つんく♂は何がすごかったのか? 【90年代邦楽のヒットメーカー解説②】

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あなたにとっての“あの頃”はいつですか?著者にとってアツかった時代「90年代」のJ-popヒット曲を生粋の邦楽ファンの著者が分析します!読めば“あの曲”を聴きたくなる事間違いナシ!!

90年代J-popヒット曲入門 ~音楽で振り返る90年代!~(全11ページ)はこちらから!

著者 シン アキコ

30代前半女性。邦楽ファン歴25年。70年代、80年代、90年代の邦楽を愛しています。「歌詞」「曲が生まれた背景」「当時の流行との関連性」などを分析することが好き。

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この章では90年代邦楽のヒットメーカーである【小室哲哉】【つんく♂】【織田哲郎】の3人にスポットライトを当てて、当時のJ-POP界がどのようなものだったかをお伝えします。

ある時は人気バンドのボーカリスト、ある時は女性シンガーのプロデューサーという2つの顔をもち、その両方で大成功をおさめたつんく♂。

記録にも記憶にも残る人物、そしてヒットメーカーとして、90年代のJ-POPを語る上で欠かせない人物のひとりです。

このページではつんく♂の魅力をお伝えする中で「シャ乱Qがなぜ人気を得たのか」「ボーカリストつんく♂の魅力」「つんく♂の作詞の魅力と特徴」という点にも迫りたいと思います。

 

つんく♂の基本情報

名前 つんく♂
生年月日 1968年10月29日
出身地 大阪府
職業 音楽家、総合エンターテインメントプロデューサー
デビュー 1992年シャ乱Qシングル「18ヶ月」 
1988年シャ乱Qを結成。最大のヒット曲は145万枚売上の「ズルい女」。同曲を含め4曲でミリオンセラーを記録。プロデュースしたアイドルグループ「モーニング娘。」の「LOVEマシーン」(1999年)は売上176万枚以上を記録。

▼シャ乱Q「ズルい女」

▼モーニング娘。「LOVEマシーン」

 

つんく♂の魅力

①ボーカリストを務める「シャ乱Q」

唯一無二のボーカリスト「つんく♂」

 

骨太のパワーサウンド、センセーショナルな外見、派手なパフォーマンス。男女問わず愛され、90年代のヒットチャートを駆け上った人気バンド「シャ乱Q」。

ボーカリスト・つんく♂の歌声はまさに唯一無二のものでした。

鼻にかかった甘い声、クセのある発音、安定した歌唱力。繊細なラブソングもコミックソングも、彼が歌えば耳に残って離れない。

🎤つんく♂の歌声を堪能するなら以下の曲がおすすめ🎤

【ラブソング】
・シングルベッド
・My Babe 君が眠るまで
・涙の影 など

【コミックソング、あるいはインパクトのある曲】
・ラーメン大好き小池さんの唄
・ズルい女
・とってもメリーゴーランド(つんく♂が中学生のころに作ったとか。つんく♂らしいコミカルでポップな曲です) など

 

彼の当時のトレードマークといえば細い眉とアイシャドウ。

 

▼写真中央でカメラ目線がつんく♂

 

バンドマンにおいて、派手なメイクやカラフルな髪色など、さほど珍しくはなくなっていた時代。

その中にいてもつんく♂は、ひときわ目を引く存在でした。

中性的で華奢な出で立ちから放たれる、圧倒的なオス感。

トーク場面で見せる顔や現在の穏やかな表情とは違う、見るものを射貫くような挑発的な視線も彼の魅力でした。

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ビーイングブームの立役者 織田哲郎の功績 【90年代邦楽のヒットメーカー解説③】

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この章では90年代邦楽のヒットメーカーである【小室哲哉】【つんく♂】【織田哲郎】の3人にスポットライトを当てて、当時のJ-POP界がどのようなものだったかをお伝えします。

このページでは90年代J-POPブームの立役者「織田哲郎」について紹介。

ビーイング系アーティスト、そして織田哲郎氏の作品がいかに90年代において愛されたのかが伝われば幸いです。

 

ビーイング系アーティストとは

ビーイングは1978年に設立した音楽制作やアーティストのマネージメントを行う会社です。現在は大手音楽プロダクションとして知られています。ビーイングに所属、あるいはビーイングに関わっているアーティストは「ビーイング系アーティスト」と称されます。

90年代のJ-POPを語る上で外せないトピックといえば“ビーイング系アーティストの台頭”。もはや社会現象にもなりました。

 

🎤ビーイング系とくくられるおもなアーティスト🎤

ZARD/WANDS/大黒摩季/T-BOLAN/DEEN/ MANISH/B`z

 

彼らこそ、CDバブル時代を作った存在ともいえます。団塊ジュニア世代の就職や進学、カラオケブームの波に乗り、オリコンシングルチャートの上位に次々とランクイン。

 

CDバブル時代

カラオケ・タイアップ戦略などにより若者を中心に音楽需要が高まった時代。1997年には、シングルの年間販売数が1億6782万7000枚を記録。1998年にはCDアルバムの年間販売数が3億291万3000枚とピークを記録。

 

ついには、1992年12月28日から93年7月26日までの31週間中、27週にわたってビーイング系アーティストが首位を獲得するという快挙を成し遂げます。

ドラマやCMのタイアップに多数起用され、ビーイング系アーティストの曲を耳にしない日はないと言っても過言ではなかった時代。

▼ビーイング系アーティストのタイアップの例

リリース年月 アーティスト「曲名」 タイアップ
1992年9月 大黒摩季「DA・KA・RA」 「マルちゃん・ホットヌードル」CM
1993年3月 B’z「愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない」 日本テレビ系ドラマ『西遊記』
1993年5月 ZARD「揺れる想い」 大塚製薬「ポカリスエット」CM
1995年2月 大黒摩季「ら・ら・ら」 テレビ朝日系ドラマ『味いちもんめ』主題歌

 

TV露出を極力抑えるという戦略で、さらに世間の関心を集めました。

このページでは、そんなビーイング系アーティスト大躍進の立役者である「織田哲郎」についてお話します。

「シンセサイザーを操りダンスミュージックを日本に定着させた」のが小室哲哉であるならば、織田哲郎は「ロック」を大衆のものにしたアーティスト、プロデューサーであるといえます。

 

【筆者に聞いてみました】当時のビーイング系アーティストの印象

Q.(Webon編集部)当時ビーイング系のアーティストがテレビに出ないことをどのように感じていましたか?

A.(筆者 シン)ビーイング系アーティストは「顔がわからないこと」をよく取り上げられていた思い出があります。 ZARDの坂井泉水、大黒摩季など、みな総じて美人でもあったので、ちらっと横顔が映るくらいのことでも歌番組では話題になっていました。 ライブをした時には大きくニュースとして取り上げられていました。 不思議にも思っていましたが、アーティストのビジュアル面も重視されていた時代だったので、イメージを守るためかな?くらいには思っていました。 あくまで小学生当時の印象なのであてになりませんが、顔を見せない=同じ事務所の人、くらいの認識はあったように思います。

 

織田哲郎の基本情報

名前 織田 哲郎(おだ てつろう)
生年月日 1958年3月11日
出身地 東京都
職業 シンガーソングライター/作曲家/プロデューサー
累計4000万枚以上のシングルセールスを記録。日本音楽史上歴代作曲家売上げランキング第3位。相川七瀬「夢見る少女じゃいられない」ZARD「負けないで」TUBE「シーズン・イン・ザ・サン」中山美穂&WANDS 「世界中の誰よりきっと」B.B.クイーンズ「おどるポンポコリン」DEEN「このまま君だけを奪い去りたい」WANDS「世界が終わるまでは…」KinKi Kids「ボクの背中には羽根がある」など数多くのヒット曲を生み出している。

 

織田哲郎の楽曲の魅力・特徴

 

以下では1990年代J-POPにおけるヒット請負人であり、今も愛され続ける「織田哲郎」の魅力と、そのサウンドの特徴を5つの項目に分けて考察してみたいと思います。

以下の曲あたりを聴いていただくと、いわゆる“織田哲郎サウンド”のつかみはOKといったところでしょう。この項目で説明する5つの特徴を、以下の曲は全て兼ね備えています。

◆FEELD OF VIEW「突然」
◆ZARD「心を開いて」
◆WANDS「世界が終るまでは…」
◆DEEN「このまま君だけを奪い去りたい」

 

① 心地よいロックサウンド

 

生音にこだわった「心地よいロックサウンド」。それが織田哲郎の持ち味。

ちなみに最近見つけた“ザ・織田サウンド”は人気アイドルデュオKinKi Kidsのアルバム曲「ヒマラヤ・ブルー」。

あくまで私が思う織田哲郎節ではありますが、久しぶりに全開の織田サウンドを聴いたな、という満足感がありました。

 

意外にも彼は、プロデュース作以外の、提供した曲に関しては「曲を渡したあとはおまかせ」というスタイルだそう。

それゆえ一般のリスナーと同じタイミングで完成形を耳にすると聞いたときには衝撃を受けました。

世界観も密に共有しているのではと思うような、歌詞や声との絶妙なマッチングを数々目の当たりにしてきたからです。

 

② 清涼感のある夏っぽさ

 

織田哲郎サウンドをざっくりとした言葉で表現してみると、

「なんかCMで聴いた!」
「どこか夏っぽい」

とでも言いましょうか。

 

「夏っぽい」と言っても暑苦しいとは程遠い“清涼感”に近いものを感じませんか。

清涼飲料水のCMに起用されることが多かったのはそのせいかとも思うほど、透き通ったサウンドが特徴的です。(ちなみに彼自身のヒット曲「いつまでも変わらぬ愛を」も清涼飲料水のCMソングに採用されています。)

