山下達郎の歴史② 【1980年代後半から現在】

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山下達郎さんは『クリスマス・イブ』で有名なミュージシャン。達郎さんはテレビに出演しないため、動く姿を観れるのはライブだけ。チケットは入手困難であり「音の職人」と称される達郎さんのライブは「極上の音楽空間」。

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著者:しあ

40代後半女性。音楽が大好きでJ-POP、K-POP、洋楽、演歌歌謡曲とさまざまな音楽を聴いています。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。全部チケットの半券をとっているのでとても大切な想い出です。音楽はとても生活を豊かにしてくれるもの。私の好きなアーティストの魅力を知っていただければ、と思います。

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この章では【デビュー~1980年代前半】【1980年代後半~現在】という2ページにわたって山下達郎さんの歴史についてお伝えしています。

前のページでは【デビュー~1980年代前半】の活動についてお伝えしましたが、このページでは【1980年代後半~現在】の活動についてお伝えします。

 

年表

▼このページで紹介する出来事

年月 出来事
1986年4月 アルバム「POCKET MUSIC」
1988年9月 アルバム「僕の中の少年」
1988年12月 「クリスマス・イブ」JR東海のCM。
1991年6月 アルバム「ARTISAN」
1997年7月 KinKi Kidsへの提供曲「硝子の少年」ヒット。
2003年 TBSドラマ「GOOD LUCK!!」の主題歌
2008年~ ライブツアー

 

1980年代後半の活動

【1985年~】多くのタイアップ作品

 

1980代後半の山下達郎さんは「とてもタイアップ作品が多い」という印象です。

 

▼山下達郎のタイアップ曲の例

リリース 曲名 タイアップ
1985年3月 風の回廊(コリドー) ホンダの自動車インテグラのCM
1985年11月 土曜日の恋人 人気バラエティー番組「オレたちひょうきん族」エンディングテーマ
1987年5月 踊ろよ、フィッシュ 全日空、沖縄キャンペーンのCM
1988年4月 GET BACK IN LOVE TBSドラマ「海岸物語 昔みたいに…」の 主題歌。
1990年4月 Endless Game TBSドラマ「誘惑」の主題歌。

 

達郎さんの音楽はテレビを通じてよく流れてきたので、私はそれを通じて達郎さんの音楽に対する関心が高まっていきました。

達郎さんを現在のように好きになる前の私は、テレビから流れる達郎さんの音楽に対して「曲がすごくいいし、声がすごく素敵!」と思っていました。でも、メディアにあまり出ていない人だったので「大御所アーティスト」という印象でした。

 

【コラム】達郎さんを好きになったきっかけの角松敏生さん

そんな私が、達郎さんを好きになるきっかけとなったのが、角松敏生さん。高校1年の時に角松さんと出逢って大ファンになったのですが、角松さんが達郎さんの音楽に影響を受け、リスペクトしていると知って驚きました。

「私がリスペクトしている角松さんがリスペクトしているのだから、達郎さんは素晴らしいに違いない、聴かなければ!」と思ったのが、達郎さんを本格的に聴くきっかけ。私は、自分の好きなアーティストがリスペクトしているアーティストを聴きたいタイプです。達郎さんの曲を聴いてみて、角松さんが影響を受けているのがよくわかったし、私自身も達郎さんの音楽に魅了されていきました。

『山下達郎入門』筆者による『角松敏生入門』は下記より。

 

【1986年】アルバム「POCKET MUSIC」

 

1986年にアルバム『POCKET MUSIC』リリースしました。

 

▼8作目スタジオアルバム『POCKET MUSIC』1986年4月(画像クリックで商品詳細へ。試聴可能)

 

1980年代半ば音楽市場がアナログ製作だったものが、デジタル製作へと変わる転換期でした。その変化の中、達郎さんが試行錯誤して完成させたアルバムが『POCKET MUSIC』です。

 

【コラム】アナログ製作の時代

「アナログ」とは磁気テープに録っていた時代です。

▼磁気テープ


CC 表示 2.5, Link 

アナログだと音のゆがみなどが生じて、それがいい疾走感や音の厚みなどになったのだけど、デジタルだとそういった疾走感が出なくなるそうです。デジタル化して作業が楽になったけど、失われたものもあるよう。達郎さんはアナログの音をデジタルで再現することに苦戦していたようです。

