テイラー音楽の変遷③ 【グッドガールなイメージを一新したダークなアルバム】

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世界的歌姫Taylor Swift(テイラー・スウィフト)と会った筆者が、Taylorの魅力を紹介。Taylorのこれまでの軌跡・ファンとの交流・社会貢献・音楽の変遷などを知れば、筆者が彼女をお手本にして歌手を目指す理由もわかるはず!

Taylor Swift(テイラー・スウィフト)入門 ~Taylorに会った筆者が語る~はこちらから!

著者:Sakift

20代前半。幼少期から歌手を志し9歳の時にTaylor Swiftのファンになって以来彼女をロールモデルにしている。RED Tour、1989 World Tour、Reputation Stadium Tourに参加。2014年のRED Tourでは、コンサート後のミートアンドグリート’’Club RED’’に招待され実際にTaylor Swiftと会って話をする。いわゆる空港での『出待ち』も毎回しており、その場でサインをもらったこともある。

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この章ではTaylorの音楽の変遷を通して、Taylorの魅力やTaylorから歌手の夢を目指すためのお手本としてどのようなことを私が学んだかをお伝えしたいと思います。

このページでは、今までのTaylorのグッドガールなイメージから一変した、ダークで挑発的なTaylorの6枚目のアルバムについてお伝えします。

 

6枚目のアルバムとなる「Reputation」

 

「America’s Sweetheart(アメリカの恋人)」とも称されるTaylorは、幼少期から様々な経験を経て世界的歌姫の座を手に入れました。

しかし歌姫として世界のトップに立つということは決して容易なことではなく、それと同時に辛く苦しい逆境にさらされてしまう場面もあります。

Taylorの恋愛遍歴や自分の経験をもとに作詞するというスタイルが原因でメディアから批判されました。

何事にも賛否両論あるのが世間の常ですが、批判にさらされながら自分の信念を貫き通す難しさは一言では表しきれません。

さらに批判は連鎖します。

1人が言い出したことがSNSを通じて世界中に広まり、尾びれがついて事実とはかけ離れた話になるというのは、規模は違うにしろ私たちの私生活でもよく耳にする話です。

メディアなどからの批判が強まった2016年の夏以降、めっきり減ってしまったTaylorのメディア露出は、彼女を取り巻く環境の悪さを物語っていました。

根拠のないメディアからの批判があまりにも多かったからです。しかし、歪曲された事実を前にいわれのない批判を浴びながら心を傷める時も、Taylorはただでは立ち上がりません。

 

彼女の6枚目のアルバムとなる「Reputation」では、今までのグッドガールなイメージを一変し、全体的にダークで挑発的な印象のアルバムに仕上げました。

▼アルバム「Reputation」450万枚売り上げる。2017年世界で2番目に売れたアルバム。

収録曲の「Look What You Made Me Do」の歌詞の中で「昔のTaylorは死んだ」とも言っているTaylorですが、まさしく彼女のイメージを塗り替えてしまうほどの衝撃を与えました。

▼「Look What You Made Me Do」 Billboard Hot 100 最高1位

 

アンチTaylor派から執念深い・裏切り者などといったネガティブな意味でも使用される「蛇」というイメージをつけられてしまったTaylor。

 

【コラム】蛇というイメージがついた理由

「蛇」というイメージがつく大元の原因となってしまった事件は、2009年のVMA授賞式の時にまで遡ります。最優秀ビデオ賞を受賞したTaylorの受賞スピーチ最中に男性ラッパーであるKanye West(カニエ・ウェスト)がステージに飛び乗り、突然マイクを奪い取ると「スピーチは最後まで続けさせてやるがBeyoncéのビデオが一番だ!」といった内容の言葉を浴びせました。授賞式のスピーチを妨害した直後Kanyeから一度は形式的な謝罪があったものの、その後謝罪を公式に取り消し、「正しいことをした。何も後悔はない。」と語りました。Kanyeはその後も自身のミュージックビデオにTaylorに似せた裸の蝋人形を登場させ、歌詞の中で「俺があのビッチを有名にしてやった」など過激な言葉で侮辱しました。この歌詞の内容について当然Taylor自身とその関係者は憤慨しましたが、アンチTaylorとして知られているKanyeの妻Kim Kardashian(キム・カーダシアン)が、前述した歌詞の内容はTaylorに許可を取ったと主張しました。そして私としては明らかに抜粋してつぎはぎされたと思われるTaylorとKanyeの通話内容の録音音声を世間に公開されてしまい、Taylorはかなり激しい批判を受けることとなりました。これらのことを通じて嘘つきのレッテルが貼られてしまったTaylorは、アンチ派から大量の蛇の絵文字で攻撃されるようになっていきます。「いつまでも過去のことを被害者ぶって語る」「Taylorは嘘つき」といったアンチ派の主張の中で、「蛇」というイメージが定着する事態となってしまったのです。

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テイラーの音楽の変遷② 【ポップへの転身と批判】

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世界的歌姫Taylor Swift(テイラー・スウィフト)と会った筆者が、Taylorの魅力を紹介。Taylorのこれまでの軌跡・ファンとの交流・社会貢献・音楽の変遷などを知れば、筆者が彼女をお手本にして歌手を目指す理由もわかるはず!

