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あなたにとっての“あの頃”はいつですか?著者にとってアツかった時代「90年代」のJ-popヒット曲を生粋の邦楽ファンの著者が分析します!読めば“あの曲”を聴きたくなる事間違いナシ!!
90年代J-popヒット曲入門 ~音楽で振り返る90年代!~(全11ページ)はこちらから!
著者 シン アキコ
30代前半女性。邦楽ファン歴25年。70年代、80年代、90年代の邦楽を愛しています。「歌詞」「曲が生まれた背景」「当時の流行との関連性」などを分析することが好き。
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この章では90年代邦楽のヒットメーカーである【小室哲哉】【つんく♂】【織田哲郎】の3人にスポットライトを当てて、当時のJ-POP界がどのようなものだったかをお伝えします。
このページでは90年代J-POPブームの立役者「織田哲郎」について紹介。
ビーイング系アーティスト、そして織田哲郎氏の作品がいかに90年代において愛されたのかが伝われば幸いです。
ビーイング系アーティストとは
ビーイングは1978年に設立した音楽制作やアーティストのマネージメントを行う会社です。現在は大手音楽プロダクションとして知られています。ビーイングに所属、あるいはビーイングに関わっているアーティストは「ビーイング系アーティスト」と称されます。
90年代のJ-POPを語る上で外せないトピックといえば“ビーイング系アーティストの台頭”。もはや社会現象にもなりました。
🎤ビーイング系とくくられるおもなアーティスト🎤
ZARD/WANDS/大黒摩季/T-BOLAN/DEEN/ MANISH/B`z
彼らこそ、CDバブル時代を作った存在ともいえます。団塊ジュニア世代の就職や進学、カラオケブームの波に乗り、オリコンシングルチャートの上位に次々とランクイン。
CDバブル時代
カラオケ・タイアップ戦略などにより若者を中心に音楽需要が高まった時代。1997年には、シングルの年間販売数が1億6782万7000枚を記録。1998年にはCDアルバムの年間販売数が3億291万3000枚とピークを記録。
ついには、1992年12月28日から93年7月26日までの31週間中、27週にわたってビーイング系アーティストが首位を獲得するという快挙を成し遂げます。
ドラマやCMのタイアップに多数起用され、ビーイング系アーティストの曲を耳にしない日はないと言っても過言ではなかった時代。
▼ビーイング系アーティストのタイアップの例
リリース年月 |
アーティスト「曲名」 |
タイアップ |
1992年9月 |
大黒摩季「DA・KA・RA」 |
「マルちゃん・ホットヌードル」CM |
1993年3月 |
B’z「愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない」 |
日本テレビ系ドラマ『西遊記』 |
1993年5月 |
ZARD「揺れる想い」 |
大塚製薬「ポカリスエット」CM |
1995年2月 |
大黒摩季「ら・ら・ら」 |
テレビ朝日系ドラマ『味いちもんめ』主題歌 |
TV露出を極力抑えるという戦略で、さらに世間の関心を集めました。
このページでは、そんなビーイング系アーティスト大躍進の立役者である「織田哲郎」についてお話します。
「シンセサイザーを操りダンスミュージックを日本に定着させた」のが小室哲哉であるならば、織田哲郎は「ロック」を大衆のものにしたアーティスト、プロデューサーであるといえます。
【筆者に聞いてみました】当時のビーイング系アーティストの印象
Q.(Webon編集部)当時ビーイング系のアーティストがテレビに出ないことをどのように感じていましたか?
A.(筆者 シン)ビーイング系アーティストは「顔がわからないこと」をよく取り上げられていた思い出があります。 ZARDの坂井泉水、大黒摩季など、みな総じて美人でもあったので、ちらっと横顔が映るくらいのことでも歌番組では話題になっていました。 ライブをした時には大きくニュースとして取り上げられていました。 不思議にも思っていましたが、アーティストのビジュアル面も重視されていた時代だったので、イメージを守るためかな?くらいには思っていました。 あくまで小学生当時の印象なのであてになりませんが、顔を見せない=同じ事務所の人、くらいの認識はあったように思います。
織田哲郎の基本情報
名前 |
織田 哲郎(おだ てつろう) |
生年月日 |
1958年3月11日 |
出身地 |
東京都 |
職業 |
シンガーソングライター/作曲家/プロデューサー |
累計4000万枚以上のシングルセールスを記録。日本音楽史上歴代作曲家売上げランキング第3位。相川七瀬「夢見る少女じゃいられない」ZARD「負けないで」TUBE「シーズン・イン・ザ・サン」中山美穂&WANDS 「世界中の誰よりきっと」B.B.クイーンズ「おどるポンポコリン」DEEN「このまま君だけを奪い去りたい」WANDS「世界が終わるまでは…」KinKi Kids「ボクの背中には羽根がある」など数多くのヒット曲を生み出している。 |
織田哲郎の楽曲の魅力・特徴
