山下達郎おすすめの名曲④ 【ジャニーズへの提供曲編】

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山下達郎さんは『クリスマス・イブ』で有名なミュージシャン。達郎さんはテレビに出演しないため、動く姿を観れるのはライブだけ。チケットは入手困難であり「音の職人」と称される達郎さんのライブは「極上の音楽空間」。

『山下達郎』入門 ~極上の音楽空間~(全14ページ)はこちらから!

著者:しあ

40代後半女性。音楽が大好きでJ-POP、K-POP、洋楽、演歌歌謡曲とさまざまな音楽を聴いています。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。全部チケットの半券をとっているのでとても大切な想い出です。音楽はとても生活を豊かにしてくれるもの。私の好きなアーティストの魅力を知っていただければ、と思います。

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この章では達郎さんの楽曲を

定番】【隠れた名曲】【鈴木雅之への提供曲】【ジャニーズへの提供曲】【カバー

とジャンルに分けて5ページにわたって紹介します。

達郎さんは自身でも大ヒット曲を数多くリリースしております。ただ達郎さんは自身の曲だけでなく作曲家としても多くのヒット曲を手がけているのです。

またジャニーズへの提供曲には名曲が多いのです。

 

ジャニーズ提供曲が多い理由!?

 

山下達郎さんはジャニーズ事務所所属のアイドルへの楽曲提供が多いと思います。提供曲が多い理由は「小杉理宇造さん」がジャニーズ事務所とつながりがあったためかなと思います。

小杉さんは達郎さんが所属する事務所であるスマイルカンパニーの元代表取締役社長です。2003年にはジャニーズエンターテイメントの代表取締役社長に就任しています。

小杉さんは昔、レコード会社RCAにおり、そこの所属アーティストだった達郎さんと出逢いました。そして小杉さんはRCAにいる時にジャニーズ事務所のジャニー喜多川社長とも知り合いになったそう。

 

そういったことから、達郎さんとジャニーズとのつながりが、自然と出来ていったのだと思います。

ジャニーズのアイドルへの楽曲提供は名曲が多いです。このページではその中でも私が大好きな曲をご紹介したいと思います。達郎さんがセルフカバーしているものもあります。

 

KinKi Kids

メンバー ・堂本剛(1979年4月10日生まれ)上記写真左
・堂本光一(1979年1月1日生まれ)上記写真右
デビュー 1997年7月21日にシングル『硝子の少年』でデビュー。
デビューからシングル39連続で初登場1位を記録しておりギネス記録に登録されている。

 

硝子の少年

リリース年月 1997年7月21日(シングル『硝子の少年』)
時間 4分39秒
備考 CD売り上げは170万枚以上でKinKi Kids最大のヒット曲。
収録アルバム B album
KinKi Single Selection
39
The BEST

 

『硝子の少年』は言わずと知れたKinKi Kidsの大ヒットデビュー曲。

松本隆さん作詞、達郎さん作曲、編曲。

 

松本隆

1949年生まれ。「日本語ロック」の先駆者で日本の音楽界に多大な影響を与えたバンド『はっぴぃえんど』の元ドラマーであり作詞担当。寺尾聰、松田聖子、薬師丸ひろ子、近藤真彦など数多くの有名アーティストやアイドルの楽曲を手がける。

 

私は達郎さんファンであるのはもちろんですが、KinKi KidsがCDデビューする前から彼らのファンでした。

そのためKinKi KidsのCDデビューが決まり、達郎さんが曲を提供すると知った時はすごくうれしかったです。

 

印象的なイントロから始まる『硝子の少年』は、松本隆さんのせつない詩とも相まって世代を超えて愛される名曲に。

KinKi Kidsの歌、ダンスもとってもよくて、白い衣装も『硝子の少年』というタイトル、曲にぴったりでした。

 

達郎さんバージョンはベストアルバム『OPUS』の初回限定盤のボーナストラックに収録されています。

 

▼ベストアルバム『OPUS』CD

 

セルフカバーではなくデモ音源(=関係者に曲の概要を伝えるために作られた曲)なのですが、達郎さんバージョンもすごく素敵。

KinKi Kidsの二人のお父さん世代と言っていい達郎さんが歌っても違和感がありません。

達郎さんが目指して創った「何十年後にも歌える歌」になっていると思います。

 

堂本光一さんは達郎さんから「君たちが、何年たっても、大人になっても歌える歌だよ」と言われたそうです。光一さんは今でも達郎さんが歌ったデモテープを大切に持っているようです。

