カンフー映画を見たことがありますか?ブルース・リー氏やジャッキー・チェン氏は「俳優が武術をする」というよりは、「武術家が演技をする」と表現したほうがしっくりきます。カンフー映画鑑賞歴27年の著者が語ります!
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第1章 カンフー映画とは
ジャッキー・チェン氏の時代「酔拳・蛇拳」 【カンフー映画の歴史④】
ジャッキー・チェン氏の時代「プロジェクトA」 【カンフー映画の歴史⑤】
ジェット・リー氏とドニー・イェン氏の時代 【カンフー映画の歴史⑥】
第2章 カンフー映画スター俳優9選
サモハン(洪金寶、サモ・ハン・キンポー) 【カンフー映画スター俳優9選③】
ジャッキー・チェン(成龍) 【カンフー映画スター俳優9選④】
ラム・チェンイン(林正英) 【カンフー映画スター俳優9選⑦】
ジェット・リー(李 連杰) 【カンフー映画スター俳優9選⑧】
第3章 カンフー映画を観る方法
第4章 おすすめカンフー映画13選
燃えよドラゴン(1973) 【おすすめカンフー映画13選①】
片腕カンフー対空飛ぶギロチン(1975) 【おすすめカンフー映画13選②】
豚(とん)だカップル拳(1979) 【おすすめカンフー映画13選④】
ユン・ピョウinドラ息子カンフー(1981) 【おすすめカンフー映画13選⑤】
プロジェクトA(1983) 【おすすめカンフー映画13選⑧】
七小福(夢に生きた子供達)(1988) 【おすすめカンフー映画13選⑩】
シティーハンター(1993) 【おすすめカンフー映画13選⑪】
イップ・マン 序章(2008) 【おすすめカンフー映画13選⑫】
第5章 カンフー映画の寄り道話
第6章 カンフーを習おう!
著者:HARUKA
大阪府出身。趣味はドラム。中国武術は現在見習い中です。好きな映画ジャンルはダントツでカンフー映画!小学生の頃にジャッキー映画にはまり、今に至る。カンフースターは映画「霊幻道士」の道士役ラム・チェンイン氏が一番好きです。多くの人に新旧問わずカンフー映画に興味を持ってもらえたら嬉しいです。
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第1章ではカンフー映画とは何か、そしてカンフー映画の歴史について解説をしています。
このページでは誰もが知っているカンフー映画スター俳優「ブルース・リー」氏が活躍した時代のカンフー映画の歴史を解説をします。※カンフー映画の歴史を最初から知りたい方は第1章の最初のページからお読みください。
▼カンフー映画の歴史概要(リンククリックorタップで該当ページへ)
時代 | 主な出来事 | 主な俳優・女優 |
カンフー映画の始まり | シヨウブラザーズ社の設立 | チェンペイペイ |
ジミー・ウォング時代 | 剣劇から拳脚アクションへ | ジミー・ウォング |
ブルース・リー時代⇐当ページ | ゴールデンハーベスト社設立 / ブルース・リーの死 | ブルース・リー |
ジャッキー・チェン時代① | 「蛇拳」「酔拳」ヒット | ジャッキー・チェン |
ジャッキー・チェン時代② | ジャッキー・チェン略奪事件 / 「プロジェクトA」ヒット | ジャッキー・チェン / サモハン / ユン・ピョウ |
次世代スター時代 | 「少林寺」「イップマン」ヒット | ジェット・リー / ドニー・イェン |
ブルース・リー氏の時代
ゴールデン・ハーベスト社の設立
前のページまでで解説したように香港の映画会社シヨウ・ブラザーズは1960年代からカンフー映画の基礎をカンフー映画スター俳優のジミー・ウォング氏と共に作ってきました。
香港の企業家ランラン・ショウ氏が立ち上げた香港の映画会社。後に「東洋のハリウッド」とも呼ばれる同社はカンフー映画の発展に大きく貢献した。詳しくは前のページで解説。
▼ジミー・ウォング氏
そんな中、香港映画会社ショウ・ブラザーズの制作本部長を務めていたレイモンド・チヨウ氏は、プロデューサーのレナード・ホー氏等と1970年にシヨウ・ブラザーズ社から独立します。
レイモンド・チヨウ氏と同映画会社プロデューサーのモナ・ファン氏との確執からの事でした。
そこでレイモンド・チヨウ氏は新たな映画製作会社「ゴールデン・ハーベスト」を設立させました。
▼ゴールデン・ハーベスト社のロゴ
設立当初のゴールデン・ハーベスト社は、撮影所さえ所有できず、ロク・ワントー氏率いるキャセイ・オーガナイゼーションを母体とした映画会社MP&GI(國際電影懋業公司)の撮影所を借りて撮影をしていました。
映画会社MP&GIは先述したシヨウ・ブラザーズ社のライバル関係にある会社です。
しかし所属していた俳優も「看板スター」という俳優が不在で、ゴールデン・ハーベスト社による無名の俳優を中心とした映画製作は苦難を強いられていました。
(出典:http://www.cathay.com.sg/”>http://www.cathay.com.sg/)
シンガポールを本拠地とする企業キャセイ・オーガナイゼーション(国泰機構)は、1956年に香港の子会社MP&GI(國際電影懋業公司)で、本格的な映画製作事業に乗り出しました。
