【子別れ】あらすじや見所など落語ファン歴10年による解説!

 

落語は「噺の終わりにオチがある、おもしろおかしい落語」滑稽噺と「心温まるような人情を描いた落語」である人情噺というジャンルに分けることができます。

人情噺の中でおすすめなのが「子別れ」です。

このページでは「子別れ」のあらすじや、どの落語家の「子別れ」を聴くのがおすすめかなどを徹底解説いたします。

 

※このページは10年前に落語にはまって以来ほぼ毎日落語を聴いているミドケン氏による『落語初心者入門』の内容をWebon編集部がまとめたものです。また、このページの情報の一部は落語作家なかむら治彦氏の『読んで楽しい落語の演目と知識』を参考にしております。

▼『落語初心者入門』(全23ページ)

 

子別れとは

 

『子別れ』(別題『子は鎹』『強飯の女郎買い)は離縁して父母が離れ離れになった子供とその父親が偶然再会し、その子供の橋渡しによって夫婦が再会し、よりを戻すというストーリーです。

父と子、母と子、それぞれの間に互いを思う心が別れた後も強く残っている描写が劇的です。

このストーリーの前段として、父親が葬式の帰りに吉原へ出かけるくだりと、それが原因で夫婦喧嘩になり母親が子供を連れて家を出るくだりの落語があります。前者は『子別れ・上』(別題『強飯=こわめしの女郎買い』)、後者は『子別れ・中』、さらに前述した部分は『子別れ・下』と通常は呼ばれています。

(解説:なかむら治彦)

あらすじ

 

腕はいいのに酒ばかり飲んで働かない大工の熊五郎。

熊五郎は吉原(=幕府公認の遊郭(男性に性的サービスを行うお店がある区画))に居続けたあげく、しばらくぶりに家に帰ったが女房に謝るどころか女郎(遊郭で働く女性)ののろけ話をする始末。

ついに堪忍袋の緒が切れた女房は、息子の亀吉を連れて家を出てしまう。

 

 

その後吉原の女郎を後妻にするが、これがとんでもない悪妻でそのうち熊にも愛想を尽かして出て行ってしまう。

熊五郎は心を入れ替えて真面目に働くようになり数年後には暮らしも楽になった。

 

そんなある日、仕事先で別れた息子の亀吉に偶然出会う。

亀吉に母親のこと聞くと「再婚もせず貧しいながら女手一つで頑張っている」とのこと。

熊五郎は亀吉に小遣いをやり「明日二人で鰻を食べに行こう」と誘い「俺と会ったことはおっかさんには内緒にしろ」と言い聞かせて別れる。

 

家に帰った亀吉。もらったお金が母親に見つかってしまう。

ごまかそうとするが「亀吉が盗んだんじゃないか」と疑った母親は金づちでぶとうとするので、父親からもらったことを白状してしまう。

 

 

怒るどころか、真面目になった熊五郎の話を聞いて嬉しそうな様子の母親。

 

翌日、熊五郎と亀吉が鰻屋の二階で鰻を食べていると、いても立ってもいられなくなった母親が鰻屋を訪ねて来る。

親子三人水入らずとなり両親とも嬉しいはずだが、お互いもじもじとするばかりで会話が成り立たない。

そこで見かねた亀吉が二人の仲を取り持ち、二人は徐々にお互いの気持ちを打ち明け合う――。

 

–ネタバレ–

 

ヨリを戻すことを提案する熊五郎。そして承諾する母親。

「こどもがあればこそおめえとも、またヨリが戻るんだな」と熊五郎。

「ほんとうですよ。子供は夫婦のかすがい(2つの材木をつなぐためのコの字型の釘)って言う通りですよ」

すると亀吉が「えっ、あたいがかすがいかい?だから昨日おっかさんがあたいの頭を金づちでぶとうとしたんだ」

 

–ネタバレ終わり–

 

みどころ

 

この「子別れ」はとても長い噺で、一般的には、上、中、下と三つに分けて演じられます。上は「強飯の女郎買」、下は「子はかすがい」という題名です。いつの時代も家族の愛情は変わりません。

大人びた台詞を吐く亀吉、女房のいじらしさ、亭主の男としての照れが聞きどころの噺です。

 

▼筆者おすすめ「子別れ」が鑑賞できる作品

⚫柳家さん喬14「子別れ」-「朝日名人会」ライヴシリーズ94(Amazon Music Unlimited)

 

「子別れ」を聴く方法

 

「子別れ」を聴くには、以上でおすすめしたCDを購入して聴く方法もありますが、音声の配信サービスを利用するという方法もあります。

以下では「子別れ」が聴けるサービスを紹介いたします。

 

audible

 

audibleでは「子別れ」を聴くことができます。

audibleはベストセラー小説からビジネス書、英字新聞まで、20以上の豊富なジャンルを音声で聴ける定額制サービスで、落語作品も数多く収録しています。人間国宝・五代目柳家小さん(やなぎや こさん)さんも収録。名だたるレジェンドたちの演目が手軽に聴けます。

 

▼audible公式サイト(プロナレーターの朗読配信サービス。無料お試し有)

 

Spotify

 

Spotifyでも「子別れ」を聴くことができます。

Spotifyは音楽ストリーミング配信サービスですが、落語のコンテンツも充実しているのでおすすめです。

立川志らく(たてかわ しらく)、春風亭一之輔(しゅんぷうてい いちのすけ)、三遊亭白鳥(さんゆうてい はくちょう)、など、今をときめく落語家のラインナップが豊富なのが特徴です。

 

Spotifi公式サイト (音楽ストリーミングサービス。無料。(有料版有))

 

以上「子別れ」の紹介でした。その他落語の人情噺の演目についてさらに詳しく知りたい方は下記のページをご覧くださいませ。

 

また『読んで楽しい落語の演目と知識』では落語の演目の中から、あなたの好みにピッタリと合った落語演目をご紹介いたします。

▼『読んで楽しい落語の演目と知識』(全10ページ)

 

さらに「落語のマクラって何?」「どこで落語は観れるの?」など基礎から落語を学びたい方は『落語初心者入門』をぜひご覧くださいませ。

▼『落語初心者入門』(全23ページ)

私がテイラー・スウィフトを手本にして歌手を目指す理由

Webon紹介目次著者

世界的歌姫Taylor Swift(テイラー・スウィフト)と会った筆者が、Taylorの魅力を紹介。Taylorのこれまでの軌跡・ファンとの交流・社会貢献・音楽の変遷などを知れば、筆者が彼女をお手本にして歌手を目指す理由もわかるはず!

Taylor Swift(テイラー・スウィフト)入門 ~Taylorに会った筆者が語る~はこちらから!

著者:Sakift

20代前半。幼少期から歌手を志し9歳の時にTaylor Swiftのファンになって以来彼女をロールモデルにしている。RED Tour、1989 World Tour、Reputation Stadium Tourに参加。2014年のRED Tourでは、コンサート後のミートアンドグリート’’Club RED’’に招待され実際にTaylor Swiftと会って話をする。いわゆる空港での『出待ち』も毎回しており、その場でサインをもらったこともある。

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『Taylor Swift入門』目次へ  (全7ページ)

 

Taylor Swiftの基本情報


photo by Prayitno / Thank you for (12 millions +) view ,(CC BY 2.0

名前 テイラースウィフト(Taylor Swift)
生年月日 1989年12月13日
出身地 アメリカ合衆国ペンシルベニア州
デビュー年/曲 2006年シングル「Tim McGraw(ティム マックグロウ)」アルバム「Taylor Swift」
17歳でデビューし、グラミー賞、エミー賞、ウーマンオブザイヤーなど数々の賞を受賞。過去に発売したCDの総売上枚数は4,000万枚以上、ダウンロード数は1.3億を超えている。

▼テイラーの代表曲のひとつ『We Are Never Ever Getting Back Together』MV。日本の人気恋愛リアリティー番組「テラスハウス」のオープニング。

 

はじめに

 

私は幼少期から歌手を志しています。

幼い頃から書き溜めてきた歌詞の数は150近くあり、物心ついた頃から歌手を目指す気持ちは変わっていません。

私は10歳の時、歌手としても、人としても尊敬している世界的歌姫Taylor Swiftに出逢いました。

皆さんはTaylor Swiftというアーティストをご存知でしょうか?

私がTaylorのファン(通称:Swiftie スウィフティー)になってから、もう10年が経とうとしています。まだ小学4年生だった私は、当時世界的にヒットした”You Belong With Me”のミュージックビデオを一目見た瞬間から熱烈なSwiftieになりました。

▼「You Belong With Me」のMV

 

当時はまだ年齢的な問題もあり、コンサート鑑賞や情報収集をすることも容易ではありませんでした。

そのため、彼女のアルバムを購入し毎日歌詞を完璧に覚えるまでひたすら聴きました。

中学生になる頃にはスマートフォンやパソコンを使いTwitterや公式サイトでとても深くTaylorの人間性をも知るようになりました。

中学2年生の時には、一生忘れられないかけがえのない経験もしました。

“RED Tour in Japan”の際にコンサート後のミートアンドグリート(以下Club RED)に選ばれ、実際に会って話すことができたのです。

 

【筆者注】ミートアンドグリート

ミートアンドグリートは、コンサート終了後にアーティストと交流できるイベントのことです。Taylerのコンサートの場合は、毎回コンサート中に目立っているファン(手作り衣装やボード、電飾など)をTaylorの母親が直接選び、ファンはコンサート中にバックステージパスが渡されます。私の場合はスタッフに声をかけられ、バックステージパスであるリストバンドをはめてもらいました。

▼ミートアンドグリートの詳細は第2章1ページ目にて

 

Club REDで彼女が真っ先にきつくハグをしてくれたあの瞬間を私は生涯忘れることはないでしょう。

さらに私はClub REDでTaylorに「歌手になって必ずもう一度会いたい。」と約束をしました。

この時から、私はただSwiftieとしてTaylorを応援するだけでなく、自らが歌手を目指す上で彼女を絶対的ロールモデルにしようと決めました。

▼歌手を目指す筆者の様子(YouTube)

 

Taylorをロールモデルにした理由

 

ロールモデルとは行動面や精神面において手本とする人物のことです。誰かしらをロールモデルにする上で、その人物像は大変重要になってきます。

私は一人でも多くの人にTaylorの魅力をより深く知ってもらい、ロールモデルとして彼女のような人物を目指して欲しいという願いからこのWebonを作成しています。

私がTaylorをロールモデルとして捉え始めた理由は、彼女のアーティストとしての振る舞い方と曲の中にあります。

アーティストとして長く生き残るためには、常に新しいものを発信し続けなければいけません。加えて、ただ新しいだけではなくファンの心を掴むものである必要性もあります。

新しいものを生み出していかなければならないのは、何もアーティストという職種だけに限らないでしょう。様々な職場で創造性は重要視されます。Taylorはそういった点においてとても長けています。

 

多くの人の心を掴んで離さないTaylorの戦略

 

わかりやすい例として、Taylorの新曲を出す時の戦略です。たとえば、先日Taylorが約1年半ぶりにニューシングル「ME!」をリリースしました。

▼「ME!」MV

 

このシングルをリリースするにあたり、Taylorはおよそ2ヶ月前からInstagramにおいて継続的にニューシングルを匂わせるような投稿をしていました。

 

【コラム】ニューシングルを匂わせるようなInstagramの投稿

ニューシングルを匂わせる投稿で最もわかりやすかったのが、以下の投稿です。

 

