マカオ観光/リゾート気分で癒されるモデルコース

 

著者プロフィール

マカオ在住10年のツアーガイド。

現地で知り合ったマカオ市民と国際結婚し、1児の子育てをしながらゆるく働いています。ギラギラしているようで実はのどかな、安全で清潔な観光都市マカオの魅力を、旅行のプロがごく個人的な視点からご紹介します。もしお気に召しましたら、ぜひ実際にマカオへ遊びに来てください。

 

マカオはリゾート地ですから、ホテルライフも充実しています。日々の喧騒から離れ、時間を忘れて何もしない贅沢を楽しむのもおすすめです。

ホテルのプールやスパ、アフタヌーンティーやバーでゆったりとした時間を過ごしましょう。

 

▼リゾート気分で癒されるための観光モデルコース

時間 場所 見どころ
午前10時 ギャラクシーマカオ 大型リゾートプール
午後3時 ギャラクシーマカオ アフタヌーンティー
午前9時 ウィンマカオ プールサイドバー

1.【午前10時】ホテルのプールでリゾート気分を満喫

 

マカオに来たなら、プールでのんびり過ごすのもおすすめです。マカオでは、4月から9月いっぱいまで泳げます。

多くのリゾートホテルには屋外プールがありますが、中でもマカオで最も大きなリゾートプールを有するのが「ギャラクシー・マカオ」です。

 

▼ギャラクシー・マカオ

by Ming-yen Hsu Some rights reserved

 

海と違って体がベタベタしませんし、更衣室やシャワーも完備されています。

プールは基本的に宿泊客のみ利用できますが、ギャラクシーはビジター料金の設定もあり、宿泊客以外でも大型リゾートプールを楽しむことができます。

 

※(2019年4月現在)

ビジターは468マカオパタカ(約6,550円)で大人1人と6歳以下の子ども1人の入場料に、マッサージや映画の鑑賞券とレストランの割引などの特典などがつくチケットがあります。土日やマカオの祝日は料金が割高になります。プールの営業時間は午前9時から午後6時までです。

 

▼ギャラクシー・マカオのプールで白い砂浜を満喫「グランド・リゾート・デッキ」

 

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75,000平米の広大なプールエリアには大小13のプールがあり、ウォータースライダーなどのアトラクションや子供用のプールも充実しているので、若者から家族連れまで満喫できます。

575mの流れるプールは世界一の長さを誇り、途中で水をかぶる演出があったり、ただ流れるだけではないサプライズが楽しめるプールです。

また150mにわたる白い砂浜と、最大1.5mの波が出るプールの人工ビーチも見どころです。流れるプールで使うための浮き輪などは無料でレンタルできます。

敷地内には熱帯の植物が各所に配置され、リゾート感たっぷりです。

 

▼ギャラクシーマカオのイメージ映像(プールは0:44頃から)

 

2.【午後3時】アフタヌーンティーを楽しむ

▲マカオのアフタヌーンティー

 

午前中プールでしっかり遊んだら、午後は優雅にアフタヌーンティーがおすすめです。

マカオでは午後に軽食やおやつを食べる習慣があり、ローカルの小さな喫茶店でも必ずアフタヌーンティーセットがあります。

各ホテルのカフェでは、趣向をこらしたオリジナルのアフタヌーンティーセットを提供しており、「ギャラクシー・マカオ」にはおしゃれに敏感な女子に人気のアフタヌーンティーができるお店があります。

 

▼おしゃれ女子を引き付けてやまない「CHA BEI(チャベイ)」

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インスタ映えばっちりの華やかな雰囲気の店内は、いつも女子でいっぱいです。宝石箱に入ったような、かわいいアフタヌーンティーセットがおすすめです。

 

▼極上のサービスで優雅なひとときを過ごす「ザ・リッツカールトン・カフェ」

(出典:ギャラクシー・マカオ内ザ・リッツカールトン・カフェHP https://www.galaxymacau.com/en/dining/restaurants/the-ritz-carlton-cafe/)

 

落ち着いた雰囲気のリッツカールトン・カフェでは、アフタヌーンティーセットにシャンパンを合わせることもできますよ。ゆったりとした大人の時間が過ごせます。

 

3.【午後9時】プールサイドバーでゆったり流れる時間を楽しむ

▲ウィンマカオ by jgmarcelino

▼ウィンマカオ紹介映像(公式)

 

日が落ちたらバーへ繰り出しましょう。マカオはホテルのバーが手頃でおしゃれな雰囲気で、旅の思い出を語り合うのにおすすめです。

 

■癒されるスタイリッシュなリゾート空間「Cinne Bar(シネ・バー)」

(出典:https://www.wynnmacau.com/jp/restaurants-n-bars/bar-n-lounges/cinne-bar)

 

落ち着いてのんびりとしたリゾート気分を味わうなら、「ウィン・マカオ」内「シネ・バー」の、屋外プールサイドにある席がおすすめです。

 

 

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きらめく水面を眺めながら、おいしいお酒を傾けつつ、リラックス気分で明日への英気を養えますよ。

BGMも静かで客層も落ち着いているので、女性だけでも安心です。平日は深夜1時、週末とマカオの祝前日は深夜2時まで営業しています。

ウィン・マカオのロビー前では、ライトアップや炎の演出が見事な噴水ショーが見られます。3分程度で終わるので、バーに入る前に見ておくのをおすすめします。

 

▼ライトアップと噴水ショー

by 白士 李

 

日曜日から金曜日までは午後9時45分、土曜日とマカオの祝前日は午後10時45分まで15分ごとです。

お酒を飲み終えたら酔い覚ましがてら、ホテルロビーを出てすぐある人造湖沿いの遊歩道を歩いてみるのもおすすめです。

マカオタワーや新旧リスボアの夜景が目の前に広がり、ロマンチックです。

 

▼中央奥にそびえるのがリスボアホテル

 

以上、リゾート気分でのんびりとできるマカオのモデルコースのご紹介でした。

 

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マカオ観光/ローカルでディープなモデルコース

 

著者プロフィール

マカオ在住10年のツアーガイド。

現地で知り合ったマカオ市民と国際結婚し、1児の子育てをしながらゆるく働いています。ギラギラしているようで実はのどかな、安全で清潔な観光都市マカオの魅力を、旅行のプロがごく個人的な視点からご紹介します。もしお気に召しましたら、ぜひ実際にマカオへ遊びに来てください。

 

マカオの活気やのどかさを感じることのできる、マカオをもっと深く知るためのローカルでディープなコースへご案内します。通りいっぺんの観光では物足りない方に、マニアックで楽しいマカオの魅力をご紹介します。

 

▼ディープなマカオを感じる観光コース

時間 場所 見どころ
午前9時 義字街 市場の活気
午前9時半 カモンエス公園 のんびりとした雰囲気
午前10時 果欄街 ココナッツアイス

 

1.【午前9時】「義字街」で市場の活気を感じる

▲義字街街市

 

マカオ半島北部のローカルエリア「紅街市(Red Market)」は、街の台所としてよくガイドブックに掲載されています。

 

 

この近くにある「義字街街市(イージーガイガイシ)」はエリア一帯が活気あふれる青空市場で、朝から多くの人が買物に訪れます。多くの人が行き交う様子にエネルギーを感じること間違いなしです。

野菜やフルーツから点心、チャーシューなどのおかず、花、乾物、雑貨や服まであらゆるものが手に入ります。新鮮な果物はトロピカルフルーツやライチなど、季節によって日本ではあまり見かけないものも楽しめます。

初夏からはマンゴスチンやランブータン、竜眼(りゅうがん)、ライチなどがおすすめです。1個からバラ売りをしているので、朝食やビタミン補給に少し買っていくのもいいですね。

小腹が空いたら点心をつまみながら街歩きするのもオツですよ。

 

▼ランブータン

▼竜眼

 

2.【午前9時半】カモンエス公園で太極拳を眺め小鳥の鳴き声を愛でる

 

続いてマカオ半島を南下していきます。義字街から10分ほど歩いたところに「カモンエス公園」があります。ここはマカオ最古の公園の1つです。

 

 

明の時代(1368-1644年)からフェニックスの木があり、フェニックス・ヒルとも呼ばれています。

ここは世界遺産の「マカオ歴史市街地区」で、周辺に「カモンエス広場」「カーザ庭園」「プロテスタント墓地」「聖アントニオ教会」といった見どころがあります。

※マカオ歴史市街地区は前のページで紹介!