達郎さんはライブでも『硝子の少年』を歌うことがあり、会場はすっごく盛り上がります。

初めてライブで聴いた時はとっても感動しました。

 

▼KinKi Kids『硝子の少年』収録アルバム『39』CD

 

Kissからはじまるミステリー

リリース年月 1997年7月21日(アルバム『A album』)
備考 ・KinKi Kidsのデビューアルバムである『A album』に収録されている。同アルバムはミリオンセラーを突破している。
・堂本剛主演の日本テレビ系ドラマ『金田一少年の事件簿 第2シーズン』主題歌。
収録アルバム A album
39

 

『Kissからはじまるミステリー』はKinKi Kidsの曲の中でも、私の中でベスト5に入る大好きな曲。

松本隆さん作詞、達郎さん作曲、編曲。

この曲は堂本剛さん主演ドラマ『金田一少年の事件簿』の主題歌で、CD化される前からテレビで流れていました。

その時から大好きな曲。

 

▼ドラマ『金田一少年の事件簿』DVD(画像クリックで商品詳細へ)

 

主題歌なのでフルでは流れなかったので、CD化された時はすっごくうれしかったです。

達郎さんバージョンはアルバム『SONORITE』にセルフカバーとして収録。

 

▼アルバム『SONORITE』

 

でも、セルフカバーと言うには結構生まれ変わっている印象。

KinKi Kidsが歌うラップ部分の詩が大きく変わっていて、そのラップ部分はケツメイシのRYOさんが歌っています。ラップ作詞もRYOさん。

 

ケツメイシ

日本のヒップホップグループ。1999年に初のインディーズ曲がリリースされる。アルバム『ケツノポリス4』はオリコンアルバム週間チャートで3週連続首位を獲得する。RYOは同グループのMC担当。

▼RYOは写真左から2番目

 

KinKi Kidsバージョンでは学園ドラマらしい「教室中」という詩が

達郎さんバージョンでは「一晩中」に。

「横断歩道」という詩が

達郎さんバージョンでは「一晩中」と変わっていたり。

 

KinKi Kidsの若さ溢れる曲の感じとはまた違って、とても大人な曲になっています。

「どちらもいい!」と思いますがKinKi Kidsのラップ部分込みで好きだったので、そこを達郎さんバージョンでも聴きたかったな~という気持ちもあります。

でも、あの部分を同じ歌詞で達郎さんが歌うのは無理があるし、もどかしいところです。

 

▼KinKi Kids『Kissからはじまるミステリー』収録アルバム『39』CD

 

HAPPY HAPPY GREETING

リリース年月 1998年12月9日(シングル『Happy Happy Greeting/シンデレラ・クリスマス』
時間 6分13秒
備考 ・CD売り上げ60.9万枚
・パナソニック『デジカム』CMソング
収録アルバム The BEST

 

『HAPPY HAPPY GREETING』はとっても暖かく幸せな気持ちになる、いろんなお祝いに使われるハッピーな曲。

松本隆さん作詞、達郎さん作曲、編曲。

「クリスマスに関する曲は多いけど、元日に関する曲がない」ということで創られた曲。

どうせならいろんなお祝いを入れよう、ということで誕生日やバレンタインなども詩に登場します。

堂本光一さんの誕生日が1月1日なので、それをお祝いする意味も。

達郎さんバージョンはアルバム『RARITIES』に収録されています。

 

▼アルバム『RARITIES』CD

 

KinKi Kidsよりもシンプルで大人な感じ。

難波弘之さんのピアノがとても心地いい。

 

難波弘之


1953年生まれの音楽家・SF作家。東京都音楽大学の教授を務めている。多くのアニメ・ドラマの音楽を担当する。山下達郎のコンサートツアーにも参加している。

難波弘之さんや他の達郎さんのライブに参加するアーティストについては次の章(第4章)で紹介いたします。

 

▼シングル『HAPPY HAPPY GREETING』CD

 

 近藤真彦

生年月日 1964年7月19日
出身地 神奈川県大和市
デビュー 1980年『スニーカーぶる~す』でソロデビュー
田原俊彦・野村義男とともに『たのきんトリオ』として人気を博した。1987年に『愚か者』で第29回日本レコード大賞を獲得する。

 

