少年隊の功績 ~ジャニーズ随一のエンターテインメント集団~

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ジャニーズファン歴25年で『なぜ90年代J-POPはあんなにアツかったのか?』の著者であるシン氏が90年代ジャニーズという存在を紐解く!「少年隊」「光GENJI」が築いたジャニーズの礎とは?「SMAP」「V6」「TOKIO」「KinKi Kids」の軌跡とおすすめ楽曲をジャニーズと共に青春を過ごしてきた筆者視点で語る!

『90年代ジャニーズ入門~ファン歴25年が語る~』(全15ページ)はこちらから!

著者:シン アキコ

30代前半女性。ジャニーズファン歴25年。70年代、80年代、90年代の邦楽を愛している。著書『なぜ90年代J-POPはあんなにアツかったのか?: J-POP愛して25年の著者がヒット曲を徹底分析 (Webonブックス) 』

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1980年代後半から1990年代にかけてのジャニーズの活躍はめざましいものがありました。

この章ではジャニーズ人気の礎を築いた「少年隊」「光GENJI」について解説します。

このページでは「少年隊」について解説します。

 

ジャニーズ随一のエンターテインメント集団・少年隊

メンバー ・錦織一清(1965年5月22日生まれ)通称:ニッキ 写真左
・植草克秀(1966年7月24日生まれ)通称:カッちゃん 写真中央
・東山紀之(1966年9月30日)通称:ヒガシ 写真右
デビュー 1985年「仮面舞踏会」でデビュー
ジャニーズ最長の活動歴のグループ。最大のヒットソングは「仮面舞踏会」で、1986年シングル売上の3位。2枚目のシングル「デカメロン伝説」が1987年シングル売上26位。6枚目シングル「君だけに」は1987年シングル売上10位。1986年に初演された舞台「PLAYZONE」は少年隊の代名詞とも言える。

 

1985年に「仮面舞踏会」でデビューした少年隊。

メンバーである東山紀之に「出会ったときからすでに完成されていた天才」と言わしめる稀代のエンターテイナー・ニッキ。

ジャニー喜多川社長自らスカウトしたという甘いマスクに秘めたストイックさで「とにかく練習」を貫くヒガシ。

3人のなかではいじられキャラながら、いつも一番のアイドルスマイルを見せてくれるカッちゃん。

今でも仲の良い、バランスのとれた3人組は、しっかりとオチのある軽快なトークも魅力のひとつ。

さんざん話して笑いをかっさらったかと思いきや、いざ歌い始めるとガラッと表情を変え、スタジオをあっという間にシアターに変えてしまうのです。

 

並外れた身体能力

 

なんといっても少年隊の特徴は、全員が並外れた身体能力の持ち主であること。

当時は生演奏、生歌が当たり前の時代。

激しいダンスとアクロバットを行いながら歌い上げるのはもちろんのこと、マイクを高く放り投げてキャッチするニッキおなじみのパフォーマンスや、カメラから走って逃げてフレームアウトするという遊び(もちろんキメはばっちりキメる)までしていたというのだから驚きです。

歌って踊れるアイドルはジャニーズ以外にもたくさんいます。

今も昔も。

しかしこれほどまでに完成度の高い本格的なパフォーマンスをテレビで魅せることができるアイドルは、少年隊以前も以降も存在しないと思うのです。

彼らの活躍があってこそ「ジャニーズ」が世間に一目置かれる存在になった。そう言っても過言ではないと思います。

彼らに憧れてジャニーズを志した少年や、「姉がヒガシのファンで履歴書を送った」とジャニーズのオーディションを受けたジャニーズタレントもいます。

こうして未来につながっていくのがまた、ジャニーズの不思議な縁というところでしょうか。

 

「解散」という定説を破る存在

 

