スターダスト・レビューの歴史③ 【現在まで】

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「スターダスト・レビューが日本一のライブバンド」と言える理由を、数百本以上のライブに通い、ボーカル根本要のラジオを愛聴する筆者がお伝えいたします。スターダスト・レビューの「メンバー」「歴史」「魅力」など徹底解説!

スターダスト・レビュー入門 ~日本一のライブバンドと言える理由~ はこちらから

著者:しあ

40代後半女性。音楽が大好きでJ-POP K-POP 洋楽 演歌歌謡曲とさまざまな音楽を聴いています。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。全部チケットの半券をとっているのでとても大切な想い出です。音楽はとても生活を豊かにしてくれるもの。私の好きなアーティストの魅力を知っていただければ、と思います。お問い合わせはこちらから

 

『スターダスト・レビュー入門』目次へ  (全14ページ)

 

 

この章(第1章)は「スターダスト・レビューのメンバーと歴史」。

3ページに渡りスターダスト・レビューの歴史を紹介しています。このページでは光田氏脱退後~現在(2018年)までを紹介します。

 

新サポートメンバー加入

 

「アルバム『Style』のレコーディング中に光田さん脱退」という大きな出来事がありましたがアルバムを完成させ 、このアルバムを持って、すぐにツアーに繰り出します。

 

▼2001年にスタレビを脱退した光田健一氏

 

光田さん脱退の後は

キーボード🎹の添田啓二さん

ギター🎸他の岡崎昌幸さん

がサポートメンバーとしてツアーに、レコーディングにと大きく関わってきます。

 

▼岡崎昌幸氏


光田さん脱退の後のアルバム「Style」が発売され始まったライブツアー「Style」。

 

▼Style(画像クリックでアルバム詳細へ)

 

正直、自分の目で新しいスタレビを見るまでは不安がありました。

でも、いざ客電(客席のライト)が落ち目の前に6人が現れ、音が鳴り始めた瞬間

「何も変わってない!スタレビがそこにいる!」

と思いました。

 

「変わってない」というと進化してないように聞こえますが、そうではなくきちんと新しいスタレビを見せながらも変わらないスタレビがそこにいました。

 

その後、スタレビ4人+2人の体制は今もずっと続いています。

私たちファンにとってもこれがスタレビであり、他のサポートメンバーは考えられない気持ちになっています。

“スターダスト・レビューの歴史③ 【現在まで】” の続きを読む

「ハリウッド版ゴジラ」の裏話・撮影秘話 【『GODZILLA』『GODZILLA ゴジラ』】

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特撮は子供の頃に誰もが一度は目にしたことがあると思います。ですが大人になってからも充分楽しめる映画なのです。裏話や撮影秘話を知る事でより作品を楽しむことができるのです!

「特撮をもっと楽しむための裏話図鑑 ~ゴジラ~編」はこちらから!

著者:山田チャーハン

幼少期から様々な特撮作品を見て育つ。怪獣特撮・ウルトラマン・仮面ライダー・スーパー戦隊と鑑賞する作品の幅が広い。作品を見るだけでなく、考察や解説サイトにも興味があり、知識を増やして作品の楽しみ方を増やすのがモットー。友人と特撮談義や特撮縛りのカラオケをすることも。特撮作品の出演を夢見て、特撮に関する仕事を所望している。

お問い合わせはこちらから

Twitter(山田)@yamada_chahan

 

 

 

 

日本を代表する怪獣特撮のゴジラ。

実は日本だけでなく、ハリウッドでもゴジラが制作されたことがあります。

「ハリウッド版」と聞くと2014年に公開されたゴジラを思い浮かべる人も多いはず。

しかし、それより前の1998年にもハリウッド版ゴジラが制作されています。

このページでは1998年と2014年に公開されたハリウッド版ゴジラの撮影秘話や裏話を紹介します。

 

GODZILLA(1998)(エメゴジ)

基本情報

作品名 GODZILLA
発表年 1998年
上映時間 138分
監督 ローランド・エメリッヒ
出演 マシュー・ブロデリック
備考 ハリウッド製作ゴジラ1作目。各国で公開された。製作費は東映(日本)よりもかなり多かった。

~あらすじ~

日本の漁船がある日何者かによって撃沈させられる。その事件の目撃者はその撃沈に追いやった生物を「ゴジラ」と呼んだ。その後各国で未知なる巨大生物の出現があり、船などが沈没させられる。主人公たちがその巨大生物こそ「ゴジラ」という生き物なのだと気が付く中、ついにニューヨークへゴジラは出現する・・・

 

この作品のゴジラは通称「エメゴジ」と呼ばれています。

監督の名前がエメリッヒであるため、エメゴジと呼ばれているのです。

 

ローランド・エメリッヒ(1955-)
ハリウッドで活躍するドイツ人映画監督。代表作に「インディペンデンス・デイ」「デイ・アフター・トゥモロー」など。

▼ローランド・エメリッヒ氏

photo by Dick Thomas Johnson from Tokyo, Japan – Independence Day: Resurgence Japan Premiere: Roland Emmerich

 

「GODZILLA(1998)」はハリウッドで制作されたゴジラの第1弾です。

身長60メートル・体重500トンと日本のゴジラに比べると体格は小さめですね。(日本のゴジラは作品により異なるが身長100メートルを超すものもいます)

 

▼エメゴジ

 

体格こそ小さいものの時速480キロで動くことができます。エメゴジの1番の強さがこのスピードでしょう。

日本のゴジラは真正面から攻撃を受け切るイメージがありますが、エメゴジはスピードを活かし、攻撃を避けることを得意としています。

 

エメゴジは巨大化イグアナ・無性生殖

 

エメゴジは「核実験の影響で巨大化したイグアナの一種」という設定で、その見た目は怪獣というよりも「恐竜」か「大きなトカゲ」といったところでしょうか。

知能が高いことが特徴で、待ち伏せして軍隊を返り討ちにする一面もあります。

体温が低く、熱探知で居場所を見つけることはできません。

無性生殖(単独で子孫を残す事)が可能で、1匹で複数の卵を生みます。今までのゴジラは子供を産むという描写がなかったため、驚いた人も多いのではないでしょうか。

 

ゴジラの代表的な技である放射熱線ですが、エメゴジは放射熱線を吐くことができません。その代わり、、パワーブレスと呼ばれる息を吐くことで炎に引火させ、爆風を広げることができます。迫力は日本のゴジラほどありませんが…。

エメゴジはCGをメインに描かれていますが、場面によっては着ぐるみやアニマトロニクスと呼ばれるロボットを使い撮影されています。

撮影技術はさすがハリウッドといったところでしょうか。

 

エメゴジは悪評だった

 

モンスターパニック映画として見れば悪い出来ではありませんが、「ゴジラ」の肩書きを背負ってしまったため、エメゴジには酷評が多く集まっています。

日本のゴジラでスーツアクターを務めた中島春雄と薩摩剣八郎は鑑賞後、「これはゴジラじゃない」と感想を述べたようです。

 

中島春雄(1929-2017)
ゴジラの初代スーツアクター。ゴジラ以外の怪獣など、特撮のスーツアクターを多く務めた。
薩摩剣八郎(1947-)

日本のスーツアクター。ゴジラの平成シリーズのゴジラスーツアクターを務めた他、昭和シリーズの「ゴジラvsへドラ」のへドラ役や北朝鮮の特撮映画「プルガサリ」でプルガサリ役を務めた。

「プルガサリ」の裏話・撮影秘話は「特撮裏話図鑑2」で紹介!(このページは特撮裏話図鑑1) 「プルガサリ」の裏話・撮影秘話は「特撮裏話図鑑2」で紹介!(このページは特撮裏話図鑑1)

 

2014年のハリウッド版ゴジラの監督もエメゴジに対し「ゴジラじゃない」とその存在を認めていません。

名監督のスティーブン・スピルバーグにいたっては、「一生見ないだろう」と大激怒。

▼スティーブン・スピルバーグ

photo by Gerald Geronimo CC 表示-継承 2.0

私もゴジラとして認めたくはありませんが、ここまで酷評が多いとなんだか可哀想ですね。

 

さらにゴールデンラズベリー賞の「最低リメイク賞」という名誉ある称号も受け、世界にその存在を知らしめました。

 

ゴールデンラズベリー賞
アメリカの映画賞で「最低」の映画を表彰する。アカデミー賞の前夜に行われる。

 

エメゴジの存在は、これ以降に制作された日本のゴジラ作品にも影響を与えゴジラシリーズ23作目1999年公開の『ゴジラ 2000 ミレニアム』に登場する怪獣「オルガ」の顔のモチーフとなっています。

▼オルガ

「ゴジラ 2000 ミレニアム」の裏話・撮影秘話は第3章で!(このページは第5章) 「ゴジラ 2000 ミレニアム」の裏話・撮影秘話は第3章で!(このページは第5章)

 

2001年公開第25作目『ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃』において劇中で「エメゴジはいる」という設定で登場人物が会話をしますが、その中で「日本の学者はゴジラと認めていない」と発言されてしまいました。

「ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃」の裏話・撮影秘話は第3章で! 「ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃」の裏話・撮影秘話は第3章で!

 

ゴジラシリーズ28作目2004年公開の『ゴジラ FINAL WARS』ではついに日本のゴジラと対決することになります。

名前を「ジラ」と変更し、日本のゴジラの前に立ちはだかりますが結果は瞬殺です。

「ゴジラ FINAL WARS」の裏話・撮影秘話は第3章で! 「ゴジラ FINAL WARS」の裏話・撮影秘話は第3章で!

 

なぜここまで悪い評価が多くなってしまったのか。

これにはある映画が関わっています。

 

その映画とは1953年にアメリカで公開された『原子怪獣現わる』です。

 

この映画は核実験の影響で氷の中で眠っていた「リドサウルス」が目を覚ましてしまうという設定で、リドサウルスの見た目は怪獣ではなく恐竜に近いものになっています。

『GODZILLA』のプロデューサーはこの映画をリメイクしようとしたのですが、予算が下りなかったためゴジラの名前を使ったようです。

元々ゴジラを作る気がなかったと考えると、エメゴジの見た目にも納得できるのではないでしょうか。ある意味不遇な怪獣ですね。

 

視聴方法

公開 タイトル 視聴可能動画サービス
’98 GODZILLA APTT(別料400円)・TDdTV(別料300円)・楽天(別途300円)

Hu=Hulu AP=Amazon Prime TT=TSUTAYA TV TD=TSUTAYA DISCUS dTV=dTV UN=U-NEXT 楽天=楽天TV 表に記載無しの場合は取り扱い無し 別料=視聴には会員料金以外に別途料金が必要

 

 

GODZILLA ゴジラ(2014)

基本情報

作品名 GODZILLA ゴジラ
発表年 2014年
上映時間 123分
監督 ギャレス・エドワーズ
出演 アーロン・テイラー=ジョンソン
備考 ハリウッド製作ゴジラ2作目。

~あらすじ~

日本の原子力発電所である生物の繭が見つかる。その繭は既に羽化していた。羽化した生物は「ムートー」と呼ばれる巨大生物で、その後ハワイへ上陸。するとそのムートーを追ってきたゴジラまでもが人間の目の前に出現する。その後2体の巨大生物は海へ消えるが時を同じくして別のムートーがアメリカ本土で出現してしまう。2体のムートーとゴジラ、そして人間たちの闘いが始まる・・・

 

▼ムートー

 

この作品のゴジラは通称「ギャレゴジ」と呼ばれています。

監督の名前がギャレスであるため「ギャレゴジ」です。

 

ギャレス・エドワーズ(1975-)
イギリスの映画監督。代表作に「ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー」など

photo by Dick Thomas Johnson from Tokyo, Japan – Rogue One: A Star Wars Story Japan Premiere Red Carpet: Gareth Edwards 

 

先ほどご紹介した1998年の作品に続き、ハリウッド版ゴジラの第2弾です。

身長108メートル・体重9万トンと2016年に公開された「シン・ゴジラ」が登場するまで歴代最大の体格を誇っていました。(シン・ゴジラは身長118.5メートル)

その巨大さゆえに咆哮は約5キロ先まで届くと言われています。

まさにハリウッド級の体格ですね。

 

「シン・ゴジラ」の裏話・撮影秘話は第4章で! 「シン・ゴジラ」の裏話・撮影秘話は第4章で!