青春を思わせる爽快感や疾走感も彼の楽曲の持ち味といえます。

 

③ サビの場所がわかりやすい

 

織田哲郎の作る楽曲は「ここがサビ」だと分かりやすいのも特徴のひとつ。

サビのメロディがキャッチーなのはもちろん、サビまでの展開(盛り上がり)の作りかたが絶妙なのです。

ヒットの典型であるカノン方式(日本のヒット曲でよく使われるコード進行)を使うにしても、微妙な転調を使いながらサビへ向かうことで、明らかな盛り上がりを作る。

これは計算なのか、果たして天才なのか…きっといずれも当てはまることでしょう。

 

④ 日本語が映える

 

さらに織田氏の曲には日本語が乗りやすく、日本語が映えるという特徴もあります。こればかりは共同制作者との合わせ技、あるいは戦略かもしれませんが。

日本人が好きそうな、ある意味では歌謡曲的なロック。

複雑すぎず、きちんと耳に入り、繰り返し歌える。

歌謡曲とロックの出会いというのは、70年代にグループサウンズらによってすでに生まれた形ではあります。

それを90年代、当時の若者向けにブラッシュアップしたのが織田哲郎の功績かもしれません。

 

グループサウンズ

1960年代後半に活動したロックグループ。主にボーカル・エレクトリックギター・エレクトリックベース・ドラムという編成がされていた。初期人気グループには「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」「ザ・スパイダース」がいた。

▼ジャッキー吉川とブルー・コメッツの代表曲。1967年発売。レコード売上150万枚。

 

⑤ 歌いやすい

 

彼の曲は、キーがちょうど歌いやすいところにある、というのもヒットの秘訣であると考えます。

女性曲もさほど高いキーは使用せず、男性曲も低すぎるキーは使用しない。

言い方を変えれば、女性リスナーでも男性アーティストの曲を歌うことができる、逆もまたしかりということ。

時代はまさにカラオケブームに突入したころ。

歌いやすいヒット曲となれば、愛されるのは必然です。

 

メロディとは音の高低や緩急で成り立ちますから、使える音域は広ければ広いほうが、生まれる曲のバリエーションも広がります。

しかし彼はミドルの音域のなかで、絶妙に変調を使いながら、とびぬけて美しいメロディを作ってしまう。

加えてイントロや間奏、アウトロ(楽曲の終わり部分)にちりばめられた、鍵盤やギターによる特徴的で美しいリフ。

まさに曲のはじまりから終わりまで「織田哲郎の曲だ」と感じさせる要素がいくつも含まれています。

 

織田哲郎はオンリーワン

 

オンリーワンのアーティストであり、ヒットメーカー。

どれほどの数の青春を彼の曲が彩ったのか、私には想像もつきません。

 

ここまで書いても、そして調べても、織田哲郎サウンドを詳しく分かりやすく、音楽的にも直感的にも納得のいく分析に、私はまだ出会っていません。

なぜなら織田哲郎の曲はとにかく幅が広く、底が知れない。ハードロックからポピュラー、ボサノヴァまで、あらゆる音楽を生み出し、世に定着させてしまう。

そこには進化はもちろん、先ほど述べた「ヒマラヤ・ブルー」のような原点回帰を感じさせる曲もあります。

いつの時代にあっても、誰が歌おうとも揺るがない織田哲郎サウンド。

一度、頭のなかをのぞいてみたい。

彼になって美しいメロディを生み出してみたい。

そう思わずにいられないアーティストです。

 

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目次著者

著者 シン アキコ

30代前半女性。邦楽ファン歴25年。70年代、80年代、90年代の邦楽を愛しています。「歌詞」「曲が生まれた背景」「当時の流行との関連性」などを分析することが好き。

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はじめに

1990年代は「バブル経済の崩壊」「松本サリン事件」「少年犯罪の増加」など、暗いニュースが多かった時代。しかしどんなときでもエンターテイメントは屈しない、そんなエンタメ文化の「アツさ」を筆者は感じていました。

1990年代とはどんな時代だったのか?

第1章 ムーブメント

ここでは90年代J-POP界の3つの主要なムーブメントを解説!当時は現在でも活躍するバンドが多く登場し、ドラマでは野島伸司作品が物議を醸し、猿岩石・野猿などバラエティ発のヒット曲が多く生まれたそんな時代。

90年代活躍したバンド
ドラマタイアップ=ヒット 
バラエティ発のヒット曲

第2章 ヒットメーカー

ここでは90年代のブームの立役者3人を解説!「TKブーム」「つんく♂の魅力」「ビーイング系アーティストの台頭」。あの時なぜ流行っていたかはこの3人を知れば見えてくる!

小室哲哉
つんく♂
織田哲郎

第3章 ヒット曲20選

「有名な曲を改めて味わう」 をテーマに90年代感を堪能できる名曲を選出。90年代J-POP界の雰囲気を名曲とともに振り返ってみましょう。

【男性ボーカル編①】
【男性ボーカル編②】
【女性ボーカル編①】
【女性ボーカル編②】

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90年代J-POPヒット曲おすすめ20選 【女性ボーカル編①】

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この章では「有名な曲を改めて味わう」をテーマに、私がおすすめしたい名曲20選を【男性ボーカル編】【女性ボーカル編】に分けて紹介いたします。

90~99年における各年の年間売上げトップ50を参考に、とくに90年代の雰囲気を感じられる曲をセレクションいたしました。

心に残るフレーズや好きな歌詞も添えながら、ほんの数曲ですがご紹介・解説をしていきたいと思います。

以下では女性ボーカルのおすすめしたい名曲10選を順不同で紹介します。

 

① Diamonds(プリンセス プリンセス) ~バブルのキラキラを思い出す~

リリース年月 1989年4月21日
オリコン 1989年度年間1位
収録アルバム 「SINGLES 1987-1992」
「The Greatest Princess」
「プリンセス プリンセス大全集」
「The Last Live」
ソニー「オーディオテープ」スズキ「Kei-SPORTS」のCMソング。プリンセス・プリンセスがリリースしたシングルの中で唯一ミリオンセラーを達成した自己最高ヒット曲。

 

「Daiamonds」リリースは1989年。根強い人気で90年のセールスベスト50にも名を連ねてはいるものの「90年代リリース」をご紹介する章でピックアップすべきかは悩むところでした。

しかし「Diamonds」以上に90年代初頭の空気感をもつ楽曲がないのです。

 

リリース時、日本はまさにバブル景気のなかにありました。私は当時まだ幼く、好景気に活気づく日本というのは記憶の片隅にほんの少ししか残っていません。

当時をキラキラしたもののように思うのは、楽しいことしかなかった子どもであったからなのか、本当に世界がきらめいていたのかはわかりません。

でも「Diamonds」を聴くと、プリプリの当時のライブ演奏を観ると、笑顔いっぱいのファンを見ると…記憶の片隅の、あの“キラキラ”を思い出すのです。

 

ダイアモンドだね いくつかの場面
うまく言えないけれど 宝物だよ
あの時感じた 予感は本物
今 私を動かしてる そんな気持ち

引用:プリンセス プリンセス「Diamonds」作詞 中山加奈子/作曲 奥居香

 

「ブラウン管」「針がおりる瞬間」「はじめて電話するとき」…

これらのワードに胸がときめく世代にしかわからない、ダイアモンドみたいに輝く時間。ずっと汚れることなく、それぞれの想い出に刻まれていることでしょう。

ちなみにこのシングルのB面は「M(プリンセス・プリンセスの代表曲のひとつとされている)」。なんとも豪華なシングルCDですね。

 

② サイレント・イヴ(辛島美登里) ~90年代を代表する冬の名曲~

リリース年月 1990年11月7日
オリコン 週間1位/1991年度年間12位
収録アルバム 「GREEN」
「SINGLES」
「GOLDEN☆BEST 辛島美登里」
 TBS系ドラマ「クリスマス・イヴ」主題歌。80万枚を売り上げる自身最高のヒット作。

 

辛島美登里は、現在はあまりテレビで見かけることがありませんが、90年代には音楽バラエティ等に時々出演することもあり当時を知る人にとっては身近な存在かと思います。

「なんて歌のうまい人だろう」

辛島美登里の歌を初めて聴いたときの衝撃は今でも覚えています。

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90年代J-POPヒット曲おすすめ20選 【男性ボーカル編①】

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この章では「有名な曲を改めて味わう」をテーマに、私がおすすめしたい名曲20選を【男性ボーカル編】【女性ボーカル編】に分けて紹介いたします。

90~99年における各年の年間売上げトップ50を参考に、とくに90年代の雰囲気を感じられる曲をセレクションいたしました。

心に残るフレーズや好きな歌詞も添えながら、ほんの数曲ですがご紹介・解説をしていきたいと思います。

まずは男性ボーカルのおすすめしたい名曲10選を順不同で紹介します。

 

① 浪漫飛行(米米CLUB) ~バブルを感じたいならこの曲~

リリース年月 1990年4月8日(シングル『浪漫飛行』)
オリコン 1990年度年間2位
収録アルバム 「KOMEGUNY」 
「DECADE」
「HARVEST SINGLES 1985-1992」
「HARVEST SINGLES 1992-1997」
「STAR BOX」
「米~Best of Best~」
累計売上は約170万枚。1990年にJALの沖縄旅行「JAL STORY 夏離宮キャンペーン」のCMイメージソングに起用。

もともと87年のアルバム「KOMEGUNY」 に収録されていた米米CLUBの「浪漫飛行」。

▼アルバム「KOMEGUNY」(画像クリックで無料聴き放題有)

