KANさんの仲間

Webon紹介目次著者
KANさんは200万枚を超える大ヒット曲「愛は勝つ」で有名ですが、この曲はKANさんのほんの一面に過ぎないのです。ファン歴30年がKANさんの魅力を人柄・ライブ・楽曲に分けて徹底解説!

『KAN』入門 ~「愛は勝つ」だけじゃない!天才であり変態!類まれなソングライター~はこちらから!

著者:しあ

40代後半女性。KANのファン歴30年。1988年「BRACKET」を聴いて感動したのが出逢い。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。

お問い合わせはこちらから

『KAN入門』目次へ  (全12ページ)

 

KANさんは、アーティスト仲間との交流もさかんで、さまざまなアーティストからもリスペクトされている存在。ライブや楽曲でのコラボもあります。そんなKANさんの交友関係をご紹介します。

交友関係を知ることで、KANさんという存在をより立体的に感じてもらえれば幸いです。

 

Mr.Children桜井和寿さん

名前 桜井和寿(さくらい かずとし)
生年月日 1970年3月8日
出身地 東京都
デビュー 1992年5月10日 アルバム「EVERYTHING」でメジャーデビュー
ロックバンドMr.Children のボーカル兼ギタリスト。CDの総売上枚数は6000万枚を突破。アマチュア時代からほぼすべての楽曲の作詞作曲を手掛ける。

 

桜井さんは、KANさんの音楽、特に詩の世界に影響を受けたそうで、KANさんの事をリスペクトしています。

KANさんの弾き語りライブに、シークレットゲストとして登場したこともあります。

2017年1月13日の、大分ホルトホール、小ホールでのライブです。200人ぐらい収容の小さなホールで、そこに桜井さんが現れたのですから大騒ぎです。その夜はネットが大騒ぎになりそのライブに参加した友人からもラインが来ており「桜井さんが来た」と興奮していました。

KANさんの「安息」という曲を、桜井さん作詞、KANさん作曲で共作しているのですが、この1曲を歌うために桜井さんはこのライブへ来ました。

▼「安息」(リンク先で試聴可能)

 

「安息」に、まだ歌詞がない頃は「ラララ~」だけで歌っていました。KANさんは、以前の弾き語りライブで、大分だけこの歌を歌い忘れてしまっていたことを気にしていたそう。

そこで桜井さんと飲んでいる時に「大分来てよ。」「いいですよ。」となったとの事です。

 

平井堅さん

名前 平井堅(ひらい けん)
生年月日 1972年1月17日
出身地 大阪府
デビュー 1995年5月シングル「Precious Junk」でメジャーデビュー
2002年にリリースされた「大きな古時計」で初のオリコンチャート1位を獲得。日本ゴールドディスク大賞の様々な部門で8回の受賞、またNHK紅白歌合戦には8回出場している。

 

平井堅さんも、KANさんの音楽に影響を受けた一人。

世間から「愛は勝つ」しか代表曲がないように思われがちなことに対して「それは間違ってる」と語ります。

平井さんは、いつかKANさんに曲を書いてほしいと思っていたそうです。

KANさんが、平井さんのために書き下ろした「Twenty!Twenty!Twenty!」は、詩、曲、アレンジ、全てを手がけたキャッチーでポップな渾身の1曲。

KANさんは、平井さんの物まねも上手です。

 

 

スターダスト・レビュー(スタレビ)

グループ名 スターダストレビュー
メンバー ・根本要(ギター、ボーカル)
・柿沼清史(ベース、コーラス)
・寺田正美(ドラム、コーラス)
・林”VOH”紀勝(パーカッション、コーラス)
デビュー 1981年5月25日 アルバム「STARDUST REVUE」シングル「シュガーはお年頃」でメジャーデビュー
デビューから35年以上経った現在でも年間70本を超える全国ツアーライヴを行い、その総数は2200回を超える。

 

ライブでの共演も多く、メンバー全員と仲がいいですが、一緒にラジオをやっていることもあり、特に仲がいいのが根本要さん。

この二人の話はとにかくおもしろい。

以前、要さんが軽い脳梗塞で入院した時、心配したKANさんからの連絡で「本当に全然大丈夫だから。すぐに来なくていいから」と要さん。

「あ、そうなの?」と思ったKAN でしたが、要さんの「ここの看護師さん、きれいな人多いわ」の一言ですぐに駆け付けたそう(笑)

スタレビのアルバム「SHOUT」は、要さん、KANさんの共同プロデュース。

 

杉山清貴さん

名前 杉山清貴(すぎやま きよたか)
生年月日 1959年7月17日
出身地 神奈川県
デビュー 1983年4月杉山清貴&オメガトライブとして「サマーサスピション」でデビュー/1986年5月「さよならのオーシャン」でソロデビュー
3枚目のシングルである1987年5月リリースの「水の中のAnswer」で初のオリコンチャート1位を獲得。ダイドードリンコのCMソングとして起用され、杉山清貴自身が出演した。

 