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20代前半。幼少期から歌手を志し9歳の時にTaylor Swiftのファンになって以来彼女をロールモデルにしている。RED Tour、1989 World Tour、Reputation Stadium Tourに参加。2014年のRED Tourでは、コンサート後のミートアンドグリート’’Club RED’’に招待され実際にTaylor Swiftと会って話をする。いわゆる空港での『出待ち』も毎回しており、その場でサインをもらったこともある。

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この章ではTaylorの音楽の変遷を通して、Taylorの魅力やTaylorから歌手の夢を目指すためのお手本としてどのようなことを私が学んだかをお伝えしたいと思います。

このページではTaylorの3枚目以降のアルバムのリリースの変遷と、ポップテイストが色濃くなるTaylorに対する批判と、それに対するTaylorの対応についてお伝えします。

 

Taylorの4枚目のアルバム「RED」

 

Taylorの4枚目となるアルバム「RED」は、いわゆるニューカントリーといえるでしょう。典型的なポップスタイルで構成されつつ、カントリーの古典的で感傷的なサウンドも入り混じっています。

▼4枚目アルバム「RED」Billboard 200において初登場1位(初週売上120.8万枚)全世界で2012年度年間2位(約520万枚)(画像クリックで商品詳細へ)

アルバム収録曲である「We Are Never Ever Getting Back Together」や「I Knew You Were Trouble」はポップテイストに仕上がっており、世界各国で爆発的にヒットしました。皆さんも一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。

▼「We Are Never Ever Getting Back Together」Billboard Hot 100 最高1位

▼「I Knew You Were Trouble」Billboard Hot 100 最高2位

 

このアルバムに収録されている曲の多くは、カントリーのサウンドに帰着しつつ鮮やかにポップと融合されています。

そこにロックリフ(ロック調のメロディ)も加わり、アルバム「RED」はより一層ポップテイストな一作となりました。

 

5枚目のアルバム「1989」で完全なポップに


▲5枚目のアルバム「1989」2014年度年間2位(全世界),第58回グラミー賞「最優秀アルバム賞」受賞

 

アルバムを出すにつれてポップテイストが色濃くなってきたTaylorのミュージックジャンルは5枚目のアルバム「1989」を境に完全なポップスタイルの音楽へと変貌を遂げました。

4枚目のアルバムに対して「ポップとカントリーを両方追いかけていたら、両方とも見失ってしまった」とも語るTaylor。

愛してやまないカントリーミュージックに対し誠実であるためにも、自らの感性に従い正直な道を選んだといいます。そこで、レーベル側の意見や周りの反対に屈せず、完全なるポップミュージックでアルバムを出すと決めたそうです。 “テイラーの音楽の変遷② 【ポップへの転身と批判】” の続きを読む

テイラーの音楽の変遷① 【原点のカントリーミュージック】

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この章ではTaylorの音楽の変遷を通して、Taylorの魅力やTaylorから歌手の夢を目指すためのお手本としてどのようなことを私が学んだかをお伝えしたいと思います。

このページではTaylorの原点であるカントリーミュージックについてお伝えするとともに、Taylorの3枚目のアルバムをリリースするまでの音楽の変遷についてお伝えします。

 

Taylorの原点はカントリーミュージック

 

今やポップ界にも進出し絶大な人気を誇るTaylor(テイラー)の原点は「カントリーミュージック」です。

カントリー歌手としてデビューし、ウェスタンブーツとカーリーヘア、アコースティックギターというスタイルがTaylorのトレードマークでした。

▼「ウェスタンブーツ」「カーリーヘア」「アコースティックギター」スタイルのTaylor


photo by alexahalasan,(CC BY-SA 2.0)

 

昔からTaylorはカントリーミュージックが大好きでした。

流行している音楽ではなくカントリーミュージックを好み、よく歌っていたことがいじめの原因になっていたとも語っています。

そもそもカントリーミュージックとはどのようなジャンルのことを指すのでしょうか。まずここでは、Taylorを語る上で欠かせない「カントリーミュージック」について触れていきたいと思います。

 

カントリーミュージックとは

 

カントリーミュージックの発祥は1920年に遡ります。

元々は「カントリーアンドウエスタンミュージック」と呼ばれており、アメリカの田舎で生まれ主に白人の中で発展してきた音楽ジャンルです。

素朴で感傷的なメロディーが特徴だと思います。「田舎風」と称されることもあり、「日本でいうところの演歌的位置付け」とよく言われています。

楽器編成が特徴的であり、アコースティックギターやバンジョー、マンドリンなどを使用して演奏します。

▼バンジョーはこんな楽器

Arent ,CC 表示-継承 3.0, Link 

 

カントリーミュージックは1950年代から1960年代にかけて全盛期となりました。この頃の代表的なアーティストは、カントリーミュージックの巨匠とも言われるJohnny Cash(ジョニー・キャッシュ)や、ゴールデンレコード大賞を受賞したMarty Robbins(マーティ・ロビンズ)などです。 “テイラーの音楽の変遷① 【原点のカントリーミュージック】” の続きを読む

テイラー・スウィフト「セクハラ裁判」「トランプ政権への言及」について ~テイラーの社会貢献~

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20代前半。幼少期から歌手を志し9歳の時にTaylor Swiftのファンになって以来彼女をロールモデルにしている。RED Tour、1989 World Tour、Reputation Stadium Tourに参加。2014年のRED Tourでは、コンサート後のミートアンドグリート’’Club RED’’に招待され実際にTaylor Swiftと会って話をする。いわゆる空港での『出待ち』も毎回しており、その場でサインをもらったこともある。

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この章ではTaylorの行ってきた「Swiftie(ファン)との交流」「社会貢献」を通して、Taylorの人格の素晴らしさをお伝えします。私がTaylorをお手本に歌手を目指しているのには、この人格の素晴らしさがとても大きな理由になっています。

