『Radio Days
ベストアルバム『MARTINI

 

『Misty Mauve』は竹内まりやさん作詞、達郎さん作曲、編曲。

この曲は3曲の中で私が、一番大大大好きな曲です。

鈴木さんの全部の曲の中でも一番好きかもしれません。

 

この曲もまず『Misty Mauve』というタイトルが絶妙で素敵すぎます。

女性ならわかると思いますが、ネイルカラーやメイクカラーでこの名前が使われていて、歌詞にも「無口な君が塗るペディキュア Misty Mauve」とあります。

※Misty Mauve(ミスティーモーブ)はこの色■

 

このタイトルと詩の世界…まりやさんのセンスが素晴らしい。

カッコいいサウンドで描かれた大人の恋愛模様を鈴木さんが見事なボーカルで表現。

この大好きな曲を達郎さんがレアな曲でまとめたベストアルバム『RARITIES』でセルフカバーした時は本当にうれしかったです。

 

▼ベストアルバム『RARITIES』CD

 

セルフカバーって、他アーティストへ提供したものを創った本人が歌うので、どうしても提供された側のアーティストのイメージがついてしまうものだと思います。

鈴木さんほど個性があり魅力的なシンガーだとなおさら。それは楽曲提供者にとっては逆に喜ばしいことなのかもしれませんが。

でも達郎さんの場合は、鈴木さんのバージョンが素晴らしすぎるのはもちろんなのですが、それと同じぐらい達郎さんバージョンも魅力的なのです。

どちらも違ってどちらもいい!

お互いの個性が活きている素晴らしいセルフカバーなのです。

 

▼鈴木雅之の『Misty Mauve』をストリーミングで聴く(無料体験有)

 

鈴木さんのこの3曲は1988年のアルバム『Radio Days』に収録されています。

 

▼アルバム『Radio Days』(画像クリックで商品詳細へ。無料体験有)

 

さらに1991年のベストアルバム『MARTINI』にも収録されていて、このアルバムはベストと呼ぶにふさわしい捨て曲なしの素敵なアルバム。達郎さんの他にも小田和正さん、大澤誉志幸さんなど作家人も豪華。

 

▼ベストアルバム『MARTINI』(画像クリックで商品詳細へ。無料体験有)

小田和正

1991年に発表したシングル「ラブ・ストーリーは突然に」はCD売り上げ280万枚を超える。同曲はドラマ『東京ラブストーリー』の主題歌。

大澤誉志幸(おおさわ よしゆき)

1957生まれ。沢田研二・中森明菜・吉川晃司・田原俊彦・バブルガムブラザーズなど多くのミュージシャンに楽曲提供をしている。

 

夜のドライブにもぴったりで、当時は本当に本当によく聴いていました。

この3曲は本当にとっても素敵なので、鈴木雅之さん、山下達郎さんバージョン、どちらもぜひ聴いてみてほしいと思います。

 

さて、鈴木雅之さんへの提供曲はおすすめすが、達郎さんの提供曲には他にも多くの名曲があります。次のページでは名曲が多い【ジャニーズへの提供曲】を紹介いたします。

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著者:しあ

40代後半女性。音楽が大好きでJ-POP、K-POP、洋楽、演歌歌謡曲とさまざまな音楽を聴いています。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。全部チケットの半券をとっているのでとても大切な想い出です。音楽はとても生活を豊かにしてくれるもの。私の好きなアーティストの魅力を知っていただければ、と思います。

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山下達郎おすすめの名曲② 【隠れた名曲編】

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山下達郎さんは『クリスマス・イブ』で有名なミュージシャン。達郎さんはテレビに出演しないため、動く姿を観れるのはライブだけ。チケットは入手困難であり「音の職人」と称される達郎さんのライブは「極上の音楽空間」。

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著者:しあ

40代後半女性。音楽が大好きでJ-POP、K-POP、洋楽、演歌歌謡曲とさまざまな音楽を聴いています。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。全部チケットの半券をとっているのでとても大切な想い出です。音楽はとても生活を豊かにしてくれるもの。私の好きなアーティストの魅力を知っていただければ、と思います。

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この章では達郎さんの楽曲を

定番】【隠れた名曲】【鈴木雅之への提供曲】【ジャニーズへの提供曲】【カバー

とジャンルに分けて5ページにわたって紹介します。

達郎さんには有名な代表曲がよいのはもちろんですが、それ以外の曲も知っていいただきたい曲はたくさんあります。

こちらのページでは、私の独断と偏見でおすすめの曲、私の好きな曲をご紹介したいと思います。

 

メリー・ゴー・ラウンド

リリース年月 1983年6月8日
時間 6分17秒
収録 ・アルバム『MELODIES
・アルバム『JOY』(ライブバージョン)

 

『メリー・ゴー・ラウンド』はとにかくカッコいい!

カッコよすぎて、ずっとリピートしていても全然飽きない。

ファンクなドラムとベース。素晴らしすぎるコーラスワーク(=複数の人がそれぞれのパートに分かれて歌うこと)

 

ファンクとは

ブラックミュージックのジャンルの一つ。「ジェームス・ブラウン」はファンクの帝王と呼ばれ『Get on the Good Foot』はファンクの傑作と称される。リズムは16ビートを基本としている。リズムはファンクの重要な要素である。

 

一つ一つ、全ての音がカッコよく素敵すぎて…イヤフォンでじっくり聴いてほしいです。

音楽を聴く時に、ボーカル部分だけ聴いてしまう人もいるかもしれませんが、全てのいろんな音を聴いてほしいです。

 

好・き・好・き SWEET KISS!

