楽しませてくれてありがとう ~NO スタレビ,NO LIFE~

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ファン歴24年の筆者が、スタレビへの感謝の気持ちとともに『スタレビがいかに素晴らしいバンドなのか』をお伝えします。要さんはファンに対して「スタレビを見つけてくれて、スタレビの音楽を楽しんでくれてありがとう」と言ってくれますが、筆者は「私と出逢ってくれてありがとう」の気持ちでいっぱいなのです。

『ありがとうスターダスト・レビュー ~ファン歴24年の伝えたい想い~』はこちらから!

はじめに~私と出逢ってくれてありがとう

私と出逢ってくれてありがとう

第1章 人生を楽しくしてくれてありがとう

楽しませてくれてありがとう~NO スタレビ,NO LIFE~

大分に来てくれてありがとう~ライブツアーの魅力~

第2章 教えてくれてありがとう

教えてくれてありがとう~音楽の知識~

教えてくれてありがとう~尊敬できる人間性

第3章 日本一のファンクラブ・スタッフにありがとう

ファンクラブ・スタッフにありがとう

第4章 スタレビのサポートメンバー・元メンバー・メンバーにありがとう

スタレビのサポートメンバー・元メンバー・メンバーにありがとう

著者:しあ

40代後半女性。スタレビのファン歴24年。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。著書に『スターダスト・レビュー入門』『だいすき!岡村靖幸!』『KANさんは「愛は勝つ」だけじゃない!』がある。

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『ありがとうスターダスト・レビュー』目次へ  (全7ページ)

 

タワーレコードのキャッチフレーズに『NO MUSIC, NO LIFE』とあります。

私にとって音楽は、とても必要なもの。

その中でもスタレビは特に大切な存在で、スタレビなしの生活なんてありえません。

まさに『NO スタレビ, NO LIFE』なのです。

 

スタレビの魅力はなんといってもライブ

 

スタレビの魅力は、なんといってもライブ。

要さんとも仲が良いDJ赤坂泰彦さんが「初めてライブに行くのならスタレビを選ぶべき」と語ってくれています。

初めてのライブでこんなに質が高くエンターテインメント性にあふれて、楽しく感動するライブに行ったら、「ライブへのハードルが上がってその後が大変になるぞ~」と私は思ってしまいます。

それほど、スタレビのライブは素晴らしい。

コアなファンはもちろんのこと「みんなが楽しめる」ライブ作りとなっていますので、決して誰も置き去りになんてしません。

だからリピーターも多いのだと思います。

 

【コラム】スタレビのライブの素晴らしさ

●長年スタレビは、ライブに力を入れてきました。それはCDの売り上げやTV出演を主な活動場所にしなかった・・・できなかったから。それにより各地で確実にファンを増やし、ライブパフォーマンスは年々高くなり、今では「日本屈指のライブバンド」と呼ばれています。

●「知らない曲は、みんな新曲です」と要さん。曲を知らなくても大丈夫。それでも十二分に楽しめるのがスタレビのライブなのです。スタレビのライブ時間は、通常だと3時間半~4時間近くなりますが、そんな長時間を感じさせない、全然飽きさせないライブです。要さんのMCはとにかく長く、そしておもしろい!毎回笑いすぎておなか痛いし、涙でメイクはとれるし(笑)

●スターダスト・レビューのライブの醍醐味は、なんといってもその「演奏力」「パフォーマンス力の高さ」と、誰でもが楽しめる「エンターテインメント性」。また、どんなにキャリアを積み重ねても決しておごらず、常に低姿勢なところ。1曲1曲終わるごとのお辞儀の深さ、ファンへの感謝の言葉。この「高い音楽性」と「腰の低さ」これこそがスタレビの生命線であり、ここまでライブバンドとしてのキャリアを積み重ねることができた要因だと思うのです。

※スタレビのライブの素晴らしさは『スターダスト・レビュー入門 ~日本一のライブバンドと言える理由~』(全13ページ)で詳しく解説しています。

 

存在自体がとても楽しい

 

ライブだけではなく、スタレビは「存在自体」がとても楽しいんです。

楽曲にしても幅広く、バラード、ポップ、ロック、おバカソング……まさに「何でもあり」なのがスタレビの魅力だと思います。

最新シングル「うしみつジャンボリー」(2019年)は、スタレビの「初期」のサウンドを彷彿とさせる陽気さと「今」のスタレビが合わさった最高のナンバー。

▼シングル「うしみつジャンボリー」

スタレビと仲が良いKANさん、馬場俊英さんが、絶賛してくれているのがとてもうれしいです。

「うしみつジャンボリー」は、アニメ「ゲゲゲの鬼太郎」のエンディングテーマなので、鬼太郎の世界観に寄せて創ったとても楽しい1曲。

▼YouTube「うしみつジャンボリー」

 

と、思えばカップリングの「泣きたいなら」は島谷ひとみさんへ提供したバラードのセルフカバー。作詩を松井五郎さん、作曲を要さんが担当。

タイプの違った曲が並んでも、違和感がないのがスタレビ。

ライブでも、バラードの前後に笑いがあったりと、「なんでもありだけど、決してごちゃまぜじゃないところ」がスタレビの良さです。

 

スタレビのファンだと寂しくない

 

どんなアーティストのファンでも、CDリリースやライブなどの活動がない時期があると、寂しい想いをしてしまいますよね。

でも、スタレビの場合は、いつでもなにかしらの活動しているので、全然寂しくないのです。

 

ライブツアーの時期じゃなくても、単発のライブなどがありますし。

今まで活動休止をしたことが、ありません。(秘かな自慢)

週に4本もメンバーのラジオがあるのもとてもうれしい。

要さんのラジオが3本、柿沼さん・寺田さん・VOHさんの3人でのラジオが1本。
みなさんのリアルな声が聞ける番組は、とてもおもしろい。

▼要さん出演のラジオ番組

番組名 放送局/放送日時 番組内容
「要のある音楽」 JFN系列(地域によって放送日時が異なります。) 「教養音楽番組 要のある音楽~!」という言葉で始まるこの番組は、要さんの音楽知識がとても楽しめます。
「KANと要のWabi-Sabi ナイト」 FM COCOLO/毎週土曜18:00~19:00 要さんとKANさんのダブルDJの「KANと要のWabi-Sabiナイト」は、毎週爆笑の渦。お互い気心の知れた仲良しの二人なので、トークが弾みます。
「NACK de ROCK」 FM NACK5/毎週月曜日24:00〜25:00 ラジオパーソナリティの窪田有美さんと共に番組が進行。丸々1時間要さんのトークが楽しめます。

※要さんのラジオ番組についてはこちらのページで詳しく紹介

▼柿沼さん・寺田さん・VOHさんの3人でのラジオ番組

番組名 放送局/放送日時 番組内容
「スターダスト・レビューの星になるまで」 調布FM・全国のコミュニティ放送局/23:00~23:30(キー局) 要さんとはまた違った切り口でスタレビの話が聞けたり、音楽以外の素朴な話が聞けたりとおもしろい。3人がとってもかわいい。

 

一般的に考えると、音楽って必ずしも生活に必要なものではないと思います。

生きていく上でなくてはならないものではないから。

 

音楽に限らずエンターテインメントや趣味の世界のものはそうだと思うのです。

でもスタレビに出逢えたことで、自分の人生がすごく広がりました。

中学生の時、音楽に興味が出て、高校生の頃からいろいろなライブに行くようになって…スタレビに出逢えたことは必然だったと思います。ライブはもちろん、何においても私たちを楽しませてくれるスタレビは本当に素晴らしいと思います。

 

楽しませてくれてありがとう

 

スタレビに対しては、不安に思うことが一切なく、信頼と安心感しかありません。

スタレビがやることなら、まず「間違いがない」と思っています。

私が感じている「スタレビ」と、メンバーの言葉にズレがないのです。

そう思えるのは、いつでもスタレビに嘘がないからです。

絶対にスタレビは、裏切らないのです。

音楽面でも、人としても。

 

今までずっとスタレビを好きでいて、疑ったことや嫌な気持ちになったりなど一度もなくて。

私は昔から自分の目と耳を信じるようにしています。

もちろん自分が思ったことが、すべて正しいというわけではありません。

ただ、何か起きた時に確かめる術として、自分が感じたこと、思ったこと、見たことで判断するのが正しいことなのでは、と思っています。

そんな私が、これまでスタレビを疑うようなことや嫌な気持になることは、一度もありませんでした。

私の目と耳で感じたスタレビがすべて。

その中で一度もスタレビを疑ったことがありません。

 

昨日より今日の方がスタレビを好きだし、それは明日も明後日も続きます。

スタレビの「今」が好きなのです。

昔のスタレビもいいけど「今」のスタレビが好き。

いつも最新アルバムと最新ツアーが一番いいと思っています。

スタレビは前回のスタレビを超えてきます。

 