このページではTaylorの「社会貢献」についてお伝えします。

 

Taylorの社会貢献

 

その美貌と人々の心を捉えて離さない音楽で、今や世界の頂点に立っていると言っても過言ではないTaylor。

いかなる立場になっても、常にTaylorは謙虚な姿勢を忘れず周りの人々を大切にし、社会への貢献もしているのです。

米サイト「DoSomething.org」が発表した「最もチャリティを行ったセレブ」において4年連続で1位を獲得しました。また、LGBT+支援団体テネシー・イクオリティ・プロジェクトに約1200万円寄付するなど、多額の寄付をすることでも知られています。

 

このページでは、非常にセンシティブな内容で世間を騒がせたセクハラにまつわる裁判と、米大統領Trump氏の政権についての言及という2つを取り上げて、Taylorがどのように社会貢献をしているかをお伝えします。

 

セクハラ裁判

 

ニュースで騒がれた「セクハラ裁判」は2013年6月のとある事件が発端でした。

コロラド州デンバーにて、コンサートの舞台裏でミートアンドグリートがあった時のことです。

当時DJとしてラジオ局勤務していたDavid MuellerがTaylorとの記念写真を撮影した際、彼女のスカートの中に手を入れて臀部をつかんだといいます。

その時の記念写真を見てもわかりますが、明らかにTaylorの臀部に手を当てていることがわかります。

このTaylorの訴えを聞いたスタッフらがラジオ局に被害を報告したことで、2日後にMuellerは解雇されました。

しかしながらその2年後の2015年9月、信じがたいことにMueller側がTaylorを訴えたのです。

「Taylorによる架空の訴えのせいで仕事を失った」と主張し、Taylorを含むその家族、スタッフらを名誉毀損で訴えました。さらに、失職中の年収2年分に当たる約3億2800万円の損害賠償まで請求しました。

 

これを受けたTaylor側が、ついにMuellerにセクハラを受けたとして賠償金100円を求める訴訟を起こしました。

Taylor側が求めた賠償金がたったの1ドル(100円)だったことに関して代理人は法廷で

「Taylorは、誰かが自分の体に触れようとしてきたらはっきり『No』と言って良いのだと伝えたいだけ。女性の臀部を触ることは暴行であり、いかなる場合においても間違いである。」

と述べたそうです。

 

そしてその後Taylor自身も法廷で証言をすることとなりました。

「あれは私がそれまで経験したことがないほどに大変恐ろしく、ショッキングな出来事だった」

とTaylor本人が証言していることからもわかるように、大変な精神的苦痛を与えられた事件だったはずです。(ちなみにTaylorが勝訴し賠償金1ドルを勝ち取りました。)

性的な類いの裁判は泣き寝入りする場合が多く、たとえ勝訴したとしても被害者側にそのトラウマが残る可能性があります。

また、証言することを恥ずかしいと感じてしまう人が多いのも現状です。屈辱で涙を拭う場面もあったと言いますが、全ての女性の権利と尊厳を守るためにTaylorは毅然とした態度で立ち向かいました。

SNS上では、この裁判に勇気付けられたという女性を多く目にしました。

影響力の大きいTaylorだからこそ為し得たことだと思います。この裁判をきっかけに、多くの性的被害に遭った女性たちが少しでも救われる方法を見出せることを切に願っています。

 

【筆者に聞いてみた】セクハラ裁判の時のファンの反応

Q.(Webon編集部)セクハラ裁判の時にファンの方はどのように感じたのでしょうか。

A.(筆者 Sakift氏)とても憤りを感じる事件でした。ファンとの交流が目的であるミートアンドグリートにおいてあのようなセクハラをすることは大変失礼で許しがたい行為です。弁護人を通して「すべての女性のために闘う」といっていたTaylorを応援し、裁判所の向かいのビルの窓にはポストイットで応援のメッセージが描かれました。

 

米大統領Trump氏の政権についての言及

 

セクハラ裁判も大々的にニュースで取り上げられることとなりましたが、多国間で取り上げられていたもう一つのニュースが、Taylorが発表した政治に関する声明です。

Taylorが政治的な自身の考えを表明したのは彼女のキャリア史上初めてだったため、各国でニュースとなりました。

Instagramにて突如投稿したトランプ政権に関する意思表明は、多くの反響を呼びました。

今まで政治的発言を避けていた彼女の大胆な批判は当然のことながらTrump氏本人の耳にも入り、彼の反感を買いました。11月に行われた中間選挙を前に、民主党(Trump氏は共和党)の候補者を支持するということを明記しているからです。

意思表明の内容を一部抜粋して和訳すると、

「私はTennessee州で投票します。(中略)どうか自分のいる州の候補者について知識を身につけ、より自分と価値観の近い人に投票してください。(中略)聡明且つ思いやりがあり、冷静沈着な多くの人々が過去2年間で18歳になりました。そして今、彼らは自分たちの投票に特別な意味を持たせることができるのです。」

といった内容のものでした。この投稿の中でTaylorは有権者に対し、積極的に投票用のサイト「Vote.org(=大統領選挙に投票できるインターネットサイト)」に登録し投票することを勧めました。

 

Taylorが投票を行なったTennessee州は、大統領選挙があった際にTrumpが過半数の票を得た場所でもあります。

今まで政治的発言をしてこなかったことで民主党、共和党支持者の双方から支持されているアーティストだったTaylorにとって、これはファンをも失うかもしれない発言でした。

