『角松敏生』入門 ~こだわり抜かれたサンウンドの世界~はこちらから!
第1章 角松敏生の歴史
第2章 角松敏生の魅力
第3章 角松敏生の楽曲
著者:しあ
40代後半女性。音楽が大好きでJ-POP K-POP 洋楽 演歌歌謡曲とさまざまな音楽を聴いています。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。全部チケットの半券をとっているのでとても大切な想い出です。音楽はとても生活を豊かにしてくれるもの。私の好きなアーティストの魅力を知っていただければ、と思います。
お問い合わせはこちらから
『角松敏生入門』目次へ (全15ページ)
▼このページで解説する時代
角松敏生の歴史 凍結中の活動
年表
年月 | 出来事 |
1993年1月 | 無期限活動休止 |
1993年10月 | ベスト盤リリース |
1995年8月 | 「AGHARTA I」 |
1996年7月 | 「VOCALAND」 |
1997年5月 | 「ILE AIYE~WAになっておどろう」 |
1997年9月 | 「VOCALAND 2」 |
1997年11月 | 吉沢梨絵「Never Gonna Miss You」 |
1998年2月 | 長野オリンピック |
1998年5月 | 解凍 |
【1993年】ベスト盤「1981-1987」をリリース
活動を凍結することになり、例えば飲食店など音楽以外の仕事も考えたそうですが、事務所の説得などもあり、音楽の仕事は続けることに。
武道館ファイナルライブの編集、凍結後にリリースされたベスト盤(ベストアルバム)「1981-1987」などを制作。
▼ベスト盤「1981-1987」1993年10月リリース
この「1981-1987」がとても素晴らしいです。
ベスト盤と言ってもただ過去の曲を収録しただけではありません。
全20曲中15曲をリテイクしており、アレンジなどサウンド面も変わっています。
サウンドに対する強いこだわりを持つ角松さんですから、以前自分の思うようになしえなかったサウンド創りを、このアルバムではリメイクすることに成功。
オリジナルバージョンの方がいいという人もいるかと思うのですが、どちらも楽しめばいいと思うのです。
また、初CD化されたものが9曲も収録されており、ファンにとっては凍結中の最高の贈り物。
サウンドのカッコよさはもちろん、角松さんのボーカルがとても素晴らしい。
初期の曲のリテイクでは、当時のまだ初々しいボーカルに比べとてもボーカルスキルが上がっていて、角松さんの魅力であるさわやかな声が更に際立っています。
女性ボーカル発掘プロジェクト「VOCALAND」
角松さんのファンであったエイベックスの松浦勝人氏から、女性ボーカル発掘プロジェクトの製作を打診され「VOCALAND」を立ち上げます。
「VOCALAND」「VOCALAND 2」のアルバムをリリース。
▼アルバム「VOCALAND」1996年7月(画像クリックで商品詳細へ)
アルバム「VOCALAND」は、オーディションで選ばれた新人女性アーティストが参加したコンピレーションアルバムです。
グループ全員で歌うのではなく、一人一人のアーティストが個性的な歌を披露してくれています。参加メンバーは、元CCガールズの藤原理恵さん以外は、世間にはほとんど知られていないメンバーです。
「VOCALAND」に収録されている伊藤恵子さん、藤井喜代里さんが歌う「さよならのプリズム」はシティポップ感溢れるナンバーでWebon編集者(30代男性)おすすめの曲。
▼アルバム「VOCALAND 2」1997年9月(画像クリックで商品詳細へ)
VOACALANDでプロデュースされた人物の一人、吉沢梨絵さんと角松さんがデュエットした「Never Gonna Miss You」は今でもとても人気の高い曲です。
このシングルがリリースされた翌年に行われた角松さんの解凍後のライブでは吉沢さんとデュエットしたことも。
▼吉沢梨絵