以下では1990年代J-POPにおけるヒット請負人であり、今も愛され続ける「織田哲郎」の魅力と、そのサウンドの特徴を5つの項目に分けて考察してみたいと思います。
以下の曲あたりを聴いていただくと、いわゆる“織田哲郎サウンド”のつかみはOKといったところでしょう。この項目で説明する5つの特徴を、以下の曲は全て兼ね備えています。
◆FEELD OF VIEW「突然」
◆ZARD「心を開いて」
◆WANDS「世界が終るまでは…」
◆DEEN「このまま君だけを奪い去りたい」
① 心地よいロックサウンド
生音にこだわった「心地よいロックサウンド」。それが織田哲郎の持ち味。
ちなみに最近見つけた“ザ・織田サウンド”は人気アイドルデュオKinKi Kidsのアルバム曲「ヒマラヤ・ブルー」。
あくまで私が思う織田哲郎節ではありますが、久しぶりに全開の織田サウンドを聴いたな、という満足感がありました。
意外にも彼は、プロデュース作以外の、提供した曲に関しては「曲を渡したあとはおまかせ」というスタイルだそう。
それゆえ一般のリスナーと同じタイミングで完成形を耳にすると聞いたときには衝撃を受けました。
世界観も密に共有しているのではと思うような、歌詞や声との絶妙なマッチングを数々目の当たりにしてきたからです。
② 清涼感のある夏っぽさ
織田哲郎サウンドをざっくりとした言葉で表現してみると、
「なんかCMで聴いた!」
「どこか夏っぽい」
とでも言いましょうか。
「夏っぽい」と言っても暑苦しいとは程遠い“清涼感”に近いものを感じませんか。
清涼飲料水のCMに起用されることが多かったのはそのせいかとも思うほど、透き通ったサウンドが特徴的です。(ちなみに彼自身のヒット曲「いつまでも変わらぬ愛を」も清涼飲料水のCMソングに採用されています。)
青春を思わせる爽快感や疾走感も彼の楽曲の持ち味といえます。
③ サビの場所がわかりやすい
織田哲郎の作る楽曲は「ここがサビ」だと分かりやすいのも特徴のひとつ。
サビのメロディがキャッチーなのはもちろん、サビまでの展開(盛り上がり)の作りかたが絶妙なのです。
ヒットの典型であるカノン方式(日本のヒット曲でよく使われるコード進行)を使うにしても、微妙な転調を使いながらサビへ向かうことで、明らかな盛り上がりを作る。
これは計算なのか、果たして天才なのか…きっといずれも当てはまることでしょう。
④ 日本語が映える
さらに織田氏の曲には日本語が乗りやすく、日本語が映えるという特徴もあります。こればかりは共同制作者との合わせ技、あるいは戦略かもしれませんが。
日本人が好きそうな、ある意味では歌謡曲的なロック。
複雑すぎず、きちんと耳に入り、繰り返し歌える。
歌謡曲とロックの出会いというのは、70年代にグループサウンズらによってすでに生まれた形ではあります。
それを90年代、当時の若者向けにブラッシュアップしたのが織田哲郎の功績かもしれません。
グループサウンズ
1960年代後半に活動したロックグループ。主にボーカル・エレクトリックギター・エレクトリックベース・ドラムという編成がされていた。初期人気グループには「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」「ザ・スパイダース」がいた。
▼ジャッキー吉川とブルー・コメッツの代表曲。1967年発売。レコード売上150万枚。
⑤ 歌いやすい
彼の曲は、キーがちょうど歌いやすいところにある、というのもヒットの秘訣であると考えます。
女性曲もさほど高いキーは使用せず、男性曲も低すぎるキーは使用しない。
言い方を変えれば、女性リスナーでも男性アーティストの曲を歌うことができる、逆もまたしかりということ。
時代はまさにカラオケブームに突入したころ。
歌いやすいヒット曲となれば、愛されるのは必然です。
メロディとは音の高低や緩急で成り立ちますから、使える音域は広ければ広いほうが、生まれる曲のバリエーションも広がります。
しかし彼はミドルの音域のなかで、絶妙に変調を使いながら、とびぬけて美しいメロディを作ってしまう。
加えてイントロや間奏、アウトロ(楽曲の終わり部分)にちりばめられた、鍵盤やギターによる特徴的で美しいリフ。
まさに曲のはじまりから終わりまで「織田哲郎の曲だ」と感じさせる要素がいくつも含まれています。
織田哲郎はオンリーワン
オンリーワンのアーティストであり、ヒットメーカー。
どれほどの数の青春を彼の曲が彩ったのか、私には想像もつきません。
ここまで書いても、そして調べても、織田哲郎サウンドを詳しく分かりやすく、音楽的にも直感的にも納得のいく分析に、私はまだ出会っていません。
なぜなら織田哲郎の曲はとにかく幅が広く、底が知れない。ハードロックからポピュラー、ボサノヴァまで、あらゆる音楽を生み出し、世に定着させてしまう。
そこには進化はもちろん、先ほど述べた「ヒマラヤ・ブルー」のような原点回帰を感じさせる曲もあります。
いつの時代にあっても、誰が歌おうとも揺るがない織田哲郎サウンド。
一度、頭のなかをのぞいてみたい。
彼になって美しいメロディを生み出してみたい。
そう思わずにいられないアーティストです。
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著者 シン アキコ
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