角松敏生の歴史【番外編】ファン視点で見る角松敏生の歩み

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角松敏生氏をご存知ですか?洗練されたサウンドを今もなお創り続けるシンガーソングライターです。高校一年生から角松氏を追いかける著者が角松敏生氏の魅力に迫ります!

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著者:しあ

40代後半女性。音楽が大好きでJ-POP K-POP 洋楽 演歌歌謡曲とさまざまな音楽を聴いています。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。全部チケットの半券をとっているのでとても大切な想い出です。音楽はとても生活を豊かにしてくれるもの。私の好きなアーティストの魅力を知っていただければ、と思います。

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ここまで「角松敏生の歴史」を紹介してきましたが、このページでは1980年代半ばからファンでありこの「角松敏生入門」著者でもあるしあ氏の視点で角松敏生の歴史を紹介いたします。

 

 

【1985年】角松さんとの出会い


▲カセットテープ:1985年頃、著者はこれに音楽をダビング(録音)していた。

 

▼角松敏生と著者の歩み簡易年表

角松敏生の出来事 著者の出来事
1985年 「GOLD DIGGER」
「T’s BALLAD」
リリース
高校一年生。角松敏生のアルバムをカセットテープで聴き夢中になる
1988年 中山美穂への提供曲「You’re My Only Shinin’ Star」リリース 中山美穂のヘアスタイルやファッションを真似る

 

私が角松さんと出会ったのは1985年、高校一年生の時です。

友達がカセットテープにダビングしてくれた「GOLD DIGGER」と「T’s BALLAD」のアルバム。初めて聴いた時「なんてカッコいいんだろう~!」と夢中になりました。

 

▼アルバム「GOLD DIGGER」1985年5月(画像クリックで商品詳細へ)

▼アルバム「T’s BALLAD」1985年11月(画像クリックで商品詳細へ)


 

角松さんの名前はなんとなく知っていましたが、私がよく読んでいた音楽雑誌には、小さくライブレポートなどが載るくらいで、表紙になったり大きな特集は組まれなかったと記憶しています。

スイングジャーナル社の雑誌、ADLIBではよく特集されていたことを後になって知るのですが、当時は知りませんでした。

 

▼ADLIB(画像クリックで商品詳細へ)

なので、角松さんがどんな人なのか、あまりよくわからないまま好きになっていました。

雑誌、コンサートイベンター発行のフリーペーパー、音楽から角松さんの人柄などを想像していて「角松さんカッコいい!」と憧れていました。

 

 

角松さんは私より9歳上で、主なファン層は当時の20歳以上のきれいな女性が多かったです。

角松ファンは私の周りには、先程お話したテープをダビングしてくれた同級生しかいませんでした。

 

その友達も、あるアマチュアバンドのファンで、そのメンバーである5、6歳上の男性から角松敏生を教えてもらったそう。

なので、高校生で角松敏生に出逢えたというのは、とてもラッキーなことだったと思っています。

 

私は高校生の時から音楽を好きになり、いろんな音楽を聴いていました。

1985年当時、よく聴いていたアーティストはロック系のアーティストが多かったので、角松さんは私の中でちょっと特別でした。

ロック系のこぶしを振り上げる音楽とは真逆の、おしゃれな音楽だったので、とても洗練されたその音楽に引き込まれていました。

 

【1992年】角松敏生のツアー初参加

▼著角松敏生と著者の歩み簡易年表

角松敏生の出来事 著者の出来事
1988年 中山美穂への提供曲「You’re My Only Shinin’ Star」リリース 中山美穂のヘアスタイルやファッションを真似る
1992年 ファイナルコンサートツアー「あるがままに」 ツアー初参加(20代前半)
1993年 日本武道館ライブ、凍結

 

高校生の時から、ライブによく行っていた私ですが、角松さんのコンサートは1992年のツアーが初めてでした。

しかもそれは、角松さん凍結前のファイナルツアー。

それまでも、地元にコンサートで来てくれていたのになぜ行かなかったかというと…

一緒に行く人がいなかったから…。

 