ハイティーン・ブギ

リリース年月 1982年6月30日(シングル『ハイティーン・ブギ』)
備考 映画『ハイティーン・ブギ』主題歌
収録アルバム THE MATCHY best song for you
近藤真彦 THE BEST
By Your Request
THE ROCK BEST
風街図鑑
MATCHY★BEST

 

ジャニーズ事務所の大御所でもあり、1980年代には大人気アイドルだったマッチこと近藤真彦さん。

私が初めて達郎さんの名前を知ったのはこの『ハイティーン・ブギ』から。

2018年のライブでは達郎さんがこの曲をカバーし大盛り上がりとなりました。

マッチの同名主演映画を観に行った事などを想い出しながら、今こうして達郎さんの音楽が私の人生に大きく関わっていることを感慨深く思いました。

 

▼『ハイティーン・ブギ』収録アルバム『THE MATCHY best song for you 』CD

 

少年隊

メンバー ・錦織一清(1965年5月22日生まれ)写真左
・植草克秀(1966年7月24日生まれ)写真中央
・東山紀之(1966年9月30日)写真右
デビュー 1985年『仮面舞踏会』でデビュー
ジャニーズ最長の活動歴のグループ。最大のヒットソングは『仮面舞踏会』で、1986年の年間シングル売り上げの第3位となる。

 

湾岸スキーヤー

リリース年月 1998年1月28日
時間 4分32秒
収録アルバム Prism

 

『湾岸スキーヤー』はフジテレビの長野オリンピックのテーマソングとなっていた曲。

よく中継で流れていたのを覚えています。

元々は、屋内スキー場「ららぽーとスキードーム」のCMソングとして制作されていたものです。

達郎さんの作品としてCD化する機会を逃していたところ、少年隊の作品として秋元康さん他の手が加わりフルバージョンが制作され少年隊の曲になりました。

達郎さんのCMバージョンは達郎さんの公式サイトのみで購入できる『山下達郎 CM全集Vol.2』に収録されています。

<Tatsuro Yamashita Official Websaite>https://www.tatsuro.co.jp/shop/

すごくさわやかな素敵な曲で少年隊のダンスもカッコよくて、大好きでした。

 

▼『湾岸スキーヤー』収録アルバムCD

 

達郎さんのジャニーズへの提供曲の中から、自身でも歌われたことがあるものをご紹介しました。

特にKinKi Kidsの曲は本当に素敵なので、どちらのバージョンも聴いてほしいなと思います。

 

さて、達郎さんの曲は他アーティストによってカバーされています。カバーされた曲もとても素晴らしいです。次のページで紹介いたします。

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著者:しあ

40代後半女性。音楽が大好きでJ-POP、K-POP、洋楽、演歌歌謡曲とさまざまな音楽を聴いています。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。全部チケットの半券をとっているのでとても大切な想い出です。音楽はとても生活を豊かにしてくれるもの。私の好きなアーティストの魅力を知っていただければ、と思います。

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山下達郎の歴史① 【デビュー~1980年代前半】

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山下達郎さんは『クリスマス・イブ』で有名なミュージシャン。達郎さんはテレビに出演しないため、動く姿を観れるのはライブだけ。チケットは入手困難であり「音の職人」と称される達郎さんのライブは「極上の音楽空間」。

『山下達郎』入門 ~極上の音楽空間~(全14ページ)はこちらから!

著者:しあ

40代後半女性。音楽が大好きでJ-POP、K-POP、洋楽、演歌歌謡曲とさまざまな音楽を聴いています。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。全部チケットの半券をとっているのでとても大切な想い出です。音楽はとても生活を豊かにしてくれるもの。私の好きなアーティストの魅力を知っていただければ、と思います。

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この章では【デビュー~1980年代前半】【1980年代後半~現在】という2ページにわたって山下達郎さんの歴史についてお伝えします。

このページでは【デビュー~1980年代前半】の活動についてお伝えします。

 

年表

▼このページで紹介する出来事

年月 出来事
1972年 アルバム「ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY」を制作。
1973年 シュガー・ベイブ結成
1975年4月 アルバム「SONGS」
1976年 シュガー・ベイブ解散
1976年3月 アルバム「ナイアガラ・トライアングル」
1976年12月 ソロ・デビュー
1979年 アルバム「MOONGLOW」
1980年5月 シングル「RIDE ON TIME」。CMソングで話題。
1980年12月 アカペラアルバム「ON THE STREET CORNER」
1982年2月 アルバム「FOR YOU」
1983年6月 アルバム「MELODIES」
1984年6月 サウンドトラック「BIG WAVE」