90年にJAL沖縄旅行のCMイメージソングに起用されシングルカット。ミリオンヒットを記録しました。

沖縄旅行のCMは当時かなりインパクトがあったので、印象に残っている方も多いでしょう。

CMのイメージなのか、TVで見ていた彼らの想い出なのか…米米CLUBはゴージャスな衣装を身にまとい全身で音楽を楽しむ、キラキラ輝いている集団でした。

米米CLUBは自分たちが楽しむことで、見る者聴く者を楽しませてくれた。

私の記憶のなかの「バブル」を象徴する存在、それが米米CLUBです。「浪漫飛行」を聴けばバブル時代の雰囲気を充分に感じることができるでしょう。

 

イントロから続く特徴的なベース音が静かに躍動感を演出。

Aメロ~Bメロと次第に雲が割れ、サビでは一気に青い空が広がる、

そんな曲展開。

同じく90年代にヒットした米米CLUBの「君がいるだけで」と比較すると、実は暗めで複雑なコード進行が用いられています。

 

複雑なコード進行とは
コードとは「ドとミとソ」「レとファとラ」など複数の音を重ねた音のこと。曲は「基本的なコード進行」というものに沿って作られているものが多い。基本的なコード進行とはつまり「このコード進行であれば曲として形になる」というもの。それに対して複雑なコード進行とは基本的なコード進行ではあまり見ないコード進行の曲や、あまり普通では使われないコードが出てくる曲などが該当する。

 

そこから「逃げ出す」ことは誰にでもできることさ
あきらめという名の傘じゃ 雨はしのげない

引用:米米CLUB「浪漫飛行」作詞作曲 米米CLUB

 

2番のAメロ(楽曲に歌い出しから曲調が変わるまでのパート)でサラっと歌われているこのフレーズ。

私にはとても印象深く、悩んだときにふと思い出すことがあります。

 

いつかその胸の中までも くもらぬようにRight Away
おいかけるのさ My Friend
トランク一つだけで浪漫飛行へ In The Sky
飛びまわれ このMy Heart

引用:米米CLUB「浪漫飛行」作詞作曲 米米CLUB

 

この曲はラブソングのようでもありながら、「My Friend」という言葉も使われているように友情あるいは不特定多数に向けたメッセージであると思っています。

「浪漫飛行」というタイトルがそもそもいいですよね。素敵なセンスだといつも思います。

米米CLUBは現在もライブ活動を行っており、ボーカルのカールスモーキー石井こと石井竜也の変わらない歌声も健在。

▼「浪漫飛行」(期間限定無料聴き放題有)

 

② Endless Rain(X JAPAN) ~社会現象となった伝説のバンドの名曲~

リリース年月 1989年12月1日
オリコン 週間3位/1990年度年間21位
収録アルバム 「BLUE BLOOD」
「X SINGLES」
「B.O.X~Best of X~」
「BALLAD COLLECTION」
「STAR BOX」
「X JAPAN BEST FAN’S SELECTION」
映画「ZIPANG」のテーマソングに起用。ライブではほぼ毎回演奏され、ファンとの合唱が行われる。作詞作曲はYOSHIKIとなっているが、ギターソロはHIDEが作曲した。

【編集部コラム】X JAPANってどんなバンド?

1990年代にはビジュアル系バンドブームが起きます。日本のビジュアル系の元祖と言えばX JAPAN(1989年に「X」でデビューし1992年に改名)。1989年にリリースされた「紅」は1989年日本有線大賞の最優秀新人賞受賞曲に選ばれました。髪型やファッションを真似る人が現れ社会現象となるほどのムーブメントを巻き起こしました。

 

当時のXあるいはXJAPANはバンドの激しいイメージが定着・先行しており、破壊的なパフォーマンスやビジュアル面ばかりが注目され、彼らのファンも含め世間からは「触るな危険」といった雰囲気がありました。(デビュー当時にはYOSHIKIの戦略でバラエティにも多数出ていましたが)

「Endless Rain」は当時一般層が抱いていたXのイメージ(派手、怖い)を覆し、世間にXというバンドの音楽性の高さを知らしめた曲であると私は認識しています。

デビュー当時のベーシスト、Taijiこと沢田泰司の持ち味である“歌うようなベースライン”が聴きどころのこの曲。間奏部分は必聴です。

Toshlの、ややハスキーな低音とクリアなハイトーン。魂の歌声。

Yoshikiの真骨頂、X JAPANならではのメロディアスなロックバラード。

彼の独白を思わせる、どこか悲壮感をまとう美しい歌詞。

hide、PATAのツインギターによる重厚感のあるサウンド。

バンドサウンドの“印象”というものはやはりギタープレイが担う部分が多く、「X JAPAN」の音はこの2人の音なのだと思うのです。

発売当時から20年以上の月日が経ったとはとても思えない、ロックバラードの最高傑作です。

「Endlles Rain」期間限定無料聴き放題有

【筆者コラム】X JAPANのライブ
2017年に念願だったX JAPANのライブに初めて参加することができた私。Toshl(X JAPANのボーカル)の煽り、歌声には、聴衆を圧倒させるすさまじいカリスマ性を感じました。鳥肌が止まらない、そんな体験は久しぶりのことでした。小さな声、優しい口調で話す普段の姿からは想像もつかないほどのパワー。かつて社会現象となった伝説のバンドは健在でした。ラストはもちろん「Endless Rain」。

 

③ 愛は勝つ(KAN) ~90年代に誰もが聴いた曲~

リリース年月 1990年9月1日
オリコン 8週連続週間1位/1990年12月度・1991年1月度月間1位
収録アルバム 「野球選手が夢だった。」
「めずらしい人生」
「The Best Singles FIRST DECADE」
「IDEAS the very best of KAN」
「弾き語りばったり #19 今ここでエンジンさえ掛かれば」
「la RINASCENTE」
第33回日本レコード大賞を受賞し、売上累計枚数は200万枚を超える。

 

「愛は勝つ」はフジテレビ系人気バラエティ番組の「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ(1989年~1992年放送)」の挿入歌になったことをきっかけに大ヒットを記録しました。

90年代を代表する曲といっても過言ではありません。とにかくよく聴かれ、よく歌われた曲。まさしく90年代に誰もが聴いた曲といえます。

 

典型的なカノン方式(日本のヒット曲でよく使われるコード進行)を用いた、シンプルイズベストともいうべき楽曲。敬愛するビリージョエルの楽曲を模倣したという、ピアノによる印象的なイントロから始まります。

 

ビリー・ジョエル

1949年生まれ。アメリカ出身のシンガーソングライター。全世界で1億5000万枚以上のレコード・セールスを記録。1973年にリリースのアルバム「ピアノ・マン」が大ヒットとなる。

▼「ピアノ・マン」公式MV

 

私が好きなのはこの楽曲の歌い出し。

 

心配ないからね 君の想いが誰かにとどく明日がきっとある

引用:KAN「愛は勝つ」作詞作曲 KAN

 

KAN自身は気に入らないと話していたこともあるようですが「心配ないからね」という、これ以上なく優しい言葉がたまりません。

「心配ないよ」でも「心配すんな」でもなく「心配ないからね」。

寄り添うようなあたたかい言葉に、救われた人もいることでしょう。

KAN独特のハスキーな声も、まっすぐなメッセージを届けるこの曲にはぴったりでした。

 

 

④ はじまりはいつも雨(ASKA) ~ASKAのソロ最大のヒット曲~

リリース年月 1991年3月6日
オリコン 週間2位/1991年度年間5位
収録アルバム 「SCENE Ⅱ」
「ASKA the BEST Selection 1988-1998」
「SCENE Ⅰ&Ⅱ limited edition」
「SCENE of SCENE 〜selected 6 songs from SCENE I,II,III〜」
「12」
「We are the Fellows」
パナソニック「HALFコンボ」CMソング。映画「おいしい結婚」主題歌。第33回日本レコード大賞で、作曲賞、ゴールドディスク賞、最優秀歌唱賞を受賞。第6回日本ゴールドディスク大賞ではシングル・ベスト5賞を受賞している。

 

90年代初頭に大活躍した人気デュオ・CHAGE&ASKA。おもに主旋律を歌うASKAの声、そしてCHAGEとの絶妙なハーモニー、いわば「CHAGE&ASKA」の声は、90年代を象徴するものといえます。

「はじまりはいつも雨」は、そんな“あのころ”を思い出させてくれる名曲。

ちょっぴりキザで優しいラブソングを作らせたら右に出る者はいないASKAのソロ最大のヒット曲です。

 

君に逢う日は不思議なくらい 雨が多くて
水のトンネルくぐるみたいで しあわせになる

引用:ASKA「はじまりはいつも雨」作詞作曲 飛鳥涼

 

雨というありふれた出来事も、ソングライターにとっては物語となりラブソングとなるのだなぁとつくづく才能を感じます。

 

君の名前は 優しさくらいよくあるけれど
呼べば素敵な とても素敵な 名前と気づいた

ASKA「はじまりはいつも雨」作詞作曲 飛鳥涼

 

アーティストの描く言葉を、すべてかみ砕き解釈することは到底無理な話。

もちろんASKAの歌詞も同じくです。

しかし、ASKAの紡ぐ言葉にはゆるぎない優しさを感じる。

そして言葉の選択がとても美しい。

彼の作るラブソングにはいつも“ときめき”を感じます。

 

今夜君のこと誘うから空を見てた はじまりはいつも雨 星をよけて

引用:ASKA「はじまりはいつも雨」作詞作曲 飛鳥涼

 

雨が降ると聴きたくなる曲。

憂鬱な雨も、悪くないなと思える名曲です。

 

 