ライブでの共演も多く、杉山さんとも仲良し。

杉山さんが、冬でも半袖でいるぐらい元気だという事で、理由を聞いたらスッポンの粉末を飲んでいるとの事。

スッポンを、蒸すか焼くかしてすりつぶしたものなので、結構強烈な味だそう。

でも、健康のためと、KANさんもスタレビの要さんも飲み始めて、ラジオでも一時期スッポンの話が話題になることが多かったのです。

しかし、スッポンを飲んでいても要さんが軽い脳梗塞になったり、KANさんはしょっちゅう風邪気味で葛根湯を飲んだりで、結局「スッポンは杉山にしか効かないんじゃないか?」と要さん。

杉山さんは歌のイメージ通りの夏男で、年中サーフィンをやっているのが健康の秘訣なのでは?と、私は思いました…。

 

馬場俊英さん

名前 馬場俊英(ばば としひで)
生年月日 1967年3月10日
出身地 埼玉県
デビュー 1996年2月21日シングル「星を待っている」でデビュー
2007年の第58回NHK紅白歌合戦にデビュー11年目で初登場を果たし「スタートライン~新しい風」を披露。2009年に初めて大阪城ホールで単独ライヴを開催し、同年リリースのアルバム「延長戦を続ける大人たち」で初のオリコンチャートベスト10入りを果たす。

 

馬場さんとも仲良しです。

実は、KANさん、スターダスト・レビュー、杉山さん、馬場さんは「SSKB」というユニットを組んでいて、ライブも多く行っています。馬場さんを除いた「SSK」で活動することもあります。ユニット名は、それぞれの頭文字からです。

 

「SSKB」「SSK」について詳しくは「スターダスト・レビュー入門」で解説

 

KANさんが馬場さんへ提供し、二人のコラボ作品でもある「K点を超えるなら靴擦れを直せ」。

▼K点を超えるなら靴擦れを直せ(リンク先で試聴可能)

 

 

この曲の制作時、KANさんがものすごくエキサイトしていたそう。

馬場さんが「ここはこの方がいいんじゃ…?」と相談しても「いや、ここは絶対この方がいいんだって」と譲らなかったそう。

一応、馬場さんのアルバムなのに、KANさんがぐいぐい来てたそうです。

とってもおとなしく優しい人柄の馬場さんが、要さんのラジオのゲストでその話をしていたのが、愚痴っぽくておもしろかったです。

 

ASKAさん(CHAGE and ASKA)

名前 ASKA(あすか)
生年月日 1958年2月24日
出身地 福岡県
デビュー チャゲ&飛鳥として1979年8月25日シングル「一人咲き」でデビュー/1987年9月21日「MY Mr.LONERY HEART」でソロデビュー
CHAGE&ASKAとして1991年リリースの27枚目のシングル「SEY YES」がオリコンチャートで13週連続1位を獲得し、ダブルミリオンを記録。ソロでは第33回日本レコード大賞で最優秀ボーカル賞、優秀アルバム賞、作曲賞、第6回ゴールドディスク賞でベスト5・シングル賞など数々の賞を受賞。1995年リリースのシングル「晴天を誉めるなら夕暮れを待て」で初のオリコンチャート1位を獲得。

 

KANさんはASKAさんの事をリスペクトしています。

KANさんの曲「予定通りに偶然に」は、ASKAさんとの共作でボーカルでも共演。

同じ福岡県出身であり、子供の頃に偶然一緒に遊んだことがあるそう。

KANさんにはこの頃の記憶はないそうです。

KANさんが、馬場俊英さんへ提供し、コラボ作品でもある「K点を超えるなら靴擦れを直せ」。

このタイトルはASKAさんの曲「晴天を誉めるなら夕暮れを待て」に、インスパイアされてつけたものです。

KANさんが制作時にこだわりを持っていたのは、この曲に強い想いがあったからかもしれません。

 

藤井フミヤさん

名前 藤井フミヤ(ふじい ふみや)
生年月日 1962年7月11日
出身地 福岡県
デビュー 1983年9月21日「ギザギザハートの子守歌」でチェッカーズとしてデビュー/1993年11月10日「TRUE LOVE」でソロデビュー
デビュー曲の「TRUE LOVE」を始め1996年リリースの「Another Orion」などの楽曲でミリオンヒットを記録し、様々な曲がCMソング、ドラマや映画の主題歌に使われている。1997年リリースの「Go the Distance」はディズニー映画「ヘラクレス」のテーマソングとなり、ディズニー映画のテーマソングを歌った日本人初の歌手となった。

 

KANさんは現在(2019年)フミヤさんへの提供曲を制作中。

同じ福岡出身で同い年なのに「どうしてこうも待遇が違うんだ」と嘆いています。

要さんからは「フミヤは、カッコいいからしょうがないな。」と慰められています。

 

和田唱さん(TRICERATOPS)

名前 和田唱(わだ しょう)
生年月日 1975年12月1日
出身地 東京都
デビュー 1997年7月21日シングル「Raspberry」でデビュー
TRICERATOPSのボーカルとギターを担当し、ほぼ全ての曲の作詞作曲を行っている。1999年にリリースされた8枚目のシングル「GOING TO THE MOON」は大塚製薬のポカリスエットのCMソングとして起用され、初のオリコンチャートベスト5入りを果たした。

 