リリース年月 1998年4月29日
時間 4分10秒
収録 ・シングル『いつか晴れた日に』B面
・ベストアルバム『RARITIES』(リンク先で試聴可)

 

『好・き・好・き SWEET KISS!』は、まずタイトルがとってもかわいい!

大人な達郎さんが、こんなかわいいタイトルと甘い歌詞の曲を歌っても全然おかしくないのは、年齢を感じさせない素晴らしい声の持ち主だから。(山下達郎:1953年2月4日生まれ。2019年3月現在66歳)

達郎さんの歌詞の中には「君が大好き」と語る男性が登場することがありますが、この曲もその一つで、私はこの曲の中の男性がとても好きです。

 

ラッキー・ガールに花束を

リリース年月 2004年8月4日(シングル『忘れないで』B面)
時間 4分24秒
タイアップ ・ホンダ・ライフDIVAのCM
・NHKアニメ『アガサ・クリスティーの名探偵ポワロとマープル』のオープニング
収録 シングル『忘れないで』

 

『ラッキー・ガールに花束を』はとってもハッピーでキラキラなポップチューンです。

跳ねるリズムとかわいい歌詞で、とってもテンションが上がります。

いくつになっても、こんな素敵なラブソングが書ける達郎さんが好きです。

「You are my lucky girl」と言う、この歌の中に出てくる男性も私は大好き。

こんなにストレートに愛情表現してくれるのって、とっても素敵です。

 

ずっと一緒さ

リリース年月 2008年3月12日(シングル『ずっと一緒さ』)
時間 5分
タイアップ フジテレビドラマ『薔薇のない花屋』主題歌
収録 ・シングル『ずっと一緒さ』(リンク先で試聴可)
・アルバム『OPUS 〜ALL TIME BEST 1975-2012〜

 

『ずっと一緒さ』は達郎さん曰く

「若いころには決して書かなかったタイプのラブソング」

だそうです。

「あなたとふたりで生きて行きたい それだけで何もいらない」という詩は、自分が年齢を重ねていくほどに心に沁みます。

達郎さんの2018年のツアーでは『希望という名の光』に続けて『ずっと一緒さ』が歌われて…感動で涙涙涙…でした。

 

※『希望という名の光』は前ページの「山下達郎おすすめの名曲①【定番編】」で紹介しています。

 

FUNKY FLUSHIN’

リリース年月 1979年10月21日(シングル『永遠のFULL MOON』B面)
時間 5分40秒
収録 ・シングル『永遠のFULL MOON』
・アルバム『MOONGLOW
・ベストアルバム『GREATEST HITS! OF TATSURO YAMASHITA
・ベストアルバム『OPUS 〜ALL TIME BEST 1975-2012〜

 

『FUNKY FLUSHIN’』はファンクなディスコナンバー。

CDで聴いてもテンションが上がるし、ライブでみんなで盛り上がるのもとっても楽しい!

この曲は少年隊がカバーしています。

 

少年隊

ジャニーズ事務所所属の男性アイドル。1981年より活動を開始。ジャニーズで最長の活動歴。代表曲に『仮面舞踏会』(1986年オリコン年間シングル売り上げ第3位)などがある。

 

少年隊のバージョンも私は好きなんです。

少年隊はダンスがとっても上手いので、テレビで歌っているのを見て、とってもカッコよかったのを覚えています。

 

HOT SHOT

リリース年月 1979年10月21日(アルバム『MOONGLOW』)
時間 5分55秒
収録 アルバム『MOONGLOW

 

『HOT SHOT』は吉田美奈子さん作詞による、スナイパー(?)殺し屋(?)の歌。

 

吉田美奈子

1953年4月7日生まれ。シンガーソングライター。他アーティストへの楽曲提供を数多く行う。山下達郎の楽曲のコーラスをつとめ、また『潮騒』『SPARKLE』『CIRCUS TOWN』など山下達郎の楽曲の作詞を数多く手がける。

 

物騒な詩が出てきますが、最高にカッコいいナンバー。

めちゃめちゃギターがフィーチャーされていて、椎名和夫さんのギターが最高にカッコいい!

 

椎名和夫

1952年7月14日生まれ。吉田美奈子のバックミュージシャンとしてプロデビュー。1986年に中森明菜「DESIRE -情熱-」で日本レコード大賞編曲賞受賞。ギタリストとしても活動し、山下達郎のバンドのレギュラーメンバーとなっている。

椎名和夫さんなどの山下達郎のバンドのメンバーは次の章(第4章)で紹介しています。

 

ギター好きにはたまらない1曲であり、こんな歌詞を軽快に歌う達郎さんもカッコいい!