ファンの方によって、いろんなことを思うかもしれませんが、少なくとも私の中ではそう。

この気持ちはこれからも変わらないと思います。

スタレビ自身もそういう思いでやっていることを聞いてうれしく思います。

スタレビの存在が毎日をとても楽しくしてくれているし、常に幸せの上書きをしてくれるのです。

これまでも、そしてこれからも楽しませ続けてくれるスタレビには、「ありがとう」の気持ちでいっぱいなのです。

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はじめに~私と出逢ってくれてありがとう

私と出逢ってくれてありがとう

第1章 人生を楽しくしてくれてありがとう

楽しませてくれてありがとう~NO スタレビ,NO LIFE~

大分に来てくれてありがとう~ライブツアーの魅力~

第2章 教えてくれてありがとう

教えてくれてありがとう~音楽の知識~

教えてくれてありがとう~尊敬できる人間性

第3章 日本一のファンクラブ・スタッフにありがとう

ファンクラブ・スタッフにありがとう

第4章 スタレビのサポートメンバー・元メンバー・メンバーにありがとう

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40代後半女性。スタレビのファン歴24年。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。著書に『スターダスト・レビュー入門』『だいすき!岡村靖幸!』『KANさんは「愛は勝つ」だけじゃない!』がある。

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大分に来てくれてありがとう ~ライブツアーの魅力~

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ファン歴24年の筆者が、スタレビへの感謝の気持ちとともに『スタレビがいかに素晴らしいバンドなのか』をお伝えします。要さんはファンに対して「スタレビを見つけてくれて、スタレビの音楽を楽しんでくれてありがとう」と言ってくれますが、筆者は「私と出逢ってくれてありがとう」の気持ちでいっぱいなのです。

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はじめに~私と出逢ってくれてありがとう

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第1章 人生を楽しくしてくれてありがとう

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大分に来てくれてありがとう~ライブツアーの魅力~

第2章 教えてくれてありがとう

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第3章 日本一のファンクラブ・スタッフにありがとう

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第4章 スタレビのサポートメンバー・元メンバー・メンバーにありがとう

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40代後半女性。スタレビのファン歴24年。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。著書に『スターダスト・レビュー入門』『だいすき!岡村靖幸!』『KANさんは「愛は勝つ」だけじゃない!』がある。

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スタレビは、ツアー60本を超える本数で全国を回っています。ほかのビッグアーティストだと、主要都市のアリーナなどの大きな会場を何か所かやって終わりというツアーも多いです。

交通網も昔より発達しているので、各地に遠征するファン人も多いと思います。

私も近県に遠征することもありますが、やっぱり地元に好きなアーティストが来てくれるとうれしい。

ライブは全国各地、それぞれの土地で行うことに意味があると思っています。

このページでは、スタレビが私の住んでいる大分に来てくれることに対する感謝の気持ちとともに、ライブツアーの魅力をお伝えしたいと思います。

 

大分のツアーの盛り上がりは尋常じゃない

 

スタレビはずっと昔から60本ぐらいのライブツアーを行ってきていて、時には1ツアー100本近い時も。

デビューから38年経っても、これほどの本数でツアーを回れているのは本当にすごいこと。

スタレビがライブを大好きで、ライブへの並々ならぬ想いを持っていて、そして各地でスタレビを待ってくれているファンがいるからこそ、これほどの本数のライブが出来ていると思うのです。

 

スタレビは私の住む大分にも毎ツアー来てくれています。

やっぱり地元大分でのライブがとても楽しいしうれしい。

スタレビのライブは基本的にどこの会場も盛り上がると思います

その中でも、さらに盛り上がる場所として島根とか、宮崎などがあり…。(スタレビ談)

そして特に盛り上がる場所として、大分の名を挙げてくれています。

 

確かに、大分の盛り上がりは尋常じゃない。

開演して最初のMCで「まだアンコールじゃないよ?」と言われたり。

要さんからは、「お前らおかしい」「大分の人たちは飲んでる水が違う。変な水飲んでる」などといじられ、いつも「大分、日本一!」と言ってくれます。

大好きなスタレビに、こう思ってもらえていることがとても幸せ。

 

スタレビが大分でライブをするようになったのは、1988年頃から。

「初めて行ったわりにとても歓迎してくれて熱かったのだけど、回を追うごとにさらに盛り上がるようになって…」と要さん。

「大分は第二の故郷のように思ってます」と言ってくれたこともあり、嬉しかったです。

現サポートの添田さん、岡崎さんも大分の盛り上がりをメンバーから聞いていたそうで、サポートとして入った最初のツアーでも、その熱さに感動してくれていました。

 

スタレビのおかげで大分に誇りを持てるようになった

 

大分は今もそうかもしれないけど、昔はもっと九州の中でも田舎と言われていました。

実際、私もそう思っていたけど今はすごく大分が好き。

スタレビが大分を愛してくれているから、大分県人であることに誇りを持てるようになりました。

 

要さんは、プライベートでも大分によく来ているそうです。

先日、私がファンクラブのバックステージご招待を受けた時も「大分よく行くんだよ。フグ食いに行くんだ」と言っていました。

また「大分、もう発表になった?」と要さんが言ってくれて。

「還暦少年ツアー」の残りの日程がやっと発表になったところだったので、気にかけてくれていたことがとっても嬉しかったのです。

今回のライブツアー「還暦少年」は本当に最高すぎて、大分でのライブがどんなふうになるのかと今からとっても楽しみなのです。

※ライブツアー「還暦少年」の素晴らしさについては別ページで解説

 

地方ごとの絆

 

こんな風にスタレビは「大分以外の各地でもそれぞれの場所で絆を結んでいるのだろうな」と思います。

ライブでは、必ずご当地ネタがあるし、スタレビがそれぞれの土地を大切に思っていることが伝わります。

ライブは、それぞれの土地に行ってやることに意味がある。

私はそう思います。

 

「自分たちがいくらやりたいと思っても、聴いてくれる人がいなければライブはやれない」と語る要さん。

行った先々でその土地のファンとの絆が積み重なって、大きなツアーを何十年も続けてこられている。

音楽業界が音楽販売からライブへとシフトする以前から、ずっとライブを大切にしてきたスタレビだからこそです。

 

それが実を結んだのか(?)「還暦少年ツアー」では、チケット完売になる会場が多数。

「観たい時に観たい人がいつでも観られるスタレビ」じゃなくなっている~と心配しています。

「観られない人が出てきたら、ライブ回数を増やせばいいだけ」と言う要さんですから、もし万が一そうなったら何らかの対処はしてくれるはずですけど。

次のツアーは、周年ツアーになるから(40周年)本数も今回より増えるという話も…。

これからも元気に、全国各地でスタレビライブを繰り広げてほしいと思っています。

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はじめに~私と出逢ってくれてありがとう

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第4章 スタレビのサポートメンバー・元メンバー・メンバーにありがとう

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私は以前に「スターダスト・レビュー入門: 日本一のライブバンドと言える理由」(Webonブックス)を執筆させていただきました。こちらは、スタレビを知っていただくための入門編として作成いたしました。

今回は、スタレビがどんなに素敵で素晴らしいバンドなのか、私のスタレビへの感謝の気持ちとともにお伝えいたします。

魅力をさらにお伝えすることで、「スタレビをもっと知りたい!」と思っていただけるきっかけになればと思います。ファンの方には、少しでも共感してもらえるとうれしいです。

▼スターダスト・レビュー入門: 日本一のライブバンドと言える理由 Webon音楽ebook (Webonブックス)

 

私がスタレビのファンになったきっかけ「楽団ツアー」

 

私が正式に(というのもおかしいですが)スタレビのファンになったのは、1994年の「CONSERT TOUR’94 楽団〜The Band Goes to Town〜」というライブに初参加してからです。

1984年に「夢伝説」がヒット。当時中学生だった私の周りの音楽好きな友達の間では話題になっていました。

音楽雑誌などで、要さんのインタビューや対談を読んで「すごくおもしろい人だな~」と思っていました。

それからずっとスタレビへの興味はあったのですが、中高生からすると当時のスタレビのファン層はもう少し大人だったのもあり、ライブにはなかなか行くきっかけがなくて……。

そうして、初めて行ったスタレビライブが1994年の「楽団ツアー」です。

 

「こんなに楽しいライブがあるのか!」というのが率直な感想。

今まで参加していたアーティストのライブとは全然違いました。

ロック系の熱いライブに行くことも多かったので、こんなに笑って無条件に楽しいライブはほぼ初めて。

話には聞いていたけど、要さんよくしゃべる!ご当地ネタがおもしろい!