2006年の「想 SOH/自分で選んだ明日をゆく」以降、少年隊としての楽曲リリースや3人での活動がないのはやはり寂しいところ。

しかし、いくつになってもグループであり続ける姿は、全ジャニーズファンの希望です。

「アイドルはある程度の年齢になれば解散しそれぞれの道をゆくべき」

そんな定説を破り続ける少年隊が好きです。

それぞれが、外部で高い評価を受け、活躍し羽ばたいていても、あくまで“少年隊の”錦織一清であり、植草克秀であり、東山紀之である。

それは、ファンにとってはなによりも重要なことなのですから。

 

次のページではそんな「少年隊」を知る上で聴いていただきたいおすすめの名曲をご紹介します。

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初心者におすすめの少年隊の名曲9選

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ジャニーズファン歴25年で『なぜ90年代J-POPはあんなにアツかったのか?』の著者であるシン氏が90年代ジャニーズという存在を紐解く!「少年隊」「光GENJI」が築いたジャニーズの礎とは?「SMAP」「V6」「TOKIO」「KinKi Kids」の軌跡とおすすめ楽曲をジャニーズと共に青春を過ごしてきた筆者視点で語る!

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30代前半女性。ジャニーズファン歴25年。70年代、80年代、90年代の邦楽を愛している。著書『なぜ90年代J-POPはあんなにアツかったのか?: J-POP愛して25年の著者がヒット曲を徹底分析 (Webonブックス) 』

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前ページではジャニーズブームの礎を築いた「少年隊」について解説をいたしましたが、このページではまずは聴いてほしい「少年隊」のおすすめの名曲を紹介します。

 

初心者におすすめの少年隊の名曲9選

「仮面舞踏会」作詞:ちあき哲也 作曲:筒美京平

 

「仮面舞踏会」は昭和を代表するコレオグラファー(振付師)・西条満の代表作。

西条満といえば、フォーリーブス「ブルドッグ」のゴムベルトを用いたアクションなど、ジャニーズアイドルに斬新な振り付けを与えた天才振付師。

 

「仮面舞踏会」におけるダンスの特徴としてまず挙げられるのは、歌前のポージングから歌終わりのキメまで、世界観が完璧に統一されていること。

少年隊の3人がマスクを投げ捨てるシーンから、一音一音もれなくポーズをはめ込んでいる。

「これが昭和の日本なのか」と驚くほど複雑なことをやってのけている。

腰振りや、マイクスタンドを蹴り飛ばすアクション、目まぐるしく変わるフォーメーション、3人そろってのバック宙…たった1曲なのに、話題になった振りを挙げればキリがない。歌詞と曲とコレオ(振付)がこれ以上なくマッチした楽曲。

この楽曲を完璧にパフォーマンスしてみせた少年隊には「スゴイ」の一言しかない。

デビュー曲に懸ける情熱が伝わってくる。せひ目で見て楽しんでほしい。

 

「デカメロン伝説」作詞:秋元康 作曲:筒美京平

 

「デカメロン伝説」も目で見て楽しい1曲。

相当難しい振り付けをなんでもない顔でこなす姿にはもはや脱帽。

タイトルは中世イタリアの創作詩「デカメロン(十日物語)」に由来しており、歌詞のなかにもそれを示唆するワードがある。

少年隊の楽曲がもつエキゾチシズムを代表する1曲。

イントロの「ワカチコ(実際は「ワカチコン」)」というフレーズは、錦織の提案で吹き込まれたもの。

 

「君だけに」作詞:康珍化 作曲:筒美京平

 

甘い言葉を紡がせれば右に出る者はいない、康珍化作詞による極上のラブソング。

イントロ・アウトロで指を鳴らす振り付けが印象的だった。

バラードだからこそ魅せることのできる、しなやかで表情のあるダンス・歌声がみどころ。

ソロパートが多いため、3人の声を聞き分けるにはもってこいの楽曲。

舞台や後輩アイドルのコンサートではアップテンポにアレンジして歌われることもある。

 

「Let’s Fight」作詞:宮下智 作曲:宮下智

 