View this post on Instagram

 

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Taylor Swiftさん(@taylorswift)がシェアした投稿 –

もともとTaylorが次に出すであろうアルバムは、まだリリースされておらず名前も当時決まっていないためファンの間では通称「TS7」と呼ばれていました(彼女の7枚目のアルバムにあたるため)。Taylor自身も、ファンがTS7を期待していることは知っていました。その最中、ヤシの木の絵文字を7個だけつけてこの画像を投稿したので「次のアルバムがもうすぐくるはずだ」と皆期待しました。さらに、一つ前の作品である「Reputation」のリリース時もそうでしたが、Taylorは必ずアルバムのコンセプトにそった投稿をしていました。前回はダークなイメージのアルバムだったので蛇や暗い感じの画像・動画を投稿していました。しかし今回はパステル調のピンクがかったフィルターのみを使い連続して投稿していたため、新たなアルバムが出るのではないかという期待が高まりました。

 

さらに、日本、アメリカ、イギリス、オーストラリアを含む各国の大きな電光掲示板にて謎のカウントダウンをしていました。そしてそのカウントダウンが0になった時、新曲がリリースされたのです。

▼カウントダウンの様子(日本)

 

カウントダウンによりあらかじめ世間の目を引いたことで、世界的に話題となった状態でのリリースとなりました。こういった言わばTaylorの「戦略」が、ファンだけでなく多くの人の心を掴んで離さないのです。

ファンを飽きさせないという最も大切なことを彼女はし続けているのです。

多くの海外セレブがプライベートな話題で世間を騒がせている中、Taylorは常に新たな曲作りに勤しんでいます。

そして、評判が地に落ちてしまったとしても逆境に負けることなく、むしろそれを逆手にとって這い上がるのです。1人の人間としてもアーティストとしても、生涯尊敬し続けられる人物こそがTaylor Swiftだと私は思っています。

 

 

Taylorは中学生の時にいじめられていた経験があります。いじめられていた辛い時期を乗り越え、血の滲むような努力をし夢を叶えたTaylorの言葉に励まされる人は多く、私自身も幾度となく助けられました。

また、Taylorはデビュー後にサインを求めてやってきた元いじめっ子たちに快く対応したと言います。後のインタビューでは「惨めな思いをして学校に通っていた経験がなければここまでいい曲は書けなかった。いじめっ子たちにありがとうと伝えたい。」とさえ語っていました。

現にTaylor自身の経験に基づいたその自叙伝的な歌詞の数々に、多くの人々が魅了されています。頭身大で親しみやすく、共感しやすいからです。

世界に名を馳せても、ファンへの心遣いを忘れず常に人を楽しませられるアーティストであること。いつまでも初心を忘れない謙虚さや、ファンを大切にする人柄が彼女の最大の魅力といえるでしょう。

そんな彼女の魅力を是非知っていただきたいです。そして、これから夢を目指す方は彼女をぜひロールモデルにしてみてはいかがでしょうか。

このWebonでは実際にTaylorをお手本に歌手を目指している私が、どういったことをTaylorから学んでいるかをお伝えしながら、Taylorの魅力を明らかにしてきたいと思っております。

次の章ではTaylorの「デビューまでの道のり」に焦点を当てて、Taylorの魅力やTaylorから私が学んだことをお伝えしたいと思います。

『Taylor Swift入門』目次へ  (全7ページ)

 

目次著者

著者:Sakift

20代前半。幼少期から歌手を志し9歳の時にTaylor Swiftのファンになって以来彼女をロールモデルにしている。RED Tour、1989 World Tour、Reputation Stadium Tourに参加。2014年のRED Tourでは、コンサート後のミートアンドグリート’’Club RED’’に招待され実際にTaylor Swiftと会って話をする。いわゆる空港での『出待ち』も毎回しており、その場でサインをもらったこともある。

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King Gnuとは何か?どこが革命的なのか?

Webon紹介目次著者
King Gnuを聴いて「人生が変わった」音楽を愛して40年の著者が綴った『KingGnu入門』の決定版!「KingGnuって何?」という方も、既に「ヌー民」の方もこれを読めばKingGnuの曲をさらに楽しめる事間違いナシ!!

King Gnu入門 〜全人類必聴の歴史的革命バンド〜 【メンバーと軌跡編】はこちらから!

著者:渡辺和歌

1970年生まれ。音楽を愛して40年。中学時代は『ベストヒットUSA』を欠かさずチェック。当時の洋楽ヒット曲をラジオから録音しお気に入りのカセットテープを作成。ビートルズのアルバムは全て揃え『イエロー・サブマリン』などのビートルズ映画上映会にも欠かさず参加。中森明菜さんのファンで歌詞を耳コピして書き起こしていた。中島みゆき、中森明菜、尾崎豊、サカナクション、大島保克、元ちとせにも傾倒。King Gnuを聴いて生き方が変わるほどの感銘を受ける。現在はラジオやテレビ出演、SNSやライブなどでチェックしKing Gnuを追いかけている。

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『King Gnu入門【メンバーと軌跡編】』目次へ  (全16ページ)

 

「音楽で生き方が変わる、時代が変わる」、そんな話はあり得ないと思っていませんか?

でも、もし、ひたすら前向きで豊かな人生にしてくれる音楽が現代の日本にあるとしたら……聴いてみたいでしょう。それがKing Gnu(キングヌー)です。そう確信する理由やお伝えしたい魅力を綴りました。

 

King Gnuの基本情報

グループ名 King Gnu(キングヌー)
メンバー ・常田大希(ギター/ボーカル)写真上段右から2番目
・勢喜遊(ドラムス/サンプラー)写真上段左から2番目
・新井和輝(ベース)写真上段右
・井口理(ボーカル/キーボード)写真上段左
デビュー 2019年1月16日アルバム『Sympa』でメジャーデビュー
日本の4人組ロックバンド。『Prayer-X』がフジテレビ系アニメ「BANANA FISH」のエンディングに起用され話題になる。シングル『白日』は『イノセンス 冤罪弁護士』(2019年1月-3月日本テレビ土曜22時)の主題歌に起用。日本テレビの音楽番組「バズリズム02」にて音楽関係者が選ぶ今年ブレイクするアーティスト1位に選ばれる。

▼King Gnu(キングヌー)の代表曲『白日』MV

 

はじめに ~『Mステ』登場で残した爪痕~

 

King Gnuを「キングガン」や「キンググニュ」などと誤読していた人にとって、「キングヌー」は2019年に突如として現れた謎の存在かもしれません。

たしかに2019年2月22日、音楽番組『ミュージックステーション』(テレビ朝日)に初登場したときは、フロントマン(バンドの顔となる存在)の井口理(いぐち さとる)さんがアニメ『進撃の巨人』の奇行種を真似して、階段を暴れながら駆け下りる姿が注目を集めました。

▼『進撃の巨人』

ゴールデンタイムのテレビ番組で『Slumberland』(スランバーランド)という楽曲が披露されたことこそ革命的な出来事だったわけですが、話題になったのは拡声器を手にした常田大希(つねた だいき)さんの後ろで白目をむいた井口さん。

 

どういう点が革命的な出来事だった?

『Slumberland』(スランバーランド)は「眠りの国」という意味です。

<テレビでは下世話な話題が取り上げられているが、自分にとってはどうでもいいことばかり。それより大事なことは自分の身のまわりで起きている出来事。「眠りの国の住人よ、目を覚ませ!」、そんなことを言う自分もしょせんロックンローラーだから愛と人生しか歌えないけれど……>

といった歌詞。常田さんご本人は「日本のテレビ業界に物申す」つもりもないし、むしろどうでもいい。しょせんロックンローラーなんだから、たとえ売れても調子に乗るな!……という自戒の意味を込めていらっしゃるそうです。井上陽水さんの『傘がない』を参考に作られた歌で、社会でどんなことが起きていても、今自分にとって問題なのは「雨が降っているのに傘がない」という身近なこと……そんな内容に触発されたとのこと。しかし、「眠れるテレビ業界よ、日本よ、目を覚ませ!」と拡声器を片手にアジる、反骨精神むき出しの(かつての?)ロックンローラーのあるべき姿にも見えかねないところが(私には)革命的に映りました。

 

まず登場シーンは、舞台役者や映画俳優も経験したことのある芸達者な井口さんがどうにか爪痕を残そうと頑張った結果。白目をむいたのはミュージックビデオ(MV)と同じく、楽曲に合わせた演出でした。しかし初めて井口さんを見た人は「本当に奇行種?」と思ったかもしれません。

そのせいか、せっかく坂口健太郎さん主演のドラマ『イノセンス 冤罪弁護士』の主題歌に抜擢されたシングル『白日』(はくじつ)も、白目や自白、目白などと誤読される事態に陥りました。

認知度は高まりましたが、なかには引いてしまった人もいたのではないでしょうか。

 

こうした状況を察知したのか、楽曲のイメージに合わせたのか、大人の事情なのかはわかりませんが、2019年4月26日、2回目の『Mステ』出演で『白日』を披露した際、井口さんは普通に階段を下り、座っているときにこそっと悪戯をする程度でした。

ここでようやく井口さんの美しい歌声や、『白日』のドラマチックな曲の展開、生演奏のすばらしさに気づいた人も多いかと思われます。

「変な人は苦手」「流行りものは聴かない」「『Mステ』を見ていない」など、何らかの理由でKing Gnuを聴き逃していた人に伝えたいことはただひとつ。

今すぐKing Gnuを聴きましょう。なぜなら歴史的な革命バンドだから。

 

King Gnuとは ~どこが革命的?~

 

4人組のロックバンドKing Gnu。

私は吉田秋生先生の社会派少女漫画『BANANA FISH』待望のアニメ化を見て、1期のエンディングテーマだった『Prayer X』を機にKing Gnuを知りました。このタイミングでKing Gnuに出会った人も多いでしょう。

▼『Prayer X』MV

▼フジテレビ系アニメ「BANANA FISH」(2018年7-12月放送)(画像クリックAmazonPrimeへ)

 

初めて『Prayer X』を聴いたときに私は「どうもアヤシイ」と嗅覚が働き、他にも数曲を聴いて「これは音楽性と大衆性の両立という私が待ち望んでいた路線を、確信犯的に狙っているな!」とピンときました。

彼らは「カオティック(混沌とした)」や「ミクスチャー(色々なジャンルの音楽が混じった音楽)」という言葉を好んで使っていて、実際にあらゆる音楽要素が混沌と散りばめられています。

インディーズ時代から、常田大希さんが率いるクリエイティブ集団(クリエイティブチーム)「PERIMETRON」(ペリメトロン)でMVも制作している点などを踏まえると、最先端の総合芸術。「PERIMETRON」については後ページで解説

それなのに、あくまでロック、J-POP。わかりやすいのです。お好みの曲が必ず見つかると断言してもいいほど音楽性の幅が広いところも魅力です。

 

「歌もの楽曲」は歌と様々な楽器演奏が重なり合っていますが、おもにメインのメロディー(主旋律)だけを選んで聴きがちな人が案外多いかもしれません。

そのため優れた音楽であっても「先鋭的で凝ったサウンドに重きを置かれた音楽」は多くの人々には体感しづらく必ずヒットするとは限りません。

「先鋭的で凝ったサウンドでありながら万人に刺さる音楽」と言えば、ビートルズやマイケル・ジャクソン。ビートルズやマイケル・ジャクソンが偉大だったのはまさにこれが理由でしょう。

 

そこへ現れたのがKing Gnu!