 

ポルトガル人やイギリス人など西洋人の生活の拠点だった場所ですが、現在では地元の人の憩いの場として愛されており、その東西文化の交流の歴史が世界遺産の見どころに指定されています。

カモンエス広場では、一日中公園や年配の方がおしゃべりに興じており、ローカル感たっぷりののんびりとした雰囲気です。

 

カモンエス(1524-1580年)は、ポルトガルの有名な詩人です。

 

▼カモンエス(カモンイスとも呼ばれる)

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By フランソワ・ジェラールhttp://www.allposters.com/-sp/Luiz-Vaz-De-Camoes-Posters_i1584671_.htm, パブリック・ドメイン, Link

 

公園内には彼の胸像や、彼がマカオを訪れた後に出版した、航海の哀愁を描いた一大叙情詩「ウズ・ルジアダス」をモチーフにした絵柄の石畳があります。

 

▼カモンエスの胸像

 

元々はポルトガルの豪商マヌエル・ペレイラの邸宅で、現在のカーザ庭園の一部でした。

 

カーザ庭園

マカオの有名な観光名所の一つ。かつて東インド会社も借り入れていたという庭園。

by Tomoaki INABA Some rights reserved

 

朝は公園内で太極拳をするグループや、運動器具を利用してエクササイズをする人々に出会います。

また愛鳥家たちが鳥かごに入った小鳥を持ち寄ってさえずりの美しさを競わせているのもよく見かけます。

さわやかな鳥の鳴き声にのどかなマカオの朝の風景を堪能することができます。熱帯の植物が生い茂る丘を歩いて、新鮮な空気を吸うと森林浴のように気持ちがいいですよ。

 

3.【午前10時】果欄街とココナッツアイス

 

カモンエス公園から4~5分歩くと「果欄街(グォーランガイ)」があります。ここは古物商が多い通りで、昔ながらの長屋が立ち並んでいます。

薄暗いショーウインドウを眺めるともなく歩いていると、長屋の扉の向こうから麻雀をする音やテレビの音が聞こえてきます。まるで時間が止まったような雰囲気の、ローカルの生活感たっぷりのエリアです。

 

■絶妙な甘みのヘルシーな天然素材を使ったココナッツアイス

ここに「洪馨椰子(ホンヘンイエジー)」という、1869年創業の無添加ココナッツアイスの専門店があります。アイスクリームの原料はココナッツミルク100%、お店で手作りをしています。

 

▼ココナッツアイスとお店「洪馨椰子」

 

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一口含むと、甘いココナッツの香りがお口に広がります。さっぱりとした自然な甘さが、なめらかな植物性のジェラートのようです。

ヘルシーなのにコクがあって、思わずお代わりしたくなるおいしさです。出来立てのアイスが味わえる午前中が、柔らかくて特におすすめです。

 

いかにも問屋という飾り気のない店構えですから、うっかり見逃さないように気をつけてください。

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マカオ観光/エキサイティングなモデルコース

 

著者プロフィール

マカオ在住10年のツアーガイド。

現地で知り合ったマカオ市民と国際結婚し、1児の子育てをしながらゆるく働いています。ギラギラしているようで実はのどかな、安全で清潔な観光都市マカオの魅力を、旅行のプロがごく個人的な視点からご紹介します。もしお気に召しましたら、ぜひ実際にマカオへ遊びに来てください。

 

マカオでは、胸躍るドキドキも体験することができます。息が止まるようなアトラクションから手に汗握る経験まで、日頃刺激が足りないあなたやもっと熱くなりたいあなたに、最適なプランをご紹介します。

 

▼エキサイティングなマカオを感じる観光コース

時間 場所 見どころ
午前11時 マカオタワー バンジージャンプ
午後2時 コタイ地区 カジノ
午後9時 シティ・オブ・ドリームス ハウス・オブ・ダンシング・ウォーター

 

1.【午前11時】マカオタワーで世界最高のバンジージャンプに挑戦

 

マカオタワーのバンジージャンプは、世界最高のバンジージャンプとしてギネスブックに登録されました。

地上61階233m地点から行われ、最高時速120㎞で200mを一気に落下する、最高に刺激的なアトラクションです。強いGがかかり、挑戦者のほとんどは声も出せません。

ジャンプは建物につけられた定点カメラと、手首につけるアクションカメラで記録され、臨場感のあるエキサイティングな映像が残せます。

 

▼バンジージャンプの様子

by Luiz Eduardo 

 

ここではバンジージャンプの他、速度を調整しながら17秒で一気に下まで降りるスカイジャンプや、展望台の外を色々なポーズを取りながらぐるりと一周するスカイウォークなどのアトラクションが楽しめます。

スカイジャンプは2人で一緒に飛ぶタンデムライド(2人乗り)もあり、スカイウォークは家族や仲間たちとグループで挑戦できますよ。

 

▼スカイウォーク

by Ming-yen Hsu Some rights reserved

 

刺激の強いアトラクションはどうも苦手という方には、展望台がおすすめです。展望台は58階と61階の2層で、58階は足元がガラス張りになっている部分が見どころです。

下までのぞき込んで、ちょっとしたスリルを味わえます。

 

▼58階のガラス張り

By 投稿者 – 投稿者自身による撮影, パブリック・ドメイン, Link

 

61階はバンジージャンプなどアトラクションの出発地点で、外の風が入る半屋外デッキです。スカイウォークの挑戦者の様子などがガラス越しに見られます。

 

【マカオ在住ツアーガイドの著者に聞く!】マカオタワーとバンジージャンプ

Q.(Webon編集部) マカオタワーとバンジージャンプのリアルな感想を聞きたいです!

A.(越宮氏) マカオタワーの展望台は360°のパノラマで、コタイ地区から中国本土までよく見えます。天気の良い日はとても気持ちがいいです。

また、ハラハラドキドキのアトラクションを目の当たりにすることができるのでそれらを見ているだけでもスリル満点です。

私がバンジージャンプをしたときはとにかくすごいGがかかって、目を開けているだけで精一杯で、声も出ませんでした。一度バウンドした後は足を留めている部分を外して、腰のハーネスでブランコのように安定した状態でゆっくり下ろすので、遊園地のようです。

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マカオ最高の圧巻の眺めを楽しめますよ。

 

2.【午後2時】カジノで一獲千金を狙う

 

マカオと言えばカジノです。カジノ売上は2006年にラスベガスを抜き、世界一になりました。カジノは24時間営業なので、どのタイミングでも遊ぶことができます。

カジノは21歳未満の入場と場内の写真撮影が禁止されていますので、注意しましょう。

 

カジノは香港ドルのみ利用可能です。スロットマシンは10香港ドルから、テーブルゲームはテーブルによって最低賭け金が異なり、台によって200香港ドル程度から遊べます。

テーブルゲームには、トランプを使った「バカラ」「ブラックジャック」「ポーカー」などのゲーム、中国独特のサイコロを使ったゲーム「大小(シクボー)」、ボールを転がしてどの目に入るかを当てる「ルーレット」などがあります。

 

カジノゲームに関するWebon

当サイトWebonではカジノの大人気ゲーム「テキサスホールデムポーカー」をゼロから学べる「テキサスホールデム入門」があります。カジノに興味のある方は是非当サイトでテキサスホールデムポーカーを学んでいただければと思います。

▼こちらからどうぞ(会員の方はブックマークをお願いします!)

