角松敏生の歴史① 誕生・デビュー・80年代

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角松敏生氏をご存知ですか?洗練されたサウンドを今もなお創り続けるシンガーソングライターです。高校一年生から角松氏を追いかける著者が角松敏生氏の魅力に迫ります!

『角松敏生』入門 ~こだわり抜かれたサンウンドの世界~はこちらから!

著者:しあ

40代後半女性。音楽が大好きでJ-POP K-POP 洋楽 演歌歌謡曲とさまざまな音楽を聴いています。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。全部チケットの半券をとっているのでとても大切な想い出です。音楽はとても生活を豊かにしてくれるもの。私の好きなアーティストの魅力を知っていただければ、と思います。

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このページでは、角松敏生の1960年~1980年の活動について解説いたします。角松敏生の歴史を誕生から紐解くことで、角松さんが音楽を興味を持ち、どのようなアーティストに影響を受けたか、そしてデビューに至った過程を知ることができます。

 

▼このページで解説する時代

 

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角松敏生の歴史 1960年~1988年

 

年表

年齢 出来事
1960年 角松敏生誕生
1969年頃 「雨にぬれても」に出会う
1970年頃(小学生時代) ギターを始める
「ビートルズ」を聴くようになる
1970年代半ば(中学~高校) 「はっぴぃえんど」に衝撃
「シュガーベイブ」に夢中に
1979年 大学入学
1980年 デモテープがビクターへ
1981年 デビュー
1982 2作目アルバム
1983年 3作目アルバム
1984年 4作目アルバム
1985年 ニューヨーク最先端の音楽アルバム
1987年 中山美穂への提供曲「CATCH ME」
1988年 中山美穂への提供曲「You’re My Only Shinin’ Star」

 

角松敏生誕生~音楽との出逢い

 

角松敏生さんは1960年8月12日生まれのシンガーソングライターです。

角松さんの父親が放送関係の仕事をしていたこともあり、幼少期からポップス(ポピュラーソング)に触れる機会が多かったそうですが、母親は角松さんがポップスにのめり込むことをあまりよく思わなく、クラシックを聴かせていたそうです。

 

そんな角松さんが最初に魅了された曲が、バート・バカラックの「雨にぬれても」でした。

 

「雨にぬれても」
「雨にぬれても」の原題は「Raindrops Keep Fallin’ On My Head」。バート・バカラックはこの曲の作曲者であり、歌っているのはB.J.トーマス。西部劇「明日を向かって撃て!」の挿入歌として使われた。

 

この曲の素晴らしさに感動したことは今でも印象に残っており、自分と音楽との出逢いとして事あるごとにこの曲をあげています。

 

小学生時代

 

角松さんは、小学生の時にギターを手にします。

今でもとても細身の角松さんですが、小さい頃は体も細く弱いところがあり「みそっかす」だったと本人談。

 

それが

「謝恩会でギターをバーン!と弾いたら、みんなの目が変わって。あいつすげえ!って(笑)人間、何か一つ武器を持つと周りの目が変わるんですね。」

と語っていました。

そして、小学生の頃にビートルズを聴くようになります。

 

<編集部コラム>ビートルズと角松敏生
角松さんは5、6歳くらいの時にビートルズの音楽に触れて、本格的にハマりだしたのは小学5年生頃だと言います。小学生でLPレコードを買えなかったため、ラジカセでラジオを録音して聴いていたそうです。

 

中学~高校時代

 

小学生で、ビートルズを聴くようになり『日本のビートルズ』と称された、「はっぴいえんど」に衝撃を受けます。

 

はっぴいえんど
日本語のロックの歴史を変えたと言われるバンド。1969年~1972年活動。「風をあつめて」は「ロスト・イン・トランスレーション」というアメリカ映画のエンディングにも使用される。

 

 

そこから、当時の角松さんは日本の音楽にも興味を持ち

 

「センチメンタル・シティ・ロマンス」

▼曲例

 

「サディスティック・ミカ・バンド」

▼曲例

 

「井上陽水」

▼曲例

 

「四人囃子」

▼曲例

 

など様々な音楽を聴くようになり、山下達郎氏が在籍した「シュガー・ベイブ」に角松さんは夢中になります。

 

シュガー・ベイブ
山下達郎・大貫妙子を中心とした日本のロックバンド。1973年~1976年に活動する。山下達郎のソロシングルである「クリスマス・イブ」は、「日本のシングルチャートに連続でチャートインした最多年数の曲」としてギネス世界記録に登録されている。

▼デビューアルバム「SONGS」(画像クリックで商品詳細へ)

 

細野晴臣氏、松任谷正隆氏、鈴木茂氏などが在籍した「ティン・パン・アレー」の音楽にも深い感銘を受けます。

角松さんが山下達郎氏、鈴木茂氏を敬愛していることはファンの間では有名。

 

 

鈴木茂

日本のロックシーンを代表するギタリスト。「ティン・パン・アレー」だけではなく「はっぴぃえんど」のギターも担当する。

 

【1979年~1981年】大学入学~デビュー

 

日本大学文理学部哲学科在学中はバンド活動に力を入れ、1980年に自作曲のデモテープがレコード会社のビクターに渡ったことがデビューのきっかけとなります。

1981年6月21日、シングル「YOKOHAMA Twilight Time」アルバム「SEA BREEZE」同時リリースでデビューしました。

 