 

アルバムブックレットには使用したコンピューターとして「PC-8801」の文字が書いてあります。音楽制作に使用したパソコンPC-8801は今のような薄い小さなパソコンではありません。当時は「コンピューター」と呼ばれていました。「PC-8801」という記載したことには、なんだか達郎さんの気概が感じられます。

 

▼PC-8801

 

1988年にリリースされたアルバム『僕の中の少年』は、それまでの「海、夏、タツロー!」というイメージからの転換ともなった作品です。

このアルバムには自分の中の大人と子供の部分のせめぎあいが反映されているそうです。また30代半ばを迎えた自分の立ち位置や、お子さんの誕生などがアルバム制作には影響を与えたとのこと。

 

▼9作目スタジオアルバム『僕の中の少年』1988年10月(画像クリックで商品詳細へ。試聴可能)

 

このアルバムに対して私は「僕の中の少年」の「少年」という言葉から受ける印象とは違う「上質な大人のポップス」という印象を抱きました。

アルバム「僕の中の少年」の収録曲『GET BACK IN LOVE』は、30代半ばを迎えた達郎さんが自身のピークを感じ「最後の花を咲かせるならバラードだ」と創った渾身の1曲。 『GET BACK IN LOVE』が大ヒットし、確固たる地位を築きます。

ちなみに私は『僕の中の少年』の収録曲『蒼氓』(そうぼう)にとても大きな感銘を受けました。達郎さんの書く詩の重みを感じた1曲です。

 

【1988年】『クリスマス・イブ』がJR東海のCMに

 

1988年には『クリスマス・イブ』がJR東海のCMに使用されたこともあって、シングルCDの売上は100万枚を突破する大ヒットとなりました。

 

▼山下達郎『クリスマス・イブ』

 

『クリスマス・イブ』は、もともと1983年のアルバム『MELODIES』に収録され、シングルとしてもリリースされていました。

 

▼1983年6月リリース『MELODIES』

 

『クリスマス・イブ』の大ヒット以降、毎年クリスマスシーズンになるとこの曲が街なかやテレビ、日本中のあらゆるところで流れます。『クリスマス・イブ』は今では達郎さんを代表する曲となっています。

 

ちなみにJR東海のCMが話題になっていた頃、このCMは私の住む九州では流れていませんでした…。そのため私の中では『クリスマス・イブ』については1989年に公開された「君は僕をスキになる」の主題歌となっていたことの方が想い出深いです。

 

▼映画「君は僕をスキになる」(画像クリックで商品詳細へ)

 

映画「君は僕をスキになる」は山田邦子さん、斉藤由貴さん、大江千里さん、加藤雅也さんの4人が繰り広げるラブコメディ作品です。映画館に観に行ったのですがラストシーンとそのシーンで流れる『クリスマス・イブ』がとっても胸キュンでした。

 

▼山田邦子

▼斉藤由貴

 

【1991年】日本レコード大賞のアルバム大賞獲得

 

1991年リリースのアルバム『ARTISAN』は日本レコード大賞のアルバム大賞を獲得しました。

 

日本レコード大賞

1959年に創設された日本で最も有名な音楽の賞。TBSテレビ年末に放送される。

 

アルバムタイトルの「ARTISAN(職人)」は「ARTIST」(芸術家)に対抗してつけられたそう。

 

▼10作目スタジオアルバム『ARTISAN』1991年6月(画像クリックで商品詳細へ。試聴可能)

ちなみに達郎さんは、アーティストと呼ばれることが嫌いなのだそう…。では何て呼べばいいのかとなると、シンガーソングライターになるでしょうか。

一番しっくりくるのは、やはり「音の職人」という言葉だと思います。

 

【コラム】達郎さんがアーティストと呼ばれるのが嫌いな理由

「アーティスト=芸術家。歌手やシンガーソングライターをアーティストと呼ぶこと自体間違った言い方。だから嫌い」だそうです。ちなみに、1980年代半ばぐらいからアイドル、歌謡曲の人たちと、その他の人たちを分けるために「アーティスト」という言葉で呼ばれるようになったと思います。 

 

10作目のスタジオアルバムリリース後は、リリース間隔は大きいもののコンスタントにアルバムをリリース。

他アーティストへの楽曲提供も多く、中でも1997年リリースのKinKi Kidsのデビュー曲『硝子の少年』は大ヒット。『硝子の少年』は世代や時代を超えて今も愛されています。

 

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『硝子の少年』など山下達郎のジャニーズ提供曲は第3章で紹介! 『硝子の少年』など山下達郎のジャニーズ提供曲は第3章で紹介!

