山下達郎の歴史① 【デビュー~1980年代前半】

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山下達郎さんは『クリスマス・イブ』で有名なミュージシャン。達郎さんはテレビに出演しないため、動く姿を観れるのはライブだけ。チケットは入手困難であり「音の職人」と称される達郎さんのライブは「極上の音楽空間」。

『山下達郎』入門 ~極上の音楽空間~(全14ページ)はこちらから!

著者:しあ

40代後半女性。音楽が大好きでJ-POP、K-POP、洋楽、演歌歌謡曲とさまざまな音楽を聴いています。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。全部チケットの半券をとっているのでとても大切な想い出です。音楽はとても生活を豊かにしてくれるもの。私の好きなアーティストの魅力を知っていただければ、と思います。

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この章では【デビュー~1980年代前半】【1980年代後半~現在】という2ページにわたって山下達郎さんの歴史についてお伝えします。

このページでは【デビュー~1980年代前半】の活動についてお伝えします。

 

年表

▼このページで紹介する出来事

年月 出来事
1972年 アルバム「ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY」を制作。
1973年 シュガー・ベイブ結成
1975年4月 アルバム「SONGS」
1976年 シュガー・ベイブ解散
1976年3月 アルバム「ナイアガラ・トライアングル」
1976年12月 ソロ・デビュー
1979年 アルバム「MOONGLOW」
1980年5月 シングル「RIDE ON TIME」。CMソングで話題。
1980年12月 アカペラアルバム「ON THE STREET CORNER」
1982年2月 アルバム「FOR YOU」
1983年6月 アルバム「MELODIES」
1984年6月 サウンドトラック「BIG WAVE」

 

山下達郎の歴史【デビュー~1980年代前半】

【1975年】デビュー

 

達郎さんは1972年にアマチュアバンドの友人とアルバム『ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY』を制作しました。

このアルバム制作をきっかけに、現在シンガーソングライターとして活躍する大貫妙子(おおぬき たえこ)さんらと知り合い1973年に「シュガー・ベイブ」を結成します。

 

▼大貫妙子さん

▼大貫さんの曲

 

『ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY』を聴いた、当時シンガーソングライターとして人気を博していた故・大瀧詠一(おおたき えいいち)氏と出逢い、達郎さんは「はっぴいえんど」の解散ライブでバックコーラスを務めます。

 

▼大瀧詠一氏

 

ちなみに「はっぴぃえんど」とは、細野晴臣氏、大瀧詠一氏、松本隆氏、鈴木茂氏で結成されたバンドで「日本のロックの原点」とも称されるバンドです。多くのアーティスト、ミュージシャンに影響を与えたと言われています。

 

▼はっぴぃえんどの代表曲『風をあつめて』

▼細野晴臣氏


By YMOHosono2008(wide).jpg: JJ Hall from Peckham Rye, London, UKderivative work: Solid State Survivor (talk) – YMOHosono2008(wide).jpg, CC 表示 2.0, Link 

▼松本隆氏

▼鈴木茂

 

1975年に「シュガー・ベイブ」は、大瀧詠一氏のナイアガラレーベル(レコード会社)からシングル『DOWN TOWN』アルバム『SONGS』でデビューしますが1年で解散します。

 

▼アルバム「SONGS」1975年4月(画像クリックで商品詳細へ。試聴可能)

 

【1976年】ソロデビュー

 

シュガー・ベイブ解散後、達郎さんは大瀧詠一氏、伊藤銀次氏との『ナイアガラ・トライアングル』の制作を行います。

 

伊藤銀次

1950年生まれのミュージシャン。フジテレビお昼の番組「笑っていいとも」の『ウキウキWatching』の作曲した。

 

▼『ナイアガラ・トライアングル」1976年3月(画像クリックで商品詳細へ。試聴可能)

 

そして1976年に達郎さんはアルバム『CIRCUS TOWN』をリリースしてソロデビューします。

 