 

ギャレゴジは2億7000万年前からの種族

 

ギャレゴジは、2億7000万年前から地球の生態系の頂点に立っていた種族の末裔という設定です。

体表は規則的で、戦車の砲弾や核攻撃など人類の兵器では傷付かないほど頑丈な体をしています。

背ビレは体と同じく黒色で鋭く尖っています。顔周辺が特徴的で、頭が小さく首が太くがっちりしており、アメフト選手のような印象を受けるのではないでしょうか。

首元にはエラがあるため、長時間水中で泳ぐことが可能で、サメのような泳ぎ方が特徴です。

 

また、原子炉に似た器官を体内に保有しており、自分で熱エネルギーを作り出すことができます。

作り出したエネルギーは熱線として口から吐き出すことができ、放射時には背ビレが光るなど日本のゴジラと同じ特徴があります。

日本のゴジラと違い、人間には全く興味を示しません。人間が攻撃しても平然としており、進行を続けます。生態系の頂点に立つ種族のため、このような特徴があるのではないでしょうか。

しかし、巨大であるため泳ぐだけで津波が発生し、移動するたびに建物が破壊されていきます。

人間にとっては「怪獣」というよりも「災害」といった方が良さそうですね。

 

全てCG

 

ギャレゴジは全てCGで描かれ、その動きはモーションキャプチャーを使っています。「シン・ゴジラ」のモーションキャプチャーもギャレゴジからヒントを得たのではないでしょうか。

 

モーションキャプチャー
モーションキャプチャーとは、人間の動きのデータ化してコンピューターに取り込むことです。

モーションキャプチャーでは、関節にセンサーをつけて、360度緑に囲まれた部屋で撮影が行われていました。シン・ゴジラの撮影をした野村萬斎さんは、役になりきりたいからという理由で、能面を参考にして造ったゴジラのお面をつけて、撮影に臨んでいました。

▼撮影イメージ

 

東宝は1998年のエメゴジの反省から、「これまでのゴジラを受け継ぐ作品」になるよう制作側に念を押していたようです。

2度も酷評があってはゴジラのブランドが保てないですもんね。

ギャレス監督がゴジラファンで1998年の作品には否定的だったようで、日本のゴジラに近い作品を作り上げました。

公開後の評価が高かったため今後2作目、3作目の制作が検討されているようです。

ギャレゴジが活躍する姿がまた見られるのは嬉しいですね。

 

視聴方法

公開 タイトル 視聴可能動画サービス
’14 GODZILLA ゴジラ APTT(別料400円)・TD楽天(別途300円)

Hu=Hulu AP=Amazon Prime TT=TSUTAYA TV TD=TSUTAYA DISCUS dTV=dTV UN=U-NEXT 楽天=楽天TV 表に記載無しの場合は取り扱い無し 別料=視聴には会員料金以外に別途料金が必要

 

 

特撮をもっと楽しむ為の裏話図鑑 ~ゴジラ編~』は以上になります!

ここまでお読みいただいた方、誠にありがとうございました!特撮は少し前のもの、というイメージがありますが今もゴジラ作品は作り続けられており前の作品でさえも楽しめるものです。是非これを機に特撮にハマってみていただければと思います!

 

同著者の『特撮をもっと楽しむ為の裏話図鑑 ~その他怪獣編~』も引き続きお楽しみください!

 

 

 

目次著者

著者:山田チャーハン

幼少期から様々な特撮作品を見て育つ。怪獣特撮・ウルトラマン・仮面ライダー・スーパー戦隊と鑑賞する作品の幅が広い。作品を見るだけでなく、考察や解説サイトにも興味があり、知識を増やして作品の楽しみ方を増やすのがモットー。友人と特撮談義や特撮縛りのカラオケをすることも。特撮作品の出演を夢見て、特撮に関する仕事を所望している。

お問い合わせはこちらから

Twitter(山田)@yamada_chahan

ジェット・リー氏とドニー・イェン氏の時代 【カンフー映画の歴史⑥】

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カンフー映画を見たことがありますか?ブルース・リー氏やジャッキー・チェン氏は「俳優が武術をする」というよりは、「武術家が演技をする」と表現したほうがしっくりきます。カンフー映画鑑賞歴27年の著者が語ります!

「カンフー映画入門 ~観れば観るほど強くなる!?~」はこちらから!

はじめに

はじめに ~カンフー映画を楽しもう!~

第1章 カンフー映画とは

カンフー映画とは 【カンフー映画の歴史①】

ジミー・ウォング氏の時代 【カンフー映画の歴史②】

ブルース・リー氏の時代 【カンフー映画の歴史③】

ジャッキー・チェン氏の時代「酔拳・蛇拳」 【カンフー映画の歴史④】

ジャッキー・チェン氏の時代「プロジェクトA」 【カンフー映画の歴史⑤】

ジェット・リー氏とドニー・イェン氏の時代 【カンフー映画の歴史⑥】

第2章 カンフー映画スター俳優9選

ジミー・ウォング(王羽) 【カンフー映画スター俳優9選①】

ブルース・リー(李小龍) 【カンフー映画スター俳優9選②】

サモハン(洪金寶、サモ・ハン・キンポー) 【カンフー映画スター俳優9選③】

ジャッキー・チェン(成龍) 【カンフー映画スター俳優9選④】

ユン・ピョウ(元彪) 【カンフー映画スター俳優9選⑤】

ユン・ワー(元華) 【カンフー映画スター俳優9選⑥】

ラム・チェンイン(林正英) 【カンフー映画スター俳優9選⑦】

ジェット・リー(李 連杰) 【カンフー映画スター俳優9選⑧】

ドニー・イェン(甄子丹) 【カンフー映画スター俳優9選⑨】

第3章 カンフー映画を観る方法

カンフー映画を観る方法 【動画配信サービス比較】

第4章 おすすめカンフー映画13選

燃えよドラゴン(1973) 【おすすめカンフー映画13選①】

片腕カンフー対空飛ぶギロチン(1975) 【おすすめカンフー映画13選②】

酔拳(1978) 【おすすめカンフー映画13選③】

豚(とん)だカップル拳(1979) 【おすすめカンフー映画13選④】

ユン・ピョウinドラ息子カンフー(1981) 【おすすめカンフー映画13選⑤】

少林寺(1982) 【おすすめカンフー映画13選⑥】

霊幻道士(1985) 【おすすめカンフー映画13選⑦】

プロジェクトA(1983) 【おすすめカンフー映画13選⑧】

スパルタンX(1984) 【おすすめカンフー映画13選⑨】

七小福(夢に生きた子供達)(1988) 【おすすめカンフー映画13選⑩】

シティーハンター(1993) 【おすすめカンフー映画13選⑪】

イップ・マン 序章(2008) 【おすすめカンフー映画13選⑫】

捜査官X(2011) 【おすすめカンフー映画13選⑬】

第5章 カンフー映画の寄り道話

『七小福』とは 【ジャッキー達の子供時代】

アンジェラ・マオ 【女性カンフー映画スター3選①】

ノラ・ミャオ 【女性カンフー映画スター3選②】

ムーン・リー 【女性カンフー映画スター3選③】

千葉真一 【日本のアクションスター俳優①】

真田広之 【日本のアクションスター俳優②】

第6章 カンフーを習おう!

カンフー(功夫)とは

カンフーの種類 【長拳・南拳・太極拳】

大阪のカンフー教室・カンフー漫画「拳児」

著者:HARUKA

大阪府出身。趣味はドラム。中国武術は現在見習い中です。好きな映画ジャンルはダントツでカンフー映画!小学生の頃にジャッキー映画にはまり、今に至る。カンフースターは映画「霊幻道士」の道士役ラム・チェンイン氏が一番好きです。多くの人に新旧問わずカンフー映画に興味を持ってもらえたら嬉しいです。

お問い合わせはこちらから

 

『カンフー映画入門』目次へ  (全38ページ)

 

第1章ではカンフー映画とは何か、そしてカンフー映画の歴史について解説をしています。

このページでは近年活躍するカンフー映画スター俳優を紹介するとともに最近のカンフー映画について解説をします。※カンフー映画の歴史を最初から知りたい方は第1章の最初のページからお読みください。

 

▼カンフー映画の歴史概要(リンククリックorタップで該当ページへ)

時代 主な出来事 主な俳優・女優
カンフー映画の始まり シヨウブラザーズ社の設立 チェンペイペイ
ジミー・ウォング時代 剣劇から拳脚アクションへ ジミー・ウォング
ブルース・リー時代 ゴールデンハーベスト社設立 / ブルース・リーの死 ブルース・リー
ジャッキー・チェン時代① 「蛇拳」「酔拳」ヒット ジャッキー・チェン
ジャッキー・チェン時代② ジャッキー・チェン略奪事件 / 「プロジェクトA」ヒット ジャッキー・チェン / サモハン / ユン・ピョウ
次世代スター時代⇐当ページ 「少林寺」「イップマン」ヒット ジェット・リー / ドニー・イェン

 

次世代スター時代

ジェット・リー氏

 

前のページで解説したように1983年にジャッキー・チェン氏が「プロジェクトA」で成功を収め、止まることなく作品を輩出している傍らリー・リンチェイ氏(現ジェット・リー氏)という一人の青年が現れました。

 

▼リー・リンチェイ(後のジェット・リー)氏

 

彼は、中国全国武術大会において5年連続チャンピオンになり、ブルース・リー氏やジャッキー・チェン氏といったスターの後を継ぐ「第三の功夫(カンフー)皇帝」と呼ばれました。

リー・リンチェイ氏を世界へ知らしめた大ヒット作は「少林寺」(’82)です。

 

▼少林寺(画像クリックでDVD詳細へ)

 

この映画はリー・リンチェイ氏以外にも武術大会のチャンピオンといった武術家達を起用し、中国と香港の初の合作でした。

ほぼ特撮もスタントも使用しないアクションシーンは当時話題となりました。

リー・リンチェイ氏はその後も武狭映画(昔の中国が舞台の武術に長けた主人公の物語)から現代アクションまで活躍し、1990年代後半からハリウッドへ進出し、国際的地位を確立しました。

 

リー・リンチェイ(ジェット・リー)氏は第2章でも詳しく紹介します!