しかしながらTaylorは男女の平等な権利やジェンダーにおける差別を問題視し、より彼女自身の価値観に近い民主党の候補者に加勢しました。

これを受けたTrump氏は「Taylor Swiftの音楽を25%嫌いになったとでも言っておこう」とコメントしました。

 

この勇気ある行動は多くの若者の心を動かし、この表明から24時間以内に65000人もの人が新たに投票用サイトに登録をしました。

Instagramのフォロワー数が1億人をゆうに超えているTaylorだからこそ、この発言の影響力は偉大であり、若い人々の政治に関する認識を変えることにつながりました。

日本に大統領制度はありませんが、18歳を超える有権者が投票に行くことの重要性においては同じことが言えると思います。

 

このように、色々な形で間接的・直接的に社会に貢献しているTaylor。

Taylorが社会貢献している点についてもその人間性を尊敬しており、Taylorを夢を追うロールモデルにしている私としては将来的にはTaylorのように人のために役立つことを必ず成し遂げたいと考えています。

 

 

以上、Taylorの「社会貢献」についてお伝えしました。

この章ではTaylorの「Swiftie(ファン)との交流」「社会貢献」についてお伝えしましたが、次の章からは「Taylorの音楽の変遷」を通してTaylorの魅力や私がTaylorから学んだことについてお伝えします。

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テイラーのミートアンドグリートに選ばれた体験談 ~テイラーとSwiftieの繋がり~

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20代前半。幼少期から歌手を志し9歳の時にTaylor Swiftのファンになって以来彼女をロールモデルにしている。RED Tour、1989 World Tour、Reputation Stadium Tourに参加。2014年のRED Tourでは、コンサート後のミートアンドグリート’’Club RED’’に招待され実際にTaylor Swiftと会って話をする。いわゆる空港での『出待ち』も毎回しており、その場でサインをもらったこともある。

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この章ではTyalorの行ってきた「Swiftie(ファン)との交流」「社会貢献」を通して、Taylorの人格の素晴らしさをお伝えします。私がTaylorをお手本に歌手を目指しているのには、この人格の素晴らしさがとても大きな理由になっています。

このページではTaylorの「Swiftie(ファン)との交流」についてお伝えします。

 

Taylorはファンとの繋がりを大切にする

 

Taylorは昔から、ファンとの繋がりを何よりも大切にしていることでも知られています。

妊娠8ヶ月でホームレス状態だったファンをコンサートのバックステージに招待した上に、家と大量のベビー用品を贈呈したことがあります。度々ファンの結婚式にサプライズ登場し、歌を披露するなどの演出でファンを驚かせています。

Taylorというアーティストを語る上でSwiftie(=Taylorのファンのこと)の存在は欠かせません。

私自身10年間Swiftieでいる中で、Taylorは常にファンの心を大切にしてくれていると実感します。その理由はファンとの交流がほとんどないアーティストも多くいる中で、Taylor は「ミートアンドグリート」を行うなど特にファンとの関わりが深いと思うからです。

Swiftieの交流イベントのミートアンドグリートはTaylorがファンとの繋がりを大切にしているのがわかる顕著な例です。

以下ではミートアンドグリートについて詳しく紹介いたします。

 

【コラム】Taylorが人の心を大切にしていることがわかるエピソード

3歳にしてガンと戦いこの世を去ってしまったRonanという少年の母親が、ブログに天国の息子への想いを綴っていました。少年の母親がファンだったわけではありませんが、その文章を読み心を打たれたTaylorがRonanくんとその家族に宛て、母親とともに「Ronan」を作詞。Taylor自身が作曲をしました。

 

ミートアンドグリートとは

 

Taylorはデビュー当初のコンサートから、ファンを選びコンサート後にバックステージに無償で招待するという「ミートアンドグリート」を開催しています。

ミートアンドグリートではTaylorの母親Andrea Swiftやスタッフがコンサート中に客席から複数人を選び、バックステージに招待します。

招待される人数は毎コンサートごとに少しずつ異なります。私も選ばれたことがあり、その時は会場がさいたまスーパーアリーナだったので、37000人ほどの中から42名くらいが選ばれただろうと思います。

ミートアンドグリートの名称は毎アルバムごとに変わります。”RED”の時は”Club RED”、“1989”の時は”Loft ’89”、 “Reputation“の時は”Rep room”でした。

選ばれる際の基準は「Taylorに対する熱意」です。「一番元気で情熱が感じられる人をコンサート中に探している」とTaylor自身も発言しています。

心からコンサートを楽しみ、奇抜な衣装や凝ったボードなどを製作してきたことが目に見えて分かるSwiftieが選ばれています。

ミートアンドグリートは無償ですが、Taylorとのツーショット写真を撮ったりサインをもらえたり。会話も楽しめ、長い時間Taylorと過ごすことができます。

Taylorのコンサートでは、コンサート中に「ミートアンドグリートに選ばれるかもしれない」というワクワク感も楽しむことができるのです。

 

ミートアンドグリートに選ばれた筆者の体験

 

私は2014年に日本で行われたRED Tourでミートアンドグリートに招待されたことがあります。

当時はまだTaylorのコンサート後のミートアンドグリートについてあまり日本では知られていませんでしたが、私は事前に調べて知っていたため絶対に選ばれたいと考えていました。

コンサートには親友と2人で参加し、服装は完全に同じものにしました。

光るLEDスカートを海外から取り寄せ、Tシャツの表面にはアルバム「RED」に含まれる曲の歌詞を印刷しました。背面には手書きでTaylor Swiftの名前のアルファベットそれぞれを曲名などと繋げたものを書きました。さらに金色のウィッグ、手作りの帽子をかぶっていたので、衣装作りにおいての熱意も十分だったのではないでしょうか。