▼デビューアルバム『CIRCUS TOWN』1976年12月(画像クリックで商品詳細へ)

 

このあたりの活動は、私は幼稚園ぐらいの時なのでリアルタイムでその活動を把握はしておりません。

ただ、自分が高校生の頃に音楽を好きになり、好きなアーティスト達がこの頃の話をするのを聞いて「音楽界において(はっぴぃえんど・シュガーベイブは)とても影響を与えた人たちだったんだな~」と思いました。

「はっぴぃえんどは言葉の選び方、音への日本語の、のせ方がすごい」

「シュガーベイブはキラキラとしたポップな音楽が衝撃的で、すっごくかっこよかった!日本のポップスの原点」

「シュガー・ベイブはフォークソングとは違う、おしゃれな輝きがあった」

などと今でも、嬉々としてこの頃の事を語るアーティストがたくさんいますので、日本の音楽の歴史を切り開いた人物、バンドだったのだな~と思います。

 

【1986年~】数多くのアルバムリリース

 

ソロデビューアルバム『CIRCUS TOWN』リリース後は、コンスタントにアルバムを発表し、人気を博していきます。

 

▼デビューから1980年代前半にリリースされたアルバム

作数 タイトル リリース年月 ジャンル
1 CIRCUS TOWN 1976年12月 スタジオアルバム
2 SPACY 1977年5月 スタジオアルバム
3 IT’S A POPPIN’ TIME 1978年5月 ライブアルバム
4 GO AHEAD! 1978年12月 スタジオアルバム
5 MOONGLOW 1979年10月 スタジオアルバム
6 COME ALONG 1980年3月 コンピレーションアルバム
7 RIDE ON TIME 1980年9月 スタジオアルバム
8 ON THE STREET CORNER 1980年12月 アカペラアルバム
9 FOR YOU 1982年1月 スタジオアルバム
10 GREATEST HITS! OF TATSURO YAMASHITA 1982年7月 ベストアルバム
12 MELODIES 1983年6月 スタジオアルバム
13 BIG WAVE 1984年6月 サウンドトラック

スタジオアルバム・・・スタジオで制作されたアルバム
ライブアルバム・・・生演奏を録音したアルバム
コンピレーションアルバム・・・既に発表された音源を再編集したアルバム。

 

1979年リリースのアルバム『MOONGLOW』は日本レコード大賞のベストアルバム賞を受賞。

 

▼4作目スタジオアルバム『MOONGLOW』1979年10月(画像クリックで商品詳細へ)

 

【1980年】『RIDE ON TIME』がヒット

 

1980年5月リリースのシングル『RIDE ON TIME』はマクセル(電池やCDなどの販売会社)のカセットテープのCMソングとなり話題になりました。このシングルCDは50万枚を売り上げるヒット曲となりました。

アルバム『RIDE ON TIME』も大ヒット。この曲のヒットにより達郎さんの存在が広く世間に認知されました。

 

▼マクセルのカセットテープ

▼5作目スタジオアルバム「RIDE ON TIME」1980年9月(画像クリックで商品詳細へ)

 

この頃の私は小学生でCMの記憶はありません。ただ後にこのCMを見て、すごくカッコいいと思いました!

長髪の達郎さんが手をピストルにして「バーン!」と打つ姿はインパクトがあります。マクセルのキャッチコピーの「いい音しか残れない」も、達郎さんのイメージとぴったり。

 

▼CMのイメージ

 

【コラム】マクセルのカセットテープ

私は1984年ぐらいから音楽に興味を持ち始めるのですが、色んなカセットテープメーカーの中ではマクセルがNO.1だと思っていました。CMのコピー通りに本当に音がいいから大好きで、好きなミュージシャンのアルバムは必ずマクセルで録っていました。

 

1980年12月には、後にシリーズ化される一人アカペラアルバム『ON THE STREET CORNER』がリリースされます。

 

▼1作目のアカペラアルバム『ON THE STREET CORNER』1980年12月(画像クリックで商品詳細へ。試聴可能)