マレーシアの富商の息子として生まれ、スイス・イギリスで教育を受けた陸運涛(ロク・ワントー)氏が代表のMP&GIは、都会的で洗練されたタッチの作品を数多く生み出しました。
葛蘭(グレース・チャン)氏、林黛(リン・ダイ)氏、林翠(リン・ツイ)氏、尤敏(ユー・ミン)氏、葉楓(イエ・フォン)氏といったスター女優を多く抱えて、短期間で香港映画会社ショウ・ブラザーズと並ぶ香港有数の映画会社に成長しました。
しかし、ライバル関係にあるシヨウ・ブラザーズ社と互いの所属するスター俳優やスタッフの引抜き合いなどによる激しいライバル争い等によって次第に経営が悪化していきます。
1964年にアジア太平洋映画祭が行われていた台湾において、ロク・ワントー夫妻や映画関係者の乗った飛行機が墜落し全員死亡するという悲劇によってMP&GIは失速しました。
1965年、ロク・ワントー氏の妹婿によって巻き返しを図りますが、シヨウ・ブラザーズ社がブームの中心にいた「新派武侠映画ブーム」(1960年代後半に起こった主人公が自身の復讐や仇討の完遂を目的とした映画のブーム)の波に乗り遅れたことが決定的となり、1971年に製作部門を閉鎖。最終的にスタジオはゴールデン・ハーベスト社に移譲されました。
▼現在のキャセイ・オーガナイゼーションのwebサイト
http://www.cathay.com.sg/
ブルース・リー氏の登場
そんな中、彗星のごとく現れたのがブルース・リー氏でした。
▼ブルース・リー氏
ゴールデン・ハーベスト社は看板俳優を獲得しようと、「空中必殺・雪原の血闘(影子神鞭/インズーシェンビェン)」(1971)の完成と同時に結婚し、渡米してしまった女優、チェン・ペイペイ氏に香港での女優復帰のオファーを試みました。
▼チェン・ペイペイ氏
しかしこれは拒否されてしまい、叶いませんでした。
(後日談ですが、チェン・ペイペイ氏は1973年に香港へ一時帰国し、ゴールデン・ハーベストで数本の作品に出演後、再びアメリカへ戻ります。)
そこで、多様な格闘技からそれぞれの長所を取り入れた独自の武道である截拳道(ジークンドー)をアメリカで創設させたブルース・リー氏へゴールデン・ハーベスト社はオファーをしました。
▼截拳道(ジークンドー)のイメージ
截拳道(ジークンドー)はブルース・リー氏を創始者としている武術で、ボクシングやフェンシング、合気道、柔術等の様々な武術から実践として使える箇所を採り入れています。
特定の形式や流派にとらわれずに、様々な突き・蹴りをはじめとする打撃技から、倒し・投げ・絞め・関節技など格闘技のあらゆるエッセンスを集大成した武術で、他の武術にあるような禁じ手(目突きや頭突き等)のない実践格闘術です。
現在でいうところの、総合格闘技の先駆けとも言えます。
また「截拳道(ジークンドー)」という言葉は格闘のスタイルだけではなく、ブルース・リー氏の思想(哲学)をも指します。
哲学をよく学んでいたブルース・リー氏は、武術に対する説明として「水のように動く」という表現を使い「水」を引き合いに出していました。
自身の心の成長を止めることなく、流れる水のように常に変化に柔軟に適応し、いざという時は、簡単に掴まれず傷つけられることのない強靭な心を養う、といった考えも截拳道(ジークンドー)の要素のひとつと言えます。
ブルース・リー氏は1970年4月に香港へ一時帰国をして、ショウ・ブラザーズ社と契約交渉を試みましたが、断られていたのでした。
彼はシヨウ・ブラザーズ社の監督キン・フー氏の熱狂的ファンだったとも言われています。
主な監督作品に先述した女優チャン・ペイペイ氏主演の「大酔侠」。1975年に「侠女」で第28回カンヌ国際映画祭の高等技術委員会グランプリを受賞。
当時、ジミー・ウォング氏主演・監督の「吼えろ!ドラゴン、起て!ジャガー」が興行収益第一位を獲得していました。この映画を観たブルース・リー氏は「自分自身であればもっと凄い蹴りができる」と激怒したそうです。
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ブルース・リー氏はアメリカでのテレビシリーズ「グリーンホーネット」で日本人のカトー役で注目されていました。
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そしてハリウッド進出を目指していましたが、1971年にゴールデン・ハーベスト社のオファーを受け、同社と契約を結び香港へ戻りました。
そして記念すべき主演映画第一弾である「ドラゴン危機一髪」(’71)のロケ地、タイへ向かいました。
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この映画はカンフー映画の革命とも言えるほどの衝撃を映画界へ与え、一夜にしてカンフー映画の歴史を刷新しました。
観客は、ブルース・リー氏ほどに極限に鍛え抜かれた肉体と精神を持つ俳優をこれまでスクリーンの中で観たことがなかったのでした。
この映画の中でも、三連続の猛スピードで打点の高い回し蹴りは「李三脚(りさんきゃく)」と呼ばれました。
