JAGATARA入門 ~ヘビを食いちぎる!?1980年代を駆け抜けた伝説のバンド~

はじめに

伝説のバンド「JAGATARA」はボーカルの江戸アケミによる蛇を食いちぎるなどの過激なパフォーマンスが注目されました。精神疾患を患い36歳でこの世を去った江戸アケミの音楽に向き合う様は「真面目に生きることは壮絶である」ということをまざまざと見せつけられる思いです。

このWebonではJAGATARAの軌跡と共に作品を紹介していきます。江戸アケミの生き様や作品の魅力を是非知っていただきたいです。

JAGATARAとは

第1章 活動休止までの軌跡

「自分で自分をカミソリで切りつける」など過激なライヴ・パフォーマンスが話題になったJAGATARA。名盤「南蛮渡来」の作品紹介や、江戸アケミが精神疾患が発症した経緯などをお伝えします。

軌跡① 【ヘビを食いちぎる過激パフォーマンス】
軌跡② 【江戸アケミ精神疾患の発症】

第2章 復帰後の軌跡

江戸アケミは奇跡の復帰を果たします。アルバム「裸の王様」は薬漬けでまだひどい状態とは感じられない切れ味鋭いボーカル。江戸アケミの死、そしてその後のJAGATARAについてもお伝えします。

軌跡③ 【江戸アケミの復帰】
軌跡④ 【江戸アケミの死】

 

著者 積 緋露雪

1964年生まれ。音楽雑誌「CDで~た」の執筆・編集・企画を担当。ライター歴20年以上。小説『審問官』シリーズ出版。
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テイラーの音楽の変遷② 【ポップへの転身と批判】

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世界的歌姫Taylor Swift(テイラー・スウィフト)と会った筆者が、Taylorの魅力を紹介。Taylorのこれまでの軌跡・ファンとの交流・社会貢献・音楽の変遷などを知れば、筆者が彼女をお手本にして歌手を目指す理由もわかるはず!

Taylor Swift(テイラー・スウィフト)入門 ~Taylorに会った筆者が語る~はこちらから!

著者:Sakift

20代前半。幼少期から歌手を志し9歳の時にTaylor Swiftのファンになって以来彼女をロールモデルにしている。RED Tour、1989 World Tour、Reputation Stadium Tourに参加。2014年のRED Tourでは、コンサート後のミートアンドグリート’’Club RED’’に招待され実際にTaylor Swiftと会って話をする。いわゆる空港での『出待ち』も毎回しており、その場でサインをもらったこともある。

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『Taylor Swift入門』目次へ  (全7ページ)

 

この章ではTaylorの音楽の変遷を通して、Taylorの魅力やTaylorから歌手の夢を目指すためのお手本としてどのようなことを私が学んだかをお伝えしたいと思います。

このページではTaylorの3枚目以降のアルバムのリリースの変遷と、ポップテイストが色濃くなるTaylorに対する批判と、それに対するTaylorの対応についてお伝えします。

 

Taylorの4枚目のアルバム「RED」

 

Taylorの4枚目となるアルバム「RED」は、いわゆるニューカントリーといえるでしょう。典型的なポップスタイルで構成されつつ、カントリーの古典的で感傷的なサウンドも入り混じっています。

▼4枚目アルバム「RED」Billboard 200において初登場1位(初週売上120.8万枚)全世界で2012年度年間2位(約520万枚)(画像クリックで商品詳細へ)

アルバム収録曲である「We Are Never Ever Getting Back Together」や「I Knew You Were Trouble」はポップテイストに仕上がっており、世界各国で爆発的にヒットしました。皆さんも一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。

▼「We Are Never Ever Getting Back Together」Billboard Hot 100 最高1位

▼「I Knew You Were Trouble」Billboard Hot 100 最高2位

 

このアルバムに収録されている曲の多くは、カントリーのサウンドに帰着しつつ鮮やかにポップと融合されています。

そこにロックリフ(ロック調のメロディ)も加わり、アルバム「RED」はより一層ポップテイストな一作となりました。

 

5枚目のアルバム「1989」で完全なポップに


▲5枚目のアルバム「1989」2014年度年間2位(全世界),第58回グラミー賞「最優秀アルバム賞」受賞

 

アルバムを出すにつれてポップテイストが色濃くなってきたTaylorのミュージックジャンルは5枚目のアルバム「1989」を境に完全なポップスタイルの音楽へと変貌を遂げました。

4枚目のアルバムに対して「ポップとカントリーを両方追いかけていたら、両方とも見失ってしまった」とも語るTaylor。

愛してやまないカントリーミュージックに対し誠実であるためにも、自らの感性に従い正直な道を選んだといいます。そこで、レーベル側の意見や周りの反対に屈せず、完全なるポップミュージックでアルバムを出すと決めたそうです。 “テイラーの音楽の変遷② 【ポップへの転身と批判】” の続きを読む

テイラーの音楽の変遷① 【原点のカントリーミュージック】

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世界的歌姫Taylor Swift(テイラー・スウィフト)と会った筆者が、Taylorの魅力を紹介。Taylorのこれまでの軌跡・ファンとの交流・社会貢献・音楽の変遷などを知れば、筆者が彼女をお手本にして歌手を目指す理由もわかるはず!

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20代前半。幼少期から歌手を志し9歳の時にTaylor Swiftのファンになって以来彼女をロールモデルにしている。RED Tour、1989 World Tour、Reputation Stadium Tourに参加。2014年のRED Tourでは、コンサート後のミートアンドグリート’’Club RED’’に招待され実際にTaylor Swiftと会って話をする。いわゆる空港での『出待ち』も毎回しており、その場でサインをもらったこともある。

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この章ではTaylorの音楽の変遷を通して、Taylorの魅力やTaylorから歌手の夢を目指すためのお手本としてどのようなことを私が学んだかをお伝えしたいと思います。

このページではTaylorの原点であるカントリーミュージックについてお伝えするとともに、Taylorの3枚目のアルバムをリリースするまでの音楽の変遷についてお伝えします。

 

Taylorの原点はカントリーミュージック

 

今やポップ界にも進出し絶大な人気を誇るTaylor(テイラー)の原点は「カントリーミュージック」です。

カントリー歌手としてデビューし、ウェスタンブーツとカーリーヘア、アコースティックギターというスタイルがTaylorのトレードマークでした。

▼「ウェスタンブーツ」「カーリーヘア」「アコースティックギター」スタイルのTaylor


photo by alexahalasan,(CC BY-SA 2.0)

 

昔からTaylorはカントリーミュージックが大好きでした。

流行している音楽ではなくカントリーミュージックを好み、よく歌っていたことがいじめの原因になっていたとも語っています。

そもそもカントリーミュージックとはどのようなジャンルのことを指すのでしょうか。まずここでは、Taylorを語る上で欠かせない「カントリーミュージック」について触れていきたいと思います。

 

カントリーミュージックとは

 

カントリーミュージックの発祥は1920年に遡ります。

元々は「カントリーアンドウエスタンミュージック」と呼ばれており、アメリカの田舎で生まれ主に白人の中で発展してきた音楽ジャンルです。

素朴で感傷的なメロディーが特徴だと思います。「田舎風」と称されることもあり、「日本でいうところの演歌的位置付け」とよく言われています。

楽器編成が特徴的であり、アコースティックギターやバンジョー、マンドリンなどを使用して演奏します。

▼バンジョーはこんな楽器

Arent ,CC 表示-継承 3.0, Link 

 

カントリーミュージックは1950年代から1960年代にかけて全盛期となりました。この頃の代表的なアーティストは、カントリーミュージックの巨匠とも言われるJohnny Cash(ジョニー・キャッシュ)や、ゴールデンレコード大賞を受賞したMarty Robbins(マーティ・ロビンズ)などです。 “テイラーの音楽の変遷① 【原点のカントリーミュージック】” の続きを読む

テイラー・スウィフト「セクハラ裁判」「トランプ政権への言及」について ~テイラーの社会貢献~

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世界的歌姫Taylor Swift(テイラー・スウィフト)と会った筆者が、Taylorの魅力を紹介。Taylorのこれまでの軌跡・ファンとの交流・社会貢献・音楽の変遷などを知れば、筆者が彼女をお手本にして歌手を目指す理由もわかるはず!

