90年代J-POPヒット曲おすすめ20選 【女性ボーカル編①】

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あなたにとっての“あの頃”はいつですか?著者にとってアツかった時代「90年代」のJ-popヒット曲を生粋の邦楽ファンの著者が分析します!読めば“あの曲”を聴きたくなる事間違いナシ!!

90年代J-popヒット曲入門 ~音楽で振り返る90年代!~(全11ページ)はこちらから!

著者 シン アキコ

30代前半女性。邦楽ファン歴25年。70年代、80年代、90年代の邦楽を愛しています。「歌詞」「曲が生まれた背景」「当時の流行との関連性」などを分析することが好き。

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この章では「有名な曲を改めて味わう」をテーマに、私がおすすめしたい名曲20選を【男性ボーカル編】【女性ボーカル編】に分けて紹介いたします。

90~99年における各年の年間売上げトップ50を参考に、とくに90年代の雰囲気を感じられる曲をセレクションいたしました。

心に残るフレーズや好きな歌詞も添えながら、ほんの数曲ですがご紹介・解説をしていきたいと思います。

以下では女性ボーカルのおすすめしたい名曲10選を順不同で紹介します。

 

① Diamonds(プリンセス プリンセス) ~バブルのキラキラを思い出す~

リリース年月 1989年4月21日
オリコン 1989年度年間1位
収録アルバム 「SINGLES 1987-1992」
「The Greatest Princess」
「プリンセス プリンセス大全集」
「The Last Live」
ソニー「オーディオテープ」スズキ「Kei-SPORTS」のCMソング。プリンセス・プリンセスがリリースしたシングルの中で唯一ミリオンセラーを達成した自己最高ヒット曲。

 

「Daiamonds」リリースは1989年。根強い人気で90年のセールスベスト50にも名を連ねてはいるものの「90年代リリース」をご紹介する章でピックアップすべきかは悩むところでした。

しかし「Diamonds」以上に90年代初頭の空気感をもつ楽曲がないのです。

 

リリース時、日本はまさにバブル景気のなかにありました。私は当時まだ幼く、好景気に活気づく日本というのは記憶の片隅にほんの少ししか残っていません。

当時をキラキラしたもののように思うのは、楽しいことしかなかった子どもであったからなのか、本当に世界がきらめいていたのかはわかりません。

でも「Diamonds」を聴くと、プリプリの当時のライブ演奏を観ると、笑顔いっぱいのファンを見ると…記憶の片隅の、あの“キラキラ”を思い出すのです。

 

ダイアモンドだね いくつかの場面
うまく言えないけれど 宝物だよ
あの時感じた 予感は本物
今 私を動かしてる そんな気持ち

引用:プリンセス プリンセス「Diamonds」作詞 中山加奈子/作曲 奥居香

 

「ブラウン管」「針がおりる瞬間」「はじめて電話するとき」…

これらのワードに胸がときめく世代にしかわからない、ダイアモンドみたいに輝く時間。ずっと汚れることなく、それぞれの想い出に刻まれていることでしょう。

ちなみにこのシングルのB面は「M(プリンセス・プリンセスの代表曲のひとつとされている)」。なんとも豪華なシングルCDですね。

 

② サイレント・イヴ(辛島美登里) ~90年代を代表する冬の名曲~

リリース年月 1990年11月7日
オリコン 週間1位/1991年度年間12位
収録アルバム 「GREEN」
「SINGLES」
「GOLDEN☆BEST 辛島美登里」
 TBS系ドラマ「クリスマス・イヴ」主題歌。80万枚を売り上げる自身最高のヒット作。

 

辛島美登里は、現在はあまりテレビで見かけることがありませんが、90年代には音楽バラエティ等に時々出演することもあり当時を知る人にとっては身近な存在かと思います。

「なんて歌のうまい人だろう」

辛島美登里の歌を初めて聴いたときの衝撃は今でも覚えています。

冬がやってくるたび耳にする「サイレント・イヴ」。

タイトルは知らずとも、多くの人が一度は聴いたことがあると思います。

 

いくつも愛を重ねても 引きよせても
なぜ 大事な夜に あなたはいないの

引用:辛島美登里「サイレント・イヴ」作詞作曲 辛島美登里

 

好きな人と愛を重ねる関係。

きっと一方通行ではない想いでありながら、大事な夜にあなたはいない。

きっと道ならぬ恋なのでしょう。

“あなた”には、本命の恋人あるいは伴侶がいるのだろうと察します。

 