二人の出会いは、2008年のライブイベントで共演したこと。

TRICERATOPSがKANさんの「プロポーズ」をカバー。

唱さんは、この曲をリリース時からずっと好きだったそうですが、デビュー前の高校生の時にKANさんをすぐとなりで見たことがあるそう。

1993年、東京ドームでのポール・マッカートニーのライブ。ドームなどのライブでは、混雑を避けるため、規制退場が行われるのですが、KANさんは有名人なのにきちんとそれを守っていたそうです。

▼ポール・マッカートニー(ザ・ビートルズのメンバー 「ギネス世界記録」に「ポピュラー音楽史上最も成功した作曲家」として掲載されている。)


By Oli Gill – originally posted to Flickr as Paul McCartney, CC 表示-継承 2.0, Link 

 

芸能人などは、関係者席に座る、もしくは終演前の暗がりの中帰ることが多いのに、その姿に「この人絶対いい人だ」と、思ったそうです。

そして、会ってみてやっぱり「KANさんいい人だ」と思ったそう。

KANさんの「桜ナイトフィーバー」では、唱さんがギターソロを弾いており、すっごくカッコいいです。

▼「桜ナイトフィーバー」(リンク先で試聴可能)

 

スキマスイッチ/秦基博さん

グループ名 スキマスイッチ
メンバー ・大橋卓弥(ボーカル、ギター、ハーモニカ)
・常田真太郎(ピアノ、チェロ、オルガンなど)
デビュー シングル「view」でメジャーデビュー
2005年リリースの「全力少年」で第56回紅白歌合戦に初登場。2006年リリースの「ガラナ」でオリコンチャート1位を獲得。同年リリースの「ボクノート」で第48回日本レコード大賞金賞を受賞。

名前 秦基博(はた もとひろ)
生年月日 1980年10月11日
出身地 宮崎県
デビュー 2006年11月8日シングル「シンクロ」でデビュー
2009年リリースの「朝が来る前に」はTOKYO FM「クロノス」のエンディングテーマとなりオリコンチャートベスト5、2014年リリースの「ひまわりの約束」は映画「STAND BY ME ドラえもん」の主題歌になり、オリコンチャートベスト10入りを果たす。

 

この二組とは「星屑の隙間に木村基博」というユニットを組んでいます。

「スターダスト・レビューのスターダスト=星屑」
「スキマスイッチ=隙間」

そして、KANさんの本名である木村和の「木村」、秦基博の「基博」です。

略して「ホスキモ」。

素晴らしいユニット名だな~と感心します。

みんなの、飲み会の席での話がとてもおもしろいです。

ちなみに、スキマスイッチの常田真太郎さんはお酒が飲めません。

 

KANさんの主な友達について、ご紹介しました。

KANさんの周りのアーティストの曲なども聴いてみてほしいな、と思います。

 

以上、この章ではKANさんの人柄について4ページにわたってお伝えしました。

次の章ではKANさんのライブの魅力をお伝えします。

『KAN入門』目次へ  (全12ページ)

 

 

目次著者

著者:しあ

40代後半女性。KANのファン歴30年。1988年「BRACKET」を聴いて感動したのが出逢い。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。

お問い合わせはこちらから

KANさんはどんなキャラクター?トリンドル玲奈に曲を捧げる!?

Webon紹介目次著者
KANさんは200万枚を超える大ヒット曲「愛は勝つ」で有名ですが、この曲はKANさんのほんの一面に過ぎないのです。ファン歴30年がKANさんの魅力を人柄・ライブ・楽曲に分けて徹底解説!

『KAN』入門 ~「愛は勝つ」だけじゃない!天才であり変態!類まれなソングライター~はこちらから!

著者:しあ

40代後半女性。KANのファン歴30年。1988年「BRACKET」を聴いて感動したのが出逢い。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。

お問い合わせはこちらから

『KAN入門』目次へ  (全12ページ)

 

KANさんは「天才であり変態」であると私は思います。

ただKANさんのキャラクターの魅力を一言で言うのは困難です。

KANさんには面白い側面がいくつもありますので、色々な角度から見たKANさんについてご紹介します。

 

KANさんはどんなキャラクター?

ユーモアセンス溢れる

 

KANさんという人は、とにかくユーモアセンスたっぷりで、遊び心の塊のような人です。

楽曲はもちろん、アルバムジャケット、ライブの創り方、衣装、その他、ありとあらゆるところで、KANさんのオリジナリティー溢れる才能が活かされていて、本当に楽しくおもしろいのです。

クスクスと笑ってしまうおもしろさがKANさんにはあります。

例えば、2016年のアルバム「6×9=53」(ロックごじゅうさん)。アルバムジャケットではKANさんがお爺さんになっています。

▼アルバム「6×9=53」(画像クリックで商品詳細へ)

アルバムタイトルは、ちょっとロックテイストなアルバムという事と、KANさんが当時53歳という事で、このタイトルがつけられました。

なぜ、お爺さんになっているかというと、ロック=69歳、という事で69歳に見えるように扮装しているのです。

このおもしろさ、さすがKANさんだな~と思います。

 

2017年のアルバム「la RINASCENTE」(ラ・リナシェンテ)。このアルバムは、KANさん自らが、弦楽四重奏のアレンジを施したセルフカバーアルバムです。

このアルバムジャケットのおもしろさは、ドナルド・フェイゲンの名盤「THE NIGHT FLY」に似せていること。

▼KAN「la RINASCENTE」

▼ドナルド・フェイゲン「THE NIGHT FLY」


このジャケットのKANさん、すっごくカッコいいです。

もしかして、ドナルド・フェイゲンと間違って買う人がいるかも…?