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20代前半。幼少期から歌手を志し9歳の時にTaylor Swiftのファンになって以来彼女をロールモデルにしている。RED Tour、1989 World Tour、Reputation Stadium Tourに参加。2014年のRED Tourでは、コンサート後のミートアンドグリート’’Club RED’’に招待され実際にTaylor Swiftと会って話をする。いわゆる空港での『出待ち』も毎回しており、その場でサインをもらったこともある。

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この章ではTaylorの行ってきた「Swiftie(ファン)との交流」「社会貢献」を通して、Taylorの人格の素晴らしさをお伝えします。私がTaylorをお手本に歌手を目指しているのには、この人格の素晴らしさがとても大きな理由になっています。

このページではTaylorの「社会貢献」についてお伝えします。

 

Taylorの社会貢献

 

その美貌と人々の心を捉えて離さない音楽で、今や世界の頂点に立っていると言っても過言ではないTaylor。

いかなる立場になっても、常にTaylorは謙虚な姿勢を忘れず周りの人々を大切にし、社会への貢献もしているのです。

米サイト「DoSomething.org」が発表した「最もチャリティを行ったセレブ」において4年連続で1位を獲得しました。また、LGBT+支援団体テネシー・イクオリティ・プロジェクトに約1200万円寄付するなど、多額の寄付をすることでも知られています。

 

このページでは、非常にセンシティブな内容で世間を騒がせたセクハラにまつわる裁判と、米大統領Trump氏の政権についての言及という2つを取り上げて、Taylorがどのように社会貢献をしているかをお伝えします。

 

セクハラ裁判

 

ニュースで騒がれた「セクハラ裁判」は2013年6月のとある事件が発端でした。

コロラド州デンバーにて、コンサートの舞台裏でミートアンドグリートがあった時のことです。

当時DJとしてラジオ局勤務していたDavid MuellerがTaylorとの記念写真を撮影した際、彼女のスカートの中に手を入れて臀部をつかんだといいます。

その時の記念写真を見てもわかりますが、明らかにTaylorの臀部に手を当てていることがわかります。

このTaylorの訴えを聞いたスタッフらがラジオ局に被害を報告したことで、2日後にMuellerは解雇されました。

しかしながらその2年後の2015年9月、信じがたいことにMueller側がTaylorを訴えたのです。

「Taylorによる架空の訴えのせいで仕事を失った」と主張し、Taylorを含むその家族、スタッフらを名誉毀損で訴えました。さらに、失職中の年収2年分に当たる約3億2800万円の損害賠償まで請求しました。

 

これを受けたTaylor側が、ついにMuellerにセクハラを受けたとして賠償金100円を求める訴訟を起こしました。

Taylor側が求めた賠償金がたったの1ドル(100円)だったことに関して代理人は法廷で

「Taylorは、誰かが自分の体に触れようとしてきたらはっきり『No』と言って良いのだと伝えたいだけ。女性の臀部を触ることは暴行であり、いかなる場合においても間違いである。」

と述べたそうです。

 

そしてその後Taylor自身も法廷で証言をすることとなりました。

「あれは私がそれまで経験したことがないほどに大変恐ろしく、ショッキングな出来事だった」

とTaylor本人が証言していることからもわかるように、大変な精神的苦痛を与えられた事件だったはずです。(ちなみにTaylorが勝訴し賠償金1ドルを勝ち取りました。)

性的な類いの裁判は泣き寝入りする場合が多く、たとえ勝訴したとしても被害者側にそのトラウマが残る可能性があります。

また、証言することを恥ずかしいと感じてしまう人が多いのも現状です。屈辱で涙を拭う場面もあったと言いますが、全ての女性の権利と尊厳を守るためにTaylorは毅然とした態度で立ち向かいました。

SNS上では、この裁判に勇気付けられたという女性を多く目にしました。

影響力の大きいTaylorだからこそ為し得たことだと思います。この裁判をきっかけに、多くの性的被害に遭った女性たちが少しでも救われる方法を見出せることを切に願っています。

 

【筆者に聞いてみた】セクハラ裁判の時のファンの反応

Q.(Webon編集部)セクハラ裁判の時にファンの方はどのように感じたのでしょうか。

A.(筆者 Sakift氏)とても憤りを感じる事件でした。ファンとの交流が目的であるミートアンドグリートにおいてあのようなセクハラをすることは大変失礼で許しがたい行為です。弁護人を通して「すべての女性のために闘う」といっていたTaylorを応援し、裁判所の向かいのビルの窓にはポストイットで応援のメッセージが描かれました。

 

米大統領Trump氏の政権についての言及

 

セクハラ裁判も大々的にニュースで取り上げられることとなりましたが、多国間で取り上げられていたもう一つのニュースが、Taylorが発表した政治に関する声明です。

Taylorが政治的な自身の考えを表明したのは彼女のキャリア史上初めてだったため、各国でニュースとなりました。

Instagramにて突如投稿したトランプ政権に関する意思表明は、多くの反響を呼びました。

今まで政治的発言を避けていた彼女の大胆な批判は当然のことながらTrump氏本人の耳にも入り、彼の反感を買いました。11月に行われた中間選挙を前に、民主党(Trump氏は共和党)の候補者を支持するということを明記しているからです。

意思表明の内容を一部抜粋して和訳すると、

「私はTennessee州で投票します。(中略)どうか自分のいる州の候補者について知識を身につけ、より自分と価値観の近い人に投票してください。(中略)聡明且つ思いやりがあり、冷静沈着な多くの人々が過去2年間で18歳になりました。そして今、彼らは自分たちの投票に特別な意味を持たせることができるのです。」

といった内容のものでした。この投稿の中でTaylorは有権者に対し、積極的に投票用のサイト「Vote.org(=大統領選挙に投票できるインターネットサイト)」に登録し投票することを勧めました。

 

Taylorが投票を行なったTennessee州は、大統領選挙があった際にTrumpが過半数の票を得た場所でもあります。

今まで政治的発言をしてこなかったことで民主党、共和党支持者の双方から支持されているアーティストだったTaylorにとって、これはファンをも失うかもしれない発言でした。

しかしながらTaylorは男女の平等な権利やジェンダーにおける差別を問題視し、より彼女自身の価値観に近い民主党の候補者に加勢しました。

これを受けたTrump氏は「Taylor Swiftの音楽を25%嫌いになったとでも言っておこう」とコメントしました。

 

この勇気ある行動は多くの若者の心を動かし、この表明から24時間以内に65000人もの人が新たに投票用サイトに登録をしました。

Instagramのフォロワー数が1億人をゆうに超えているTaylorだからこそ、この発言の影響力は偉大であり、若い人々の政治に関する認識を変えることにつながりました。

日本に大統領制度はありませんが、18歳を超える有権者が投票に行くことの重要性においては同じことが言えると思います。

 

このように、色々な形で間接的・直接的に社会に貢献しているTaylor。

Taylorが社会貢献している点についてもその人間性を尊敬しており、Taylorを夢を追うロールモデルにしている私としては将来的にはTaylorのように人のために役立つことを必ず成し遂げたいと考えています。

 

 

以上、Taylorの「社会貢献」についてお伝えしました。

この章ではTaylorの「Swiftie(ファン)との交流」「社会貢献」についてお伝えしましたが、次の章からは「Taylorの音楽の変遷」を通してTaylorの魅力や私がTaylorから学んだことについてお伝えします。

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20代前半。幼少期から歌手を志し9歳の時にTaylor Swiftのファンになって以来彼女をロールモデルにしている。RED Tour、1989 World Tour、Reputation Stadium Tourに参加。2014年のRED Tourでは、コンサート後のミートアンドグリート’’Club RED’’に招待され実際にTaylor Swiftと会って話をする。いわゆる空港での『出待ち』も毎回しており、その場でサインをもらったこともある。

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テイラーのミートアンドグリートに選ばれた体験談 ~テイラーとSwiftieの繋がり~

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世界的歌姫Taylor Swift(テイラー・スウィフト)と会った筆者が、Taylorの魅力を紹介。Taylorのこれまでの軌跡・ファンとの交流・社会貢献・音楽の変遷などを知れば、筆者が彼女をお手本にして歌手を目指す理由もわかるはず!