歌も演奏もすごくて、期待以上のライブでした。

要さんの髪がそれまでのリーゼントからソバージュになっていたり、ライブ終盤にバク転を華麗にキメたりとインパクトもすごかったです。

この初参加したライブですっかりスタレビの魅力にとりつかれ、現在に至る……というわけです。

 

スタレビを知ってほしいけど知られたくない

 

ずっと「ヒット曲がない」「世の中に知られていない」などを本人たちもネタにしていたスタレビですが、ここのところなんだか「風向きが変わって来てる?」と 感じることも。

現在「還暦少年ツアー」の真っ最中ですが(夏は野外イベント『楽園音楽祭』のため中断)チケットが完売になる会場が多数。

地道にライブを重ねてきたスタレビの魅力が世の中に伝わっているのでは?と 感じています。

※還暦少年ツアーの見どころについてはこちらのページで詳しく解説。

 

もともと高い音楽性を誇るスタレビなので、音楽関係者の間での評価は高く、たくさんのアーティストとの交流もあり、リスペクトされている存在。

ただ、世の中にはそんなに知られていないという事を自虐し、私もそんなスタレビになんとなく安心感を抱いていました。

 

もっとたくさんの人にスタレビを知ってほしいけど、知られたくない……みたいな。

スタレビが売れて遠い存在になるとは想像できませんが、私たちのスタレビでいて欲しいという気持ちはあります。

なので今、もしも売れたらどうしよう……とちょっと心配しています(笑)

いくら知名度がない、と言っても十分スタレビは知られた存在であると思っていますが……。

 

「ヒット曲がなかったからここまでやれた」と語るスタレビ。

「スタレビを知らない人も多い。知らなくてもいいよ。俺たちを知ってくれている人がいるから。」という要さんの言葉。

もちろん、知ってもらえたらうれしいし、知られなくてもいいという意味ではありません。

スタレビファンって、スタレビのファンだという事にすごくプライドを持っていると思うのです。

こんなにすごいバンドのファンなのだと。

スタレビとファンの間には揺るぎない信頼関係があると思っています。

それはきっと、スタレビに嘘がないから。

 

スタレビのない人生なんて考えられない

 

スタレビの存在は、私にとって揺るぎない存在で絶対になくてはならないものです。

スタレビのない人生なんて考えられない。

要さんがよく「スタレビを見つけてくれて、スタレビの音楽を楽しんでくれてありがとう」と言うけれど、その言葉をそのままお返しします。

こちらこそ「私と出逢ってくれてありがとう」の気持ちでいっぱいです。

 

大好きなスタレビへの愛情と感謝を込めて、スタレビの魅力についてより深くお伝えできればと思っています。

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はじめに~私と出逢ってくれてありがとう

私と出逢ってくれてありがとう

第1章 人生を楽しくしてくれてありがとう

楽しませてくれてありがとう~NO スタレビ,NO LIFE~

大分に来てくれてありがとう~ライブツアーの魅力~

第2章 教えてくれてありがとう

教えてくれてありがとう~音楽の知識~

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第3章 日本一のファンクラブ・スタッフにありがとう

ファンクラブ・スタッフにありがとう

第4章 スタレビのサポートメンバー・元メンバー・メンバーにありがとう

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初心者におすすめの男闘呼組の名曲4選

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ジャニーズファン歴25年で『なぜ90年代J-POPはあんなにアツかったのか?』の著者であるシン氏が90年代ジャニーズという存在を紐解く!「少年隊」「光GENJI」が築いたジャニーズの礎とは?「SMAP」「V6」「TOKIO」「KinKi Kids」の軌跡とおすすめ楽曲をジャニーズと共に青春を過ごしてきた筆者視点で語る!

『90年代ジャニーズ入門~ファン歴25年が語る~』(全15ページ)はこちらから!

著者:シン アキコ

30代前半女性。ジャニーズファン歴25年。70年代、80年代、90年代の邦楽を愛している。著書『なぜ90年代J-POPはあんなにアツかったのか?: J-POP愛して25年の著者がヒット曲を徹底分析 (Webonブックス) 』

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前ページでは90年代ジャニーズの礎を築いた「少年隊」「光GENJI」について解説してきましたが、このページではジャニーズの礎を築いたもう一つのグループ「男闘呼組」のおすすめの名曲をご紹介します。

 

「DAYBREAK」作詞:大津あきら 作曲:MARKDAVIS

 

「DAYBREAK」は男闘呼組のデビュー曲であり、レコード大賞最優秀新人賞受賞曲。

作曲はジャニーズおなじみ、Mark Davisというペンネームを持つ馬飼野康二。

ジャニーズカウントダウンコンサートでも披露される定番曲であり、男闘呼組のギターである岡本健一とその息子・圭人(Hey!Say!JUMP)のコラボでも話題になった。

男闘呼組のコーラスワークが映えるロックナンバー。

 

「TIME ZONE」作詞:大津あきら 作曲:MARKDAVIS

 

「TIME ZONE」は男闘呼組唯一のCMタイアップとして、時計メイカー「セイコー」のCMで使用された。

ライブの定番曲であり、すべてのライブで歌われた。

こちらも作曲はMark Davisによる。

ジャニーズの後輩たちもカバーしており、変声期を迎える前の元関ジャニ∞・錦戸亮をはじめジャニーズジュニア黄金期(90年代後半)メンバーによりテレビ・ライブで頻繁に披露された。

ソロパート、コーラスワークのバランスも良く「男らしさ」「力強さ」を感じさせる。

 

「不良」作詞:大津あきら 作曲:高槻真裕

 

「不良」は、歌唱力に定評のある成田のソロ曲。

男闘呼組は実質、成田・高橋のツインボーカルバンドといっても良いほどふたりの歌唱力と独特の声に魅力があり、その実力はジャニーズ史上に残るものと言ってよい。(ただし、抜群に容姿端麗であり、特徴的なギタープレイで人気を集めた岡本は一般層からも注目度が高く、ソロを割り当てられることも多かった)

ハスキーな声が映える名バラード。

まさに「不良」を歌った、笑顔のない渋みのある歌唱は男闘呼組ならでは。

当時のジャニーズが歌うには異色のナンバーであったと言える。

 

「Midnight Train」作詞:安藤芳彦 作曲:熊谷安廣

 

「Midnight Train」は「DAYBREAK」(4種発売)のカップリングの1曲。

深夜の駅、電話越しに別れを告げながらも、もう一度やり直そうとする男女を描いたドラマチックな楽曲。

かつてジャニーズジュニアの人気グループだった「MAIN」(現・嵐メンバーの相葉、松本、二宮、俳優の生田斗真。グループ名はそれぞれの頭文字をとったもの)が舞台「スタンドバイミー」で披露し、当時を知らない若手ファンの間でも人気が定着した。

 

さて、この章ではジャニーズの礎を築いた「少年隊」「光GENJI」「男闘呼組」をご紹介してきましたが、次の章からは90年代活躍したジャニーズグループ「SMAP」「TOKIO」「V6」「KinKi Kids」の軌跡と楽曲をご紹介します。

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少年隊の功績 ~ジャニーズ随一のエンターテインメント集団~

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ジャニーズファン歴25年で『なぜ90年代J-POPはあんなにアツかったのか?』の著者であるシン氏が90年代ジャニーズという存在を紐解く!「少年隊」「光GENJI」が築いたジャニーズの礎とは?「SMAP」「V6」「TOKIO」「KinKi Kids」の軌跡とおすすめ楽曲をジャニーズと共に青春を過ごしてきた筆者視点で語る!

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1980年代後半から1990年代にかけてのジャニーズの活躍はめざましいものがありました。

この章ではジャニーズ人気の礎を築いた「少年隊」「光GENJI」について解説します。

このページでは「少年隊」について解説します。

 

ジャニーズ随一のエンターテインメント集団・少年隊

メンバー ・錦織一清(1965年5月22日生まれ)通称:ニッキ 写真左
・植草克秀(1966年7月24日生まれ)通称:カッちゃん 写真中央
・東山紀之(1966年9月30日)通称:ヒガシ 写真右
デビュー 1985年「仮面舞踏会」でデビュー
ジャニーズ最長の活動歴のグループ。最大のヒットソングは「仮面舞踏会」で、1986年シングル売上の3位。2枚目のシングル「デカメロン伝説」が1987年シングル売上26位。6枚目シングル「君だけに」は1987年シングル売上10位。1986年に初演された舞台「PLAYZONE」は少年隊の代名詞とも言える。

 

1985年に「仮面舞踏会」でデビューした少年隊。

メンバーである東山紀之に「出会ったときからすでに完成されていた天才」と言わしめる稀代のエンターテイナー・ニッキ。

ジャニー喜多川社長自らスカウトしたという甘いマスクに秘めたストイックさで「とにかく練習」を貫くヒガシ。

3人のなかではいじられキャラながら、いつも一番のアイドルスマイルを見せてくれるカッちゃん。

今でも仲の良い、バランスのとれた3人組は、しっかりとオチのある軽快なトークも魅力のひとつ。

さんざん話して笑いをかっさらったかと思いきや、いざ歌い始めるとガラッと表情を変え、スタジオをあっという間にシアターに変えてしまうのです。

 

並外れた身体能力

 

なんといっても少年隊の特徴は、全員が並外れた身体能力の持ち主であること。

当時は生演奏、生歌が当たり前の時代。

激しいダンスとアクロバットを行いながら歌い上げるのはもちろんのこと、マイクを高く放り投げてキャッチするニッキおなじみのパフォーマンスや、カメラから走って逃げてフレームアウトするという遊び(もちろんキメはばっちりキメる)までしていたというのだから驚きです。

