光GENJIの功績 ~社会現象を巻き起こした最後のビッグアイドル~

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ジャニーズファン歴25年で『なぜ90年代J-POPはあんなにアツかったのか?』の著者であるシン氏が90年代ジャニーズという存在を紐解く!「少年隊」「光GENJI」が築いたジャニーズの礎とは?「SMAP」「V6」「TOKIO」「KinKi Kids」の軌跡とおすすめ楽曲をジャニーズと共に青春を過ごしてきた筆者視点で語る!

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著者:シン アキコ

30代前半女性。ジャニーズファン歴25年。70年代、80年代、90年代の邦楽を愛している。著書『なぜ90年代J-POPはあんなにアツかったのか?: J-POP愛して25年の著者がヒット曲を徹底分析 (Webonブックス) 』

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1980年代後半から1990年代にかけてのジャニーズの活躍にはめざましいものがあります。

この章ではジャニーズの人気の礎を築いた「少年隊」「光GENJI」について解説しておきたいと思います。

このページでは「光GENJI」について解説します。

 

社会現象を巻き起こした最後のビッグアイドル・光GENJI

メンバー 【光】
・内海光司(1968年1月11日生まれ)
・大沢樹生 (1969年4月20日生まれ)
【GENJI】

・諸星和己(1970年8月12日生まれ)
・佐藤寛之(1970年11月2日生まれ)
・山本淳一(1972年2月28日生まれ)
・赤坂晃(1973年5月8日生まれ)
・佐藤敦啓(1973年8月30日生まれ)
【GENJI 元メンバー】
・田代秀高
デビュー 1987年「STAR LIGHT」でレコードデビュー
「パラダイス銀河」「ガラスの十代」「Diamondハリケーン」で1988年オリコン年間シングル売上1位から3位までを独占。1988年「パラダイス銀河」で第30回日本レコード大賞を受賞。

 

「光GENJI」といえば、当時を知らない世代であってもその名前を耳にしたことがあるでしょう。

黄色い声援のなかをローラースケートで駆け巡る、まさに流星のような7人組。

ローラースケートを履いたままのバック転や高い跳躍など、ローラースケートの概念もダンスの概念もぶち破った存在といえます。

光GENJIの当時の人気は凄まじいもので

「メンバーが自宅を出て学校に行くまでどんどんファンがついてくるため集団登校のようになっていた」

「ローラースケートがバカ売れした」

「あまりの人気ぶりに、未成年メンバーが20時以降の生放送に出演できるように『労働基準法』が変わった」

といったエピソードが多数あります。

 

「光」と「GENJI」からなる「光GENJI」

 

「光GENJI」は、

元イーグルスとして活動していた「光」内海光司、大沢樹生の年長組と、

年下組である「GENJI」諸星克己、山本淳一、佐藤寛之、赤坂晃、佐藤敬啓(当時表記)で結成。

後年には、諸星以外のGENJIメンバーからなる「SAY’S」がCDデビューを果たすなど、7人いるからこそのフォーメーションや組み合わせが楽しめるグループでもありました。

 

光GENJIが、最年少である佐藤(啓)のために作られたグループであることは有名な話。デビュー曲では、まだ表情に幼さの残る佐藤(啓)がセンターをとっています。

両端を内海、大沢の長身・年長・先輩コンビが務めることで全体が締まる。

「光」はとにかく見栄えのよいコンビでした。

振り付け通りにキッチリ踊る内海と、感情的にアドリブを加えて踊る大沢という本来かみ合わないはずのシンメトリーでしたが、この2人が両端・前方にいるフォーメーションは安心感がありました。

これぞ「光GENJI」という感じがします。

 

光GENJIの顔「諸星」

 

もっとも元気がよくおしゃべりで、無茶なパフォーマンスも全開のアイドルスマイルでやりきるかーくんこと諸星は、セカンドシングル「ガラスの十代」以降センターポジションを務めることになり光GENJIの顔となります。

派手なヘアアクセサリーやダンスにおける大きなアクション、そしてどんなときでも笑顔を欠かさない諸星は、誰よりも目立つ存在でした。

光GENJIは、ローラーを履いてのパフォーマンス力の高さや衣装の早替えなど観るものを飽きさせないスキルをきわめていたほか、なによりもその「笑顔」が印象的です。

諸星自身ものちに「自分たちが最後のアイドル」と語っていたように、多忙をきわめる毎日においても元気と笑顔を欠かさず、いつも全力でやりきる。

ちょっとカッコ悪いことさえ、全力でやり切るからカッコいい。光GENJIはそういうアイドルでした。

 

最年少の「アッくん」

 

当時最年少で、メンバーからいじられてはむくれていたアッくんこと佐藤アツヒロ(現在表記)は、いまやジャニーズ事務所では大先輩。

舞台の仕事をメインに置きながらも、ときおり後輩たちとパフォーマンスを披露しています。

ローラースケートを履いて自由自在に走り、踊る姿は当時よりさらにブラッシュアップ。

“お兄さんになってしまったアッくん”になんだか寂しい気持ちを抱きながらも、内海光司と佐藤アツヒロがいまもジャニーズ事務所に在籍していること、カウントダウンコンサートやジャニーズ舞台でアッくんがローラーを履いてくれることは「いつかまた光GENJIを」というファンの生命線でもあるような気がします。

 

現在の光GENJI

 

光GENJIメンバーは、いまもそれぞれの場所で光GENJIの楽曲を歌い継いでいます。

目にもとまらぬ早さで過ぎていった怒涛の8年間と、解散。

ファンの方はよくない噂も耳にしたでしょうが、彼らが彼らなりに「光GENJI」という想い出、青春を、大切に大切に胸の奥にしまっていることでしょう。

 

7人にしかない「光GENJI」という青春。

あの輝かしい時間を、満員のアリーナを、割れんばかりの声援を、知っているのは7人だけです。

簡単に想い出の箱を開きたくないと言ったメンバーの言葉も、分かるような気がします。

解散していなければデビュー30周年を迎えているはずの2016年には「メンバー7人で会っている」という嬉しい言葉が聞かれました。

今も光GENJIを待っているファンはたくさんいます。いつか必ずまた、その姿を見せてほしいものです。

 

次のページではそんな「光GENJI」を知る上で聴いていただきたいおすすめの名曲をご紹介します。

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