⑤ 涙のキッス(サザンオールスターズ) ~90年代を振り返るシーンで流れる名曲~

リリース年月 1992年7月18日
オリコン 7週連続週間1位/1992年8月度月間1位/1992年度年間5位
収録アルバム 「世に万葉の花が咲くなり」
「HAPPY!」
「海のYeah!!」
「バラッド3 〜the album of LOVE〜」
 TBS系ドラマ「ずっとあなたが好きだった」主題歌。au「LISTEN MOBILE SERVICE」キャンペーンソング。サザンオールスターズ初のミリオンセラー。累計売上枚数は約155万枚。

 

「ドライブのときにいつも聴いていた」

サザンの曲を語るとき、よく耳にする言葉です

TVで90年代当時を振り返るシーンがあると、BGMに流れるのは大抵「涙のキッス」や「真夏の果実」といったサザンのバラード。それほど、サザンの曲はたくさんの人の青春、恋愛、人生とともにあるのでしょう。

 

サザンオールスターズの“サザンらしさ”の正体とは。私はずっと考え続けています。「サザンはサザンをパクり続けている」そんな印象があります。サザンをリバイバルし続けている、サザンをトリビュートしている。そんなかんじ。

常に新しいチャレンジを取り込みながらも、根底にあるゆるぎない「サザンらしさ」の正体。それをいつか解き明かしたいと常々思っています。

 

そのサザンバラードの根っこを感じるのが「涙のキッス」。

とはいえサザンにすればすでに31枚目のシングルにあたるのですが。

歌詞に描かれているのは、悲しい、ツライ、泣きたい、悔しいではなく。

愛していたこと、別れを受け入れること、相手の幸せを祈ること、でも「もう一度だけ」と願うこと。失恋の曲ながら、温かみのあるメロディに似合う、優しい気持ちのラブソング。

 

ふられたつもりで生きてゆくには 駄目になりそうなほど 悲しみが消えない

引用:サザンオールスターズ「涙のキッス」作詞作曲 桑田佳祐 編曲 サザンオールスターズ/小林武史

 

“ふられたつもり”という言葉が気になりますね。事実はどうなのでしょうか。

「誰よりも愛してる」「もう一度だけでも」という、叶わない願いが切ない1曲です。

 

 

【男性ボーカル編②】に続く

 

『90年代J-popヒット曲入門』目次へ  (全11ページ)



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目次著者

著者 シン アキコ

30代前半女性。邦楽ファン歴25年。70年代、80年代、90年代の邦楽を愛しています。「歌詞」「曲が生まれた背景」「当時の流行との関連性」などを分析することが好き。

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角松敏生ライブの魅力・疑問をファン歴30年以上が徹底解説!

このページの監修・解説

監修・解説 しあ
40代後半女性。角松敏生のファン歴30年以上。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。全部チケットの半券をとっているのでとても大切な想い出です。

 

角松さんのライブに行ったことがない方は「どんな雰囲気のライブなんだろう…」「初心者だけど大丈夫かな…」など不安を感じて、会場に足を運ぶことを躊躇している方もいるのではないでしょうか?

そんな初心者の方に向けて『角松敏生入門』著者のしあ氏が解説!

角松さんのライブの魅力と初心者の方が抱くであろう疑問にしあ氏が回答しました。角松さんのライブは初心者の方でも楽しめるので、是非このページで不安を解消してライブに参加してみてください。

 

▼まずは角松敏生さんがどんな人か知りたい方は「5分でわかる!角松敏生」をご覧くださいませ。

 

▼さらに詳しく角松敏生さんについて知りたい方はWebon『角松敏生入門』(全15ページ)をお読みください!ページは順次追加中!

 

角松敏生のライブの魅力!3つの注目ポイント!

まずは角松敏生さんのライブの3つの注目ポイントを解説していきます。

 

① 紙ヒコーキが飛び交う光景!

 

角松ライブに参加する際に、用意しておきたいのが紙ヒコーキです。

「TAKE YOU TO THE SKY HIGH」という曲の時に観客は一斉にステージに向かって紙ヒコーキを飛ばします。

 

TAKE YOU TO THE SKY HIGH

「TAKE YOU TO THE SKY HIGH(テイク・ユー・トゥ・ザ・スカイ・ハイ)」は、1983年にリリースされた通算3作目となるシングル。髭剃りのShickのCMにも使われた曲。

▼画像クリックで商品詳細へ

 

カラフルな色の紙ヒコーキが飛ぶかう光景は、とても楽しく美しい。

特に2階席前方から見る光景は圧巻です。ステージにはどっさりと紙ヒコーキが積もり、サックスの本田雅人さんが、福岡空港や広島空港など各地の空港名をつけて、写真や動画でTwitterに上げてくれています。

 

 

角松ライブに行く際にはぜひ紙ヒコーキの準備を!

もしかすると、やらない…ということもあるかもしれませんが、近年のライブでは定番ですので大丈夫だと思います(笑)

よく飛ぶ折り方ときれいな紙で準備してくださいね。

 

② 角松を支える一流ミュージシャン

 

私は、角松ライブで

「ミュージシャンの音を楽しむ喜びに出逢った」

と言っても過言ではないほど各ミュージシャンの奏でるその音に心を奪われています。

角松さんのライブでは、角松さんへはもちろんのこと、ミュージシャンにも最大の愛情とリスペクトを持つことは鉄則。

特に角松さんファンではないけれど(嫌いではない)、そのミュージシャンのファンなので角松ライブに来る、という人もいますよ。

とにかく「角松さんのライブとは?」というと、

「角松さんと一流のミュージシャンの音楽を堪能できる素晴らしい場所!」

ということになると思います。

 

角松敏生を支える一流ミュージシャンについてはこちらのぺーいで紹介!

 

③ ライブパフォーマンスの高さ!

 

角松さんはこだわりにこだわり抜いたCDのクオリティが素晴らしいのはもちろんですが、それを再現するライブにも力を入れてきました。

そのライブパフォーマンスの高さは「素晴らしい!」の一言。

CDとは違ったアレンジでファンを楽しませたり、間奏などで各ミュージシャンのソロコーナーを聴かせたりと、ライブだけの楽しみを持ってきているのも角松ライブの特徴。

一見、線の細い角松さんですが、そのライブの熱量はとてもすごいです。

あの細い体から繰り広げられるパフォーマンスは圧巻。

58歳(執筆現在)ですが、若いころよりもボーカルスキルがとても高く、声の美しさもさらに増し、表現力も含めてバラードには聴きほれてしまいます。

 

角松敏生のサウンドの魅力についてこちら!

 

角松敏生ライブ初心者の疑問と回答

 

角松さんのライブに行ったことがない方は「初心者だけど大丈夫かな…」など不安を感じて会場に足を運ぶことを躊躇している方もいるのではないでしょうか?

以下では初心者の方が気になる疑問に『角松敏生入門』の著者・しあ氏が回答いたしました。角松さんのライブは初心者の方でも楽しめるので、是非不安を解消してライブに参加してみてください。

 

Q.初心者でもライブに参加しても楽しめる?にわかでもOK?

A.大歓迎です。

初心者の方でも音楽が好きなら、角松敏生さんに興味があるなら楽しめると思います。初心者の方の参加を嫌だとは思いません。むしろファンが増えることを望んでいるので、大歓迎です。

 

Q.初心者が知っておくべき独特のノリはある?

A.これといった決まりなどはありません。

これといった決まりなどはありません。

ただ角松さんの音楽に身を委ねて自分の楽しみ方で大丈夫です。

みんなが立っているからといって、必ず立たないといけないわけではありせん。

 

Q.代表曲を知っているだけでも楽しめる?

A.少なくとも最新アルバムは聴いてからの方が楽しめるかなと思います。

代表曲が必ずセットリストに入るとは限りません。また、同じツアーでも、セットリストの中の数曲が変わったりする場合もあります。代表曲だけしか知らなくても、もしくは全く曲を知らなくても、角松敏生さんに興味があるなら、楽しめると思います。

 

 

ライブに行きたい=角松さんが好き、という事だと思うので。大抵ライブツアーは、ニューアルバムに合わせて行われることが多いです。ですので、少なくとも最新アルバムは聴いてからの方が楽しめるかなと思います。

もちろんライブで初めて最新アルバムの曲を聴いて気に入ったら、会場でCDを買ってもよいと思います。

 

▼最新アルバム『東京少年少女』(聴き放題無料体験有)

Q.セットリストは調べてから行った方がより楽しめる?

A.あくまでも個人の判断で。

セットリストを知っておいたほうがよいかは本当に人それぞれです。ライブの内容も含めて、いわゆる「ネタバレ」というものですが、私自身はネタバレOKです。
セットリストも含めて、どんな内容かなど知りたいタイプです。

単純に知りたいからですし、知ったからといって当日の楽しみが私の中で減ることはないからです。

ただ、世の中にはネタバレOKの人と、絶対にネタバレは嫌だという人がいますので、私は絶対にネット上で言う事はないです。

でも、必ずネタバレを言う人はいます。

否定派の人は、ネタバレをする人に対して怒ったりしますが、自分の参加するライブまで、SNSなどを見ない、という防御策も必要なのでは、と思っています。

通常、ライブでは、終演後にその日のセットリストがロビーに張り出されることが多く、それは撮影OKです。ですが、角松さんの場合は張り出されることがほぼありません。

この先あるかもしれませんが…。

セットリストの調べ方については、SNSやブログなどで誰かが書いていることが多いです。角松敏生 地名などで検索すれば感想やネタバレが出てきます。

私は、このサイトで調べたりもします。

【LiveFans】https://www.livefans.jp/

あくまでも個人の判断で利用して頂ければと思います。

 

Q.客層は?(年齢や男女比)

A.40代以降が中心です。6対4で女性が多いでしょうか。

客層は40代以降が中心です。50代以降が一番多いですが、親子連れもいます。
男女比は半々、もしくは6対4で女性が多いでしょうか。男性ファンもとても多いです。

 

Q.どういう人を誘って行ったら楽しめる?一人でも大丈夫?