 

1980年代前半にはアルバム『FOR YOU』『MELODIES』がヒット。

 

▼6作目スタジオアルバム『FOR YOU』1982年1月(画像クリックで商品詳細へ)

 7作目スタジオアルバム『MELODIES』1983年6月(画像クリックで商品詳細へ)

 

映画『BIG WAVE』のサウンドトラックを手がけるなど、精力的に活動し人気を不動のものにしていきます。

 

▼「BIG WAVE」のサウンドトラック。1984年6月(画像クリックで商品詳細へ)

 

筆者と山下達郎の出会い

 

ここまでは達郎さんのデビューから1980年代前半までの歴史をお伝えしてきました。

ちなみに、私が初めて山下達郎の名前を知ったのが中学1年の時(1982年)でした。当時大人気だったアイドル近藤真彦さん(マッチ)のシングル『ハイティーン・ブギ』を達郎さんが作曲したことがきっかけです。

 

▼1982年リリース。シングル「ハイティーン・ブギ」

「マッチの新曲は山下達郎作曲!」と、とても話題になっていたのを覚えています。マッチ主演映画『ハイティーン・ブギ』の主題歌でもあり、映画、シングル共に大ヒットしました。

確か、当時マッチが好きなアルバムとして、矢沢永吉さんと達郎さんのアルバムを挙げていて、その頃は「山下達郎ってすごい人なんだ~」ぐらいにしか思っていませんでした。

 

矢沢永吉

1972年~1975年に活動した「キャロル」のボーカル。同バンドは現在のロックシーンに大きな影響を及ぼし、「伝説のバンド」と称されている。1973年に発売された『ファンキー・モンキー・ベイビー』は当時のロックバンドとしては異例のヒットである30万枚を売り上げ、日本のロックの地位を確立した。

 

同時期に達郎さんのシングル『あまく危険な香り』がヒット。

同名ドラマの主題歌で、とてもアダルトな雰囲気のその曲を聴いて子供ながらに「素敵だな~」と思っていました。

 

次のページでは、達郎さんの1980年代半ば以降の活動についてご紹介します。

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40代後半女性。音楽が大好きでJ-POP、K-POP、洋楽、演歌歌謡曲とさまざまな音楽を聴いています。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。全部チケットの半券をとっているのでとても大切な想い出です。音楽はとても生活を豊かにしてくれるもの。私の好きなアーティストの魅力を知っていただければ、と思います。

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山下達郎とは

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山下達郎さんは『クリスマス・イブ』で有名なミュージシャン。達郎さんはテレビに出演しないため、動く姿を観れるのはライブだけ。チケットは入手困難であり「音の職人」と称される達郎さんのライブは「極上の音楽空間」。

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40代後半女性。音楽が大好きでJ-POP、K-POP、洋楽、演歌歌謡曲とさまざまな音楽を聴いています。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。全部チケットの半券をとっているのでとても大切な想い出です。音楽はとても生活を豊かにしてくれるもの。私の好きなアーティストの魅力を知っていただければ、と思います。

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山下達郎とは


By Aurelius2018投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, Link 

名前 山下 達郎(やました たつろう)
生年月日 1953年(昭和28年)2月4日
出身地 東京都豊島区池袋出身
職業 シンガーソングライター/作曲家/音楽プロデューサー
デビュー曲 1975年に「シュガー・ベイブ」のメンバーとしてシングル『DOWNTOWN』アルバム『ソングス』でデビュー。現在は主にソロで活動を行う。
1983年にリリースされた『クリスマス・イブ』はJR東海のCMに使用されて話題になり、CD売上185万枚を突破。同曲はオリコンチャート30年連続トップ100を記録しギネス世界記録にも認定される。近年は、2009年公開の映画『サマーウォーズ』や2018年公開の映画『未来のミライ』の主題歌を手掛ける。

▼代表曲「クリスマス・イブ」

他アーティストへの楽曲提供も行っており、近藤真彦『ハイティーン・ブギ』(1982年リリース)、KinKi Kidsのデビューシングル『硝子の少年』などヒット曲を数多く手がけている。