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20代前半。幼少期から歌手を志し9歳の時にTaylor Swiftのファンになって以来彼女をロールモデルにしている。RED Tour、1989 World Tour、Reputation Stadium Tourに参加。2014年のRED Tourでは、コンサート後のミートアンドグリート’’Club RED’’に招待され実際にTaylor Swiftと会って話をする。いわゆる空港での『出待ち』も毎回しており、その場でサインをもらったこともある。

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この章ではTyalorの行ってきた「Swiftie(ファン)との交流」「社会貢献」を通して、Taylorの人格の素晴らしさをお伝えします。私がTaylorをお手本に歌手を目指しているのには、この人格の素晴らしさがとても大きな理由になっています。

このページではTaylorの「Swiftie(ファン)との交流」についてお伝えします。

 

Taylorはファンとの繋がりを大切にする

 

Taylorは昔から、ファンとの繋がりを何よりも大切にしていることでも知られています。

妊娠8ヶ月でホームレス状態だったファンをコンサートのバックステージに招待した上に、家と大量のベビー用品を贈呈したことがあります。度々ファンの結婚式にサプライズ登場し、歌を披露するなどの演出でファンを驚かせています。

Taylorというアーティストを語る上でSwiftie(=Taylorのファンのこと)の存在は欠かせません。

私自身10年間Swiftieでいる中で、Taylorは常にファンの心を大切にしてくれていると実感します。その理由はファンとの交流がほとんどないアーティストも多くいる中で、Taylor は「ミートアンドグリート」を行うなど特にファンとの関わりが深いと思うからです。

Swiftieの交流イベントのミートアンドグリートはTaylorがファンとの繋がりを大切にしているのがわかる顕著な例です。

以下ではミートアンドグリートについて詳しく紹介いたします。

 

【コラム】Taylorが人の心を大切にしていることがわかるエピソード

3歳にしてガンと戦いこの世を去ってしまったRonanという少年の母親が、ブログに天国の息子への想いを綴っていました。少年の母親がファンだったわけではありませんが、その文章を読み心を打たれたTaylorがRonanくんとその家族に宛て、母親とともに「Ronan」を作詞。Taylor自身が作曲をしました。

 

ミートアンドグリートとは

 

Taylorはデビュー当初のコンサートから、ファンを選びコンサート後にバックステージに無償で招待するという「ミートアンドグリート」を開催しています。

ミートアンドグリートではTaylorの母親Andrea Swiftやスタッフがコンサート中に客席から複数人を選び、バックステージに招待します。

招待される人数は毎コンサートごとに少しずつ異なります。私も選ばれたことがあり、その時は会場がさいたまスーパーアリーナだったので、37000人ほどの中から42名くらいが選ばれただろうと思います。

ミートアンドグリートの名称は毎アルバムごとに変わります。”RED”の時は”Club RED”、“1989”の時は”Loft ’89”、 “Reputation“の時は”Rep room”でした。

選ばれる際の基準は「Taylorに対する熱意」です。「一番元気で情熱が感じられる人をコンサート中に探している」とTaylor自身も発言しています。

心からコンサートを楽しみ、奇抜な衣装や凝ったボードなどを製作してきたことが目に見えて分かるSwiftieが選ばれています。

ミートアンドグリートは無償ですが、Taylorとのツーショット写真を撮ったりサインをもらえたり。会話も楽しめ、長い時間Taylorと過ごすことができます。

Taylorのコンサートでは、コンサート中に「ミートアンドグリートに選ばれるかもしれない」というワクワク感も楽しむことができるのです。

 

ミートアンドグリートに選ばれた筆者の体験

 

私は2014年に日本で行われたRED Tourでミートアンドグリートに招待されたことがあります。

当時はまだTaylorのコンサート後のミートアンドグリートについてあまり日本では知られていませんでしたが、私は事前に調べて知っていたため絶対に選ばれたいと考えていました。

コンサートには親友と2人で参加し、服装は完全に同じものにしました。

光るLEDスカートを海外から取り寄せ、Tシャツの表面にはアルバム「RED」に含まれる曲の歌詞を印刷しました。背面には手書きでTaylor Swiftの名前のアルファベットそれぞれを曲名などと繋げたものを書きました。さらに金色のウィッグ、手作りの帽子をかぶっていたので、衣装作りにおいての熱意も十分だったのではないでしょうか。

▼手作りの衣装

 

また、RED Tourの際はボードの持ち込みに関して特に規制がなかった為、かなり大きめのボードにハートのバルーンをつけるなどして工夫を凝らしました。

▼大きめのボードとハートのバルーン

 

準備万端で参加したRED Tourですがコンサート中は初めてTaylorを生で見ることができた感動からミートアンドグリートのことはほぼ頭にありませんでした。

コンサート中Taylorはより多くのSwiftieと触れ合うために、花道や通路を歩きながらハイタッチなどをします。

私も手に触れることができ、まさに感無量でした。

▼手を触れた瞬間

 

そしてコンサート終盤、大ヒット曲「I Knew You Were Trouble」の演奏中ふいに肩を叩かれ振り返ると、スタッフの方数人に「バックステージに来ないか?」と声をかけられました。

そして招待された証に、腕にリストバンドをはめてもらいました。その瞬間号泣して親友と抱き合い喜んだことをまるで昨日のことのように思い出します。

▼リストバンド(黄色いリストバンドが招待された証)

 

コンサート終了後に、まずは選ばれたメンバーが全員揃ったかの確認と、注意事項を一通り説明されました。その後ついにTaylorと会うことのできるバックステージへと通されます。

Taylorがバックステージに現れると1グループずつに丁寧なファンサービスをし、私の番が来るとまずは真っ先に抱きしめてくれました。

私がどれほどTaylorを好きかという想いの丈と、自身の夢を叶え歌手として再び会いたいということを伝え、それを聞いた彼女がとても喜んでくれたのを鮮明に覚えています。

さらに私の名前入りでサインを書いてくれました。

▼名前入りのサイン

▼Taylorの母Andrea Swiftと撮影した写真

 

余談ではありますが実際に選ばれてみて思うことは、選ばれることだけを考えるのではなくそのコンサートを純粋に楽しむことが選ばれる秘訣ではないかと思います。

このようにアーティスト本人と直接触れ合う機会がこんなにも多い海外アーティストはほぼいません。

ファンの心に一生残る、かけがえのない思い出を与えられるアーティストがTaylorです。

 

 

以上、Taylorの「Swiftie(ファン)との交流」についてお伝えしました。

次のページではTaylorの行ってきた「社会貢献」を通してTaylorの人格の素晴らしさをお伝えします。

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20代前半。幼少期から歌手を志し9歳の時にTaylor Swiftのファンになって以来彼女をロールモデルにしている。RED Tour、1989 World Tour、Reputation Stadium Tourに参加。2014年のRED Tourでは、コンサート後のミートアンドグリート’’Club RED’’に招待され実際にTaylor Swiftと会って話をする。いわゆる空港での『出待ち』も毎回しており、その場でサインをもらったこともある。

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テイラー・スウィフトのデビューまでの道のり

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世界的歌姫Taylor Swift(テイラー・スウィフト)と会った筆者が、Taylorの魅力を紹介。Taylorのこれまでの軌跡・ファンとの交流・社会貢献・音楽の変遷などを知れば、筆者が彼女をお手本にして歌手を目指す理由もわかるはず!