 

下心を隠しながらも紳士的

 

KANさんが夏目漱石に扮した写真があります。

このクオリティはすごい!

見間違ってしまうかも。

この写真を使った「高級眼鏡拭き」というKANさんのグッズがあります。

先日、KANさんとスターダスト・レビューの根本要さんとでやっているラジオ番組「KANと要のWabi-Sabiナイト」にASKAさん(CHAGE and ASKA)がゲストで来た時に、KANさんがこの眼鏡拭きをプレゼントしました。

 

 

ASKAさんは「あ~!これ知ってる!俺ほしかったやつだ!」と、大喜びでした。ちなみにKANさんは、ASKAさんの事をとてもリスペクトしています。

3人は友達で特にASKAさんと要さんは同い年で親友と言える間柄です。

 

ASKAさんとの関係性は後ページにて紹介!

 

KANさんという人はとても優しく穏やかで礼儀正しく素敵な紳士です。

「紳士」と書いたのはKANさんの歌詞に「ジェントルマン」と出てくることや、KANさんが女性に対して下心を隠しながら紳士的であろうとしているからです。

紳士的でありながらも下心満載の歌詞も書いているKANさん。

そんな歌詞の曲を聴くと、KANさんの変態性を感じずにはいられません。

KANさんの曲はいろいろなタイプの曲があり、その振り幅の大きさに驚かされます。

それらを聴くと、KANさんの「天才であり変態」という意味が、理解できるのではないかと思います。

また、どんなにふざけた曲や女性に対する妄想を歌った曲でも、下品にならないのはKAN さんのキャラクターのおかげかと思います。

 

天才であり変態なのことがわかる楽曲は第3章で紹介!

 

大ヒット曲にとらわれない

 

大ヒット曲があると、それにとらわれて本来の自分を出せなかったり、周りからも同じ系統の曲を望まれたりと、創作活動に影響があったりするかもしれません。

ですが、KANさんは「愛は勝つ」という国民的大ヒット曲を持ちながらも、それにとらわれず自身のユーモアやオリジナリティー溢れる楽曲を創り出しています。

自身の武器であるピアノにもこだわっていて、ピアノ一つで音楽を伝える「弾き語りライブ」に行くと、そのピアノの素晴らしさにも感動します。

KANさんにしか書けない詩、曲は本当に素晴らしくおもしろく、日本の音楽界において類まれなる存在であり、私は彼を天才であり変態だと思っているのです。

 

 

KANさんのキャラクターがわかるプチ情報

 

KANさんには色々な側面があります。よりKANさんの魅力を多角的に理解していただくため、KANさんのキャラクターがわかるような4つのプチ情報を紹介します。

 

① 「素数」が好き

 

KANさんは素数が好きで素数にこだわっています。

通常、アーティストはデビュー20周年、25周年、30周年、と区切りのいい数字を使います。

でもKANさんの場合は、素数にこだわっているので29周年、31周年などを記念としているのです。

 

② 語学が堪能

 

旅行が趣味で旅先での会話能力の必要性を痛感し、語学の習得にも熱心。

中国語、フランス語、イタリア語が得意で、日常会話に困らないぐらいには習得しているそう。

 

③ 愛妻家

 

ラジオなどでよく奥様の話をしています。

「出かける時、女性って時間がかかるじゃないですか。でも、いかに奥さんに気持ちよく準備してもらうか、って言うのが大事じゃないですか。」

と言っていたKANさん。

「さすが紳士なKANさん、素敵な旦那様!」と思いました。

 

④ トリンドル玲奈

 

「Menuett fur Frau Triendl」は、勝手にトリンドル玲奈さんに捧げた曲です。
「トリンドルちゃんは、おそらく聴いていないでしょう…。」とKANさん…。

▼トリンドル玲奈(1992年生まれの日本のファッションモデル、タレント)

 

KANさんは、中田ヤスタカさん(音楽プロデューサー)を尊敬する音楽家の一人として挙げていて、中田サウンドがとても好きなよう。「きゃりーぱみゅぱみゅ」「Perfume」は共に中田ヤスタカさんのプロデュース。

 

中田サウンドとは
中田ヤスタカは、シンセサイザー等の電子楽器を用いた音楽である「テクノポップ」の流行を再来させる。中田サウンドの例は下記のアーティストの曲を聴けば理解しやすいのではないでしょうか。

▼きゃりーぱみゅぱみゅ「PONPONPON」

▼Perfume「ポリリズム」

 

「REGIKOSTAR~レジ子スターの刺激~」「ブログ!ブログ!ブログ!」は、KANさんが中田サウンドを意識して創った作品です。

▼「REGIKOSTAR~レジ子スターの刺激~」(リンク先で試聴可能)