 

【2000年代】数多くのタイアップ作品

 

2000年代に入ってからも映画・ドラマ・CMなどのタイアップ作品が数多く発表されました。

 

▼2000年以降のCMタイアップ曲の例

年代 曲名 タイアップ
2000年 君の声に恋してる 「NTTコミュニケーションズ」CM
2001年 (SO MUCH IN LOVE アサヒビール スーパーモルト
2001年 アトムの子 スズキ エスクード ヘリー・ハンセンリミテッド
2002年 夏コイの味 カルピス カルピスウォーター
2004年 さよなら夏の日 ケンタッキーフライドチキン サマーバーレル
風がくれたプロペラ パナソニックカーナビ・Strada
2005年 風の回廊 明治製菓 アーモンドチョコレート
2005年 白いアンブレラ ホンダ ライフ
2006年 JODY アサヒビール アサヒ本生アクアブルー
2007年 クリスマス・イブ -English Version- スズキ シボレーMW
2011年 高気圧ガール アサヒビール アサヒSlat(すらっと)
2012年 希望という名の光 JA共済 3Q訪問活動「安心のかたち」編
2013年 LOVELAND, ISLAND サントリー のんある気分

 

▼2000年以降の映画・ドラマのタイアップ曲一覧

年月 曲名 映画・ドラマ
2000年 JUVENILEのテーマ〜瞳の中のRAINBOW〜 映画「ジュブナイル」
2003年 RIDE ON TIME ドラマ「GOOD LUCK!!」
2003年 2000トンの雨 映画「恋愛寫眞」
2005年 FOREVER MINE 映画「東京タワー」
2009年 僕らの夏の夢 映画「サマーウォーズ」
2010年 街物語 ドラマ「新参者」
2012年 愛を教えて ドラマ「遺留捜査 シリーズ2」
2013年 光と君へのレクイエム 映画「陽だまりの彼女」
2015年 マイ・ガーディアン・エンジェル ドラマ「京都人情捜査ファイル」
2016年 Let It Be Me ドラマ「早子先生結婚するって本当ですか?」
2016年 CHEER UP! THE SUMMER ドラマ「営業部長 吉良奈津子」
2017年 REBORN 映画「ナミヤ雑貨店の奇蹟」
2018年 ミライのテーマ 映画「未来のミライ」

 

達郎さんの場合、ドラマや映画などのタイアップ曲は「書き下ろし作品」が多いです。きちんとドラマや映画などへの理解と愛情をもって曲が創られていることがわかります。

だから、作品と曲とがぴったり合っていて、より作品が素晴らしいものになっているのではないかと思います。

(ちなみに私が好きなのが

・ドラマ「誘惑」の主題歌「Endless game」
・朝ドラ「ひまわり」の主題歌「DREAMING GIRL」
・ドラマ「冬のサクラ」の主題歌「愛してるって言えなくたって」
・ドラマ「新参者」の主題歌「街物語」など

です。)

タイアップ曲に関しては、達郎さん自身が我を強く出しすぎず、自分と依頼者との想いを融合させたうえで、きちんと「商業音楽」として成立させているように思います。タイアップ曲を聴けば、自分の創りたいものだけを安直に作っているのとは違う、という事が感じられるのではないでしょうか。

 

タイアップ曲では、1980年にヒットした『RIDE ON TIME』が2003年に木村拓哉さん主演のTBSドラマ「GOOD LUCK!!」の主題歌になり再びヒットします。改めて『RIDE ON TIME』の良さが認識されたのではないでしょうか。

 

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【2008年~】ライブツアー

 

2008年からはコンスタントにライブツアーを行い、野外音楽フェスへの参加なども行いました。その圧倒的なパフォーマンスに、若い世代からも感動の声があがっています。

 