歌って踊れるアイドルはジャニーズ以外にもたくさんいます。

今も昔も。

しかしこれほどまでに完成度の高い本格的なパフォーマンスをテレビで魅せることができるアイドルは、少年隊以前も以降も存在しないと思うのです。

彼らの活躍があってこそ「ジャニーズ」が世間に一目置かれる存在になった。そう言っても過言ではないと思います。

彼らに憧れてジャニーズを志した少年や、「姉がヒガシのファンで履歴書を送った」とジャニーズのオーディションを受けたジャニーズタレントもいます。

こうして未来につながっていくのがまた、ジャニーズの不思議な縁というところでしょうか。

 

「解散」という定説を破る存在

 

2006年の「想 SOH/自分で選んだ明日をゆく」以降、少年隊としての楽曲リリースや3人での活動がないのはやはり寂しいところ。

しかし、いくつになってもグループであり続ける姿は、全ジャニーズファンの希望です。

「アイドルはある程度の年齢になれば解散しそれぞれの道をゆくべき」

そんな定説を破り続ける少年隊が好きです。

それぞれが、外部で高い評価を受け、活躍し羽ばたいていても、あくまで“少年隊の”錦織一清であり、植草克秀であり、東山紀之である。

それは、ファンにとってはなによりも重要なことなのですから。

 

次のページではそんな「少年隊」を知る上で聴いていただきたいおすすめの名曲をご紹介します。

『90年代ジャニーズ入門』目次へ  (全15ページ)



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初心者におすすめの少年隊の名曲9選

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ジャニーズファン歴25年で『なぜ90年代J-POPはあんなにアツかったのか?』の著者であるシン氏が90年代ジャニーズという存在を紐解く!「少年隊」「光GENJI」が築いたジャニーズの礎とは?「SMAP」「V6」「TOKIO」「KinKi Kids」の軌跡とおすすめ楽曲をジャニーズと共に青春を過ごしてきた筆者視点で語る!

『90年代ジャニーズ入門~ファン歴25年が語る~』(全15ページ)はこちらから!

著者:シン アキコ

30代前半女性。ジャニーズファン歴25年。70年代、80年代、90年代の邦楽を愛している。著書『なぜ90年代J-POPはあんなにアツかったのか?: J-POP愛して25年の著者がヒット曲を徹底分析 (Webonブックス) 』

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前ページではジャニーズブームの礎を築いた「少年隊」について解説をいたしましたが、このページではまずは聴いてほしい「少年隊」のおすすめの名曲を紹介します。

 

初心者におすすめの少年隊の名曲9選

「仮面舞踏会」作詞:ちあき哲也 作曲:筒美京平

 

「仮面舞踏会」は昭和を代表するコレオグラファー(振付師)・西条満の代表作。

西条満といえば、フォーリーブス「ブルドッグ」のゴムベルトを用いたアクションなど、ジャニーズアイドルに斬新な振り付けを与えた天才振付師。

 

「仮面舞踏会」におけるダンスの特徴としてまず挙げられるのは、歌前のポージングから歌終わりのキメまで、世界観が完璧に統一されていること。

少年隊の3人がマスクを投げ捨てるシーンから、一音一音もれなくポーズをはめ込んでいる。

「これが昭和の日本なのか」と驚くほど複雑なことをやってのけている。

腰振りや、マイクスタンドを蹴り飛ばすアクション、目まぐるしく変わるフォーメーション、3人そろってのバック宙…たった1曲なのに、話題になった振りを挙げればキリがない。歌詞と曲とコレオ(振付)がこれ以上なくマッチした楽曲。

この楽曲を完璧にパフォーマンスしてみせた少年隊には「スゴイ」の一言しかない。

デビュー曲に懸ける情熱が伝わってくる。せひ目で見て楽しんでほしい。

 

「デカメロン伝説」作詞:秋元康 作曲:筒美京平

 

「デカメロン伝説」も目で見て楽しい1曲。

相当難しい振り付けをなんでもない顔でこなす姿にはもはや脱帽。

タイトルは中世イタリアの創作詩「デカメロン(十日物語)」に由来しており、歌詞のなかにもそれを示唆するワードがある。

少年隊の楽曲がもつエキゾチシズムを代表する1曲。

イントロの「ワカチコ(実際は「ワカチコン」)」というフレーズは、錦織の提案で吹き込まれたもの。

 

「君だけに」作詞:康珍化 作曲:筒美京平

 

甘い言葉を紡がせれば右に出る者はいない、康珍化作詞による極上のラブソング。

イントロ・アウトロで指を鳴らす振り付けが印象的だった。

バラードだからこそ魅せることのできる、しなやかで表情のあるダンス・歌声がみどころ。

ソロパートが多いため、3人の声を聞き分けるにはもってこいの楽曲。

舞台や後輩アイドルのコンサートではアップテンポにアレンジして歌われることもある。

 

「Let’s Fight」作詞:宮下智 作曲:宮下智

 

「Let’s Fight」はアルバム『PLAYZONE’89 Again』に収録。後輩アイドルにも歌い継がれ、ジャニーズファンにはおなじみ。

男らしさあふれるエネルギッシュな楽曲だが、作詞作曲は女性ソングライター宮下智がつとめている。

宮下はジャニーズへの楽曲提供が多く、2019年現在のデビュー組においてもっとも若手であるKing & Princeにも楽曲を提供するなど、幅広い世代に愛されている。

 

 

「まいったネ、今夜」作詞:宮下智 作曲:宮下智

 

「まいったネ、今夜」は「ザ・ベストテン」のスタジオを一瞬にしてシアターに変えた1曲。

指先まで表情をもつロマンチックで丁寧なダンスに注目してほしい。

「Let’s Fight」同様、宮下智による作品であり、少年隊の「まいったネ、今夜」や田原俊彦「チャールストンにはまだ早い」など宮下によるジャズテイストの人気ナンバーはジャニーズファンの間で人気が高い。

 

「PGF」作詞:及川眠子 作曲:井上ヨシマサ

 

「PGF」は20枚目のシングル「Oh!」のB面。

PGFとは「Positive Girl Friend」の頭文字をとったもの。

いわゆるジャニーズジュニア黄金期(95年~)に重なるリリースということもあり、当時のジャニーズジュニアたちにカバーされジャニーズ定番ソングになった。

 

「湾岸スキーヤー」作詞:秋元康・山下達郎・ODAYALANE  作曲:山下達郎・ODAYALANE

 

「湾岸スキーヤー」は山下達郎の楽曲をカバーしたシングル。

フジテレビ系列の長野オリンピック放送テーマソングであり、当時は耳にする機会も多かった。

「湾岸スキーヤー」については、なによりも有名なエピソードとしてミュージックステーションにおけるJ-FRIENDS(TOKIO、V6、KinKi Kidsによる阪神淡路大震災へのチャリティー活動を目的とした期間限定ユニット)との共演が挙げられる。

当時すでに人気アイドルだった3グループが少年隊のバックダンサーをつとめる姿はファンにとっては斬新なものであり、J-FRIENDSの一部メンバーにとっては懐かしさや憧れを胸に秘めた夢の共演。

ジャニーズファンの間では今も伝説として語り継がれている。

 

「情熱の一夜」作詞:松井五郎 作曲:馬飼野康二

 

活躍の中心をミュージカルに置いていた少年隊が、一般層にもその健在ぶりを見せつけた一曲。

パフォーマンス力の高さはそのままに、大人の魅力でファンを魅了した。

タイトルの通り、情熱的かつキャッチーなメロディが耳に楽しい。

作詞作曲はジャニーズおなじみのゴールデンコンビである松井五郎、馬飼野康二によるもの。

 

「君がいたころ」作詞:Platina 作曲:馬飼野康二

 

東山紀之主演ドラマ「お前の諭吉が泣いている」主題歌。

ちなみに前作「ロマンチックタイム」は自身の冠番組「少年隊夢」の主題歌に、98年の人気バラード「愛と沈黙」は堂本光一主演ドラマ「ハルモニア」の主題歌にと、当時の少年隊の曲は主題歌への起用が多かった。

以後5年半シングル発表はなく、続く2006年の「想 SOH」以降2019年までシングルリリースはない。次作が待たれる。

 

さてここまでは90年代ジャニーズの礎を築いた「少年隊」について解説してきましたが、次のページでは「光GENJI」について解説していきます。

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光GENJIの功績 ~社会現象を巻き起こした最後のビッグアイドル~

Webon紹介目次著者

ジャニーズファン歴25年で『なぜ90年代J-POPはあんなにアツかったのか?』の著者であるシン氏が90年代ジャニーズという存在を紐解く!「少年隊」「光GENJI」が築いたジャニーズの礎とは?「SMAP」「V6」「TOKIO」「KinKi Kids」の軌跡とおすすめ楽曲をジャニーズと共に青春を過ごしてきた筆者視点で語る!

『90年代ジャニーズ入門~ファン歴25年が語る~』(全15ページ)はこちらから!