▼「ブログ!ブログ!ブログ!」(リンク先で試聴可能)

その他KANさんのオマージュ曲については第3章で紹介!
Webon(ウェボン)
Webon(ウェボン)
このページを読む

 

以上、KANさんのキャラクターの紹介でした。

次のページではKANさんのラジオやトークについて紹介します。さらにKANさんの人柄や面白さを知っていただきたいです。

『KAN入門』目次へ  (全12ページ)

 

 

目次著者

著者:しあ

40代後半女性。KANのファン歴30年。1988年「BRACKET」を聴いて感動したのが出逢い。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。

お問い合わせはこちらから

90年代J-POP界のムーブメント② 【ドラマタイアップ=ヒット】

Webon紹介目次著者

あなたにとっての“あの頃”はいつですか?著者にとってアツかった時代「90年代」のJ-popヒット曲を生粋の邦楽ファンの著者が分析します!読めば“あの曲”を聴きたくなる事間違いナシ!!

90年代J-popヒット曲入門 ~音楽で振り返る90年代!~(全11ページ)はこちらから!

著者 シン アキコ

30代前半女性。邦楽ファン歴25年。70年代、80年代、90年代の邦楽を愛しています。「歌詞」「曲が生まれた背景」「当時の流行との関連性」などを分析することが好き。

お問い合わせはこちらから

 

『90年代J-popヒット曲入門』目次へ  (全11ページ)

 

この章では90年代のJ-POP界のムーブメントを

①【90年代に活躍したバンド
②【ドラマとのタイアップ
③【バラエティ発のヒット曲

という3つの主要なところにスポットを当てて解説いたします。

このページでは「ドラマタイアップ=ヒットの法則」について説明いたします。

1990年代のJ-POP界。ドラマタイアップ曲がヒットしたのが印象的な出来事でした。

1991年の2大ミリオンセラーがいずれも人気ドラマの主題歌。トレンディドラマ全盛期ともいえる90年代初頭は、タイアップありきで作られた主題歌が多く、ドラマとの相乗効果でCDの売り上げも加速したことがヒット曲が多く誕生した要因だったと思います。

 

1990年代タイアップドラマのヒット曲一覧

▼1990年代の高視聴率ドラマの例一覧

年代 ドラマ(最高視聴率) 曲/アーティスト
1990年 すてきな片想い(26.0) 愛してるっていわない!/中山美穂
1990年 世界で一番君が好き!(25.5) 今すぐKiss Me/LINDBERG
1991年 東京ラブストーリー(32.3) ラブ・ストーリーは突然に/ 小田和正
1991年 101回目のプロポーズ(36.7) SAY YES/ CHAGE&ASKA
1992年 ずっとあなたが好きだった(34.1) 涙のキッス/サザンオールスターズ
1992年 愛という名のもとに(32.6) 悲しみは雪のように/浜田省吾
1993年 ひとつ屋根の下(37.8) サボテンの花/チューリップ
1993年 誰にも言えない(33.7) 真夏の夜の夢/松任谷由実
1993年 高校教師(33.0) 僕たちの失敗/ 森田童子
1994年 家なき子(37.2) 空と君のあいだには/中島みゆき
1994年 妹よ(30.7) めぐり逢い/CHAGE&ASKA
1994年 人間・失格~たとえばぼくが死んだら~(28.9) 冬の散歩道/ サイモン&ガーファンクル
1995年 金田一少年の事件簿(29.9) Kissからはじまるミステリー/KinKi Kids
1995年 愛していると言ってくれ(28.1) LOVE LOVE LOVE/DREAMS COME TRUE
1995年 未成年(23.2) Top of the World/カーペンターズ
1996年 ロングバケーション(36.7) LA・LA・LA LOVE SONG/ 久保田利伸 withNaomi Campbell
1996年 協奏曲(28.2) ヴァネッサ・ウィリアムス/アルフィー
1997年 ひとつ屋根の下2(34.1) ひだまりの詩/Le Couple
1997年 ラブジェネレーション(32.5) 幸せな結末/大滝詠一
1998年 GTO(35.7) POISON 〜言いたい事も言えないこんな世の中は〜/反町隆史
1998年 眠れる森(30.8) カムフラージュ/竹内まりや
1999年 魔女の条件(29.5) First Love/宇多田ヒカル

 

1990年代前半はドラマタイアップ曲がヒットした

 

「月曜21時には、繁華街からOLが消える」

1991年1月より月曜21時に放送されたドラマ「東京ラブ・ストーリー」がヒットした際にメディアで用いられた言葉です。

この言葉はトレンディドラマ(=バブル景気前後の1988年~1991年に作られた都会の男女の恋愛などを描いたドラマ)全盛期である90年代前半を良く表していると思います。

老若男女問わず誰もがドラマのストーリーに一喜一憂し、毎週の展開を心待ちにしていた時代。

視聴率が跳ね上がるのと同じくして、主題歌や挿入歌もセールスを伸ばしていきました。当時はタイアップ至上主義とも言えるほど、タイアップありきのシングルリリースが多かった時代。