周りに角松さんのファンがいなかったし、私に角松さんを教えてくれた子も、杉山清貴&オメガトライブが一番好きだったので、角松さんには手が回らなかったのです。

 

杉山清貴&オメガドライブ
1983年「杉山清貴&オメガドライブ」として「サマーサスピション」でデビュー。ボーカルの杉山清貴は80年代Jポップのカリスマとも呼ばれる。

 

私も、角松さんは大人すぎて敷居が高く、一人で行く勇気がありませんでした。

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20歳を過ぎれば一人で行動することなんて何でもありませんが、高校生の時はちょっとできなかったのです。

 

初めての角松さんライブは別の友達が付き合ってくれました。

初めて観る、聴く角松ライブは感動で感動で…

と同時にこれが最初で最後なんだなぁ…と思いました。

でも、ライブの素晴らしさ、クオリティの高さに、凍結中にもかかわらずますます好きになっていきました。

 

【1997年】MステのAGHARTA出演の衝撃!

▼角松敏生と著者の歩み簡易年表

角松敏生の出来事 著者の出来事
1993年 日本武道館ライブ、凍結
1997年 AGHARTAとしてMステに出演 Mステに出演に驚く。電話確認。
1998年 武道館ライブ、解凍 福岡のツアーに参加

 

そうこうしているうちに、MステのAGHARTA出演です。

角松敏生で出演したこともないのに…。

AGHARTAの中では、角松敏生ではなく「長万部太郎」なんですが、その時はまだ知りません。

私は、このMステを生で見ていました。AGHARTAが出るとは知らずに。

 

出演者が階段を下りてきます、その中に頬かむりの怪しい集団 …。

なぜでしょう、一目で「んっ!?」と思いました。

タモリさんと話す長万部さんの、目を見て声を聞いて…

「これ角松さんだよね!?」。

同じく角松ファンの夫とパニック、大騒ぎです。

 

翌日「WAになっておどろう」のCDを買いに行き、レコード会社エイベックスに電話をしました。

自分で電話をするには恥ずかしかったので、友達の家に行って電話してもらいました。

「AGHARTAの長万部太郎さんって、角松敏生さんですか?」

「はい、そうです。」

ですって。

 

え~~~~っ!!もう衝撃でした。

 

【1998年】解凍ツアー「He is BACK」に参加


▲Blu-ray「TOSHIKI KADOMATSU CONCERT “He is Back” 1998.05.18 日本武道館」(画像クリックで商品詳細へ)

 

▼角松敏生と著者の歩み簡易年表

角松敏生の出来事 著者の出来事
1998年5月 武道館ライブ、解凍
1998年7月 ツアー「He is back」 福岡のツアーに参加

 

角松さんがプロデューサーとして注目されていて、ちょこちょこと雑誌などにも出ていたので、必死にアンテナを張り巡らし、小さな情報でも見逃さないようにしていました。

オフィスコーヒーサービス、ユニマットのCMにも出演していて、CMが流れるとキャーキャーと大騒ぎしていました。

そしてついに角松敏生解凍!

 

解凍のツアー「He is BACK」は福岡に参加しました。

角松さんがバーンっとステージに現れた時は涙が出ました。

何しろ凍結中は角松さんへの想いがとても大きくなっていたので。

 

「もう逢えないんじゃないか」とも思っていたので角松さんに再会できたことは本当にうれしかったです。

ファンクラブイベントで、初めて角松さんと握手した時も信じられない気持ちでした …。

出逢ったときから今現在まで、角松さんの音楽はずっと聴き続けています。

 

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著者:しあ

40代後半女性。音楽が大好きでJ-POP K-POP 洋楽 演歌歌謡曲とさまざまな音楽を聴いています。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。全部チケットの半券をとっているのでとても大切な想い出です。音楽はとても生活を豊かにしてくれるもの。私の好きなアーティストの魅力を知っていただければ、と思います。

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