King Gnu勢喜遊の紹介① 【基本情報と略歴】

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King Gnuを聴いて「人生が変わった」音楽を愛して40年の著者が綴った『KingGnu入門』の決定版!「KingGnuって何?」という方も、既に「ヌー民」の方もこれを読めばKingGnuの曲をさらに楽しめる事間違いナシ!!

King Gnu入門 〜全人類必聴の歴史的革命バンド〜 【メンバーと軌跡編】はこちらから!

著者:渡辺和歌

1970年生まれ。音楽を愛して40年。中学時代は『ベストヒットUSA』を欠かさずチェック。当時の洋楽ヒット曲をラジオから録音しお気に入りのカセットテープを作成。ビートルズのアルバムは全て揃え『イエロー・サブマリン』などのビートルズ映画上映会にも欠かさず参加。中森明菜さんのファンで歌詞を耳コピして書き起こしていた。中島みゆき、中森明菜、尾崎豊、サカナクション、大島保克、元ちとせにも傾倒。King Gnuを聴いて生き方が変わるほどの感銘を受ける。現在はラジオやテレビ出演、SNSやライブなどでチェックしKing Gnuを追いかけている。

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この章ではは3ページにわたってKing Gnuのドラマーの勢喜遊(せき ゆう)さんという人物を【基本情報と略歴】【人間性】【音楽性】に分けて紹介します。

このページではまず勢喜さんの基本情報と略歴についてお伝えします。

 

勢喜遊の基本情報

 

名前 勢喜遊(せき ゆう)
担当 ドラム/サンプラー
生年月日 1992年9月2日
出身地 徳島県阿南市
血液型 O型
身長/体重 171cm/52kg
音楽遍歴 レッド・ホット・チリ・ペッパーズ/ウェルドン・アーヴィン/ダニー・ハサウェイ/ディアンジェロ/デズリー/ニーヨ/レデシー/マーズ・ヴォルタ/ケンドリック・ラマー/マック・ミラー/サンファ/グレッチェン・パーラト/スウィンドル/ジェイムス・ブレイク/スティーヴ・アオキ/ロック~ファンク~ラテン~ブラックミュージック~ジャズ
使用楽器 ・シェル:Kitano Stainless Shell
・スネア:Ludwig Black Beauty 14″×6.5″
・ハイハット上:Paiste Signature Dark Crisp Hi-Hat Top
・ハイハット下:Paiste Signature Medium Hi-Hat Bottom
・クラッシュ:SABIAN AA Rocktagon 18″
・クラッシュ:Zildjian FX Oriental Crash of Doom 22″
・チャイナ:Koide Cymbals 503 China 18″
・サンプラー:Roland SPD-SX

 

勢喜さんの略歴

生まれ

 

勢喜さんは徳島県阿南市で生まれ育った、ひとりっ子。血液型はO型。

元プロミュージシャンで血液型B型というご両親のうちお父様はドラマー、ダンスもされていました。

お母様はシンガー。現在は趣味の範囲だそうですが、ご両親とも地元で音楽活動を続けていらっしゃいます。

ちなみに、ひいおばあ様はファンクの帝王“JB”ことジェームス・ブラウンに顔が似ているそうです。

▼ジェームス・ブラウン


By Heinrich Klaffs – https://www.flickr.com/photos/heiner1947/4430588088/in/set-72157623613839496/, CC 表示-継承 2.0, Link 

 

ご両親を筆頭に「ファンキーな勢喜家」として認知されていて、日頃の感謝を込め、徳島名産の“大野海苔”をKing Gnu周辺の方々に贈るという勢喜家の家族愛も話題になりました。

幼い頃から練習用の電子ドラムを叩いていたという勢喜さん。小学4年生の頃、ご両親のすすめでダンススクールに通い始め、ストリートダンスにのめり込みます。

 

中学・高校時代

 