A.誘うなら自分のことを理解してくれている人がおすすめ。

角松さんに限らず、そのアーティストに興味を持っていない人を誘うのは誘われた人にとって苦痛かもしれません。

なぜなら、好きでもない人の歌を何時間も聴くのは結構疲れるからです(経験あり)。誘うなら、恋人や夫、妻、親友など自分のことを理解してくれている人がおすすめ。

一緒に行く人がいない場合は思いきって一人で行くのがおすすめ。

気兼ねなく楽しめます。

一人で来ている人も多いですから大丈夫です。

 

Q.グッズ買うならどれくらい前に行けばいい?ペンライトなど必要なものはある?

A.開場時間のだいぶ前から並ぶ必要は無いと思います。

角松さんの場合、そんなにグッズがあるわけではないので開場時間のだいぶ前から並ぶ必要は無いと思います。絶対に欲しいグッズがある場合は少し早めに会場にいたほうがいいかとは思います。ライブ中に持っていたら楽しめるグッズ(タオルやペンライトなど)というのは基本的にありません。

 

Q.どのような服装で行けばよいか?(綺麗め?動きやすい方が良い?)

A.どんな服装でもOKです。

どんな服装でもOKです。

ただ、やはりライブというものは特別な空間。おしゃれをして行ってほしいと思います。自分の気持ちも上がりますし。

お気に入りの服、自分に似合った服装で楽しめればいいと思います。会場内は空調により冬でも暑い、夏でも寒いなどありますので羽織るもので調節するのがおすすめ。

ホールライブがほとんどですし、立ちっぱなしではないので、そんなに気にする必要はないと思います。

また、エコバッグを持っていくことをおすすめします。買ったグッズを入れたり、脱いだ上着を入れるのに便利です。

バッグを床に直に置くのが嫌な人は、エコバッグなどに入れて置くのにもおすすめです。

 

Q.ライブの時間は大体どのくらいでしょうか。

A.大体3時間ぐらいが基本です。

 

Q.紙ヒコーキはグッズ売り場にありますか。

A.売っていないので自分で折っていきましょう。

紙ヒコーキはグッズとして売っていません。自分で折っていかないといけません。今はいろんな種類の紙があるので素敵な紙ヒコーキが折れます。

 

Q.ステージに紙ヒコーキが届かないお客さんは飛ばす必要はないのでしょうか。

A.紙ヒコーキは飛ばすことに意味があります。

紙ヒコーキは飛ばすことに意味があるのでステージに届く届かないは関係ありません。客席に落ちた紙ヒコーキをまた別のお客さんが飛ばしたりします。

 

Q.他に知っておいた方が楽しめる点はなんでしょうか。

A.ただただ楽しめばOKです!

これといった決まりはありません。

ライブはみんなで創るもの。

角松さんに身を任せて、ただただ楽しめばOKです!

 

Q.チケットを取るおすすめの方法は?

A.一般発売はあまりチケットが残っていないことも。

FC(ファンクラブ)先行が一番良席になります。

その次に角松さんのサイトの、無料のWEB会員チケット先行がおすすめです。

角松敏生オフィシャルサイト

あとは、各イベンターの先行、ぴあやローソンイープラスなどの先行がおすすめ。

▼ぴあ

チケットぴあ

一般発売が一番最後なので、人気公演はあまりチケットが残っていないことも。

席の良し悪しは運にもよりますが、とにかく先行で申し込むのが確実にチケットをとるコツです。

 

【チケット代参考】

2019年5月11日-6月29日開催の『Tokyo Boys&Girls』は指定・立見9000円(税込)

 

 

以上、角松さんのライブの魅力と初心者の方の疑問に回答いたしました。ファンにとっても、角松さんのファンが増えることは嬉しいことだと思います。CDで聴くのももちろんよいですが、角松さんの魅力を最も感じられるのはライブだと思いますので、ぜひ参加していただきたいです。

▼角松さんについて詳しく知りたい方は『角松敏生入門』を是非ご覧ください!ページは順次追加中!(掲示板もありますので角松さんへの想いを存分に書き込んでください!)

『角松敏生 入門』(全15ページ)

 

現在Tokyo Boys&Girls開催中!ライブに参加予定ならこちらのアルバムを聴いてから参加するのがおすすめ!

▼アルバム「東京少年少女」(聴き放題無料体験有)

 

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KANさんの仲間

Webon紹介目次著者
KANさんは200万枚を超える大ヒット曲「愛は勝つ」で有名ですが、この曲はKANさんのほんの一面に過ぎないのです。ファン歴30年がKANさんの魅力を人柄・ライブ・楽曲に分けて徹底解説!

『KAN』入門 ~「愛は勝つ」だけじゃない!天才であり変態!類まれなソングライター~はこちらから!

著者:しあ

40代後半女性。KANのファン歴30年。1988年「BRACKET」を聴いて感動したのが出逢い。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。

お問い合わせはこちらから

『KAN入門』目次へ  (全12ページ)

 

KANさんは、アーティスト仲間との交流もさかんで、さまざまなアーティストからもリスペクトされている存在。ライブや楽曲でのコラボもあります。そんなKANさんの交友関係をご紹介します。

交友関係を知ることで、KANさんという存在をより立体的に感じてもらえれば幸いです。

 

Mr.Children桜井和寿さん

名前 桜井和寿(さくらい かずとし)
生年月日 1970年3月8日
出身地 東京都
デビュー 1992年5月10日 アルバム「EVERYTHING」でメジャーデビュー
ロックバンドMr.Children のボーカル兼ギタリスト。CDの総売上枚数は6000万枚を突破。アマチュア時代からほぼすべての楽曲の作詞作曲を手掛ける。

 

桜井さんは、KANさんの音楽、特に詩の世界に影響を受けたそうで、KANさんの事をリスペクトしています。

KANさんの弾き語りライブに、シークレットゲストとして登場したこともあります。

2017年1月13日の、大分ホルトホール、小ホールでのライブです。200人ぐらい収容の小さなホールで、そこに桜井さんが現れたのですから大騒ぎです。その夜はネットが大騒ぎになりそのライブに参加した友人からもラインが来ており「桜井さんが来た」と興奮していました。

KANさんの「安息」という曲を、桜井さん作詞、KANさん作曲で共作しているのですが、この1曲を歌うために桜井さんはこのライブへ来ました。

▼「安息」(リンク先で試聴可能)

 

「安息」に、まだ歌詞がない頃は「ラララ~」だけで歌っていました。KANさんは、以前の弾き語りライブで、大分だけこの歌を歌い忘れてしまっていたことを気にしていたそう。

そこで桜井さんと飲んでいる時に「大分来てよ。」「いいですよ。」となったとの事です。

 

平井堅さん

名前 平井堅(ひらい けん)
生年月日 1972年1月17日
出身地 大阪府
デビュー 1995年5月シングル「Precious Junk」でメジャーデビュー
2002年にリリースされた「大きな古時計」で初のオリコンチャート1位を獲得。日本ゴールドディスク大賞の様々な部門で8回の受賞、またNHK紅白歌合戦には8回出場している。

 

平井堅さんも、KANさんの音楽に影響を受けた一人。

世間から「愛は勝つ」しか代表曲がないように思われがちなことに対して「それは間違ってる」と語ります。

平井さんは、いつかKANさんに曲を書いてほしいと思っていたそうです。

KANさんが、平井さんのために書き下ろした「Twenty!Twenty!Twenty!」は、詩、曲、アレンジ、全てを手がけたキャッチーでポップな渾身の1曲。

KANさんは、平井さんの物まねも上手です。

 

 

スターダスト・レビュー(スタレビ)

グループ名 スターダストレビュー
メンバー ・根本要(ギター、ボーカル)
・柿沼清史(ベース、コーラス)
・寺田正美(ドラム、コーラス)
・林”VOH”紀勝(パーカッション、コーラス)
デビュー 1981年5月25日 アルバム「STARDUST REVUE」シングル「シュガーはお年頃」でメジャーデビュー
デビューから35年以上経った現在でも年間70本を超える全国ツアーライヴを行い、その総数は2200回を超える。

 

ライブでの共演も多く、メンバー全員と仲がいいですが、一緒にラジオをやっていることもあり、特に仲がいいのが根本要さん。

この二人の話はとにかくおもしろい。

以前、要さんが軽い脳梗塞で入院した時、心配したKANさんからの連絡で「本当に全然大丈夫だから。すぐに来なくていいから」と要さん。

「あ、そうなの?」と思ったKAN でしたが、要さんの「ここの看護師さん、きれいな人多いわ」の一言ですぐに駆け付けたそう(笑)

スタレビのアルバム「SHOUT」は、要さん、KANさんの共同プロデュース。

 

杉山清貴さん

名前 杉山清貴(すぎやま きよたか)
生年月日 1959年7月17日
出身地 神奈川県
デビュー 1983年4月杉山清貴&オメガトライブとして「サマーサスピション」でデビュー/1986年5月「さよならのオーシャン」でソロデビュー
3枚目のシングルである1987年5月リリースの「水の中のAnswer」で初のオリコンチャート1位を獲得。ダイドードリンコのCMソングとして起用され、杉山清貴自身が出演した。

 