達郎さんが美奈子さんに作詩を依頼するときは全ておまかせだそう。

気心の知れた二人だからこそ歌詞で遊んでいるのかも。

 

SILENT SCREAMER

リリース年月 1980年9月19日(アルバム『RIDE ON TIME』)
時間 5分28秒
収録 アルバム『RIDE ON TIME

 

『SILENT SCREAMER』もギターがカッコいいファンクなナンバー。

1980年の曲ですが、今聴いても全く色褪せていません。

 

エンドレス・ゲーム -Endless Game-

リリース年月 1990年4月25日(シングル『Endless Game』)
時間 4分10秒
タイアップ TBSドラマ『誘惑』
収録 ・シングル『Endless Game
・アルバム『ARTISAN

 

『エンドレス・ゲーム-Endless Game-』は1990年のTBSドラマ『誘惑』の主題歌。家庭が壊れていく、ドロドロとしたドラマだったと思います。

 

TBSドラマ『誘惑』
1990年4月から放送。主演は篠ひろ子。魔性の女により家庭がバラバラにされていくラブサスペンス。

 

私は、主演の篠ひろ子さんが好きでしたし、当時、大人気だったTM NETWORKのボーカル宇都宮隆さんが出演、という事でも話題になっていました。

 

TM NETWORK

1984年デビュー。3人組のエレクトロニカ(電子音楽)バンド。代表曲に『Get Wild』『SEVEN DAYS WAR』がある。アルバム売上げ総数は1,600万枚を突破していると言われる。写真中央が宇都宮隆。

▼TM NETWORK

 

ドラマの内容と歌とがとっても合っていて、怪しく大人なムード漂う曲。

達郎さんがタイアップ作品を創る時は、いつもそのドラマなどにぴったりなものを創っていると思います。テーマや原作、脚本などを、創作イメージに当てはめているから。

この曲も、ドラマの原作である連城三紀彦氏の『飾り火』を読んで創ったそうです。

 

▼ドラマ原作『飾り火』(画像クリックで商品詳細へ)

 

FOREVER MINE

リリース年月 2005年1月19日(シングル『FOREVER MINE ⁄ MIDAS TOUCH』)
時間 4分50秒
収録 ・シングル『FOREVER MINE ⁄ MIDAS TOUCH』(リンク先で試聴可)
・アルバム『SONORITE

 

『FOREVER MINE』はとても美しいラブバラード。

でも、ただの愛する者同士の歌ではないことは、歌詞を深く読めばわかると思います。

「不倫の男女が心の中に常に抱えている、死の暗喩(メタファー)についての歌を創った」との事。

この詩の世界、すごいな~と思います。

「FOREVER MINE(永遠に私のもの)」という、言葉の重みを感じます。

 

このミュージックビデオ(MV)には、俳優の嶋田久作さんが出演しているのですが…そのMVがせつなすぎて、悲しすぎて…。

 

▼嶋田久作氏

この曲の世界をとってもとっても上手く表現しています。

とても素晴らしいMVなのだけど、せつなすぎて涙が止まらず、もう見たくないと思うほど…。

 

こちらのMVは、達郎さんサイドでのDVD発売等はありません。MVの監督を務めた丹下紘希さんの作品集「TANGE KOUKI VIDEO COLLECTION」に収録されているようです。

あとは、スカパー等の音楽チャンネルで流れる可能性があります。もしくはリクエストするのもいいかもしれません。

 

▼『FOREVER MINE』MV収録DVD

 

潮騒

リリース年月 1979年4月5日(シングル『愛を描いて -LET’S KISS THE SUN-)』カップリング)
時間 4分18秒
収録 ・シングル『愛を描いて -LET’S KISS THE SUN-)』
・シングル『風の回廊』ライブバージョン
・コンピレーション・アルバム『COME ALONG
・アルバム『GO AHEAD!
・ベストアルバム『GREATEST HITS! OF TATSURO YAMASHITA
・ベストアルバム『OPUS 〜ALL TIME BEST 1975-2012〜
・ベストアルバム『RARITIES』(リンク先で試聴可)

 

『潮騒』は達郎さんの隠れた名曲の一つ。

甘酸っぱい愛の詩に胸がキュンとなる。

ライブで達郎さんがピアノを弾きながら歌う姿はとても感動します。

 

いつか(SOMEDAY)

リリース年月 1980年9月19日
時間 5分49秒
収録 ・アルバム『RIDE ON TIME
・コンピレーションアルバム『COME ALONG2

 

『いつか(SOMEDAY)』はとっても暖かい曲。

ライブで聴くと明るい曲調なのに、その暖かさに涙がでてしまう。

「いつか」は来ないと言われることも多いけど、「いつか」がいつか来る事を信じられる、心によりそってくれる歌。

絡み合う吉田美奈子さんのコーラスが、さらにこの曲を素晴らしいものにしています。

 

 

達郎さんのおすすめの曲、今、私が好きな曲をご紹介しました。

達郎さんの曲は全部よすぎて、本当は選べません。

それに、好きな歌はその時々で変わったりもするので…。

とりあえず、達郎さんを聴いてみるなら『OPUS ALL TIME BEST 1975-2012』をおすすめします。

歴代の代表曲が収録されているので、山下達郎入門として最適です。

 

 

達郎さんは他アーティストへの楽曲提供を多数行っています。提供曲にも名曲は多いです。次のページでは私が一番好きなのが鈴木雅之さんへの提供曲を紹介いたします。

『山下達郎入門』目次へ  (全14ページ)

 

 

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著者:しあ

40代後半女性。音楽が大好きでJ-POP、K-POP、洋楽、演歌歌謡曲とさまざまな音楽を聴いています。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。全部チケットの半券をとっているのでとても大切な想い出です。音楽はとても生活を豊かにしてくれるもの。私の好きなアーティストの魅力を知っていただければ、と思います。

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角松敏生の歴史② 90年代・凍結

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角松敏生氏をご存知ですか?洗練されたサウンドを今もなお創り続けるシンガーソングライターです。高校一年生から角松氏を追いかける著者が角松敏生氏の魅力に迫ります!

『角松敏生』入門 ~こだわり抜かれたサンウンドの世界~はこちらから!