▼2008年以降の山下達郎のツアー・ライブ

ツアー・ライブ
2008年 ツアー「PERFORMANCE 2008-2009」
2010年 ツアー「PERFORMANCE 2010」
2010年 フェス「RISING SUN ROCK FESTIVAL 2010 in EZO」野外ステージ出演
2010年 TOKYO FM・FM OSAKA開局40周年記念スペシャル『Souvenir again』竹内まりや LIVE 2010
2011年 ツアー「PERFORMANCE 2011-2012」
2012年 野外フェス「SWEET LOVE SHOWER 2012」
2013年 ライブ「山下達郎 LIVE at Festival Hall」
2013年 ツアー「PERFORMANCE 2013」
2014年 ツアー「Maniac Tour 〜PERFORMANCE 2014〜」
2014年 フェス「RISING SUN ROCK FESTIVAL 2014 in EZO」野外ステージ出演
2014年 野外音楽イベント「SWEET LOVE SHOWER 2014」
2014年 ライブ「山下達郎 LIVE at THE BOTTOM LINE」
2015年 ツアー「PERFORMANCE 2015-2016」
2016年 ライブ「難波弘之 鍵盤生活40周年記念ライブ 〜一生鍵命〜」
2016年 ライブ『SHINJUKU LOFT 40TH ANNIVERSARY「40YEARSx40LIVES」』
2017年 ツアー「PERFORMANCE 2017」
2017年 フェス「氣志團万博2017 〜房総与太郎爆音マシマシ、ロックンロールチョモランマ〜」
2017年 ライブ「山下達郎のサンデー・ソングブック25th Anniversaryアコースティック・ライブ&トークショー」

 

近年は若い世代や海外からのファンも増えています。先日66歳となった達郎さんですが、年齢を感じさせない、素晴らしい歌声とパフォーマンス。

 

達郎さんの創り出す音楽は、日常を豊かなものにしてくれます。ぜひ、達郎さんの音楽に触れてみて欲しいと思います。

 

以上、山下達郎さんの歴史でした。

次の章では達郎さんの人柄についてお伝えいたします。テレビに出ない理由や、妻の竹内まりやさんについて知れば達郎さんの魅力とともに人物像を知ることができると思います。

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目次著者

著者:しあ

40代後半女性。音楽が大好きでJ-POP、K-POP、洋楽、演歌歌謡曲とさまざまな音楽を聴いています。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。全部チケットの半券をとっているのでとても大切な想い出です。音楽はとても生活を豊かにしてくれるもの。私の好きなアーティストの魅力を知っていただければ、と思います。

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山下達郎の歴史① 【デビュー~1980年代前半】

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山下達郎さんは『クリスマス・イブ』で有名なミュージシャン。達郎さんはテレビに出演しないため、動く姿を観れるのはライブだけ。チケットは入手困難であり「音の職人」と称される達郎さんのライブは「極上の音楽空間」。

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著者:しあ

40代後半女性。音楽が大好きでJ-POP、K-POP、洋楽、演歌歌謡曲とさまざまな音楽を聴いています。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。全部チケットの半券をとっているのでとても大切な想い出です。音楽はとても生活を豊かにしてくれるもの。私の好きなアーティストの魅力を知っていただければ、と思います。

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この章では【デビュー~1980年代前半】【1980年代後半~現在】という2ページにわたって山下達郎さんの歴史についてお伝えします。

このページでは【デビュー~1980年代前半】の活動についてお伝えします。

 

年表

▼このページで紹介する出来事

年月 出来事
1972年 アルバム「ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY」を制作。
1973年 シュガー・ベイブ結成
1975年4月 アルバム「SONGS」
1976年 シュガー・ベイブ解散
1976年3月 アルバム「ナイアガラ・トライアングル」
1976年12月 ソロ・デビュー
1979年 アルバム「MOONGLOW」
1980年5月 シングル「RIDE ON TIME」。CMソングで話題。
1980年12月 アカペラアルバム「ON THE STREET CORNER」
1982年2月 アルバム「FOR YOU」
1983年6月 アルバム「MELODIES」
1984年6月 サウンドトラック「BIG WAVE」

 

山下達郎の歴史【デビュー~1980年代前半】

【1975年】デビュー

 

達郎さんは1972年にアマチュアバンドの友人とアルバム『ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY』を制作しました。