私にとっては、まさに現代の日本に舞い降りた進化版ビートルズ。ネイティブの日本語だから歌や歌詞もダイレクトに伝わり、難しすぎない範囲で凝ったサウンドとMV、しかも時代を共有できます。まさに奇跡!

これが「King Gnuは歴史的な革命バンド」と私が確信する理由。

優れた音楽が多くの人になかなか受け入れられない現状で、万人に伝わるよう翻訳してくれていると解釈することもできます。

まさに音楽革命なのです!

 

以上、このページではKing Gnuがどんなバンドなのかという基本的なことについてお伝えしました。

次のページから第1章。King Gnuの軌跡をお伝えします。

『King Gnu入門【メンバーと軌跡編】』目次へ  (全16ページ)

 

 

目次著者

著者:渡辺和歌

1970年生まれ。音楽を愛して40年。中学時代は『ベストヒットUSA』を欠かさずチェック。当時の洋楽ヒット曲をラジオから録音しお気に入りのカセットテープを作成。ビートルズのアルバムは全て揃え『イエロー・サブマリン』などのビートルズ映画上映会にも欠かさず参加。中森明菜さんのファンで歌詞を耳コピして書き起こしていた。中島みゆき、中森明菜、尾崎豊、サカナクション、大島保克、元ちとせにも傾倒。King Gnuを聴いて生き方が変わるほどの感銘を受ける。現在はラジオやテレビ出演、SNSやライブなどでチェックしKing Gnuを追いかけている。

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90年代J-POP界のムーブメント① 【90年代に活躍したバンド】

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あなたにとっての“あの頃”はいつですか?著者にとってアツかった時代「90年代」のJ-popヒット曲を生粋の邦楽ファンの著者が分析します!読めば“あの曲”を聴きたくなる事間違いナシ!!

90年代J-popヒット曲入門 ~音楽で振り返る90年代!~(全11ページ)はこちらから!

著者 シン アキコ

30代前半女性。邦楽ファン歴25年。70年代、80年代、90年代の邦楽を愛しています。「歌詞」「曲が生まれた背景」「当時の流行との関連性」などを分析することが好き。

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『90年代J-popヒット曲入門』目次へ  (全11ページ)

 

この章では90年代のJ-POP界のムーブメントを

①【90年代に活躍したバンド
②【ドラマとのタイアップ
③【バラエティ発のヒット曲

という3つの主要なところにスポットを当てて解説いたします。

このページでは90年代に活躍したバンドについてお伝えします。

 

90年代のヒットチャートの傾向

80年代後半から着々と盛り上がりを見せていたバンドブームに加え、90年代デビューバンドの躍進。次々にヒット曲が生まれ、ミリオンセラーをとばしました。

▼90年代デビューバンドの例

バンド名 デビュー
1991 スピッツ シングル「ヒバリのこころ」でメジャーデビュー
1991 ZARD シングル「Good-bye My Loneliness」でデビュー
1992 Mr.Childrem アルバム『EVERYTHING』でメジャーデビュー
1994 JUDY AND MARY シングル「POWER OF LOVE」でメジャーデビュー
1994 GLAY シングル「RAIN」でメジャーデビュー
1994  L’Arc〜en〜Ciel ビデオシングル「眠りによせて」でメジャーデビュー

 

90年代のヒットチャートは今思えば豪華なラインナップであったように思います。

そして、「B`z」「スピッツ」「Mr.Childrem」などこの時代に活躍していたバンドの多くが今も現役で活躍しています。

 

95年以降がバンド全盛期

 

「CD売り上げ」「メディア露出」「タイアップ本数」という視点でみるとするならば、メジャーバンドがもっとも活躍した時期は95年以降かと思います。

以下では、何度目かのバンド全盛期である95年~99年のJ-POP界の状況と、配信などがなく、レンタルもまだ盛んではなかった時代にどのように音楽の情報を手に入れていたか(現在との違い)という点を自身の体感・経験を中心に語りたいと思います。

90年代のリアルなJ-POP界の状況を温度感とともに、お伝えいたします。

 

95年~96年

95年オリコンシングルTOP20

▼95年年間オリコンシングルTOP20

順位 歌手「曲名」
1 DREAMS COME TRUE「LOVE LOVE LOVE/嵐が来る」
2 H Jungle With t「WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント」
3 福山雅治「HELLO」
4 Mr.Children「Tomorrow never knows」
5 Mr.Children「シーソーゲーム 〜勇敢な恋の歌〜」
6 MY LITTLE LOVER「Hello, Again 〜昔からある場所〜」
7 桑田佳祐&Mr.Children「奇跡の地球」
8 岡本真夜「TOMORROW」
9 スピッツ「ロビンソン」
10 B’z「LOVE PHANTOM」
11 trf「CRAZY GONNA CRAZY」
12 Mr.Children「【es】 〜Theme of es〜」
13 B’z「ねがい」
14 B’z「love me, I love you」
15 trf「masquerade」
16 L⇔R「KNOCKIN’ ON YOUR DOOR」
17 大黒摩季「ら・ら・ら」
18 B’z「MOTEL」
19 シャ乱Q「ズルい女」
20 H Jungle with t「GOING GOING HOME」

 

95年~96年当時のリアルな状況


My Little Lover「Hello,Again~昔からある場所~」

 

小学校中学年の頃はじめて自分のお小遣いで買ったCDはMy Little Loverの「Hello,Again~昔からある場所~」(1995年8月リリース)でした。

1996年の年明け、まだ寒いころのことです。

一緒に行った兄はMr.Childrenの「シーソーゲーム~勇敢な恋の歌~」を購入。

当時はまだ「My Little Lover(以下マイラバ)」も「Hello,Again」も読めませんでした。

一度聴いただけでこの曲を好きになり、何度も聴きたくてCDを買おうと思ったものの、誰のなんという曲なのかがわからず苦労したものです。

それでもCMや歌番組でマイラバ独特のあの声が聴こえるたび、必死で耳を傾け、メロディと歌詞を覚えました。

かろうじて「昔からある場所」は読むことができたので、当時駅前にあった町内唯一のCDショップ(大半が演歌のカセットテープだった)へ行き、あ行からわ行までしらみつぶしに探し、ようやく見つけたときは本当にうれしかった。

宝物に会えた心地でした。

 

▼「Hello,Again~昔からある場所~」ストリーミング(聴き放題無料体験有)

 

当時、店のおっちゃんに「流行ってるから多分これちゃうか?」と安室奈美恵の「Body Feels EXIT」とJUDY AND MARYの「そばかす」を勧められたのを覚えています。

▼安室奈美恵「Body Feels EXIT」

▼JUDY AND MARY「そばかす」

 

 

当時はいわゆる縦長の8㎝CD。

B面とカラオケバージョンも収録されていました。

「買ってでも聴きたい」というよりも「買わなければちゃんと聴けない」という思いが強かったように思います。

毎日聴きました。カセットテープに落として、親が運転する車のなかでも聴きました。

はじめてCDを買って以降、歌番組をなるべく欠かすことなく見るようになりました。「ミュージックステーション」や「夜もヒッパレ!」「カウントダウンTV」といったところ。

当時は録画もさほど簡単ではなかったので、リアルタイムで見て聴いて「これだ!」と思った曲をいかに逃さないかが勝負でした。

つくづく音楽との出会いはタイミングが重要であると思います。

ZARDの「マイフレンド」も気に入ったもののバンド名を読めませんでした。アルファベットの並びをノートにメモして、またTVで出会える日を待ちました。

▼ZARD「マイフレンド」

globeの曲はタイトルも歌詞もほとんどが英語。

それでもメロディはすぐに覚えることができました。CMやランキング番組で何度も耳にしたし、有線でもよく流れていたので。

ウルフルズやスピッツは曲そのものがキャッチーな上、タイトルが簡単ですぐに覚えることができたので、よく口ずさんでいたように思います。

 

【コラム】スピッツの「渚」

余談ですが、スピッツの「渚」に好きなフレーズがあります。

ぼやけた六等星だけど 思い込みの恋に落ちた 初めてプライドの柵を超えて

引用:「渚」スピッツ 作詞・作曲草野正宗

たったこの一言、そして私なりの解釈でしかないため真意はわかりませんが、ある日このフレーズだけがストンと入ってきて、そのまま私のなかに残りました。

私は「ぼやけた六等星」です。恋をするときはこんな気持ち。自分など…と思いながら、自分を守る柵を飛び越えなければいけない。恋を知り始めたころから、このどこか自虐的な表現がとても好きでした。

しかし「恋のはじまり」という曖昧なものじたいが「見えるか見えないかの六等星」である。つまりは「思い込みの恋」とは恋のはじまりを歌っているのかもしれないなと感じるときもあり、つくづくスピッツの歌詞は美しく、奥が深いと思います。

 

96年~97年 当時のリアルな状況

96年~97年オリコンシングルTOP20

▼96年年間オリコンシングルTOP20

順位 歌手「曲名」
1 Mr.Children「名もなき詩」
2 globe「DEPARTURES」
3 久保田利伸 with NAOMI CAMPBEL「LA・LA・LA LOVE SONG」
4 スピッツ「チェリー」
5 Mr.Children「花-Mémento-Mori-」
6 スピッツ「空も飛べるはず」
7 サザンオールスターズ「愛の言霊 〜Spiritual Message」
8 華原朋美「I’m proud」
9 安室奈美恵「Don’t wanna cry」
10 安室奈美恵「Chase the Chance」
11 B’z「ミエナイチカラ 〜INVISIBLE ONE〜/MOVE」
12 B’z「Real Thing Shakes」
13 安室奈美恵「You’re my sunshine」
14 松田聖子「あなたに逢いたくて 〜Missing You〜/明日へと駆け出してゆこう」
15 PUFFY「アジアの純真」
16 PUFFY「これが私の生きる道」
17 MY LITTLE LOVER「ALICE」
18 JUDY AND MARY「そばかす」
19 ZARD「マイ フレンド」
20 セリーヌ・ディオン with クライズラー&カンパニー「TO LOVE YOU MORE」

 

▼97年年間オリコンシングルTOP20

順位 歌手「曲名」
1 安室奈美恵「CAN YOU CELEBRATE?」
2 KinKi Kids「硝子の少年」
3 Le Couple「ひだまりの詩」
4 globe「FACE」
5 SPEED「STEADY」
6 今井美樹「PRIDE」
7 TK PRESENTS こねっと「YOU ARE THE ONE」
8 Mr.Children「Everything (It’s you)」
9 GLAY「HOWEVER」
10 SPEED「White Love」
11 猿岩石「白い雲のように」
12 ポケットビスケッツ「Red Angel」
13 安室奈美恵「a walk in the park」
14 華原朋美「Hate tell a lie」
15 河村隆一「Glass」
16 B’z「Calling」
17 GLAY「口唇」
18 PUFFY「渚にまつわるエトセトラ」
19 SMAP「SHAKE」
20 B’z「Liar! Liar!」

 

96年~97年当時のリアルな状況

私が小学校高学年くらいのとき、96年か97年頃のこと。高校生だった従兄弟がカセットテープに流行りの曲を焼いてくれました。

同時期に「お兄ちゃんが歌詞を書き起こしてくれた」だとか「お姉ちゃんが買った雑誌に歌詞集が載っていた」だとか、クラスメイトの一部が同じような経験を経て音楽を聴き始めるようになりました。