中学時代はソロダンサーとして活躍しつつ、吹奏楽部にも所属。パーカッション(打楽器全般)を担当されました。

中学時代からバンドは始めていたそうですが、高校に入ると先輩にドラムを叩くよう頼まれ、ライブハウスでも演奏。

高校3年生になる頃、先生についてドラムを習い始めます。先生はラテン(中南米発祥の音楽)のバンドに所属。勢喜さんはパーカッションでそのバンドの練習に参加されたこともあるようです。

音楽活動が活発化するきっかけとなったのは、地元のプロミュージシャン、元スペクトラムのギター&ボーカル西慎嗣(にし しんじ)さんとの出会い。

※スペクトラム(1979~1981まで活動)の楽曲「SUNRISE」はスタン・ハンセンの入場曲として有名


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当時の勢喜さんのバンドがレコーディングする際、スーパーバイザーになってもらったこともあるそうです。

 

高校卒業後

 

高校卒業後は徳島県内のセッションバーにも顔を出すようになり、上京したのは2012年の元旦。勢喜さんが19歳のときでした。

東京でもアルバイトをしながらセッションバーに通ううちに様々なミュージシャンと出会い、ライブや仕事へとつながっていきます。

ちなみにセッションバーとは、基本的に誰でもセッション(即興演奏)で参加できるバーのこと。ジャズ系・ファンク系などのジャンルや参加方法などのスタイルはお店によります。アンダーグラウンドながらも音楽的な交流が盛んなことから、セッションシーンと呼ばれています。

こうしたセッションシーンでお互い20歳の頃に出会ったのがベースの新井和輝(あらい かずき)さん。

場所は東京・西荻窪のバー「CLOP CLOP」(クラップ・クラップ)だったそうです。

▼「CLOP CLOP」公式ホームーページ


引用:CLOP CLOP(クラップ・クラップ)

 

2018年9月に閉店した横浜の「カモメライブマターズ」で開催されていた、元SOIL&“PIMP”SESSIONS(ソイル・アンド・ピンプ・セッションズ)のサックス奏者・元晴(もとはる)さん主催のジャズイベント「バトルオブスタディー」にも参加されていたとか。

▼SOIL&“PIMP” SESSIONS『Summer Goddess』

 

そして勢喜さん・新井さんのおふたりとも2014年4月に結成された、津軽三味線デュオを含む5人編成の「輝&輝バンド」(ききバンド)の初期メンバーとしても活躍されます(その後メンバーチェンジがあり、現在はおふたりともメンバーではありません)。

▼輝&輝バンドのアルバム『開華宣言』(2015)(画像リンク先で試聴可能)

さらに勢喜さんが六本木のバー「エレクトリック神社」で出会ったのが常田大希さん。

勢喜さんは、後藤克臣さん率いる「エレクトリック神社」のハウスバンド「エレクトリック神社バンド」など、常田さんはSrv.Vinci(サーバ・ヴィンチ)を1人でやっていて、ドラマーを探していた時期でした。

常田さんに新井さんを紹介されたのも勢喜さんです。

勢喜さん・新井さん・常田さんの3人はこうしたセッションシーンで出会ったわけですね。

 

以上、このページでは勢喜さんの基本情報と経歴をお伝えしました。

次のページでは勢喜さんの人間性についてお伝えいたします。

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著者:渡辺和歌

1970年生まれ。音楽を愛して40年。中学時代は『ベストヒットUSA』を欠かさずチェック。当時の洋楽ヒット曲をラジオから録音しお気に入りのカセットテープを作成。ビートルズのアルバムは全て揃え『イエロー・サブマリン』などのビートルズ映画上映会にも欠かさず参加。中森明菜さんのファンで歌詞を耳コピして書き起こしていた。中島みゆき、中森明菜、尾崎豊、サカナクション、大島保克、元ちとせにも傾倒。King Gnuを聴いて生き方が変わるほどの感銘を受ける。現在はラジオやテレビ出演、SNSやライブなどでチェックしKing Gnuを追いかけている。

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