『90年代J-popヒット曲入門』目次へ (全11ページ)
この章では90年代のJ-POP界のムーブメントを
①【90年代に活躍したバンド】
②【ドラマとのタイアップ】
③【バラエティ発のヒット曲】
という3つな主要なところにスポットを当てて解説いたします。
このページでは「バラエティ発のヒット曲」について説明いたします。
目次
90年代はバラエティ番組のヒットソングが多く登場した
90年代では、数々のバラエティ番組が軒並み高視聴率を誇りました。現在とは異なり、携帯電話やパソコンもない時代ですから、娯楽といえばもっぱらTV。
家族みんながTVの前に集まり、同じ時間を過ごしたものです。バラエティ番組から生まれた音楽ユニットやヒット曲も数多く存在します。
「エキセントリック少年ボウイ」「H jungle with T」「ポケットビスケッツ・ブラックビスケッツ」「Something ELse」「野猿」…
このトピックについては挙げればキリがないのですが、このページでは
①バラエティ番組のテーマソング
②バラエティ番組をきっかけにブレイク&歌手デビュー
③バラエティ番組の企画から生まれた名曲
大きく分けてこの3つを「バラエティ番組から生まれたヒット曲」と定義づけて、お話を進めていきましょう。
① バラエティ番組のテーマソング
▼90年代の主なバラエティ番組のテーマソング
番組名 | 歌手/曲名/リリース年 |
邦ちゃんのやまだかつてないテレビ | 大事MANブラザーズバンド「それが大事」1991 |
タモリのボキャブラ天国 | 小沢健二featuringスチャダラパー「今夜はブギー・バック」1994 |
めちゃめちゃイケてるッ! | JUDY AND MARY「BLUE TEARS」1993「Hello!Orange Sunshine」1994 |
LOVE LOVE あいしてる | KinKi Kids「全部だきしめて」1997 |
人気者でいこう! | 浜田雅功「春はまだか」1997 |
大事MANブラザーズバンド「それが大事」
負けない事・投げ出さない事・逃げ出さない事・信じ抜く事
駄目になりそうな時 それが一番大事引用:大事MANブラザーズバンド「それが大事」作詞・作曲 立川俊之
誰もが一度は耳にしたことがあるこのフレーズは、大事MANブラザーズバンドの「それが大事」。山田邦子の「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ(女芸人山田邦子の冠番組。1989年~1992年まで放送され最高視聴率20.4%を獲得。)」のエンディングテーマとして少しずつ人気に火が付き、大ヒットを記録しました。
『それが大事』はポップなメロディに乗せた「生きること」をテーマにした深い歌詞。まっすぐ一直線に、自分だけに届くような「がんばれ」のメッセージは、今も時代を超えて愛されています。
② バラエティ番組をきっかけにブレイク&歌手デビュー
▼バラエティ番組をきっかけにブレイク&歌手デビューの例
番組名 | 歌手(結成年) | 備考 |
HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP | H jungle with T(1995) | 浜田雅功と小室哲哉の音楽ユニット。「WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント」は200万枚を突破。 |
ウッチャンナンチャンのウリナリ!! | ポケットビスケッツ(1995) | 内村光良(芸人)・ウド鈴木(芸人)・千秋(タレント)がメンバー「YELLOW YELLOW HAPPY」「Red Angel」は100万枚を突破。 |
ウッチャンナンチャンのウリナリ!! | ブラックビスケッツ(1996) | 南原清隆(芸人)・天野ひろゆき(芸人)・ビビアンスーがメンバー。「Timing」は200万枚を突破。 |
THE夜もヒッパレ! | SPEED(1996) | グループ名を公募 |
猿岩石「白い雲のように」「ツキ」
今やテレビで見ない日はない有吉弘行氏が、かつて猿岩石というコンビを組んでいたこと、「進め!電波少年(日本テレビ)」の企画で世界一周ヒッチハイクの旅をしたというのはもはや有名な話ですね。
この企画で一躍人気タレントとなった猿岩石は、藤井フミヤ&藤井尚之の兄弟ユニット「F Blood」作詞作曲による『白い雲のように』でCDデビューを果たしました。
キャッチーなメロディと甘酸っぱい歌詞、思いがけず甘い二人の歌声が相まって、当時大ヒット。
きっと、いまもソラで歌えるという人は少なくないはず。
その後も猿岩石は数曲のヒットを飛ばし、単独ライブも行いました。
私のおすすめは『ツキ』。作曲はTHE ALFEEの高見沢俊彦氏によるもの。
HEY!HEY!どうにかなるだろう きっとうまくいくさ
HEY!HEY!やるだけやったら ツキは見放さないだろう引用:猿岩石「ツキ」作詞 高井良斉/作曲 高見沢俊彦/編曲 松浦晃久
至ってシンプルな歌詞こそ、記憶に残るものです。
当時の猿岩石は今の私(30代前半)よりもずっと年下。(猿岩石のメンバー当時24歳)
若い青年2人は、リスナーを励まそうとか元気づけようというスタイルではなく、どこか気だるそうに歌っています。
そのうまく脱力した姿が「どうにかなるだろう」という確信のない言葉にやけにマッチするのです。
努力がとか、何が正しいとか、言わない。「ツキ」に任せてみようという、時には必要な投げやりな感覚。