 

山下達郎の歴史【デビュー~1980年代前半】

【1975年】デビュー

 

達郎さんは1972年にアマチュアバンドの友人とアルバム『ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY』を制作しました。

このアルバム制作をきっかけに、現在シンガーソングライターとして活躍する大貫妙子(おおぬき たえこ)さんらと知り合い1973年に「シュガー・ベイブ」を結成します。

 

▼大貫妙子さん

▼大貫さんの曲

 

『ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY』を聴いた、当時シンガーソングライターとして人気を博していた故・大瀧詠一(おおたき えいいち)氏と出逢い、達郎さんは「はっぴいえんど」の解散ライブでバックコーラスを務めます。

 

▼大瀧詠一氏

 

ちなみに「はっぴぃえんど」とは、細野晴臣氏、大瀧詠一氏、松本隆氏、鈴木茂氏で結成されたバンドで「日本のロックの原点」とも称されるバンドです。多くのアーティスト、ミュージシャンに影響を与えたと言われています。

 

▼はっぴぃえんどの代表曲『風をあつめて』

▼細野晴臣氏


By YMOHosono2008(wide).jpg: JJ Hall from Peckham Rye, London, UKderivative work: Solid State Survivor (talk) – YMOHosono2008(wide).jpg, CC 表示 2.0, Link 

▼松本隆氏

▼鈴木茂

 

1975年に「シュガー・ベイブ」は、大瀧詠一氏のナイアガラレーベル(レコード会社)からシングル『DOWN TOWN』アルバム『SONGS』でデビューしますが1年で解散します。

 

▼アルバム「SONGS」1975年4月(画像クリックで商品詳細へ。試聴可能)

 

【1976年】ソロデビュー

 

シュガー・ベイブ解散後、達郎さんは大瀧詠一氏、伊藤銀次氏との『ナイアガラ・トライアングル』の制作を行います。

 

伊藤銀次

1950年生まれのミュージシャン。フジテレビお昼の番組「笑っていいとも」の『ウキウキWatching』の作曲した。

 

▼『ナイアガラ・トライアングル」1976年3月(画像クリックで商品詳細へ。試聴可能)

 

そして1976年に達郎さんはアルバム『CIRCUS TOWN』をリリースしてソロデビューします。

 

▼デビューアルバム『CIRCUS TOWN』1976年12月(画像クリックで商品詳細へ)

 

このあたりの活動は、私は幼稚園ぐらいの時なのでリアルタイムでその活動を把握はしておりません。

ただ、自分が高校生の頃に音楽を好きになり、好きなアーティスト達がこの頃の話をするのを聞いて「音楽界において(はっぴぃえんど・シュガーベイブは)とても影響を与えた人たちだったんだな~」と思いました。

「はっぴぃえんどは言葉の選び方、音への日本語の、のせ方がすごい」

「シュガーベイブはキラキラとしたポップな音楽が衝撃的で、すっごくかっこよかった!日本のポップスの原点」

「シュガー・ベイブはフォークソングとは違う、おしゃれな輝きがあった」

などと今でも、嬉々としてこの頃の事を語るアーティストがたくさんいますので、日本の音楽の歴史を切り開いた人物、バンドだったのだな~と思います。

 

【1986年~】数多くのアルバムリリース

 

ソロデビューアルバム『CIRCUS TOWN』リリース後は、コンスタントにアルバムを発表し、人気を博していきます。

 

▼デビューから1980年代前半にリリースされたアルバム

作数 タイトル リリース年月 ジャンル
1 CIRCUS TOWN 1976年12月 スタジオアルバム
2 SPACY 1977年5月 スタジオアルバム
3 IT’S A POPPIN’ TIME 1978年5月 ライブアルバム
4 GO AHEAD! 1978年12月 スタジオアルバム
5 MOONGLOW 1979年10月 スタジオアルバム
6 COME ALONG 1980年3月 コンピレーションアルバム
7 RIDE ON TIME 1980年9月 スタジオアルバム
8 ON THE STREET CORNER 1980年12月 アカペラアルバム
9 FOR YOU 1982年1月 スタジオアルバム
10 GREATEST HITS! OF TATSURO YAMASHITA 1982年7月 ベストアルバム
12 MELODIES 1983年6月 スタジオアルバム
13 BIG WAVE 1984年6月 サウンドトラック