「Let’s Fight」はアルバム『PLAYZONE’89 Again』に収録。後輩アイドルにも歌い継がれ、ジャニーズファンにはおなじみ。

男らしさあふれるエネルギッシュな楽曲だが、作詞作曲は女性ソングライター宮下智がつとめている。

宮下はジャニーズへの楽曲提供が多く、2019年現在のデビュー組においてもっとも若手であるKing & Princeにも楽曲を提供するなど、幅広い世代に愛されている。

 

 

「まいったネ、今夜」作詞:宮下智 作曲:宮下智

 

「まいったネ、今夜」は「ザ・ベストテン」のスタジオを一瞬にしてシアターに変えた1曲。

指先まで表情をもつロマンチックで丁寧なダンスに注目してほしい。

「Let’s Fight」同様、宮下智による作品であり、少年隊の「まいったネ、今夜」や田原俊彦「チャールストンにはまだ早い」など宮下によるジャズテイストの人気ナンバーはジャニーズファンの間で人気が高い。

 

「PGF」作詞:及川眠子 作曲:井上ヨシマサ

 

「PGF」は20枚目のシングル「Oh!」のB面。

PGFとは「Positive Girl Friend」の頭文字をとったもの。

いわゆるジャニーズジュニア黄金期(95年~)に重なるリリースということもあり、当時のジャニーズジュニアたちにカバーされジャニーズ定番ソングになった。

 

「湾岸スキーヤー」作詞:秋元康・山下達郎・ODAYALANE  作曲:山下達郎・ODAYALANE

 

「湾岸スキーヤー」は山下達郎の楽曲をカバーしたシングル。

フジテレビ系列の長野オリンピック放送テーマソングであり、当時は耳にする機会も多かった。

「湾岸スキーヤー」については、なによりも有名なエピソードとしてミュージックステーションにおけるJ-FRIENDS(TOKIO、V6、KinKi Kidsによる阪神淡路大震災へのチャリティー活動を目的とした期間限定ユニット)との共演が挙げられる。

当時すでに人気アイドルだった3グループが少年隊のバックダンサーをつとめる姿はファンにとっては斬新なものであり、J-FRIENDSの一部メンバーにとっては懐かしさや憧れを胸に秘めた夢の共演。

ジャニーズファンの間では今も伝説として語り継がれている。

 

「情熱の一夜」作詞:松井五郎 作曲:馬飼野康二

 

活躍の中心をミュージカルに置いていた少年隊が、一般層にもその健在ぶりを見せつけた一曲。

パフォーマンス力の高さはそのままに、大人の魅力でファンを魅了した。

タイトルの通り、情熱的かつキャッチーなメロディが耳に楽しい。

作詞作曲はジャニーズおなじみのゴールデンコンビである松井五郎、馬飼野康二によるもの。

 

「君がいたころ」作詞:Platina 作曲:馬飼野康二

 

東山紀之主演ドラマ「お前の諭吉が泣いている」主題歌。

ちなみに前作「ロマンチックタイム」は自身の冠番組「少年隊夢」の主題歌に、98年の人気バラード「愛と沈黙」は堂本光一主演ドラマ「ハルモニア」の主題歌にと、当時の少年隊の曲は主題歌への起用が多かった。

以後5年半シングル発表はなく、続く2006年の「想 SOH」以降2019年までシングルリリースはない。次作が待たれる。

 

さてここまでは90年代ジャニーズの礎を築いた「少年隊」について解説してきましたが、次のページでは「光GENJI」について解説していきます。

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山下達郎おすすめの名曲④ 【ジャニーズへの提供曲編】

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山下達郎さんは『クリスマス・イブ』で有名なミュージシャン。達郎さんはテレビに出演しないため、動く姿を観れるのはライブだけ。チケットは入手困難であり「音の職人」と称される達郎さんのライブは「極上の音楽空間」。

『山下達郎』入門 ~極上の音楽空間~(全14ページ)はこちらから!