歌詞はドラマの内容ともリンクし、ストーリー展開をより一層盛り立てる役割を果たしていました。

主題歌や挿入歌に決まれば、リリース前からヒットは約束されたようなもの。この相乗効果により、実際に数々のミリオンヒットが生まれました。

 

1991年、2組のアーティストがダブルミリオンセラーという快挙を成し遂げました。

小田和正「ラブ・ストーリーは突然に」(東京ラブストーリー)と

CHAGE&ASKA(当時の表記)「SAY YES」(101回目のプロポーズ)です。

いずれも言わずと知れた大人気ドラマの主題歌。

とはいえ、90年代の年間CD売上枚数はドラマ主題歌以外にも今も愛される名曲が続々と名を連ねています。特に1991年は90年代J-POP創世期に相応しいヒット曲豊作の1年でした。

▼1991年オリコンシングルCD年間売上ランキング(3位~5位はドラマ主題歌ではない)

順位 歌手/曲
1位 小田和正「ラブ・ストーリーは突然に」
2位 CHAGE&ASKA「SAY YES」
3位 KAN「愛は勝つ」
4位 槇原敬之「どんなときも。」
5位 ASKA「はじまりはいつも雨」

 

そして、J-POP界はいわゆるCDバブル時代(カラオケブーム到来・タイアップ戦略により若者を中心に音楽需要が高まった時代)へと突入していきます。

以後99年までずっと、年間売り上げベスト10にもなるとミリオンセラーは当たり前、ダブルミリオンも続々と生まれるという、面白いほどCDが売れた時代。

その幕が開くきっかけには「ドラマタイアップ曲のヒット」がありました。

 

ヒットしたドラマタイアップ曲

 

以下ではヒットした4本のドラマとその主題歌をピックアップし、ドラマタイアップ曲がヒットした当時のJ-POP界について解説いたします。

 

▼以下で紹介するドラマ簡易年表

 

東京ラブストーリー「ラブ・ストーリーは突然に」

タイトル 東京ラブトーリー
放送枠 フジテレビ月曜9時
放送期間 1991年1月7日-3月18日
オープニング 小田和正『ラブ・ストーリーは突然に』(1991年間シングルチャート1位。CD売上270万枚を記録)
若い男女の恋愛の物語。複雑な三角関係が描かれる。平均視聴率は22.9%、最終回の視聴率は32.3%を記録する。鈴木保奈美演じる赤木リカの「セックスしよう!」というセリフはとても有名。

 

まずは「東京ラブストーリー」について。

「東京ラブストーリー」は鈴木保奈美・織田裕二のW主演のドラマです。

2019年には鈴木保奈美・織田裕二のW主演「SUITS」が放送され「東京ラブストーリー」の再放送もおおいに盛り上がったのは記憶に新しいですよね。

 

1991年放送当時は携帯電話もメールもなかった時代。

待ち合わせも、伝言も、たった一度のすれ違いが別れにもなり得た「ハラハラ感」。

ストーリーの山場では毎回、ギターのカッティングが特徴的な“あの”疾走感ある「ラブ・ストーリーは突然に」のイントロが流れ、視聴者を引き込みました。

 

あの日あの時あの場所で 君に会えなかったら

僕等はいつまでも 見知らぬ二人のまま

引用:小田和正「ラブ・ストーリーは突然に」作詞作曲 小田和正

 

いつの時代の恋愛にも通ずる歌詞ではありますが、ネットで誰とでも気軽につながることができる現代と比べ「出会う人の母数」は圧倒的に少なかったはず。

好きになれる人と出会える確率、出会えた奇跡は、今とは比較できないほど尊いものであったのだと思います。

だからこそ人々はドラマにも歌詞にも共感した。

結果、200万枚以上を売り上げ今も歌い継がれる名曲となったのでしょう。

小田和正氏が今も当時と変わらぬ歌声でこの曲を届けてくれることには感謝の言葉しかありません。

 

▼『ラブ・ストーリーは突然に』MP3(リンク先で試聴可)

 

101回目のプロポーズ「SAY YES」

タイトル 101回目のプロポーズ
放送枠 フジテレビ月曜9時
放送期間 1991年7月1日 – 9月16日
オープニング CHAGE&ASKA「SAY YES」(オリコンシングルチャート13週連続1位を記録)
恋愛に不器用な中年男が100回目のお見合いで出会った美女との恋愛が描かれる。平均視聴率23.6%、最終回36.7%。ドラマ内で武田鉄矢が演じる達郎がトラックの前に身を投げ出し放ったセリフ「僕は死にましぇん」は新語・流行語大賞(大衆部門・金賞)となる。

 

「101回目のプロポーズ」も高視聴率(平均視聴率23.6%、最終回36.7%)を記録しました。

「僕は死にません あなたのことが好きだから」

ストーリーを知らないという人がいたとしても、この名シーンを知らない人はいないでしょう。

そして流れる「SAY YES」。またいいところで主題歌が流れるんですよね。

イントロを聴けば、今も条件反射のように胸がときめく。

そういう人も決して少なくないはず。

「SAY YES」は、デビュー12年目のCHAGE&ASKAがはじめてオリコンチャート1位、ミリオンセラーを達成した曲です。

その後93年にもCHAGE&ASKAの「YAH YAH YAH」も織田裕二主演「振り返れば奴がいる」の主題歌に起用され、ミリオンセラーを達成。

いずれも彼らを代表する曲となりました。

 