さようならを決めたことはけっしてあなたのためじゃない
不安に揺れるキャンドル 悲しかったから

引用:辛島美登里「サイレント・イヴ」作詞作曲 辛島美登里

 

女の意地とでも言いましょうか。

理由をつけて“あなたのためじゃない”と言い張ってはいるものの、彼女はきっと“あなたのため”に別れを決めたのではないかと思うのです。

もちろん“自分のため”“あなたの大切な人のため”、あるいは自責の念も含まれているとは思いますが。

なぜなら、

 

さようならを決めたことはけっしてあなたのせいじゃない

引用:辛島美登里「サイレント・イヴ」作詞作曲 辛島美登里

 

2番ではこんな風に言い換えているから。

どこまでも愛する人を守ってしまう、言ってみれば“ダメな女”“幸せになれない女”かもしれません。

 

でも、きっと心の優しい女性なのでしょう。

これほど人を好きになれることは、幸せなことだと思います。

 

“ともだち”っていうルールは とても難しいゲームね
もう二度と 二人のことを 邪魔したりしない

引用:辛島美登里「サイレント・イヴ」作詞作曲 辛島美登里

 

もしもここに至るまでの道が正しいものではなかったとしても、一人でひっそりとさようならを決め、もう二度と邪魔をしないと誓う。その時間がどれほど切ないか。

“大事な夜”であるならなおさらのことです。

 

“ともだち”って微笑むより 今は一人で泣かせてね

引用:辛島美登里「サイレント・イヴ」作詞作曲 辛島美登里

 

“あなた”のために身を引ける、悪いことだと分かっている、いつかまた“ともだち”と元通りの笑顔を見せようとしている…

そんな一途な女性の心が垣間見えるからこそ、この曲は切なさを増すのだと思うし、共感を呼ぶのだと思います。

 

▼「サイレント・イヴ」(無料聴き放題期間有り)

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③ 想い出の九十九里浜(Mi-Ke) ~ヒットは巡る!?レトロな新しさがウケた曲~

リリース年月 1991年2月14日
オリコン 週間5位
収録アルバム 「想い出のG・S・九十九里浜」
「complete of Mi-Ke at the BEING studio」
など
 Mi-Keのデビューシングル。TBS系ドラマ「ナースステーション」の主題歌。第33回日本レコード大賞でポップス・ロック部門の最優秀新人賞を受賞。

 

グループサウンズの楽曲名が歌詞に多用され、コーラスワークやメロディもGSをたっぷり意識したユニークな楽曲。

ザ・ピーナッツ「恋のフーガ」(1967)のパロディも見受けられます。

 

ヒットは巡るといいますが、のちの「だんご3兄弟」のヒットも同様、どこか懐かしくレトロな曲調が逆に新しく、若者にヒットする・ウケるというのはJ-POP界においてときどき見られる現象。

「思い出の九十九里浜」がヒットしたのは90年代、グループ・サウンズ全盛期を60年代後半から70年代初頭と考えますと、リアルタイムでGSブームを知らない若者にとっては目新しく、当時を知る世代には懐かしい曲であったと思います。

 

Mi-Keはそもそも「おどるポンポコリン」などのヒット曲で知られるB.Bクィーンズの音楽コーラス隊として誕生しました。

メインボーカルは、のちにソロ歌手としても成功をおさめた宇徳敬子。

彼女といえば、若い人にとってはアニメ版『名探偵コナン』のED「光と影のロマン」のほうが有名かもしれませんね。

▼宇徳敬子「光と影のロマン」

 

彼女の高い歌唱力、メンバー3人それぞれになされた独特のスタイルや振り付け、懐かしさを感じるサウンドといった、総合的なプロデュース力が光る楽曲。

Mi-Keはその年の新人賞を総ナメにし、紅白歌合戦にも出場しました。

作詞は、ビーインググループ創業者であり音楽プロデューサーの長戸大幸。

作曲・編曲は織田哲郎というザ・ビーイングともいえる楽曲。

ビーイング系アーティストは、ちょうどこのころから音楽業界に新しい風を吹き込んでいきます。

 

君だけに愛を と 花の首飾り
好きさ好きさ好きさ ああ神様お願い

真冬の帰り道 落葉の物語
いつまでもいつまでも あの時君は若かった

引用:Mi-Ke「想い出の九十九里浜」作詞 長戸大幸/作曲 織田哲郎

 