このアルバム制作をきっかけに、現在シンガーソングライターとして活躍する大貫妙子(おおぬき たえこ)さんらと知り合い1973年に「シュガー・ベイブ」を結成します。

 

▼大貫妙子さん

▼大貫さんの曲

 

『ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY』を聴いた、当時シンガーソングライターとして人気を博していた故・大瀧詠一(おおたき えいいち)氏と出逢い、達郎さんは「はっぴいえんど」の解散ライブでバックコーラスを務めます。

 

▼大瀧詠一氏

 

ちなみに「はっぴぃえんど」とは、細野晴臣氏、大瀧詠一氏、松本隆氏、鈴木茂氏で結成されたバンドで「日本のロックの原点」とも称されるバンドです。多くのアーティスト、ミュージシャンに影響を与えたと言われています。

 

▼はっぴぃえんどの代表曲『風をあつめて』

▼細野晴臣氏


By YMOHosono2008(wide).jpg: JJ Hall from Peckham Rye, London, UKderivative work: Solid State Survivor (talk) – YMOHosono2008(wide).jpg, CC 表示 2.0, Link 

▼松本隆氏

▼鈴木茂

 

1975年に「シュガー・ベイブ」は、大瀧詠一氏のナイアガラレーベル(レコード会社)からシングル『DOWN TOWN』アルバム『SONGS』でデビューしますが1年で解散します。

 

▼アルバム「SONGS」1975年4月(画像クリックで商品詳細へ。試聴可能)

 

【1976年】ソロデビュー

 

シュガー・ベイブ解散後、達郎さんは大瀧詠一氏、伊藤銀次氏との『ナイアガラ・トライアングル』の制作を行います。

 

伊藤銀次

1950年生まれのミュージシャン。フジテレビお昼の番組「笑っていいとも」の『ウキウキWatching』の作曲した。

 

▼『ナイアガラ・トライアングル」1976年3月(画像クリックで商品詳細へ。試聴可能)

 

そして1976年に達郎さんはアルバム『CIRCUS TOWN』をリリースしてソロデビューします。

 

▼デビューアルバム『CIRCUS TOWN』1976年12月(画像クリックで商品詳細へ)

 

このあたりの活動は、私は幼稚園ぐらいの時なのでリアルタイムでその活動を把握はしておりません。

ただ、自分が高校生の頃に音楽を好きになり、好きなアーティスト達がこの頃の話をするのを聞いて「音楽界において(はっぴぃえんど・シュガーベイブは)とても影響を与えた人たちだったんだな~」と思いました。

「はっぴぃえんどは言葉の選び方、音への日本語の、のせ方がすごい」

「シュガーベイブはキラキラとしたポップな音楽が衝撃的で、すっごくかっこよかった!日本のポップスの原点」

「シュガー・ベイブはフォークソングとは違う、おしゃれな輝きがあった」

などと今でも、嬉々としてこの頃の事を語るアーティストがたくさんいますので、日本の音楽の歴史を切り開いた人物、バンドだったのだな~と思います。

 

【1986年~】数多くのアルバムリリース

 

ソロデビューアルバム『CIRCUS TOWN』リリース後は、コンスタントにアルバムを発表し、人気を博していきます。

 

▼デビューから1980年代前半にリリースされたアルバム

作数 タイトル リリース年月 ジャンル
1 CIRCUS TOWN 1976年12月 スタジオアルバム
2 SPACY 1977年5月 スタジオアルバム
3 IT’S A POPPIN’ TIME 1978年5月 ライブアルバム
4 GO AHEAD! 1978年12月 スタジオアルバム
5 MOONGLOW 1979年10月 スタジオアルバム
6 COME ALONG 1980年3月 コンピレーションアルバム
7 RIDE ON TIME 1980年9月 スタジオアルバム
8 ON THE STREET CORNER 1980年12月 アカペラアルバム
9 FOR YOU 1982年1月 スタジオアルバム
10 GREATEST HITS! OF TATSURO YAMASHITA 1982年7月 ベストアルバム
12 MELODIES 1983年6月 スタジオアルバム
13 BIG WAVE 1984年6月 サウンドトラック

スタジオアルバム・・・スタジオで制作されたアルバム
ライブアルバム・・・生演奏を録音したアルバム
コンピレーションアルバム・・・既に発表された音源を再編集したアルバム。

