東映実録映画入門 ~実話を元にしたヤクザ映画~はこちらから!
第1章 東映実録映画の基礎知識
第2章 東映実録映画の題材になった事件
『実録外伝 大阪電撃作戦』のモデルになった【明友会事件】解説
第3章 おすすめ実録映画7選
実録外伝 大阪電撃作戦 【おすすめ実録映画(ヤクザ映画)7選】
第4章 実録映画の魅力的な俳優6選
著者:國谷正明
北関東在住の1児のパパ。フリーランスのライターとして、ゲームのシナリオや小説の執筆、記事作成を中心に活動しています。「ノワール文学」、「エキゾチックアニマル」、「昆虫」などのコンテンツ作成も手掛ける。お問い合わせはこちらから
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『東映実録映画入門』目次へ (全21ページ)
東映実録映画は、実際の事件に基づいて製作されたヤクザ映画です。そのため、複雑な人間模様を含んでおり、一見しただけでは全体像を把握することが難しい作品も多いです。
実際の事件の大まかな流れを掴んでおくことは、作品の全体像を理解する手助けとなるでしょう。
この章では東映実録映画の題材となった実際の抗争事件である【広島抗争】【明友会事件】【沖縄抗争】【三国事件】をご紹介していきます。
このページでは「仁義なき戦い」五部作および「新仁義なき戦い」の題材となった【第一次~第三次広島抗争】について相関図などを交えてわかりやすくご紹介していきます。
目次
広島抗争とは
「広島抗争」とは1950年頃~1970年頃にかけて行われた広島での暴力団同士の抗争のことです。
主に三つの時期に分けられます。
・第一次広島抗争(1946年~1963年)
・第二次広島抗争(1963年~1964年)
・第三次広島抗争(1964年~1970年)
第一次~第三次抗争は地続きであるため、明確な区切りはありません。
山口組と本多会の代理戦争が第二次抗争、それ以前を第一次、共政会の内部紛争を第三次抗争と見る向きが多いようです。 (これらの抗争については下記で解説)
第一次広島抗争(1946年~1963年)
第一次広島抗争の動因は、テキ屋系組織・村上組と博徒系組織・岡組による広島駅周辺の闇市の利権をめぐる対立でした。
終戦直後から闇市を支配していた村上組に対し、岡組は新興ながら駅周辺の警備を国鉄当局から請け負うなど順調に勢力を伸ばしていました。
村上組が岡組に殴り込んだことをきっかけに抗争は激化し、両組織とも多数の死傷者を生じましたが、村上組の壊滅で抗争は幕を閉じました。
村上組との抗争に勝利した岡組が広島市最大の勢力として確固たる地位を築いていく一方で、呉市では山村組が急速に勢力を伸ばし、博徒系組織・土岡組を圧倒していました。
ちなみに、山村組々長・山村辰雄氏は岡組々長・岡敏夫氏の兄貴分にあたります。
また、その背後では岡氏の舎弟である打越組々長・打越信夫氏が岡組の継承者としての地位を確立するべく界隈の有力者たちと兄弟盃を交わしていきますが、さらなる実力者との盃縁組を望んだ打越氏は山口組との結縁に向けて動き出しました。
※イラストは理解しやすくすることを目的とし挿入しております。実際の人物とビジュアル等は異なります。
そして打越氏は山口組幹部らの仲介で山口組舎弟・安原政雄氏と兄弟盃を交わします。
しかし打越氏の思惑とは裏腹に、岡組の跡目に就任したのは山村氏でした。
打越氏からすると「継承者になるためにがんばっていたのに、岡組の代表になったのは山村氏であったこと」は予想外のでした。
そんな折に山村組と打越組の下部組織同士の間で抗争が勃発し、事態の拡大を恐れた打越氏は自らの指を詰めて山村氏に詫びを入れます。
打越氏は強い味方がいなくなって誰とも戦うこともできなくなり、広島で孤立した状態になってしまいました。
身動きの取れなくなった打越氏は窮状を脱するため三代目山口組々長・田岡一雄氏の舎弟分となり、山口組の傘下にくだりました。
一方、山村組は山口組と拮抗していた本多会と手を結び、「山口組中国支部・打越会」と名を改めた打越組に対抗を図りました。
以降、広島抗争は山口組と本多会の代理戦争の様相を呈していきます。
第二次広島抗争(1963年~1964年)
山村組が同組の幹部でありながら山口組寄りの立場にあった美能幸三氏を破門に処するなど、両組織の対立が次第に深まっていきました。
そんな最中、美能組幹部・亀井貢氏が山村組に射殺される事件が起こりました。
美能組の幹部・亀井氏を射殺したのは山村組の人間です。
美能氏は打越氏と同様に山口組側についていたので、この襲撃によって打越会と山村組(岡組)の抗争が激化し、血腥い(ちなまぐさい)展開をたどっていきます。
打越会の劣勢に業を煮やした山口組がさまざまな策略を練るも山村組の勢いは衰えず、ついには山口組本部への襲撃を許してしまいます。
山口組はすぐさま本多会の事務所に銃弾を撃ちこみ、山口組と本多会の抗争が危ぶまれましたが、両組織トップの兄弟分であった神戸港湾の実力者・向井繁人氏らの仲介によって手打ちとなり、事態は収束に向かいました。
第三次広島抗争(1964年~1970年)
山口組と本多会の手打ちをきっかけに抗争が自然消滅的に収束すると、山村は地元広島の組織に呼びかけて、政治結社「共政会」を発足します。
共政会の初代会長に山村辰雄氏、副会長には第一次広島抗争で岡組に破れた村上組々長・村上正明氏が就任しました。
昭和42年には共政会と打越会の手打ち(和解が成立)によって打越会は解散し、広島のヤクザ社会は共政会の天下となります。
山村氏が引退し、山村組若頭・服部武氏が共政会の二代目を襲名すると、服部体制に反発した初代幹事長・山口英弘氏は引退を表明し「十一会」を旗揚げします。
服部氏はさまざまな火種を抱えながらも二代目会長の任を貫徹し、理事長(組長の次に地位が高い)の山田久氏(理事長服部氏直系の舎弟)に会長の座を明け渡しましたが、襲名式の六日前、山田氏は十一会に襲撃されて重傷を負います。
山田氏が十一会に襲撃された理由は、服部氏が二代目会長に就任した際に直系の若衆である山田氏を理事長に任命したこと。
さらに三代目の会長を襲名させるなど、旧岡・山村組系の人間が発言権を強めていくことに対する反発心と危機感が原因であると推測されます。
襲撃を受けた山田氏は医師の立ち会いのもとで襲名式を強行し、三代目会長に就任しますが、十一会との対立は昭和45年(1970年)まで続きました。
「広島抗争」を題材にした作品一覧・鑑賞方法
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はじめに
第1章 東映実録映画の基礎知識
第2章 東映実録映画の題材になった事件
『実録外伝 大阪電撃作戦』のモデルになった【明友会事件】解説
第3章 おすすめ実録映画7選
実録外伝 大阪電撃作戦 【おすすめ実録映画(ヤクザ映画)7選】
第4章 実録映画の魅力的な俳優6選
著者:國谷正明
北関東在住の1児のパパ。フリーランスのライターとして、ゲームのシナリオや小説の執筆、記事作成を中心に活動しています。「ノワール文学」、「エキゾチックアニマル」、「昆虫」などのコンテンツ作成も手掛ける。お問い合わせはこちらから
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