ライブでの共演も多く、杉山さんとも仲良し。

杉山さんが、冬でも半袖でいるぐらい元気だという事で、理由を聞いたらスッポンの粉末を飲んでいるとの事。

スッポンを、蒸すか焼くかしてすりつぶしたものなので、結構強烈な味だそう。

でも、健康のためと、KANさんもスタレビの要さんも飲み始めて、ラジオでも一時期スッポンの話が話題になることが多かったのです。

しかし、スッポンを飲んでいても要さんが軽い脳梗塞になったり、KANさんはしょっちゅう風邪気味で葛根湯を飲んだりで、結局「スッポンは杉山にしか効かないんじゃないか?」と要さん。

杉山さんは歌のイメージ通りの夏男で、年中サーフィンをやっているのが健康の秘訣なのでは?と、私は思いました…。

 

馬場俊英さん

名前 馬場俊英(ばば としひで)
生年月日 1967年3月10日
出身地 埼玉県
デビュー 1996年2月21日シングル「星を待っている」でデビュー
2007年の第58回NHK紅白歌合戦にデビュー11年目で初登場を果たし「スタートライン~新しい風」を披露。2009年に初めて大阪城ホールで単独ライヴを開催し、同年リリースのアルバム「延長戦を続ける大人たち」で初のオリコンチャートベスト10入りを果たす。

 

馬場さんとも仲良しです。

実は、KANさん、スターダスト・レビュー、杉山さん、馬場さんは「SSKB」というユニットを組んでいて、ライブも多く行っています。馬場さんを除いた「SSK」で活動することもあります。ユニット名は、それぞれの頭文字からです。

 

「SSKB」「SSK」について詳しくは「スターダスト・レビュー入門」で解説

 

KANさんが馬場さんへ提供し、二人のコラボ作品でもある「K点を超えるなら靴擦れを直せ」。

▼K点を超えるなら靴擦れを直せ(リンク先で試聴可能)

 

 

この曲の制作時、KANさんがものすごくエキサイトしていたそう。

馬場さんが「ここはこの方がいいんじゃ…?」と相談しても「いや、ここは絶対この方がいいんだって」と譲らなかったそう。

一応、馬場さんのアルバムなのに、KANさんがぐいぐい来てたそうです。

とってもおとなしく優しい人柄の馬場さんが、要さんのラジオのゲストでその話をしていたのが、愚痴っぽくておもしろかったです。

 

ASKAさん(CHAGE and ASKA)

名前 ASKA(あすか)
生年月日 1958年2月24日
出身地 福岡県
デビュー チャゲ&飛鳥として1979年8月25日シングル「一人咲き」でデビュー/1987年9月21日「MY Mr.LONERY HEART」でソロデビュー
CHAGE&ASKAとして1991年リリースの27枚目のシングル「SEY YES」がオリコンチャートで13週連続1位を獲得し、ダブルミリオンを記録。ソロでは第33回日本レコード大賞で最優秀ボーカル賞、優秀アルバム賞、作曲賞、第6回ゴールドディスク賞でベスト5・シングル賞など数々の賞を受賞。1995年リリースのシングル「晴天を誉めるなら夕暮れを待て」で初のオリコンチャート1位を獲得。

 

KANさんはASKAさんの事をリスペクトしています。

KANさんの曲「予定通りに偶然に」は、ASKAさんとの共作でボーカルでも共演。

同じ福岡県出身であり、子供の頃に偶然一緒に遊んだことがあるそう。

KANさんにはこの頃の記憶はないそうです。

KANさんが、馬場俊英さんへ提供し、コラボ作品でもある「K点を超えるなら靴擦れを直せ」。

このタイトルはASKAさんの曲「晴天を誉めるなら夕暮れを待て」に、インスパイアされてつけたものです。

KANさんが制作時にこだわりを持っていたのは、この曲に強い想いがあったからかもしれません。

 

藤井フミヤさん

名前 藤井フミヤ(ふじい ふみや)
生年月日 1962年7月11日
出身地 福岡県
デビュー 1983年9月21日「ギザギザハートの子守歌」でチェッカーズとしてデビュー/1993年11月10日「TRUE LOVE」でソロデビュー
デビュー曲の「TRUE LOVE」を始め1996年リリースの「Another Orion」などの楽曲でミリオンヒットを記録し、様々な曲がCMソング、ドラマや映画の主題歌に使われている。1997年リリースの「Go the Distance」はディズニー映画「ヘラクレス」のテーマソングとなり、ディズニー映画のテーマソングを歌った日本人初の歌手となった。

 

KANさんは現在(2019年)フミヤさんへの提供曲を制作中。

同じ福岡出身で同い年なのに「どうしてこうも待遇が違うんだ」と嘆いています。

要さんからは「フミヤは、カッコいいからしょうがないな。」と慰められています。

 

和田唱さん(TRICERATOPS)

名前 和田唱(わだ しょう)
生年月日 1975年12月1日
出身地 東京都
デビュー 1997年7月21日シングル「Raspberry」でデビュー
TRICERATOPSのボーカルとギターを担当し、ほぼ全ての曲の作詞作曲を行っている。1999年にリリースされた8枚目のシングル「GOING TO THE MOON」は大塚製薬のポカリスエットのCMソングとして起用され、初のオリコンチャートベスト5入りを果たした。

 

二人の出会いは、2008年のライブイベントで共演したこと。

TRICERATOPSがKANさんの「プロポーズ」をカバー。

唱さんは、この曲をリリース時からずっと好きだったそうですが、デビュー前の高校生の時にKANさんをすぐとなりで見たことがあるそう。

1993年、東京ドームでのポール・マッカートニーのライブ。ドームなどのライブでは、混雑を避けるため、規制退場が行われるのですが、KANさんは有名人なのにきちんとそれを守っていたそうです。

▼ポール・マッカートニー(ザ・ビートルズのメンバー 「ギネス世界記録」に「ポピュラー音楽史上最も成功した作曲家」として掲載されている。)


By Oli Gill – originally posted to Flickr as Paul McCartney, CC 表示-継承 2.0, Link 

 

芸能人などは、関係者席に座る、もしくは終演前の暗がりの中帰ることが多いのに、その姿に「この人絶対いい人だ」と、思ったそうです。

そして、会ってみてやっぱり「KANさんいい人だ」と思ったそう。

KANさんの「桜ナイトフィーバー」では、唱さんがギターソロを弾いており、すっごくカッコいいです。

▼「桜ナイトフィーバー」(リンク先で試聴可能)

 

スキマスイッチ/秦基博さん

グループ名 スキマスイッチ
メンバー ・大橋卓弥(ボーカル、ギター、ハーモニカ)
・常田真太郎(ピアノ、チェロ、オルガンなど)
デビュー シングル「view」でメジャーデビュー
2005年リリースの「全力少年」で第56回紅白歌合戦に初登場。2006年リリースの「ガラナ」でオリコンチャート1位を獲得。同年リリースの「ボクノート」で第48回日本レコード大賞金賞を受賞。

名前 秦基博(はた もとひろ)
生年月日 1980年10月11日
出身地 宮崎県
デビュー 2006年11月8日シングル「シンクロ」でデビュー
2009年リリースの「朝が来る前に」はTOKYO FM「クロノス」のエンディングテーマとなりオリコンチャートベスト5、2014年リリースの「ひまわりの約束」は映画「STAND BY ME ドラえもん」の主題歌になり、オリコンチャートベスト10入りを果たす。

 

この二組とは「星屑の隙間に木村基博」というユニットを組んでいます。

「スターダスト・レビューのスターダスト=星屑」
「スキマスイッチ=隙間」

そして、KANさんの本名である木村和の「木村」、秦基博の「基博」です。

略して「ホスキモ」。

素晴らしいユニット名だな~と感心します。

みんなの、飲み会の席での話がとてもおもしろいです。

ちなみに、スキマスイッチの常田真太郎さんはお酒が飲めません。

 

KANさんの主な友達について、ご紹介しました。

KANさんの周りのアーティストの曲なども聴いてみてほしいな、と思います。

 

以上、この章ではKANさんの人柄について4ページにわたってお伝えしました。

次の章ではKANさんのライブの魅力をお伝えします。

『KAN入門』目次へ  (全12ページ)

 

 

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著者:しあ

40代後半女性。KANのファン歴30年。1988年「BRACKET」を聴いて感動したのが出逢い。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。

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KANさんのトーク力は?ラジオ番組の聴きどころ紹介!

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KANさんは200万枚を超える大ヒット曲「愛は勝つ」で有名ですが、この曲はKANさんのほんの一面に過ぎないのです。ファン歴30年がKANさんの魅力を人柄・ライブ・楽曲に分けて徹底解説!

『KAN』入門 ~「愛は勝つ」だけじゃない!天才であり変態!類まれなソングライター~はこちらから!