そこで出会ったのが、今も活躍するバンドの曲。

まず私のど真ん中に入ってきたのがGLAYの「グロリアス」。「恋に恋い焦がれ恋に泣く」だなんて意味もわからず口ずさんでいたこと、いま思えば恐ろしいものです。

▼GLAY「グロリアス」

 

私のカセットテープにはほかにも、スピッツ、JUDY AND MARY、ORIGINAL LOVE、ウルフルズ、Mr.Children、シャ乱Q、B’zなどの曲が入っていました。

解散はしてしまいましたが、L⇔R、FEELD OF VIEWも入っていたように思います。

 

B’zの「LOVE PHANTOM」はずっと、なんという曲なのか知らずに口ずさんでいたので、出会えた時は本当にうれしかったものです。

イントロを聴くなり「この曲じゃない!」と思ったのを覚えています。

▼B’z「LOVE PHANTOM」

 

でも、サビは私の知っている「LOVE PHANTOM」だった。

あの衝撃は、リスナーなら誰もが体験したでしょう。

 

JUDY AND MARYの「くじら12号」は林間学校のバスの中みんなで歌いました。

 

ウルフルズの「ガッツだぜ!」は、本当に当時、父親世代が口ずさんでいました。

 

「愛はきっと奪うでも 与えるでもなくて 気が付けばそこにある物」というミスチルがくれた言葉はいまも私の中心にあります。

▼Mr.Children「名もなき詩」

 

それにしてもこの豪華ラインナップ。ミーハーだと思うでしょう。

いえ、贅沢だと思うでしょうか。

しかし、実際に90年代のヒットチャートはこんな具合だったのです。

当時のベストテンは、このような顔ぶれが並ぶことが普通でした。

 

97年以降 ~当時のリアルな状況~

98年~99年オリコンシングルTOP20

 

▼98年年間オリコンシングルTOP20

順位 歌手「曲名」
1 GLAY「誘惑」
2 SMAP「夜空ノムコウ」
3 SPEED「my graduation」
4 BLACK BISCUITS「タイミング 〜Timing〜」
5 GLAY「SOUL LOVE」
6 Kiroro「長い間」
7 L’Arc〜en〜Ciel「HONEY」
8 KinKi Kids「愛されるより 愛したい」
9 Every Little Thing「Time goes by」
10 KinKi Kids「全部だきしめて/青の時代」
11 hide with Spread Beaver「ピンク スパイダー」
12 J-FRIENDS「明日が聴こえる/Children’s Holiday」
13 SPEED「ALL MY TRUE LOVE」
14 L’Arc〜en〜Ciel「花葬」
15 L’Arc〜en〜Ciel「snow drop」
16 SPEED「ALIVE」
17 B’z「HOME」
18 KinKi Kids「ジェットコースター・ロマンス」
19 Mr.Children「終わりなき旅」
20 L’Arc〜en〜Ciel「浸食 〜lose control〜」

 

▼99年年間オリコンシングルTOP20

順位 歌手「曲名」
1 速水けんたろう、茂森あゆみ、ひまわりキッズ、だんご合唱団「だんご3兄弟」
2 GLAY「Winter,again」
3 浜崎あゆみ「A」
4 坂本龍一「ウラBTTB」
5 宇多田ヒカル「Automatic/time will tell(12cm)」
6 宇多田ヒカル「Addicted To You」
7 モーニング娘。「LOVEマシーン」
8 GLAY「BE WITH YOU」
9 L’Arc~en~Ciel「HEAVEN’S DRIVE」
10 KinKi Kids「フラワー」
11 浜崎あゆみ「Boys & Girls」
12 Something ELse「ラストチャンス」
13 Dragon Ash「Grateful Days」
14 GLAY「ここではない、どこかへ」
15 GLAY「サバイバル」
16 宇多田ヒカル「Movin’on without you(12cm)」
17 鈴木あみ「BE TOGETHER」
18 hiro「AS TIME GOES BY」
19 B’z「ギリギリchop」
20 KinKi Kids「雨のMelody/to Heart」

 

97年以降の当時のリアルな状況

 

97年のDragon Ash、99年のBUMP OF CHICKENやポルノグラフィティのメジャーデビューもよく覚えています。

Dragon ashを聴くと、なぜか大人になれた気がしました。m-flowやLOVE PSYCHEDELICOなども同じく。

背伸びしたい年頃に差し掛かった当時の私にとって、彼らの音楽は最高に「かっこいい」アイテムでしたし「聴いている」「知っている」ことが一種のステータスのようにも感じていました。

でも本当にかっこよかったし、いまもふと耳にすると当時の冬の匂いや、寄り道した塾の帰り道なんかを思い出します。ポルノグラフィティはどこか哲学を感じさせる歌詞、ハキハキとメリハリのある歌声ですぐに人気を博しました。

 

このままのスピードで世界がまわったら

アポロ100号はどこまで行けるんだろう?

離ればなれになった悲しい恋人たちの

ラヴ・E・メール・フロム・ビーナスなんて素敵ね

引用:「アポロ」ポルノグラフィティ/作詞ハルイチ/作曲ak.homma,Ryo

▼ポルノグラフィティ「アポロ」

 

なにか壮大なことを妄想したい、くすぶった年頃の中学生が憧れるにはぴったりの歌詞でした。あれから20年が経ち、当時アポロ100号に思いを馳せた中学生はとっくに大人になりました。ポルノグラフィティは今も変わらず、現役で活躍しています。

 

バンドは「続けることが難しい」とききます。

だからこそ、LUNA SEAやTHE YELLOW MONKEYなど、一度立ち止まり、休止や解散を経て帰ってきてくれるバンドがいること、彼らが再び素晴らしい音楽を届けてくれていることは、当たり前ではない幸せなのだとかみしめています。

90年代デビューではないため余談ではありますが、XJAPANの活動再開は本当にうれしかった。

TAIJIやhideには存命中に会うことは叶わなかったけれど、再び動き出したアツイ時間をライブで共有できたこと、歴史の大切な1ページに関われたような気持ちでいます。

生きている時間にはかぎりがあります。絶対に後悔をしないようにと、ライブがあればせっせと足を運ぶ日々を送っています。

『90年代J-popヒット曲入門』目次へ  (全11ページ)



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目次著者

著者 シン アキコ

30代前半女性。邦楽ファン歴25年。70年代、80年代、90年代の邦楽を愛しています。「歌詞」「曲が生まれた背景」「当時の流行との関連性」などを分析することが好き。

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Taylor Swift(テイラー・スウィフト)入門 ~Taylorに会った筆者が語る~


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はじめに

私は10歳の時、世界的歌姫Taylor Swiftに出逢いました。まだ小学4年生だった私は”You Belong With Me”のMVを一目見た瞬間から熱烈なファンになりました。そして私はTaylor本人に会って「歌手になって必ずもう一度会いたい」と約束をしました。なぜ私がTaylorをお手本に歌手を目指すのか、それはTaylorのことを深く知ればきっとご理解いただけるはずです。

私がテイラー・スウィフトをお手本にして歌手を目指す理由

第1章 Taylorのデビューまでの道のりから学ぶ

Taylorは中学生の時にいじめを受けていました。しかしTaylorは屈することなくその悔しさを音楽にぶつけていました。Taylorのデビューまでの道のりを知ると、歌手を目指す上で何が大切かが学べるように感じます。

デビューまでの道のり


photo by Eva Rinaldi,(CC BY-SA 2.0) 

第2章 Taylorの人格から学ぶ

Taylorは素晴らしい人格の持ち主で学ぶべきところが多いです。この章では「ミートアンドグリート」に参加した体験談からTaylorがファンとの繋がりをいかに大切にしているかということと、「セクハラ裁判」「トランプ政権への言及」からどのように社会貢献を果たしているかをお伝えします。

Swiftieとの交流
社会への貢献

第3章 Taylorの音楽の変遷から学ぶ

この章ではTaylorの音楽の変遷を通して、Taylorの魅力やTaylorから歌手の夢を目指すためのお手本としてどのようなことを私が学んだかをお伝えしたいと思います。

原点「カントリーミュージック」
ポップへの転身と批判
グッドガールのイメージから一変したアルバム

著者 Sakift

20代前半。幼少期から歌手を志し9歳の時にTaylor Swiftのファンになって以来彼女をロールモデルにしている。RED Tour、1989 World Tour、Reputation Stadium Tourに参加。2014年のRED Tourでは、コンサート後のミートアンドグリート’’Club RED’’に招待され実際にTaylor Swiftと会って話をする。いわゆる空港での『出待ち』も毎回しており、その場でサインをもらったこともある。

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90年代J-POP界のムーブメント③ 【バラエティ発のヒット曲】 

Webon紹介目次著者

あなたにとっての“あの頃”はいつですか?著者にとってアツかった時代「90年代」のJ-popヒット曲を生粋の邦楽ファンの著者が分析します!読めば“あの曲”を聴きたくなる事間違いナシ!!

90年代J-popヒット曲入門 ~音楽で振り返る90年代!~(全11ページ)はこちらから!

著者 シン アキコ

30代前半女性。邦楽ファン歴25年。70年代、80年代、90年代の邦楽を愛しています。「歌詞」「曲が生まれた背景」「当時の流行との関連性」などを分析することが好き。

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この章では90年代のJ-POP界のムーブメントを

①【90年代に活躍したバンド
②【ドラマとのタイアップ
③【バラエティ発のヒット曲

という3つな主要なところにスポットを当てて解説いたします。

このページでは「バラエティ発のヒット曲」について説明いたします。

 

90年代はバラエティ番組のヒットソングが多く登場した

 

90年代では、数々のバラエティ番組が軒並み高視聴率を誇りました。現在とは異なり、携帯電話やパソコンもない時代ですから、娯楽といえばもっぱらTV。

家族みんながTVの前に集まり、同じ時間を過ごしたものです。バラエティ番組から生まれた音楽ユニットやヒット曲も数多く存在します。

「エキセントリック少年ボウイ」「H jungle with T」「ポケットビスケッツ・ブラックビスケッツ」「Something ELse」「野猿」…

このトピックについては挙げればキリがないのですが、このページでは

①バラエティ番組のテーマソング
②バラエティ番組をきっかけにブレイク&歌手デビュー
③バラエティ番組の企画から生まれた名曲

大きく分けてこの3つを「バラエティ番組から生まれたヒット曲」と定義づけて、お話を進めていきましょう。

 

① バラエティ番組のテーマソング

▼90年代の主なバラエティ番組のテーマソング

番組名 歌手/曲名/リリース年
 邦ちゃんのやまだかつてないテレビ 大事MANブラザーズバンド「それが大事」1991
タモリのボキャブラ天国 小沢健二featuringスチャダラパー「今夜はブギー・バック」1994
めちゃめちゃイケてるッ! JUDY AND MARY「BLUE TEARS」1993「Hello!Orange Sunshine」1994
LOVE LOVE あいしてる KinKi Kids「全部だきしめて」1997
人気者でいこう! 浜田雅功「春はまだか」1997

 

大事MANブラザーズバンド「それが大事」

負けない事・投げ出さない事・逃げ出さない事・信じ抜く事
駄目になりそうな時 それが一番大事

引用:大事MANブラザーズバンド「それが大事」作詞・作曲 立川俊之

 

誰もが一度は耳にしたことがあるこのフレーズは、大事MANブラザーズバンドの「それが大事」。山田邦子の「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ(女芸人山田邦子の冠番組。1989年~1992年まで放送され最高視聴率20.4%を獲得。)」のエンディングテーマとして少しずつ人気に火が付き、大ヒットを記録しました。

『それが大事』はポップなメロディに乗せた「生きること」をテーマにした深い歌詞。まっすぐ一直線に、自分だけに届くような「がんばれ」のメッセージは、今も時代を超えて愛されています。

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90年代J-POP界のムーブメント② 【ドラマタイアップ=ヒット】

Webon紹介目次著者

あなたにとっての“あの頃”はいつですか?著者にとってアツかった時代「90年代」のJ-popヒット曲を生粋の邦楽ファンの著者が分析します!読めば“あの曲”を聴きたくなる事間違いナシ!!