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40代後半女性。音楽が大好きでJ-POP K-POP 洋楽 演歌歌謡曲とさまざまな音楽を聴いています。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。全部チケットの半券をとっているのでとても大切な想い出です。音楽はとても生活を豊かにしてくれるもの。私の好きなアーティストの魅力を知っていただければ、と思います。

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このページでは角松敏生氏の90年代、凍結までの活動を解説します。この時期は2枚のインストアルバムと、内省的な歌詞のアルバムを3枚リリースします。そして、凍結に至るまでの流れを解説します。

 

 

▼このページで解説する時代

 

角松敏生の歴史 90年代・凍結

 

年表

年月 出来事
1985年5月 アルバム「GOLD DIGGER」
1987年7月 インスト「SEA IS A LADY」
1988年2月 中山美穂「You’re My Only Shinin’ Star」
1989年9月 8作目アルバム(内省的歌詞)
1990年7月 インスト「Legacy of You」
1991年7月 9作目アルバム(内省的歌詞)
1992年7月 10作目アルバム(内省的歌詞)
1993年1月 活動凍結

 

【1987年~1990年】2枚のインストアルバム

 

1987年にリリースしたインストゥルメンタル(インスト)アルバム「SEA IS A LADY」が好評で、2枚目のインストアルバム「LEGACY OF YOU」を1990年にリリースします。

 

▼「SEA IS A LADY」1987年7月リリース(画像クリックで商品詳細へ)

▼「Legacy of You」1990年7月リリース(画像クリックで商品詳細へ)

 

角松さんの歌詞の特徴として「ほとんどのものがノンフィクション」と言われています。

「自分の思ったことしか書けない、身を削って創る」

と言う角松さん。

彼の性格として、自分に正直にしか生きられない、嘘がつけない、というものがあると思うのです。

歌詞を読むと、その時の角松さんの心情が見て取れるよう。

なので、歌詞の多くに出てくる女性は、誰かしらをイメージして創られていると思います。

 

この2枚のインストアルバムの曲のタイトルには、サブタイトルとして女性の名前がつけられています。

歌詞で表現する代わりに、名前を付けることで気持ちを込めているのでしょうか。

 

▼「SEA IS A LADY」タイトル一覧(太字は編集により)

1 WAY TO THE SHORE“ERI”
2 SEA LINE“RIE”
3 NIGHT SIGHT OF PORT ISLAND“MIDORI”(NIGHT FLIGHT OF DC-10)
4 SEA SONG“NAOMI”
5 SUNSET OF MICRO BEACH“SATOKO”
6 OSHI-TAO-SHITAI“KAORI ASO”(MEMORIES OF DUSSELDORF)
7 52ND STREET“AKIKO”
8 THE BASS BATTLE“CHAKO”
9 MID SUMMER DRIVIN“REIKO”
10 LOVIN’ YOU“SAWAKO”
11 SEA SONG (REPRISE)
12 JUNE BRIDE (Instrumental) ※LP未収録

 

▼「Legacy of You」タイトル一覧

1 Premonition of Summer (KIYOMI)|Suma (MIDORI)
2 飛翔 (SAYURI)
3 At Canal St Club (MISAKO)
4 流氷 (YURIKO)
5 Mystical Night Love (CHISATO’S Dream)
6 Tsugaru (KEIKO)
7 Stress by ストレス (CHISATO M.)
8 Twilight River (YUKARI)
9 Daylight of Alamoana (YUKO)
10 NH-CA’s Struttin (Crossing at Airport) (SANAE)
11 Parasail (at Ramada Beach) (REIKO)
12 SATO

 

【1990年代】内生的な歌詞のアルバム3作

 

2018年現在、角松さんは2008年に再婚し、女の子が一人います。

 

実は、角松さんは1987年ごろに一度結婚しています。

そして奥様とは別にもう一人の愛する女性がいました。

この事については、当時のファンクラブの会報に角松さんからのメッセージが載っていました。

過去のことであり、今現在、家庭を持ち幸せそうな角松さんなので詳しくは触れませんが、この女性との事が1980年代後半から凍結までの角松さんの音楽の多くを占め、とても内省的な歌詞になってきています。

 

【内生的な歌詞の時期の3アルバム】

▼8作目アルバム「REASONS FOR THOUSAND LOVERS」1989年9月(画像クリックで商品詳細へ)

▼9作目アルバム「ALL IS VANITY」(9作目)1991年7月(画像クリックで商品詳細へ)

▼10作目アルバム「あるがままに」1992年7月(画像クリックで商品詳細へ)


1992年リリースの活動凍結前の最後のアルバム「あるがままに」は、とても個人的なアルバムと位置付けられており、ある一人の女性に捧げるものとなっています。

ブックレットの最後にはこう記されています。

「if my music cannot change your mind, Music does no longer make sense to me.(私の音楽があなたの心を変えることができないならば、私にとって音楽はもはや意味をなさない)」

角松さんは愛する女性から、「あなたの音楽は私にとって何の意味もなかった」と言われたそう。

 

「一人の女性のために創られた」ということなのでアルバムの歌詞も、ブックレットの言葉からも切々と想いが感じられます。

私は、このアルバムを聴いてこれほどまでに自分の身を削って音楽を創るのか・・・というとても心が震えました。

 

私は、このアルバムの中の「あるがままに」という曲が大好きで、部屋にこの歌詞をずっと飾っていました。

 

 

【1993年】無期限活動休止 ~凍結~

 

1993年1月27日、日本武道館でのライブを最後に活動を凍結、無期限の活動休止とします。

「凍結」という表現になったのは、活動休止でもなく引退でもなくいつまで休止か本人もわからないことが理由だと思います。

 