サビ終わりのこの2箇所のフレーズだけを見ても、実に8つもの楽曲名が使用されています。

▼この2箇所のフレーズに使われている楽曲名

曲名 アーティスト名
君だけに愛を ザ・タイガース
花の首飾り ザ・タイガース
好きさ好きさ好きさ ザ・カーナビーツ
神様お願い ザ・テンプターズ
真冬の帰り道 ザ・ランチャーズ
落葉の物語 ザ・タイガース
いつまでもいつまでも ザ・サベージ
あの時君は若かった ザ・スパイターズ

 

それでも一曲を通すと、歌詞の世界観はきちんと成り立っています。

▼「想い出の九十九里浜」収録アルバム

 

④ 私がオバさんになっても(森高千里) ~「アイドルでありながらアーティスト」を確立した存在~

リリース年月 1992年6月25日
オリコン 週間15位
収録アルバム 「ROCK ALIVE」
「DO THE BEST」
「The Best Selection of First Moritaka 1987-1993」
日本テレビ系ドラマ「まったナシ!」の題歌。森高千里が女性ファンを獲得するきっかけとなった曲。

 

奇しくもいつまでもオバさんにならない森高千里によるヒット曲。

スラっと伸びた長い脚、ミニスカート、サラサラのロングヘア―。

当時の森高千里の美しさにはいまでもドキっとしてしまいます。

吉田拓郎もかつて評価したという斬新で個性的な歌詞、ファッションや振り付けといったセルフプロデュース能力が彼女の持ち味。

 

吉田拓郎

1970年代から1980年代にかけて流行した日本のポピュラー音楽のジャンル「ニューミュージック」の代表的存在。シングル「結婚しようよ」は50万枚を超えるヒット。森進一に提供した「襟裳岬」がレコード大賞を獲得する。

 

言いたいことを言ってしまう自由な作風と、一風変わった着眼点で歌詞を作る独特の世界観が初期の彼女のスタイルでした。

一方で様々な楽器を演奏するミュージシャンでもあり、とくにドラマーとしては他のアーティストの楽曲に参加するほどの実力の持ち主。

アイドルでありながらもアーティスト。その形を一番はじめに確立したのは森高千里かもしれません。

「私がオバさんになっても」が発表された1992年の日本は、バブル崩壊後の不景気真っただ中。それでも巷ではまだまだバブルのなごりが残っていた時代です。

 

私がオバさんになっても ディスコに連れてくの?

引用:森高千里「私がオバさんになっても」作詞 森高千里/作曲 斉藤英夫

オープンカーの屋根外してかっこよく走ってよ

引用:森高千里「私がオバさんになっても」作詞 森高千里/作曲 斉藤英夫

 

当時ならではの、前向きな未来予想図。

「今となりにいる人」とオバさん、オジさんになりたいという恋心も共感を生んだことでしょう。

▼「私がオバさんになっても」(無料聴き放題期間有り)

 

⑤ 碧いうさぎ(酒井法子) ~手話を取り入れた振り付けが話題に~

リリース年月 1995年5月10日
オリコン 週間5位/1995年度年間29位
収録アルバム 「Singles 〜NORIKO BEST〜III」 「<COLEZO!> 酒井法子 Best Selection」
日本テレビ系ドラマ「星の金貨」主題歌。第37回日本レコード大賞で優秀作品賞を受賞。第46回NHK紅白歌合戦に初出場した。自身のシングルとしては最大のヒット作で約100万枚を売り上げた。 

 

織田哲郎による美しい旋律が映える名曲。

聴覚障害のある女性を演じた「星の金貨」の主題歌であり、日本手話を取り入れた振付も話題になりました。

独特のややしゃくり気味の歌声が非常にマッチし、指先ひとつまで美しい所作、彼女がもつ透明感がこの曲をより一層輝かせます。

その年に出場した紅白歌合戦では、間奏部分で誰からともなく拍手が沸き起こったのを覚えています。それほど、聴衆を曲に引き込む表現力が素晴らしかった。

一度は過ちを犯してしまったけれど、これほどまでに美しい世界を表現できる人はそうはいません。

ぜひ一度、彼女の歌う姿を見てほしいと思います。

▼「碧いうさぎ」(無料聴き放題期間有り)

 

次のページでも引き続き90年代J-POPヒット曲おすすめ20選【女性ボーカル編】をお伝えします。

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