 

ドニ―・イェン氏

 

そして、同時期にリー・リンチェイ氏と同い年であるドニー・イェン氏もまた頭角を現してきました。

 

▼ドニー・イェン氏

photo by Roger Wo [1]https://www.flickr.com/photos/rogerwo/754841756/

 

最近の香港では「誰が一番のアクションスター?」と尋ねれば、「ドニー・イェン」と返ってくるほど人気があるそうです(ちなみに、筆者が大阪・日本橋にある中華食材を販売しているお店の中国人青年にも同様に尋ねてみたところ、彼も「ドニー」と答えていました)。

母親を武術家に持つドニー・イェン氏は昔からブルース・リー氏の大ファンだったそうです。

幼い頃から武術に励み、17歳で北京へ武術留学をしました。

そこから、ユエン・ウーピン監督から見いだされ1984年に映画デビューを果たします。

 

ユエン・ウーピン氏

ユエン・ウーピン氏はジャッキー・チェン氏の「蛇拳」「酔拳」で監督デビュー。「マトリックス」(’99)で国際的に有名になった。大ヒットしたマトリックスのカンフーアクション指導をしたのがユエン・ウーピン氏。

▼ユエン・ウーピン氏

photo by Slackerwood [Photo Credit: Debbie Cerda, for use with attribution]Master Yuen Woo-ping Uploaded by Teemeah

▼マトリックス(画像クリックでDVD詳細へ)

 

彼の最大の特徴であり武器は、これまでのアクションスターと異なり、キャラクターによってアクションのスタイルを大きく演じ分けることのできることです。

その武術の腕前からは「最後の本格派」と呼ばれています。

 

ブルース・リー氏の師匠として実在した葉問(イップマン)という人物の役を2008年から2015年にかけて務め、これが彼の代表作となり、大きな成功を収めました。

 

▼葉問(イップマン)~序章~(画像クリックで商品詳細へ)

 

「葉問(イップマン)シリーズ」3部作を打ち出し、香港ではわずか8日間で2015年香港映画年間興行収入第2位にランクインするスタートを切ります。

この作品でドニー・イェン氏は名実ともに「宇宙最強」の異名を取りました(ちなみに、この映画には日本人俳優である池内博之氏が出演しています)。

 

池内博之氏(1976~)

日本の俳優。おもな出演作品にNHK大河ドラマ「新撰組」「八重の桜」、WOWOW「下町ロケット」など。中国・香港映画にも多数出演している。

▼池内博之氏

 

この映画によって、古きものを新鮮なものとして再びスクリーンに蘇らせることに成功し、中国伝統武術やブルース・リー氏、そしてドニー・イェン氏といった香港が誇るものを一気に世界中へ知らしめることとなりました。

ドニー・イェン氏は、更に2000年からハリウッド映画「ハイランダー/最終戦士」への出演をきっかけにハリウッドへも進出し、2015年にはスターウォーズのスピンオフ作品「ローグワン/スター・ウォーズ・ストーリー」にも出演を果たしました。

 

▼ハイランダー/最終戦士(画像クリックで商品詳細へ)

▼ローグワン/スター・ウォーズ・ストーリー(画像クリックで商品詳細へ)

 

ここまでご紹介してきたように多くのカンフー映画スターの功績によって、今もなおカンフー映画の伝説と歴史は受け継がれ、更新し続けられています。

 

著者の好きな時代

 

1990年代前半の私はまだ小学生でした。家は母子家庭で週末に家族で出かけるということがありませんでした。

代わりに、水野晴郎(みずの はるお)氏が解説者の「金曜ロードショー」などテレビで放映されるジャッキー映画を母親がほぼ全てビデオに録画しており、土日にまとめて観るのが習慣でした。

ジャッキー映画は複雑な心情描写の映画ではなく、小学生でもわかるようなわかりやすいストーリーが多いです。その為数ある映画の中でもとても観やすかったと記憶しています。

 

香港カンフー映画を好きになったきっかけでもある、初めて観た作品は「プロジェクトA」です。

 

▼プロジェクトA(画像クリックで商品詳細へ)

 

当時読んでいた本に「ズッコケ3人組」という小学生3人が主人公のシリーズ本があって、初めは「その3人組が大人になったバージョンの映画だ!」という印象でした。(ジャッキー氏・サモハン氏・ユンピョウ氏のトリオ)

 

▼ズッコケ3人組

 

「♪タ~ンタタタタッタンタ~ン」という耳に残るテーマ曲に、コメディ要素がふんだんで何回観ても笑えるのに、どうして俳優は身一つでバシバシ闘って翻って、まるでジャンプの漫画に出てくるような強い超人みたいなん?しかも、高い時計台から落下しているけど、どうなってるん?これホンマなん?という疑問からどんどん引き込まれていきました。

 

 

当時はネット等の情報源がほとんどなかったので、沢山本数を観て後々にわかったことが「あのアクションは画像の編集や処理ではなく、彼らは本物の武術家だ」ということ。

その武術が中国拳法である「カンフー」だと知りました。

そこから「自分もジャッキー達のようになりたい!」の一心でした。

 

また、「プロジェクトA」以外でこの時代に外せないのが、サモハン監督のアクションコメディホラー「霊幻道士」シリーズでした。

 

▼サモハン氏

photo by Sasoriza / Bryan Chan CC 表示-継承2.0

▼霊幻道士(画像クリックで商品詳細へ)

 

「霊幻道士」シリーズに登場するキョンシー(中国の妖怪)が見た目も怖く、しかも強いけれど、それを道士様(ラム・チェンイン氏=カンフー映画俳優)がカンフーやお札(おふだ)や様々なアイテムでもって倒すのが痛快でした。

この作品は子供ながらに革命だと思っていました。

 

ラム・チェンイン氏(1952~97)

「霊幻道士」の道士様の印象が強いが、女形を演じたり、華麗な詠春拳を見せたりするカンフー映画スター俳優。真面目そうな風貌に似合わずおちゃめな面が垣間見えることも。

▼真ん中で座っているのがラム・チェンイン氏

▼キョンシーのイメージ

 

「霊幻道士」に道士役で出演しているラム・チェンイン氏は今でも私が一番好きなアクションスターです。

カンフーの腕が素晴らしいのはもちろんのこと、真面目な風貌ながらも笑える演技や演出の工夫をしていて(作品によって眉毛が全剃りだったり繋がっていたり)、そのギャップがとても良いです。

40代で若くして亡くなられたことが悔やまれます。

 

ジャッキー氏の後にブルース・リー氏やジミー・ウォング氏も知ったのですが、やはり、初めに衝撃を受けたジャッキー氏、サモハン氏、ユン・ピョウ氏、ラム・チェンイン氏等が活躍した80年代以降のコメディ要素の強いカンフー映画が一番好きです。

ものすごく笑えるけど、カンフーの腕は本物で、全て本気でやっているという俳優たちの活動に誇りと情熱を感じられるところに強く惹かれました。

結局私は「カンフースターのようになりたい」と言い続けていたのですが、私が女の子だという理由で長年カンフーを習わせてもらえませんでした(もしかしたら金銭的な問題かもしれなかったのですが)。

ですが、当時から20年以上経ってしまいましたが、一昨年に念願のカンフーを習いに行けることになり、今までなかった武術の知識が備わると、今まで観ていたカンフー映画がより面白く感ぜられ、さらに好きな映画のジャンルとなりました。

 

以上、第1章「カンフー映画とは」でした。次のページから第2章。第2章ではカンフー映画のスター俳優達を紹介していきます。

まずはカンフー映画界のレジェンド「ジミー・ウォング」氏からです。

『カンフー映画入門』目次へ  (全38ページ)

 

【カンフー映画の取り揃えが豊富なのは「TSUTAYA TV」&「TSUTAYA DISCAS」!】

 

目次著者

はじめに

はじめに ~カンフー映画を楽しもう!~

第1章 カンフー映画とは

カンフー映画とは 【カンフー映画の歴史①】

ジミー・ウォング氏の時代 【カンフー映画の歴史②】

ブルース・リー氏の時代 【カンフー映画の歴史③】

ジャッキー・チェン氏の時代「酔拳・蛇拳」 【カンフー映画の歴史④】

ジャッキー・チェン氏の時代「プロジェクトA」 【カンフー映画の歴史⑤】

ジェット・リー氏とドニー・イェン氏の時代 【カンフー映画の歴史⑥】

第2章 カンフー映画スター俳優9選

ジミー・ウォング(王羽) 【カンフー映画スター俳優9選①】

ブルース・リー(李小龍) 【カンフー映画スター俳優9選②】

サモハン(洪金寶、サモ・ハン・キンポー) 【カンフー映画スター俳優9選③】

ジャッキー・チェン(成龍) 【カンフー映画スター俳優9選④】

ユン・ピョウ(元彪) 【カンフー映画スター俳優9選⑤】

ユン・ワー(元華) 【カンフー映画スター俳優9選⑥】

ラム・チェンイン(林正英) 【カンフー映画スター俳優9選⑦】

ジェット・リー(李 連杰) 【カンフー映画スター俳優9選⑧】

ドニー・イェン(甄子丹) 【カンフー映画スター俳優9選⑨】

第3章 カンフー映画を観る方法

カンフー映画を観る方法 【動画配信サービス比較】

第4章 おすすめカンフー映画13選

燃えよドラゴン(1973) 【おすすめカンフー映画13選①】

片腕カンフー対空飛ぶギロチン(1975) 【おすすめカンフー映画13選②】

酔拳(1978) 【おすすめカンフー映画13選③】

豚(とん)だカップル拳(1979) 【おすすめカンフー映画13選④】

ユン・ピョウinドラ息子カンフー(1981) 【おすすめカンフー映画13選⑤】

少林寺(1982) 【おすすめカンフー映画13選⑥】

霊幻道士(1985) 【おすすめカンフー映画13選⑦】

プロジェクトA(1983) 【おすすめカンフー映画13選⑧】

スパルタンX(1984) 【おすすめカンフー映画13選⑨】

七小福(夢に生きた子供達)(1988) 【おすすめカンフー映画13選⑩】

シティーハンター(1993) 【おすすめカンフー映画13選⑪】

イップ・マン 序章(2008) 【おすすめカンフー映画13選⑫】

捜査官X(2011) 【おすすめカンフー映画13選⑬】

第5章 カンフー映画の寄り道話

『七小福』とは 【ジャッキー達の子供時代】

アンジェラ・マオ 【女性カンフー映画スター3選①】

ノラ・ミャオ 【女性カンフー映画スター3選②】

ムーン・リー 【女性カンフー映画スター3選③】

千葉真一 【日本のアクションスター俳優①】

真田広之 【日本のアクションスター俳優②】

第6章 カンフーを習おう!

カンフー(功夫)とは

カンフーの種類 【長拳・南拳・太極拳】

大阪のカンフー教室・カンフー漫画「拳児」

著者:HARUKA

大阪府出身。趣味はドラム。中国武術は現在見習い中です。好きな映画ジャンルはダントツでカンフー映画!小学生の頃にジャッキー映画にはまり、今に至る。カンフースターは映画「霊幻道士」の道士役ラム・チェンイン氏が一番好きです。多くの人に新旧問わずカンフー映画に興味を持ってもらえたら嬉しいです。

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カンフー映画を見たことがありますか?ブルース・リー氏やジャッキー・チェン氏は「俳優が武術をする」というよりは、「武術家が演技をする」と表現したほうがしっくりきます。カンフー映画鑑賞歴27年の著者が語ります!

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はじめに

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第1章 カンフー映画とは

カンフー映画とは 【カンフー映画の歴史①】

ジミー・ウォング氏の時代 【カンフー映画の歴史②】

ブルース・リー氏の時代 【カンフー映画の歴史③】

ジャッキー・チェン氏の時代「酔拳・蛇拳」 【カンフー映画の歴史④】

ジャッキー・チェン氏の時代「プロジェクトA」 【カンフー映画の歴史⑤】

ジェット・リー氏とドニー・イェン氏の時代 【カンフー映画の歴史⑥】

第2章 カンフー映画スター俳優9選

ジミー・ウォング(王羽) 【カンフー映画スター俳優9選①】

ブルース・リー(李小龍) 【カンフー映画スター俳優9選②】

サモハン(洪金寶、サモ・ハン・キンポー) 【カンフー映画スター俳優9選③】

ジャッキー・チェン(成龍) 【カンフー映画スター俳優9選④】

ユン・ピョウ(元彪) 【カンフー映画スター俳優9選⑤】

ユン・ワー(元華) 【カンフー映画スター俳優9選⑥】

ラム・チェンイン(林正英) 【カンフー映画スター俳優9選⑦】

ジェット・リー(李 連杰) 【カンフー映画スター俳優9選⑧】

ドニー・イェン(甄子丹) 【カンフー映画スター俳優9選⑨】

第3章 カンフー映画を観る方法

カンフー映画を観る方法 【動画配信サービス比較】

第4章 おすすめカンフー映画13選

燃えよドラゴン(1973) 【おすすめカンフー映画13選①】

片腕カンフー対空飛ぶギロチン(1975) 【おすすめカンフー映画13選②】

酔拳(1978) 【おすすめカンフー映画13選③】

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七小福(夢に生きた子供達)(1988) 【おすすめカンフー映画13選⑩】

シティーハンター(1993) 【おすすめカンフー映画13選⑪】

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第5章 カンフー映画の寄り道話

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ムーン・リー 【女性カンフー映画スター3選③】

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カンフー(功夫)とは

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このページでは一大ブームを巻き起こしたカンフー映画スター俳優「ジャッキー・チェン」氏が活躍した時代のカンフー映画の歴史(後編)を解説をします。※カンフー映画の歴史を最初から知りたい方は第1章の最初のページからお読みください。

 

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時代 主な出来事 主な俳優・女優
カンフー映画の始まり シヨウブラザーズ社の設立 チェンペイペイ
ジミー・ウォング時代 剣劇から拳脚アクションへ ジミー・ウォング
ブルース・リー時代 ゴールデンハーベスト社設立 / ブルース・リーの死 ブルース・リー
ジャッキー・チェン時代① 「蛇拳」「酔拳」ヒット ジャッキー・チェン
ジャッキー・チェン時代②⇐当ページ ジャッキー・チェン略奪事件 / 「プロジェクトA」ヒット ジャッキー・チェン / サモハン / ユン・ピョウ
次世代スター時代 「少林寺」「イップマン」ヒット ジェット・リー / ドニー・イェン

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ジャッキー・チェン氏の時代「酔拳・蛇拳」 【カンフー映画の歴史④】

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第1章 カンフー映画とは

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第2章 カンフー映画スター俳優9選

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第3章 カンフー映画を観る方法

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燃えよドラゴン(1973) 【おすすめカンフー映画13選①】

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ユン・ピョウinドラ息子カンフー(1981) 【おすすめカンフー映画13選⑤】

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第5章 カンフー映画の寄り道話

『七小福』とは 【ジャッキー達の子供時代】

アンジェラ・マオ 【女性カンフー映画スター3選①】

ノラ・ミャオ 【女性カンフー映画スター3選②】

ムーン・リー 【女性カンフー映画スター3選③】

千葉真一 【日本のアクションスター俳優①】

真田広之 【日本のアクションスター俳優②】

第6章 カンフーを習おう!