著者:しあ

40代後半女性。音楽が大好きでJ-POP、K-POP、洋楽、演歌歌謡曲とさまざまな音楽を聴いています。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。全部チケットの半券をとっているのでとても大切な想い出です。音楽はとても生活を豊かにしてくれるもの。私の好きなアーティストの魅力を知っていただければ、と思います。

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この章では達郎さんの楽曲を

定番】【隠れた名曲】【鈴木雅之への提供曲】【ジャニーズへの提供曲】【カバー

とジャンルに分けて5ページにわたって紹介します。

達郎さんは自身でも大ヒット曲を数多くリリースしております。ただ達郎さんは自身の曲だけでなく作曲家としても多くのヒット曲を手がけているのです。

またジャニーズへの提供曲には名曲が多いのです。

 

ジャニーズ提供曲が多い理由!?

 

山下達郎さんはジャニーズ事務所所属のアイドルへの楽曲提供が多いと思います。提供曲が多い理由は「小杉理宇造さん」がジャニーズ事務所とつながりがあったためかなと思います。

小杉さんは達郎さんが所属する事務所であるスマイルカンパニーの元代表取締役社長です。2003年にはジャニーズエンターテイメントの代表取締役社長に就任しています。

小杉さんは昔、レコード会社RCAにおり、そこの所属アーティストだった達郎さんと出逢いました。そして小杉さんはRCAにいる時にジャニーズ事務所のジャニー喜多川社長とも知り合いになったそう。

 

そういったことから、達郎さんとジャニーズとのつながりが、自然と出来ていったのだと思います。

ジャニーズのアイドルへの楽曲提供は名曲が多いです。このページではその中でも私が大好きな曲をご紹介したいと思います。達郎さんがセルフカバーしているものもあります。

 

KinKi Kids

メンバー ・堂本剛(1979年4月10日生まれ)上記写真左
・堂本光一(1979年1月1日生まれ)上記写真右
デビュー 1997年7月21日にシングル『硝子の少年』でデビュー。
デビューからシングル39連続で初登場1位を記録しておりギネス記録に登録されている。

 

硝子の少年

リリース年月 1997年7月21日(シングル『硝子の少年』)
時間 4分39秒
備考 CD売り上げは170万枚以上でKinKi Kids最大のヒット曲。
収録アルバム B album
KinKi Single Selection
39
The BEST

 

『硝子の少年』は言わずと知れたKinKi Kidsの大ヒットデビュー曲。

松本隆さん作詞、達郎さん作曲、編曲。

 

松本隆

1949年生まれ。「日本語ロック」の先駆者で日本の音楽界に多大な影響を与えたバンド『はっぴぃえんど』の元ドラマーであり作詞担当。寺尾聰、松田聖子、薬師丸ひろ子、近藤真彦など数多くの有名アーティストやアイドルの楽曲を手がける。

 

私は達郎さんファンであるのはもちろんですが、KinKi KidsがCDデビューする前から彼らのファンでした。

そのためKinKi KidsのCDデビューが決まり、達郎さんが曲を提供すると知った時はすごくうれしかったです。

 

印象的なイントロから始まる『硝子の少年』は、松本隆さんのせつない詩とも相まって世代を超えて愛される名曲に。

KinKi Kidsの歌、ダンスもとってもよくて、白い衣装も『硝子の少年』というタイトル、曲にぴったりでした。

 

達郎さんバージョンはベストアルバム『OPUS』の初回限定盤のボーナストラックに収録されています。

 

▼ベストアルバム『OPUS』CD

 

セルフカバーではなくデモ音源(=関係者に曲の概要を伝えるために作られた曲)なのですが、達郎さんバージョンもすごく素敵。

KinKi Kidsの二人のお父さん世代と言っていい達郎さんが歌っても違和感がありません。

達郎さんが目指して創った「何十年後にも歌える歌」になっていると思います。

 

堂本光一さんは達郎さんから「君たちが、何年たっても、大人になっても歌える歌だよ」と言われたそうです。光一さんは今でも達郎さんが歌ったデモテープを大切に持っているようです。