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著者 シン アキコ

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この章では90年代のJ-POP界のムーブメントを

①【90年代に活躍したバンド
②【ドラマとのタイアップ
③【バラエティ発のヒット曲

という3つの主要なところにスポットを当てて解説いたします。

このページでは「ドラマタイアップ=ヒットの法則」について説明いたします。

1990年代のJ-POP界。ドラマタイアップ曲がヒットしたのが印象的な出来事でした。

1991年の2大ミリオンセラーがいずれも人気ドラマの主題歌。トレンディドラマ全盛期ともいえる90年代初頭は、タイアップありきで作られた主題歌が多く、ドラマとの相乗効果でCDの売り上げも加速したことがヒット曲が多く誕生した要因だったと思います。

 

1990年代タイアップドラマのヒット曲一覧

▼1990年代の高視聴率ドラマの例一覧

年代 ドラマ(最高視聴率) 曲/アーティスト
1990年 すてきな片想い(26.0) 愛してるっていわない!/中山美穂
1990年 世界で一番君が好き!(25.5) 今すぐKiss Me/LINDBERG
1991年 東京ラブストーリー(32.3) ラブ・ストーリーは突然に/ 小田和正
1991年 101回目のプロポーズ(36.7) SAY YES/ CHAGE&ASKA
1992年 ずっとあなたが好きだった(34.1) 涙のキッス/サザンオールスターズ
1992年 愛という名のもとに(32.6) 悲しみは雪のように/浜田省吾
1993年 ひとつ屋根の下(37.8) サボテンの花/チューリップ
1993年 誰にも言えない(33.7) 真夏の夜の夢/松任谷由実
1993年 高校教師(33.0) 僕たちの失敗/ 森田童子
1994年 家なき子(37.2) 空と君のあいだには/中島みゆき
1994年 妹よ(30.7) めぐり逢い/CHAGE&ASKA
1994年 人間・失格~たとえばぼくが死んだら~(28.9) 冬の散歩道/ サイモン&ガーファンクル
1995年 金田一少年の事件簿(29.9) Kissからはじまるミステリー/KinKi Kids
1995年 愛していると言ってくれ(28.1) LOVE LOVE LOVE/DREAMS COME TRUE
1995年 未成年(23.2) Top of the World/カーペンターズ
1996年 ロングバケーション(36.7) LA・LA・LA LOVE SONG/ 久保田利伸 withNaomi Campbell
1996年 協奏曲(28.2) ヴァネッサ・ウィリアムス/アルフィー
1997年 ひとつ屋根の下2(34.1) ひだまりの詩/Le Couple
1997年 ラブジェネレーション(32.5) 幸せな結末/大滝詠一
1998年 GTO(35.7) POISON 〜言いたい事も言えないこんな世の中は〜/反町隆史
1998年 眠れる森(30.8) カムフラージュ/竹内まりや
1999年 魔女の条件(29.5) First Love/宇多田ヒカル

 

1990年代前半はドラマタイアップ曲がヒットした

 

「月曜21時には、繁華街からOLが消える」

1991年1月より月曜21時に放送されたドラマ「東京ラブ・ストーリー」がヒットした際にメディアで用いられた言葉です。

この言葉はトレンディドラマ(=バブル景気前後の1988年~1991年に作られた都会の男女の恋愛などを描いたドラマ)全盛期である90年代前半を良く表していると思います。

老若男女問わず誰もがドラマのストーリーに一喜一憂し、毎週の展開を心待ちにしていた時代。

視聴率が跳ね上がるのと同じくして、主題歌や挿入歌もセールスを伸ばしていきました。当時はタイアップ至上主義とも言えるほど、タイアップありきのシングルリリースが多かった時代。

歌詞はドラマの内容ともリンクし、ストーリー展開をより一層盛り立てる役割を果たしていました。

主題歌や挿入歌に決まれば、リリース前からヒットは約束されたようなもの。この相乗効果により、実際に数々のミリオンヒットが生まれました。

 

1991年、2組のアーティストがダブルミリオンセラーという快挙を成し遂げました。

小田和正「ラブ・ストーリーは突然に」(東京ラブストーリー)と

CHAGE&ASKA(当時の表記)「SAY YES」(101回目のプロポーズ)です。

いずれも言わずと知れた大人気ドラマの主題歌。

とはいえ、90年代の年間CD売上枚数はドラマ主題歌以外にも今も愛される名曲が続々と名を連ねています。特に1991年は90年代J-POP創世期に相応しいヒット曲豊作の1年でした。

▼1991年オリコンシングルCD年間売上ランキング(3位~5位はドラマ主題歌ではない)

順位 歌手/曲
1位 小田和正「ラブ・ストーリーは突然に」
2位 CHAGE&ASKA「SAY YES」
3位 KAN「愛は勝つ」
4位 槇原敬之「どんなときも。」
5位 ASKA「はじまりはいつも雨」

 

そして、J-POP界はいわゆるCDバブル時代(カラオケブーム到来・タイアップ戦略により若者を中心に音楽需要が高まった時代)へと突入していきます。

以後99年までずっと、年間売り上げベスト10にもなるとミリオンセラーは当たり前、ダブルミリオンも続々と生まれるという、面白いほどCDが売れた時代。

その幕が開くきっかけには「ドラマタイアップ曲のヒット」がありました。

 

ヒットしたドラマタイアップ曲

 

以下ではヒットした4本のドラマとその主題歌をピックアップし、ドラマタイアップ曲がヒットした当時のJ-POP界について解説いたします。

 

▼以下で紹介するドラマ簡易年表

 

東京ラブストーリー「ラブ・ストーリーは突然に」

タイトル 東京ラブトーリー
放送枠 フジテレビ月曜9時
放送期間 1991年1月7日-3月18日
オープニング 小田和正『ラブ・ストーリーは突然に』(1991年間シングルチャート1位。CD売上270万枚を記録)
若い男女の恋愛の物語。複雑な三角関係が描かれる。平均視聴率は22.9%、最終回の視聴率は32.3%を記録する。鈴木保奈美演じる赤木リカの「セックスしよう!」というセリフはとても有名。

 

まずは「東京ラブストーリー」について。

「東京ラブストーリー」は鈴木保奈美・織田裕二のW主演のドラマです。

2019年には鈴木保奈美・織田裕二のW主演「SUITS」が放送され「東京ラブストーリー」の再放送もおおいに盛り上がったのは記憶に新しいですよね。

 

1991年放送当時は携帯電話もメールもなかった時代。

待ち合わせも、伝言も、たった一度のすれ違いが別れにもなり得た「ハラハラ感」。

ストーリーの山場では毎回、ギターのカッティングが特徴的な“あの”疾走感ある「ラブ・ストーリーは突然に」のイントロが流れ、視聴者を引き込みました。

 

あの日あの時あの場所で 君に会えなかったら

僕等はいつまでも 見知らぬ二人のまま

引用:小田和正「ラブ・ストーリーは突然に」作詞作曲 小田和正

 

いつの時代の恋愛にも通ずる歌詞ではありますが、ネットで誰とでも気軽につながることができる現代と比べ「出会う人の母数」は圧倒的に少なかったはず。

好きになれる人と出会える確率、出会えた奇跡は、今とは比較できないほど尊いものであったのだと思います。

だからこそ人々はドラマにも歌詞にも共感した。

結果、200万枚以上を売り上げ今も歌い継がれる名曲となったのでしょう。

小田和正氏が今も当時と変わらぬ歌声でこの曲を届けてくれることには感謝の言葉しかありません。

 

▼『ラブ・ストーリーは突然に』MP3(リンク先で試聴可)

 

101回目のプロポーズ「SAY YES」

タイトル 101回目のプロポーズ
放送枠 フジテレビ月曜9時
放送期間 1991年7月1日 – 9月16日
オープニング CHAGE&ASKA「SAY YES」(オリコンシングルチャート13週連続1位を記録)
恋愛に不器用な中年男が100回目のお見合いで出会った美女との恋愛が描かれる。平均視聴率23.6%、最終回36.7%。ドラマ内で武田鉄矢が演じる達郎がトラックの前に身を投げ出し放ったセリフ「僕は死にましぇん」は新語・流行語大賞(大衆部門・金賞)となる。

 

「101回目のプロポーズ」も高視聴率(平均視聴率23.6%、最終回36.7%)を記録しました。

「僕は死にません あなたのことが好きだから」

ストーリーを知らないという人がいたとしても、この名シーンを知らない人はいないでしょう。

そして流れる「SAY YES」。またいいところで主題歌が流れるんですよね。

イントロを聴けば、今も条件反射のように胸がときめく。

そういう人も決して少なくないはず。

「SAY YES」は、デビュー12年目のCHAGE&ASKAがはじめてオリコンチャート1位、ミリオンセラーを達成した曲です。

その後93年にもCHAGE&ASKAの「YAH YAH YAH」も織田裕二主演「振り返れば奴がいる」の主題歌に起用され、ミリオンセラーを達成。

いずれも彼らを代表する曲となりました。

 

CHAGE&ASKAの曲は、ASKAが紡ぐ繊細な歌詞も魅力。

 

言葉は心を超えない とても伝えたがるけど 心に勝てない

引用:CHAGE&ASKA「SAY YES」作詞  飛鳥涼/青木せい子 作曲 飛鳥涼/CHAGE

 

「SAY YES」2番のこの歌詞は、ふっと心を揺さぶられた大好きな歌詞です。

ベタと言われればベタかもしれません。

曲を流すタイミングも、ひいてはドラマそのものも。

これは当時のドラマのほとんどに言えることで、決してドラマ自体が斬新なテーマを扱っていたわけではないのです。

むしろ今のドラマのほうがおもしろい切り口や奇抜なテーマが多く「作品」としては面白いのかもしれない。

でも、毎週夢中になって見て、泣いて、笑った。そこに明確な理由はなくとも「そうだった」のです。

 

▼「101回目のプロポーズ」DVD

 

野島伸司作品がドラマ界を席巻

 

「101回目のプロポーズ」は、当時ドラマ界を席巻していた野島伸司氏による脚本作品。彼も90年代を象徴する存在と言え「高校教師」「家なき子」「ひとつ屋根の下」「聖者の行進」「未成年」など、数々のヒットドラマを連発し、時にはその内容が物議を醸すこともありました。

 

物議の例
「高校教師」では教師と生徒の恋愛を描き、教室内での性行為を描き物議を醸した。「家なき子」では過激な暴力やいじめのシーンが批判の対象となった。

 