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20代前半。幼少期から歌手を志し9歳の時にTaylor Swiftのファンになって以来彼女をロールモデルにしている。RED Tour、1989 World Tour、Reputation Stadium Tourに参加。2014年のRED Tourでは、コンサート後のミートアンドグリート’’Club RED’’に招待され実際にTaylor Swiftと会って話をする。いわゆる空港での『出待ち』も毎回しており、その場でサインをもらったこともある。

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このページではTaylorがどういった環境で育ち、どのようにして夢を持つようになったのかをお伝えします。

Taylorの道のりを知ることで、夢を追う上で具体的に何をすればいいのかが学べます。

 

【誕生】「Taylor Swift」名前の由来

 

Taylor Swiftという名前は、米シンガーソングライターであるJames Taylorr(ジェームス・テイラー)からとったと言われています。両親がJames Taylorのファンだったことに由来し、Taylorと名付けたそうです。

まるで生まれた時から歌手になることが必然だったかのような由来に思えます。

 

James Taylor(ジェームス・テイラー)とは


By Joella Marano, CC 表示-継承 2.0, Link 

1948年生まれのアメリカ合衆国出身のシンガーソングライター。2000年に「ロックの殿堂」入り。「君の友だち(You’ve Got a Friend)」で1972年にグラミー賞で最優秀楽曲賞を獲得している。

 

【幼少期】クリスマスツリーの農場

 

Taylorは「クリスマスツリーの農場」で育ったという少々意外な幼少期を過ごしました。

その環境はTaylorの歌手としての人生に多大な影響を与えたといいます。

Taylorの自由な歌詞づくりと、型にとらわれないスタイルの音楽創りには、こうした環境の影響が感じられます。

広大な土地を無制限に走り回れる自由な環境こそが、作詞作曲をする上での感性を育んだのかもしれません。

 

【11歳~】いじめの経験

 

Taylorは中学生の時にいじめを受けていました。

Taylorは辛いいじめに遭いながらも、ただ屈することなくその悔しさを音楽にぶつけていました。

毎日血の滲むような努力を重ね、暇さえあれば常にギターに触れていたといいます。彼女の等身大で共感できる作詞スタイルは、この経験からも来ていると思います。

 

Taylorが影響を受けたのは、当然ながら彼女を取り巻く「環境」だけではありません。

Taylorの母方の祖母はオペラ歌手で、テレビ番組の司会者としても活躍していたのです。祖母のMarjorie Finlay(マージョリー・フィンレイ)はオペラ歌手として活躍する一方で、教会の集会でもよく歌っていました。

さらにTaylorは、カントリー歌手LeAnn Rimes(リアン・ライムス)も幼少期から好きでした。こうした人々の影響を受けてTaylorは、歌手になるために多くの人の前で歌うにはどうすべきか考えました。

 

LeAnn Rimes(リアン・ライムス)


By https://www.flickr.com/photos/yodelanecdotal/https://www.flickr.com/photos/yodelanecdotal/4008692987/, CC 表示 2.0, Link 

1982年生まれアメリカ出身のカントリー歌手。「ハウ・ドゥ・アイ・リヴ(How Do I Live)」Billboard Hot 100に69週間チャートに滞在し、当時の最高記録となった。同曲は2008年発表のBillboard All Time Top 100(50年間総合チャート)で4位となっている。

 

そこで、学校に通いながらスポーツイベントの開会式の国歌斉唱やコンテストなどの規模の大きいものから、地元のフェスティバルや喫茶店など様々な場所で歌を歌いました。最も有名なものと言えば12歳の時にNBAの試合前に国歌斉唱を行ったこともありました。

幼少期からすでに卓越した歌唱力があり、歌手としての才能は十分だったのです。

 

小さい頃から作詞をしていたと語るTaylor。

Taylorは10歳にして”A Monster in My Closet”という詩を書き作詞コンテストにて入賞しています。幼い頃から作詞における持ち前のセンスを発揮していました。

ペンシルベニア州出身であるTaylorは11歳の頃、アメリカのカントリー歌手のFaith Hillがナッシュビルに移住した後に歌手として成功したことに影響を受け、自分もカントリーミュージックの聖地ナッシュビルに引っ越す必要性があると考えていました。

そのため常々両親にも相談していたそうです。

またその頃、ナッシュビルにある多くのレーベルにデモテープを提出していましたが、若すぎるということもありなかなかその評価は上がらずにいました。

 

12歳の頃のTaylorの逸話に「コンピュータの修理士が家に来た際にTaylorにc,d,gの三つのコードを教え、その日の夜に「Lucky You」という曲を作曲した」というものがあります。

幼い頃から音楽への関心が強かったTaylorは、頭の回転が早い上に大変物覚えが良かったということがわかります。頭の回転が早いことは大人になり成熟した今も変わらぬTaylorの魅力だと思います。

そういった才能が幼い頃からありながらも、なかなか契約には結びつきませんでした。

 

【14歳~】RCAレコードと契約

 

その後、14歳という異例の若さでRCAレコードの養成所と契約したTaylor。Sony ATVミュージックパブリッシング(世界最大の音楽出版社)にソングライターとして最年少で採用されました。

異例の若さの契約を可能としたのは、大きな舞台で国歌斉唱をしたことや、その歌唱力と類まれな外見が認められたからだと思います。

それと同時にTaylorの家族は全員でナッシュビルに転居しました。Taylorに極力プレッシャーをかけないよう気遣った両親は「引越したのはナッシュビルの街が好きだからだ。」と言ってくれていたそうです。

引越しの理由は父親の仕事先がナッシュビルになったというのもありますが、おそらくそれほど引越しの必要性はなかったと思います。Taylorの夢を家族全員で応援していたそうなので、実質上はTaylorのためだったのではないでしょうか。

 

【16歳~】デビューアルバムリリース

 

Taylorは自らの作詞作曲でアルバムを出したいと考えていました。

そんな彼女の要望とは裏腹に、事務所は他のソングライターの曲を歌わせようとしました。またTaylorのアルバム出版は18歳まで待つという方針でした。

自分に意向に沿わなかったためTaylorは事務所を離れる決意をします。

 

そんな中、ナッシュビルにあるミニライブハウス”Blue bard Cafe”でパフォーマンスしていたTaylorに、Big Machine Record(ビッグマシン・レコード)を設立しようとしていたScott Borchetta(スコット・ボーチェッタ)が目をつけました。

Taylorの類いまれなる容姿とその歌声を聴けば、誰しもがスカウトしたくなると思います。

その後着実に話は進み、TaylorがBig Machine Recordの1人目の契約者となったのです。

RCA所属時は事務所の曲作りの方針と合わず悩んでいたTaylorですが「全てを彼女の好きなようにしていい」と言ったScott Borchettaとの事務所契約により、彼女はあっという間にファーストアルバムを手がけることとなります。

2006年10月24日、Taylorが16歳の時にリリースされた『Taylor Swift』は、瞬く間にBillboardのTop Country Chartにおいて1位を記録。

▼アルバム「Taylor Swift」(画像クリックで商品詳細へ)

▼収録曲「Teardrops On My Guitar」 Billboard Hot 100 最高13位

▼収録曲「Our Song」 Billboard Hot 100 最高16位

 

デビューアルバムにしてカントリー界の市場を制しました。こうして彼女のサクセスストーリーが始まったのです。

 

さてアルバム『Taylor Swift』でBillboardのTop Country Chartにおいて1位を記録したTaylorですが、このような成功の背景にはいじめを受けても努力を重ね、引越しの相談、デモテープを送るなどの行動を常にしていたことが要因に挙げられます。

Taylorには才能がありました。ただ才能があったとしても実際に活かせていない人が多くいる中、行動することが何より大切だと気づいていたTaylorは尊敬に値します。なるべくして歌手になったのだと思います。

Taylorが幼少期からどういった活動をしてきたのかその道のりを振り返ると、夢を追う上でより具体的に何をすればいいのかがわかると感じています。

 

 

このページではTaylorのデビューまでの道のりから彼女の魅力と歌手の夢を追う上で学ぶべきことをお伝えしてきました。

次の章からTaylorの人格を通して彼女の魅力や学べることについてお伝えします。

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KANさんのトーク力は?ラジオ番組の聴きどころ紹介!