CHAGE&ASKAの曲は、ASKAが紡ぐ繊細な歌詞も魅力。

 

言葉は心を超えない とても伝えたがるけど 心に勝てない

引用:CHAGE&ASKA「SAY YES」作詞  飛鳥涼/青木せい子 作曲 飛鳥涼/CHAGE

 

「SAY YES」2番のこの歌詞は、ふっと心を揺さぶられた大好きな歌詞です。

ベタと言われればベタかもしれません。

曲を流すタイミングも、ひいてはドラマそのものも。

これは当時のドラマのほとんどに言えることで、決してドラマ自体が斬新なテーマを扱っていたわけではないのです。

むしろ今のドラマのほうがおもしろい切り口や奇抜なテーマが多く「作品」としては面白いのかもしれない。

でも、毎週夢中になって見て、泣いて、笑った。そこに明確な理由はなくとも「そうだった」のです。

 

▼「101回目のプロポーズ」DVD

 

野島伸司作品がドラマ界を席巻

 

「101回目のプロポーズ」は、当時ドラマ界を席巻していた野島伸司氏による脚本作品。彼も90年代を象徴する存在と言え「高校教師」「家なき子」「ひとつ屋根の下」「聖者の行進」「未成年」など、数々のヒットドラマを連発し、時にはその内容が物議を醸すこともありました。

 

物議の例
「高校教師」では教師と生徒の恋愛を描き、教室内での性行為を描き物議を醸した。「家なき子」では過激な暴力やいじめのシーンが批判の対象となった。

 

彼の作品では90年代中盤以降、タイアップありきの主題歌ではなく、ドラマの世界観に合った独特の選曲がなされることがありました。

「高校教師」では森田童子、「人間・失格~たとえばぼくが死んだら」ではサイモン&ガーファンクル、「未成年」ではカーペンターズ、「リップスティック」ではレベッカの楽曲を使用。それらもまた、リバイバル的にヒットしたものです。

 

【コラム】ドラマの世界に合った曲の例
 ◆ドラマ「高校教師」/森田童子「僕たちの失敗」 

「高校教師」というドラマじたいが、教師と生徒の禁断の恋愛を描き悲劇を詰め込んだような重苦しい空気をまとった作品でした。ハッピーエンドなど叶わないだろうなという。

ピアノのメロディと、森田童子のささやくような儚い歌声は、切なさを演出するのはもちろんのこと、どこか希望を見出したくなるような「ほっとする」ものがありました。

アンハッピーエンドが待ち構えていると知りつつも、桜井幸子(女子高生。本作のヒロイン)のピュアな姿や、主人公たちの純愛にひとときだけほっとするのと同じような感情です。

歌詞がすべて「過去形」というのも、ドラマの内容とは無関係ながら、悲劇的なこの作品には合っていたように思います。ラストシーンを見た後、ずっと頭のなかでリフレインするような曲でした。

 ◆ドラマ「人間・失格~たとえばぼくが死んだら」/サイモン&ガーファンクル「冬の散歩道」 

「人間・失格~たとえばぼくが死んだら」は個人的にたいへん好きなドラマなのですが、主に2曲が使用されていました。OP・EDには「冬の散歩道」、これは学校という閉ざされた空間をさまようような少年たちの喧騒、終わりの見えないいじめに疲弊していく少年の心、鬼と化していく父親の心情など「ザワザワする」気持ちをはやし立てるような曲でした。イントロをうまく活用した例だと思います。

最終回には「明日に架ける橋」という名曲が用いられています。このドラマの主要人物として、いじめにより自殺した「誠」という少年が登場するのですが、まさしく彼の心の優しさのとおりの歌詞であると思います。いじめの裏にあった「友情、偏愛」父による「復讐」が主なテーマであり、こちらもなかなか救いようのない悲劇ではあるのですが、誠の優しさだけが視聴者にとっても救いであったこの物語に「よくこの曲をセレクトしたな」と、とてつもないセンスを感じました。

 

家なき子「空と君のあいだに」

タイトル 家なき子
放送枠 1994年4月16日-7月2日
放送期間 日本テレビ土曜ドラマ(21時放送)
エンディング 中島みゆき『空と君のあいだには』(1994年度オリコン年間5位)
小学生の少女が家庭内暴力を受けならがらも力強く生きていく物語。過激な暴力やいじめのシーンは物議を醸した。「同情するなら金をくれ!」というセリフは新語・流行語大賞に選ばれる。シリーズ第一作目は平均視聴率24.7%、最高視聴率37.2%。

 

94年には野島伸司氏が企画・原案として参加した「家なき子」の主題歌、中島みゆき「空と君のあいだに」がミリオンセラーを記録しました。

有名な話ですが、この曲は「家なき子」の主人公・すずのそばに常に寄り添う愛犬・リュウの視点になって書いたものです。

日本テレビ「1分間の深イイ話(2007年9月14日放送回)」で中島みゆき氏本人が「犬の気持ちで見れば、犬が見えているのは『空』と『君』しかないんです」と語っています。