カンフー(功夫)とは

カンフーの種類 【長拳・南拳・太極拳】

大阪のカンフー教室・カンフー漫画「拳児」

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大阪府出身。趣味はドラム。中国武術は現在見習い中です。好きな映画ジャンルはダントツでカンフー映画!小学生の頃にジャッキー映画にはまり、今に至る。カンフースターは映画「霊幻道士」の道士役ラム・チェンイン氏が一番好きです。多くの人に新旧問わずカンフー映画に興味を持ってもらえたら嬉しいです。

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第1章ではカンフー映画とは何か、そしてカンフー映画の歴史について解説をしています。

このページでは一大ブームを巻き起こしたカンフー映画スター俳優「ジャッキー・チェン」氏が活躍した時代のカンフー映画の歴史(前編)を解説をします。※カンフー映画の歴史を最初から知りたい方は第1章の最初のページからお読みください。

 

▼カンフー映画の歴史概要(リンククリックorタップで該当ページへ)

時代 主な出来事 主な俳優・女優
カンフー映画の始まり シヨウブラザーズ社の設立 チェンペイペイ
ジミー・ウォング時代 剣劇から拳脚アクションへ ジミー・ウォング
ブルース・リー時代 ゴールデンハーベスト社設立 / ブルース・リーの死 ブルース・リー
ジャッキー・チェン時代①⇐当ページ 「蛇拳」「酔拳」ヒット ジャッキー・チェン
ジャッキー・チェン時代② ジャッキー・チェン略奪事件 / 「プロジェクトA」ヒット ジャッキー・チェン / サモハン / ユン・ピョウ
次世代スター時代 「少林寺」「イップマン」ヒット ジェット・リー / ドニー・イェン

 

ジャッキー・チェン氏の時代

ジャッキー・チェン氏の起用

 

前ページで解説したように1970年代前半、香港の映画会社ゴールデン・ハーベスト社はブルース・リー氏と共にカンフー映画界の歴史を刷新しました。

 

▼ブルース・リー氏

ゴールデンハーベスト社
香港の映画制作会社。ブルース・リー氏主演の「ドラゴン危機一髪」などを制作し大ヒット。ブルース・リー氏とともにカンフー映画のブームを作り出した。詳しくは前のページで。

 

その快進撃の立役者の1人であるゴールデン・ハーベスト社の映画監督ロー・ウェイ氏は、1971年にブルース・リー氏を主演とする「ドラゴン危機一発」、「ドラゴン怒りの鉄拳」の記録的大ヒットで監督として注目を浴びました。

 

▼ドラゴン危機一髪(画像クリックでDVD詳細へ)

▼ドラゴン怒りの鉄拳(画像クリックで商品詳細へ)

 

しかしブルース・リー氏とロー・ウェイ監督は喧嘩別れをしてしまいます。

その後ロー・ウェイ監督は、ジミー・ウォング氏主演作品を撮るようになりました。

 

ジミー・ウォング氏(1943~)
カンフー映画ブームの基礎を作ったパイオニア的存在。ブルース・リー氏などのスターが出る前から活躍していたカンフー映画界のレジェンド。

▼ジミー・ウォング氏

 

そして、ロー・ウェイ氏は1975年にゴールデン・ハーベスト社から独立して「羅維影業公司(ロー・ウェイ・インイェ・ゴンスー)」を設立し、ジャッキー・チェン氏を起用した「少林寺木人拳」、「拳精」などの作品を監督して実力を発揮しました。

 

▼ジャッキー・チェン氏

▼少林寺木人拳(画像クリックでDVD詳細へ)

▼拳精(画像クリックでDVD詳細へ)


 

一方この頃、1967年にショウ・ブラザーズ社に入社し、1970年には「吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー」の助監督を務めていたウー・シーユェン氏は、自らの映画会社「シーゾナル・フィルム」を立ち上げました。

 

▼吼えろ!ドラゴン、起て!ジャガー(画像クリックで商品詳細へ)

 

ウー・シーユェン氏はロー・ウェイ監督の元にいるジャッキー・チェン氏に興味を抱き、ロー・ウェイ監督へジャッキー・チェン氏のレンタルを申し出ます。

ちなみに、この頃、ロー・ウェイ監督はジャッキー・チェン氏を第二のブルース・リー氏に仕立てようとしており、ジャッキー・チェン氏自身もまた伸び悩んでいた頃でした。

 

 

「蛇拳」と「酔拳」の大ヒット

 

シーゾナル・フィルム社のウー・シーユェン氏は、ロー・ウェイ監督からジャッキー・チェン氏を2作品の映画に出演させる契約を取り付けることに成功します。

その第一弾として、清朝末期の広東(中国の地名)を背景にした「蛇拳(だけん)」(’78)を製作します。

 

▼蛇拳(画像クリックで商品詳細へ)

清朝と広東省
清朝は1644~1912年まで今の中国とモンゴル地域を支配していた王朝。1894年には日本と日清戦争で対立している。

▼現在の中国の広東省

 

「蛇拳」はそれまで多かったカンフー映画の復讐劇とは異なり、

「全く武術ができない主人公が厳しい訓練によって腕を磨き、成長し、最終的に強敵を打ち倒す」

という新たな痛快ストーリーを打ち出しました。

 

 

カンフー映画はこの作品によって、シリアスなストーリーの中にもコミカルなコメディ要素を取り入れることに成功し、これまで復讐劇が多く暗いイメージを持ったカンフー映画のイメージを一掃しました。

「相手をカンフーで倒す」というよりも「相手とコミュニケーションをとって倒す」という二拍子のカンフーはジャッキー氏映画における特徴の一つです。

 

 

この成功は、ジャッキー・チェン氏持ち前の「明るく愛嬌あるキャラクター」が作用したことも大きく影響しました。

さらにジャッキー・チェン氏の才能を大きく引き出す事にも成功した作品とも言えるでしょう。

この「蛇拳」の成功に続き、姉妹編として、ウー・シーユェン氏は中国伝統武術である『酔八仙拳(すいはっせんけん)』を主軸とした「酔拳(すいけん)」(’78)を製作しました。(蛇拳・酔拳ともに監督はユエン・ウーピン氏)

 

▼ユエン・ウーピン氏

photo by Slackerwood [Photo Credit: Debbie Cerda, for use with attribution]Master Yuen Woo-ping Uploaded by Teemeah

 

前作「蛇拳」にはまだシリアスな雰囲気が残っていましたが、そのシリアスさを完全に排除して、武術の素晴らしさは生かしたまま明るく楽しい作品に仕上げます。

「酔拳」はカンフー映画界に新風を吹き込んだ作品となりました。

 

▼酔拳(画像クリックで商品詳細へ)

 

【コラム】「酔拳」の『酔八仙拳(すいはっせんけん)』ってどんな拳法?

▼酔拳のイメージ

酔八仙拳は一般には「酔拳」の呼び名で知られていますが、八人の仙人の酔態(酔った状態)を模した拳法であり、実際に飲酒して戦う拳法ではありません。

明代の中国で書かれた伝奇歴史小説の「水滸伝(スイコデン)」の登場人物である花和尚(カオシヨウ)こと魯知深(ロチシン)を酔八仙拳の伝説上の祖としています。

▼水滸伝

複雑で変化に富む千鳥足の歩法と月牙叉手(ゲツガサイシュ)と称する手法(お猪口を持つような手つき)が特徴です。

▼イメージ

八人の仙人(酔八仙)とは、

  • 呂洞賓(ロドウヒン、故事「邯鄲(カンタン)の夢」で盧生(ロセイ)に枕を与えた仙人)
  • 李鉄拐(リテツカイ、片足が不自由で杖を突く仙人)
  • 漢鐘離(カンショウリ、晋の将軍)
  • 藍彩和(ランサイワ、唐代に常に大きな花かごを持ち、片足だけ裸足でボロを着て歌い歩いていた仙人)
  • 張果老(チョウカロウ、常に白いロバに乗っている仙人)
  • 曹国舅(ソウコッキュウ、宋の曹太后の弟)
  • 韓湘子(カンショウシ、唐の詩人、横笛の名手)
  • 何仙姑(カセンコ、唯一の女仙人)

を指します。

酔八仙拳が世に知られるようになったのは、上海精武体育会(しゃんはい せいぶ たいいくかい:上海の体育学校)の教師であった陳維賢(チンイケン)が伝えたことによります。

酔八仙拳は地面を転がりながら戦うことを得意とした門派に属し、足場の悪い場所での戦いにも適すると言います。

また、先ほどイメージを示した月牙叉手(ゲツガサイシュ)と称する手法(お猪口を持つような手つき)は喉をつかんで破壊するものであり、実践時には人差し指をまげて突き出し急所を攻めるのに用いられます。

他の中国拳法の中でも最もユニークですが、その実態は緩急に富み、剛と柔の両面を備え、足腰の強さとバランスや柔軟性が要求される難易度の高い拳法です。現在では大会においての表演武術種目(採点競技)としてよく知られています。

 

以上、ジャッキー・チェン氏が活躍した時代のカンフー映画の歴史でした。火が付いたジャッキー・チェン氏のカンフー映画はさらに人気になっていきます。次のページではその後のカンフー映画の歴史について解説をしていきます。

『カンフー映画入門』目次へ  (全38ページ)

 

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目次著者

はじめに

はじめに ~カンフー映画を楽しもう!~

第1章 カンフー映画とは

カンフー映画とは 【カンフー映画の歴史①】

ジミー・ウォング氏の時代 【カンフー映画の歴史②】

ブルース・リー氏の時代 【カンフー映画の歴史③】

ジャッキー・チェン氏の時代「酔拳・蛇拳」 【カンフー映画の歴史④】

ジャッキー・チェン氏の時代「プロジェクトA」 【カンフー映画の歴史⑤】

ジェット・リー氏とドニー・イェン氏の時代 【カンフー映画の歴史⑥】

第2章 カンフー映画スター俳優9選

ジミー・ウォング(王羽) 【カンフー映画スター俳優9選①】

ブルース・リー(李小龍) 【カンフー映画スター俳優9選②】

サモハン(洪金寶、サモ・ハン・キンポー) 【カンフー映画スター俳優9選③】

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ユン・ピョウ(元彪) 【カンフー映画スター俳優9選⑤】

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ジェット・リー(李 連杰) 【カンフー映画スター俳優9選⑧】

ドニー・イェン(甄子丹) 【カンフー映画スター俳優9選⑨】

第3章 カンフー映画を観る方法

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第4章 おすすめカンフー映画13選

燃えよドラゴン(1973) 【おすすめカンフー映画13選①】

片腕カンフー対空飛ぶギロチン(1975) 【おすすめカンフー映画13選②】

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豚(とん)だカップル拳(1979) 【おすすめカンフー映画13選④】