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KANさんは200万枚を超える大ヒット曲「愛は勝つ」で有名ですが、この曲はKANさんのほんの一面に過ぎないのです。ファン歴30年がKANさんの魅力を人柄・ライブ・楽曲に分けて徹底解説!

『KAN』入門 ~「愛は勝つ」だけじゃない!天才であり変態!類まれなソングライター~はこちらから!

著者:しあ

40代後半女性。KANのファン歴30年。1988年「BRACKET」を聴いて感動したのが出逢い。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。

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KANさんのレギュラーラジオ番組は、週に2本放送されています。

北海道・札幌テレビ放送(STV)の「KANのロックボンソワ」と、大阪・FM COCOLOの「KANと要のWabi-Sabiナイト」です。

KANさんは、テレビ番組に出演することがほとんどないので、KANさんという人について知る機会があまりないかもしれません。ただ、KANさんのラジオ番組を聞けば、KANさんのおもしろさや人柄がよくわかると思います。

 

KANのロックボンソワ


(引用:STVラジオ© 1996-2019 The STVradio Broadcasting Co.,Ltd)

番組名 KANのロックボンソワ
パーソナリティー KAN
放送局 北海道・札幌テレビ放送(STVラジオ)
放送時間 毎週土曜日24:00~25:00
放送期間 2004年10月2日~
放送ジャンル 音楽・トーク
公式HP https://www.stv.jp/radio/kan/index.html

 

「KANのロックボンソワ」は、KANさんがフランスへのピアノ留学から帰国した、2004年に始まった人気ラジオ番組です。

ラジオ番組において、聴取率は改編の時期へ影響します。

それらを乗り越え、この番組は15年も続いているのだから、とてもすごいことなのです。

 

この札幌のラジオ番組があるせいか、KANさんは、いつもあちらこちらで「僕、札幌出身じゃないですかぁ」とさらっと言ってしまいます。

「いや、福岡でしょ」」と、ツッコんでくれる人がいる時はいいけれど、もしかしたら本当に信じてしまう人がいるかも…。

KANさんは福岡出身です。

ただそれほど札幌に愛情を持っているようです。

 

この番組は、ゲストが来る時もありますが、KANさんの一人語りなので、たっぷりとトークを楽しむことができます。

落ち着いた、ゆっくりとしたKANさんのトークは癒されます。

でも内容は変態なことも多いですけど(笑)

番組のホームページには、番組の内容やオンエアリストなどが載っているので、これを見るだけでも楽しめて聞き逃してしまった時も安心です。

 

KANと要のWabi-Sabiナイト


(引用:FM COCORO 765 © FM802. )

番組名 KANと要のWabi-Sabiナイト
パーソナリティー DJ KAN STARDUST REVUE 根本要
放送局 FM COCOLO
放送時間 毎週土曜日18:00~19:00
放送期間 2010年10月2日~
公式HP https://cocolo.jp/service/Homepage/index/6180/34950

 

この番組はKANさんとスターダスト・レビューの根本要さんとの番組です。

KANさんに輪をかけておもしろい要さんなので、毎回爆笑の渦なのです。

 

スターダスト・レビュー

代表曲はシングル売上約15万枚の『木蘭の涙』。カルピスのCMに『夢伝説』起用され世間に広く認知された。デビュー35周年を迎えた現在も年間70本を超える全国ツアーを展開してる。根本要さんは同バンドのボーカル

詳しくは別Webonの『スターダスト・レビューとは』で解説!

 

この番組は、主に「フリートーク」「ミュージックバトル」「わかるかな わかんねえだろうなぁ」のコーナーに分かれています。

 

フリートークでは最近の近況など、色々な話が聞けるのですが、二人の話がとてもおもしろくて毎回爆笑です。

 

「ミュージックバトル」は、リスナーから頂いたお題を元に、それに合った選曲を二人がし、どちらがよりそのお題に合った曲を選んだかを競うコーナーです。

リスナーからの「こういうことがあったんですけど、こんな時に聴きたい曲」というお題あり、それに合わせて2人が選曲をします。

二人がなぜその曲を選んだのか、と説明するのが本当におもしろい。

例えば「アル・ジャロウ」というアーティストの曲を紹介する時に「これこれこういう事ってあるじゃろう?」という風に、ダジャレになっている時も多々ありますが(笑)

 

「おお~!」という素晴らしい選曲も多く、とってもおもしろいのです。

それぞれが、自信を持って選曲してきて絶対自分が勝ち、と思っているので自分が負けた時の落胆の仕方がおもしろい。

ちなみに勝ったからと言って、何か商品があるわけではないです。

選曲のほとんどは洋楽なのですが、二人の知識の深さが素晴らしくとても勉強にもなります。

 

「わかるかなぁ わかんねぇだろうなぁ」は、サイコロを振って選ばれた自分たちのオリジナル曲について、その制作秘話などを語るコーナー。

週替わりでKANさん要さんそれぞれの担当になります。

素晴らしい曲なのに結構テキトーに創っていたりと、意外な話が聞けておもしろいです。

ゲストが来ることもあります。

先日はASKAさん(CHAGE and ASKA)が来て、3人とも仲がいいのでとってもおもしろかったです。

 

KANさんの仲間については次ページで紹介!

 

ラジオを聴く方法「radiko」


(引用:radiko,© radiko co. )

 

私はいつもスマホでradikoというアプリを使って聴いています。

これが本当に便利なのです。

登録は無料で地元の放送局の番組なら無料で聞けます。

プレミアム会員に登録すると月に378円かかりますが、全国の番組をエリアフリー、そしてタイムフリーで聞くことができます。

しかも1週間以内ならいつでもです。

ラジオってなかなか聞く機会がないのではないかと思います。

ラジオはその日、その時間でしか聞けません。

でもradikoなら夜中の番組、日中の番組、早朝の番組などを、自分の好きな時間に聞くことができます。

KANさんのこの2本の番組は、北海道と大阪の放送局なので、エリア外では聞けませんでしたが、radikoのおかげで聞けるようになりうれしいです。

本当にKANさんの番組はおもしろいので、ぜひ聞いてみていただければと思います。

radiko公式サイト

 

以上、KANさんのラジオ番組の紹介でした。

次のページではKANさんの仲間を紹介します。

『KAN入門』目次へ  (全12ページ)

 

 

目次著者

著者:しあ

40代後半女性。KANのファン歴30年。1988年「BRACKET」を聴いて感動したのが出逢い。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。

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KANさんはどんなキャラクター?トリンドル玲奈に曲を捧げる!?

Webon紹介目次著者
KANさんは200万枚を超える大ヒット曲「愛は勝つ」で有名ですが、この曲はKANさんのほんの一面に過ぎないのです。ファン歴30年がKANさんの魅力を人柄・ライブ・楽曲に分けて徹底解説!