▼手作りの衣装

 

また、RED Tourの際はボードの持ち込みに関して特に規制がなかった為、かなり大きめのボードにハートのバルーンをつけるなどして工夫を凝らしました。

▼大きめのボードとハートのバルーン

 

準備万端で参加したRED Tourですがコンサート中は初めてTaylorを生で見ることができた感動からミートアンドグリートのことはほぼ頭にありませんでした。

コンサート中Taylorはより多くのSwiftieと触れ合うために、花道や通路を歩きながらハイタッチなどをします。

私も手に触れることができ、まさに感無量でした。

▼手を触れた瞬間

 

そしてコンサート終盤、大ヒット曲「I Knew You Were Trouble」の演奏中ふいに肩を叩かれ振り返ると、スタッフの方数人に「バックステージに来ないか?」と声をかけられました。

そして招待された証に、腕にリストバンドをはめてもらいました。その瞬間号泣して親友と抱き合い喜んだことをまるで昨日のことのように思い出します。

▼リストバンド(黄色いリストバンドが招待された証)

 

コンサート終了後に、まずは選ばれたメンバーが全員揃ったかの確認と、注意事項を一通り説明されました。その後ついにTaylorと会うことのできるバックステージへと通されます。

Taylorがバックステージに現れると1グループずつに丁寧なファンサービスをし、私の番が来るとまずは真っ先に抱きしめてくれました。

私がどれほどTaylorを好きかという想いの丈と、自身の夢を叶え歌手として再び会いたいということを伝え、それを聞いた彼女がとても喜んでくれたのを鮮明に覚えています。

さらに私の名前入りでサインを書いてくれました。

▼名前入りのサイン

▼Taylorの母Andrea Swiftと撮影した写真

 

余談ではありますが実際に選ばれてみて思うことは、選ばれることだけを考えるのではなくそのコンサートを純粋に楽しむことが選ばれる秘訣ではないかと思います。

このようにアーティスト本人と直接触れ合う機会がこんなにも多い海外アーティストはほぼいません。

ファンの心に一生残る、かけがえのない思い出を与えられるアーティストがTaylorです。

 

 

以上、Taylorの「Swiftie(ファン)との交流」についてお伝えしました。

次のページではTaylorの行ってきた「社会貢献」を通してTaylorの人格の素晴らしさをお伝えします。

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テイラー・スウィフトのデビューまでの道のり

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このページではTaylorがどういった環境で育ち、どのようにして夢を持つようになったのかをお伝えします。

Taylorの道のりを知ることで、夢を追う上で具体的に何をすればいいのかが学べます。

 

【誕生】「Taylor Swift」名前の由来

 

Taylor Swiftという名前は、米シンガーソングライターであるJames Taylorr(ジェームス・テイラー)からとったと言われています。両親がJames Taylorのファンだったことに由来し、Taylorと名付けたそうです。

まるで生まれた時から歌手になることが必然だったかのような由来に思えます。

 

James Taylor(ジェームス・テイラー)とは


By Joella Marano, CC 表示-継承 2.0, Link 

1948年生まれのアメリカ合衆国出身のシンガーソングライター。2000年に「ロックの殿堂」入り。「君の友だち(You’ve Got a Friend)」で1972年にグラミー賞で最優秀楽曲賞を獲得している。

 

【幼少期】クリスマスツリーの農場

 

Taylorは「クリスマスツリーの農場」で育ったという少々意外な幼少期を過ごしました。

その環境はTaylorの歌手としての人生に多大な影響を与えたといいます。

Taylorの自由な歌詞づくりと、型にとらわれないスタイルの音楽創りには、こうした環境の影響が感じられます。

広大な土地を無制限に走り回れる自由な環境こそが、作詞作曲をする上での感性を育んだのかもしれません。

 

【11歳~】いじめの経験

 

Taylorは中学生の時にいじめを受けていました。

Taylorは辛いいじめに遭いながらも、ただ屈することなくその悔しさを音楽にぶつけていました。

毎日血の滲むような努力を重ね、暇さえあれば常にギターに触れていたといいます。彼女の等身大で共感できる作詞スタイルは、この経験からも来ていると思います。

 

Taylorが影響を受けたのは、当然ながら彼女を取り巻く「環境」だけではありません。

Taylorの母方の祖母はオペラ歌手で、テレビ番組の司会者としても活躍していたのです。祖母のMarjorie Finlay(マージョリー・フィンレイ)はオペラ歌手として活躍する一方で、教会の集会でもよく歌っていました。

さらにTaylorは、カントリー歌手LeAnn Rimes(リアン・ライムス)も幼少期から好きでした。こうした人々の影響を受けてTaylorは、歌手になるために多くの人の前で歌うにはどうすべきか考えました。

 

LeAnn Rimes(リアン・ライムス)


By https://www.flickr.com/photos/yodelanecdotal/https://www.flickr.com/photos/yodelanecdotal/4008692987/, CC 表示 2.0, Link 

1982年生まれアメリカ出身のカントリー歌手。「ハウ・ドゥ・アイ・リヴ(How Do I Live)」Billboard Hot 100に69週間チャートに滞在し、当時の最高記録となった。同曲は2008年発表のBillboard All Time Top 100(50年間総合チャート)で4位となっている。

 

