『KAN』入門 ~「愛は勝つ」だけじゃない!天才であり変態!類まれなソングライター~はこちらから!
はじめに
第1章 人柄
第2章 ライブ
第3章 楽曲
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このページではKANさんの経歴を紹介いたします。
経歴を紹介する中でザ・ビートルズとビリー・ジョエルの事に触れていますが、KANさんの音楽においてその存在が外せないからです。
KANさんの簡易年表
▼このページで紹介する主な出来事
年 | 出来事 |
1962年 | 誕生 |
1978年頃 | ビリー・ジョエルと出会う(当時高校生) |
1987年 | 「テレビの中に」でレコードデビュー |
1990年 | 「愛は勝つ」収録アルバムリリース |
1999年 | 結婚 |
2002年 | フランスで音楽学校に通う |
2004年 | 帰国 |
KANの経歴
誕生~10歳の頃
KANさんは1962年福岡県福岡市生まれです。
「かん」という名前は本名で「和」と書いて「かん」と読みます。
本名は木村和「きむらかん」です。
本名でデビューしたかったそうですが、読み間違いの可能性などの理由で「KAN」となったそうです。
幼稚園の頃からオルガンを学び、小学校に入学してからはクラシックピアノを習い始めます。
10歳の頃には、少年野球のチームに所属し野球でも活躍。
(ちなみに、この頃の将来の夢が野球選手だったかどうかは定かではありませんが、後に「野球選手が夢だった」というアルバムをリリースします。このアルバムに収録されていた「愛は勝つ」が、国民的大ヒットとなったのです。)
中学~高校 <ビリー・ジョエルと出会う>
中学校に入学すると自宅の近所にレコードショップが開店し、ずっと欲しい欲しいと思っていたザ・ビートルズのレコードを購入。中学生の頃は、ほぼザ・ビートルズばかり聴いていたそうです。
KANさんは、ビリー・ジョエルをリスペクトしています。
1949年生まれ。アメリカ出身のシンガーソングライター。全世界で1億5000万枚以上のレコード・セールスを記録。1973年にリリースのアルバム「ピアノ・マン」が大ヒットとなる。 ▼「ピアノ・マン」公式MV
高校生の時、友達が持っていたアルバム「52nd Street」を借りて聴いたのがビリー・ジョエル作品との出会い。「なんだこの音は!」と、大きな衝撃を受けたそうです。
▼1978年リリースアルバム「52nd Street」(画像クリックでamazon primeで視聴可能。
ビリー・ジョエルの「52nd Street」は、KANさんの人生において大きな影響を与えた一枚なのです。
KANさんの楽曲を聴けばビリー・ジョエルの音楽が、KANさんの音楽の基になっていることが感じられます。
KANさんの音楽や話などから、ビリー・ジョエルへのリスペクトがとても感じられるし、KANさんは「日本のビリー・ジョエル」と思える存在です。
大学~デビュー
法政大学に進学するため福岡から上京したその足で、ビリー・ジョエル日本公演のチケットを購入。
その一週間後に行われた日本武道館でのビリー・ジョエルのコンサートは「自分にとって音楽家への志を更に強くしたものだった」との事。
1987年に4月25日に「テレビの中に」でレコードデビュー。
▼「テレビの中に」(画像クリックで商品詳細へ)
当時は、KANさんはまだそんなに知られていなくて、ひっそりとデビューしていた気がします…。私は、2枚目のアルバム「No-No-YESMAN」に収録されている「BRACKET」を、テレビで歌っている姿を見たのが、KANさんとの最初の出逢い。
印象的なピアノのイントロ、激しくピアノを弾く姿、間奏でのスキャットなど、とても音楽センスを感じて、引き込まれました。
「愛は勝つ」がヒット
1990年に、5枚目のアルバム「野球選手が夢だった」をリリース。
▼「野球選手が夢だった」(画像クリックで商品詳細へ)
このアルバムに収録されていた「愛は勝つ」が、ラジオ局のヘビーローテーションに起用されたり、徐々に評価をされ始めていたところ、山田邦子さん出演の大人気テレビ番組「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」のテーマソングに起用されました。
それにより全国に知られ国民的大ヒットとなり、1991年の日本レコード大賞では大賞を受賞しています。
結果的にKANさんの出世作となったアルバム「野球選手が夢だった」。
このアルバムには「愛は勝つ」も収録されていますが、このアルバムは「愛は勝つ」が注目され大ヒットする前にリリースされています。
このアルバムは、本当に名曲ぞろいの素晴らしいアルバムなのです。
「愛は勝つ」が大ヒットする前に創られているアルバムなので、その事を踏まえて聴くと、よりKANさんの魅力、素晴らしさを感じられるのでは、と思っています。
本当に名曲ぞろいなので、KANさんの才能が感じられると思います。
「売れるべくして売れた」と思います。
認められる人はやはり認められるのだと思いました。「愛は勝つ」が大ヒットしたおかげでこのアルバムが多くの人に聴かれることになったので、とてもよかったと思っています。
結婚、音楽学校へ
その後も、コンスタントにアルバムをリリースしライブを行い、1999年にはバイオリニスト早稲田桜子さんと結婚。
▼早稲田桜子さん
チケット発売間近!【早稲田桜子Sweetコンサートinさくらぴあ】
今年6月にアウトリーチで廿日市市立吉和小学校の全校児童の皆さんと音楽で交流した、表現力豊かなヴァイオリニスト早稲田桜子さんがとっておきのSweetなひとときをおとどけします!13日(日)からチケット発売スタート! pic.twitter.com/ceMSPlY54S— はつかいち文化ホール さくらぴあ (@sakurapiahall) 2016年11月11日
KANさんは2002年には、クラシックピアノを基礎から勉強しなおすためにフランスへ移住し、音楽学校へ通います。
私はこの事にとても驚いたのと同時に、音楽活動を休止して渡仏し勉強する姿勢を「とても素晴らしいな」と思いました。
また、ピアノ留学以外の理由として「フランス人になるという夢を叶えるため」という、ふざけたコメントを出したのもKANさんらしいな、と思いました。
こういったおかしなことを言うのがKANさんという人なのです。
帰国後の活動
2004年に帰国してからは精力的に活動。
KANとしてのソロ活動だけではなく、いろいろなアーティストとのコラボレーションも。
また、ロックやポップスだけではなく、弦楽器の譜面も書けるKANさん。弦楽四重奏のアレンジを自ら行ったセルフカバーアルバムも発売、ライブも行うなど才能豊かな人なのです。
▼弦楽四重奏のアレンジを自ら行ったアルバム「la RINASCENTE」(リンク先で視聴可能)
KANさんは音楽は本当に素晴らしく、聴けば聴くほど天才だと思います。
と、同時に詩の内容から変態(いい意味で)だと思うことも多々あります。
次のページではKANさんのキャラクターを紹介します。なぜ、KANさんを「天才であり変態」だと思うのかお伝えします。
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第1章 人柄
第2章 ライブ
第3章 楽曲