『KAN』入門 ~「愛は勝つ」だけじゃない!天才であり変態!類まれなソングライター~はこちらから!

著者:しあ

40代後半女性。KANのファン歴30年。1988年「BRACKET」を聴いて感動したのが出逢い。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。

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KANさんは「天才であり変態」であると私は思います。

ただKANさんのキャラクターの魅力を一言で言うのは困難です。

KANさんには面白い側面がいくつもありますので、色々な角度から見たKANさんについてご紹介します。

 

KANさんはどんなキャラクター?

ユーモアセンス溢れる

 

KANさんという人は、とにかくユーモアセンスたっぷりで、遊び心の塊のような人です。

楽曲はもちろん、アルバムジャケット、ライブの創り方、衣装、その他、ありとあらゆるところで、KANさんのオリジナリティー溢れる才能が活かされていて、本当に楽しくおもしろいのです。

クスクスと笑ってしまうおもしろさがKANさんにはあります。

例えば、2016年のアルバム「6×9=53」(ロックごじゅうさん)。アルバムジャケットではKANさんがお爺さんになっています。

▼アルバム「6×9=53」(画像クリックで商品詳細へ)

アルバムタイトルは、ちょっとロックテイストなアルバムという事と、KANさんが当時53歳という事で、このタイトルがつけられました。

なぜ、お爺さんになっているかというと、ロック=69歳、という事で69歳に見えるように扮装しているのです。

このおもしろさ、さすがKANさんだな~と思います。

 

2017年のアルバム「la RINASCENTE」(ラ・リナシェンテ)。このアルバムは、KANさん自らが、弦楽四重奏のアレンジを施したセルフカバーアルバムです。

このアルバムジャケットのおもしろさは、ドナルド・フェイゲンの名盤「THE NIGHT FLY」に似せていること。

▼KAN「la RINASCENTE」

▼ドナルド・フェイゲン「THE NIGHT FLY」


このジャケットのKANさん、すっごくカッコいいです。

もしかして、ドナルド・フェイゲンと間違って買う人がいるかも…?

 

下心を隠しながらも紳士的

 

KANさんが夏目漱石に扮した写真があります。

このクオリティはすごい!

見間違ってしまうかも。

この写真を使った「高級眼鏡拭き」というKANさんのグッズがあります。

先日、KANさんとスターダスト・レビューの根本要さんとでやっているラジオ番組「KANと要のWabi-Sabiナイト」にASKAさん(CHAGE and ASKA)がゲストで来た時に、KANさんがこの眼鏡拭きをプレゼントしました。

 

 

ASKAさんは「あ~!これ知ってる!俺ほしかったやつだ!」と、大喜びでした。ちなみにKANさんは、ASKAさんの事をとてもリスペクトしています。

3人は友達で特にASKAさんと要さんは同い年で親友と言える間柄です。

 

ASKAさんとの関係性は後ページにて紹介!

 

KANさんという人はとても優しく穏やかで礼儀正しく素敵な紳士です。

「紳士」と書いたのはKANさんの歌詞に「ジェントルマン」と出てくることや、KANさんが女性に対して下心を隠しながら紳士的であろうとしているからです。

紳士的でありながらも下心満載の歌詞も書いているKANさん。

そんな歌詞の曲を聴くと、KANさんの変態性を感じずにはいられません。

KANさんの曲はいろいろなタイプの曲があり、その振り幅の大きさに驚かされます。

それらを聴くと、KANさんの「天才であり変態」という意味が、理解できるのではないかと思います。

また、どんなにふざけた曲や女性に対する妄想を歌った曲でも、下品にならないのはKAN さんのキャラクターのおかげかと思います。

 

天才であり変態なのことがわかる楽曲は第3章で紹介!

 

大ヒット曲にとらわれない

 

大ヒット曲があると、それにとらわれて本来の自分を出せなかったり、周りからも同じ系統の曲を望まれたりと、創作活動に影響があったりするかもしれません。

ですが、KANさんは「愛は勝つ」という国民的大ヒット曲を持ちながらも、それにとらわれず自身のユーモアやオリジナリティー溢れる楽曲を創り出しています。

自身の武器であるピアノにもこだわっていて、ピアノ一つで音楽を伝える「弾き語りライブ」に行くと、そのピアノの素晴らしさにも感動します。

KANさんにしか書けない詩、曲は本当に素晴らしくおもしろく、日本の音楽界において類まれなる存在であり、私は彼を天才であり変態だと思っているのです。

 

 

KANさんのキャラクターがわかるプチ情報

 

KANさんには色々な側面があります。よりKANさんの魅力を多角的に理解していただくため、KANさんのキャラクターがわかるような4つのプチ情報を紹介します。

 

① 「素数」が好き

 

KANさんは素数が好きで素数にこだわっています。

通常、アーティストはデビュー20周年、25周年、30周年、と区切りのいい数字を使います。

でもKANさんの場合は、素数にこだわっているので29周年、31周年などを記念としているのです。

 

② 語学が堪能

 

旅行が趣味で旅先での会話能力の必要性を痛感し、語学の習得にも熱心。

中国語、フランス語、イタリア語が得意で、日常会話に困らないぐらいには習得しているそう。

 

③ 愛妻家

 

ラジオなどでよく奥様の話をしています。

「出かける時、女性って時間がかかるじゃないですか。でも、いかに奥さんに気持ちよく準備してもらうか、って言うのが大事じゃないですか。」

と言っていたKANさん。

「さすが紳士なKANさん、素敵な旦那様!」と思いました。

 

④ トリンドル玲奈

 

「Menuett fur Frau Triendl」は、勝手にトリンドル玲奈さんに捧げた曲です。
「トリンドルちゃんは、おそらく聴いていないでしょう…。」とKANさん…。

▼トリンドル玲奈(1992年生まれの日本のファッションモデル、タレント)

 

KANさんは、中田ヤスタカさん(音楽プロデューサー)を尊敬する音楽家の一人として挙げていて、中田サウンドがとても好きなよう。「きゃりーぱみゅぱみゅ」「Perfume」は共に中田ヤスタカさんのプロデュース。

 

中田サウンドとは
中田ヤスタカは、シンセサイザー等の電子楽器を用いた音楽である「テクノポップ」の流行を再来させる。中田サウンドの例は下記のアーティストの曲を聴けば理解しやすいのではないでしょうか。

▼きゃりーぱみゅぱみゅ「PONPONPON」

▼Perfume「ポリリズム」

 

「REGIKOSTAR~レジ子スターの刺激~」「ブログ!ブログ!ブログ!」は、KANさんが中田サウンドを意識して創った作品です。

▼「REGIKOSTAR~レジ子スターの刺激~」(リンク先で試聴可能)

▼「ブログ!ブログ!ブログ!」(リンク先で試聴可能)

その他KANさんのオマージュ曲については第3章で紹介!
Webon(ウェボン)
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以上、KANさんのキャラクターの紹介でした。

次のページではKANさんのラジオやトークについて紹介します。さらにKANさんの人柄や面白さを知っていただきたいです。

『KAN入門』目次へ  (全12ページ)

 

 

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著者:しあ

40代後半女性。KANのファン歴30年。1988年「BRACKET」を聴いて感動したのが出逢い。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。

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KANさんの経歴を紹介 【誕生~「愛は勝つ」でブレイク~留学から帰国】

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KANさんは200万枚を超える大ヒット曲「愛は勝つ」で有名ですが、この曲はKANさんのほんの一面に過ぎないのです。ファン歴30年がKANさんの魅力を人柄・ライブ・楽曲に分けて徹底解説!

『KAN』入門 ~「愛は勝つ」だけじゃない!天才であり変態!類まれなソングライター~はこちらから!