著者:シン アキコ

30代前半女性。ジャニーズファン歴25年。70年代、80年代、90年代の邦楽を愛している。著書『なぜ90年代J-POPはあんなにアツかったのか?: J-POP愛して25年の著者がヒット曲を徹底分析 (Webonブックス) 』

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1980年代後半から1990年代にかけてのジャニーズの活躍にはめざましいものがあります。

この章ではジャニーズの人気の礎を築いた「少年隊」「光GENJI」について解説しておきたいと思います。

このページでは「光GENJI」について解説します。

 

社会現象を巻き起こした最後のビッグアイドル・光GENJI

メンバー 【光】
・内海光司(1968年1月11日生まれ)
・大沢樹生 (1969年4月20日生まれ)
【GENJI】

・諸星和己(1970年8月12日生まれ)
・佐藤寛之(1970年11月2日生まれ)
・山本淳一(1972年2月28日生まれ)
・赤坂晃(1973年5月8日生まれ)
・佐藤敦啓(1973年8月30日生まれ)
【GENJI 元メンバー】
・田代秀高
デビュー 1987年「STAR LIGHT」でレコードデビュー
「パラダイス銀河」「ガラスの十代」「Diamondハリケーン」で1988年オリコン年間シングル売上1位から3位までを独占。1988年「パラダイス銀河」で第30回日本レコード大賞を受賞。

 

「光GENJI」といえば、当時を知らない世代であってもその名前を耳にしたことがあるでしょう。

黄色い声援のなかをローラースケートで駆け巡る、まさに流星のような7人組。

ローラースケートを履いたままのバック転や高い跳躍など、ローラースケートの概念もダンスの概念もぶち破った存在といえます。

光GENJIの当時の人気は凄まじいもので

「メンバーが自宅を出て学校に行くまでどんどんファンがついてくるため集団登校のようになっていた」

「ローラースケートがバカ売れした」

「あまりの人気ぶりに、未成年メンバーが20時以降の生放送に出演できるように『労働基準法』が変わった」

といったエピソードが多数あります。

 

「光」と「GENJI」からなる「光GENJI」

 

「光GENJI」は、

元イーグルスとして活動していた「光」内海光司、大沢樹生の年長組と、

年下組である「GENJI」諸星克己、山本淳一、佐藤寛之、赤坂晃、佐藤敬啓(当時表記)で結成。

後年には、諸星以外のGENJIメンバーからなる「SAY’S」がCDデビューを果たすなど、7人いるからこそのフォーメーションや組み合わせが楽しめるグループでもありました。

 

光GENJIが、最年少である佐藤(啓)のために作られたグループであることは有名な話。デビュー曲では、まだ表情に幼さの残る佐藤(啓)がセンターをとっています。

両端を内海、大沢の長身・年長・先輩コンビが務めることで全体が締まる。

「光」はとにかく見栄えのよいコンビでした。

振り付け通りにキッチリ踊る内海と、感情的にアドリブを加えて踊る大沢という本来かみ合わないはずのシンメトリーでしたが、この2人が両端・前方にいるフォーメーションは安心感がありました。

これぞ「光GENJI」という感じがします。

 

光GENJIの顔「諸星」

 

もっとも元気がよくおしゃべりで、無茶なパフォーマンスも全開のアイドルスマイルでやりきるかーくんこと諸星は、セカンドシングル「ガラスの十代」以降センターポジションを務めることになり光GENJIの顔となります。

派手なヘアアクセサリーやダンスにおける大きなアクション、そしてどんなときでも笑顔を欠かさない諸星は、誰よりも目立つ存在でした。

光GENJIは、ローラーを履いてのパフォーマンス力の高さや衣装の早替えなど観るものを飽きさせないスキルをきわめていたほか、なによりもその「笑顔」が印象的です。

諸星自身ものちに「自分たちが最後のアイドル」と語っていたように、多忙をきわめる毎日においても元気と笑顔を欠かさず、いつも全力でやりきる。

ちょっとカッコ悪いことさえ、全力でやり切るからカッコいい。光GENJIはそういうアイドルでした。

 

最年少の「アッくん」

 

当時最年少で、メンバーからいじられてはむくれていたアッくんこと佐藤アツヒロ(現在表記)は、いまやジャニーズ事務所では大先輩。

舞台の仕事をメインに置きながらも、ときおり後輩たちとパフォーマンスを披露しています。

ローラースケートを履いて自由自在に走り、踊る姿は当時よりさらにブラッシュアップ。

“お兄さんになってしまったアッくん”になんだか寂しい気持ちを抱きながらも、内海光司と佐藤アツヒロがいまもジャニーズ事務所に在籍していること、カウントダウンコンサートやジャニーズ舞台でアッくんがローラーを履いてくれることは「いつかまた光GENJIを」というファンの生命線でもあるような気がします。

 

現在の光GENJI

 

光GENJIメンバーは、いまもそれぞれの場所で光GENJIの楽曲を歌い継いでいます。

目にもとまらぬ早さで過ぎていった怒涛の8年間と、解散。

ファンの方はよくない噂も耳にしたでしょうが、彼らが彼らなりに「光GENJI」という想い出、青春を、大切に大切に胸の奥にしまっていることでしょう。

 

7人にしかない「光GENJI」という青春。

あの輝かしい時間を、満員のアリーナを、割れんばかりの声援を、知っているのは7人だけです。

簡単に想い出の箱を開きたくないと言ったメンバーの言葉も、分かるような気がします。

解散していなければデビュー30周年を迎えているはずの2016年には「メンバー7人で会っている」という嬉しい言葉が聞かれました。

今も光GENJIを待っているファンはたくさんいます。いつか必ずまた、その姿を見せてほしいものです。

 

次のページではそんな「光GENJI」を知る上で聴いていただきたいおすすめの名曲をご紹介します。

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初心者におすすめの光GENJIの名曲12選

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ジャニーズファン歴25年で『なぜ90年代J-POPはあんなにアツかったのか?』の著者であるシン氏が90年代ジャニーズという存在を紐解く!「少年隊」「光GENJI」が築いたジャニーズの礎とは?「SMAP」「V6」「TOKIO」「KinKi Kids」の軌跡とおすすめ楽曲をジャニーズと共に青春を過ごしてきた筆者視点で語る!

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前ページではジャニーズブームの礎を築いた「光GENJI」について解説をいたしましたが、このページではまずは聴いてほしい「光GENJI」のおすすめの名曲を紹介します。

※「光GENJISUPER5」の楽曲は除いてご紹介。「光GENJISUPER5」は「光GENJI」のメンバー大沢樹生・佐藤寛之が脱退した後に、残ったメンバー5人(内海光司・諸星和己・山本淳一・赤坂晃・佐藤敦啓)で活動する際に使っていたグループ名。

 

初心者におすすめの光GENJIの名曲12選

「ガラスの十代」作詞:飛鳥涼 作曲:飛鳥涼

 

「ガラスの十代」は2ndシングルながら、アクロバットや衣装の早替えなどジャニーズおよび光GENJIの持つスキルをふんだんに取りこんだ完成度の高いパフォーマンスに注目の1曲。

カメラワークや歌割り(=誰がどこを歌うかなどを決めたもの)をうまく利用し、観客を飽きさせることなくローラースケートの着脱や早替えを行っていた。

楽曲には随所にガラスを思わせる破裂音が用いられている。

 

光GENJI SUPER5のラストコンサートでは赤坂晃のソロコーナーで披露。

オリジナルアレンジと振り付けでファンを魅了した。

こちらのアレンジも実に良い。

「ガラスの十代」は光GENJIの代表曲として、今も後輩アイドルたちに歌い継がれている。

 

「パラダイス銀河」作詞:飛鳥涼 作曲:飛鳥涼

 

「パラダイス銀河」も飛鳥涼による楽曲。

光GENJIのもつ明るさ、若さ、パワーをすべてつめこんだ、当時の彼らが歌うことで完成したともいえる楽曲。

光GENJIが持つ、圧倒的な無敵感を感じることができる。

サビにおける、7人で円になってのローラースケート滑走は、ローラースケートという武器をめいっぱい活用した画期的なパフォーマンス。

疾走感が楽曲の良さをさらに引き立てる。

おもちゃ箱のように次から次へと展開していく間奏も見どころ・聴きどころ。

 

「Graduation」作詞:飛鳥涼 作曲:CHAGE

 

「Graduation」は2ndシングル「ガラスの十代」カップリング。

コンサート本編のラストを飾る曲としても定番。

光GENJI SUPER5のラストコンサートでも本編最後に歌われた。

 

また、ジャニーズジュニア黄金期における、初のジュニア単独コンサートでも本編最後は「Graduation」が用いられた。

TOKIO(城島、山口、国分)V6(坂本、長野、井ノ原)からなる「平家派」が番組で披露したことで人気が再燃。

※平家派・・・光GENJI『剣の舞』のバックダンサーグループであり、「スケートボーイズ」出身のメンバーを中心に結成されたジャニーズジュニア内グループです。

 

「Hurry Up」作詞:飛鳥涼 作曲:飛鳥涼

 

「Hurry Up」は年下組であるGENJIが歌唱。

デビュー前のKinKi KidsもNHKの音楽番組「アイドルオンステージ」で披露していた。

 