 

中でもマカオで人気が高いのはトランプゲームの「バカラ」です。勝負が早く、中国人が大好きなゲームの1つです。マカオのカジノ売上の半分以上はバカラのテーブルから出ています。

また初心者にも人気なのは「大小」です。

いずれも、ときにテーブルに人だかりができるほどのにぎわいをみせています。ギャンブルは苦手という方は、見ているだけでも興味深いですよ。日本ではなかなか味わえない、悲喜こもごものリアルな人間模様を目の当たりにすることができます。

 

【マカオ在住ツアーガイドの著者に聞く!】カジノゲームはどれが好き?

Q.(Webon編集部) 著者はどのゲームが一番好きか聞きたいです!

A.(越宮氏) わたし自身がカジノでゲームをプレイすることはほとんどないですが、「大小」はルールも単純明快でわかりやすいので好きです。人気があるので、いつ行ってもにぎわっている台があり、アジアの鉄火場マカオの雰囲気を味わえるのも魅力です。

 

3.【午後8時】刺激的なショーを楽しむ

 

マカオでぜひ体験してほしいのは、一流のエンターテイメントです。コタイ地区のカジノリゾートには常設劇場があり、世界レベルのショーを体験できます。

「シティ・オブ・ドリームス」には専用の常設劇場があり、世界一のショーと名高い水のショー「ハウス・オブ・ダンシング・ウォーター」を上演しています。

 

▼ダンシング・ウォーター

by Roderick Eime Some rights reserved

▼解説とダイジェスト映像(中国語)

 

シルク・ド・ソレイユの元演出家、フランコ・ドラゴーヌ氏率いるベルギーの劇団「ドラゴーヌ」の公演です。

オリンピックレベルの飛び込み選手を多数起用したレベルの高い水中の演技や、息をもつかせぬバイクのスタントなど見どころが盛りだくさんです。満足度が高く、2010年の開幕より長きに渡り好評を得ています。

 

【マカオ在住ツアーガイドの著者に聞く!】ハウス・オブ・ダンシング・ウォーター

Q.(Webon編集部) 「ハウス・オブ・ダンシング・ウォーター」のリアルな感想が聞きたいです!

A.(越宮氏) 「ハウス・オブ・ダンシングウォーター」はまさに息をもつかせぬ興奮の連続で、疾走感のあるショーです。また特別に造られた専用劇場は驚きの構造で、一瞬で海の底に沈んだかと思えば、一瞬でからりと乾いてバイクのスタントが見られる演出も。一見の価値ありですよ。

 

また、2019年に始まった最新のショーが、「マカオ・スタジオ・シティ」で上演されている「エレクロン」です。

 

▼エレクロン

(出典:http://www.elekronshow.com/en/index.html)

▼エレクロン(ELEKRON)メイキング映像(中国語)

 

電気自動車や電動バイクと炎を使った最先端のスタントは手に汗握る大迫力で、世界一スリルのあるショーだと称されます。大興奮のショーながら、エコで環境に優しいのは面白いですね。

 

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ミルクグラス(ミルクガラス)入門 ~日常で使えるヴィンテージ食器~

ミルクグラス入門

~毎日使えるヴィンテージ食器~

著 大柴あまね

ミルクグラスとは

ミルクグラスは魅力満載のヴィンテージ食器です。見た目が可愛い、ドリンクが透ける、手頃で丈夫、集めて楽しい、どんな料理にも合う…。知れば知る程ミルクグラスをきっと欲しくなることでしょう!

ミルクグラス(ミルクガラス)とは

第1章 種類

ミルクグラスはマグカップをはじめとして、プレートや保存容器など様々な種類の食器があります。この章では様々な種類のミルクグラスを紹介します。

ミルクグラスの種類
アドバタイジングカップとは
おすすめミルクグラスを紹介

第2章 ブランド

ミルクグラスはブランドごとに異なる特徴があります。お気に入りのミルクグラスを見つける際の参考にしてみてください。

【一部会員限定】
ファイヤーキング パイレックス 
ヘーゼルアトラス フェデラル グラスベイク 
ジャネット・マッキー

第3章 購入方法

ミルクグラスを購入するにあたって、事前に知っておいた方がよい知識があります。保存状態による相場の違いなどを知っておくと、とても役に立つことでしょう。

会員限定】
ミルクグラスの購入方法
ミルクグラスのバックスタンプとは

第4章 マニアの世界

ミルクグラスは日常で使ったり、集めたりするだけが楽しみではありません。マニアックな楽しみ方もあるのです。

ミルクグラスの歴史
ミルクグラスが登場する映画

ミルクグラス写真館はこちら

著者が保有するミルクグラスの写真を集めました。見ているだけでワクワクするミルクグラスをとくとご覧ください!

唯一無二!マカオのおすすめ美食グルメとお店

 

 

著者プロフィール

マカオ在住10年のツアーガイド。

現地で知り合ったマカオ市民と国際結婚し、1児の子育てをしながらゆるく働いています。ギラギラしているようで実はのどかな、安全で清潔な観光都市マカオの魅力を、旅行のプロがごく個人的な視点からご紹介します。もしお気に召しましたら、ぜひ実際にマカオへ遊びに来てください。

 

マカオは2017年にユネスコの「食文化創造都市」に登録されました。

 

食文化創造都市

2004年からユネスコが採用しているプロジェクト。食文化以外には文学・映画・音楽・工芸・デザイン・メディアアートの部門がある。日本では山形県鶴岡市が食文化創造都市に認定されている。

 

マカオには外せない美食がたくさんあります。食べ歩きやおやつにぴったりな軽食からマカオ名物のポルトガル料理、広東料理の飲茶まで、必食のおすすめグルメを紹介します。

 

1 必食!エッグタルト食べ比べ

ポルトガル風 広東風
葡撻/蛋撻 広東語 蛋撻
パイ生地 生地 タルト
プリンのよう クリーム 固め
ロード・ストウズ・ベーカリー おすすめ店 南屏雅叙(ナンペン・カフェ)
見た目

 

マカオのスイーツと言えば、エッグタルトです。

マカオではポルトガル風と広東風の2種類が楽しめますので、食べ比べてみるのもおすすめです。

ポルトガル風エッグタルト(葡撻:ぽうたっ、蛋撻:だんたっ)は、サクサクのパイ生地に焼きプリンのような焼き色のついたクリームが詰まっているのが特徴です。

 

▼ポルトガル風エッグタルト

 

甘さ控えめでクリーミーなカスタードが、ぷるぷるして絶品です。専門店にはシナモンが置いてあるので、お好みで少しかけるといい香りでさらにおいしさが引き立ちます。

ポルトガル風のエッグタルトには、コーヒーを合わせるのがおすすめです。エスプレッソマシンを持つお店も多く、おいしいヨーロッパ式のコーヒーが飲めます。

広東風エッグタルト(蛋撻:だんたっ)は、タルト生地に焼き色のついていない少し固めのクリームがつまっています。

 

▼広東風エッグタルト

 

ほろりと口の中で崩れるタルト生地がおいしく、卵の旨みが濃厚です。

広東風エッグタルトに合わせるドリンクは、マカオ名物「鴛鴦茶(いんよんちゃ)」がおすすめです。

 

▼鴛鴦茶

By OhanaUnitedTalk page投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, Link

 

マカオのレトロな喫茶店「茶餐廳(ちゃーちゃんてん)」の定番メニューで、コーヒーと紅茶を足して、エバミルクを加えたドリンクです。

 

▼茶餐廳の一つ

by Peggy (Pei-Yi) Chen Some rights reserved

エバミルク

牛乳を濃縮して作った加工製品。無糖練乳とも言われる。

 

香港マカオ特有の、ひときわ濃い紅茶の味と香りはコーヒーに引けを取らず、無糖練乳(エバミルク)がコーヒーと紅茶の風味を包み込んでうまくまとまっている、癖になる味です。

 

【著者に聞きました!】どちらの方が好き?