 

空と君とのあいだには 今日も冷たい雨が降る
君が笑ってくれるなら 僕は悪にでもなる

引用:中島みゆき「空と君のあいだに」作詞作曲 中島みゆき

 

理不尽、不条理、偽善、孤独…重いテーマを扱うドラマのなかで、視聴者の癒しにもなった忠犬・リュウ。

悲しき少女に常に寄り添い心をなぐさめた彼の気持ちになって曲を聴きなおすと、また新たな魅力が見えてくるかもしれません。

両A面として収録された「ファイト!」も必聴の一曲です。

 

▼「家なき子」(AmazonPrimeで視聴する)

 

トヨエツブームとキムタクブーム

 

95年 「愛していると言ってくれ」(DREAMS COME TRUE「LOVE LOVE LOVE」)ではトヨエツブームが到来。同年にヒットした「若者のすべて」(Mr.children「Tomorrow never knows」)ではいわゆるキムタクブームがやってきました。

 

トヨエツブーム

95年に放送された「愛していると言ってくれ」は最高視聴率28.1%の大ヒットドラマとなる。主演の豊川悦司(通称トヨエツ)は聴覚障害の画家を演じて人気を博した。

▼写真右 豊川悦司

キムタクブーム
1994年「若者のすべて」が放送され最高視聴率18.3%を記録。主演は萩原聖人と木村拓哉(通称キムタク)。木村拓哉がドラマ中で履いていたエンジニアブーツを履く男が急増した。

 

ロングバケーション「LA・LA・LA LOVE SONG」

タイトル ロングバケーション
放送枠 フジテレビ月曜9時
放送期間 1996年4月15日 -6月24日
オープニング 久保田利伸 withNaomi Campbell
『LA・LA・LA LOVE SONG』(オリコン1996年度年間3位)
結婚式当日に婚約者が失踪したヒロインと、ルームメイトだった年下のピアニストの同居生活を描いたラブ・ストーリー。週刊誌では「月曜日はOLが街から消える」などと騒がれ、主人公に影響されてピアノを習い始める男性が増えるなどの社会現象を起こし「ロンバケ現象」という言葉が流行語となった。最終回の視聴率は36.7%。

 

翌96年、久保田利伸「LA・LA・LA LOVE SONG」は木村拓哉、山口智子主演「ロングバケーション」の主題歌となり大ヒットを記録。

 

▼久保田利伸「LA・LA・LA LOVE SONG」

 

ドラマは初回視聴率がいきなり30%を超え「ロンバケ現象」として社会現象を巻き起こします。松たか子、竹野内豊、稲森いずみが助演に控えているというなんとも豪華なドラマでした。

ピアノを奏でる年下の美青年との同居を妄想した女性も多いことでしょう。この二人の恋も、とにかく何度もすれ違い、うまくいかない。「どうせくっつくんだろう」と安易に思えない、この二人はどうなってしまうんだろうというハラハラした気持ち。

あの気持ちを超える感情はもう自分には訪れないのではないかと、大人になってしまうたび少し悲しくなることもあります。

 

▼松たか子(1977年生まれの女優。日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞している)

▼竹野内豊(1971年生まれの俳優。映画「冷静と情熱のあいだ」ドラマ「ビーチボーイズ」など数多くの主演作を務める)

 

ドラマ主題歌のヒット曲の特徴

 

こうして書き連ねてみて思うのは、ドラマ主題歌としてヒットしたタイアップ曲は総じてイントロが特徴的でした。

イントロを聴くだけで、当時のブラウン管テレビの粗い画質や、家族と囲んだテーブル、翌日感想を言い合った教室など、当時の風景がありありと思い浮かびます。

そして私のなかでいつまでも、キムタクは24歳であり山口智子は31歳(ともにロンバケ出演時の年齢)であるし、トヨエツはよれっとしたシャツとサンダルでとんでもない色気を醸し出す男のままなのです。

ドラマのようなめくるめく世界などないことは、もうこの年齢になれば嫌というほど実感します。

ラブストーリーみたいな恋愛は現実にはない。木村拓哉とも、織田裕二とも、竹野内豊とも恋愛はできません。

電光掲示板にメッセージを流してくれる男性などいないし、実際いたらちょっと引いてしまうのが現実です。※「電光掲示板にメッセージ」は「ラブジェネレーション」第5話での告白シーン

 

でも、90年代ドラマには視聴者の「当たり前」「冷静」を超えてくるときめきとわくわくがあった。

月並みどころではなく単純な言葉を繰り返しますが、間違いなくトキメキとわくわくがあったのです。

そしてそこにも、欠かせない「音楽」という存在がありました。

『90年代J-popヒット曲入門』目次へ  (全11ページ)



スポンサーリンク

目次著者

著者 シン アキコ

30代前半女性。邦楽ファン歴25年。70年代、80年代、90年代の邦楽を愛しています。「歌詞」「曲が生まれた背景」「当時の流行との関連性」などを分析することが好き。

お問い合わせはこちらから