少年の声が良く映える明るい楽曲ながら、部分的に取り入れられたマイナーコードが甘酸っぱさや切なさを演出している。

電車で一目ぼれした女の子を想う恋の歌であるが、歌詞のリアリティ(共感)とファンタジーのバランスが絶妙。

 

デビュー曲「STAR LIGHT」をはじめとし、光GENJI初期のヒット曲には飛鳥涼の存在が欠かせない。

とくにデビュー曲「STAR LIGHT」から「ガラスの十代」「パラダイス銀河」の3曲続けてのヒットは光GENJIブームを決定づけた。

 

「太陽がいっぱい」作詞:大江千里 作曲:大江千里

 

「太陽がいっぱい」は「格好悪いふられ方」で知られるシンガーソングライター大江千里が作詞作曲を担当した、美しい起承転結が印象的な楽曲。

リリースされた1989年の賞レースでいずれも大賞を受賞し、レコード大賞では金賞を受賞した光GENJIの代表曲でもある。

「太陽がいっぱい」のフレーズで、身体を傾け手を伸ばすポーズも流行した。

サビのワンフレーズにローラースケートで歩く振り付けがある。

ムーンウォークというと大げさかもしれないが、無重力空間を泳いでいるかのような目の錯覚を起こす。

歌詞にもちょうど「泳いで」というワードが用いられているからなおさらだ。

機会があればぜひ見てほしい。

 

「ヒットパレード・ボーイ」作詞:森若香織 作曲:森若香織

 

「ヒットパレード・ボーイ」は山本淳一がソロで歌った曲。

歌詞と楽曲、山本のハイトーンや歌唱が非常にマッチしている。

アイドルという立場である少年が歌うことで完成する楽曲。

近年あまり歌われていないが、ぜひ現ジャニーズにも歌ってほしいと願う。

 

「Rabbit Train」作詞:三浦徳子 作曲:佐藤準

 

「Rabbit Train」はジャニーズソングのファンタジー楽曲担当とも言える三浦徳子による作詞。

三浦氏は現在もSexy Zoneなど若い世代に独特の世界観を持つ歌詞を提供している。

「Rabbit Train」も、ジャニーズが歌い継いでいる楽曲のひとつ。

デビュー前のKinKi Kidsやタッキー&翼、嵐の一部メンバーも歌ってきた。

 

歌詞は「どういうこと?」と思わずこぼしてしまいそうになるが、なぜか耳に残って離れないフレーズを書くのが三浦徳子である。

MVも個性的な世界観をもっており、その世界観になかなか理解しがたい点がある。

楽曲は気だるげな雰囲気があり、実は非常に凝ったもの。

随所に取り込まれたピアノのプレイは必聴。

 

「CO CO RO」作詞:森浩美  作曲:馬飼野康二

 

「CO CO RO」はSMAPへ多数の歌詞を提供している森浩美が作詞。

作曲はジャニーズソングではおなじみ馬飼野康二。

パフォーマンス面では7人が組む複雑なフォーメーションが見どころ。

くるくると隊形を変化させていくのだが、誰ひとりとして足元や後方を見ることなくカメラに笑顔を向け続ける。

想像を絶する練習量と互いの信頼がなければ成し得ない技だ。

 

「さよならの情熱」作詞:三浦徳子 作曲:土橋雅樹

 

「さよならの情熱」もジャニーズソングではおなじみ三浦徳子による作詞。

「好きな女性が恋人に傷つけられている姿を見ていられない、僕のほうにおいでよ」という募る想いを描いた楽曲だが、「さよならの情熱」というタイトルの印象が強いためかコンサートの後半で使用されることが多い。

大沢・佐藤(寛)の卒業コンサートでも歌われた。

好きな女性への一途な想いがまっすぐに伝わる名曲だが、三浦徳子が作詞をしていることもあってか、この曲も程よいファンタジーテイストを残しており、リアルすぎないのが良い。

 

「三日月の夜に…」作詞:佐藤敦啓 作曲:もりくん

 

「三日月の夜に…」は最年少である佐藤敦啓作詞によるナンバー。

スタンドマイクを持ち自由自在に走り回り、歌うメンバーの姿が印象的。

全員にソロパートがある。

後期の光GENJIらしい、少年から男性へと脱皮した彼らの歌唱や表情が楽しめる。

 

「勇気100%」作詞:松井五郎 作曲:馬飼野康二

 

「勇気100%」は光GENJI後期の大ヒット曲。

人気アニメ「忍たま乱太郎」の主題歌として起用され、ジャニーズの後輩グループに多数カバーされている。

B面の「微笑みをあずけて」は、勇気100%をバラードアレンジしたもの(歌詞も異なる)。

ジャニーズソングおなじみのゴールデンコンビによる楽曲であり、松井五郎は光GENJI以降多数のジャニーズアイドルへ歌詞提供を行っている。

「僕たちが持てる輝き 永遠に忘れないでね」という歌詞には、光GENJIファンならぐっとこみあげるものがあるだろう。

 

「Meet Me」 作詞:タケカワユキヒデ 作曲:タケカワユキヒデ

 

「Meet Me」は、タケカワユキヒデらしい美しい歌詞が印象的な楽曲。

楽曲そのものは明るい雰囲気をもっているが、コンサート終盤で歌われることが多い点や「バイバイ」を多用した切ない歌詞が、光GENJI後期や解散を思い出させる。

コンサートではメンバーが会場中を所せましと走り回り、ファンを喜ばせた。

 

さてここまでは90年代ジャニーズの礎を築いた「少年隊」「光GENJI」について解説してきましたが、次のページではジャニーズの礎を築いたもう一つのグループ「男闘呼組」のおすすめの名曲をご紹介します。

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KinKi Kidsの軌跡

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ジャニーズファン歴25年で『なぜ90年代J-POPはあんなにアツかったのか?』の著者であるシン氏が90年代ジャニーズという存在を紐解く!「少年隊」「光GENJI」が築いたジャニーズの礎とは?「SMAP」「V6」「TOKIO」「KinKi Kids」の軌跡とおすすめ楽曲をジャニーズと共に青春を過ごしてきた筆者視点で語る!

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この章では90年代活躍したジャニーズグループ「SMAP」「TOKIO」「V6」「KinKi Kids」の軌跡と楽曲を紹介します。

このページからは「KinKi Kids」の軌跡と楽曲を紹介していきます。

 

「KinKi Kids」90年代簡易年表

年月 出来事
1991年5月 堂本光一と堂本剛が初対面
1992年12月 紅白歌合戦で「KANZAI BOYA」とユニット名が付く
1993年4月 「KinKi Kids」に改名
1994年7月 ドラマ「人間・失格」出演
1994年12月 日本武道館で初の単独コンサート
1995年4月 ドラマ「金田一少年の事件簿」
1996年1月 ドラマ「銀狼怪奇ファイル」
1996年4月 ドラマ「若葉のころ」
1997年7月 シングル「硝子の少年」アルバム「A album」でCDデビュー
1997年11月 2枚目シングル「愛されるより 愛したい」リリース。CD累計売上163万枚。
1998年7月 4枚目シングル「全部だきしめて」リリース。CD累計売上115万枚。

運命的なふたり。「シンメ」の究極の形

 

ダンスのフォーメーションにおいて、対となって踊ることをシンメトリーといいます。この「シンメ」はジャニーズファンにとってたいへん重要なもの。

ファンはシンメという関係性に特別感を抱き、シンメにしか出せない空気感を愛し、息の合ったコンビネーションに胸を躍らせます。

そして何より、二人が並んだときの「無敵感」に夢を見るのです。

 

KinKi Kidsは、1991年5月5日に横浜アリーナで開催された光GENJIのコンサートで初対面を果たして以降、2019年現在までずっとコンビを組んできたジャニーズきってのシンメトリー。

もともとは近畿二府四県からひとりずつ抜擢し、複数人による関西発グループを結成する構想だったそう。

しかし、光GENJIやSMAPのバックダンサーとして経験を積んでいった二人は、1992年にSMAPのバックダンサーとして出演した紅白歌合戦で「KANZAI BOYA(カンサイボーヤ)」とユニット名が付けられ、正式にデュオとなりました。

同じ「堂本」という苗字、関西出身(光一の出生は千葉)、学年違いの同年生まれ(光一があと1日早く生まれていたら同年生まれにはならなかった)、ちょうど100日違いの誕生日…。

ルックスも性格もまるで異なるのに、どこか似ている、同じ雰囲気をまとう二人。

偶然という言葉では片付けられない、もはや運命的な出会いとしか言いようがありません。しかし運命だとか必然だとか表現にこだわるよりも、二人で歩んできたその軌跡こそが本物です。

ふとしたときに重なる発言や仕草、ときにふたりにしか分からない笑いのツボ、変わらぬ距離感、それらすべてに、20年をゆうに超える二人の歴史を感じずにはいられません。

彼らをデビュー前からかわいがっていたSMAP中居氏が「キンキくらいになると、死ぬときは手を繋いで同時に死んでほしい」とバラエティ番組で発言したこともあるほど、誰の目から見てもジャニーズきっての絶対的なコンビ。