 

山下達郎さんは、1953年生まれのシンガーソングライターです。ソロデビュー前のバンド「シュガー・ベイブ」時代を含めると音楽キャリアは40年以上になります。

 

シュガー・ベイブ

1973年~1975年に活動していたバンド。山下達郎氏はボーカル・ギター・コーラスを担当した。伝説のバンドとして語り継がれ、現在ブームの「シティポップ」という音楽ジャンルの先駆けと言える存在。

▼アルバム「SONGS」(画像クリックで視聴可能リンクへ)

 

達郎さんの代表曲と言えば『クリスマス・イブ』が有名ですが、達郎さんの楽曲はバラエティに富んでいて様々なテイストの曲が楽しめます。

また、達郎さんはシンガーソングライターとしての活動のみならず、他アーティストへの楽曲提供もしています。

ジャニーズのアイドルへの提供曲もあり、また達郎さんがセルフカバーをしている曲もあります。

 

山下達郎さんのジャニーズへの提供曲については第4章で紹介! 山下達郎さんのジャニーズへの提供曲については第4章で紹介!

 

奥様であり大人気シンガーソングライターの竹内まりやさんとは、公私にわたるパートナーです。達郎さんはまりやさんの楽曲を多く手がけています。

 

竹内まりや

1955年生まれ。1979年にシングル『SEPTEMBER』で日本レコード大賞新人賞を受賞。1994年に発売された『impressions』は売上300万枚を超える大ヒットとなった。作詞・作曲家としても多くのヒット曲を手掛ける。

▼竹内まりや氏

竹内まりやさんについては第2章で詳しく紹介します。

 

以下では達郎さんのことを理解していただくため

「音の職人」「音楽界の宝」「極上の音楽空間」

という3つのキーワードに分けて達郎さんのことを紹介いたします。

 

山下達郎を理解するための3つのキーワード

① 音の職人

 

達郎さんの音楽創りは緻密で「音の職人」とも称されます。達郎さんの音楽の緻密さは、実際に曲を聴けば伝わるかと思います。

今もライブの1曲目にほぼ必ず披露する『SPARKLE』という曲があります。

一つの曲を構成するものには多くの要素があります。ギター・ブラス・コーラスアレンジ・ボーカル、その他・・・。達郎さんの『SPARKLE』は、それら一つ一つの要素が細部に至るまで心地よく感じるのです。

 

▼『SPARKLE』リンク先で試聴可能

 

また、1980年に発売されたアルバム『ON THE STREET CORNER』では、ボーカルのみならずコーラスも山下達郎さん1人で行っております。

音楽オタクぶりが伺える「アカペラの極み 」と言える音楽になっています。(曲の一部に女性ボーカルの吉田美奈子さんが参加しております。)

 

▼アルバム『ON THE STREET CORNER』(画像クリックで商品詳細へ)

 

② 音楽界の宝

 

達郎さんは「音楽界の宝」とも言える存在だと思えます。

「音楽界の宝」と思えるのは、達郎さんは大御所から若手、多くのアーティストに影響を与えているからです。数々のアーティストに影響を及ぼした達郎さんの音楽は「日本の音楽の礎」を築いたのではないかと思っております。

 

山下達郎さんをリスペクトするアーティスト一覧
スターダスト・レビュー/角松敏生/鈴木雅之/KAN/槇原敬之/ジャンク・フジヤマ/星野源など

 

達郎さんの音楽界に与えた影響や、その音楽の素晴らしさから私は「○○褒章などをもらってもいいのでは」と思っています。

達郎さんはそういったものにこだわっていないだろうし、もちろん私も本当にもらって欲しいと思っているわけではありません。ただ、日本の音楽界においてそのくらいの存在であると思っているのです。

 