スタジオアルバム・・・スタジオで制作されたアルバム
ライブアルバム・・・生演奏を録音したアルバム
コンピレーションアルバム・・・既に発表された音源を再編集したアルバム。

 

1979年リリースのアルバム『MOONGLOW』は日本レコード大賞のベストアルバム賞を受賞。

 

▼4作目スタジオアルバム『MOONGLOW』1979年10月(画像クリックで商品詳細へ)

 

【1980年】『RIDE ON TIME』がヒット

 

1980年5月リリースのシングル『RIDE ON TIME』はマクセル(電池やCDなどの販売会社)のカセットテープのCMソングとなり話題になりました。このシングルCDは50万枚を売り上げるヒット曲となりました。

アルバム『RIDE ON TIME』も大ヒット。この曲のヒットにより達郎さんの存在が広く世間に認知されました。

 

▼マクセルのカセットテープ

▼5作目スタジオアルバム「RIDE ON TIME」1980年9月(画像クリックで商品詳細へ)

 

この頃の私は小学生でCMの記憶はありません。ただ後にこのCMを見て、すごくカッコいいと思いました!

長髪の達郎さんが手をピストルにして「バーン!」と打つ姿はインパクトがあります。マクセルのキャッチコピーの「いい音しか残れない」も、達郎さんのイメージとぴったり。

 

▼CMのイメージ

 

【コラム】マクセルのカセットテープ

私は1984年ぐらいから音楽に興味を持ち始めるのですが、色んなカセットテープメーカーの中ではマクセルがNO.1だと思っていました。CMのコピー通りに本当に音がいいから大好きで、好きなミュージシャンのアルバムは必ずマクセルで録っていました。

 

1980年12月には、後にシリーズ化される一人アカペラアルバム『ON THE STREET CORNER』がリリースされます。

 

▼1作目のアカペラアルバム『ON THE STREET CORNER』1980年12月(画像クリックで商品詳細へ。試聴可能)

 

1980年代前半にはアルバム『FOR YOU』『MELODIES』がヒット。

 

▼6作目スタジオアルバム『FOR YOU』1982年1月(画像クリックで商品詳細へ)

 7作目スタジオアルバム『MELODIES』1983年6月(画像クリックで商品詳細へ)

 

映画『BIG WAVE』のサウンドトラックを手がけるなど、精力的に活動し人気を不動のものにしていきます。

 

▼「BIG WAVE」のサウンドトラック。1984年6月(画像クリックで商品詳細へ)

 

筆者と山下達郎の出会い

 

ここまでは達郎さんのデビューから1980年代前半までの歴史をお伝えしてきました。

ちなみに、私が初めて山下達郎の名前を知ったのが中学1年の時(1982年)でした。当時大人気だったアイドル近藤真彦さん(マッチ)のシングル『ハイティーン・ブギ』を達郎さんが作曲したことがきっかけです。

 

▼1982年リリース。シングル「ハイティーン・ブギ」

「マッチの新曲は山下達郎作曲!」と、とても話題になっていたのを覚えています。マッチ主演映画『ハイティーン・ブギ』の主題歌でもあり、映画、シングル共に大ヒットしました。

確か、当時マッチが好きなアルバムとして、矢沢永吉さんと達郎さんのアルバムを挙げていて、その頃は「山下達郎ってすごい人なんだ~」ぐらいにしか思っていませんでした。

 

矢沢永吉

1972年~1975年に活動した「キャロル」のボーカル。同バンドは現在のロックシーンに大きな影響を及ぼし、「伝説のバンド」と称されている。1973年に発売された『ファンキー・モンキー・ベイビー』は当時のロックバンドとしては異例のヒットである30万枚を売り上げ、日本のロックの地位を確立した。

 

同時期に達郎さんのシングル『あまく危険な香り』がヒット。

同名ドラマの主題歌で、とてもアダルトな雰囲気のその曲を聴いて子供ながらに「素敵だな~」と思っていました。

 

次のページでは、達郎さんの1980年代半ば以降の活動についてご紹介します。

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著者:しあ

40代後半女性。音楽が大好きでJ-POP、K-POP、洋楽、演歌歌謡曲とさまざまな音楽を聴いています。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。全部チケットの半券をとっているのでとても大切な想い出です。音楽はとても生活を豊かにしてくれるもの。私の好きなアーティストの魅力を知っていただければ、と思います。

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