 

1979年リリースのアルバム『MOONGLOW』は日本レコード大賞のベストアルバム賞を受賞。

 

▼4作目スタジオアルバム『MOONGLOW』1979年10月(画像クリックで商品詳細へ)

 

【1980年】『RIDE ON TIME』がヒット

 

1980年5月リリースのシングル『RIDE ON TIME』はマクセル(電池やCDなどの販売会社)のカセットテープのCMソングとなり話題になりました。このシングルCDは50万枚を売り上げるヒット曲となりました。

アルバム『RIDE ON TIME』も大ヒット。この曲のヒットにより達郎さんの存在が広く世間に認知されました。

 

▼マクセルのカセットテープ

▼5作目スタジオアルバム「RIDE ON TIME」1980年9月(画像クリックで商品詳細へ)

 

この頃の私は小学生でCMの記憶はありません。ただ後にこのCMを見て、すごくカッコいいと思いました!

長髪の達郎さんが手をピストルにして「バーン!」と打つ姿はインパクトがあります。マクセルのキャッチコピーの「いい音しか残れない」も、達郎さんのイメージとぴったり。

 

▼CMのイメージ

 

【コラム】マクセルのカセットテープ

私は1984年ぐらいから音楽に興味を持ち始めるのですが、色んなカセットテープメーカーの中ではマクセルがNO.1だと思っていました。CMのコピー通りに本当に音がいいから大好きで、好きなミュージシャンのアルバムは必ずマクセルで録っていました。

 

1980年12月には、後にシリーズ化される一人アカペラアルバム『ON THE STREET CORNER』がリリースされます。

 

▼1作目のアカペラアルバム『ON THE STREET CORNER』1980年12月(画像クリックで商品詳細へ。試聴可能)

 

1980年代前半にはアルバム『FOR YOU』『MELODIES』がヒット。

 

▼6作目スタジオアルバム『FOR YOU』1982年1月(画像クリックで商品詳細へ)

 7作目スタジオアルバム『MELODIES』1983年6月(画像クリックで商品詳細へ)

 

映画『BIG WAVE』のサウンドトラックを手がけるなど、精力的に活動し人気を不動のものにしていきます。

 

▼「BIG WAVE」のサウンドトラック。1984年6月(画像クリックで商品詳細へ)

 

筆者と山下達郎の出会い

 

ここまでは達郎さんのデビューから1980年代前半までの歴史をお伝えしてきました。

ちなみに、私が初めて山下達郎の名前を知ったのが中学1年の時(1982年)でした。当時大人気だったアイドル近藤真彦さん(マッチ)のシングル『ハイティーン・ブギ』を達郎さんが作曲したことがきっかけです。

 

▼1982年リリース。シングル「ハイティーン・ブギ」

「マッチの新曲は山下達郎作曲!」と、とても話題になっていたのを覚えています。マッチ主演映画『ハイティーン・ブギ』の主題歌でもあり、映画、シングル共に大ヒットしました。

確か、当時マッチが好きなアルバムとして、矢沢永吉さんと達郎さんのアルバムを挙げていて、その頃は「山下達郎ってすごい人なんだ~」ぐらいにしか思っていませんでした。

 

矢沢永吉

1972年~1975年に活動した「キャロル」のボーカル。同バンドは現在のロックシーンに大きな影響を及ぼし、「伝説のバンド」と称されている。1973年に発売された『ファンキー・モンキー・ベイビー』は当時のロックバンドとしては異例のヒットである30万枚を売り上げ、日本のロックの地位を確立した。

 

同時期に達郎さんのシングル『あまく危険な香り』がヒット。

同名ドラマの主題歌で、とてもアダルトな雰囲気のその曲を聴いて子供ながらに「素敵だな~」と思っていました。

 

次のページでは、達郎さんの1980年代半ば以降の活動についてご紹介します。

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著者:しあ

40代後半女性。音楽が大好きでJ-POP、K-POP、洋楽、演歌歌謡曲とさまざまな音楽を聴いています。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。全部チケットの半券をとっているのでとても大切な想い出です。音楽はとても生活を豊かにしてくれるもの。私の好きなアーティストの魅力を知っていただければ、と思います。

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