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カンフー映画を見たことがありますか?ブルース・リー氏やジャッキー・チェン氏は「俳優が武術をする」というよりは、「武術家が演技をする」と表現したほうがしっくりきます。カンフー映画鑑賞歴27年の著者が語ります!
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著者:HARUKA
大阪府出身。趣味はドラム。中国武術は現在見習い中です。好きな映画ジャンルはダントツでカンフー映画!小学生の頃にジャッキー映画にはまり、今に至る。カンフースターは映画「霊幻道士」の道士役ラム・チェンイン氏が一番好きです。多くの人に新旧問わずカンフー映画に興味を持ってもらえたら嬉しいです。
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第1章ではカンフー映画とは何か、そしてカンフー映画の歴史について解説をしています。
このページでは一大ブームを巻き起こしたカンフー映画スター俳優「ジャッキー・チェン」氏が活躍した時代のカンフー映画の歴史(前編)を解説をします。※カンフー映画の歴史を最初から知りたい方は第1章の最初のページからお読みください。
▼カンフー映画の歴史概要(リンククリックorタップで該当ページへ)
ジャッキー・チェン氏の時代
ジャッキー・チェン氏の起用
前ページで解説したように1970年代前半、香港の映画会社ゴールデン・ハーベスト社はブルース・リー氏と共にカンフー映画界の歴史を刷新しました。
▼ブルース・リー氏
ゴールデンハーベスト社
香港の映画制作会社。ブルース・リー氏主演の「ドラゴン危機一髪」などを制作し大ヒット。ブルース・リー氏とともにカンフー映画のブームを作り出した。詳しくは
前のページで。
その快進撃の立役者の1人であるゴールデン・ハーベスト社の映画監督ロー・ウェイ氏は、1971年にブルース・リー氏を主演とする「ドラゴン危機一発」、「ドラゴン怒りの鉄拳」の記録的大ヒットで監督として注目を浴びました。
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しかしブルース・リー氏とロー・ウェイ監督は喧嘩別れをしてしまいます。
その後ロー・ウェイ監督は、ジミー・ウォング氏主演作品を撮るようになりました。
ジミー・ウォング氏(1943~)
カンフー映画ブームの基礎を作ったパイオニア的存在。ブルース・リー氏などのスターが出る前から活躍していたカンフー映画界のレジェンド。
▼ジミー・ウォング氏
そして、ロー・ウェイ氏は1975年にゴールデン・ハーベスト社から独立して「羅維影業公司(ロー・ウェイ・インイェ・ゴンスー)」を設立し、ジャッキー・チェン氏を起用した「少林寺木人拳」、「拳精」などの作品を監督して実力を発揮しました。
▼ジャッキー・チェン氏
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一方この頃、1967年にショウ・ブラザーズ社に入社し、1970年には「吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー」の助監督を務めていたウー・シーユェン氏は、自らの映画会社「シーゾナル・フィルム」を立ち上げました。
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ウー・シーユェン氏はロー・ウェイ監督の元にいるジャッキー・チェン氏に興味を抱き、ロー・ウェイ監督へジャッキー・チェン氏のレンタルを申し出ます。
ちなみに、この頃、ロー・ウェイ監督はジャッキー・チェン氏を第二のブルース・リー氏に仕立てようとしており、ジャッキー・チェン氏自身もまた伸び悩んでいた頃でした。
「蛇拳」と「酔拳」の大ヒット
シーゾナル・フィルム社のウー・シーユェン氏は、ロー・ウェイ監督からジャッキー・チェン氏を2作品の映画に出演させる契約を取り付けることに成功します。
その第一弾として、清朝末期の広東(中国の地名)を背景にした「蛇拳(だけん)」(’78)を製作します。
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清朝と広東省
清朝は1644~1912年まで今の中国とモンゴル地域を支配していた王朝。1894年には日本と日清戦争で対立している。
▼現在の中国の広東省
「蛇拳」はそれまで多かったカンフー映画の復讐劇とは異なり、