ユン・ピョウinドラ息子カンフー(1981) 【おすすめカンフー映画13選⑤】

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スパルタンX(1984) 【おすすめカンフー映画13選⑨】

七小福(夢に生きた子供達)(1988) 【おすすめカンフー映画13選⑩】

シティーハンター(1993) 【おすすめカンフー映画13選⑪】

イップ・マン 序章(2008) 【おすすめカンフー映画13選⑫】

捜査官X(2011) 【おすすめカンフー映画13選⑬】

第5章 カンフー映画の寄り道話

『七小福』とは 【ジャッキー達の子供時代】

アンジェラ・マオ 【女性カンフー映画スター3選①】

ノラ・ミャオ 【女性カンフー映画スター3選②】

ムーン・リー 【女性カンフー映画スター3選③】

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カンフー(功夫)とは

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第1章ではカンフー映画とは何か、そしてカンフー映画の歴史について解説をしています。

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時代 主な出来事 主な俳優・女優
カンフー映画の始まり シヨウブラザーズ社の設立 チェンペイペイ
ジミー・ウォング時代 剣劇から拳脚アクションへ ジミー・ウォング
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ジャッキー・チェン時代① 「蛇拳」「酔拳」ヒット ジャッキー・チェン
ジャッキー・チェン時代② ジャッキー・チェン略奪事件 / 「プロジェクトA」ヒット ジャッキー・チェン / サモハン / ユン・ピョウ
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ブルース・リー氏の時代

ゴールデン・ハーベスト社の設立

 

前のページまでで解説したように香港の映画会社シヨウ・ブラザーズは1960年代からカンフー映画の基礎をカンフー映画スター俳優のジミー・ウォング氏と共に作ってきました。

 

シヨウ・ブラザーズ社

香港の企業家ランラン・ショウ氏が立ち上げた香港の映画会社。後に「東洋のハリウッド」とも呼ばれる同社はカンフー映画の発展に大きく貢献した。詳しくは前のページで解説。

ジミー・ウォング氏(1943~)
カンフー映画ブームの基礎を作ったパイオニア的存在。ブルース・リー氏などのスターが出る前から活躍していたカンフー映画界のレジェンド。

▼ジミー・ウォング氏

 

そんな中、香港映画会社ショウ・ブラザーズの制作本部長を務めていたレイモンド・チヨウ氏は、プロデューサーのレナード・ホー氏等と1970年にシヨウ・ブラザーズ社から独立します。

レイモンド・チヨウ氏と同映画会社プロデューサーのモナ・ファン氏との確執からの事でした。

そこでレイモンド・チヨウ氏は新たな映画製作会社「ゴールデン・ハーベスト」を設立させました。

 

▼ゴールデン・ハーベスト社のロゴ

 

設立当初のゴールデン・ハーベスト社は、撮影所さえ所有できず、ロク・ワントー氏率いるキャセイ・オーガナイゼーションを母体とした映画会社MP&GI(國際電影懋業公司)の撮影所を借りて撮影をしていました。

映画会社MP&GIは先述したシヨウ・ブラザーズ社のライバル関係にある会社です。

 

 

しかし所属していた俳優も「看板スター」という俳優が不在で、ゴールデン・ハーベスト社による無名の俳優を中心とした映画製作は苦難を強いられていました。

 

【コラム】キャセイ・オーガナイゼーションとMP&GI


(出典:http://www.cathay.com.sg/”>http://www.cathay.com.sg/)

シンガポールを本拠地とする企業キャセイ・オーガナイゼーション(国泰機構)は、1956年に香港の子会社MP&GI(國際電影懋業公司)で、本格的な映画製作事業に乗り出しました。

マレーシアの富商の息子として生まれ、スイス・イギリスで教育を受けた陸運涛(ロク・ワントー)氏が代表のMP&GIは、都会的で洗練されたタッチの作品を数多く生み出しました。

葛蘭(グレース・チャン)氏、林黛(リン・ダイ)氏、林翠(リン・ツイ)氏、尤敏(ユー・ミン)氏、葉楓(イエ・フォン)氏といったスター女優を多く抱えて、短期間で香港映画会社ショウ・ブラザーズと並ぶ香港有数の映画会社に成長しました。

しかし、ライバル関係にあるシヨウ・ブラザーズ社と互いの所属するスター俳優やスタッフの引抜き合いなどによる激しいライバル争い等によって次第に経営が悪化していきます。

1964年にアジア太平洋映画祭が行われていた台湾において、ロク・ワントー夫妻や映画関係者の乗った飛行機が墜落し全員死亡するという悲劇によってMP&GIは失速しました。

1965年、ロク・ワントー氏の妹婿によって巻き返しを図りますが、シヨウ・ブラザーズ社がブームの中心にいた「新派武侠映画ブーム」(1960年代後半に起こった主人公が自身の復讐や仇討の完遂を目的とした映画のブーム)の波に乗り遅れたことが決定的となり、1971年に製作部門を閉鎖。最終的にスタジオはゴールデン・ハーベスト社に移譲されました。

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ブルース・リー氏の登場

 

そんな中、彗星のごとく現れたのがブルース・リー氏でした。

 

▼ブルース・リー氏

 

ゴールデン・ハーベスト社は看板俳優を獲得しようと、「空中必殺・雪原の血闘(影子神鞭/インズーシェンビェン)」(1971)の完成と同時に結婚し、渡米してしまった女優、チェン・ペイペイ氏に香港での女優復帰のオファーを試みました。

 

▼チェン・ペイペイ氏

 

しかしこれは拒否されてしまい、叶いませんでした。

(後日談ですが、チェン・ペイペイ氏は1973年に香港へ一時帰国し、ゴールデン・ハーベストで数本の作品に出演後、再びアメリカへ戻ります。)

 

そこで、多様な格闘技からそれぞれの長所を取り入れた独自の武道である截拳道(ジークンドー)をアメリカで創設させたブルース・リー氏へゴールデン・ハーベスト社はオファーをしました。

 

【コラム】截拳道(ジークンドー)とは

▼截拳道(ジークンドー)のイメージ

截拳道(ジークンドー)はブルース・リー氏を創始者としている武術で、ボクシングやフェンシング、合気道、柔術等の様々な武術から実践として使える箇所を採り入れています。

特定の形式や流派にとらわれずに、様々な突き・蹴りをはじめとする打撃技から、倒し・投げ・絞め・関節技など格闘技のあらゆるエッセンスを集大成した武術で、他の武術にあるような禁じ手(目突きや頭突き等)のない実践格闘術です。

現在でいうところの、総合格闘技の先駆けとも言えます。

また「截拳道(ジークンドー)」という言葉は格闘のスタイルだけではなく、ブルース・リー氏の思想(哲学)をも指します。

哲学をよく学んでいたブルース・リー氏は、武術に対する説明として「水のように動く」という表現を使い「水」を引き合いに出していました。

自身の心の成長を止めることなく、流れる水のように常に変化に柔軟に適応し、いざという時は、簡単に掴まれず傷つけられることのない強靭な心を養う、といった考えも截拳道(ジークンドー)の要素のひとつと言えます。

 

ブルース・リー氏は1970年4月に香港へ一時帰国をして、ショウ・ブラザーズ社と契約交渉を試みましたが、断られていたのでした。

彼はシヨウ・ブラザーズ社の監督キン・フー氏の熱狂的ファンだったとも言われています。

 

キン・フー氏(1931~1997)
中国の映画監督。中国の伝統的音楽劇「京劇」と剣で戦う映画「剣劇映画」を融合させた「京劇アダプテーション」と呼ばれる新しいアクション映画スタイルを生み出した。(キン・フー監督については前のページで解説)

主な監督作品に先述した女優チャン・ペイペイ氏主演の「大酔侠」。1975年に「侠女」で第28回カンヌ国際映画祭の高等技術委員会グランプリを受賞。

 

当時、ジミー・ウォング氏主演・監督の「吼えろ!ドラゴン、起て!ジャガー」が興行収益第一位を獲得していました。この映画を観たブルース・リー氏は「自分自身であればもっと凄い蹴りができる」と激怒したそうです。

 

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ブルース・リー氏はアメリカでのテレビシリーズ「グリーンホーネット」で日本人のカトー役で注目されていました。

 

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そしてハリウッド進出を目指していましたが、1971年にゴールデン・ハーベスト社のオファーを受け、同社と契約を結び香港へ戻りました。

そして記念すべき主演映画第一弾である「ドラゴン危機一髪」(’71)のロケ地、タイへ向かいました。

 

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この映画はカンフー映画の革命とも言えるほどの衝撃を映画界へ与え、一夜にしてカンフー映画の歴史を刷新しました。

観客は、ブルース・リー氏ほどに極限に鍛え抜かれた肉体と精神を持つ俳優をこれまでスクリーンの中で観たことがなかったのでした。

この映画の中でも、三連続の猛スピードで打点の高い回し蹴りは「李三脚(りさんきゃく)」と呼ばれました。

そして続く第二作目「ドラゴン怒りの鉄拳」(’72)は抗日的なストーリー(敵が日本人という設定)にも関わらず日本でも前作を凌ぐ大ヒットとなりました。

 

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この映画の中で見受けられる『怪鳥音』と呼ばれる「アチョー!」といった独特の叫び、そして、たまたま撮影現場に遊びに来ていた日本人俳優・倉田保昭氏がブルース・リー氏へ贈ったと言われる武器『ヌンチャク』を使ったアクションは、ブルース・リー氏のトレードマークとなりました。

 

倉田保昭氏(1946~)
日本のアクション映画俳優。多くのカンフー映画に出演。「和製ドラゴン」の愛称で親しまれている。

 

ちなみに、この映画の中では、後に活躍するジャッキー・チェン氏が日本人・鈴木役のスタントとして出演しており、ブルース・リー氏にぶっ飛ばされています。

 

▼ジャッキー・チェン氏

 

ブルース・リー氏は続く三作目「ドラゴンへの道」(’72)では、同氏が監督も兼任し作品を発表します。

 

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その後休むことなく、「ブルース・リー/死亡遊戯」の製作に入りますが、クライマックスシーンを撮り終えた時点で一時中断し、ハリウッドのワーナーブラザーズとゴールデン・ハーベスト社の合作である「燃えよドラゴン」(’73)の撮影に入りました。

 

ワーナーブラザーズ
アメリカの大手メディア制作会社。テレビ・アニメ・映画など幅広く映像コンテンツを制作。スーパーマンシリーズ・エルム街の悪夢・ハリーポッターシリーズなどヒット作は多数。

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ブルース・リー氏の死

 

しかし、ここで悲劇は訪れました。1973年7月20日、ブルース・リー氏は、当時愛人と噂されていたベティ・ティンペイ氏宅で倒れます。

 

ベティ・ティンペイ氏(1947~)
台湾出身の女優。香港映画会社シヨウ・ブラザーズの作品など、多く出演。

 

救急車でブルー・スリー氏は緊急搬送されましたが、そのまま帰らぬ人となりました。

享年32歳とあまりに早すぎるブルース・リー氏の死は、香港だけに留まらず、世界中に大きな衝撃を与えました。ブルース・リー氏の葬儀は、香港とシアトルで2度行われました。

その後5年間の紆余曲折を経て、監督をロバート・クローズ氏、武術指導はサモ・ハン・キンポー氏(のちのサモハン氏)が担当し、未完成の「死亡遊戯」は補足撮影をされ1978年に公開されました。

 

ロバート・クローズ氏(1928~1997)
アメリカの監督。「燃えよドラゴン」(1973)の監督。
サモハン氏(1949~)

多くのヒット作の製作・監督・出演をするカンフー映画の主要人物。大きな体格にも関わらず、俊敏な動きで観る人を圧倒する。

photo by Sasoriza / Bryan Chanhttps://www.flickr.com/photos/sasoriza/114349755/ CC 表示-継承 2.0

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ブルース・リー氏という随一の看板スターを失ったゴールデン・ハーベスト社は、一度は香港を離れ再び戻ってきたジミー・ウォング氏やカンフー映画スター女優であるアンジェラ・マオ氏主演作品でショウ・ブラザーズ社に対抗します。

 

アンジェラ・マオ氏(1950~)
台湾出身の女優。「燃えよドラゴン」ではブルース・リー氏の妹役を演じた。合気道の達人でもある。

▼アンジェラ・マオ氏

アンジェラ・マオ氏は第5章で詳しく紹介!