二人の女性との別離、中でも奥様ではなかった女性との別離が、とても角松さんの心に影を落とした事が原因の一つであるということを角松さんの作品から見て取れました。

ですが、音楽業界への絶望や自身の活動、パフォーマンスの行き詰まりなども理由にあげており、いくつかの要因が重なって「凍結」となったようです。

 

このファイナルライブはビデオ化され、私も購入して見ました。

ファイナルライブというとても悲しく寂しいことを除けば、角松さんのライブパフォーマンスはとても素晴らしくカッコいいものでした。

ファンの多くは、これが最後ということで集まっており、それぞれの中の角松さんとの想い出に涙を流す人の姿も・・・。

 

▼FINAL CONCERT TOUR Vol.1 [VHS](画像クリックで商品詳細へ)

 

ライブ終盤、角松さんのMCの最中、男性ファンが

「ガタガタ言ってねえで続けりゃあいいんだよ!」

と声を飛ばしました。

角松さんは、怒って目の前のスピーカーを蹴っ飛ばします。

「今、こう言った人は何かを辞めたことがない人だと思います。」と。

 

ファイナルライブなのにファンと喧嘩・・・。

その男性もよっぽど角松さんの凍結が悲しかったのだと思います。

角松さんも

「こんな風にいきなり辞めるということは、ファンのことを考えていないとさんざん言われた」

と語っています。

 

辞めたくて、辞めるのではなく、続けられなかった・・・という状態だったのでしょうか。

それでも、「最後ぐらいみんなでキチっと一つにまとまろうよ。ねっ」と笑顔でファンへ語りかけます。

 

男性ファンが(同じ人物か不明)「やりたくなったらまたやればいいよ」と。

「ま、そういうこったな」と角松さん。

 

角松さんもファンも涙、涙で、ファイナルライブの幕は下りたのでした。

 

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目次著者

著者:しあ

40代後半女性。音楽が大好きでJ-POP K-POP 洋楽 演歌歌謡曲とさまざまな音楽を聴いています。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。全部チケットの半券をとっているのでとても大切な想い出です。音楽はとても生活を豊かにしてくれるもの。私の好きなアーティストの魅力を知っていただければ、と思います。

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角松敏生のプロデュース作品 ~杏里・中山美穂・他~

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角松敏生氏をご存知ですか?洗練されたサウンドを今もなお創り続けるシンガーソングライターです。高校一年生から角松氏を追いかける著者が角松敏生氏の魅力に迫ります!

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40代後半女性。音楽が大好きでJ-POP K-POP 洋楽 演歌歌謡曲とさまざまな音楽を聴いています。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。全部チケットの半券をとっているのでとても大切な想い出です。音楽はとても生活を豊かにしてくれるもの。私の好きなアーティストの魅力を知っていただければ、と思います。

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角松敏生さんは他アーティストに多くの楽曲提供を行っています。

こちらのページでは、角松さんが楽曲提供を行った

「杏里さん」「西城秀樹さん」「中山美穂さん」「VOCALAND」「相田翔子さん」

について時系列順に紹介いたします。

 

プロデュース作品年表

 

リリース年月 アーティスト プロデュース作品収録アルバム
1982年11月 杏里 Heaven Beach
1983年6月 杏里 Bi・Ki・Ni
1983年12月 杏里 TIMELY!!
1984年6月 杏里 COOOL
1985年7月 西城秀樹 TWILIGHT MADE…HIDEKI
1986年7月 中山美穂 SUMMER BREEZE
1988年2月 中山美穂 CATCH THE NIGHT
1996年7月 VOCALAND VOCALAND
1997年9月 VOCALAND VOCALAND2 〜Male,Female & Mellow〜
2013年9月 相田翔子 This Is My Love

 

音楽プロデューサー「角松敏生」

 

角松さんはシンガーソングライターですが、他アーティストへの楽曲提供・プロデュースなど「プロデューサー」としての側面もあります。

特に女性アーティストへの楽曲提供やプロデュースが多く、2000年リリースのアルバム「The gentle sex 」は女性アーティストへ提供した楽曲をセルフカバーしたもの。

 

▼アルバム「The gentle sex 」(画像クリックで商品詳細へ)

 

このアルバムのツアーも行われ、収録曲以外の曲もセットリストに入り、とても素晴らしいライブでした。

こちらでは、角松さんのプロデュース作品についてご紹介したいと思います。

 

杏里

▲杏里さん

リリース年月 アーティスト プロデュース作品収録アルバム
1982年11月 杏里 Heaven Beach
1983年6月 杏里 Bi・Ki・Ni
1983年12月 杏里 TIMELY!!
1984年6月 杏里 COOOL

 

杏里さんのアルバム1982年「Heaven Beach」へ3曲提供。

そして1983年「Bi・Ki・Ni」、1983年「TIMELY!!」、1984年「COOOL」と、3枚のアルバムをプロデュース。

「Bi・Ki・Ni」では、1曲目~5曲目を、「TIMELY!!」「 COOOL」ではアルバムプロデュースとなっています。

 

「角松さんの初期のプロデュース作品と言えば杏里さん」というほど角松テイストの楽曲と杏里さんの伸びのある歌声がとてもマッチしていて、どのアルバムも、どの楽曲も名作ぞろい。

 

「Bi・Ki・Ni」、「TIMELY!!」、「COOOL」。

この3枚のアルバムはぜひとも聴いてほしいです。

 