達郎さんはライブでも『硝子の少年』を歌うことがあり、会場はすっごく盛り上がります。

初めてライブで聴いた時はとっても感動しました。

 

▼KinKi Kids『硝子の少年』収録アルバム『39』CD

 

Kissからはじまるミステリー

リリース年月 1997年7月21日(アルバム『A album』)
備考 ・KinKi Kidsのデビューアルバムである『A album』に収録されている。同アルバムはミリオンセラーを突破している。
・堂本剛主演の日本テレビ系ドラマ『金田一少年の事件簿 第2シーズン』主題歌。
収録アルバム A album
39

 

『Kissからはじまるミステリー』はKinKi Kidsの曲の中でも、私の中でベスト5に入る大好きな曲。

松本隆さん作詞、達郎さん作曲、編曲。

この曲は堂本剛さん主演ドラマ『金田一少年の事件簿』の主題歌で、CD化される前からテレビで流れていました。

その時から大好きな曲。

 

▼ドラマ『金田一少年の事件簿』DVD(画像クリックで商品詳細へ)

 

主題歌なのでフルでは流れなかったので、CD化された時はすっごくうれしかったです。

達郎さんバージョンはアルバム『SONORITE』にセルフカバーとして収録。

 

▼アルバム『SONORITE』

 

でも、セルフカバーと言うには結構生まれ変わっている印象。

KinKi Kidsが歌うラップ部分の詩が大きく変わっていて、そのラップ部分はケツメイシのRYOさんが歌っています。ラップ作詞もRYOさん。

 

ケツメイシ

日本のヒップホップグループ。1999年に初のインディーズ曲がリリースされる。アルバム『ケツノポリス4』はオリコンアルバム週間チャートで3週連続首位を獲得する。RYOは同グループのMC担当。

▼RYOは写真左から2番目

 

KinKi Kidsバージョンでは学園ドラマらしい「教室中」という詩が

達郎さんバージョンでは「一晩中」に。

「横断歩道」という詩が

達郎さんバージョンでは「一晩中」と変わっていたり。

 

KinKi Kidsの若さ溢れる曲の感じとはまた違って、とても大人な曲になっています。

「どちらもいい!」と思いますがKinKi Kidsのラップ部分込みで好きだったので、そこを達郎さんバージョンでも聴きたかったな~という気持ちもあります。

でも、あの部分を同じ歌詞で達郎さんが歌うのは無理があるし、もどかしいところです。

 

▼KinKi Kids『Kissからはじまるミステリー』収録アルバム『39』CD

 

HAPPY HAPPY GREETING

リリース年月 1998年12月9日(シングル『Happy Happy Greeting/シンデレラ・クリスマス』
時間 6分13秒
備考 ・CD売り上げ60.9万枚
・パナソニック『デジカム』CMソング
収録アルバム The BEST

 

『HAPPY HAPPY GREETING』はとっても暖かく幸せな気持ちになる、いろんなお祝いに使われるハッピーな曲。

松本隆さん作詞、達郎さん作曲、編曲。

「クリスマスに関する曲は多いけど、元日に関する曲がない」ということで創られた曲。

どうせならいろんなお祝いを入れよう、ということで誕生日やバレンタインなども詩に登場します。

堂本光一さんの誕生日が1月1日なので、それをお祝いする意味も。

達郎さんバージョンはアルバム『RARITIES』に収録されています。

 

▼アルバム『RARITIES』CD

 

KinKi Kidsよりもシンプルで大人な感じ。

難波弘之さんのピアノがとても心地いい。

 

難波弘之


1953年生まれの音楽家・SF作家。東京都音楽大学の教授を務めている。多くのアニメ・ドラマの音楽を担当する。山下達郎のコンサートツアーにも参加している。

難波弘之さんや他の達郎さんのライブに参加するアーティストについては次の章(第4章)で紹介いたします。

 

▼シングル『HAPPY HAPPY GREETING』CD

 