 

しかし当時勢いを盛り返してきたショウ・ブラザーズ社に太刀打ちすることができませんでした。

そして、アクション映画市場もブルース・リー氏の死と共に「香港のカンフー映画は終わった」という風潮が漂い、カンフー映画の衰退期を迎えることになるのでした。

 

以上、ブルース・リー氏が活躍した時代のカンフー映画の歴史でした。次のページではカンフー映画の一時代を築いた「ジャッキー・チェン」氏が活躍した時代のカンフー映画について解説をしていきます。

『カンフー映画入門』目次へ  (全38ページ)

 

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目次著者

はじめに

はじめに ~カンフー映画を楽しもう!~

第1章 カンフー映画とは

カンフー映画とは 【カンフー映画の歴史①】

ジミー・ウォング氏の時代 【カンフー映画の歴史②】

ブルース・リー氏の時代 【カンフー映画の歴史③】

ジャッキー・チェン氏の時代「酔拳・蛇拳」 【カンフー映画の歴史④】

ジャッキー・チェン氏の時代「プロジェクトA」 【カンフー映画の歴史⑤】

ジェット・リー氏とドニー・イェン氏の時代 【カンフー映画の歴史⑥】

第2章 カンフー映画スター俳優9選

ジミー・ウォング(王羽) 【カンフー映画スター俳優9選①】

ブルース・リー(李小龍) 【カンフー映画スター俳優9選②】

サモハン(洪金寶、サモ・ハン・キンポー) 【カンフー映画スター俳優9選③】

ジャッキー・チェン(成龍) 【カンフー映画スター俳優9選④】

ユン・ピョウ(元彪) 【カンフー映画スター俳優9選⑤】

ユン・ワー(元華) 【カンフー映画スター俳優9選⑥】

ラム・チェンイン(林正英) 【カンフー映画スター俳優9選⑦】

ジェット・リー(李 連杰) 【カンフー映画スター俳優9選⑧】

ドニー・イェン(甄子丹) 【カンフー映画スター俳優9選⑨】

第3章 カンフー映画を観る方法

カンフー映画を観る方法 【動画配信サービス比較】

第4章 おすすめカンフー映画13選

燃えよドラゴン(1973) 【おすすめカンフー映画13選①】

片腕カンフー対空飛ぶギロチン(1975) 【おすすめカンフー映画13選②】

酔拳(1978) 【おすすめカンフー映画13選③】

豚(とん)だカップル拳(1979) 【おすすめカンフー映画13選④】

ユン・ピョウinドラ息子カンフー(1981) 【おすすめカンフー映画13選⑤】

少林寺(1982) 【おすすめカンフー映画13選⑥】

霊幻道士(1985) 【おすすめカンフー映画13選⑦】

プロジェクトA(1983) 【おすすめカンフー映画13選⑧】

スパルタンX(1984) 【おすすめカンフー映画13選⑨】

七小福(夢に生きた子供達)(1988) 【おすすめカンフー映画13選⑩】

シティーハンター(1993) 【おすすめカンフー映画13選⑪】

イップ・マン 序章(2008) 【おすすめカンフー映画13選⑫】

捜査官X(2011) 【おすすめカンフー映画13選⑬】

第5章 カンフー映画の寄り道話

『七小福』とは 【ジャッキー達の子供時代】

アンジェラ・マオ 【女性カンフー映画スター3選①】

ノラ・ミャオ 【女性カンフー映画スター3選②】

ムーン・リー 【女性カンフー映画スター3選③】

千葉真一 【日本のアクションスター俳優①】

真田広之 【日本のアクションスター俳優②】

第6章 カンフーを習おう!

カンフー(功夫)とは

カンフーの種類 【長拳・南拳・太極拳】

大阪のカンフー教室・カンフー漫画「拳児」

著者:HARUKA

大阪府出身。趣味はドラム。中国武術は現在見習い中です。好きな映画ジャンルはダントツでカンフー映画!小学生の頃にジャッキー映画にはまり、今に至る。カンフースターは映画「霊幻道士」の道士役ラム・チェンイン氏が一番好きです。多くの人に新旧問わずカンフー映画に興味を持ってもらえたら嬉しいです。

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スターダスト・レビューの歴史 【デビュー前から三谷泰弘在籍時】

Webon紹介目次著者
「スターダスト・レビューが日本一のライブバンド」と言える理由を、数百本以上のライブに通い、ボーカル根本要のラジオを愛聴する筆者がお伝えいたします。スターダスト・レビューの「メンバー」「歴史」「魅力」など徹底解説!

スターダスト・レビュー入門 ~日本一のライブバンドと言える理由~ はこちらから

著者:しあ

40代後半女性。音楽が大好きでJ-POP K-POP 洋楽 演歌歌謡曲とさまざまな音楽を聴いています。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。全部チケットの半券をとっているのでとても大切な想い出です。音楽はとても生活を豊かにしてくれるもの。私の好きなアーティストの魅力を知っていただければ、と思います。お問い合わせはこちらから

 

『スターダスト・レビュー入門』目次へ  (全14ページ)

 

 

この章(第1章)は「スターダスト・レビューのメンバーと歴史」。

このページから3ページに渡りスターダスト・レビューの歴史を紹介していきます。このページではアマチュアバンド時代~三谷氏が脱退するところまでを紹介します。

 

アマチュアバンド時代

 

スターダスト・レビューの前身は「アレレのレ」というアマチュアバンドです。

 


▲写真左から:柿沼・根本・林 ・寺田

 

根本要さんと柿沼清史さんは同い年で同じ高校、そこで出会います。

寺田正美さんと林”VOH”さんは同い年で要さんたちの2歳下、幼稚園の頃からの幼なじみ。

 

▼スタレビメンバーの関係図

 

「アレレのレ」ではキーボードをTHE JAYWALK(前J-WALK)の杉田裕さんが努めていましたが脱退したため、アマチュアバンド仲間で評価の高かった三谷泰弘さんが加わります。

 

J-WALK

1993年『何も言えなくて・・・夏』で紅白歌合戦に出場する。2011年に「J-WALK」からバンド名が「THE JAYWARK」になる。

▼アマチュアバンド仲間で評価の高かった三谷泰弘氏

 

三谷さんによれば「要さんから「アレレのレ」への誘いがあるだろうということは予想していたし、電話があった時は、とてもうれしかった」そう。

三谷さんは寺田さんたちと同い年。

 

▼アレレのレ時代メンバー図

 

1981年デビュー

▲『シュガーはお年頃 2002リマスター』

 

ヤマハポピュラーソングコンテストでデビューのきっかけをつかむまでは、要さん、柿沼さん、VOHさん、三谷さんは大学生、寺田さんは就職していました。

そして1981年に「シュガーはお年頃」でデビューしますが全然売れませんでした。

 

 

業界内の評判は割と高く、かろうじてアマチュア時代と同様にライブに力を注ぐことはできていましたが、レコードは売れないし、お客さんも入りません。

そんな中、エリック・クラプトンの武道館公演で前座をしたことがその当時の自慢。

 

▼エリック・クラプトン

photo by Steve Proctor

 

4枚目シングル「トワイライト・アヴェニュー」

 

鳴かず飛ばずで来ていたスタレビは、スタッフから

「次の曲が売れないと後がない」

と言われ、初めて作詞家に依頼して書いてもらった4枚目のシングル「トワイライト・アヴェニュー」(1983)が少しだけ注目を集めます。

切ない歌詞と美しいメロディー、私はこの曲が大好きで、私の中のベスト5に入ります。

 

著者がおすすめするスターダスト・レビューの名曲は第2章で解説!(現在第1章)

 

「トワイライト・アヴェニュー」までは主に、要さんとVOHさんが作詩をしており、要さん曰く「歌詞なんて正直なんでもよかったんだね(笑)」と。

音楽マニアの要さんは、聴いてきた音楽もその当時は歌詞の内容よりも音のカッコよさなどに魅了されていて、歌詞はあまり興味がなかったようなのです。

 

それは、自分の歌詞にも表れていて、今ではライブで大人気で大いに盛り上がるシングル

「シュガーはお年頃」(先述)

「銀座ネオンパラダイス」(2ndシングル・1981)

「ブラックペッパーのたっぷりきいた私の作ったオニオンスライス」(3rdシングル・1982)

も歌詞の内容はそこまで共感を得るようなものではなく、勢いのあるサウンドの楽しさに重点が置かれている印象です。

 

この当時のスタレビの音楽はみんなでわいわい楽しく歌える「ブギウギ、ドゥーワップ」の曲調のイメージがあり、後にライブでは上にあげた3曲を観客と一緒に歌うことが多いです。

当時あまり評価が高くなかったとはいえ、メンバー、特に要さんはとても自信を持っていて、今ではスタレビのスタンダードナンバーとなっているのだから不思議です。

 

カルピスCM「夢伝説」

 

そしてなんとか少しだけ結果につながり、ホッとできたスタレビは相変わらず精力的にライブ活動をしており、以前よりも集客も少しずつ上がっていき次の5thシングル「夢伝説」(1984)がカルピスのCMに使われたことからさらに注目を浴びることになります。

 

「この曲に救われた、これがなかったらスタレビは終わってた」

と要さん。

どんなに自信を持っている曲でも、いいライブをしていても、結果がともなわなければ厳しい音楽業界。

第一期のスタレビのターニングポイントはまさしくここだと言えます。

 

ここから

「今夜だけきっと」(9thシングル・1986)

「Stay My Blue」(14thシングル・1988)

「Nothern Lights」(15thシングル・1989)

「君のキャトル・ヴァン・ディス」(19th・1990)

「もう一度抱きしめて」(24thシングル・1993)

などさまざま楽曲を発表し世間の認知度も増え、もともと力を入れていたライブパフォーマンスの高さから、ファンが増え始めます。

 

代表曲「木蘭の涙」

 

そしてスタレビの一番知られているであろう曲「木蘭の涙」(25thシングル・1993)をリリースします。

 

・・・といってもそんなに当時売れたわけだはなく「スタレビの中では」ですよ。

 

今では、いろんなアーティストがカバーしているので「スタレビが本家」と知っている人もいなかったりして

「『木蘭の涙』ってスタレビもカバーしてるんですねぇ」

と業界関係者に言われ、気の弱い要さんは

「えっ、あっ、はい・・・」

なんて・・・。

 

この1980年代半ばのスタレビは三谷さん中心のシンセサイザーやデジタル音を多用したキラキラしたおしゃれなサウンド。

▼シンセサイザーの例

 

デビュー前、デビュー当時は泥臭くラフに好きな音楽をやっていたスタレビも、いつの間にかおしゃれなシティポップスと言われ始め、衣装も当時はやっていたダブルのカラースーツに身を包みます。

▼カラースーツ

 

三谷氏の脱退

▼三谷 泰弘氏

 

そうして少しだけ順調に動きだしたスタレビに最大の危機が。

キーボードの三谷さんが「スタレビを脱退したい」と言ってきたのです。

 

三谷さんは音楽の才能をさらに開花させ、この頃のスタレビの作曲編曲を手掛け、多くの名曲を生み出し、スタレビのなくてはならない大黒柱になっていました。

しかし、自身のソロ活動をしたいということで「脱退したい」と。

要さんは三谷さんと自分たちの音楽的レベルの差がどんどんかけ離れていっていることを実感していて三谷さんのやりたいことはスタレビではできない、感じていました。

 

そして1994年いっぱいで三谷さんはスタレビを脱退します。

消してケンカ別れではなく、快く送り出し、今でも三谷さんとは仲間であり、スタレビの記念ライブなどにも参加しています。

こうしてスタレビの名キーボーディストであり名作編曲家の三谷さんに頼りっぱなしだったスタレビはこれからの活動に不安を抱えていくのでした。

 

次のページでは三谷氏脱退後のスターダスト・レビューから、光田氏が在籍していた時までを紹介していきます。

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スターダスト・レビューの歴史② 【光田健一在籍時】

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「スターダスト・レビューが日本一のライブバンド」と言える理由を、数百本以上のライブに通い、ボーカル根本要のラジオを愛聴する筆者がお伝えいたします。スターダスト・レビューの「メンバー」「歴史」「魅力」など徹底解説!