「全く武術ができない主人公が厳しい訓練によって腕を磨き、成長し、最終的に強敵を打ち倒す」
という新たな痛快ストーリーを打ち出しました。
カンフー映画はこの作品によって、シリアスなストーリーの中にもコミカルなコメディ要素を取り入れることに成功し、これまで復讐劇が多く暗いイメージを持ったカンフー映画のイメージを一掃しました。
「相手をカンフーで倒す」というよりも「相手とコミュニケーションをとって倒す」という二拍子のカンフーはジャッキー氏映画における特徴の一つです。
この成功は、ジャッキー・チェン氏持ち前の「明るく愛嬌あるキャラクター」が作用したことも大きく影響しました。
さらにジャッキー・チェン氏の才能を大きく引き出す事にも成功した作品とも言えるでしょう。
この「蛇拳」の成功に続き、姉妹編として、ウー・シーユェン氏は中国伝統武術である『酔八仙拳(すいはっせんけん)』を主軸とした「酔拳(すいけん)」(’78)を製作しました。(蛇拳・酔拳ともに監督はユエン・ウーピン氏)
▼ユエン・ウーピン氏
photo by Slackerwood [Photo Credit: Debbie Cerda, for use with attribution] – Master Yuen Woo-ping Uploaded by Teemeah
前作「蛇拳」にはまだシリアスな雰囲気が残っていましたが、そのシリアスさを完全に排除して、武術の素晴らしさは生かしたまま明るく楽しい作品に仕上げます。
「酔拳」はカンフー映画界に新風を吹き込んだ作品となりました。
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【コラム】「酔拳」の『酔八仙拳(すいはっせんけん)』ってどんな拳法?
▼酔拳のイメージ
酔八仙拳は一般には「酔拳」の呼び名で知られていますが、八人の仙人の酔態(酔った状態)を模した拳法であり、実際に飲酒して戦う拳法ではありません。
明代の中国で書かれた伝奇歴史小説の「水滸伝(スイコデン)」の登場人物である花和尚(カオシヨウ)こと魯知深(ロチシン)を酔八仙拳の伝説上の祖としています。
▼水滸伝
複雑で変化に富む千鳥足の歩法と月牙叉手(ゲツガサイシュ)と称する手法(お猪口を持つような手つき)が特徴です。
▼イメージ
八人の仙人(酔八仙)とは、
- 呂洞賓(ロドウヒン、故事「邯鄲(カンタン)の夢」で盧生(ロセイ)に枕を与えた仙人)
- 李鉄拐(リテツカイ、片足が不自由で杖を突く仙人)
- 漢鐘離(カンショウリ、晋の将軍)
- 藍彩和(ランサイワ、唐代に常に大きな花かごを持ち、片足だけ裸足でボロを着て歌い歩いていた仙人)
- 張果老(チョウカロウ、常に白いロバに乗っている仙人)
- 曹国舅(ソウコッキュウ、宋の曹太后の弟)
- 韓湘子(カンショウシ、唐の詩人、横笛の名手)
- 何仙姑(カセンコ、唯一の女仙人)
を指します。
酔八仙拳が世に知られるようになったのは、上海精武体育会(しゃんはい せいぶ たいいくかい:上海の体育学校)の教師であった陳維賢(チンイケン)が伝えたことによります。
酔八仙拳は地面を転がりながら戦うことを得意とした門派に属し、足場の悪い場所での戦いにも適すると言います。
また、先ほどイメージを示した月牙叉手(ゲツガサイシュ)と称する手法(お猪口を持つような手つき)は喉をつかんで破壊するものであり、実践時には人差し指をまげて突き出し急所を攻めるのに用いられます。
他の中国拳法の中でも最もユニークですが、その実態は緩急に富み、剛と柔の両面を備え、足腰の強さとバランスや柔軟性が要求される難易度の高い拳法です。現在では大会においての表演武術種目(採点競技)としてよく知られています。
以上、ジャッキー・チェン氏が活躍した時代のカンフー映画の歴史でした。火が付いたジャッキー・チェン氏のカンフー映画はさらに人気になっていきます。次のページではその後のカンフー映画の歴史について解説をしていきます。
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大阪府出身。趣味はドラム。中国武術は現在見習い中です。好きな映画ジャンルはダントツでカンフー映画!小学生の頃にジャッキー映画にはまり、今に至る。カンフースターは映画「霊幻道士」の道士役ラム・チェンイン氏が一番好きです。多くの人に新旧問わずカンフー映画に興味を持ってもらえたら嬉しいです。
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