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40代後半女性。KANのファン歴30年。1988年「BRACKET」を聴いて感動したのが出逢い。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。

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『KAN入門』目次へ  (全12ページ)

 

KANさんのレギュラーラジオ番組は、週に2本放送されています。

北海道・札幌テレビ放送(STV)の「KANのロックボンソワ」と、大阪・FM COCOLOの「KANと要のWabi-Sabiナイト」です。

KANさんは、テレビ番組に出演することがほとんどないので、KANさんという人について知る機会があまりないかもしれません。ただ、KANさんのラジオ番組を聞けば、KANさんのおもしろさや人柄がよくわかると思います。

 

KANのロックボンソワ


(引用:STVラジオ© 1996-2019 The STVradio Broadcasting Co.,Ltd)

番組名 KANのロックボンソワ
パーソナリティー KAN
放送局 北海道・札幌テレビ放送(STVラジオ)
放送時間 毎週土曜日24:00~25:00
放送期間 2004年10月2日~
放送ジャンル 音楽・トーク
公式HP https://www.stv.jp/radio/kan/index.html

 

「KANのロックボンソワ」は、KANさんがフランスへのピアノ留学から帰国した、2004年に始まった人気ラジオ番組です。

ラジオ番組において、聴取率は改編の時期へ影響します。

それらを乗り越え、この番組は15年も続いているのだから、とてもすごいことなのです。

 

この札幌のラジオ番組があるせいか、KANさんは、いつもあちらこちらで「僕、札幌出身じゃないですかぁ」とさらっと言ってしまいます。

「いや、福岡でしょ」」と、ツッコんでくれる人がいる時はいいけれど、もしかしたら本当に信じてしまう人がいるかも…。

KANさんは福岡出身です。

ただそれほど札幌に愛情を持っているようです。

 

この番組は、ゲストが来る時もありますが、KANさんの一人語りなので、たっぷりとトークを楽しむことができます。

落ち着いた、ゆっくりとしたKANさんのトークは癒されます。

でも内容は変態なことも多いですけど(笑)

番組のホームページには、番組の内容やオンエアリストなどが載っているので、これを見るだけでも楽しめて聞き逃してしまった時も安心です。

 

KANと要のWabi-Sabiナイト


(引用:FM COCORO 765 © FM802. )

番組名 KANと要のWabi-Sabiナイト
パーソナリティー DJ KAN STARDUST REVUE 根本要
放送局 FM COCOLO
放送時間 毎週土曜日18:00~19:00
放送期間 2010年10月2日~
公式HP https://cocolo.jp/service/Homepage/index/6180/34950

 

この番組はKANさんとスターダスト・レビューの根本要さんとの番組です。

KANさんに輪をかけておもしろい要さんなので、毎回爆笑の渦なのです。

 

スターダスト・レビュー

代表曲はシングル売上約15万枚の『木蘭の涙』。カルピスのCMに『夢伝説』起用され世間に広く認知された。デビュー35周年を迎えた現在も年間70本を超える全国ツアーを展開してる。根本要さんは同バンドのボーカル

詳しくは別Webonの『スターダスト・レビューとは』で解説!

 

この番組は、主に「フリートーク」「ミュージックバトル」「わかるかな わかんねえだろうなぁ」のコーナーに分かれています。

 

フリートークでは最近の近況など、色々な話が聞けるのですが、二人の話がとてもおもしろくて毎回爆笑です。

 

「ミュージックバトル」は、リスナーから頂いたお題を元に、それに合った選曲を二人がし、どちらがよりそのお題に合った曲を選んだかを競うコーナーです。

リスナーからの「こういうことがあったんですけど、こんな時に聴きたい曲」というお題あり、それに合わせて2人が選曲をします。

二人がなぜその曲を選んだのか、と説明するのが本当におもしろい。

例えば「アル・ジャロウ」というアーティストの曲を紹介する時に「これこれこういう事ってあるじゃろう?」という風に、ダジャレになっている時も多々ありますが(笑)

 

「おお~!」という素晴らしい選曲も多く、とってもおもしろいのです。

それぞれが、自信を持って選曲してきて絶対自分が勝ち、と思っているので自分が負けた時の落胆の仕方がおもしろい。

ちなみに勝ったからと言って、何か商品があるわけではないです。

選曲のほとんどは洋楽なのですが、二人の知識の深さが素晴らしくとても勉強にもなります。

 

「わかるかなぁ わかんねぇだろうなぁ」は、サイコロを振って選ばれた自分たちのオリジナル曲について、その制作秘話などを語るコーナー。

週替わりでKANさん要さんそれぞれの担当になります。

素晴らしい曲なのに結構テキトーに創っていたりと、意外な話が聞けておもしろいです。

ゲストが来ることもあります。

先日はASKAさん(CHAGE and ASKA)が来て、3人とも仲がいいのでとってもおもしろかったです。

 

KANさんの仲間については次ページで紹介!

 

ラジオを聴く方法「radiko」


(引用:radiko,© radiko co. )

 

私はいつもスマホでradikoというアプリを使って聴いています。

これが本当に便利なのです。

登録は無料で地元の放送局の番組なら無料で聞けます。

プレミアム会員に登録すると月に378円かかりますが、全国の番組をエリアフリー、そしてタイムフリーで聞くことができます。

しかも1週間以内ならいつでもです。

ラジオってなかなか聞く機会がないのではないかと思います。

ラジオはその日、その時間でしか聞けません。

でもradikoなら夜中の番組、日中の番組、早朝の番組などを、自分の好きな時間に聞くことができます。

KANさんのこの2本の番組は、北海道と大阪の放送局なので、エリア外では聞けませんでしたが、radikoのおかげで聞けるようになりうれしいです。

本当にKANさんの番組はおもしろいので、ぜひ聞いてみていただければと思います。

radiko公式サイト

 

以上、KANさんのラジオ番組の紹介でした。

次のページではKANさんの仲間を紹介します。

『KAN入門』目次へ  (全12ページ)

 

 

目次著者

著者:しあ

40代後半女性。KANのファン歴30年。1988年「BRACKET」を聴いて感動したのが出逢い。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。

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KANさんはどんなキャラクター?トリンドル玲奈に曲を捧げる!?

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KANさんは200万枚を超える大ヒット曲「愛は勝つ」で有名ですが、この曲はKANさんのほんの一面に過ぎないのです。ファン歴30年がKANさんの魅力を人柄・ライブ・楽曲に分けて徹底解説!

『KAN』入門 ~「愛は勝つ」だけじゃない!天才であり変態!類まれなソングライター~はこちらから!

著者:しあ

40代後半女性。KANのファン歴30年。1988年「BRACKET」を聴いて感動したのが出逢い。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。

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KANさんは「天才であり変態」であると私は思います。

ただKANさんのキャラクターの魅力を一言で言うのは困難です。

KANさんには面白い側面がいくつもありますので、色々な角度から見たKANさんについてご紹介します。

 

KANさんはどんなキャラクター?

ユーモアセンス溢れる

 

KANさんという人は、とにかくユーモアセンスたっぷりで、遊び心の塊のような人です。

楽曲はもちろん、アルバムジャケット、ライブの創り方、衣装、その他、ありとあらゆるところで、KANさんのオリジナリティー溢れる才能が活かされていて、本当に楽しくおもしろいのです。

クスクスと笑ってしまうおもしろさがKANさんにはあります。

例えば、2016年のアルバム「6×9=53」(ロックごじゅうさん)。アルバムジャケットではKANさんがお爺さんになっています。

▼アルバム「6×9=53」(画像クリックで商品詳細へ)

アルバムタイトルは、ちょっとロックテイストなアルバムという事と、KANさんが当時53歳という事で、このタイトルがつけられました。

なぜ、お爺さんになっているかというと、ロック=69歳、という事で69歳に見えるように扮装しているのです。

このおもしろさ、さすがKANさんだな~と思います。

 

2017年のアルバム「la RINASCENTE」(ラ・リナシェンテ)。このアルバムは、KANさん自らが、弦楽四重奏のアレンジを施したセルフカバーアルバムです。

このアルバムジャケットのおもしろさは、ドナルド・フェイゲンの名盤「THE NIGHT FLY」に似せていること。

▼KAN「la RINASCENTE」

▼ドナルド・フェイゲン「THE NIGHT FLY」


このジャケットのKANさん、すっごくカッコいいです。

もしかして、ドナルド・フェイゲンと間違って買う人がいるかも…?

 

下心を隠しながらも紳士的

 

KANさんが夏目漱石に扮した写真があります。

このクオリティはすごい!

見間違ってしまうかも。

この写真を使った「高級眼鏡拭き」というKANさんのグッズがあります。

先日、KANさんとスターダスト・レビューの根本要さんとでやっているラジオ番組「KANと要のWabi-Sabiナイト」にASKAさん(CHAGE and ASKA)がゲストで来た時に、KANさんがこの眼鏡拭きをプレゼントしました。

 

 

ASKAさんは「あ~!これ知ってる!俺ほしかったやつだ!」と、大喜びでした。ちなみにKANさんは、ASKAさんの事をとてもリスペクトしています。

3人は友達で特にASKAさんと要さんは同い年で親友と言える間柄です。

 

ASKAさんとの関係性は後ページにて紹介!

 

KANさんという人はとても優しく穏やかで礼儀正しく素敵な紳士です。

「紳士」と書いたのはKANさんの歌詞に「ジェントルマン」と出てくることや、KANさんが女性に対して下心を隠しながら紳士的であろうとしているからです。

紳士的でありながらも下心満載の歌詞も書いているKANさん。

そんな歌詞の曲を聴くと、KANさんの変態性を感じずにはいられません。

KANさんの曲はいろいろなタイプの曲があり、その振り幅の大きさに驚かされます。

それらを聴くと、KANさんの「天才であり変態」という意味が、理解できるのではないかと思います。

また、どんなにふざけた曲や女性に対する妄想を歌った曲でも、下品にならないのはKAN さんのキャラクターのおかげかと思います。

 

天才であり変態なのことがわかる楽曲は第3章で紹介!