そこで、学校に通いながらスポーツイベントの開会式の国歌斉唱やコンテストなどの規模の大きいものから、地元のフェスティバルや喫茶店など様々な場所で歌を歌いました。最も有名なものと言えば12歳の時にNBAの試合前に国歌斉唱を行ったこともありました。

幼少期からすでに卓越した歌唱力があり、歌手としての才能は十分だったのです。

 

小さい頃から作詞をしていたと語るTaylor。

Taylorは10歳にして”A Monster in My Closet”という詩を書き作詞コンテストにて入賞しています。幼い頃から作詞における持ち前のセンスを発揮していました。

ペンシルベニア州出身であるTaylorは11歳の頃、アメリカのカントリー歌手のFaith Hillがナッシュビルに移住した後に歌手として成功したことに影響を受け、自分もカントリーミュージックの聖地ナッシュビルに引っ越す必要性があると考えていました。

そのため常々両親にも相談していたそうです。

またその頃、ナッシュビルにある多くのレーベルにデモテープを提出していましたが、若すぎるということもありなかなかその評価は上がらずにいました。

 

12歳の頃のTaylorの逸話に「コンピュータの修理士が家に来た際にTaylorにc,d,gの三つのコードを教え、その日の夜に「Lucky You」という曲を作曲した」というものがあります。

幼い頃から音楽への関心が強かったTaylorは、頭の回転が早い上に大変物覚えが良かったということがわかります。頭の回転が早いことは大人になり成熟した今も変わらぬTaylorの魅力だと思います。

そういった才能が幼い頃からありながらも、なかなか契約には結びつきませんでした。

 

【14歳~】RCAレコードと契約

 

その後、14歳という異例の若さでRCAレコードの養成所と契約したTaylor。Sony ATVミュージックパブリッシング(世界最大の音楽出版社)にソングライターとして最年少で採用されました。

異例の若さの契約を可能としたのは、大きな舞台で国歌斉唱をしたことや、その歌唱力と類まれな外見が認められたからだと思います。

それと同時にTaylorの家族は全員でナッシュビルに転居しました。Taylorに極力プレッシャーをかけないよう気遣った両親は「引越したのはナッシュビルの街が好きだからだ。」と言ってくれていたそうです。

引越しの理由は父親の仕事先がナッシュビルになったというのもありますが、おそらくそれほど引越しの必要性はなかったと思います。Taylorの夢を家族全員で応援していたそうなので、実質上はTaylorのためだったのではないでしょうか。

 

【16歳~】デビューアルバムリリース

 

Taylorは自らの作詞作曲でアルバムを出したいと考えていました。

そんな彼女の要望とは裏腹に、事務所は他のソングライターの曲を歌わせようとしました。またTaylorのアルバム出版は18歳まで待つという方針でした。

自分に意向に沿わなかったためTaylorは事務所を離れる決意をします。

 

そんな中、ナッシュビルにあるミニライブハウス”Blue bard Cafe”でパフォーマンスしていたTaylorに、Big Machine Record(ビッグマシン・レコード)を設立しようとしていたScott Borchetta(スコット・ボーチェッタ)が目をつけました。

Taylorの類いまれなる容姿とその歌声を聴けば、誰しもがスカウトしたくなると思います。

その後着実に話は進み、TaylorがBig Machine Recordの1人目の契約者となったのです。

RCA所属時は事務所の曲作りの方針と合わず悩んでいたTaylorですが「全てを彼女の好きなようにしていい」と言ったScott Borchettaとの事務所契約により、彼女はあっという間にファーストアルバムを手がけることとなります。

2006年10月24日、Taylorが16歳の時にリリースされた『Taylor Swift』は、瞬く間にBillboardのTop Country Chartにおいて1位を記録。

▼アルバム「Taylor Swift」(画像クリックで商品詳細へ)

▼収録曲「Teardrops On My Guitar」 Billboard Hot 100 最高13位

▼収録曲「Our Song」 Billboard Hot 100 最高16位

 

デビューアルバムにしてカントリー界の市場を制しました。こうして彼女のサクセスストーリーが始まったのです。

 

さてアルバム『Taylor Swift』でBillboardのTop Country Chartにおいて1位を記録したTaylorですが、このような成功の背景にはいじめを受けても努力を重ね、引越しの相談、デモテープを送るなどの行動を常にしていたことが要因に挙げられます。

Taylorには才能がありました。ただ才能があったとしても実際に活かせていない人が多くいる中、行動することが何より大切だと気づいていたTaylorは尊敬に値します。なるべくして歌手になったのだと思います。

Taylorが幼少期からどういった活動をしてきたのかその道のりを振り返ると、夢を追う上でより具体的に何をすればいいのかがわかると感じています。

 

 

このページではTaylorのデビューまでの道のりから彼女の魅力と歌手の夢を追う上で学ぶべきことをお伝えしてきました。

次の章からTaylorの人格を通して彼女の魅力や学べることについてお伝えします。

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著者:Sakift

20代前半。幼少期から歌手を志し9歳の時にTaylor Swiftのファンになって以来彼女をロールモデルにしている。RED Tour、1989 World Tour、Reputation Stadium Tourに参加。2014年のRED Tourでは、コンサート後のミートアンドグリート’’Club RED’’に招待され実際にTaylor Swiftと会って話をする。いわゆる空港での『出待ち』も毎回しており、その場でサインをもらったこともある。

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私がテイラー・スウィフトを手本にして歌手を目指す理由

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世界的歌姫Taylor Swift(テイラー・スウィフト)と会った筆者が、Taylorの魅力を紹介。Taylorのこれまでの軌跡・ファンとの交流・社会貢献・音楽の変遷などを知れば、筆者が彼女をお手本にして歌手を目指す理由もわかるはず!