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40代後半女性。KANのファン歴30年。1988年「BRACKET」を聴いて感動したのが出逢い。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。

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このページではKANさんの経歴を紹介いたします。

経歴を紹介する中でザ・ビートルズとビリー・ジョエルの事に触れていますが、KANさんの音楽においてその存在が外せないからです。

 

KANさんの簡易年表

▼このページで紹介する主な出来事

出来事
1962年 誕生
1978年頃 ビリー・ジョエルと出会う(当時高校生)
1987年 「テレビの中に」でレコードデビュー
1990年 「愛は勝つ」収録アルバムリリース
1999年 結婚
2002年 フランスで音楽学校に通う
2004年 帰国

 

KANの経歴

誕生~10歳の頃

 

KANさんは1962年福岡県福岡市生まれです。

「かん」という名前は本名で「和」と書いて「かん」と読みます。

本名は木村和「きむらかん」です。

本名でデビューしたかったそうですが、読み間違いの可能性などの理由で「KAN」となったそうです。

 

幼稚園の頃からオルガンを学び、小学校に入学してからはクラシックピアノを習い始めます。

10歳の頃には、少年野球のチームに所属し野球でも活躍。

(ちなみに、この頃の将来の夢が野球選手だったかどうかは定かではありませんが、後に「野球選手が夢だった」というアルバムをリリースします。このアルバムに収録されていた「愛は勝つ」が、国民的大ヒットとなったのです。)

 

中学~高校 <ビリー・ジョエルと出会う>

 

中学校に入学すると自宅の近所にレコードショップが開店し、ずっと欲しい欲しいと思っていたザ・ビートルズのレコードを購入。中学生の頃は、ほぼザ・ビートルズばかり聴いていたそうです。

 

KANさんは、ビリー・ジョエルをリスペクトしています。

 

ビリー・ジョエル

1949年生まれ。アメリカ出身のシンガーソングライター。全世界で1億5000万枚以上のレコード・セールスを記録。1973年にリリースのアルバム「ピアノ・マン」が大ヒットとなる。

▼「ピアノ・マン」公式MV

 

高校生の時、友達が持っていたアルバム「52nd Street」を借りて聴いたのがビリー・ジョエル作品との出会い。「なんだこの音は!」と、大きな衝撃を受けたそうです。

▼1978年リリースアルバム「52nd Street」(画像クリックでamazon primeで視聴可能。

ビリー・ジョエルの「52nd Street」は、KANさんの人生において大きな影響を与えた一枚なのです。

 

KANさんの楽曲を聴けばビリー・ジョエルの音楽が、KANさんの音楽の基になっていることが感じられます。

KANさんの音楽や話などから、ビリー・ジョエルへのリスペクトがとても感じられるし、KANさんは「日本のビリー・ジョエル」と思える存在です。

 

ビリー・ジョエルの音楽が基になっていることがわかる楽曲は第3章で紹介!
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大学~デビュー

 

法政大学に進学するため福岡から上京したその足で、ビリー・ジョエル日本公演のチケットを購入。

その一週間後に行われた日本武道館でのビリー・ジョエルのコンサートは「自分にとって音楽家への志を更に強くしたものだった」との事。

1987年に4月25日に「テレビの中に」でレコードデビュー。

▼「テレビの中に」(画像クリックで商品詳細へ)

 

当時は、KANさんはまだそんなに知られていなくて、ひっそりとデビューしていた気がします…。私は、2枚目のアルバム「No-No-YESMAN」に収録されている「BRACKET」を、テレビで歌っている姿を見たのが、KANさんとの最初の出逢い。

 

 

印象的なピアノのイントロ、激しくピアノを弾く姿、間奏でのスキャットなど、とても音楽センスを感じて、引き込まれました。

 

「愛は勝つ」がヒット

 

1990年に、5枚目のアルバム「野球選手が夢だった」をリリース。

▼「野球選手が夢だった」(画像クリックで商品詳細へ)

このアルバムに収録されていた「愛は勝つ」が、ラジオ局のヘビーローテーションに起用されたり、徐々に評価をされ始めていたところ、山田邦子さん出演の大人気テレビ番組「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」のテーマソングに起用されました。

それにより全国に知られ国民的大ヒットとなり、1991年の日本レコード大賞では大賞を受賞しています。

 

結果的にKANさんの出世作となったアルバム「野球選手が夢だった」。

このアルバムには「愛は勝つ」も収録されていますが、このアルバムは「愛は勝つ」が注目され大ヒットする前にリリースされています。

このアルバムは、本当に名曲ぞろいの素晴らしいアルバムなのです。

「愛は勝つ」が大ヒットする前に創られているアルバムなので、その事を踏まえて聴くと、よりKANさんの魅力、素晴らしさを感じられるのでは、と思っています。

本当に名曲ぞろいなので、KANさんの才能が感じられると思います。

「売れるべくして売れた」と思います。

認められる人はやはり認められるのだと思いました。「愛は勝つ」が大ヒットしたおかげでこのアルバムが多くの人に聴かれることになったので、とてもよかったと思っています。

 

結婚、音楽学校へ

 

その後も、コンスタントにアルバムをリリースしライブを行い、1999年にはバイオリニスト早稲田桜子さんと結婚。

▼早稲田桜子さん

 

KANさんは2002年には、クラシックピアノを基礎から勉強しなおすためにフランスへ移住し、音楽学校へ通います。

私はこの事にとても驚いたのと同時に、音楽活動を休止して渡仏し勉強する姿勢を「とても素晴らしいな」と思いました。

また、ピアノ留学以外の理由として「フランス人になるという夢を叶えるため」という、ふざけたコメントを出したのもKANさんらしいな、と思いました。

こういったおかしなことを言うのがKANさんという人なのです。

 

帰国後の活動

 

2004年に帰国してからは精力的に活動。

KANとしてのソロ活動だけではなく、いろいろなアーティストとのコラボレーションも。

 

コラボ楽曲は第3章で紹介!
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また、ロックやポップスだけではなく、弦楽器の譜面も書けるKANさん。弦楽四重奏のアレンジを自ら行ったセルフカバーアルバムも発売、ライブも行うなど才能豊かな人なのです。

▼弦楽四重奏のアレンジを自ら行ったアルバム「la RINASCENTE」(リンク先で視聴可能)

KANさんは音楽は本当に素晴らしく、聴けば聴くほど天才だと思います。

と、同時に詩の内容から変態(いい意味で)だと思うことも多々あります。

次のページではKANさんのキャラクターを紹介します。なぜ、KANさんを「天才であり変態」だと思うのかお伝えします。

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私がテイラー・スウィフトを手本にして歌手を目指す理由

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世界的歌姫Taylor Swift(テイラー・スウィフト)と会った筆者が、Taylorの魅力を紹介。Taylorのこれまでの軌跡・ファンとの交流・社会貢献・音楽の変遷などを知れば、筆者が彼女をお手本にして歌手を目指す理由もわかるはず!

Taylor Swift(テイラー・スウィフト)入門 ~Taylorに会った筆者が語る~はこちらから!

著者:Sakift

20代前半。幼少期から歌手を志し9歳の時にTaylor Swiftのファンになって以来彼女をロールモデルにしている。RED Tour、1989 World Tour、Reputation Stadium Tourに参加。2014年のRED Tourでは、コンサート後のミートアンドグリート’’Club RED’’に招待され実際にTaylor Swiftと会って話をする。いわゆる空港での『出待ち』も毎回しており、その場でサインをもらったこともある。

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『Taylor Swift入門』目次へ  (全7ページ)

 

Taylor Swiftの基本情報


photo by Prayitno / Thank you for (12 millions +) view ,(CC BY 2.0

名前 テイラースウィフト(Taylor Swift)
生年月日 1989年12月13日
出身地 アメリカ合衆国ペンシルベニア州
デビュー年/曲 2006年シングル「Tim McGraw(ティム マックグロウ)」アルバム「Taylor Swift」
17歳でデビューし、グラミー賞、エミー賞、ウーマンオブザイヤーなど数々の賞を受賞。過去に発売したCDの総売上枚数は4,000万枚以上、ダウンロード数は1.3億を超えている。

▼テイラーの代表曲のひとつ『We Are Never Ever Getting Back Together』MV。日本の人気恋愛リアリティー番組「テラスハウス」のオープニング。

 

はじめに

 

私は幼少期から歌手を志しています。

幼い頃から書き溜めてきた歌詞の数は150近くあり、物心ついた頃から歌手を目指す気持ちは変わっていません。

私は10歳の時、歌手としても、人としても尊敬している世界的歌姫Taylor Swiftに出逢いました。

皆さんはTaylor Swiftというアーティストをご存知でしょうか?

