『角松敏生』入門 ~こだわり抜かれたサンウンドの世界~はこちらから!
第1章 角松敏生の歴史
第2章 角松敏生の魅力
第3章 角松敏生の楽曲
著者:しあ
40代後半女性。音楽が大好きでJ-POP K-POP 洋楽 演歌歌謡曲とさまざまな音楽を聴いています。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。全部チケットの半券をとっているのでとても大切な想い出です。音楽はとても生活を豊かにしてくれるもの。私の好きなアーティストの魅力を知っていただければ、と思います。
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▼このページで解説する時代
角松敏生の歴史 90年代・凍結
年表
年月 | 出来事 |
1985年5月 | アルバム「GOLD DIGGER」 |
1987年7月 | インスト「SEA IS A LADY」 |
1988年2月 | 中山美穂「You’re My Only Shinin’ Star」 |
1989年9月 | 8作目アルバム(内省的歌詞) |
1990年7月 | インスト「Legacy of You」 |
1991年7月 | 9作目アルバム(内省的歌詞) |
1992年7月 | 10作目アルバム(内省的歌詞) |
1993年1月 | 活動凍結 |
【1987年~1990年】2枚のインストアルバム
1987年にリリースしたインストゥルメンタル(インスト)アルバム「SEA IS A LADY」が好評で、2枚目のインストアルバム「LEGACY OF YOU」を1990年にリリースします。
▼「SEA IS A LADY」1987年7月リリース(画像クリックで商品詳細へ)
▼「Legacy of You」1990年7月リリース(画像クリックで商品詳細へ)
角松さんの歌詞の特徴として「ほとんどのものがノンフィクション」と言われています。
「自分の思ったことしか書けない、身を削って創る」
と言う角松さん。
彼の性格として、自分に正直にしか生きられない、嘘がつけない、というものがあると思うのです。
歌詞を読むと、その時の角松さんの心情が見て取れるよう。
なので、歌詞の多くに出てくる女性は、誰かしらをイメージして創られていると思います。
この2枚のインストアルバムの曲のタイトルには、サブタイトルとして女性の名前がつけられています。
歌詞で表現する代わりに、名前を付けることで気持ちを込めているのでしょうか。
▼「SEA IS A LADY」タイトル一覧(太字は編集により)
1 | WAY TO THE SHORE“ERI” |
2 | SEA LINE“RIE” |
3 | NIGHT SIGHT OF PORT ISLAND“MIDORI”(NIGHT FLIGHT OF DC-10) |
4 | SEA SONG“NAOMI” |
5 | SUNSET OF MICRO BEACH“SATOKO” |
6 | OSHI-TAO-SHITAI“KAORI ASO”(MEMORIES OF DUSSELDORF) |
7 | 52ND STREET“AKIKO” |
8 | THE BASS BATTLE“CHAKO” |
9 | MID SUMMER DRIVIN“REIKO” |
10 | LOVIN’ YOU“SAWAKO” |
11 | SEA SONG (REPRISE) |
12 | JUNE BRIDE (Instrumental) ※LP未収録 |
▼「Legacy of You」タイトル一覧
1 | Premonition of Summer (KIYOMI)|Suma (MIDORI) |
2 | 飛翔 (SAYURI) |
3 | At Canal St Club (MISAKO) |
4 | 流氷 (YURIKO) |
5 | Mystical Night Love (CHISATO’S Dream) |
6 | Tsugaru (KEIKO) |
7 | Stress by ストレス (CHISATO M.) |
8 | Twilight River (YUKARI) |
9 | Daylight of Alamoana (YUKO) |
10 | NH-CA’s Struttin (Crossing at Airport) (SANAE) |
11 | Parasail (at Ramada Beach) (REIKO) |
12 | SATO |
【1990年代】内生的な歌詞のアルバム3作
2018年現在、角松さんは2008年に再婚し、女の子が一人います。