 

大ヒット曲にとらわれない

 

大ヒット曲があると、それにとらわれて本来の自分を出せなかったり、周りからも同じ系統の曲を望まれたりと、創作活動に影響があったりするかもしれません。

ですが、KANさんは「愛は勝つ」という国民的大ヒット曲を持ちながらも、それにとらわれず自身のユーモアやオリジナリティー溢れる楽曲を創り出しています。

自身の武器であるピアノにもこだわっていて、ピアノ一つで音楽を伝える「弾き語りライブ」に行くと、そのピアノの素晴らしさにも感動します。

KANさんにしか書けない詩、曲は本当に素晴らしくおもしろく、日本の音楽界において類まれなる存在であり、私は彼を天才であり変態だと思っているのです。

 

 

KANさんのキャラクターがわかるプチ情報

 

KANさんには色々な側面があります。よりKANさんの魅力を多角的に理解していただくため、KANさんのキャラクターがわかるような4つのプチ情報を紹介します。

 

① 「素数」が好き

 

KANさんは素数が好きで素数にこだわっています。

通常、アーティストはデビュー20周年、25周年、30周年、と区切りのいい数字を使います。

でもKANさんの場合は、素数にこだわっているので29周年、31周年などを記念としているのです。

 

② 語学が堪能

 

旅行が趣味で旅先での会話能力の必要性を痛感し、語学の習得にも熱心。

中国語、フランス語、イタリア語が得意で、日常会話に困らないぐらいには習得しているそう。

 

③ 愛妻家

 

ラジオなどでよく奥様の話をしています。

「出かける時、女性って時間がかかるじゃないですか。でも、いかに奥さんに気持ちよく準備してもらうか、って言うのが大事じゃないですか。」

と言っていたKANさん。

「さすが紳士なKANさん、素敵な旦那様!」と思いました。

 

④ トリンドル玲奈

 

「Menuett fur Frau Triendl」は、勝手にトリンドル玲奈さんに捧げた曲です。
「トリンドルちゃんは、おそらく聴いていないでしょう…。」とKANさん…。

▼トリンドル玲奈(1992年生まれの日本のファッションモデル、タレント)

 

KANさんは、中田ヤスタカさん(音楽プロデューサー)を尊敬する音楽家の一人として挙げていて、中田サウンドがとても好きなよう。「きゃりーぱみゅぱみゅ」「Perfume」は共に中田ヤスタカさんのプロデュース。

 

中田サウンドとは
中田ヤスタカは、シンセサイザー等の電子楽器を用いた音楽である「テクノポップ」の流行を再来させる。中田サウンドの例は下記のアーティストの曲を聴けば理解しやすいのではないでしょうか。

▼きゃりーぱみゅぱみゅ「PONPONPON」

▼Perfume「ポリリズム」

 

「REGIKOSTAR~レジ子スターの刺激~」「ブログ!ブログ!ブログ!」は、KANさんが中田サウンドを意識して創った作品です。

▼「REGIKOSTAR~レジ子スターの刺激~」(リンク先で試聴可能)

▼「ブログ!ブログ!ブログ!」(リンク先で試聴可能)

その他KANさんのオマージュ曲については第3章で紹介!
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以上、KANさんのキャラクターの紹介でした。

次のページではKANさんのラジオやトークについて紹介します。さらにKANさんの人柄や面白さを知っていただきたいです。

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40代後半女性。KANのファン歴30年。1988年「BRACKET」を聴いて感動したのが出逢い。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。

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KANさんの経歴を紹介 【誕生~「愛は勝つ」でブレイク~留学から帰国】

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KANさんは200万枚を超える大ヒット曲「愛は勝つ」で有名ですが、この曲はKANさんのほんの一面に過ぎないのです。ファン歴30年がKANさんの魅力を人柄・ライブ・楽曲に分けて徹底解説!

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40代後半女性。KANのファン歴30年。1988年「BRACKET」を聴いて感動したのが出逢い。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。

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このページではKANさんの経歴を紹介いたします。

経歴を紹介する中でザ・ビートルズとビリー・ジョエルの事に触れていますが、KANさんの音楽においてその存在が外せないからです。

 

KANさんの簡易年表

▼このページで紹介する主な出来事

出来事
1962年 誕生
1978年頃 ビリー・ジョエルと出会う(当時高校生)
1987年 「テレビの中に」でレコードデビュー
1990年 「愛は勝つ」収録アルバムリリース
1999年 結婚
2002年 フランスで音楽学校に通う
2004年 帰国

 

KANの経歴

誕生~10歳の頃

 

KANさんは1962年福岡県福岡市生まれです。

「かん」という名前は本名で「和」と書いて「かん」と読みます。

本名は木村和「きむらかん」です。

本名でデビューしたかったそうですが、読み間違いの可能性などの理由で「KAN」となったそうです。

 

幼稚園の頃からオルガンを学び、小学校に入学してからはクラシックピアノを習い始めます。

10歳の頃には、少年野球のチームに所属し野球でも活躍。

(ちなみに、この頃の将来の夢が野球選手だったかどうかは定かではありませんが、後に「野球選手が夢だった」というアルバムをリリースします。このアルバムに収録されていた「愛は勝つ」が、国民的大ヒットとなったのです。)

 

中学~高校 <ビリー・ジョエルと出会う>

 

中学校に入学すると自宅の近所にレコードショップが開店し、ずっと欲しい欲しいと思っていたザ・ビートルズのレコードを購入。中学生の頃は、ほぼザ・ビートルズばかり聴いていたそうです。

 

KANさんは、ビリー・ジョエルをリスペクトしています。

 

ビリー・ジョエル

1949年生まれ。アメリカ出身のシンガーソングライター。全世界で1億5000万枚以上のレコード・セールスを記録。1973年にリリースのアルバム「ピアノ・マン」が大ヒットとなる。

▼「ピアノ・マン」公式MV

 

高校生の時、友達が持っていたアルバム「52nd Street」を借りて聴いたのがビリー・ジョエル作品との出会い。「なんだこの音は!」と、大きな衝撃を受けたそうです。

▼1978年リリースアルバム「52nd Street」(画像クリックでamazon primeで視聴可能。

ビリー・ジョエルの「52nd Street」は、KANさんの人生において大きな影響を与えた一枚なのです。

 

KANさんの楽曲を聴けばビリー・ジョエルの音楽が、KANさんの音楽の基になっていることが感じられます。

KANさんの音楽や話などから、ビリー・ジョエルへのリスペクトがとても感じられるし、KANさんは「日本のビリー・ジョエル」と思える存在です。

 

ビリー・ジョエルの音楽が基になっていることがわかる楽曲は第3章で紹介!
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大学~デビュー

 

法政大学に進学するため福岡から上京したその足で、ビリー・ジョエル日本公演のチケットを購入。

その一週間後に行われた日本武道館でのビリー・ジョエルのコンサートは「自分にとって音楽家への志を更に強くしたものだった」との事。

1987年に4月25日に「テレビの中に」でレコードデビュー。

▼「テレビの中に」(画像クリックで商品詳細へ)

 

当時は、KANさんはまだそんなに知られていなくて、ひっそりとデビューしていた気がします…。私は、2枚目のアルバム「No-No-YESMAN」に収録されている「BRACKET」を、テレビで歌っている姿を見たのが、KANさんとの最初の出逢い。

 

 

印象的なピアノのイントロ、激しくピアノを弾く姿、間奏でのスキャットなど、とても音楽センスを感じて、引き込まれました。

 

「愛は勝つ」がヒット

 

1990年に、5枚目のアルバム「野球選手が夢だった」をリリース。

▼「野球選手が夢だった」(画像クリックで商品詳細へ)

このアルバムに収録されていた「愛は勝つ」が、ラジオ局のヘビーローテーションに起用されたり、徐々に評価をされ始めていたところ、山田邦子さん出演の大人気テレビ番組「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」のテーマソングに起用されました。

それにより全国に知られ国民的大ヒットとなり、1991年の日本レコード大賞では大賞を受賞しています。

 

結果的にKANさんの出世作となったアルバム「野球選手が夢だった」。

このアルバムには「愛は勝つ」も収録されていますが、このアルバムは「愛は勝つ」が注目され大ヒットする前にリリースされています。

このアルバムは、本当に名曲ぞろいの素晴らしいアルバムなのです。

「愛は勝つ」が大ヒットする前に創られているアルバムなので、その事を踏まえて聴くと、よりKANさんの魅力、素晴らしさを感じられるのでは、と思っています。

本当に名曲ぞろいなので、KANさんの才能が感じられると思います。

「売れるべくして売れた」と思います。

認められる人はやはり認められるのだと思いました。「愛は勝つ」が大ヒットしたおかげでこのアルバムが多くの人に聴かれることになったので、とてもよかったと思っています。

 

結婚、音楽学校へ

 

その後も、コンスタントにアルバムをリリースしライブを行い、1999年にはバイオリニスト早稲田桜子さんと結婚。

▼早稲田桜子さん

 

KANさんは2002年には、クラシックピアノを基礎から勉強しなおすためにフランスへ移住し、音楽学校へ通います。

私はこの事にとても驚いたのと同時に、音楽活動を休止して渡仏し勉強する姿勢を「とても素晴らしいな」と思いました。

また、ピアノ留学以外の理由として「フランス人になるという夢を叶えるため」という、ふざけたコメントを出したのもKANさんらしいな、と思いました。

こういったおかしなことを言うのがKANさんという人なのです。

 

帰国後の活動

 

2004年に帰国してからは精力的に活動。

KANとしてのソロ活動だけではなく、いろいろなアーティストとのコラボレーションも。

 

コラボ楽曲は第3章で紹介!
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また、ロックやポップスだけではなく、弦楽器の譜面も書けるKANさん。弦楽四重奏のアレンジを自ら行ったセルフカバーアルバムも発売、ライブも行うなど才能豊かな人なのです。

▼弦楽四重奏のアレンジを自ら行ったアルバム「la RINASCENTE」(リンク先で視聴可能)

KANさんは音楽は本当に素晴らしく、聴けば聴くほど天才だと思います。

と、同時に詩の内容から変態(いい意味で)だと思うことも多々あります。

次のページではKANさんのキャラクターを紹介します。なぜ、KANさんを「天才であり変態」だと思うのかお伝えします。

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