彼らの人気曲「欲望のレイン」「愛のかたまり」は歴代の人気シンメにカバーされ、シンメを組むコンビにとっても、シンメを愛するジャニーズファンにとっても憧れの曲です。

 

KinKi Kidsの軌跡

 

KinKi Kidsへの想いをアツく語りたいところではありますが、いかんせん記録の多い彼ら。

当時、異例ずくめとも言えるKinKi Kidsの活躍と人気ぶりは、あとに続くジャニーズアイドルに大きく影響を与えました。

90年代のKinKi Kidsの人気がどれほど凄かったか。

少なくともそれが、当時を知らない読者の方に伝われば幸いです。

 

デビュー前に「日本武道館」で初単独コンサートを開催

 

KinKi Kidsは入所した当初、平日は関西の地元の学校へ通い、土日は京都駅で待ち合わせをして二人で上京し、レッスンを受けるという日々を送っていました。

先輩アイドルの冠番組への出演や、バックダンサーとしての活動、雑誌への掲載など露出が増えるにつれ、すぐにジャニーズファンの間で注目の存在になります。

1993年には「KANZAI BOYA(カンサイボーヤ)」から「KinKi Kids」に改名。

光一が中学三年生、剛が中学二年生の1993年に上京。

本格的にトップアイドルへの道をまい進していきます。

彼らが20歳になったころ、上京当時の心境を語る機会が何度かありました。

親元を離れ、アイドルとして頑張っていくと決めた少年の心は、推して知るべし、といったところでしょうか。

当時はそんな姿など微塵もみせませんでしたが、こういった背景も由来してか、彼らにはどこか切なく儚い雰囲気があった。

それさえも魅力でした。

 

ラジオ・テレビ・ドラマで大活躍

 

東京進出により彼らはさらに活躍の幅を広げていきます。

NHK「アイドルオンステージ」では、自分たちで選んだ楽曲を毎週のように披露。

もともと引っ込み思案でおとなしいふたりですが「関西出身アイドル」という周囲の期待から、慣れないトークもがんばっていた姿が印象的です。

 

冠ラジオ番組や冠バラエティ番組を持ちながら、ドラマにも多数出演。

1994年にはドラマ「人間・失格~たとえばぼくが死んだら」に二人揃って出演し、お茶の間にも広くその存在が知られることとなりました。

この作品において、二人はそれぞれオーディションで主役級の役どころを勝ち取っています。

同年の年末には、KinKi Kidsとして初の単独コンサートを日本武道館で開催しました。

 

助演としても多数のドラマ出演を誇る彼らですが、1995年にスタートした「金田一少年の事件簿」シリーズ、翌96年「銀狼怪奇ファイル」、ダブル主演が話題となった名作「若葉のころ」は、彼らの代名詞とも言える作品です。

当時の彼らはレギュラー番組を6本に加えCMにも複数出演の大抜擢。

KinKi Kidsをテレビで見ない日はありませんでした。

デビュー前にも関わらずオリジナルの楽曲を持ち、ミュージックステーションにも何度となく出演しています。

まさに眠る暇もない毎日。メディアからは「日本一忙しい高校生」と呼ばれ、ときに痛々しささえも感じるほど、当時の彼らは多忙を極めていました。

普通の学生らしい青春など、まるでなかったのではないかと思います。

それでも、求められる「KinKi Kids」を全力でやり切ってくれた二人。

KinKi Kidsが駆け抜けた10代は、誰にも真似のできない、追いつくこともできないほど、眩しく目まぐるしく過ぎていったことでしょう。

 

少年が一番輝く時間を見せてくれた。

彼らがくれた青春を、ファンは今も大切に抱きしめています。

人気はとどまるところを知らず、クラスでは「光一派」「剛派」どちらかという話題でいつも持ちきりでした。

そして結局みんな、二人ともが好きだというオチ。

 

これほどまでの人気を誇りながら、一向にCDデビューの朗報は訪れません。

「金田一少年の事件簿」の主題歌「kissからはじまるミステリー」、「若葉のころ」の主題歌「FRIENDS」をはじめ、それぞれソロで主演したドラマの主題歌にもオリジナル曲「僕は思う」「ひとりじゃない」が起用されました。

そのたびに「いよいよデビューか?」と期待しながらも「リリースの予定はない」の繰り返し。

しかし。その日は突然やってきたのです。

 

待望のデビュー&いきなりのミリオンセラー

 

1997年5月29日。同年7月21日にKinKi KidsがCDデビューするという知らせがワイドショーをかけめぐりました。

楽曲は未発表の完全オリジナル曲「硝子の少年」。

さらにはこれまでのオリジナル曲を収録した1stアルバム「A album」もシングルと同日に発売するという前代未聞のデビューです。

本人たちさえ前日まで知らされていなかったという衝撃のデビュー会見に、ファンは驚くとともに歓喜しました。

学校は、しばらくその話題でもちきり。

みんなが待っていた日がようやくやってきたのです。

 

作詞松本隆・作曲山下達郎によるデビュー曲「硝子の少年」は、オリコン初登場1位を記録。

2019年現在の累計では180万枚近くの売り上げを記録しています。

楽曲、歌詞、振り付け、すべてにおいてジャニー喜多川氏がこだわり抜いたというとびっきりの作品。

昭和歌謡のテイストを漂わせた、哀愁のあるメロディアスな楽曲。

瑞々しくもありながら、どこか儚さと憂いのある彼らを指すような「硝子の少年」という詩的なタイトルと歌詞。

そして山下達郎が「濡れた声」と表現した、剛の色気のある歌い出しに続く光一の甘い声、重なるユニゾン。

この曲と出会うためにデビューを待たされたのならかまわない、むしろこの楽曲に出会うためだったのかとさえ思える、会心のデビュー曲でした。

 

1997年12月にリリースされた2枚目のシングル「愛されるより愛したい」も、話題作となったダブル主演ドラマ「ぼくらの勇気・未満都市」の主題歌として大ヒット。

10代最後のアルバム「B album」には自作曲も収録されています。

冠バラエティ番組「LOVE LOVE あいしてる」をきっかけに始めたギターもみるみる上達した二人。

KinKi Kidsは、マイナーコードが似合う実力派アイドルとしてその地位を確立させ、豪華制作陣とともにジャニーズの「アーティスト性」を高めました。

 

現在のKinKi Kids

 

今では二人も40歳。持ち前の才能と努力を武器に、舞台に音楽にとそれぞれが自分の道を進み、ジャニーズタレントとしてもグループとしても、唯一無二の存在を確立しています。

良い意味で肩の力が抜けた独特のゆるさも、現在のKinKi Kidsが持つオンリーワンの魅力といえるでしょう。

それぞれタイプの異なるルックスを持ち、歌って踊るカッコよさと、やわらかな関西弁で話すギャップ。

まさに女の子に恋されるために生まれてきたような二人組。

90年代の女の子たちが恋した無敵のデュオは、今までもこれからもどこまでも、並んで歩み続けることでしょう。KinKi Kid“s”として。

 

次のページではKinKi Kidsの90年代のおすすめの名曲をご紹介します

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V6の軌跡

Webon紹介目次著者

ジャニーズファン歴25年で『なぜ90年代J-POPはあんなにアツかったのか?』の著者であるシン氏が90年代ジャニーズという存在を紐解く!「少年隊」「光GENJI」が築いたジャニーズの礎とは?「SMAP」「V6」「TOKIO」「KinKi Kids」の軌跡とおすすめ楽曲をジャニーズと共に青春を過ごしてきた筆者視点で語る!

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著者:シン アキコ

30代前半女性。ジャニーズファン歴25年。70年代、80年代、90年代の邦楽を愛している。著書『なぜ90年代J-POPはあんなにアツかったのか?: J-POP愛して25年の著者がヒット曲を徹底分析 (Webonブックス) 』

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この章では90年代活躍したジャニーズグループ「SMAP」「TOKIO」「V6」「KinKi Kids」の軌跡と楽曲を紹介します。

このページからは「V6」の軌跡と楽曲を紹介していきます。

 

「V6」90年代簡易年表

年月 出来事
1995年11月 「MUSIC FOR THE PEOPLE」でCDデビュー
1996年9月 4枚目シングル「TAKE ME HIGHER」でオリコン1位
1997年1月 5枚目シングル「愛なんだ」でオリコン1位
1997年4月 6枚目シングル「本気がいっぱい」でオリコン1位
1997年7月 7枚目シングル「WAになっておどろう」でオリコン2位
1997年10月 「学校へ行こう!」放送開始
1997年11月 8枚目シングル「GENERATION GAP」でオリコン1位

 

V6の軌跡

バレーボールデビューの元祖

 

1995年。当時、今でいうジャニーズジュニアは森田剛・三宅健による「剛健コンビ」を筆頭に、入所間もない怪談トリオ(滝沢秀明・今井翼・川野直樹)を加えて人気が沸騰。