ダンサブルなものから、バラードまで角松さんのソングライティングが楽しめます。

角松ファンという事を除いても、杏里さんのグルーヴィーなボーカルの魅力に取りつかれること間違いなしです。※グルーヴィー=クールでかっこいい

 

アルバム「COOOL」に収録されているシングル「I CAN’T EVER CHANGE YOUR LOVE FOR ME」は角松さんのアルバム「The gentle sex」でセルフカバー。

 

 

また、角松作品ではないものの、アルバム「COOOL」に収録されているシングルで名バラード「MERCURY LAMP 水銀燈」は「The gentle sex」のツアーでは歌われ、それを聴いてとてもとても感動しました。

 

 

▼「Heaven Beach」(画像クリックで商品詳細へ)

▼アルバム「Bi・Ki・Ni」(画像クリックで商品詳細へ)

▼アルバム「TIMELY!!」(画像クリックで商品詳細へ)
▼アルバム「 COOOL」(画像クリックで商品詳細へ)


 

杏里への提供曲/プロデュースアルバム一覧

※聴く方法は「CD」「Amazon Music」「レコチョク」などを独自調査し可能な方法を掲載しております。

 

「Heaven Beach」への提供曲
曲番号 タイトル
1 二番目のaffair
2 Last Summer Whisper
5 Fly By Day
▼聴く方法
Prime Music(試聴可)
AmazonMP3(試聴可)
レコチョク(試聴可)
CD

 

「Bi・Ki・Ni」への提供曲
曲番号 タイトル
1 Good Bye Boogie Dance
2 Dancin’ Blue
3 September Walkin’
4 Lady Sunshine
5 Yes I’m In Love
▼聴く方法
Prime Music(視聴可能)
amazonMP3(視聴可能)
レコチョク(視聴可能)
CD

 

▼プロデュースアルバム

プロデュースアルバム 聴く方法
TIMELY!! Prime Music(視聴可能)
amazonMP3(視聴可能)
レコチョク(視聴可能)
CD
COOOL Prime Music(視聴可能)
amazonMP3(視聴可能)
レコチョク(視聴可能)
CD

 

西城秀樹

▲西城秀樹さん

リリース年月 アーティスト プロデュース作品収録アルバム
1985年7月 西城秀樹 TWILIGHT MADE…HIDEKI

 

1985年「TWILIGHT MADE…HIDEKI」

このアルバムは本当に名盤、西城さんの圧倒的なボーカルが素晴らしく、ぜひ聴いてほしい作品です。

このアルバム「TWILIGHT MADE…HIDEKI」は、西城さんは角松さんの音楽を高く評価していて、一緒に作品を創りたいと思い角松さんに声がかかったとの事。

収録曲である「BEAT STREET」はとてもカッコよくて、西城さんじゃないとこんなにカッコよく歌えないだろうな~と思います。

また、「PLATINUMの雨」は美しいミディアムバラードで、いつか角松さんにカバーしてほしいなぁと思います。

 

全曲、西城さんのボーカルが冴え渡るとてもカッコよく心地よいアルバムです。
いつまでもお元気でまたカッコよく歌ってほしかった…本当に偉大なボーカリストだと思います。

 

▼アルバム「TWILIGHT MADE…HIDEKI」(画像クリックで商品詳細へ)

 

西城秀樹「TWILIGHT MADE…HIDEKI」への提供曲一覧

 

▼TWILIGHT MADE…HIDEKIへの提供曲
曲番号 タイトル
1 SWEET SURRENDER
2 BEAT STREET
5 PLATINUMの雨
9 TELEVISION
▼聴く方法
CD
LP

 

中山美穂

▲中山美穂さん

リリース年月 アーティスト プロデュース作品収録アルバム
1986年7月 中山美穂 SUMMER BREEZE
1988年2月 中山美穂 CATCH THE NIGHT

 

中山美穂さんは現在は女優としての活動が多いですが、元々はアイドルとしてデビューし歌でもドラマでも大活躍しました。

美穂さんの1986年のアルバム「SUMMER BREEZE」へは3曲提供。

 

アルバム「SUMMER BREEZE」の中の1曲が「You’re My Only Shinin’ Star」。

角松ファンにも美穂さんファンにも大人気の、名曲中の名曲と言える曲だと思います。

 

他にも1986年のアルバム「CATCH THE NIGHT」をプロデュース。

こちらのアルバム「CATCH THE NIGHT」には、大ヒット曲となったシングル「CATCH ME」や角松ファンの人気も高い「花瓶」を収録。

「CATCH ME」に代表されるように、当時のユーロビート・打ち込み主流のダンサブルなナンバーが多いです。

 

用語解説

・ユーロビート・・・電子楽器を使用したダンスミュージック。
・打ち込み・・・演奏データをソフトに事前に入力しておいて、それを再生することで演奏すること。
・ダンサブルなナンバー・・・踊るのに適した曲。

 

「CATCH ME」は私自身も大好きな曲。

角松さんのファンであるとともに美穂さんのファンでもあった私は、角松さんが美穂さんの曲を創ることがとっても嬉しかったです。

美穂さんと同年代の私は、当時、美穂さんの髪型やおしゃれを真似していました。

 

▼中山美穂の髪型の例

 

高校生の私にとって角松さんは大人すぎて

「美穂ちゃん、角松さんと何話すんだろう~?」

なんて思っていました(笑)

アルバム「CATCH THE NIGHT」に収録されている「SHERRY」は角松さんのアルバムに収録されていてもいいような曲だと思っていてとても好きな曲です。

 