「音楽界の宝」であり、神様のような存在とも言える達郎さんには「手の届かない人」のように感じるかもしれません。

ただ、実際の達郎さんは素晴らしい音楽を創りながら決して奢ったところがなく、音楽の中でも特にドゥーワップが好きな生粋の音楽マニアという印象です。

 

ドゥーワップとは

R&Bのコーラスの一種。1950年代半ばから1960年台初頭のアメリカ合衆国で流行した。メロディー以外の旋律は「ドゥーワ」「シュピデゥビ」などハミング風のコーラスを歌う。

下記、代表的なドゥーワップの曲。

▼ The Penguins『Earth Angel』

▼The Platters『Only You』

 

音楽が大好きで、人の曲を聴くことも、音楽を創り自分で歌うことも好きなので、アーティストとリスナーの両方の気持ちがわかるのではないかと思います。

そんな達郎さんが創りだす音楽はカッコよく、素晴らしいです。好き嫌いは別にして音楽に興味がある人なら、誰しもがその実力やすごさを認めるところでしょう。

 

③ ライブは極上の音楽空間

 

「音の職人」である達郎さんのこだわりを堪能できるのはやっぱりライブだと思います。

達郎さんはライブで表現する音に高いクオリティを求めていると思います。

アーティストのライブと言えば「アリーナ」「ドーム」を連想する方も多いと思いますが、達郎さんは音が悪いから「ライブをやる場所じゃない」として、アリーナやドームでのライブを実施しておりません。

 

また、スタジオで作る音と違って、ライブで表現できる音には限界があるので、そのレベルに達していないとライブではやれない曲もあるみたいなのです。(CDの曲をそのままそっくりライブ演奏するわけではありません)

「テレビに出ない」「映像を解禁しない」というこだわりがあるため動く達郎さんを見られるのはライブだけです。ライブは立ち見が出るほどのプラチナチケットとなっています。

 

テレビに出ない理由などは第1章で詳しく解説! テレビに出ない理由などは第1章で詳しく解説!

 

達郎さんのライブは「極上の音楽空間」だと私は思っております。

達郎さんはライブで最高のバンドメンバーと共に、その日のお客さんのためだけに最高のパフォーマンスをします。

ライブは同じツアーでも会場、その日のお客さんによって、全然違うものになります。これは本当に行った人しかわかりません。

私は、今まで色々なアーティストのライブに何百回と行きましたが、達郎さんの創り出すライブは「最高峰」だと思います。

 

 

達郎さんのライブは私の思う「ライブとはこうあってほしい」というようなものが全て詰まったパラダイスみたいなもの。

最高の歌、演奏が聴けて、アーティストの想いが感じられ、観客もそれに応え、アーティストとファンの想いが一つになる、そんな感動と楽しさが詰まったライブとなっていると思います。

 

 

あまりメディアに登場しないので「山下達郎さん自体がどんな人なのか」「どういった活動をしているのか」なんだかつかめない印象もあるかと思います。

このWebonでは、達郎さんのライブの魅力やライブへのこだわり、自他ともにバラエティに富んだ作品などをご紹介したいと思います。

達郎さんをよく知らない方も、現在は少し達郎さんから離れてしまっている方も、ぜひ彼の素晴らしさに触れていただきたいです。そして達郎さんの言う「音楽は人の心に寄り添うことはできる」を感じていただければと思います。

私はアーティストの本質が一番表れるのがライブだと思っております。達郎さん自身、そしてライブの魅力を知って、CDだけでは味わえない達郎さんの魅力を会場で堪能していただきたいと思います。

 

次の章(第1章)では山下達郎さんの歴史についてお伝えいたします。歴史を知ることで山下達郎さんがどのような存在かをより明確に知っていただければと思います。

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40代後半女性。音楽が大好きでJ-POP、K-POP、洋楽、演歌歌謡曲とさまざまな音楽を聴いています。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。全部チケットの半券をとっているのでとても大切な想い出です。音楽はとても生活を豊かにしてくれるもの。私の好きなアーティストの魅力を知っていただければ、と思います。

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