いよいよ黄金期へ突入しようという時期を迎えていました。

まだデビュー前のKinKi Kidsも飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍しており、当時のジャニーズファンの間では「次のCDデビューは誰なのか、いつなのか」という期待を込めた噂でもちきりでした。

そこへ、突如発表されたのがV6のデビュー。

そのメンバーの顔ぶれには、誰もが驚きを隠せなかったことでしょう。

 

実質ジュニアでトップの人気を誇っていた剛健コンビのデビューは予想の範囲内。

また、当時からあらゆる現場でムードメーカー的存在だった井ノ原快彦にも、何度かデビューの噂はありました。

そこへ、SMAPよりも長くジャニーズで活動しているベテランジャニーズ・坂本昌行と長野博、そして入所わずか2ヶ月というダークホース・岡田准一を加えた6人グループ。

最年長と最年少が十近くも歳が離れているという、誰もが想像もしなかった組み合わせでのデビューでした。

 

V6の結成

 

V6結成のきっかけは「ワールドカップバレー」。

いわゆる「バレーデビュー」の先駆けです。

デビュー曲「MUSIC FOR THE PEOPLE」はワールドカップバレーのイメージソングに起用され、深夜帯には「Vの炎」というバレーをテーマにした6人主演のスペシャルドラマも放送されました。

ファンにとっては突然のデビューながら、お披露目に至るまではさまざまな動きがあったことがメンバーの口から明かされています。

また、それぞれが微妙に異なるエピソードを語るので、実際のところははっきりとされていません。

 

ジャニー喜多川社長から、一番はじめにグループデビューの話を聞かされたのは三宅だそう。

しかし、近年そのことを三宅がTVで明かすまで「自分が一番最初に相談を受けた」と思っていたと坂本は言います。

実際、メンバーの選考やバレーの練習について坂本は、ジャニー喜多川社長とさまざまなことを話し合ったそうです。

 

【コラム】バレーボールの練習をしていた理由

バレーの練習は最近では必要ではないようですが、V6の時は

●坂本が元バレー部員だったこと
●バレーボールに対するやる気を見てメンバーを決めるべく、ジャニー喜多川社長がジュニアにバレーボールの練習をさせた(もちろんデビューがかかっていることは内密の上で。その際、ほとんどのジュニアは遊んでおり、まだ入所2週間ほどでジュニア内に友達がおらず、トニセンメンバー(すでにデビューは確定済み)と一緒に黙々とバレーを練習していた岡田准一を気に入ったジャニー社長により、最終メンバーとして決定したという説があります)
●デビュー後、バレーボールをテーマにした深夜ドラマに6人で主演することになっていた

という3つの理由があり、バレーボールの練習を行ったようです。ちなみに99年の嵐のデビュー時にもバレーボールドラマがあったため、少々練習は行っていました。

 

当初、V6デビューの構想に森田は含まれていませんでした。

しかし、デビューの話を聞かされた三宅は「(森田)剛がいないならやらない」とジャニー喜多川社長に告げたと言います。

ジャニー喜多川社長は「(森田)剛が入ったら、YOU一番になれないよ?」と確認したそうですが、三宅の意思は固かったよう。

いまも剛健コンビとして、見えない絆で強く結ばれている2人。

デビュー当時のV6の人気を支えたのも、この2人の活躍が大きいといえるでしょう。

 

それほどの逸材がジュニアのトップを走っていた時代に、急遽メンバーに大抜擢された岡田。

まだ頬も赤い、幼さの残る14歳でした。

しかも加入するグループは激しいダンスを売りにしたアクロバットグループ。

デビュー曲から当然のように、全員にバック転やバック宙の振り付けがあります。

下積みなくデビューするということは、一見華々しいように見えますが並大抵ではない苦労があったことでしょう。

 

ジャニーズのダンスやファッションの転換期

 

1995年11月に「MUSIC FOR THE PEOPLE」でCDデビューしてから

「MADE IN JAPAN 」(1996年2月リリース、2枚目シングル)
「BEAT YOUR HEART」(1996年5月リリース、3枚目シングル)
「TAKE ME HIGHER」(1996年9月リリース、4枚目シングル)

と数曲は、当時流行していたユーロビート調の楽曲が続きました。

ロックダンスやブレイクダンス、華麗なアクロバットでメンバーがあちこちへ飛び交う、魅せるステージがV6の最大の魅力。

「TAKE ME HIGHER」は、長野が主演をつとめた「ウルトラマンティガ」の主題歌に起用され、幅広い世代にV6の存在が知られるきっかけになりました。

 

デビュー後もやはり目立つ剛健コンビ。

とくに森田は、茶色く染めた髪に鋭く整えた眉、腰で履いたパンツに前を開けたジャケット、ゴツめのアクセサリーといった、これまでのジャニーズとはひと味ちがう「ワルっぽい」魅力を持っていました。

いままでのジャニーズにない個性に加え、ダンスのしなやかさも相まって、彼に憧れるジャニーズジュニアも多かったよう。

V6がデビューした95年頃は、女性にはアムラーやコギャル系、男性にはロン毛やサーファースタイルといったファッションが流行した時代。

これまでジャニーズが見せてきた「かっこよさ」とは方向性が異なりはじめた時代です。

 

J-POPにおいても、ユーロビートはもちろんのこと、ヒップホップやR&B、ラップを取り入れた楽曲が注目されはじめたころ。

当時の「カッコイイ」は実に多様化していました。

特にV6は、流行に敏感なエイベックスからCDをリリースしています。

楽曲はもちろんのこと、衣装の傾向もこれまでのジャニーズとは異なり、一見すれば私服にも見える「あえてキラキラしない」衣装や、ダボっとしたストリート系ファッションなど、若者の流行を敏感に取り入れていきました。

当時ジャニーズのグループはいまよりもずっと数が少なく、V6やKinKi Kidsらは、学生が休みになる時期全てにコンサートツアーを行うのが定例でした。

「春コン」「夏コン」「冬コン」と呼ばれ、ジャニーズジュニアもそれらに帯同し、各地に遠征するのがお決まりでした。

ファッショナブルでダンサブルなV6に憧れるジャニーズジュニアは多く、当時ツアーをともに回った後輩アイドルたちは、今も目を輝かせて当時のV6の話をすることがあります。

「青春だった」と。

 

V6の楽曲制作陣はジャニーズではおなじみの面々。馬飼野浩二、相田毅、林田健司といった、それまでのジャニーズを支えてきたアーティストが名を連ねています。

しかし、テクノ系サウンドやユーロビートを主としたV6の楽曲と、光GENJIやSMAPの楽曲。同じ人たちが作ったとは、一度聴いただけではわからない。

ミュージシャンは、いつの時代も柔軟に変化し、進化し続けるものなのだとつくづく感じます。

そして、その幅の広さに驚かされるのです。

 

「愛なんだ」「学校へ行こう!」が転機に

 

V6には、彼ら自身も語る転機がいくつかあります。

90年代でいうならば、まず1997年1月にリリースされた「愛なんだ」は外すことのできない転機といえます。

それまでV6がリリースしてきたユーロビート調の曲とはまるで異なる方向性の楽曲。

このヒットを機に「本気がいっぱい」「WAになっておどろう」「GENERATION GAP」といったポップな曲やメッセージ性の高い曲が次々にリリースされることになります。

 

「愛なんだ」は、彼らが表現できる世界を新たに引き出した楽曲。

「こういう曲も歌えるんだ、と思った」(坂本)、「“愛なんだ”を歌っているときはみんな笑顔」(森田)というように、彼らにとって今でも大切な楽曲であり、大きな転機だったのでしょう。

 

そして97年。ついに、V6の代名詞ともいえる番組「学校へ行こう!」がスタート。ゴールデンタイムの冠バラエティ番組を持つというのは、彼らにとってさぞ大きな出来事だったことでしょう。

メンバーがそれぞれ身体を張って全力で届けるパンチの効いたコーナーの数々や、時折垣間見える彼らの素の姿に笑い、時には涙して…まさに青春時代をともに過ごした番組でした。

学生のあいだでは「昨日の“学校へ行こう!”見た?」が合言葉のように交わされ「未成年の主張」が近隣の高校へやってくる!となれば、街じゅうが騒ぎになるほど。※未成年の主張=「学校ヘ行こう!」の人気企画。V6のメンバーが見守る中、生徒が学校の屋上から思いのたけを叫ぶ企画。

 

彼らの飾らない姿と個々のバラエティスキル、チームワークにより「学校へ行こう!」は2019年現在も特番が組まれるほどの人気番組になりました。

いつしかV6の人気は絶対的なものとなり、98年には「24時間テレビ」のメインパーソナリティーをつとめるなど、ジャニーズの看板グループのひとつとして確固たる地位を築きました。

 

2020年には、グループ全員が40代となるV6。

いまもダンスパフォーマンスは健在です。

それぞれがそれぞれの場所で活躍しながらも、この6人が集まれば絶対的なアイドルとして輝く。

V6もまた、これまでにないアイドルグループの形を作る存在かもしれません。

 

次のページではV6の90年代のおすすめの名曲をご紹介します。

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