 近藤真彦

生年月日 1964年7月19日
出身地 神奈川県大和市
デビュー 1980年『スニーカーぶる~す』でソロデビュー
田原俊彦・野村義男とともに『たのきんトリオ』として人気を博した。1987年に『愚か者』で第29回日本レコード大賞を獲得する。

 

ハイティーン・ブギ

リリース年月 1982年6月30日(シングル『ハイティーン・ブギ』)
備考 映画『ハイティーン・ブギ』主題歌
収録アルバム THE MATCHY best song for you
近藤真彦 THE BEST
By Your Request
THE ROCK BEST
風街図鑑
MATCHY★BEST

 

ジャニーズ事務所の大御所でもあり、1980年代には大人気アイドルだったマッチこと近藤真彦さん。

私が初めて達郎さんの名前を知ったのはこの『ハイティーン・ブギ』から。

2018年のライブでは達郎さんがこの曲をカバーし大盛り上がりとなりました。

マッチの同名主演映画を観に行った事などを想い出しながら、今こうして達郎さんの音楽が私の人生に大きく関わっていることを感慨深く思いました。

 

▼『ハイティーン・ブギ』収録アルバム『THE MATCHY best song for you 』CD

 

少年隊

メンバー ・錦織一清(1965年5月22日生まれ)写真左
・植草克秀(1966年7月24日生まれ)写真中央
・東山紀之(1966年9月30日)写真右
デビュー 1985年『仮面舞踏会』でデビュー
ジャニーズ最長の活動歴のグループ。最大のヒットソングは『仮面舞踏会』で、1986年の年間シングル売り上げの第3位となる。

 

湾岸スキーヤー

リリース年月 1998年1月28日
時間 4分32秒
収録アルバム Prism

 

『湾岸スキーヤー』はフジテレビの長野オリンピックのテーマソングとなっていた曲。

よく中継で流れていたのを覚えています。

元々は、屋内スキー場「ららぽーとスキードーム」のCMソングとして制作されていたものです。

達郎さんの作品としてCD化する機会を逃していたところ、少年隊の作品として秋元康さん他の手が加わりフルバージョンが制作され少年隊の曲になりました。

達郎さんのCMバージョンは達郎さんの公式サイトのみで購入できる『山下達郎 CM全集Vol.2』に収録されています。

<Tatsuro Yamashita Official Websaite>https://www.tatsuro.co.jp/shop/

すごくさわやかな素敵な曲で少年隊のダンスもカッコよくて、大好きでした。

 

▼『湾岸スキーヤー』収録アルバムCD

 

達郎さんのジャニーズへの提供曲の中から、自身でも歌われたことがあるものをご紹介しました。

特にKinKi Kidsの曲は本当に素敵なので、どちらのバージョンも聴いてほしいなと思います。

 

さて、達郎さんの曲は他アーティストによってカバーされています。カバーされた曲もとても素晴らしいです。次のページで紹介いたします。

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著者:しあ

40代後半女性。音楽が大好きでJ-POP、K-POP、洋楽、演歌歌謡曲とさまざまな音楽を聴いています。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。全部チケットの半券をとっているのでとても大切な想い出です。音楽はとても生活を豊かにしてくれるもの。私の好きなアーティストの魅力を知っていただければ、と思います。

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Endless SHOCKの歴史

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「Endless SHOCK(エンドレスショック)」は堂本光一さん主演の日本一チケットが取れないと言われているミュージカル。「フライング」「階段落ち」などの演目も素晴らしいですが、ストーリーの素晴らしさをもっと知っていただきたい。帝国劇場での鑑賞経験はございませんが、精一杯魅力をお伝えします。

「『Endless SHOCK』入門 ~堂本光一主演ミュージカル~」はこちらから!