▼シングル「YOKOHAMA Twilight Time」(画像クリックで商品詳細へ)

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▼アルバム「SEA BREEZE」(画像クリックで商品詳細へ)

 

この頃の角松さんは、ソングライターとしての評価はありましたが、まだレコーディングの経験が乏しかったため、サウンドプロデュース(音楽制作)の面では自分の意向が反映されませんでした。

この時の悔いが、後のアルバム「SEA BREEZE 2016」のリメイクへと繋がっています。

 

▼アルバム「SEA BREEZE 2016」(画像クリックで商品詳細へ)

 

「SEA BREEZE 2016」では、当時のアナログマルチマスターの、各チャンネルがバラバラに録られている素材をデジタルアーカイブしたとの事(=要するにテープに録音してたものをデジタル情報として記録しなおしたということ)。

当時の演奏はそのままに、音源をデジタルアーカイブしているので音の厚みや、良さが際立っています。

角松さん自身が「ボーカルスキルが低すぎてあまり好きではなかった」というこのデビューアルバムも、角松さんの今の素晴らしいボーカルによって新しい作品として蘇っていると思います。

 

角松敏生のリメイクアルバムを4枚リリースしています!詳しくは第3章にて解説!

 

デビュー当時は、角松さんを「シティポップス界の貴公子」というキャッチコピーのもと売り出しますが、それほどのブレイクはできませんでした。

 

【1982年~1985年】2作目~4作目のアルバムをリリース・ブレイク

 

デビューから3枚のアルバム

「SEA BREEZE」(デビューアルバム)

「WEEKEND FLY TO THE SUN 」(2ndアルバム)

「ON THE CITY SHORE」(3rdアルバム)

は夏、海をイメージさせるリゾートシティポップスの印象。

 

▼アルバム「WEEKEND FLY TO THE SUN 」1982年4月(画像クリックで商品詳細へ)

▼アルバム「ON THE CITY SHORE」1983年5月(画像クリックで商品詳細へ)

 

ブレイクしたといえるのは1984年にリリースした4枚目のアルバム「AFTER 5 CRASH」。

洗練された夜の街がイメージの、都会派シティポップス が人気を博します。

 

▼アルバム「AFTER 5 CRASH」1984年4月リリース(画像クリックで商品詳細へ)

 

1983年に角松さんは前事務所「トライアングルプロダクション」から「マーマレード」へ移籍しています。

角松さんが事務所を移籍した後のトライアングルプロダクションでは「杉山清貴&オメガトライブ」がデビューし数々の名曲を大ヒットさせています。

 

杉山清貴&オメガドライブとは
1983年「サマーサスピション」でデビュー。杉山清貴は80年代Jポップのカリスマとも呼ばれる。

 

角松さんも事務所に残り、夏、海路線で行っていたら、もっと早くにより大きくブレイクしていたのでしょうか…。

 

【1985年】ニューヨークの最先端の音楽を取り込んだアルバムリリース

 

角松さんは、自分のやりたいことを更に追い求め、ニューヨークの最先端の音楽を取り込みます。

ニューヨークの最先端の音楽である、ターンテーブルのスクラッチやラップなどを取り入れたダンスミュージック、ファンクなナンバーを収録した1985年の5枚目のアルバム「GOLD DIGGER」は角松さんの出世作と言っていいと思います。

 

ファンクとは
ブラックミュージックのジャンルの一つ。「ジェームス・ブラウン」はファンクの帝王と呼ばれ「Get on the Good Foot」はファンクの傑作と称される。リズムは16ビートを基本で、リズムはファンクの重要な要素である。

 

▼アルバム「GOLD DIGGER」1985年5月(画像クリックで商品詳細へ)

 

ここから先の角松さんは、自分のこだわりを音楽に十二分に注ぎ込むことができ、その洗練されたカッコいいサウンドは多くのファンを獲得していきます。

私が角松さんと出会ったのもこの頃です。

 

ツアーでも、多くの動員を得て、ミュージシャンと共に最高の音を届ける角松さんのパフォーマンスは、音楽ファンから一目置かれていたと思います。

 

【1985年~】中山美穂への曲提供

 

大人気アイドル中山美穂さんに角松さんが提供した「CATCH ME」「You’re My Only Shinin’ Star」は大ヒットしました。

 

▼シングル「CATCH ME」1987年10月リリース

▼シングル「You’re My Only Shinin’ Star」1988年2月リリース

 

美穂さんと同い年の私は美穂さんのファンでもあり、ヘアスタイルやファッションなどを真似していました。

 

▼中山美穂のヘアスタイルの例

 

そんな美穂さんが、私の憧れの角松さんに曲を提供してもらっていたことは、うれしく思うと同時に、とってもうらやましかったのでした。

「大人な角松さんと何を話すんだろう~」と思っていました。

この頃の角松さんはミュージックシーンではまさに飛ぶ鳥を落とす勢いだったと思います。

 

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著者:しあ

40代後半女性。音楽が大好きでJ-POP K-POP 洋楽 演歌歌謡曲とさまざまな音楽を聴いています。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。全部チケットの半券をとっているのでとても大切な想い出です。音楽はとても生活を豊かにしてくれるもの。私の好きなアーティストの魅力を知っていただければ、と思います。

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