▼シングル「Never Gonna Miss You」1997年11月(画像クリックで商品詳細へ)
吉沢さんは、もともと子供の頃から女優として活動をしており、この「VOCALAND」以降、自身のアルバムもリリース。
その後、劇団四季に入団し、主演も務める(『マンマ・ミーア!』『赤毛のアン』『ふたりのロッテ』で主演)などとても高い評価を受けています。
退団後は舞台を中心に活動しており、互いのライブ、舞台を見に行ったりと交流は続いています。
覆面バンド「AGHARTA」
凍結中の活動で一番大きなものは、覆面バンド「AGHARTA」。
当初は謎の地底人として、泥棒のような頬かむり姿での活動でした。
▼インディーズ時代のアルバム「AGHARTA I」1995年8月リリース(画像クリックで商品詳細へ)
インディーズでのCDリリースでしたが、その後角松さんのメジャーレーベルからもリリースされます。
そんなAGHARTAの楽曲「WAになっておどろう」がNHK「みんなのうた」に採用されたこともあり、大きな話題となります。
▼シングル「ILE AIYE~WAになっておどろう」1997年5月リリース(画像クリックで商品詳細へ)
なんと、AGHARTAとしてテレビ朝日「ミュージックステーション」にも出演します。
その後、V6がカバーしたことでこの曲はさらに世間に知られることとなりました。
角松さんの話によると、当初V6にカバーさせるにあたり、ジャニー喜多川社長は
「AGHARTA? 覆面バンド? わけのわからんオッサンたちの歌を、うちの子たちに歌わせるわけにはいかん。」
と言ったそう。
でも、ジュリーさんが
「でも、このAGHARTAって角松敏生ですよ?」
と言ったら
「あっそうなの?じゃあいいや」
となったそうです。
長野オリンピック閉会式に出演
1998年の長野オリンピックの閉会式にも出演することになります。角松さんはAGARTAのメンバーの「長万部太郎」として出演しました。
「オリンピックのテーマ曲は、いろんな政治的しがらみから成り立っていて、いろんなものが何年も前から決まっているんですよ。だから人気が出たこの曲は、急遽マスコットのスノーレッツのテーマソングということで組み込まれたんですよ。」
と角松さん。
▼長野五輪のマスコットキャラクター「スノーレッツ」
閉会式へのオファーも角松さんは「生(放送)じゃないとやらない(演奏しない)」と。
それを受けた運営側も演出の故・浅利慶太氏に聞いたところ、それ(生演奏)はダメだと一度は突っぱねられますが、浅利氏が結局
「花火を打ち上げるまでが俺の演出だから、それ以降ならいいよ」
と承諾します。
それで、花火の間に準備して生演奏!
「そうしたら、自然発生に選手たちがみんな盛り上がって、あんな風なリオのカーニバル状態になったんですよ。生じゃないとあんなグルーブは生まれない」
と角松さん。
生演奏の時は、各国の選手が思い思いに歌ったり踊ったりと、お祭りの様相を呈した盛り上がりでした。
スピードスケート選手、岡崎朋美さんの肩に手をまわしている角松さんの姿は、メディアにバッチリと映っていました。
▼岡崎朋美さん
凍結中に所属事務所を独立し、自身の会社を立ち上げ社長となった角松さん。
さまざまなプロデュース活動、VOCALANDでの吉沢梨絵さんとのデュエットやAGHARTAの活動を経て、いよいよ解凍へと踏み出します。
『角松敏生入門』目次へ (全15ページ)
はじめに
第1章 角松敏生の歴史
第2章 角松敏生の魅力
第3章 角松敏生の楽曲
著者:しあ
40代後半女性。音楽が大好きでJ-POP K-POP 洋楽 演歌歌謡曲とさまざまな音楽を聴いています。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。全部チケットの半券をとっているのでとても大切な想い出です。音楽はとても生活を豊かにしてくれるもの。私の好きなアーティストの魅力を知っていただければ、と思います。
お問い合わせはこちらから