ロリータファッションが流行した理由 ~下妻物語の登場~

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20年以上ロリータファッションを愛し続けた筆者がロリータファッションの基礎知識とリアル過ぎるロリータ事情を語ります!これからロリータを着る人必読!現実とのバランスのとり方も含めてロリータについてまるっと学べるロリータ入門の決定版!

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著者:佐藤遊佳(さとう ゆうか)

高校卒業と同時にロリータファッションに目覚め、以来13年間私服ではずっとロリータ服やゴシック&ロリータ服を着続ける。鍼灸師として患者さんを診るかたわら、ロリータファッションの服飾小物、アクセサリーの個人作家として活動。現在は結婚し地元で鍼灸院を開業し、執筆活動もしている。

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この章では4ページにわたってロリータファッションが流行になった経緯から、流行が終息した現在の状況までをお伝えします。

このページではロリータファッションが流行になった経緯や理由をお伝えします。

 

▼2章で解説するロリータの流行と終息

 

ロリータファッション簡易年表

1980年代前半 ピンクハウス(ファッションブランド)などの少女趣味的な服が流行しだす。

▼現在のピンクハウス

1980年代後半 ロリータ服ブランドが設立され始め着る人が現れる。
1990年代 ロリータファッションが愛好家の間で流行開始。
2000年代 2004年に映画「下妻物語」が公開しロリータ大流行。2000~2015年くらいまでが流行爛熟期。
2015年以降 市場が縮小傾向をたどる。

 

「ロリータ」の原点

 

ロリータファッションが流行した経緯をお伝えする前に、まずはロリータの原点となった文学についてお伝えします。

そもそも「ロリータ」という言葉は1955年に刊行されたロシア人作家ウラジーミル・ナボコフの「ロリータ」に由来しています。

ロリータ文学の原点としてナボコフの「ロリータ」は超有名です。

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ナボコフの「ロリータ」はファションの原点ではありません。あくまでロリータ文学、ロリータ思考としての原点です。ファッション的な影響は一切なく、共通しているのは「少女」というアイコン(=偶像・記号)だけです。

10代前半の少女特有の美しさ、大人の女性になる前の愛らしいけれど残酷な面もある(今でいう小悪魔的な)魅力について書かれていて、それが少女趣味的な服を表す際に流用されました。

ただ、ファッションとしての流行が確立した現在はナボコフのロリータを知っている現役ロリータさんは少ないかもしれません。

 

ナボコフのロリータは少女特有の美しさを性愛の対象とした小説です。

一方、自分たちを性愛の対象とされることを嫌がるロリータさんたちも多く居ました。

このため「ロリータ」という表記を「ロリィタ」「ロリヰタ」とわざわざ書き換える方も居るくらいです。またロリータファッションが一部の男性から熱狂的に好まれるのを嫌がるロリータさんは「ロリィタ」「ロリヰタ」という表記に大変こだわりを持っています。

わたし自身はナボコフのロリータが持っている妖艶な少女美はむしろ目指したいところなので「ロリータ」という表記でも気にしません。

 

【コラム】ナボコフで描かれるロリータに対する筆者の考え

ナボコフのロリータでは「少女特有の残酷な無邪気さで無意識に年上の男性を振り回しつつ、自分の魅力が中年男性を惑わせていることを自覚して行っている毒婦のようなしたたかさ」が描かれています。

わたしはそれも少女性のたまらない魅力だと思うのですが、だからといって不特定多数の年上男性に色気を振りまく目的でロリータファッションを着ているわけでは決してありません。ロリータさんは「私はあくまでファッションとして着ているのであって、ロリコン趣味の人から変態的な目で見られるつもりはありません!」というごくまっとうな意見をお持ちです。そういう意味では、ナボコフのロリータとは「ロリータ(=少女)」という単語だけの関係しかありません。

 

ナボコフ以外ではロリータに関連する作品としては「不思議の国のアリス」「シンデレラ」「白雪姫」といった愛らしい少女・お姫様の作品はとても人気です。これらの作品は文学としてだけではなくファッションにも関わっています。

▼不思議の国のアリス

▼シンデレラ

▼白雪姫

 