いろいろと難しいことを考えそうになったとき、ふと耳にすると凝り固まった頭が少しほどけるような気持ちになります。
③ バラエティ番組の企画から生まれた名曲
▼バラエティ番組の企画から生まれた名曲の例
番組名 | 歌手名「曲名」リリース年 | 備考 |
とんねるずの生でダラダラいかせて!! | 憲三郎&ジョージ山本「浪漫-ROMAN-」1996 | とんねるず木梨憲武と山本譲二の音楽ユニット。オリコン演歌チャートで連続1位獲得。 |
とんねるずの生でダラダラいかせて!! | ANDY`S「FREEDOM」1997 | メンバーは石橋貴明・定岡正二・デビット伊東。佐野元春がプロデュース。オリコン週間10位。 |
雷波少年 | Something Else「ラストチャンス」1998 | オリコン20位以内に入らないと解散というような企画。1999年度年間12位(オリコン)になり紅白にも出場。 |
※とんねるずは自身の冠番組で多数音楽企画を立ち上げ、ヒットさせています。
爆風スランプ「旅人よ~The Longest Journey」
爆風スランプ『旅人よ~The Longest Journey』は、先述した猿岩石のヒッチハイク旅の応援歌として「進め!電波少年」内で作られた楽曲です。
シングルには通常バージョンはもちろん、インドにいる猿岩石の目の前で歌ったアンプラグドバージョンも収められています。
爆風スランプといえば、一度耳にすれば忘れることのできないサンプラザ中野くんのハスキーボイスが持ち味。
『大きな玉ねぎの下で』『Runner』など数々のヒット曲にひけをとらぬ存在感を放つ『旅人よ~The Longest Journey』。
私は爆風スランプ最大の魅力は、歌詞にあると考えています。
デビュー当初は派手で過激なパフォーマンスも目立ち、はちゃめちゃな風貌、独特の歌声、ゴリゴリのロックスタイルでありながら、意外ともいえるほど正しく美しく、少し硬いくらいの日本語を歌に乗せていく。
▼正しく美しく、少し硬いくらいの日本語を歌に乗せている
広い宇宙の上を歩いてゆく 遠い遠い自分に出会うために
カッコ悪い道を選んだ男 カッコ悪い夢を選んだ男
強い風に今立ち向かってゆく 遙か彼方を目指した旅人よ
いつか再び君に出会うまでは どうかどうか笑顔を絶やさぬままで引用:爆風スランプ「旅人よ~The Longest Journey」作詞 サンプラザ中野/作曲 パッパラー河合
ハキハキと言葉を切る強い歌唱も爆風スランプならではの世界観にマッチしています。
▼『旅人よ~The Longest Journey』リンク先で試聴可能
野猿「Be cool!」
「野猿」はご存知でしょうか。
とんねるずのみなさんのおかげでした。の番組内で結成され、とんねるず以外は実際の番組スタッフで構成されるという異色の大所帯ユニット(11人~)でした。
バラエティから生まれたとはいえ、プロジェクトメンバーも残した結果も本物。シングル11曲すべてがオリコントップ10入りを果たし、アルバム3枚も含め累計売上300万枚以上を記録しています。
全50曲の作曲はすべて人気プロデューサーである後藤次利が、作詞の大半を秋元康が手掛けました。
振付はTRFのダンサーSAM、ETSU、CHIHARUが担当。
バラエティ内の一企画にもいかに「本気」であったかがうかがえます。
メンバーは実際の業務を行いながら野猿の活動を行っている、いわゆる一般人。
それにも関わらず、スポットライトを浴び黄色い声援を受け少しずつあか抜けていく姿が印象的でした。
歌唱メンバー選抜のためのオーディションや楽曲選定も番組内で公開し、人気やスキルで立ち位置が決まる。
その様子は、のちに流行となるオーディション番組や、育てるアイドルのはしりと言えるかもしれません。
私のおすすめは、野猿の楽曲のなかでも人気が高い「Be cool!」。
いかんせん、カッコイイ。この言葉につきます。
MVではBボーイ系カジュアルファッション、スーツファッションを着用。ハウス・ブレイク系ダンスのパフォーマンスも特徴的でした。
偽物のあの予言者が指を差すのさ 明るい未来
もしもそこにいたら 神よ 何か言ってくれ例えば俺たち生まれなければ 生きてる意味など迷わなかった
開けてはいけない扉もあるよ Everybody!引用:野猿「Be Cool!」作詞 秋元康/作曲 後藤次利
発表当時は1999年、まさに世紀末。ノストラダムスの大予言が騒がれた時代に「予言者」という言葉。
明るくパワーのあるエンタメ文化の一方、暗いニュースがいくつも影を落とし、
「昔はよかった。いまはおかしい時代だ」とも言われ続けた時代でした。
それが今となっては「あのころはよかった。いい時代だったな」と言い合ったりするものだから不思議です。
現在も、明るく健やかな時代とはいえないかもしれないけれど、いつか「あのころはよかった」と言い合える時代が来ると良いですね。私はそんな日が来ることを信じています。
▼野猿「Be cool!」ストリーミング(無料体験有)
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はじめに
第1章 ムーブメント
第2章 ヒットメーカー
第3章 ヒット曲20選
著者 シン アキコ
30代前半女性。邦楽ファン歴25年。70年代、80年代、90年代の邦楽を愛しています。「歌詞」「曲が生まれた背景」「当時の流行との関連性」などを分析することが好き。
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