Q.(Webon編集部) ポルトガル風と広東風のエッグタルト、どちらの方が越宮氏はお好きでしょうか?

A.(越宮氏) どちらもおいしいですが、私のおすすめはポルトガル風です!また、食べるならポルトガル風のおすすめ店は「ロード・ストウズ・ベーカリー」、広東風のおすすめ店は「南屏雅叙(ナンペン・カフェ)」です。

 

 

2 大航海時代の味「ポルトガル料理・マカオ料理」

 

マカオに来たらぜひ食べてほしいのがポルトガル料理です。

日本ではあまり食べられないレアな料理であることも魅力の1つです。スペイン料理やイタリア料理に似ており、シーフードを多く用いることから、日本人の口によく合います。

 

バカリャウ(干しタラ)を使ったメニューは、ポルトガル料理の定番です。保存のきくタラの塩漬けは、大航海時代の船旅にも重宝されました。

「バカリャウのコロッケ(馬加休球:まかやうかう、Bacalhau ball:バカリャウボール)」は、タラのすり身をコロッケに混ぜて揚げた一口大のスナックです。

 

▼バカリャウのコロッケ

 

塩気のバランスが絶妙で、ついつい何個でも食べたくなる味です。

前菜やおつまみによく食べられます。ビールによく合うので、ポルトガルビールやマカオビールに合わせるのがおすすめです。

 

▼ポルトガルビールの例(Super Bock)

by Maéva Pensivy Some rights reserved

▼マカオビールの例(Macau Beer)

by mroach Some rights reserved

 

バカリャウのコロッケはどこでもハズレがありません!あえてポルトガル料理店をおすすめするなら「リトラル」です。

 

ポルトガル料理に中国料理のエッセンスを加えたものをマカオ料理と呼びます。

マカオ料理には独自の「ポルトガルソース(葡汁:ぽうじゃっぷ)」という、甘口のココナッツカレーソースがあります。

 

▼ポルトガルソース

 

ポルトガルから東南アジアを経て、マカオへたどり着く船旅の中で手に入れた香辛料を使った、エキゾチックな味わいです。スーパーでもレトルトのポルトガルソースが買えるので、自宅で簡単にマカオの味が再現できますよ。

 

3 大満足間違いなし!定番の飲茶

 

マカオは広東料理の本場です。広東料理は中国四大料理の1つで、中でもおすすめしたいのが飲茶(ヤムチャ)です。

多くの中華料理店で、昼に出来立ての点心を提供しています。夜は点心を出さないお店が多いので、注意しましょう。

 

▼飲茶

 

飲茶に欠かせないのが中国茶です。定番の烏龍茶は「鉄観音(てっくんやむ)」が人気です。

そのほか華やかな花の香りが人気の「ジャスミンティー(香片:ひょんぴん)」や、脂を流す「プーアル茶(普洱:ぽうれい)」も有名です。

花茶には「菊花茶(ごくふぁーちゃ)」という菊の花のお茶があり、中国風カモミールティーのような香り高い飲み口でおすすめです。

お茶は飲み放題です。急須のお湯がなくなったらふたをずらしておけば、気づいた店員さんがお湯を足してくれます。忙しくてなかなか気づいてもらえない場合は、遠慮なく頼みましょう。

 

私は中国茶の中では菊花茶が好きです。カモミールティーのような華やかな香りと、ノンカフェインのところが気に入っています。花そのものがたくさん急須に入っているところもかわいいです。

 

▼菊花茶

 

◾️ぷりぷりのエビ蒸しギョーザ

点心のおすすめは、蒸しエビギョーザ(蝦餃:はーがう)です。透き通った弾力のある皮に、ぷりぷりのエビがたっぷり詰まっていて絶品です。

 

▼蒸しエビギョーザ

By sfllaw of Flickrhttps://www.flickr.com/photo_zoom.gne?id=245032119&size=lCC BY-SA 2.0链接

 

◾️蒸したて熱々のシュウマイ

本場のシュウマイ(焼賣:しうまい)をぜひ食べてみてください。

エビやイカなどの魚介が入った弾力のあるシュウマイが多いです。海鮮の旨みたっぷりでおいしいですよ。

 

▼シュウマイ

by Person Lin Some rights reserved

 

チャーシューまん(叉焼包:ちゃーしうばお)は、甘いチャーシューがゴロゴロとたっぷり入った中華まんです。地元の人からも高い人気を得ています。

 

▼叉焼包

By Kent WangKent Wang, CC 表示-継承 2.0, Link

 

飲茶を食べるならスターワールドホテルとギャラクシーリゾート内にある「丹桂軒(ローレル)」がおすすめです。

 

マカオは美食の宝庫です。今回ご紹介した以外にも、おいしいものがまだまだたくさんあります。

食事のおいしさはマカオの楽しみの1つです。旅の思い出とともに五感で味わい、新しいけれどどこか懐かしいマカオだけの美食に舌鼓を打ちましょう。

次のページではローカルでディープなマカオを知りたい方におすすめする観光モデルコースをご紹介します。

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近日公開!

 

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「本当のマカオ市民」を知れるおすすめスポット&お菓子

 

 

著者プロフィール

マカオ在住10年のツアーガイド。

現地で知り合ったマカオ市民と国際結婚し、1児の子育てをしながらゆるく働いています。ギラギラしているようで実はのどかな、安全で清潔な観光都市マカオの魅力を、旅行のプロがごく個人的な視点からご紹介します。もしお気に召しましたら、ぜひ実際にマカオへ遊びに来てください。

 

旅先で現地の文化や人に触れると、思い出がさらに味わい深く温かみのあるものになります。

カジノの街のギラギラしたイメージとは違う、のどかで素朴なマカオ市民の生活を舌で、雰囲気で、歴史で感じられるポイントを紹介します。

 

 

1 名物お菓子に垣間見るマカオ市民の素朴さ

 

マカオ名物のお菓子は、マカオ市民が長く慣れ親しんできたレトロで素朴なものです。

メイドインマカオの昔なつかしい味わいは、おばあちゃんの家に来たようにほっと安心させてくれます。有名お土産店などで試食ができますので、気軽に試してみてはいかがでしょうか。

 

▼杏仁餅

 

杏仁餅(アーモンドクッキー)はアーモンドを細かく粉状にしたものを、木枠に入れて固めた、優しい味のクッキーです。きなこを固めたような、ちんすこうに似た食感です。

 

ちんすこう

沖縄の伝統的なお菓子。お土産などでよく購入される。

 

種類が豊富で、アーモンドの粒やゴマが入っているものもあります。アーモンドクッキーは手作りしている店が多く、そんなお店の前を通るとアーモンドの甘く香ばしい香りがしますよ。

 

蛋捲(エッグロール)は薄焼きクレープをくるっと巻いた、シガレットクッキーです。思わず顔がほころぶような素朴な味わいが魅力で、老若男女に愛されています。

 

▼蛋捲

 