そして続く第二作目「ドラゴン怒りの鉄拳」(’72)は抗日的なストーリー(敵が日本人という設定)にも関わらず日本でも前作を凌ぐ大ヒットとなりました。
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この映画の中で見受けられる『怪鳥音』と呼ばれる「アチョー!」といった独特の叫び、そして、たまたま撮影現場に遊びに来ていた日本人俳優・倉田保昭氏がブルース・リー氏へ贈ったと言われる武器『ヌンチャク』を使ったアクションは、ブルース・リー氏のトレードマークとなりました。
ちなみに、この映画の中では、後に活躍するジャッキー・チェン氏が日本人・鈴木役のスタントとして出演しており、ブルース・リー氏にぶっ飛ばされています。
▼ジャッキー・チェン氏
ブルース・リー氏は続く三作目「ドラゴンへの道」(’72)では、同氏が監督も兼任し作品を発表します。
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その後休むことなく、「ブルース・リー/死亡遊戯」の製作に入りますが、クライマックスシーンを撮り終えた時点で一時中断し、ハリウッドのワーナーブラザーズとゴールデン・ハーベスト社の合作である「燃えよドラゴン」(’73)の撮影に入りました。
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ブルース・リー氏の死
しかし、ここで悲劇は訪れました。1973年7月20日、ブルース・リー氏は、当時愛人と噂されていたベティ・ティンペイ氏宅で倒れます。
救急車でブルー・スリー氏は緊急搬送されましたが、そのまま帰らぬ人となりました。
享年32歳とあまりに早すぎるブルース・リー氏の死は、香港だけに留まらず、世界中に大きな衝撃を与えました。ブルース・リー氏の葬儀は、香港とシアトルで2度行われました。
その後5年間の紆余曲折を経て、監督をロバート・クローズ氏、武術指導はサモ・ハン・キンポー氏(のちのサモハン氏)が担当し、未完成の「死亡遊戯」は補足撮影をされ1978年に公開されました。
多くのヒット作の製作・監督・出演をするカンフー映画の主要人物。大きな体格にも関わらず、俊敏な動きで観る人を圧倒する。
photo by https://www.flickr.com/photos/sasoriza/114349755/ CC 表示-継承 2.0 –
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ブルース・リー氏という随一の看板スターを失ったゴールデン・ハーベスト社は、一度は香港を離れ再び戻ってきたジミー・ウォング氏やカンフー映画スター女優であるアンジェラ・マオ氏主演作品でショウ・ブラザーズ社に対抗します。
▼アンジェラ・マオ氏
しかし当時勢いを盛り返してきたショウ・ブラザーズ社に太刀打ちすることができませんでした。
そして、アクション映画市場もブルース・リー氏の死と共に「香港のカンフー映画は終わった」という風潮が漂い、カンフー映画の衰退期を迎えることになるのでした。
以上、ブルース・リー氏が活躍した時代のカンフー映画の歴史でした。次のページではカンフー映画の一時代を築いた「ジャッキー・チェン」氏が活躍した時代のカンフー映画について解説をしていきます。
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はじめに
第1章 カンフー映画とは
ジャッキー・チェン氏の時代「酔拳・蛇拳」 【カンフー映画の歴史④】
ジャッキー・チェン氏の時代「プロジェクトA」 【カンフー映画の歴史⑤】
ジェット・リー氏とドニー・イェン氏の時代 【カンフー映画の歴史⑥】
第2章 カンフー映画スター俳優9選
サモハン(洪金寶、サモ・ハン・キンポー) 【カンフー映画スター俳優9選③】
ジャッキー・チェン(成龍) 【カンフー映画スター俳優9選④】
ラム・チェンイン(林正英) 【カンフー映画スター俳優9選⑦】
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第3章 カンフー映画を観る方法
第4章 おすすめカンフー映画13選
燃えよドラゴン(1973) 【おすすめカンフー映画13選①】
片腕カンフー対空飛ぶギロチン(1975) 【おすすめカンフー映画13選②】
豚(とん)だカップル拳(1979) 【おすすめカンフー映画13選④】
ユン・ピョウinドラ息子カンフー(1981) 【おすすめカンフー映画13選⑤】
プロジェクトA(1983) 【おすすめカンフー映画13選⑧】
七小福(夢に生きた子供達)(1988) 【おすすめカンフー映画13選⑩】
シティーハンター(1993) 【おすすめカンフー映画13選⑪】
イップ・マン 序章(2008) 【おすすめカンフー映画13選⑫】
第5章 カンフー映画の寄り道話
第6章 カンフーを習おう!
著者:HARUKA
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