実は、角松さんは1987年ごろに一度結婚しています。
そして奥様とは別にもう一人の愛する女性がいました。
この事については、当時のファンクラブの会報に角松さんからのメッセージが載っていました。
過去のことであり、今現在、家庭を持ち幸せそうな角松さんなので詳しくは触れませんが、この女性との事が1980年代後半から凍結までの角松さんの音楽の多くを占め、とても内省的な歌詞になってきています。
【内生的な歌詞の時期の3アルバム】
▼8作目アルバム「REASONS FOR THOUSAND LOVERS」1989年9月(画像クリックで商品詳細へ)
▼9作目アルバム「ALL IS VANITY」(9作目)1991年7月(画像クリックで商品詳細へ)
▼10作目アルバム「あるがままに」1992年7月(画像クリックで商品詳細へ)
1992年リリースの活動凍結前の最後のアルバム「あるがままに」は、とても個人的なアルバムと位置付けられており、ある一人の女性に捧げるものとなっています。
ブックレットの最後にはこう記されています。
「if my music cannot change your mind, Music does no longer make sense to me.(私の音楽があなたの心を変えることができないならば、私にとって音楽はもはや意味をなさない)」
角松さんは愛する女性から、「あなたの音楽は私にとって何の意味もなかった」と言われたそう。
「一人の女性のために創られた」ということなのでアルバムの歌詞も、ブックレットの言葉からも切々と想いが感じられます。
私は、このアルバムを聴いてこれほどまでに自分の身を削って音楽を創るのか・・・というとても心が震えました。
私は、このアルバムの中の「あるがままに」という曲が大好きで、部屋にこの歌詞をずっと飾っていました。
【1993年】無期限活動休止 ~凍結~
1993年1月27日、日本武道館でのライブを最後に活動を凍結、無期限の活動休止とします。
「凍結」という表現になったのは、活動休止でもなく引退でもなくいつまで休止か本人もわからないことが理由だと思います。
二人の女性との別離、中でも奥様ではなかった女性との別離が、とても角松さんの心に影を落とした事が原因の一つであるということを角松さんの作品から見て取れました。
ですが、音楽業界への絶望や自身の活動、パフォーマンスの行き詰まりなども理由にあげており、いくつかの要因が重なって「凍結」となったようです。
このファイナルライブはビデオ化され、私も購入して見ました。
ファイナルライブというとても悲しく寂しいことを除けば、角松さんのライブパフォーマンスはとても素晴らしくカッコいいものでした。
ファンの多くは、これが最後ということで集まっており、それぞれの中の角松さんとの想い出に涙を流す人の姿も・・・。
▼FINAL CONCERT TOUR Vol.1 [VHS](画像クリックで商品詳細へ)
ライブ終盤、角松さんのMCの最中、男性ファンが
「ガタガタ言ってねえで続けりゃあいいんだよ!」
と声を飛ばしました。
角松さんは、怒って目の前のスピーカーを蹴っ飛ばします。
「今、こう言った人は何かを辞めたことがない人だと思います。」と。
ファイナルライブなのにファンと喧嘩・・・。
その男性もよっぽど角松さんの凍結が悲しかったのだと思います。
角松さんも
「こんな風にいきなり辞めるということは、ファンのことを考えていないとさんざん言われた」
と語っています。
辞めたくて、辞めるのではなく、続けられなかった・・・という状態だったのでしょうか。
それでも、「最後ぐらいみんなでキチっと一つにまとまろうよ。ねっ」と笑顔でファンへ語りかけます。
男性ファンが(同じ人物か不明)「やりたくなったらまたやればいいよ」と。
「ま、そういうこったな」と角松さん。
角松さんもファンも涙、涙で、ファイナルライブの幕は下りたのでした。
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はじめに
第1章 角松敏生の歴史
第2章 角松敏生の魅力
第3章 角松敏生の楽曲
著者:しあ
40代後半女性。音楽が大好きでJ-POP K-POP 洋楽 演歌歌謡曲とさまざまな音楽を聴いています。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。全部チケットの半券をとっているのでとても大切な想い出です。音楽はとても生活を豊かにしてくれるもの。私の好きなアーティストの魅力を知っていただければ、と思います。
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