可愛らしいお洋服の少女。

またはお姫様が自分の力で冒険して運命を切り開いていくという文学的な面。

お茶会・薔薇の花・トランプ・ガラスの靴・ドレス・林檎・森の動物など可愛らしいファッション面。

これらの作品にはロリータ少女に愛される要素がたくさんあります。

 

近代日本文学の作品では、吉屋信子や中原淳一といった少女小説・少女趣味の文学が特に好まれています。

 

吉屋信子(よしや のぶこ)

1896年生まれの日本の小説家。1916年から「少女画報」で連載された「花物語」では少女との友愛関係が描かれており、日本の少女小説の代表的作品と称されている。また少女同士の恋愛(または恋愛に近い友情)を描いた作品である「百合」というジャンルのさきがけとされている。

▼「花物語」河出文庫

中原淳一(なかはらじゅんいち)

1913年生まれの画家・服飾美術家。雑誌『少女の友』の挿絵などを手掛け人気画家となる。また1947年に少女雑誌「ひまわり」を創刊し、戦後少女雑誌の原点と称される。

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少女を美しい花々に例える物語など、ロリータさんの琴線をくすぐるものでしょう。それでもそういった文学は一定の層にしか認知されていませんでした。

 

ロリータファッション流行の経緯

 

さて、ここまではロリータの原点や文学についてお話してきましたが、日本でロリータファッショのブームはどのように起こったのでしょうか。

 

まず90年代にロリータファッションが愛好家の間で流行が開始しました。

その頃はロリータ服は大都市なら見かけることはあっても、地方都市で見かけることはあまりありませんでした。例えば東京でも、原宿のような特定の区域でなければ認知度は高くありませんでした。

ロリータファッションが国内に広く認知されたきっかけは、嶽本野ばら著作「下妻物語」ではないでしょうか。

 

▼「ロリータファッションのブーム簡易年表

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1980年代後半 ロリータ服ブランドが設立され始める
1990年代 都会で見かけることはあっても地方ではほぼ見かけない。
2000年代 2004年に映画「下妻物語」が公開しロリータ大流行!
2015年以降 市場が縮小傾向をたどる。

▼「下妻物語」Blu-ray(画像クリックで商品詳細へ)

嶽本野ばらの著作には数多くのロリータ服やロリータファッションをとりまく文化、生活スタイルが登場します。

中でも「下妻物語」は深田恭子・土屋アンナ主演で2004年に映画化され、ロリータ服の愛らしさが視覚でドーンと打ち出されたものですから、ロリータファッションは一躍有名になりました。

▼ロリータファッションの愛らしさが打ち出されている「下妻物語」のシーンの一例


引用:2004年公開映画「下妻物語」 ©2004 『下妻物語』製作委員会

 

ロリータ服で歩いていると「あっ、下妻だ!」と言われることも多く、カップヌードル=日清、ロリータ=下妻みたいな単語図式まで出来上がりました。

 

【筆者に聞きました】「下妻物語」以前の参考ファッション

Q.(Webon編集部)「下妻物語」以前のロリータさんは何をファッションの参考にしていたのでしょうか。前述した中原淳一さんの画集や「不思議の国のアリス」でしょうか。下妻物語の主人公はフランスのロココ時代に影響を受けているようですが、当時のロリータさんもそうだったのでしょうか。

A.(筆者 佐藤)中原淳一、不思議の国のアリス、ロココ文化のいずれも正解だと思います。ヨーロッパのお姫様のスタイル、フランス人形、ベルサイユのばらやキャンディ・キャンディのような少女漫画の影響も強かったでしょう。

▼ロココ(18世紀頃に始まったフランスの美術様式)の絵画

▼キャンディ・キャンディ(1976年~1979年にアニメ放送。1987年に行われた毎日新聞社の全国学校読書調査の人気漫画の部で小学生1位、中学生2位、高校生5位)

例えば「高橋真琴の絵本やぬりえのお姫様みたいになりたい」「小公女セーラみたいなお嬢様スタイルに憧れる」といった明確な目標があった人もいると思います。私自身は中性ヨーロッパのドレスやアンティークのビスクドール(19世紀にブルジョワ階級の貴婦人たちの間で流行した人形)の服装にものすごい憧れがありました。