日本にもラングドシャクッキーを巻いた有名なお菓子がいくつかありますが、マカオのものはバターが入った洋風のリッチなものではありません。

シンプルでありながら、サクサクほろりと崩れる食感や絶妙な甘みが、多くの人を虜にしています。

ちなみにツアーガイドもしている私の1番好きなマカオのお菓子はエッグロールです。サクッとした食感と、優しい素朴な甘みが飽きのこない美味しさがその理由ですので是非お試しください。

 

2 マカオ市民の憩いの場

 

マカオには小さな公園がいくつもあります。その静かな雰囲気や行き交う人々の歩みを見ると、ここでは時間がゆっくり流れていることを実感します。

ロウリムイオック公園はマカオでは数少ない中国風の公園です。奇岩や池、そこにかかる橋と、ポルトガル風の美しい建物の対比がマカオらしい場所です。

 

▼ロウリムイオック公園

 

住宅地にあり、学校に隣接しているため、老若男女がこの公園に集います。地元の人のお散歩コースになっており、のどかな雰囲気に癒されます。

季節ごとに公園が花で彩られるのも見逃せません。

中でも素晴らしいのは、初夏の蓮です。5月半ばから6月にかけて、池を始め公園内の随所にマカオのシンボルである蓮が咲き誇ります。

 

聖フランシスコ公園はマカオのランドマーク「グランドリスボアホテル」のすぐ近くにある、可愛らしいピンク色の公園です。

 

▼聖フランシスコ公園

グランドリスボアホテル

マカオの象徴的なホテル。カジノリゾートの中に建っていてカジノ施設としても有名。

▼グランドリスボアホテル

By Bjørn Christian Tørrissen – Own work by uploader, http://bjornfree.com/, CC 表示-継承 4.0, Link

※第1章のこちらのページでグランドリスボアの見どころを紹介!

 

観光地から近い割に人の少ない穴場で、夢の国のようなロマンチックな色合いの空間に現実感が薄れるようです。学校や託児所がすぐ近くにあるため、午後は小さい子どもたちがよく遊んでいます。

ここは隣に立つ「陸軍倶楽部(ミリタリークラブ)」や、その裏手の「聖フランシスコ兵舎」と合わせてピンク色の1つの大きな複合施設であり、要塞としてマカオの安全を見守ってきました。

 

▼陸軍倶楽部(ミリタリークラブ)

 By lienyuan lee, CC BY 3.0, Link

▼聖フランシスコ兵舎

 CC BY-SA 3.0, 链接

 

兵舎側には大砲台も残っています。マカオの土地は現在埋め立てにより大きくなりましたが、かつてはすぐ近くに海があったことを物語る、歴史ある公園です。

 

3 争いを避け住み分けた寛容の精神

 

マカオはポルトガルに侵略されたわけでも割譲されたわけでもありません。

ポルトガル人は中國に貸借賃料を支払い、争いを避けて住み分けを行ってきました。

世界遺産「聖ポール天主堂跡」の裏手にある「ナーチャ廟」は、世界で唯一教会の真横に建てられたお寺です。道教の神様ナーチャを祀っています。

 

▼ナーチャ廟

 

お寺が建てられたのは教会が焼失した50年ほど後です。

しかし世界では宗教の対立が争いに発展していることを考えれば、2つの異なる宗教施設が隣り合うことを自然に受け入れるマカオの人々は、極めて寛容で平和的です。

 

「極めて寛容で平和的なマカオ」の例

・教会とお寺が隣り合わせに建っていること

・ポルトガル人/中国人を排除しようと争わなかったこと

・レストランでオーダーと違うものが来ても、文句を言わずに黙って出されたものを食べる(基本的にクレームを言いたがらない)

・家電の修理やウォーターサーバーの水など、頼んだ物や人が時間通りに来なくても、ドタキャンされても怒らない

 

市営バスに乗るのもおすすめ

▲マカオの市営バス By コンピュータが読み取れる情報は提供されていませんが、KAMSAND23だと推定されます(著作権の主張に基づく), CC 表示-継承 2.5, Link

 

市営バスに乗ると、優先席に限らず多くの人が老人や子ども連れに席を譲っている光景を見ます。

日本ではあまり見かけない行動ですが、マカオではこれが一般的です。日本人も見習いたい習慣の1つです。

マカオ市民はせっかちな香港市民とも、大陸的な中国人とも気質が違います。鷹揚(おうよう:ゆったりして上品)でのんびりした性格のマカオ市民の暮らしを見て感じて、日本や周辺地域との文化の違いに触れるのも旅の楽しみです。

 

以上、マカオ市民の素顔を知る事のできるおすすめスポットでした。

私自身マカオ市民の素顔を知ってからは、日本にいたときのように気を張らなくてもいいんだなと、のびのびとした気分になりました。マカオは思っていたより危ないところでもないし、みんな頑張らない。キラキラしているようで実は市民の暮らしは素朴なものとわかり、肩の力が抜けました。マカオに来てから、実際友人に「憑き物が落ちたような顔をしている」と言われたほどです。

次のページではマカオのグルメを紹介します。

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知っていると楽しい!マカオの歴史を知れるおすすめスポット

 

 

著者プロフィール

マカオ在住10年のツアーガイド。

現地で知り合ったマカオ市民と国際結婚し、1児の子育てをしながらゆるく働いています。ギラギラしているようで実はのどかな、安全で清潔な観光都市マカオの魅力を、旅行のプロがごく個人的な視点からご紹介します。もしお気に召しましたら、ぜひ実際にマカオへ遊びに来てください。

 

街に隠されたマカオの歴史を知る

 

マカオは東西文化の交流地点であったことから、大航海時代の世界にまつわる逸話が数多く残る場所です。

 

大航海時代

15世紀から17世紀まで続いた主にポルトガルとスペインによる大規模な航海が多く行われた時代。アフリカ・アメリカ・アジアがヨーロッパ人などによって発見された。

 

観光地を訪れる際、その場所にどんな歴史があり、どんな物語が隠れているのかを知ることは、旅をより味わい深いものにしてくれます。

マカオの世界遺産は特に規模が小さいので、知らないと通り過ぎてしまうこともありますが知った後は、気づきや発見が生まれます。

知識や前情報がなければ写真を撮るのみで終わってしまう場所も、案内や知識があれば在りし日の暮らしに思いをはせることができ、面白味を感じます。

「やっぱりこういう場所はガイドさんが色々説明してくれる方がいいね」とおっしゃるお客様も多いです。街歩きをしながら、マカオの成り立ちや歴史に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

このページでは観光地の中心から近く、比較的簡単に行ける場所をメインに紹介します。

 

 

1 マカオと日本のつながり

 

マカオには日本人に関する面白い逸話がいくつも残っています。

マカオ観光の定番スポット「聖ポール天主堂跡」は、アジア最大の教会であり、カトリックの極東(東アジア諸国)宣教の拠点でした。

 

▼聖ポール天主堂跡

By コンピュータが読み取れる情報は提供されていませんが、Chensiyuanだと推定されます(著作権の主張に基づく) – CC 表示-継承 3.0Link

 

このファサード(建物の正面)には、日本の職人が手がけたと言われる精巧な彫刻がきれいに残っています。禁教令により迫害された日本人キリシタン達が、クリスチャン・シティであるマカオを目指してはるばる海を渡ってきました。

ここには聖母マリアに踏みつけられた7つの頭の竜の彫刻があり、「龍頭踏聖母」という漢字が刻まれています。

 

 

ドラゴンは西洋で悪魔の使いを意味しますが、これは日本でキリスト教を弾圧した徳川家康を描いたものだと伝えられています。

世界遺産セナド広場から徒歩5分ほど、新八佰伴デパート前の広場には、1513年に初めて中国に上陸したポルトガル人の船乗りで商人だった「ジョルジュ・アルヴァレス」の像があります。