彼の作品では90年代中盤以降、タイアップありきの主題歌ではなく、ドラマの世界観に合った独特の選曲がなされることがありました。

「高校教師」では森田童子、「人間・失格~たとえばぼくが死んだら」ではサイモン&ガーファンクル、「未成年」ではカーペンターズ、「リップスティック」ではレベッカの楽曲を使用。それらもまた、リバイバル的にヒットしたものです。

 

【コラム】ドラマの世界に合った曲の例
 ◆ドラマ「高校教師」/森田童子「僕たちの失敗」 

「高校教師」というドラマじたいが、教師と生徒の禁断の恋愛を描き悲劇を詰め込んだような重苦しい空気をまとった作品でした。ハッピーエンドなど叶わないだろうなという。

ピアノのメロディと、森田童子のささやくような儚い歌声は、切なさを演出するのはもちろんのこと、どこか希望を見出したくなるような「ほっとする」ものがありました。

アンハッピーエンドが待ち構えていると知りつつも、桜井幸子(女子高生。本作のヒロイン)のピュアな姿や、主人公たちの純愛にひとときだけほっとするのと同じような感情です。

歌詞がすべて「過去形」というのも、ドラマの内容とは無関係ながら、悲劇的なこの作品には合っていたように思います。ラストシーンを見た後、ずっと頭のなかでリフレインするような曲でした。

 ◆ドラマ「人間・失格~たとえばぼくが死んだら」/サイモン&ガーファンクル「冬の散歩道」 

「人間・失格~たとえばぼくが死んだら」は個人的にたいへん好きなドラマなのですが、主に2曲が使用されていました。OP・EDには「冬の散歩道」、これは学校という閉ざされた空間をさまようような少年たちの喧騒、終わりの見えないいじめに疲弊していく少年の心、鬼と化していく父親の心情など「ザワザワする」気持ちをはやし立てるような曲でした。イントロをうまく活用した例だと思います。

最終回には「明日に架ける橋」という名曲が用いられています。このドラマの主要人物として、いじめにより自殺した「誠」という少年が登場するのですが、まさしく彼の心の優しさのとおりの歌詞であると思います。いじめの裏にあった「友情、偏愛」父による「復讐」が主なテーマであり、こちらもなかなか救いようのない悲劇ではあるのですが、誠の優しさだけが視聴者にとっても救いであったこの物語に「よくこの曲をセレクトしたな」と、とてつもないセンスを感じました。

 

家なき子「空と君のあいだに」

タイトル 家なき子
放送枠 1994年4月16日-7月2日
放送期間 日本テレビ土曜ドラマ(21時放送)
エンディング 中島みゆき『空と君のあいだには』(1994年度オリコン年間5位)
小学生の少女が家庭内暴力を受けならがらも力強く生きていく物語。過激な暴力やいじめのシーンは物議を醸した。「同情するなら金をくれ!」というセリフは新語・流行語大賞に選ばれる。シリーズ第一作目は平均視聴率24.7%、最高視聴率37.2%。

 

94年には野島伸司氏が企画・原案として参加した「家なき子」の主題歌、中島みゆき「空と君のあいだに」がミリオンセラーを記録しました。

有名な話ですが、この曲は「家なき子」の主人公・すずのそばに常に寄り添う愛犬・リュウの視点になって書いたものです。

日本テレビ「1分間の深イイ話(2007年9月14日放送回)」で中島みゆき氏本人が「犬の気持ちで見れば、犬が見えているのは『空』と『君』しかないんです」と語っています。

 

空と君とのあいだには 今日も冷たい雨が降る
君が笑ってくれるなら 僕は悪にでもなる

引用:中島みゆき「空と君のあいだに」作詞作曲 中島みゆき

 

理不尽、不条理、偽善、孤独…重いテーマを扱うドラマのなかで、視聴者の癒しにもなった忠犬・リュウ。

悲しき少女に常に寄り添い心をなぐさめた彼の気持ちになって曲を聴きなおすと、また新たな魅力が見えてくるかもしれません。

両A面として収録された「ファイト!」も必聴の一曲です。

 

▼「家なき子」(AmazonPrimeで視聴する)

 

トヨエツブームとキムタクブーム

 

95年 「愛していると言ってくれ」(DREAMS COME TRUE「LOVE LOVE LOVE」)ではトヨエツブームが到来。同年にヒットした「若者のすべて」(Mr.children「Tomorrow never knows」)ではいわゆるキムタクブームがやってきました。

 

トヨエツブーム

95年に放送された「愛していると言ってくれ」は最高視聴率28.1%の大ヒットドラマとなる。主演の豊川悦司(通称トヨエツ)は聴覚障害の画家を演じて人気を博した。

▼写真右 豊川悦司

キムタクブーム
1994年「若者のすべて」が放送され最高視聴率18.3%を記録。主演は萩原聖人と木村拓哉(通称キムタク)。木村拓哉がドラマ中で履いていたエンジニアブーツを履く男が急増した。

 

ロングバケーション「LA・LA・LA LOVE SONG」

タイトル ロングバケーション
放送枠 フジテレビ月曜9時
放送期間 1996年4月15日 -6月24日
オープニング 久保田利伸 withNaomi Campbell
『LA・LA・LA LOVE SONG』(オリコン1996年度年間3位)
結婚式当日に婚約者が失踪したヒロインと、ルームメイトだった年下のピアニストの同居生活を描いたラブ・ストーリー。週刊誌では「月曜日はOLが街から消える」などと騒がれ、主人公に影響されてピアノを習い始める男性が増えるなどの社会現象を起こし「ロンバケ現象」という言葉が流行語となった。最終回の視聴率は36.7%。

 

翌96年、久保田利伸「LA・LA・LA LOVE SONG」は木村拓哉、山口智子主演「ロングバケーション」の主題歌となり大ヒットを記録。

 

▼久保田利伸「LA・LA・LA LOVE SONG」

 

ドラマは初回視聴率がいきなり30%を超え「ロンバケ現象」として社会現象を巻き起こします。松たか子、竹野内豊、稲森いずみが助演に控えているというなんとも豪華なドラマでした。

ピアノを奏でる年下の美青年との同居を妄想した女性も多いことでしょう。この二人の恋も、とにかく何度もすれ違い、うまくいかない。「どうせくっつくんだろう」と安易に思えない、この二人はどうなってしまうんだろうというハラハラした気持ち。

あの気持ちを超える感情はもう自分には訪れないのではないかと、大人になってしまうたび少し悲しくなることもあります。

 

▼松たか子(1977年生まれの女優。日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞している)

▼竹野内豊(1971年生まれの俳優。映画「冷静と情熱のあいだ」ドラマ「ビーチボーイズ」など数多くの主演作を務める)

 

ドラマ主題歌のヒット曲の特徴

 

こうして書き連ねてみて思うのは、ドラマ主題歌としてヒットしたタイアップ曲は総じてイントロが特徴的でした。

イントロを聴くだけで、当時のブラウン管テレビの粗い画質や、家族と囲んだテーブル、翌日感想を言い合った教室など、当時の風景がありありと思い浮かびます。

そして私のなかでいつまでも、キムタクは24歳であり山口智子は31歳(ともにロンバケ出演時の年齢)であるし、トヨエツはよれっとしたシャツとサンダルでとんでもない色気を醸し出す男のままなのです。

ドラマのようなめくるめく世界などないことは、もうこの年齢になれば嫌というほど実感します。

ラブストーリーみたいな恋愛は現実にはない。木村拓哉とも、織田裕二とも、竹野内豊とも恋愛はできません。

電光掲示板にメッセージを流してくれる男性などいないし、実際いたらちょっと引いてしまうのが現実です。※「電光掲示板にメッセージ」は「ラブジェネレーション」第5話での告白シーン

 

でも、90年代ドラマには視聴者の「当たり前」「冷静」を超えてくるときめきとわくわくがあった。

月並みどころではなく単純な言葉を繰り返しますが、間違いなくトキメキとわくわくがあったのです。

そしてそこにも、欠かせない「音楽」という存在がありました。

『90年代J-popヒット曲入門』目次へ  (全11ページ)



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目次著者

著者 シン アキコ

30代前半女性。邦楽ファン歴25年。70年代、80年代、90年代の邦楽を愛しています。「歌詞」「曲が生まれた背景」「当時の流行との関連性」などを分析することが好き。

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カンフー映画とは ~ファン歴27年が楽しみ方も解説~

 

このページでは「カンフー映画とは何か」とということをカンフー映画ファン歴27年のHARUKA氏が楽しみ方も含めて解説いたします。読めばカンフー映画のことが理解でき、さらにカンフー映画をさらに楽しめるようになることでしょう。

 

※このページはWebon編集部がカンフー映画ファン歴27年のHARUKA氏の「カンフー映画入門」の内容をまとめたものです。

▼HARUKA氏 著『カンフー映画入門』(全38ページ)

 

カンフー映画とは

 

カンフー映画とは1960年代の中国・香港で生まれ俳優の身体能力を最大限に生かした肉体技が繰り出されるアクションシーンが特徴的な映画」の事を指します。

ストーリーは復讐や敵討ちのものが多く、その多くは誰が観てもわかりやすく飲み込みやすいものばかりです。

 

カンフー映画の魅力 ~どう観れば楽しめる?~

 

カンフー映画は、俳優の身体能力を生かしたアクションシーンが多いのが特徴で、ストーリーは誰が観てもわかりやすいものばかりです。

カンフー俳優のスターたちは全員一流の武術家です。

カンフースターであるジェット・リー氏は中国全国武術大会において5年連続で優勝し、中国の至宝とも呼ばれました。このように「俳優が武術をする」というよりは「武術家が演技をする」と表現したほうがしっくりくるのもカンフー映画の特徴です。

 

▼ジェット・リー氏(解説はこちらで!)