▼高橋真琴(1960年代~80年代にかけて少女誌の表紙などを多数手がける)のぬりえ

 

ロリータファッションブームの火付け役となった「下妻物語」ですが、そのブームをさらに加速させたのは大きく分けると3つの理由があると考えます。

 

ロリータファッションの流行が加速した3つの理由

① 雑誌が盛り上がる

 

ロリータファッションの流行につれ「KERA!」や「ゴスロリバイブル」といった雑誌も盛り上がりました。

▼「KERA!」2004年6月号

一般誌でもストリートファッション系の雑誌でもロリータ服や個性的な服の子がファッションスナップされるようになり、2000年に入ってからロリータ系の雑誌も乱立しました。

その人気を支えていたのは「ストリートスナップ」。

モデルさんの多くは読者からスタートした人です。モード服のファッションモデルのようにプロのモデルがいたわけではありません。

 

モード

モードとは各ブランドやパリコレなどのファッションショーで提示される印象や着こなしのこと。要するに流行の服。モードはコレクションや各ブランドを主体に流行を先導するが、ロリータファッションではそういったことは行われない。

 

結局のところ、ロリータファッションが一番よく似合うのはストリートで普通に着ていた読者だったということです。

読者モデルなら親近感がわきますし街中で遭遇することもあり得ます。

可愛らしい読者モデルさんはアイドル並に人気が出て、みんなその着こなしやヘアメイクを研究・真似しましたので、ロリータのシーンは異常に盛り上がりました。

ちなみにこの盛り上がりは2000年前半にはじまり2015年には収束しております。前述したケラとゴスロリバイブルはいずれも2017年で紙媒体が廃刊し、当時のロリータ系雑誌は今ではほぼ全て廃刊しています。

 

② ファストファッションの不在

 

ロリータファッションが流行していた当時、大手チェーンのファストファッションは今ほど浸透していなかったように思います。

それが流行に拍車をかけた一因にもなっていたでしょう。

ロリータ服は高価ですが、それ以外の服だって(おしゃれしようと思えば)それなりの値段がしますから、どうせなら思いっきり自分の好きな恰好を楽しみたい若者がたくさんいたのでしょう。

 

③ SNSの台頭

 

2004年に公開された「下妻物語」ですが、SNSなどのネットもロリータファッション流行の追い風になりました。

インスタグラムなどは無かったものの

◆mixi(2004年より運営開始)

◆Twitter(2008年より日本で利用開始)

◆Facebook(2008年より日本で利用開始)

などでロリータファッションの愛好家同士の交流が盛んに行われ、ネットでのお茶会やイベント告知が行われるようになります。

特にFacebookでは海外のロリータファッション愛好家とも交流できますから「日本のkawaii文化」は世界進出を果たすのです。

 

日本のkawaii文化

日本のアニメや漫画が世界に進出し、アニメのコスプレなどは世界でも支持されている。「かわいい」という日本語がローマ字表記で「kawaii」と記され日本の「かわいい」と同じ意味で世界で使われる言葉となっている。これらの文化を総称して「日本のkawaii文化」と呼ぶ。

 

ロリータファッションは決して「一般的な服」になったわけではありませんが、そういったファッションがあるのだということが全国的に認知されていきました。

それまでロリータ服を着るのは周囲の視線や世間体があって大変なことでしたが、流行して認知が広まったので比較的簡単にロリータテイストを取り入れることが出来るようになりました。

それに伴い、ロリータファッションの世界には新たな考え方が誕生しました。

次のページでは、流行によるロリータファッション界の変化についてお伝えします。

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目次著者

著者:佐藤遊佳(さとう ゆうか)

高校卒業と同時にロリータファッションに目覚め、以来13年間私服ではずっとロリータ服やゴシック&ロリータ服を着続ける。鍼灸師として患者さんを診るかたわら、ロリータファッションの服飾小物、アクセサリーの個人作家として活動。現在は結婚し地元で鍼灸院を開業し、執筆活動もしている。

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