▼アルバム「SUMMER BREEZE」(画像クリックで商品詳細へ)

▼アルバム「CATCH THE NIGHT」(画像クリックで商品詳細へ)

 

中山美穂への提供曲/プロデュースアルバム一覧

 

「SUMMER BREEZE」への提供曲
曲番号 タイトル
3 Leave Me Alone
7 Rising Love
10 You’re My Only Shinin’ Star
▼聴く方法
CD

 

▼プロデュースアルバム

プロデュースアルバム 聴く方法
CATCH THE NIGHT CD

 

VOCALAND

 

リリース年月 アーティスト プロデュース作品収録アルバム
1996年7月 VOCALAND VOCALAND
1997年9月 VOCALAND VOCALAND2 〜Male,Female & Mellow〜

 

エイベックスのボーカリスト発掘プロジェクトである「VOCALAND」。

1996年「VOCALAND」1997年「VOCALAND 2」をプロデュース。

 

どの女性ボーカルも魅力があり、とても楽しめる作品となっています。

「VOCALAND」収録の、今は女優としてミュージカルや舞台で活躍している吉沢梨絵さんの「Give it up」や梨絵さんのシングル「サヨナラは口ぐせ」「ALL OF YOU」が大好きです。

 

VOCALAND

アルバム「VOCALAND」は、オーディションで選ばれた新人女性アーティストが参加したコンピレーションアルバムです。

グループ全員で歌うのではなく、一人一人のアーティストが個性的な歌を披露してくれています。参加メンバーは、元CCガールズの藤原理恵さん以外は、当時世間にはほとんど知られていなかったメンバーです。

 

▼アルバム「VOCALAND」(画像クリックで商品詳細へ)

▼アルバム「VOCALAND 2」(画像クリックで商品詳細へ)

 

VOCALANDプロデュースアルバム一覧

 

プロデュースアルバム 聴く方法
VOCALAND CD
VOCALAND 2 CD

 

相田翔子さん他


▲相田翔子さん、アルバム 「This Is My Love 」(画像クリックで商品詳細へ)

 

リリース年月 アーティスト プロデュース作品収録アルバム
2013年9月 相田翔子 This Is My Love

 

2013年リリースの相田翔子さんのアルバム「This Is My Love 」の中の「for you 」というとても優しく暖かいバラードを角松さんは提供。

相田さんは憧れの角松さんに楽曲提供してもらったことをとてもとても喜んでいました。

【参考:相田さんの公式ブログ】http://gree.jp/aida_shoko/blog/entry/667894560

 

相田さんも美穂さんと同じく私と同年代。

やはり私たち世代にとって、角松さんはカッコよく憧れの存在だったのですね。

 

この他にも、中森明菜さん、岩崎宏美さん、元バービーボーイズのKONTAさんや、角松さん関連のミュージシャンなどのプロデュース作品もあります。

角松さんのプロデューサーとしての才能も感じて頂ければ、と思います。

 

相田翔子への提供曲一覧

 

▼アルバム「This Is My Love 」への提供曲
曲番号 タイトル
1 for you
▼聴く方法
CD

 

その他アーティストへの角松敏生提供曲一覧

 

中森明菜、アルバム「BITTER AND SWEET」

アルバム「BITTER AND SWEET」への提供曲
曲番号 タイトル
6 UNSTEADY LOVE
9 SO LONG
▼聴く方法
CD

 

岩崎宏美、アルバム「SHOWER OF LOVE +5」

▼アルバム「SHOWER OF LOVE +5」への提供曲
曲番号 タイトル
3 (I LOOK)IN YOUR EYES
4 時の向こうがわ
▼聴く方法
CD

 

元バービーボーイズのKONTA、角松敏生プロデュースアルバム「Jane Doe」

プロデュースアルバム 聴く方法
Jane Doe CD

 

『角松敏生入門』目次へ  (全15ページ)

 

 

目次著者

著者:しあ

40代後半女性。音楽が大好きでJ-POP K-POP 洋楽 演歌歌謡曲とさまざまな音楽を聴いています。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。全部チケットの半券をとっているのでとても大切な想い出です。音楽はとても生活を豊かにしてくれるもの。私の好きなアーティストの魅力を知っていただければ、と思います。

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角松敏生「隠れた名曲」4選「好きなアルバム」3選

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角松敏生氏をご存知ですか?洗練されたサウンドを今もなお創り続けるシンガーソングライターです。高校一年生から角松氏を追いかける著者が角松敏生氏の魅力に迫ります!

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こちらでは、角松さんの隠れた名曲と私の好きなアルバムについてご紹介します。

 

筆者厳選!隠れた名曲一覧

 

曲名 収録シングル 聴く方法
PINK MOON この駅から…(1991・18th) CD
ハミルトンの夏休み 夜をこえて(1992・21st) CD
Fly-By-Day Do You Wanna Dance(1983・1st(12インチ)) CD
THE BEST OF LOVE(LIVE VERSION) THE LOST LOVE(1992・20th) CD

※聴く方法は「CD」「Amazon Music」「レコチョク」などを独自調査し可能な方法を掲載しております。

 

筆者が好きなアルバム一覧

 

アルバム 聴く方法
GOLD DIGGER(1985) CD
T’s BALLAD(1985) CD
Touch And Go(1986) CD

※聴く方法は「CD」「Amazon Music」「レコチョク」などを独自調査し可能な方法を掲載しております。

 

角松敏生「隠れた名曲」4選

1 PINK MOON(1991)


▲シングル「この駅から…」

 