Taylor Swift(テイラー・スウィフト)入門 ~Taylorに会った筆者が語る~はこちらから!

著者:Sakift

20代前半。幼少期から歌手を志し9歳の時にTaylor Swiftのファンになって以来彼女をロールモデルにしている。RED Tour、1989 World Tour、Reputation Stadium Tourに参加。2014年のRED Tourでは、コンサート後のミートアンドグリート’’Club RED’’に招待され実際にTaylor Swiftと会って話をする。いわゆる空港での『出待ち』も毎回しており、その場でサインをもらったこともある。

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Taylor Swiftの基本情報


photo by Prayitno / Thank you for (12 millions +) view ,(CC BY 2.0

名前 テイラースウィフト(Taylor Swift)
生年月日 1989年12月13日
出身地 アメリカ合衆国ペンシルベニア州
デビュー年/曲 2006年シングル「Tim McGraw(ティム マックグロウ)」アルバム「Taylor Swift」
17歳でデビューし、グラミー賞、エミー賞、ウーマンオブザイヤーなど数々の賞を受賞。過去に発売したCDの総売上枚数は4,000万枚以上、ダウンロード数は1.3億を超えている。

▼テイラーの代表曲のひとつ『We Are Never Ever Getting Back Together』MV。日本の人気恋愛リアリティー番組「テラスハウス」のオープニング。

 

はじめに

 

私は幼少期から歌手を志しています。

幼い頃から書き溜めてきた歌詞の数は150近くあり、物心ついた頃から歌手を目指す気持ちは変わっていません。

私は10歳の時、歌手としても、人としても尊敬している世界的歌姫Taylor Swiftに出逢いました。

皆さんはTaylor Swiftというアーティストをご存知でしょうか?

私がTaylorのファン(通称:Swiftie スウィフティー)になってから、もう10年が経とうとしています。まだ小学4年生だった私は、当時世界的にヒットした”You Belong With Me”のミュージックビデオを一目見た瞬間から熱烈なSwiftieになりました。

▼「You Belong With Me」のMV

 

当時はまだ年齢的な問題もあり、コンサート鑑賞や情報収集をすることも容易ではありませんでした。

そのため、彼女のアルバムを購入し毎日歌詞を完璧に覚えるまでひたすら聴きました。

中学生になる頃にはスマートフォンやパソコンを使いTwitterや公式サイトでとても深くTaylorの人間性をも知るようになりました。

中学2年生の時には、一生忘れられないかけがえのない経験もしました。

“RED Tour in Japan”の際にコンサート後のミートアンドグリート(以下Club RED)に選ばれ、実際に会って話すことができたのです。

 

【筆者注】ミートアンドグリート

ミートアンドグリートは、コンサート終了後にアーティストと交流できるイベントのことです。Taylerのコンサートの場合は、毎回コンサート中に目立っているファン(手作り衣装やボード、電飾など)をTaylorの母親が直接選び、ファンはコンサート中にバックステージパスが渡されます。私の場合はスタッフに声をかけられ、バックステージパスであるリストバンドをはめてもらいました。

▼ミートアンドグリートの詳細は第2章1ページ目にて

 

Club REDで彼女が真っ先にきつくハグをしてくれたあの瞬間を私は生涯忘れることはないでしょう。

さらに私はClub REDでTaylorに「歌手になって必ずもう一度会いたい。」と約束をしました。

この時から、私はただSwiftieとしてTaylorを応援するだけでなく、自らが歌手を目指す上で彼女を絶対的ロールモデルにしようと決めました。

▼歌手を目指す筆者の様子(YouTube)

 

Taylorをロールモデルにした理由

 

ロールモデルとは行動面や精神面において手本とする人物のことです。誰かしらをロールモデルにする上で、その人物像は大変重要になってきます。

私は一人でも多くの人にTaylorの魅力をより深く知ってもらい、ロールモデルとして彼女のような人物を目指して欲しいという願いからこのWebonを作成しています。

私がTaylorをロールモデルとして捉え始めた理由は、彼女のアーティストとしての振る舞い方と曲の中にあります。

アーティストとして長く生き残るためには、常に新しいものを発信し続けなければいけません。加えて、ただ新しいだけではなくファンの心を掴むものである必要性もあります。

新しいものを生み出していかなければならないのは、何もアーティストという職種だけに限らないでしょう。様々な職場で創造性は重要視されます。Taylorはそういった点においてとても長けています。

 

多くの人の心を掴んで離さないTaylorの戦略

 

わかりやすい例として、Taylorの新曲を出す時の戦略です。たとえば、先日Taylorが約1年半ぶりにニューシングル「ME!」をリリースしました。

▼「ME!」MV

 

このシングルをリリースするにあたり、Taylorはおよそ2ヶ月前からInstagramにおいて継続的にニューシングルを匂わせるような投稿をしていました。

 

【コラム】ニューシングルを匂わせるようなInstagramの投稿

ニューシングルを匂わせる投稿で最もわかりやすかったのが、以下の投稿です。

 

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Taylor Swiftさん(@taylorswift)がシェアした投稿 –