私がTaylorのファン(通称:Swiftie スウィフティー)になってから、もう10年が経とうとしています。まだ小学4年生だった私は、当時世界的にヒットした”You Belong With Me”のミュージックビデオを一目見た瞬間から熱烈なSwiftieになりました。

▼「You Belong With Me」のMV

 

当時はまだ年齢的な問題もあり、コンサート鑑賞や情報収集をすることも容易ではありませんでした。

そのため、彼女のアルバムを購入し毎日歌詞を完璧に覚えるまでひたすら聴きました。

中学生になる頃にはスマートフォンやパソコンを使いTwitterや公式サイトでとても深くTaylorの人間性をも知るようになりました。

中学2年生の時には、一生忘れられないかけがえのない経験もしました。

“RED Tour in Japan”の際にコンサート後のミートアンドグリート(以下Club RED)に選ばれ、実際に会って話すことができたのです。

 

【筆者注】ミートアンドグリート

ミートアンドグリートは、コンサート終了後にアーティストと交流できるイベントのことです。Taylerのコンサートの場合は、毎回コンサート中に目立っているファン(手作り衣装やボード、電飾など)をTaylorの母親が直接選び、ファンはコンサート中にバックステージパスが渡されます。私の場合はスタッフに声をかけられ、バックステージパスであるリストバンドをはめてもらいました。

▼ミートアンドグリートの詳細は第2章1ページ目にて

 

Club REDで彼女が真っ先にきつくハグをしてくれたあの瞬間を私は生涯忘れることはないでしょう。

さらに私はClub REDでTaylorに「歌手になって必ずもう一度会いたい。」と約束をしました。

この時から、私はただSwiftieとしてTaylorを応援するだけでなく、自らが歌手を目指す上で彼女を絶対的ロールモデルにしようと決めました。

▼歌手を目指す筆者の様子(YouTube)

 

Taylorをロールモデルにした理由

 

ロールモデルとは行動面や精神面において手本とする人物のことです。誰かしらをロールモデルにする上で、その人物像は大変重要になってきます。

私は一人でも多くの人にTaylorの魅力をより深く知ってもらい、ロールモデルとして彼女のような人物を目指して欲しいという願いからこのWebonを作成しています。

私がTaylorをロールモデルとして捉え始めた理由は、彼女のアーティストとしての振る舞い方と曲の中にあります。

アーティストとして長く生き残るためには、常に新しいものを発信し続けなければいけません。加えて、ただ新しいだけではなくファンの心を掴むものである必要性もあります。

新しいものを生み出していかなければならないのは、何もアーティストという職種だけに限らないでしょう。様々な職場で創造性は重要視されます。Taylorはそういった点においてとても長けています。

 

多くの人の心を掴んで離さないTaylorの戦略

 

わかりやすい例として、Taylorの新曲を出す時の戦略です。たとえば、先日Taylorが約1年半ぶりにニューシングル「ME!」をリリースしました。

▼「ME!」MV

 

このシングルをリリースするにあたり、Taylorはおよそ2ヶ月前からInstagramにおいて継続的にニューシングルを匂わせるような投稿をしていました。

 

【コラム】ニューシングルを匂わせるようなInstagramの投稿

ニューシングルを匂わせる投稿で最もわかりやすかったのが、以下の投稿です。

 

View this post on Instagram

 

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Taylor Swiftさん(@taylorswift)がシェアした投稿 –

もともとTaylorが次に出すであろうアルバムは、まだリリースされておらず名前も当時決まっていないためファンの間では通称「TS7」と呼ばれていました(彼女の7枚目のアルバムにあたるため)。Taylor自身も、ファンがTS7を期待していることは知っていました。その最中、ヤシの木の絵文字を7個だけつけてこの画像を投稿したので「次のアルバムがもうすぐくるはずだ」と皆期待しました。さらに、一つ前の作品である「Reputation」のリリース時もそうでしたが、Taylorは必ずアルバムのコンセプトにそった投稿をしていました。前回はダークなイメージのアルバムだったので蛇や暗い感じの画像・動画を投稿していました。しかし今回はパステル調のピンクがかったフィルターのみを使い連続して投稿していたため、新たなアルバムが出るのではないかという期待が高まりました。

 

さらに、日本、アメリカ、イギリス、オーストラリアを含む各国の大きな電光掲示板にて謎のカウントダウンをしていました。そしてそのカウントダウンが0になった時、新曲がリリースされたのです。

▼カウントダウンの様子(日本)

 

カウントダウンによりあらかじめ世間の目を引いたことで、世界的に話題となった状態でのリリースとなりました。こういった言わばTaylorの「戦略」が、ファンだけでなく多くの人の心を掴んで離さないのです。

ファンを飽きさせないという最も大切なことを彼女はし続けているのです。

多くの海外セレブがプライベートな話題で世間を騒がせている中、Taylorは常に新たな曲作りに勤しんでいます。

そして、評判が地に落ちてしまったとしても逆境に負けることなく、むしろそれを逆手にとって這い上がるのです。1人の人間としてもアーティストとしても、生涯尊敬し続けられる人物こそがTaylor Swiftだと私は思っています。

 

 

Taylorは中学生の時にいじめられていた経験があります。いじめられていた辛い時期を乗り越え、血の滲むような努力をし夢を叶えたTaylorの言葉に励まされる人は多く、私自身も幾度となく助けられました。

また、Taylorはデビュー後にサインを求めてやってきた元いじめっ子たちに快く対応したと言います。後のインタビューでは「惨めな思いをして学校に通っていた経験がなければここまでいい曲は書けなかった。いじめっ子たちにありがとうと伝えたい。」とさえ語っていました。

現にTaylor自身の経験に基づいたその自叙伝的な歌詞の数々に、多くの人々が魅了されています。頭身大で親しみやすく、共感しやすいからです。

世界に名を馳せても、ファンへの心遣いを忘れず常に人を楽しませられるアーティストであること。いつまでも初心を忘れない謙虚さや、ファンを大切にする人柄が彼女の最大の魅力といえるでしょう。

そんな彼女の魅力を是非知っていただきたいです。そして、これから夢を目指す方は彼女をぜひロールモデルにしてみてはいかがでしょうか。

このWebonでは実際にTaylorをお手本に歌手を目指している私が、どういったことをTaylorから学んでいるかをお伝えしながら、Taylorの魅力を明らかにしてきたいと思っております。

次の章ではTaylorの「デビューまでの道のり」に焦点を当てて、Taylorの魅力やTaylorから私が学んだことをお伝えしたいと思います。

『Taylor Swift入門』目次へ  (全7ページ)

 

目次著者

著者:Sakift

20代前半。幼少期から歌手を志し9歳の時にTaylor Swiftのファンになって以来彼女をロールモデルにしている。RED Tour、1989 World Tour、Reputation Stadium Tourに参加。2014年のRED Tourでは、コンサート後のミートアンドグリート’’Club RED’’に招待され実際にTaylor Swiftと会って話をする。いわゆる空港での『出待ち』も毎回しており、その場でサインをもらったこともある。

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