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この章(第1章)は「スターダスト・レビューのメンバーと歴史」。

3ページに渡りスターダスト・レビューの歴史を紹介しています。このページでは三谷氏が脱退後~光田氏の脱退までを紹介します。

 

アルバム「艶」をリリース

 

三谷泰弘さんの脱退はスタレビにとって大きな打撃でした。

 

▼1994年にスタレビを脱退した三谷泰弘氏

 

スタレビのボーカル&ギターの根本要さんはバンドの解散も考えたのですが

「やはりバンドを続けたい、自分たちで頑張ろう」

と決意します。

 

「何十年もバンドを続けられてすごいですね」という問いには

「誰でも続けようと思えば続けられるよ。だって解散しなきゃいいんだもん(笑)」

と要さんらしい答えを返しています。

三谷さんが脱退するまでの数年間のスタレビサウンドは三谷色が強くキラキラしたイメージです。

 

▼根本要氏

 

三谷さん脱退後、スタレビは自分たちの音楽を再確認し、デジタルではなく生のバンドサウンドにこだわった「艶」(12thアルバム・1995年)というアルバムを発表します。

バラエティに富んだ、豊かな色を散りばめたアルバムとして「艶」と名付けたそうです。

 

▼アルバム「艶」

 

このアルバムの1曲目の「KEEP ON ROLLIN’」はスタレビらしい軽快なロックンロールナンバー。

 

この曲に新生スタレビの決意表明が表れている気がします。

私はこの曲が大好きで、セットリスト(ライブの曲順)にこの曲が入っているともう大興奮!

このアルバムのツアーグッズのキーホルダーに「Keep On Rollin’」の文字が刻まれていて、今でも大事にこのキーホルダーを持っています。

 

▼「艶」のツアー『STARDUST REVUE CONCERT TOUR 艶』

 

光田健一(みつだ けんいち)氏加入

 

このツアーからキーボードに光田健一(みつだ けんいち)さんがサポートとして加わります。

 

▼光田健一氏

 

光田さんは要さんより10歳も下で、素晴らしい音楽センスの持ち主。

メンバーが出したアイデアを、その音楽センスでどんどん実現化する光田さん。

 

「世の中にはこんなすごい人もいるんだなあ」

とメンバーは驚くばかり。

 

光田さんは両親ともに音楽に携わった仕事をしており、小さいころからクラシックを筆頭にたくさんの音楽に囲まれて育ちました。

東京芸術大学音楽部作曲科に在学していた経歴があり、絶対音感の持ち主で素晴らしい才能を持った光田さんはスタレビに様々なインスピレーションを与えることになります。

 

音楽を基礎から学んでいる光田さんとの出会いによって、スタレビの音楽はまた新たにいろんな可能性が広がっていくことになります。

ライブでもその音楽スキルの高さと、ルックスのかわいらしさからスタレビファンにも大人気だった光田さんを、1998年に正式メンバーとして迎えます。

新生スターダスト・レビューになってから初めてのライブで要さんはライブ後、大泣きしたそうです。

 

「これでいける、大丈夫だ」と。

 

そしてオリジナルアルバムの他、

光田さんが全曲アレンジを手掛けたアカペラアルバム『DEVOTION』(1999)

バラードなしのライブアルバム『No Ballds』(2001)

の発表など、より円熟した新しいスタレビの魅力は多くの称賛を受けその活動はとても順調でした。

 

そんな中、事務所独立というスタレビにとって新たなチャレンジも始まっていました。

 

事務所からの独立

 

2000年、スタレビは前事務所アップフロントエージェンシーから独立します。

 

自分たちのやりたいことだけをやれるように…

きちんと自分たちの音楽に集中できる環境で自分たちの目指す音楽をやり続けるために独立を決意したのです。

 

スタッフとタクシーに乗っているときに電話がかかってきて何やら良さげなニュースがあったよう。

「『なんだ?俺たちのことか?』と思ったら同じ事務所のKANちゃんのことだった(笑)」と。

スタレビの事務所を作って自分たちのためだけに動いてくれるスタッフが欲しかったんだ、と要さん。

 

KAN


CD売上累計201万枚以上の大ヒット曲「愛は勝つ」でお馴染みの日本のシンガーソングライター

後にKAN氏とスタレビは『SSKB』というユニットを組むことになります。第3章で紹介!(現在第1章)

 

アップフロントでスタレビについてくれていた鬼木氏が、現事務所「ラプソディ」の社長となりスタレビはまた新しい一歩を踏み出します。

要さんは

「お金もかかるし、正直簡単に独立できると思わなかった。でも鬼木さんがいろいろ計算してくれたら何とか大丈夫で、アップフロントとも話し合ってあっさり独立を認めてくれて円満退社です。本当に感謝してますし、自分たちの責任で音楽をやっていくんだと改めて思いました」

と。

 

光田氏の脱退

 

そして順調に進んでいたスタレビの活動に、新たな危機が・・・。

2001年11月、アルバム「Style」のレコーディング中に光田さんは突然スタレビを脱退します。

この事はファンの間で大騒ぎになり、今でもその衝撃を覚えています。

当時はネットが普及し始めていて、どこかからの発言が発端で噂が広まり、スタレビも光田さんも急遽コメントを発表しました。

 

実は光田さんはスタレビのサポートメンバーの時から自身のソロ活動やプロジェクトがあったそうです。

スタレビの正式メンバーとなってからも、マネージメントはスタレビ側ではなく、それまで通り光田さん側のマネージメントに所属していました。

 

要さんからの説明は

「決して仲たがいや金銭の問題などのトラブルではなく、マネージメントが上手くいかなくなってしまった。マネージメントが二つあることは難しかった」

とありました。

 

私たちにははかり知れない本人たちも上手く説明できないさまざまな理由、実情があるのでしょうが、双方ともにこれまでの感謝と最大のエールを綴っていました。

その言葉通り、今でも光田さんは仲間であり、初代キーボーディストの三谷さん同様、イベントに参加もしています。

 

「Style」完成

 

こうしてスタレビにとってもファンにとっても衝撃的な、レコーディング途中の脱退という出来事を乗り越えてアルバム「Style」(16thアルバム・2002年)を完成させるのでした。

制作時には急遽、元メンバーの三谷さんにサポート求めましたが、快く参加してくれています。

 

▼元メンバーの三谷泰弘氏

 

「Style」は真っ白なジャケットが印象的なのですが、その通り「新生スタレビ」という感じがとても漂っています。

 

▼Styleのアルバムジャケット

 

三谷さん脱退後のアルバム「艶」とはまた違う、新しさ。

もし、光田さんが脱退していなかったらこんなアルバムになっていなかったのか、それとも初めからこんなアルバムの予定だったのか、ジャケットはこうだったのか・・・。

全てが必然に思えてしまうアルバムです。

全体的にとてもシンプルでストレートなアルバムで、すべて根本要の作詩作曲。

これまではほとんど自分達でアルバムプロデュースをしてきましたが、初めて外部プロデューサーにエレファントカシマシなどを手掛けた熊谷昭氏を立て、制作したアルバムです。

 

エレファントカシマシ
1981年結成、日本のロックバンド。代表曲に「今宵の月のように」など。

▼エレファントカシマシ

 

要さんは作詩したものをことごとく熊谷氏に却下され、こてんぱんに詩の部分を鍛えられます。

書きあがった詩に対して

「根本君はしゃべりは面白いのに、詩は全然おもしろくないね。まだ、本気で書いてない。本音を書いてない。つくろってない本当の心からのラブソングが見たい」

などど何度も書き直しをさせられます。

 

要さんはこの時のことを

「本当に苦労した。だってラブソングって言っても、俺なんてそんなに恋愛経験ないしさぁ・・・」

と語っています。

アマチュア時代からデビュー後も歌詞に特別な思い入れがなかった要さんですが、熊谷氏との出会いによって要さんの作詩に対する意識はとても高いものになっていったそうです。

 

次のページではこの後のスターダスト・レビューから現在までの歴史を紹介します。

『スターダスト・レビュー入門』目次へ  (全14ページ)

 

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著者:しあ

40代後半女性。音楽が大好きでJ-POP K-POP 洋楽 演歌歌謡曲とさまざまな音楽を聴いています。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。全部チケットの半券をとっているのでとても大切な想い出です。音楽はとても生活を豊かにしてくれるもの。私の好きなアーティストの魅力を知っていただければ、と思います。お問い合わせはこちらから

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スターダスト・レビューのメンバー紹介 【バンド名の由来】

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スタレビのメンバー紹介

▲写真左から:柿沼・根本・林 ・寺田

 

スターダスト・レビューは1981年デビューの4人組バンドです。(後述しますが、デビュー当時は5人でした。)

 

スタレビメンバーの名前と役割

ギター🎸&ボーカル・・・根本要(ねもと かなめ)

ベース🎸&コーラス・・・柿沼清史(かきぬま きよし)

ドラム&コーラス・・・寺田正美(てらだ まさみ)

パーカッション&サックス📯&コーラス・・・林 ”VOH”紀 勝(はやし・ボー・としかつ)

 

根本要(ギター&ボーカル)

名前 根本要(ねもと かなめ)
生年月日 1957年5月23日
出身地 埼玉県行田市

 

ギター&ボーカルの要さんはギターはもちろんの事、歌声やボーカルスキルの高さからボーカリストとしてとても評価が高いです。

3時間半を超えるライブの間、歌いっぱなし、しゃべりっぱなしでもつぶれない強靭な喉(のど)の持ち主。

 

しかもライブ後のメンバー、スタッフとの食事会でもしゃべりっぱなしで、とにかくおしゃべりが大好きな要さん。

その要さんから繰り広げられるライブ中のMCはいつもいつも大爆笑で、CDの特典として「MCD」なるMCだけを集めたCDがつけられたことも。

 

スタレビのライブDVD(Blu-ray)にはメンバー座談会の副音声がつけられていて、ファンは主音声ではなく、副音声から見始めることが多々あり。

そのトークのおもしろさは音楽界の落語家と評される、さだまさしさんからもお墨付き。

 

スタレビ根本氏のMCを楽しめるCD・DVD
スターダスト・レビューの35周年(2016年時)記念ベスト・アルバム。MCD、座談会が収録されている。

▼CD+DVD『「スタ☆レビ」-LIVE&STUDIO- (初回限定盤) 』

 

また、ボーカリストであるとともにギタリストとしてももちろん評価が高く、ライブではずっとギターを弾きながら歌っています。

とにかく仕事でもプライベートでも片時もギターを離さない要さん。

私は要さんのカッコよくて時に優しく温かいギターが世界一大好きなんです。

 

 

柿沼清史(ベース&コーラス)


▲左から二番目が柿沼清史

名前 柿沼清史(かきぬま きよし)
生年月日 1957年11月11日
出身地 埼玉県羽生市

 

ベースの柿沼さんは、そのほんわかしたたたずまいからはあまり想像できないかもしれませんが、そのベースプレイは「カッコいい!」の一言。

ブイブイとチョッパーで弾いている時の、そのグルーブ感はたまりません。

 

▼ベースのチョッパーの例

 

デビュー当時はアイドルっぽいルックスでとてもかっこいい柿沼さん(今も素敵ですよ)。

ルックスがコンプレックスのボーカル根本要さんやスタッフの間でも

「柿沼をフロント(前に押し出す)にした方がいいんじゃないのか?」

との声もあったほど。

 

でも、年齢と共にぽっちゃりしてきたことで、

「柿沼はステージで動かない」

といつも要さんにいじられますが、そのベースプレイはファンキーでとってもカッコよくて、このベースラインがあるからこそ心地よいグルーブが生まれるんだなあ、と感じています。

 

寺田正美(ドラム&コーラス)

▲右から二番目が寺田正美氏

名前 寺田正美(てらだ まさみ)
生年月日 1959年7月26日
出身地 埼玉県熊谷市

 

ドラムの寺田さん、寡黙であまり話さないキャラクター。

ステージ上でもあまり話さないので

「寺田が今日初めてしゃべった!」

なんて要さんにツッコまれますが、ボソッと話す一言がおもしろい寺田さんです。

 

穏やかで優しい人柄で、その細身の体から生み出されるパワフルなドラムはタイトでカッコいい!