 

ただ、中には例外もあり「グランド・マスター」(2013)という作品において、俳優のチャン・チェン氏は「八極拳(カンフー拳法の一種)の遣い手」という役作りのために、伝統武術である八極拳を3年がかりで体得しました。

そしてなんと2012年には、中国吉林省(きつりんしょう)で行われた八極拳の全国大会において彼は優勝を果たしました。これは、俳優が映画を通じて武術家になった一例です。

 

▼チャン・チェン氏


photo by Sry85 CC 表示 2.5

カンフー映画は、主人公や登場人物が「武術(多くは中国拳法)によって鍛え抜かれた肉体技をいかに魅力的に見せるか」が重要視され、それが映画の一番の見どころとされています。

 

カンフー映画の歴史 ~誕生した経緯~

 

カンフー映画が生み出された1960年代後半の香港は、文化大革命の影響により、社会状況は混乱した状態でした。

 

文化大革命

1966~1977年に終結宣言が行われるまで行われた中国の革命運動。国家主席の座を譲った前国家主席の毛沢東氏が復権のために学生などを煽動し、政府に対する暴力的な運動などが繰り返し行われた。

▼毛沢東氏

photo by Zhang Zhenshi CC 表示 2.0

 

文化大革命は経済に甚大な被害をもたらし、社会的不公平と貧富の差が生まれていました。

過酷な社会情勢下で、いかにお金をかけずに自力でビジネスを成功させるか。どのようにして日々食べていくかについて誰もが知恵を絞っていた時代です。

生活が懸かっていたからこそ、彼らのその熱意は並々ならぬものでした。

 

1958年に香港の企業家ランラン・ショウ氏が立ち上げた香港映画会社「シヨウ・ブラザーズ」は、文化大革命下で弾圧を受けていた中国の伝統音楽劇である「京劇映画」に見切りをつけます。

 

▼ランランショウ氏

京劇

京劇は歌、舞踊、セリフ、アクロバティックな立ち回りから成る中国の総合芸術であり、オペラやミュージカルに近い音楽劇です。役者のきらびやかな衣装や派手な化粧に訓練された演技力、そして中国の伝統的な民族楽器の生演奏が舞台を華やかに盛り立てます。(京劇について詳しくはこちら

▼京劇の様子

photo by d’n’c Some rights reserved

 

そしてシヨウ・ブラザーズ社は若者に支持され始めていた、話し言葉調の広東語映画界のカンフー映画に進出し始めました。(広東語は中国の広州や香港などで使われる言語)

 

▼広東語が使われている広州市と香港

 

1965年にシヨウ・ブラザーズ社は「邵氏影城(シャオシーインチォン)」と呼ばれる巨大スタジオを香港・清水湾に建設します。

 

▼邵氏影城

photo by Baycrest CC 表示-継承 2.5

▼邵氏影城の場所

 

そして30年間の間に700本の映画を製作し、多くの名監督・名優・名作を輩出し、香港映画の黄金時代を築き上げました。

この頃のシヨウ・ブラザーズ社は「東洋のハリウッド」と呼ばれました。

 

 

シヨウブラザーズ社のヒット作

 

シヨウ・ブラザーズ社が大きく成功を収めた代表作は「大酔侠(だいすいきょう)」(1966)でした。

 

大酔侠(1966)

上海出身の女優チェン・ペイペイ氏扮する女剣士が主役の京劇要素が入った映画。

▼大酔侠(映っているのがチェン・ペイペイ氏)

 

その大酔侠を撮影した監督、キン・フー氏は若い頃から中国の伝統音楽劇である京劇に傾倒(けいとう:ある物事に熱中する事)しており、この大酔侠では「剣劇映画(けんげきえいが)」(剣を用いた戦いをする映画)に「京劇」の要素を取り入れて脚色しました。

 

※イラストはイメージです

 

例えば、相手の体から刀を抜くと血がビュウッと吹き出たり、腕が切り落とされたりという残酷描写が演出として加えられました。

そしてこのような本格的な「剣術アクション」と「素早い編集」が融合する事によって、「京劇アダプテーション」と呼ばれる新しいアクション映画のスタイルを打ち出しました。

 

 

この「大酔侠」という作品は香港・東南アジアで驚異的にヒットし、監督による演出がいかに意味を有するかということを知らしめることになりました。

 

そしてこの成功などをきっかけに、シヨウ・ブラザーズ社は後に世界的に有名になる『カンフー映画』と呼ばれるジャンルの作品を次々に製作し「香港映画=カンフー映画」という認識が定着しました。

カンフー映画とは何か、カンフー映画がどのように始まっていったのか、お分かりいただけましたでしょうか。

 

 

知っておきたい!カンフー映画のスター俳優たち!

ジミー・ウォング氏

ブルース・リー氏やジャッキー・チェン氏よりも前に活躍をしていたというレジェンド的な存在。また香港カンフー映画ブームの基礎を作ったパイオニアとしてカンフー映画を語る上で欠かせない俳優です。

▼ジミー・ウォング氏について詳しく知りたい方はこちら!

 

ブルース・リー

 

続いて、極限まで鍛え抜かれた肉体と精神を持つブルース・リー氏は、ジミー・ウォング氏の映画を観て「自分はもっと凄い蹴りができる」と激怒し、わざわざアメリカから香港へ舞い戻りカンフー映画を刷新しました。

そして、たった4本の主演作のみで当時の映画界に強大な伝説を残し、32歳という若さでこの世を去りました。

ブルー・スリーは肉体や武術の技を極限まで突き詰めて鍛え上げた人物として、歴代のアクションスターの中で最も「本物」という言葉がふさわしい俳優です。

▼ブルー・スリー氏について詳しく知りたい方はこちら!

 

サモハン


photo by Sasoriza / Bryan Chan CC 表示-継承2.0

 

「洪家班(こうかはん)」というアクションチームを持ち、多くのヒット作の製作・監督を行うカンフー映画界の主要人物です。

自身が監督・主演の「燃えよデブゴン」(’78)を製作します。この映画がきっかけで史上最強の「動けるデブ」として有名になりました。

▼サモハン氏について詳しく知りたい方はこちら!

 

ジャッキー・チェン

 

ジャッキー氏は命がけのスタントが魅力の俳優です。半身不随になりかけたり、全ての骨を骨折していたりしているのに、まだやるのか、と言いたくなるくらいのチャレンジ精神とファンを常に喜ばせようとする姿勢には脱帽です。

▼ジャッキー・チェン氏の詳しい解説はこちら!

 

ジェット・リー

 

更に今まで挙げたスターだけに止まらず、新たなカンフースター俳優が頭角を現します。そのうちの1人が中国全国武術大会において5年連続優勝し、中国の至宝とも呼ばれたジェット・リー氏。

ジェット・リー氏は本名のリー・リンチェイ名義で出演した中国・香港合作の「少林寺」(’82)にてデビュー。華麗かつ鮮やかなカンフーと純朴な風貌で少林寺ブームを巻き起こしました。

▼ジェット・リー氏の詳しい解説はこちら!

 

ドニー・イェン


photo by Roger Wo [1]https://www.flickr.com/photos/rogerwo/754841756/

 

現在最も活躍し「最後の本格派」と言われる凄腕武術家「宇宙最強の男」の異名を持つドニー・イェン氏。

▼ドニー・イェン氏の詳しい解説はこちら!

 

上記で紹介したスター俳優達に共通している点は、全員一流の武術家という事です。中国の武術家達が映画界に一石を投じたことは、世界中のカルチャーに大きな影響を及ぼしました。

彼らの強靭かつ、芸術とも捉えられる美しい肉体技に触発された方は沢山いることでしょう。

何を隠そう筆者の私もカンフー・スター達の影響を受けた一人で、今や長年憧れだったカンフーを実際に修行する身ともなり、人生において大きな影響を受けました。

 

 

以上「カンフー映画とは何か」について解説いたしました。カンフー映画についてさらに詳しく知りたい方は、以下よりカンフー映画入門をご覧くださいませ!

 

▼カンフー映画をさらに詳しく知りたい方は『カンフー映画入門』へ!

 

 

『カンフー映画入門』目次著者

はじめに

はじめに ~カンフー映画を楽しもう!~

第1章 カンフー映画とは

カンフー映画とは 【カンフー映画の歴史①】

ジミー・ウォング氏の時代 【カンフー映画の歴史②】

ブルース・リー氏の時代 【カンフー映画の歴史③】

ジャッキー・チェン氏の時代「酔拳・蛇拳」 【カンフー映画の歴史④】

ジャッキー・チェン氏の時代「プロジェクトA」 【カンフー映画の歴史⑤】

ジェット・リー氏とドニー・イェン氏の時代 【カンフー映画の歴史⑥】

第2章 カンフー映画スター俳優9選

ジミー・ウォング(王羽) 【カンフー映画スター俳優9選①】

ブルース・リー(李小龍) 【カンフー映画スター俳優9選②】

サモハン(洪金寶、サモ・ハン・キンポー) 【カンフー映画スター俳優9選③】

ジャッキー・チェン(成龍) 【カンフー映画スター俳優9選④】

ユン・ピョウ(元彪) 【カンフー映画スター俳優9選⑤】

ユン・ワー(元華) 【カンフー映画スター俳優9選⑥】

ラム・チェンイン(林正英) 【カンフー映画スター俳優9選⑦】

ジェット・リー(李 連杰) 【カンフー映画スター俳優9選⑧】

ドニー・イェン(甄子丹) 【カンフー映画スター俳優9選⑨】

第3章 カンフー映画を観る方法

カンフー映画を観る方法 【動画配信サービス比較】

第4章 おすすめカンフー映画13選

燃えよドラゴン(1973) 【おすすめカンフー映画13選①】

片腕カンフー対空飛ぶギロチン(1975) 【おすすめカンフー映画13選②】

酔拳(1978) 【おすすめカンフー映画13選③】

豚(とん)だカップル拳(1979) 【おすすめカンフー映画13選④】

ユン・ピョウinドラ息子カンフー(1981) 【おすすめカンフー映画13選⑤】

少林寺(1982) 【おすすめカンフー映画13選⑥】

霊幻道士(1985) 【おすすめカンフー映画13選⑦】

プロジェクトA(1983) 【おすすめカンフー映画13選⑧】

スパルタンX(1984) 【おすすめカンフー映画13選⑨】

七小福(夢に生きた子供達)(1988) 【おすすめカンフー映画13選⑩】

シティーハンター(1993) 【おすすめカンフー映画13選⑪】

イップ・マン 序章(2008) 【おすすめカンフー映画13選⑫】

捜査官X(2011) 【おすすめカンフー映画13選⑬】

第5章 カンフー映画の寄り道話

『七小福』とは 【ジャッキー達の子供時代】

アンジェラ・マオ 【女性カンフー映画スター3選①】

ノラ・ミャオ 【女性カンフー映画スター3選②】

ムーン・リー 【女性カンフー映画スター3選③】

千葉真一 【日本のアクションスター俳優①】

真田広之 【日本のアクションスター俳優②】

第6章 カンフーを習おう!

カンフー(功夫)とは

カンフーの種類 【長拳・南拳・太極拳】

大阪のカンフー教室・カンフー漫画「拳児」

著者:HARUKA

大阪府出身。趣味はドラム。中国武術は現在見習い中です。好きな映画ジャンルはダントツでカンフー映画!小学生の頃にジャッキー映画にはまり、今に至る。カンフースターは映画「霊幻道士」の道士役ラム・チェンイン氏が一番好きです。多くの人に新旧問わずカンフー映画に興味を持ってもらえたら嬉しいです。

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『KAN』入門 ~「愛は勝つ」だけじゃない!天才であり変態!類まれなるソングライター~


電子書籍で読む

はじめに

200万枚を超える大ヒット曲「愛は勝つ」。この曲の印象が強いかもしれませんが「愛は勝つ」はKANさんの一面に過ぎないのです。 Mr.Children桜井和寿さんをはじめ多くのアーティストがリスペクトするアーティスト「KAN」。ファン歴30年のしあ氏が「天才であり変態」「日本のビリー・ジョエル」と称するKANさんの魅力を解き明かします。

KANとは ~稀有な存在のソングライター~

第1章 人柄

KANさんはトリンドル玲奈さんに捧げる曲を作ったり、夏目漱石に扮してみたり、ユーモア溢れる人物です。大ヒット曲にとらわれずにオリジナリティー溢れる楽曲を作り続けています。KANさんの人柄は知るだけで面白い!

経歴
キャラクター
トーク
仲間

第2章 ライブ

KANさんのライブは【バンド編】【弾き語り編】があります。バンド編ではリオのカーニバル風の羽がついた衣装で登場したりとても楽しいライブ。弾き語り編ではKANさんのピアノの練習風景を見ることができます!

バンド編
弾き語り編

第3章 楽曲

KANさんの楽曲は幅広いです。「よければ一緒に」のようにやさしい人柄が伝わる曲もあれば、中田ヤスタカさんを意識して作った曲や、「丸いお尻が許せない」なんて変態ソングも!