著者:しあ

40代後半女性。Endless SHOCKは博多座にて多数鑑賞。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。全部チケットの半券をとっているのでとても大切な想い出です。私の好きなアーティストの魅力を知っていただければ、と思います。

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Endless SHOCK(エンドレスショック)はKinki Kidsの堂本光一さん主演のミュージカルです。

2005年に「Endless SHOCK」というタイトルになるまでには、「MILLENNIUM SHOCK」「SHOW劇SHOCK」など様々なSHOCKシリーズの上演がされてきました。

このページでは「SHOCKの歴史」についてご紹介したいと思います。

 

SHOCKの歴史一覧

 

タイトル
1999年 SHOW劇’99 MASK(光一氏初主演ミュージカル。SHOCKシリーズではない。)
2000年 MILLENNIUM SHOCK
2001年 SHOW劇SHOCK
2002年
2003年 SHOCK is Real SHOCK
2004年 Shocking SHOCK
2005年~ Endless SHOCK
2012年 Endless SHOCK 初の地方公演
2018年 Endless SHOCK 単独主演1600回

 

 

SHOCKの歴史

2000年~「MILLENNIUM SHOCK」


photo by Wiiii  CC 表示-継承 3.0
▲日本生命ビル。この中に日生劇場がある。

 

光一さんの初主演ミュージカルは、1999年に日生劇場で上演された「SHOW劇’99 MASK」です。

「SHOW劇’99 MASK」は、過去に少年隊が上演したミュージカル「PLAYZONE ’90 MASK」をジャニー喜多川社長(ジャニーズ事務所の社長)が光一さんのためにアレンジしたもの 。

 

少年隊
ジャニーズ事務所所属の男性アイドル。1981年より活動を開始。ジャニーズで最長の活動歴。

▼VHS「PLAYZONE ’90 MASK」(画像クリックで商品詳細へ)

 

 

光一さん主演のSHOCKシリーズが始まったのは、2000年11月に帝国劇場で上演された「MILLENNIUM SHOCK(ミレニアム ショック)」からになります。

 

帝国劇場

1911年に開場された日本初の西洋式演劇場。世界で初めて「風と共に去りぬ」の舞台が上演されて、大ヒットロングラン公演となる。

▼帝国劇場


photo by Wiiii  CC 表示-継承 3.0

 

帝国劇場初のジャニーズ公演で、当時21歳の光一さんは最年少座長でした。

また、帝国劇場では初のフライングが導入されました。

 

「MILLENNIUM SHOCK」は、少年隊の大人気ミュージカル「PLAYZONE’ 91 SHOCK」を元にしていると言われていますが、内容などは異なっており新しい作品となっているようです。

光一さんが憧れ尊敬する、少年隊の東山紀之さんとの共演した作品です。

 

▼東山紀之氏

 

少年隊はデビューした時からダンスの上手さに定評があり、ミュージカルにも力を入れていました。

少年隊のミュージカル「PLAYZONE」シリーズは、1986年から2008年まで続き、夏の風物詩としても多くのファンに親しまれました。

 

光一さんはミュージカルが大好きで、

「歌、ダンス、芝居、全てが入ったミュージカルがやりたい」

とまだCDデビュー前の若い頃に語っていました。

 

東山さんの仕事に対するストイックさを尊敬しているので、憧れの東山さんとの共演でとても学ぶものが多かったようです。

 

 

「MILLENNIUM SHOCK」以降、帝国劇場では毎年「SHOCKシリーズ」が上演されることとなります。

 

  • 2001年、2002年 SHOW劇SHOCK
  • 2003年 SHOCK is Real SHOCK
  • 2004年 Shocking SHOCK

 

そして2005年からは2018年現在までEndless SHOCKが上演されています。

 

2005年~「Endless SHOCK」

 

Endless SHOCK 以前のSHOCKシリーズと、Endless SHOCKではストーリーが変更されています。

ただ、「ブロードウェイを目指すショーカンパニー」という設定や「Show must go on(何があってもshowを続けなければならない)」のテーマは変わっていません。

 

Endless SHOCKでは光一さんが「もっとストーリーを重視したものにしたい」と脚本、音楽、演出に大きく関わるようになりました。

ジャニー喜多川社長にその事を伝えたところ、

「あなたの思うSHOCKを創ってみたらいい」

との言葉を受けEndless SHOCK が始まりました。

 

ストーリーを変更するにあたり、今までのSHOCKシリーズを好きな人の気持ちや、今までのSHOCKの世界を壊さないようにと、相当な試行錯誤を重ね創り上げたそう。

こうして、新しいSHOCKとしてEndless SHOCKが誕生しました。2005 年からは毎年帝国劇場で上演され、チケットは即日完売となる大人気公演に。

 

Endless SHOCKのストーリーは次のページで解説! Endless SHOCKのストーリーは次のページで解説!

