ジャニーズファン歴25年で『なぜ90年代J-POPはあんなにアツかったのか?』の著者であるシン氏が90年代ジャニーズという存在を紐解く!「少年隊」「光GENJI」が築いたジャニーズの礎とは?「SMAP」「V6」「TOKIO」「KinKi Kids」の軌跡とおすすめ楽曲をジャニーズと共に青春を過ごしてきた筆者視点で語る!
『90年代ジャニーズ入門~ファン歴25年が語る~』(全15ページ)はこちらから!
はじめに
第1章 歴史
第2章 ジャニーズブームを作った礎
第3章 90年代ジャニーズの軌跡と名曲
著者:シン アキコ
30代前半女性。ジャニーズファン歴25年。70年代、80年代、90年代の邦楽を愛している。著書『なぜ90年代J-POPはあんなにアツかったのか?: J-POP愛して25年の著者がヒット曲を徹底分析 (Webonブックス) 』。
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この章では90年代活躍したジャニーズグループ「SMAP」「TOKIO」「V6」「KinKi Kids」の軌跡と楽曲を紹介します。
このページからは「V6」の軌跡と楽曲を紹介していきます。
「V6」90年代簡易年表
年月 | 出来事 |
1995年11月 | 「MUSIC FOR THE PEOPLE」でCDデビュー |
1996年9月 | 4枚目シングル「TAKE ME HIGHER」でオリコン1位 |
1997年1月 | 5枚目シングル「愛なんだ」でオリコン1位 |
1997年4月 | 6枚目シングル「本気がいっぱい」でオリコン1位 |
1997年7月 | 7枚目シングル「WAになっておどろう」でオリコン2位 |
1997年10月 | 「学校へ行こう!」放送開始 |
1997年11月 | 8枚目シングル「GENERATION GAP」でオリコン1位 |
V6の軌跡
バレーボールデビューの元祖
1995年。当時、今でいうジャニーズジュニアは森田剛・三宅健による「剛健コンビ」を筆頭に、入所間もない怪談トリオ(滝沢秀明・今井翼・川野直樹)を加えて人気が沸騰。
いよいよ黄金期へ突入しようという時期を迎えていました。
まだデビュー前のKinKi Kidsも飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍しており、当時のジャニーズファンの間では「次のCDデビューは誰なのか、いつなのか」という期待を込めた噂でもちきりでした。
そこへ、突如発表されたのがV6のデビュー。
そのメンバーの顔ぶれには、誰もが驚きを隠せなかったことでしょう。
実質ジュニアでトップの人気を誇っていた剛健コンビのデビューは予想の範囲内。
また、当時からあらゆる現場でムードメーカー的存在だった井ノ原快彦にも、何度かデビューの噂はありました。
そこへ、SMAPよりも長くジャニーズで活動しているベテランジャニーズ・坂本昌行と長野博、そして入所わずか2ヶ月というダークホース・岡田准一を加えた6人グループ。
最年長と最年少が十近くも歳が離れているという、誰もが想像もしなかった組み合わせでのデビューでした。
V6の結成
V6結成のきっかけは「ワールドカップバレー」。
いわゆる「バレーデビュー」の先駆けです。
デビュー曲「MUSIC FOR THE PEOPLE」はワールドカップバレーのイメージソングに起用され、深夜帯には「Vの炎」というバレーをテーマにした6人主演のスペシャルドラマも放送されました。
ファンにとっては突然のデビューながら、お披露目に至るまではさまざまな動きがあったことがメンバーの口から明かされています。
また、それぞれが微妙に異なるエピソードを語るので、実際のところははっきりとされていません。
ジャニー喜多川社長から、一番はじめにグループデビューの話を聞かされたのは三宅だそう。
しかし、近年そのことを三宅がTVで明かすまで「自分が一番最初に相談を受けた」と思っていたと坂本は言います。
実際、メンバーの選考やバレーの練習について坂本は、ジャニー喜多川社長とさまざまなことを話し合ったそうです。
バレーの練習は最近では必要ではないようですが、V6の時は
●坂本が元バレー部員だったこと
●バレーボールに対するやる気を見てメンバーを決めるべく、ジャニー喜多川社長がジュニアにバレーボールの練習をさせた(もちろんデビューがかかっていることは内密の上で。その際、ほとんどのジュニアは遊んでおり、まだ入所2週間ほどでジュニア内に友達がおらず、トニセンメンバー(すでにデビューは確定済み)と一緒に黙々とバレーを練習していた岡田准一を気に入ったジャニー社長により、最終メンバーとして決定したという説があります)
●デビュー後、バレーボールをテーマにした深夜ドラマに6人で主演することになっていた
という3つの理由があり、バレーボールの練習を行ったようです。ちなみに99年の嵐のデビュー時にもバレーボールドラマがあったため、少々練習は行っていました。
当初、V6デビューの構想に森田は含まれていませんでした。
しかし、デビューの話を聞かされた三宅は「(森田)剛がいないならやらない」とジャニー喜多川社長に告げたと言います。
ジャニー喜多川社長は「(森田)剛が入ったら、YOU一番になれないよ?」と確認したそうですが、三宅の意思は固かったよう。
いまも剛健コンビとして、見えない絆で強く結ばれている2人。
デビュー当時のV6の人気を支えたのも、この2人の活躍が大きいといえるでしょう。
それほどの逸材がジュニアのトップを走っていた時代に、急遽メンバーに大抜擢された岡田。
まだ頬も赤い、幼さの残る14歳でした。