もともとTaylorが次に出すであろうアルバムは、まだリリースされておらず名前も当時決まっていないためファンの間では通称「TS7」と呼ばれていました(彼女の7枚目のアルバムにあたるため)。Taylor自身も、ファンがTS7を期待していることは知っていました。その最中、ヤシの木の絵文字を7個だけつけてこの画像を投稿したので「次のアルバムがもうすぐくるはずだ」と皆期待しました。さらに、一つ前の作品である「Reputation」のリリース時もそうでしたが、Taylorは必ずアルバムのコンセプトにそった投稿をしていました。前回はダークなイメージのアルバムだったので蛇や暗い感じの画像・動画を投稿していました。しかし今回はパステル調のピンクがかったフィルターのみを使い連続して投稿していたため、新たなアルバムが出るのではないかという期待が高まりました。

 

さらに、日本、アメリカ、イギリス、オーストラリアを含む各国の大きな電光掲示板にて謎のカウントダウンをしていました。そしてそのカウントダウンが0になった時、新曲がリリースされたのです。

▼カウントダウンの様子(日本)

 

カウントダウンによりあらかじめ世間の目を引いたことで、世界的に話題となった状態でのリリースとなりました。こういった言わばTaylorの「戦略」が、ファンだけでなく多くの人の心を掴んで離さないのです。

ファンを飽きさせないという最も大切なことを彼女はし続けているのです。

多くの海外セレブがプライベートな話題で世間を騒がせている中、Taylorは常に新たな曲作りに勤しんでいます。

そして、評判が地に落ちてしまったとしても逆境に負けることなく、むしろそれを逆手にとって這い上がるのです。1人の人間としてもアーティストとしても、生涯尊敬し続けられる人物こそがTaylor Swiftだと私は思っています。

 

 

Taylorは中学生の時にいじめられていた経験があります。いじめられていた辛い時期を乗り越え、血の滲むような努力をし夢を叶えたTaylorの言葉に励まされる人は多く、私自身も幾度となく助けられました。

また、Taylorはデビュー後にサインを求めてやってきた元いじめっ子たちに快く対応したと言います。後のインタビューでは「惨めな思いをして学校に通っていた経験がなければここまでいい曲は書けなかった。いじめっ子たちにありがとうと伝えたい。」とさえ語っていました。

現にTaylor自身の経験に基づいたその自叙伝的な歌詞の数々に、多くの人々が魅了されています。頭身大で親しみやすく、共感しやすいからです。

世界に名を馳せても、ファンへの心遣いを忘れず常に人を楽しませられるアーティストであること。いつまでも初心を忘れない謙虚さや、ファンを大切にする人柄が彼女の最大の魅力といえるでしょう。

そんな彼女の魅力を是非知っていただきたいです。そして、これから夢を目指す方は彼女をぜひロールモデルにしてみてはいかがでしょうか。

このWebonでは実際にTaylorをお手本に歌手を目指している私が、どういったことをTaylorから学んでいるかをお伝えしながら、Taylorの魅力を明らかにしてきたいと思っております。

次の章ではTaylorの「デビューまでの道のり」に焦点を当てて、Taylorの魅力やTaylorから私が学んだことをお伝えしたいと思います。

『Taylor Swift入門』目次へ  (全7ページ)

 

目次著者

著者:Sakift

20代前半。幼少期から歌手を志し9歳の時にTaylor Swiftのファンになって以来彼女をロールモデルにしている。RED Tour、1989 World Tour、Reputation Stadium Tourに参加。2014年のRED Tourでは、コンサート後のミートアンドグリート’’Club RED’’に招待され実際にTaylor Swiftと会って話をする。いわゆる空港での『出待ち』も毎回しており、その場でサインをもらったこともある。

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Taylor Swift(テイラー・スウィフト)入門 ~Taylorに会った筆者が語る~


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はじめに

私は10歳の時、世界的歌姫Taylor Swiftに出逢いました。まだ小学4年生だった私は”You Belong With Me”のMVを一目見た瞬間から熱烈なファンになりました。そして私はTaylor本人に会って「歌手になって必ずもう一度会いたい」と約束をしました。なぜ私がTaylorをお手本に歌手を目指すのか、それはTaylorのことを深く知ればきっとご理解いただけるはずです。

私がテイラー・スウィフトをお手本にして歌手を目指す理由

第1章 Taylorのデビューまでの道のりから学ぶ

Taylorは中学生の時にいじめを受けていました。しかしTaylorは屈することなくその悔しさを音楽にぶつけていました。Taylorのデビューまでの道のりを知ると、歌手を目指す上で何が大切かが学べるように感じます。

デビューまでの道のり


photo by Eva Rinaldi,(CC BY-SA 2.0) 

第2章 Taylorの人格から学ぶ

Taylorは素晴らしい人格の持ち主で学ぶべきところが多いです。この章では「ミートアンドグリート」に参加した体験談からTaylorがファンとの繋がりをいかに大切にしているかということと、「セクハラ裁判」「トランプ政権への言及」からどのように社会貢献を果たしているかをお伝えします。

Swiftieとの交流
社会への貢献

第3章 Taylorの音楽の変遷から学ぶ

この章ではTaylorの音楽の変遷を通して、Taylorの魅力やTaylorから歌手の夢を目指すためのお手本としてどのようなことを私が学んだかをお伝えしたいと思います。

原点「カントリーミュージック」
ポップへの転身と批判
グッドガールのイメージから一変したアルバム

著者 Sakift

20代前半。幼少期から歌手を志し9歳の時にTaylor Swiftのファンになって以来彼女をロールモデルにしている。RED Tour、1989 World Tour、Reputation Stadium Tourに参加。2014年のRED Tourでは、コンサート後のミートアンドグリート’’Club RED’’に招待され実際にTaylor Swiftと会って話をする。いわゆる空港での『出待ち』も毎回しており、その場でサインをもらったこともある。

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