1991年のシングル「この駅から…」のカップリング。

隠れた名曲No.1 とも言える、ファンの間ではとても人気の高い曲。

「PINK MOON」というタイトルもとってもかわいい。

オリジナルアルバム、ベストアルバムには収録されておらず、縦長の8cmシングルで今は廃盤となっています。

 

少しすれ違ってしまっている二人…

「こんな素敵な夜はいつもなぜか君といられない」

と、桃色の月を見ながら想う男性の気持ちが、やさしく暖かくメロウな曲に乗せて描かれています。

 

メロウ
豊かだ美しい、円熟したというような意味

 

時々、月がピンク色の時がありますよね。

PINK MOONの夜にはこの曲が聴きたくなります。

初めて聴いた時から、今でもずっと、私の心の中にある大好きな曲です。

 

 

2 ハミルトンの夏休み(1992)


▲シングル「夜をこえて」

 

1992年のシングル「夜をこえて」のカップリング。

この曲もオリジナルアルバム、ベストアルバムには未収録で廃盤となっています。

インストゥルメンタルで、角松さんのギターがとっても気持ちいい曲。

角松さんのギターと本田雅人さんのSAX (サックス)が爽快で、曲とタイトルがぴったり。

 

本田雅人
大人気フュージョンバンド「T-SQUARE」の元メンバー。日本一有名なサックスプレイヤーとも言われる。

▼本田雅人氏

 

「ハミルトンの夏休み」は子供服メーカーMIKI HOUSEのCMソングだったので、テレビからよく流れていました。

子供のかわいい笑顔が印象的なCMで、曲ととても合っていました。

 

 

3 Fly-By-Day(1983)

 

1983年の12インチシングル「DO YOU WANNA DANCE」に収録。

杏里さんへ提供した楽曲のセルフカバーで、このシングルのみに収録で未CD 化。
杏里さんVer.とは、アレンジが少し変わっていて素敵。

この曲も秘かに人気の高い曲なんです。

 

杏里
1978年に「オリビアを聴きながら」でデビュー。角松氏が手掛けた「悲しみがとまらない」が大ヒット。角松氏のプロデュースしたアーティストの中の代表的存在。

 

角松さんが女性アーティストへの提供曲をセルフカバーしたアルバム「The gentle sex」。

このアルバムには収録されませんでしたが、このアルバムのツアーで、「Fly-By-Day」を歌ったんです。

それはそれは盛り上がりました~。

私も、とっても好きな曲なので聴けてうれしかったです。

 

 

 

4 THE BEST OF LOVE(Live Version)(1992)


▲アルバム「TOUCH AND GO」

 

1992年のシングル「THE LOST LOVE」のカップリング。

オリジナルは1986年のアルバム「TOUCH AND GO」に収録されています。

このVer. はこのシングル「THE LOST LOVE」のCDでしか聴けませんが、こちらも廃盤となっています。

 

Live Version がめちゃめちゃカッコいいです!!

間奏のギターのカッティング、ベースソロ、コーラス…ライブの臨場感にあふれていて最高なんです。

角松さんが凍結してしまった時には、この曲をよく聴いて寂しさを紛らわせていました。

いつかまた角松さんのライブに行きたい、と思いながら…。

 

 

好きなアルバム3選

 

角松さんの名曲をご紹介するにあたり、とても悩みました。

曲数が多く、どれもクオリティが高く素晴らしいもので、私自身好きな曲ばかりだからです。

なので、もっともっといろんな曲を紹介したいけれど、全曲紹介するには膨大な数になってしまいます。

過去から現在進行形で、角松さんが素晴らしいシンガーソングライターであることを踏まえたうえで、あえて私が高校生の時に角松さんと出逢った、3枚のアルバムを「好きなアルバム」としてご紹介させてください。

 

▼1985年「GOLD DIGGER」

▼1985年「T’s BALLAD」

▼1986年「TOUCH AND GO」

 

この3枚のアルバムは、私が高校生の時にリリースされたもので、何度も何度も何度も聴いていた大好きなアルバム。

初めて角松さんの音楽を聴いた時、「こんなにカッコいい音楽があるのか~!」と感動したその気持ちは今も色褪せていません。

 

「TOUCH AND GO」に収録されている「1975」という曲。

1975年、角松さんは15歳。

歌詞の中で「心はあの時のままだよ」と1975年当時に思いを馳せています。

間奏でのラップ~コーラス部分で、角松さんが当時聴いていたであろう、シュガー・ベイブ、ティン・パン・アレー、サディスティック・ミカ・バンド、センチメンタル・シティ・ロマンスなどの名前が出てきます

※こちらのアーティストについては、第1章「角松敏生氏の歴史」で詳しく解説しています。(このページは第3章)

 

青春時代に聴いた曲というのは、いつまでも色褪せず心に残っているもの。

私も角松さんと同じ。

 

この3枚のアルバムも30年以上たっているのに全然古臭くない、カッコいい!

私にとっての角松サウンドの原点であり、角松敏生らしさ満載のアルバムだと思います。

今も、角松さんのどのアルバムにもこの角松らしさが感じられるので、私は角松さんの音楽に魅了され続けているのかな、と思います。

 

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目次著者

著者:しあ

40代後半女性。音楽が大好きでJ-POP K-POP 洋楽 演歌歌謡曲とさまざまな音楽を聴いています。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。全部チケットの半券をとっているのでとても大切な想い出です。音楽はとても生活を豊かにしてくれるもの。私の好きなアーティストの魅力を知っていただければ、と思います。

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