しかも加入するグループは激しいダンスを売りにしたアクロバットグループ。
デビュー曲から当然のように、全員にバック転やバック宙の振り付けがあります。
下積みなくデビューするということは、一見華々しいように見えますが並大抵ではない苦労があったことでしょう。
ジャニーズのダンスやファッションの転換期
1995年11月に「MUSIC FOR THE PEOPLE」でCDデビューしてから
「MADE IN JAPAN 」(1996年2月リリース、2枚目シングル)
「BEAT YOUR HEART」(1996年5月リリース、3枚目シングル)
「TAKE ME HIGHER」(1996年9月リリース、4枚目シングル)
と数曲は、当時流行していたユーロビート調の楽曲が続きました。
ロックダンスやブレイクダンス、華麗なアクロバットでメンバーがあちこちへ飛び交う、魅せるステージがV6の最大の魅力。
「TAKE ME HIGHER」は、長野が主演をつとめた「ウルトラマンティガ」の主題歌に起用され、幅広い世代にV6の存在が知られるきっかけになりました。
デビュー後もやはり目立つ剛健コンビ。
とくに森田は、茶色く染めた髪に鋭く整えた眉、腰で履いたパンツに前を開けたジャケット、ゴツめのアクセサリーといった、これまでのジャニーズとはひと味ちがう「ワルっぽい」魅力を持っていました。
いままでのジャニーズにない個性に加え、ダンスのしなやかさも相まって、彼に憧れるジャニーズジュニアも多かったよう。
V6がデビューした95年頃は、女性にはアムラーやコギャル系、男性にはロン毛やサーファースタイルといったファッションが流行した時代。
これまでジャニーズが見せてきた「かっこよさ」とは方向性が異なりはじめた時代です。
J-POPにおいても、ユーロビートはもちろんのこと、ヒップホップやR&B、ラップを取り入れた楽曲が注目されはじめたころ。
当時の「カッコイイ」は実に多様化していました。
特にV6は、流行に敏感なエイベックスからCDをリリースしています。
楽曲はもちろんのこと、衣装の傾向もこれまでのジャニーズとは異なり、一見すれば私服にも見える「あえてキラキラしない」衣装や、ダボっとしたストリート系ファッションなど、若者の流行を敏感に取り入れていきました。
当時ジャニーズのグループはいまよりもずっと数が少なく、V6やKinKi Kidsらは、学生が休みになる時期全てにコンサートツアーを行うのが定例でした。
「春コン」「夏コン」「冬コン」と呼ばれ、ジャニーズジュニアもそれらに帯同し、各地に遠征するのがお決まりでした。
ファッショナブルでダンサブルなV6に憧れるジャニーズジュニアは多く、当時ツアーをともに回った後輩アイドルたちは、今も目を輝かせて当時のV6の話をすることがあります。
「青春だった」と。
V6の楽曲制作陣はジャニーズではおなじみの面々。馬飼野浩二、相田毅、林田健司といった、それまでのジャニーズを支えてきたアーティストが名を連ねています。
しかし、テクノ系サウンドやユーロビートを主としたV6の楽曲と、光GENJIやSMAPの楽曲。同じ人たちが作ったとは、一度聴いただけではわからない。
ミュージシャンは、いつの時代も柔軟に変化し、進化し続けるものなのだとつくづく感じます。
そして、その幅の広さに驚かされるのです。
「愛なんだ」「学校へ行こう!」が転機に
V6には、彼ら自身も語る転機がいくつかあります。
90年代でいうならば、まず1997年1月にリリースされた「愛なんだ」は外すことのできない転機といえます。
それまでV6がリリースしてきたユーロビート調の曲とはまるで異なる方向性の楽曲。
このヒットを機に「本気がいっぱい」「WAになっておどろう」「GENERATION GAP」といったポップな曲やメッセージ性の高い曲が次々にリリースされることになります。
「愛なんだ」は、彼らが表現できる世界を新たに引き出した楽曲。
「こういう曲も歌えるんだ、と思った」(坂本)、「“愛なんだ”を歌っているときはみんな笑顔」(森田)というように、彼らにとって今でも大切な楽曲であり、大きな転機だったのでしょう。
そして97年。ついに、V6の代名詞ともいえる番組「学校へ行こう!」がスタート。ゴールデンタイムの冠バラエティ番組を持つというのは、彼らにとってさぞ大きな出来事だったことでしょう。
メンバーがそれぞれ身体を張って全力で届けるパンチの効いたコーナーの数々や、時折垣間見える彼らの素の姿に笑い、時には涙して…まさに青春時代をともに過ごした番組でした。
学生のあいだでは「昨日の“学校へ行こう!”見た?」が合言葉のように交わされ「未成年の主張」が近隣の高校へやってくる!となれば、街じゅうが騒ぎになるほど。※未成年の主張=「学校ヘ行こう!」の人気企画。V6のメンバーが見守る中、生徒が学校の屋上から思いのたけを叫ぶ企画。
彼らの飾らない姿と個々のバラエティスキル、チームワークにより「学校へ行こう!」は2019年現在も特番が組まれるほどの人気番組になりました。
いつしかV6の人気は絶対的なものとなり、98年には「24時間テレビ」のメインパーソナリティーをつとめるなど、ジャニーズの看板グループのひとつとして確固たる地位を築きました。
2020年には、グループ全員が40代となるV6。
いまもダンスパフォーマンスは健在です。
それぞれがそれぞれの場所で活躍しながらも、この6人が集まれば絶対的なアイドルとして輝く。
V6もまた、これまでにないアイドルグループの形を作る存在かもしれません。
次のページではV6の90年代のおすすめの名曲をご紹介します。
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