ドラムの音が重すぎず軽すぎずクリアでキレッキレなんです。

ベースの柿沼さんと共にこのリズム隊がスタレビの大きな土台になっているからこそ、すべてのバランスがいいのだと思います。

 

林 ”VOH”紀 勝(パーカッション&サックス&コーラス)

▲一番右が林 “VOH”紀 勝氏

名前 林”VOH”紀勝(はやし・ぼー・としかつ)
生年月日 1960年1月28日
出身地 埼玉県熊谷市

 

パーカッション(打楽器全般)のVOHさんは一見怖そうな見た目とは裏腹にとてもやさしく、よく気が付き、面倒見のよいバンドのお母さん的存在。

要さんによく愛のあるいじりをうけますが、暴走する要さんをいつもやさしくフォローしてくれます。

 

そしてVOHさんのパーカッションはスタレビの音楽にさまざまな彩を添えてくれます。

CDでもパーカッションの音色がよく聴こえていてカッコいいんですよね。

ライブではサックスを吹きながら右に左にと盛り上げるVOHさん、みんなそんなVOHさんが大好きなんです。

 

サポートメンバー

現在は上記4名にサポートメンバーとして

キーボード🎹&コーラス・・・添田啓二(そえだ けいじ)

ギター🎸&キーボード🎹&コーラス・・・岡崎昌幸(おかざき まさゆき)

を加えた6人でライブを行っています。

 

▼サポートメンバーの1人岡崎昌幸氏

 

デビューからの「メンバー脱退・加入」

 

スターダスト・レビューの前身は「アレレのレ」というアマチュアバンド。

ヤマハポピュラーソングコンテストにて「おらが鎮守の村祭り」という曲で優秀曲賞を受賞したのがデビューのきっかけ。

 

おらが鎮守の村祭り

「おらが鎮守の村祭り」はスタレビ7枚目のアルバム『HOT MENU』(ベストアルバム)に収録されている。この曲には元メンバーの三谷氏や光田氏が特別参加している。

 

ちなみにこの時のグランプリはクリスタルキングの「大都会」です。

 

1981年のデビュー当時にはキーボードの三谷泰弘(みたに やすひろ)氏を含めた5人だったのですが、1994年に脱退しました。

 

▼デビュー(1981年)~94年までメンバーだった三谷泰弘氏

 

その後キーボードのサポートメンバーだった光田健一(みつだけんいち)氏が1998年に正式加入しますが、2001年に脱退します。

 

▼1998~01年までメンバーだった光田健一氏

 

光田さん脱退の後は先ほど紹介した

キーボードの添田さんと

ギター他の岡崎さん

がサポートメンバーとしてツアーに、レコーディングにと大きく関わっています。

 

▼スタレビの歴史(概略図)

 

 

スタレビの人間性

 

スターダスト・レビューというおしゃれな名前がついていますが、メンバーたちはおしゃれ感とは程遠く、見た目にはあまりこだわらないただの音楽好きの人たち。

スタイリストさんや、メイクさんに

「体形が乱暴(笑)」

と言われることも多々あり。

 

要さんはただただ音楽が好きで好きで運よくデビューできて

「なんとなく好きなことをやっているだけでここまで来てしまった」

というような生粋の音楽マニア。

 

「アレレのレ」という名前も「バンドの名前なんて何でもよかった」と要さんの言うように、ただただ音楽を楽しくやっていただけ。

 

「スターダスト・レビュー」の由来

 

デビューの際にさすがにこのバンド名はまずいだろうと、「スターダスト・レビュー」というバンド名になりますが、この名前からうけるイメージと自分たちがあまりにも程遠いため当初はすごく名乗るのが恥ずかしかったそうです。

 

名前の由来は

ジャズのスタンダードナンバー「スターダスト」

自分たちの持つさまざまな音楽スタイルをライブでレビュー方式で見せたい

ということから。

 

その名の通り、スタレビのライブは音楽ではもちろん、要さんのトークで笑わせ、小芝居もあったりと毎回楽しいライブで私たちを楽しませてくれています。

 

MCで大爆笑の後にいきなりバラードが始まったりするのですが、それでも曲が始まると一瞬にして曲の世界に引き込んでしまえるのは高い音楽力があるから。

ライブでの演奏力の高さにいつも感動するのです。

 

以上、スターダスト・レビューのメンバー紹介とバンド名の由来でした。次のページからは3ページに渡ってスターダスト・レビューの歴史を解説していきます。

『スターダスト・レビュー入門』目次へ  (全14ページ)

 

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目次著者

著者:しあ

40代後半女性。音楽が大好きでJ-POP K-POP 洋楽 演歌歌謡曲とさまざまな音楽を聴いています。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。全部チケットの半券をとっているのでとても大切な想い出です。音楽はとても生活を豊かにしてくれるもの。私の好きなアーティストの魅力を知っていただければ、と思います。お問い合わせはこちらから

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RPGの世界で稼いだお金を現実世界へ交換できたら

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著者:RPGreat!

フリーランサーとして活動。今でも私の生活においてRPGは捨てきれません。それほど大好きなのです。また、時間があればRPGツクールフェス(3DS)というソフトでRPGを作っています。趣味はラーメン巡りでおいしいラーメン屋に月1~2通っており、たまに新規ラーメン屋をこの舌で堪能するために開拓することもあります。また歴史が大好きで特に戦国時代はとあるゲームの影響でダントツといってよいほど好きですね。最近は『星ドラ』というスマホRPGにハマっております。

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私がRPGを楽しんでいた時、ずっとこう思っていました。

『RPGの世界で稼いだお金を現実世界で交換できたら…』

と。

これはおそらく誰しもが思うことでしょう。

このページではこの内容について熱く語っていきます。

 

お金は余りやすい

 

ラスボスにたどり着くまでに必要な装備を買ってレベル上げなどを行っていれば、お金が余ることは多くあります。

例えば有名なRPG「ファイナルファンタジー」の世界で採用されている通貨『ギル』だと、1,000,000ギル(最強の武器でも相場は50,000ギル程度)まで貯めることも稀にあります。

 

ファイナルファンタジーについては第1章で解説!(現在は第3章) ファイナルファンタジーについては第1章で解説!(現在は第3章)

 

お店に売っている性能の高い装備を手に入れてアイテムも十分に補充した状態(ファイナルファンタジーだと最大99個までしか持てない)にしたとしてもお金が余ってしまうことがよくあるのです。

お金が余ってしまう理由など詳しくは第2章のこちらのページで解説しておりますので興味のある方はご覧ください。

 

もしも日本円に変換できたら

 

せっかくRPGの世界で活躍してラスボスを倒したのにお金だけが大量に余ってしまう…。それを無駄にしたくないので日本円に替えたい。

そう思っているゲーマーも少なくはありませんね。

なので有名なRPG作品「ファイナルファンタジー」と「ドラゴンクエスト」に置き換えてもし日本円に変換できるとしたらどんな感じになるのかを考察してみました。

 

1 ファイナルファンタジーの場合

▲ファイナルファンタジー最新作ⅩⅤ(15)

 

ファイナルファンタジーは割とお金が貯まりやすく、物価もそれなりに高いです。
モンスターを倒すなり、戦利品(モンスターが落とすアイテム)を売却するなりして、ギル(ファイナルファンタジーの通貨単位)に変えていきます。

そこで私が考えたのが、10,000ギル=1円です。

どうしてこのレートなのかといいますと、ファイナルファンタジーⅤ(5)に登場する『ムーバー』のようなモンスターを倒せば大量にギルが手に入るので、このレートにしました。

それにシリーズを追うごとにギルを入手できる最大桁数が7ケタ(99,999,999ギル)になっていますからね。

 

 

2 ドラゴンクエストの場合

▲ドラゴンクエスト最新作Ⅺ(11)

 

ドラゴンクエストは普通にモンスターを倒してもお金が貯まりやすいわけではありません。大量にゴールドを所持しているモンスターが少ないので一回の戦闘ではあまり貯まらないのです。

その為カジノなどを利用して稼ぐのが一般的です。

ドラゴンクエストの世界では頑張っても入手できるゴールド(G=ドラゴンクエストの通貨単位)の最大桁数が6ケタ(9,999,999ゴールド)なので、1,000G=1円というレートが妥当だと思います。

それだけドラゴンクエストの世界ではゴールドが貴重なわけです。

 

 

 

上記のゲームを利用してそれができたら、RPGだけで生計が立てられますよ。

敵を倒しつづけて、お金をゲットしつつ戦利品も売る。

これができるならば高級腕時計や宝石なんて十分に買えるほどすぐにお金が貯まることでしょうねえ。

 

仮想RPGでは可能?

 

「妄想」のように語りましたが、今からほど遠くない近未来でこういったことが可能になるかもしれませんよ。

 

最近では装備等を購入するためのリアル課金もあります。

例えば「星のドラゴンクエスト」というスマホRPGでは『日本円』というリアルマネーを課金して(支払って)ジェム(星のドラゴンクエスト内で使用されるバーチャルマネー)を購入するシステムがあります。

▼星のドラゴンクエスト

 

いわば「リアルマネー⇒バーチャルマネー」の交換ができる事になりました。

それが逆の「バーチャルマネー⇒リアルマネー」に変換できる『バーチャル仮想RPG』のようなゲームが誕生したらどう思いますか?

 

 

ゲーマーがこぞってプレイし始めると思いますね。ゲーム人口が増えることでしょう。

仮に日本円10,000円分をバーチャルマネー10,000円分に等価の状態で課金・交換できる時、私が予想するにバーチャルマネー10,000円分を日本円に交換したらわずか10円だと思います。

レート的には厳しいですが…(汗)

 

でもこれまで実現しなかったバーチャルマネーをリアルマネーに変換できればどれだけ『革命的』なことなのだろうか、と多くの人が思ってしまいますよ。

例えレートが厳しくても、ゲームを引退する時に全部交換してしまえば思い残すことなんてありませんからね。

 

また、ちょっと本題から脱線しますが、最近ではゲームをスポーツのように観戦して楽しむ【e-スポーツ】というものが話題になってします。

ゲームがだんだん日常生活で身近なものになっていることの証と言えます。

 

eスポーツ
エレクトロニック・スポーツ(electronic sports)の略でコンピューターゲームを使った競技の事。海外では「スポーツ」として認められており、優勝賞金も億を超える大会が催されている。日本でも2018年12月に初の優勝賞金1億円を超えるカードゲームアプリ「シャドウバース」の大会が開かれた。

 

そう考えると、今後ゲームの市場規模が大きくなりアニメ『ソード・アート・オンライン』のようなイメージのゲーム(主人公たちが仮想世界に入るゲームで生きるアニメ)が登場してもおかしくはありませんね。

▼ソード・アート・オンライン(AmazonPrimeで見放題です)

 

以上、RPGと現実世界のお金について考察をしました。

RPGの世界のお金をリアルマネーに変換できればゲーム業界にとどまらずゲーム産業自体に『革命』をもたらすと思っています。

私が超大手企業のCEOであれば、この試みを試験的にでも行ってみたいものですよ。

 

番外編までお読みいただきありがとうございました!

『RPG初心者入門』目次へ  (全16ページ)

 

 

目次著者

著者:RPGreat!

フリーランサーとして活動。今でも私の生活においてRPGは捨てきれません。それほど大好きなのです。また、時間があればRPGツクールフェス(3DS)というソフトでRPGを作っています。趣味はラーメン巡りでおいしいラーメン屋に月1~2通っており、たまに新規ラーメン屋をこの舌で堪能するために開拓することもあります。また歴史が大好きで特に戦国時代はとあるゲームの影響でダントツといってよいほど好きですね。最近は『星ドラ』というスマホRPGにハマっております。

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