 

<筆者コラム>「SHOCK」時代の光一さんの関わり方

元々、最初のSHOCKシリーズを創ったのはジャニー社長ですが、SHOCKに関しても光一さんも座長として関わっていくようになります。

どれだけ関わっていたかその詳細ははっきりとはわかりませんが「劇中劇の演目をどれにするか」などには関わっていました。

Endless SHOCK以前のSHOCKシリーズでも階段落ちはあり、それをやりたいと言ったのは光一さんです。

脚本を変えたのは光一さんで、制作・東宝の方と創り上げていました。

一字一句セリフを含めてすべて脚本を書いた、というわけではないと思いますが、脚本を考えたのは光一さん、という事です。 

 

2012年「Endless SHOCK」地方公演


photo by Own work  CC 表示-継承 3.0
▲博多座

 

全国からの熱い思いを受けて、2012年には福岡・博多座で初の地方公演。

博多座ではEndless SHOCK のために大規模な改修が行われました。

フライングなどに使う装置を天井につけるなどして、万全の態勢で光一さんたちを迎え入れ、大盛況となりました。

 

2012年~2015年、2017年と博多座で上演されており、光一さんも博多が大のお気に入りで「帰りたくない」と言うほど。

共演者の内博貴さんと博多でのおいしい食事が楽しみで、休演日には近場の温泉へ行ったりと博多を満喫していました。

 

内博貴(うち ひろき)氏
1986年生まれ。NEWS、関ジャニ∞のメンバーとしても活躍を果たす。2010年よりEndlessSHOCKにライバル役「ウチ」として出演している。

 

大阪・梅田芸術劇場でも2013年に初めて上演され、2014年~2015年、2017年と関西のファンも多く劇場に詰めかけました。

 

▼梅田芸術劇場(建物内)


photo by Edomura no Tokuzo CC 表示-継承 4.0

 

Endless SHOCKはファンのみならず、芸能・舞台・芸術関係者からも高い評価を受けており、2007年にはスタッフと出演者一同が「菊田一夫演劇大賞」を受賞しています。

 

菊田一夫演劇大賞
1975年に創設された日本の演劇賞。大衆演劇ですぐれた業績を示した芸術家が表彰される。

 

2018年「Endless SHOCK」単独主演1600回

 

2018年3月6日の帝国劇場公演にて、光一さんの単独主演1600回を迎えました。

これは故・森光子さんの「放浪記」の2017回に次ぐ記録です。

 

放浪記
1961年から2009年まで上演されていた森光子主演の舞台。同作は森光子氏の代表作であり、森光子氏が喜びのあまりでんくり返しするシーンが有名。

 

光一さんは、

「それだけの回数を重ねてきただけのことはあるな、とお客様に思っていただけるように。これからもできる限りやらせていただきたい。」

とEndless SHOCKへの熱い想いを語っていました。

 

Endless SHOCKは、光一さんにとってライフワークともいえる大切な作品。

1公演1公演大切に創り上げてきたからこそ、これだけの高い支持と評価を受けているのだと思います。

 

さて、そんなEndless SHOCKですが「テレビ等で階段落ちやフライングのシーンは観たことがあるけどストーリーは知らない」という方も多いのではないでしょうか。

次のページではストーリーについてお伝えします。

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著者:しあ

40代後半女性。Endless SHOCKは博多座にて多数鑑賞。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。全部チケットの半券をとっているのでとても大切な想い出です。私の好きなアーティストの魅力を知っていただければ、と思います。

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