バラード・ミディアム編
ポップ編
おふざけ・変態・自虐編
オマージュ編
コラボ編

著者 しあ

40代後半女性。KANのファン歴30年。1988年「BRACKET」を聴いて感動したのが出逢い。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。著書に『スターダスト・レビュー入門』『だいすき!岡村靖幸!』。
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5分でわかる!ジミー・ウォング ~ファンが語る概要・魅力・おすすめ作品~

 

このページではカンフー映画界のレジェンド的存在である「ジミー・ウォング」がどんな人物なのかを大体5分で理解できるよう概要・魅力・おすすめ作品をお伝えします。

もちろんジミー・ウォング氏のことを5分で説明するのは困難ですので、さらに深く知りたい方は『カンフー映画入門』をご覧ください。

※このページはカンフー映画ファン歴27年のHARUKA氏による『カンフー映画入門』の内容をWebon編集部がまとめたものです。

▼『カンフー映画入門』(全38ページ)

 

ジミー・ウォングとは

生年月日 1943年3月28日(75歳)
初期ヒット作 「片腕必殺剣」(1967年)
現在 療養中(2019年2月現在)

 

カンフー映画ブームの基礎を作ったパイオニア的存在。ブルース・リー氏などのスターが出る前から活躍していたカンフー映画界のレジェンドです。

 

どのようにカンフー映画の礎を築いたのか?

▲「片腕必殺剣」(画像クリックで商品詳細へ)

 

ジミー・ウォング氏は、主演をつとめた「片腕必殺剣」(’67)が空前のヒットを記録し、香港一のトップスターとなります。

「片腕必殺剣」は片腕を失った主人公が剣を操る剣劇アクション映画。

そんな「片腕必殺剣」の悲壮感を帯びたたたずまいと、迫力あるアクションで観客の心を掴み、「天皇巨星(天皇級のビッグスターの意)」と呼ばれるほどの人気を博し香港随一のスーパースターになりました。

その後もジミー・ウォング氏主演作品が公開され、多くの作品がヒットします。ジミー氏を次々と主演に起用した香港の映画会社であるシヨウ・ブラザーズ社はアジア最大の映画会社へと成長しました。

1970年には監督、脚本、主演を本人が担当した「吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー」が大ヒット。この作品が後のカンフー映画ブームの基礎を築いたと言われています。

 

▼吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー(画像クリックで商品詳細へ)

 

この作品以前のカンフー映画は刀剣アクションが中心でしたが、突きや蹴りの拳脚アクションを中心とするこの映画の大ヒットによって、1970年代の香港において熱狂的に迎えられるカンフー映画ブームを決定づけました。

 

 

人気低迷からの復活!ジャッキー氏も逆らえない存在!?

 

しかし、自らの私生活における数々の不祥事によって社会的信頼を失ってしまいます。

 

【編集部メモ】ジミー・ウォング氏の不祥事

ジミー・ウォング氏は私生活で裏社会とのつながりが噂されたり、暴力事件、映画会社との裁判などの不祥事を起こしてしまった事が人気低迷のきっかけになったと言われている。

 

その後ジミー・ウォング氏は香港の映画界へと復帰。

一時期ブルース・リー氏に人気をさらわれたが、「片腕ドラゴン」(’72)、「片腕カンフー対空飛ぶギロチン」(’76)で自身が監督・主演で発表しました。

 

▼片腕ドラゴン(画像クリックで商品詳細へ)

 

さまざまなアイデアを駆使した作品に出演し、人気を回復させます。80年代以降は台湾を本拠地として、俳優業よりもプロデューサーとして活動しますが、黒社会とのつながりは根強く、その後も香港・台湾映画界において影響力を持っていました。

ジャッキー・チェン氏、サモ・ハン・キンポー氏、アンディ・ラウ氏等の香港トップスター達も、ジミー・ウォング氏には逆らえないほどの存在です。

 

 

カンフー映画マニアから観たジミー・ウォング

 

他のアクションスターよりも武術が飛びぬけて優れているというわけではないですが、ブルース・リー氏やジャッキー・チェン氏よりも前に活躍をしていたというレジェンド的な存在かつ、香港カンフー映画ブームの基礎を作ったパイオニアとしてカンフー映画を語る上で欠かせない俳優です。

 

ジミー・ウォング出演のおすすめ作品

 

以下ではジミー・ウォング氏が出演しているおすすめカンフー映画作品を紹介します。

 

片腕カンフー対空飛ぶギロチン

作品名 片腕カンフー対空飛ぶギロチン
公開年 1976年
主演 ジミー・ウォング
監督 ジミー・ウォング
備考 ジミー・ウォング監督&主演「片腕ドラゴン」の続編

▼片腕ドラゴン(画像クリックで動画詳細へ)

▼あらすじ

前作で片腕になりながらも強敵を倒した主人公は、今回は武術道場を開いている。そして参加した大武闘大会で“空飛ぶギロチン”(というより回転ノコなんだけど…)を駆使する謎の老人を見る。その老人こそ、前作で仕留めた悪漢の師匠であった!

(引用:https://movie-tsutaya.tsite.jp/netdvd/dvd/goodsDetail.do?titleID=0080152682&pT=null)

 

「片腕カンフー対空飛ぶギロチン」はカンフー映画のレジェンド「ジミー・ウォング」の代表作を観たい方におすすめです。

コメディ要素も満載なので「カンフー」というアクションに馴染みが無い方でも楽しく観る事ができるでしょう。中国の清の時代が舞台なので日本とは異なる文化背景も楽しむことができます。

今や購入すると中古でも5,000円以上する貴重な作品です。(TUTAYA DISCASではレンタル可能です。)

 

みどころのひとつはラストシーン。

作中で過去の情事により「片腕ドラゴン(ジミー・ウォング氏)」は、ヨーヨー状の円盤型ギロチンを扱う強敵「ギロチン」から復讐の的にされます。

 

 

強敵「ギロチン」は目が見えないため、片腕の人であれば「片腕ドラゴン」ではないかと疑い片端から殺していきます。

ギロチンで人の首をスパッとちょん切る様は漫画のようですが、その描写がかえって残酷に映ります。

ラストシーンの「片腕ドラゴン」VS「ギロチン」の闘いシーンはややスローモーションでハイライトのように見せているところがグッと引き込まれます。

 

更にDVDの特典として、ジミー・ウォング氏本人のインタビューがついているのですが、カンフー映画を知る上でとても興味深いコメントを聞くことができます。

 

 

 

捜査官X

作品名 捜査官X(原題:武侠)
公開年 2011年
主演 ドニー・イェン&金城武
監督 ピーター・チャン
備考 多くの映画祭に招待された作品

  • 第64回カンヌ国際映画祭特別招待作品
  • 第16回釜山国際映画祭特別招待作品
  • 第7回大阪アジアン映画祭クロージング作品
  • 第55回サンフランシスコ国際映画祭特別招待作品
  • 第2回フランス中国映画祭上映作品
  • 第28回LAアジア太平洋映画祭特別招待作品
  • 第67回エディンバラ国際映画祭特別招待作品
  • 第16回ファンタジア国際映画祭特別招待作品
  • 第11回NYアジアン映画祭特別上映作品

▼あらすじ

1971年、中国雲南省の小さな村で起こった強盗殺人事件をきっかけに物語は始まる。 事件を捜査するため村へ訪れた捜査官シュウ(金城武氏)は、死体を調べるうちに強盗犯人2人が指名手配中の凶悪犯であることを知る。 事件当時、製紙工場に勤める職人リウ(ドニー・イェン氏)が偶然居合わせており、リウが必死に応戦したことにより、強盗犯人2人は打ち所が悪く死亡。 しかし、シュウは入念に検死や現場検証を重ね、リウは偶然に正当防衛できたわけではなく、意図的に致命傷を狙ったのではないかと疑問を抱く。 人間の経脈やツボについての卓越した知識や、豊かな想像力でもって事件解明に挑むシュウは、やがてリウの隠された過去である凶悪な暗殺集団の一味だった事実へと辿りつく・・・

 

2000年代において打ち出された古き良きオーソドックスな武侠映画を観たいという方におすすめの作品です。

カンフー映画は原則として身体の技が見どころになるのに対し、武侠映画は主に刀剣を使ったアクションが見どころとなる映画。(定義には諸説あります)

カンフー映画は中華圏で流行っていた武侠映画から発展してきた背景があります。刀や剣で戦うのが中心であった武侠映画で拳を使って戦う「カンフー映画」の土台を作ったのがこの「捜査官X」に出演するジミー・ウォング氏なのです。

 

▼武侠映画などのカンフー映画の歴史についてはこちらのページで解説!

 

原題はストレートな「武侠」というタイトルの通り、ストーリーも1970年代から流行りだした古き良きオーソドックスな「カンフー映画」そのものです。

ラスボス役にはなんと初期カンフー映画ブームを生み出した「片腕ドラゴン」のジミー・ウォング氏!本作は17年ぶりの映画出演ということでした。

ラストシーンはカンフー映画通の人でしたら、少し「あ!」と感じるかもしれません。

ラスボスの「片腕ドラゴン」を過去に演じたジミー・ウォング氏相手に、主人公のドニー・イェン氏は片腕で闘いに挑むのです。

ジミー・ウォング氏へのオマージュを感じられる演出です。

 

▼片腕ドラゴン(画像クリックでamazon prime videoへ。300円で視聴可能です)

 

 

▼サービス名クリックorタップで公式サイトへ進めます

サービス名 取り扱い 視聴方法
TSUTAYA TV 1007円~(税込)の見放題対象。DVD宅配サービスTSUTAYA DISCASも取り扱いあり(最低1007円(税込)~の会員か530円(税込:送料込)の単品料金で利用可能)
Amazon Prime Video 400円(税込)のプライム会員で視聴可能
YouTube 300円~で視聴可能
DVD(amazon)

ジミー・ウォングの主な出演作品・視聴方法

発表年 タイトル
1966 「虎侠殲仇(フーシァジィェンチヨウ)日本版(無し)英題(タイガーボーイ)」
1967 「片腕必殺剣(原題:獨臂刀(ドゥビーダオ))」
「大刺客」
1968 「大女侠(原題:金燕子(ジンイェンズー)英題:ゴールデンシャロウ)」
1970 「吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー(原題:龍虎鬥)」
1971 「新・座頭市 破れ唐人剣」
1972 「片腕ドラゴン」
1973 「ドラゴン武芸帖」
「戦神灘」
「いれずみドラゴン 嵐の血斗」
1974 「怒れるドラゴン 不死身の四天王」
1975 「スカイ・ハイ」
1976 「片腕カンフー対空飛ぶギロチン」
2012 「捜査官X」

▼各動画配信サービスの料金とジミー・ウォング氏作品の取り揃え数を表した表です!

TSUTAYA TV Amazon Prime Netflix Hulu dTV U-NEXT
料金(税込/月額) 1007円~ 400円 864円~ 1007円~ 540円 2149円
作品数 × × ×

※〇:豊富 △:ややあり ×:ほぼ無し

 

以上「ジミー・ウォング」の紹介でした。ジミー・ウォング氏についてさらに詳しく知りたい方は下記のページをご覧くださいませ。

 

また『カンフー映画入門』ではカンフー映画の歴史やスター俳優、そして「カンフーとはどんな拳法か?」ということまでを知ることができます。ぜひともご覧くださいませ。

▼『カンフー映画入門』(全38ページ)