 

▼ジョルジュ・アルヴァレス像

 

彼はフランシスコ・ザビエルと日本人を引き合わせ、ザビエルが日本へ向かうきっかけを作りました。

彼がいなければ、日本のキリスト教の歴史は違ったでしょう。

 

フランシスコ・ザビエル(1506-1552)

キリスト教カトリック教会の宣教師。世界中を渡り歩いてカトリック普及に努めた。日本に初めてキリスト教を伝えたことでも知られる。

▼フランシスコ・ザビエル

 

2 ポルトガル人がマカオに住み始めた時代

 

ポルトガル人がマカオに定住を始めた16世紀、この地は「マカオ」と呼ばれるようになり、次第に東西文化の交流が始まりました。

世界遺産でマカオ最大のパワースポットとして知られる定番の観光地「媽閣廟」(マー コ ミュウ)は、「マカオ」の語源になった場所です。

 

▼媽閣廟

 

ポルトガル人が初めてマカオに足を踏み入れたのが、媽閣廟周辺でした。

船でたどり着いたポルトガル人が、水先案内人に「ここはどこだ」と尋ねました。

お寺のことを聞かれたと思った中国人が「マーコウ」と答えたことから、この地が「マカオ」と呼ばれるようになったのです。

また「リラウ広場」は媽閣廟から10分弱歩いた場所にある、穴場の世界遺産です。

 

▼リラウ広場

 

ここには伝説の井戸があり、そのことを歌ったポルトガルの詩が現在でも残っています。

「リラウの水を飲む者は マカオを決して忘れない

あるいはマカオで結婚し あるいはマカオに帰るだろう」

現在この井戸水を飲むことはできませんが、この貴重な水源がポルトガル人にとって特別なものだったことを物語る詩です。

マカオは海に囲まれているので、真水は当時貴重でした。この場所はポルトガル人が初めてマカオに住み始めた地域なので、望郷や哀愁が相まって伝説を生んだものだと思います。

 

3 大航海時代の面影

 

マカオには大航海時代には欠かせなかったモチーフが今でも残っています。そのモチーフがある場所と、意味するものを紹介します。

定番の観光地、世界遺産「セナド広場」の噴水には、地球儀のようなモチーフが飾られています(写真奥)。

 

▼セナド広場

 

これは「天球儀」と言い、星座をもとに距離や方角を測る、航海には欠かせない道具でした。セナド広場は誰もが知っている観光地ですが、これが天球儀だと知っている人は少ないです。

セナド広場に隣接する有名観光地、世界遺産「市政署」の中庭は中央に丸い花壇があります。

 

▼市政署

By WiNG投稿者自身による作品, CC 表示 3.0, Link

▼花壇

 

ここには地球のモチーフ(花壇写真奥)があり、日付変更線に似たラインが入っています。これは「教皇子午線」と言い、大航海時代にローマ教皇が設定したスペインとポルトガルの植民地の境界線です。

ヨーロッパの2大海運国が、当時世界でいかに幅をきかせていたかを物語っています。

 

以上、あまり知られていないマカオの歴史的側面が観られるスポットでした。次のページではマカオ市民の素顔を知る事ができるスポットをご紹介します。

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ロートレックに起きた1878年の悲劇

 

 

▼ロートレック

 

1878年の偶然の悲劇

 

ロートレックを話題にするにあたって、彼の身体的ハンディキャップは避けて通れないトピックスです。

第一の事故は、1878年5月30日(ロートレックが9歳の時)に、ロートレックが生まれた場所でもあるボスク館で左脚を骨折してしまいました。

ロートレックが家族と一緒に居間で過ごしている時に起こった出来事でした。これは、ロートレックが座っている椅子の下に置いてあったほうきの柄に、彼が足を引っかけてしまったために椅子から転げ落ちてしまったことによる事故でした。

不運なことに事故はさらに続きます。

1879年の夏に、フランスのコミューン(自治体)であるルルドの近くにある「バレージュ」という温泉地で過ごしている時のことでした。

 

コミューン

フランスの自治体の最小単位。日本では市町村にあたる。

 

このバレージュの源泉は、負傷者の治療にも使われていたため、ロートレックも前年に骨折した左脚を癒しに訪れていました。

ロートレックは、まだ痛みが癒えない片足を引きずりながら母親のアデールの腕につかまって歩いている時に、およそ1mの深さの乾いた川床へ落ちてしまい、反対の右脚を骨折してしまいました。

二度にわたりロートレックを襲った災難に対して、両親はあらゆる手段で治療を試みましたが、結果的に脚の成長は完全に止まってしまいました。

 

 

事故後

 

10歳を過ぎた少年が転んだだけで骨折して成長が止まってしまうほど、虚弱である理由には様々な病名や憶測が飛び交いました。しかし、結果的に原因ははっきりとしませんでした。

もしも骨のもろさが遺伝的なことと関係するのであれば、ロートレックの先祖が何度も近親婚を繰り返してきたことは無関係とは言い切れないでしょう。

この続けざまに起こった2つの事故のために、ロートレックは大自然の中を駆け回る自由を失いました。

ロートレックはいつも脚の痛みに苦しみ、事故が起きたのは自分が不注意なせいだと思い込み、それ以外の理由を探そうとしませんでした。

次第に父親のアルフォンスからも「期待外れな息子」として見切られてしまい、父子関係に溝ができてしまいました。ですが、母親のアデールだけは最後までロートレックを愛し、決して彼を見放さずに支援し続けました。

※ロートレックと両親について詳しくは前のページで解説!

 

 

ロートレックは、生涯にわたって脚の長さが平均的な成人男性に比べて短かった男性です。

記録によると、ロートレックが18歳の時の身長は153㎝ほどだったそうです(日本の喜劇俳優である池乃めだか氏は150㎝で、ロートレックとほぼ同じです。)。

 

▼池乃めだか氏

By Ogiyoshisan投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, Link

 

また、1850年からロートレックが生きた時代のフランス人男性の平均身長は約165㎝です。(現在の平均は175㎝)(参照http://englishbulletin.adapt.it/wp-content/uploads/2014/10/oecd_2_10_2014.pdf)

 

 

身長の高さだけを聞くと過剰に低すぎるとは思わないでしょう。

画家のパブロ・ピカソも身長は163㎝と高身長ではなく、ロートレックと10㎝ほどしか差はありませんでした。

 

パブロ・ピカソ

1881年にスペインで生まれ、フランスで活躍した画家。

 

おそらく、ロートレックの身体全体のバランスを見た時に、脚だけが上半身と比べて異常に短く見えてしまうため、目立ったのでしょう。

 

パリでのロートレック

 

しかし、一人でパリに出てきたロートレックは、周りから差別的な扱いを受けていたかと言えば、そうではありませんでした。

殊(こと)に、パリのモンマルトル(パリにあった芸術家の街。現在はパリと併合)周辺ではロートレックは「紳士」として扱われていました。

 

 

娼婦上がりの女性たちが、ブルジョアや貴族たちをののしったりあざけったりするのをショーとして商売していたキャバレー「ル・ミルリトン」では、店に入る客は茶化されたり、ヤジを飛ばされたりしながら店に出迎えられる習わしだったそうですが、ロートレックに対しては違ったそうです。

 

貴族たちをののしったりするショー

ロートレックがモンマルトルで過ごし始めた頃には、カフェやキャバレー、ダンスホールが続々とできていました。そのような店では、社会の最下層民としてとらえられていた娼婦あがりの踊り子たちが、富裕層に向けてショーをしていました。

ロートレックの友人、ブリュアンの経営する「ル・ミルリトン」では、最下層民である娼婦や浮浪者といった、弱者たちの貧しい辛さや人生の苦しみなどを露骨な言葉で歌ったり、富裕層たちをからかったりしていました。

そして、それを客の富裕層たちは楽しんでいたそうです(平たく言うと、見世物小屋のような感じです。)。当時、店の看板には「ののしられたい者はミルリトンへ」とキャッチコピーが掲げられていたようです。

 

ロートレックだけ丁重に出迎えられた理由には、ロートレックが名家の出身であるからというよりも、画家であることで周りから一目置かれていたようです。

加えて、ロートレックは重々しく振る舞うような陰鬱な性格ではなく、むしろ仮装をして人を楽しませるなど、社交的でひょうきんな人柄でした。

 

▼仮装するロートレック

 

ロートレックは夜ごとバーやカフェに出かけて店の片隅に座り、ショーに出るスターやそこで過ごす人々と交流するだけではなく、鋭い観察力で彼女らや彼らをスケッチブックに描き写していました。

ロートレックはどれだけ娼婦や酒から抜け出せなくなっても、絵を描くことだけは終生止めませんでした。

 

▼ロートレックの作品『ムーラン・ルージュの舞踏会』(1890年)

 

【著者に聞きました!】悲劇とロートレック

 

Q.(Webon編集部) ここで語られているような悲劇によってロートレックは有名な画家になったのでしょうか?それともこのような悲劇が無くても有名な画家になっていたのでしょうか?HARUKA氏はどのように考えますか?

A.(HARUKA) ロートレックの友人ポール・ルクレルク氏の回想録によりますと、ロートレックは生前「もしも自分が人並みの身体だったら、絵を描く代わりに狩猟でもしただろう」とよく語っていたそうです。

身体にハンディがあることを忘れさせるくらい社交的で陽気な性格のロートレックは、スポーツが大好きで競馬や競輪、サーカスも良く観に行っていたそうです。ただポールが察するに、他の誰もができるようなことを自分にはできないことを密かに苦しんでいたようでした。

私の想像では、ロートレックは身体が丈夫で脚のケガもなければ、青年の頃からパリへ出てくることももかしたらなかったのではないかと感じます。アクティブな性格のロートレックは、絵は趣味程度にとどめて大学へ進学し、他の何か違った職業に就いていたかもしれないと考えます。

※ポール・ルクレルク:作家・詩人。ロートレックも表紙を手がけた当時の雑誌「ルヴュ・ブランシュ」の創刊者でもあり、ロートレック親しい友人の一人です。

 

以上、ロートレックに起きた1878年の悲劇でした。

次のページから第2章。第2章ではロートレックの作品について解説をしていきます。

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ロートレックの家族

 

 

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック

1864年にフランスで生まれる。11歳の時に事故で両足の成長が止まってしまう。その後フランス・パリで人気画家として活躍。1901年、36歳で死去。

 

ロートレックの家族

 

ロートレックは、高名なトゥールーズ家の直系の子孫で、とても裕福な家庭環境でした。

 

直系子孫

直接的な親子関係で繋がる系統の事。

 

ロートレックの父親であるアルフォンスは、母親のアデールと結婚するまでは槍騎兵連隊(そうきへいれんたい:槍を持ち馬に乗り戦う兵士の部隊)として活躍し、結婚後は乗馬や鷹狩りに明け暮れていました。

他にもサーカスや仮装なども好み奇抜な人物で有名でした。

 

 

一方、母親のアデールは、アルフォンスとは正反対の性格をした女性でした。控えめで優しく、慎ましやかな女性でした。ロートレックは「聖人のような女性だった」と言っています。

 

 

1868年にロートレックの弟・リシャールが生後すぐに亡くなったことで、アルフォンスとアデールの仲は冷え切ってしまったようです。(ロートレックの生誕は1864年)

 

【コラム】ロートレックの両親

もともとロートレックの父親は自分本位な方で、家族に愛情を注ぐということが少なかったようです。また、父親のアクティブで風変わりな性格とは正反対に母親は慎ましく、読書を趣味とするような大人しい女性でした。

ロートレックの弟が亡くなったことで不仲になってしまった理由は文献などには明記されていませんが、私が想像するに、おそらく父親自身が期待していた子供に恵まれなかったことを母親のせいした結果、不仲になったのではないかと思います。

さらに、その後両親は離婚したそうです。母親は、1883年ロートレックがパリに出てすぐの19歳の時にマルロメの城館を買い取り、そこで静かに暮らしました。マルロメはロートレックにとって帰省する実家となり、ロートレックは最期そこで死を迎えます。

 

父親のアルフォンスは、第一子である男の子のロートレックにかなりの期待を寄せていました。

ロートレックが12歳の誕生日の時に、アルフォンスからプレゼントされた鷹狩りの本には、アルフォンスから直筆で以下のようなメッセージが加えられていました。

「息子よ、忘れないでほしいのだが、大気の中での生活や照りわたる太陽の下での生活だけが健康にふさわしいのだ。

何にせよ、自由を奪われたものは自分を見失い、すみやかに滅んでいくのだ。この小さな鷹狩りの本は、広大な自然の中での生活の素晴らしさをお前に教えることだろう。

そしていつの日か、お前が人生の苦さを味わうとき、何よりも馬が、そしてまた犬が、鷹が、お前の貴重な友となり、世の苦しみを多少なりとも忘れさせてくれるだろう。」

(出典:現代世界美術全集「ロートレック」より)

※改行 弊編集部

 

このようなアルフォンスのメッセージは、ロートレックの今後の人生には忠実に反映されず、むしろロートレックは正反対な人生を送ることになるのでした。

太陽の降り注ぐ大自然や馬、鷹などと触れ合う機会には恵まれず、バーやダンスホール、酒、娼婦たちとの触れ合いが中心となるのでした。

後の1878年、1879年(当時ロートレックは14、15歳)と続けざまに起こった、ロートレックの運命を大きく変えた「偶然の悲劇」とも言える事故は、ロートレック自身だけではなく、アルフォンスやアデールにとっても衝撃なトピックスでした。

 

※1878、1879年のロートレックに起きた事故については次のページで解説!

 

この事故によって、ロートレックは両脚の成長だけが10代のままで止ってしまうのでした。

この事故を機に、アルフォンスは期待していた唯一の一人息子に失望してしまい、ロートレックに目をかけることを止めてしまいました。

 

 

一方で、母親のアデールはロートレックの弟の死後、ロートレックの成長を生きがいとし、より一層彼に愛情を注ぎました。

しかしながら、アデールはロートレックの将来を過剰に不安がって、彼に対して過保護になったり、囲ったりするようなことはしませんでした。むしろ、ロートレックの絵の才能を誰よりも早くに見抜いて、それを育もうとしました。

 

 

ロートレックの生涯にわたって、アデールは経済的な支援をロートレックにし続けたのです。後にロートレックが一人でパリへ出てきて、自由を謳歌できたのも母親のアデールのおかげとも言えます。

さらに、父親のアルフォンスとの関係とは反対に、ロートレックとアデールはとても仲の良い親子でした。

1882年には、パリでホームシックになったロートレックはこのようにアデールへ綴っています。

「おかあさんへ。おかあさんは腕の骨でも折ったのですか?それともちび助の存在を忘れてしまったのですか?

二言三言でいいので、僕に今の様子を知らせてください。こちらは万事順調です。

一生懸命勉強をしています。くれぐれもよろしくお願いします。キスを送ります。それでは。」

(出典:創元社「ロートレック―世紀の闇を照らす」)

※改行 弊編集部

 

アデールはもちろん、ロートレックも母親をとても愛していました。お互いに会えないときは、このように手紙のやりとりを交わしていました。

ロートレックが父親に手紙を書くときは、自分の身について何か大きな決断をする時に意見や承認をもらうときだけだったそうです。

母親のアデールもロートレックも互いに、父親のアルフォンスとの溝が深まらなかっただけに、生涯にわたって2人の絆は固く結ばれました。

 

▼ロートレックが描いた母親アデールが掲載されています(スペイン語サイト)

http://treclau.blogspot.com/2009/07/adele-tapie-de-celeyran-condesa-de.html

 

【著者に聞きました!】母親の影響

Q.(Webon編集部) 母親アデールの影響を受けた事をロートレックの作品を観ていて感じることはありますか?

A.(HARUKA) 個々の作品の作風や題材から母親の影響を感じることはありませんが、母親がいたからこそロートレックが画家としてのびのびと過ごせたのだと思います。ロートレックは、パリに出てきてから、自分の状況が良い時も悪い時も定期的に母親への手紙を欠かしませんでした。

ロートレックが母親へ宛てた手紙からは、別々に暮らしていてもお互いに想い合っていた様子が感じ取られ、ロートレックの心の中にはいつでも母親が存在していたように感じます。

 

以上、「ロートレックの家族」でした。次のページではロートレックに起きた1878年の悲劇について解説をしていきます。

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ロートレックの生い立ち

 

 

ロートレックの生い立ち

生まれ

 

トゥールーズ=ロートレック(正式名:アンリ・マリ・レーモン・ド・トゥールーズ=ロートレック・モンファ)は、1864年11月24日にフランスの南西部にあるアルビ地方で、アルビ最古の城館(じょうかん:貴族などの別荘)と言われるボスク館で大嵐の中、生を受けました。

 

▼アルビの風景(現在)

 CC BY-SA 2.0 fr, Link

 

ロートレックは、750年から1271年までアルビ地方を治めていた名高いトゥールーズ家の直系子孫でした。

 

直系子孫

直接的な親子関係で繋がる系統の事。

 

ロートレックの父親は「アルフォンス・ド・トゥールーズ=ロートレック=モンファ伯爵」、母親はタピエ・ド・セレイラン家から嫁いだ「アデール」でした。

 

 

母親のアデールは、アンベール・デュ・ボスクという人物の姪にあたり、ロートレックの出産準備をするために、ボスク氏が住居として利用していたボスク館に滞在していました。

ロートレックもこのボスク館で少年時代を過ごしました。

 

 

ロートレックの父親の家系であるロートレック家と母親の家系であるタピエ家は過去に婚姻関係を繰り返していたそうで、ロートレックの虚弱体質や骨がもろい原因は、近親結婚によるところもあると考えられています。

 

近親結婚

近親者同士の結婚が行われると病気や奇形などの症状が遺伝子の仕組みにより出現しやすくなる。この理由より日本では三親等以内(一親等:父母、子 二親等:祖父母、孫、兄弟姉妹 三親等:曾祖父母、曾孫、叔父叔母、甥姪)の結婚が禁止されている。

 

少年期

 

ロートレックには兄弟がいましたが、1868年に弟にあたるリシャールが生後1年ほどで亡くなってしまい(ロートレックは1864年に生誕)、以降一人息子として育てられました。

幼少期のロートレックは愛くるしいルックスで、「プティ・ビジュー(小さな宝石)」と呼ばれ、家族からとても大切に育てられてきました。

 

 

ロートレックが8歳の時(1872年)には一時的に家族とパリの高級ホテルで暮らしました。パリにある中学校へ進学のためです。

そこで両親はロートレックをリセ・フォンタヌ学院に通わせました。そこでは将来的に大学進学を目指すための勉強をします。

セ・フォンタヌ学院で、ロートレックはモーリス・ジョワイヤンという友人と出会いました。

 

 

モーリス・ジョワイヤンは、終生にわたってロートレックの良き友達であり、ロートレックが存命中も死後も彼の作品を守り、世に広める役割を果たしました。

 

さらに、このパリの滞在中に、後のロートレックの初めての師匠となる画家のルネ・プランストーと出会います。ルネ・プランストーは父親のアルフォンスの友人で、主に馬を描く動物画で有名な画家でした。

 

 

さらに、この動物画家のプランストーからの触発されたのもあり、この頃からロートレックはデッサンを習慣化するようになりました。

 

デッサン

立体的な対象物をそのまま平面である絵で描く事。

▼例:人間のデッサン

 

当時のロートレックは、使っていた教科書やノートの余白にびっしりとデッサンを描き込んでいたようです。

他にもデッサン以外に、友人のエティエンヌ・ドゥヴィスムが書いた「ココット(1881年)」という馬の生涯をユーモラスに描いた小説の挿絵も23枚ほど描いていました。

このように、ロートレックの画家としての才能は早くから芽吹いたのでした。

 

【著者に聞きました!】師匠の出会っていなかったら・・・

Q.(Webon編集部) ロートレックは師匠に出会っていなかったら才能は開花しなかったと思いますか?

A.(著者:HARUKA) 下に挙げた参考書籍では、幼い頃のロートレックのデッサンを見ることができました。例えば、骨折した際の治療にあたった外科医の絵やベッドで過ごす自画像など、幼いころからデッサンを習慣としていたようです。最初の師ルネ・プランストーに出会っていなければ、ロートレックの絵画の才能は引き出されておらず、パリに出て画家としての活躍はしていなかったのではと想像します。

参考書籍:ロートレックのデッサン (双書美術の泉 13)

 

フランスにおける貴族階級とは?

 

ロートレックの家柄でもある「貴族」とは、フランスではどれくらい高い地位に位置づけられていたのでしょうか?

中世から1790年のフランス革命に至るまで、フランスでは絶対君主制の支配が続いており、フランスの貴族階級は第一身分の「僧侶」第二身分の「貴族」第三身分の「平民」に分かれていました。

僧侶と貴族は「特権階級」と呼ばれ、フランス人口の1%にも満たない人口でしたが、国土の40%を所有していました。

 

 

彼らは特別な権利として、納税義務の免除や帯剣(たいけん:剣の所持)や狩りの権利、教会で特別席、封建制度による荘園の所有権(私有地を持つ権利)などの様々な権利を認められていました。

さらに平民の身分は「市民」と「農民」に分かれました。市民は「ブルジョワジー」と呼ばれ、近代化による生産力の向上によって成長した、ある一定の私有財産を持つ都市住民層を指します。

 

 

ブルジョワジーという言葉は、中世において都市(ブルク)に住む人々という意味から派生しています。

市民は4階級に分かれ、

「上流ブルジョワ(法律家や実業家、特権商人など)」
「中流ブルジョワ(地方商人、産業家など)」
「下層ブルジョワ(商店主、手工業親方など)」
「サン・キュロット(職人、労働者)」

が存在しました。

 

 

さらに、農民も大地主、大借地農、自営農民、小作人の4階層に分かれていました。

 

 

市民も農民も貴族を養うために働き、重税を納めていましたが、政治への参加権はありませんでした。

そのような負担と不満が積み重なり、人民の権利を主張する市民革命がブルジョワジー主体となって起こりました。

第三身分者(平民)を中心に構成された国民議会において、フランス人権宣言が1789年8月26日に制定され、翌年には貴族身分の世襲が制度上で廃止されました。

 

 

このようにフランス革命では封建制度が廃止され、第二身分の貴族や教会の財産は没収され、特権も廃除されました。

しかし、革命によって全ての貴族が一掃されたわけではなく、中には資本家や地主に転身し、貴族であったなごりから富や影響力を持ち続けた人も多くいたようです。

文献によるとロートレックは経済的な心配なくパリに出て来たりしたそうなので、裕福な環境を維持できていたようです。

 

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