岡村靖幸と伝説のライブ『BEAT CHILD』

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歌手として強烈な個性を放ち、時には「気持ち悪い」とも称される「岡村靖幸」。デビュー前から岡村靖幸をリアルタイムで見てきた筆者が、その魅力を紐解きます。

『岡村靖幸』入門 ~超個性的シンガーの魅力に迫る~ はこちらから

著者:しあ

40代後半女性。音楽が大好きでJ-POP K-POP 洋楽 演歌歌謡曲とさまざまな音楽を聴いています。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。全部チケットの半券をとっているのでとても大切な想い出です。音楽はとても生活を豊かにしてくれるもの。私の好きなアーティストの魅力を知っていただければ、と思います。お問い合わせはこちらから

 

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伝説のライブ「BEAT CHILD」

 

私が初めて岡村さんのライブを見たのは、伝説のライブ、BEAT CHILDです。

BEAT CHILDは、1987年8月22、23日にかけて熊本県阿蘇にあるアスペクタで行われたオールナイトコンサートです。

 

▼写真:熊本県野外劇場(通称:アスペクタ)


photo by chappaless 

 

出演者は岡村さんの他に、佐野元春さん、渡辺美里さん、尾崎豊さん、HOUND DOG、THE BLUE HEARTS、RED WARRIORS、THE STREET SLIDERS、BOØWYなど大人気のアーティストが多く参加しました。

 

当日は大雨の中行われ観客も7万人ぐらいいたことから、今でも伝説として語りつがれているイベントです。

 

私は大分から、友達と総勢7名でこのイベントに参加しました。

大人気のアーティストばかりでしたし、どのアーティストも大好きでした。

 

開演は夕方6時ぐらいだったと思うのですが、開演前に結構な雨が降り、雷も鳴ってすごく怖かったです。

阿蘇の山の上なので空が近くて本当に怖い。

まだ夏の夕方なのに、真っ暗になってきて・・・。

 

そうしたら突然、HOUND DOGの大友さんが出てきて「みんな大丈夫か?」って。

「ここは避雷針があるから絶対雷は落ちないから大丈夫だ」って言ってくれてとても安心しました。

オープニングアクトのTHE HEARTが出て、1番目は新人のTHE BLUE HEARTS。この時は雨は降っていなくて、ヒロトさんもとっても楽しそうでした。

 

THE HEART
日本のロックバンド。1988年にデビューし1992年に解散。

▼CDアルバム「アカシア」(画像クリックで商品詳細へ)

 

THE BLUE HEARTS
1987年に「リンダリンダ」でメジャーデビュー。ボーカルは甲本ヒロト(下記、写真右上)。日本のロック界の伝説的存在。代表曲には「人にやさしく」「TRAIN-TRAIN」などがある。

 

初めて見る「生」岡村靖幸

 

何組か過ぎ、岡村さんの出番の時には雨は結構降ってました。

初めて見る、生岡村靖幸、そのパフォーマンス。

もう最高にカッコよかったです!!

 

シングル「Dog Days」のジャケット写真のパンツを履いていたと思います。

ペールグリーンっていうのかしら・・・その衣装の印象が強くて。

 

 

とにかくキレッキレのダンスと迫力あるボーカル、圧倒的なパフォーマンスに釘付けでした。

勢いというか、気持ちがめちゃめちゃ伝わってきました。

 

確か、いつものように「僕は君とSEXがしたいんだ」なんてことも言っていて、周りの女子から、喜びと気持ち悪さ両方の「イヤーー!!」という悲鳴が起こっていました(笑)

5、6曲歌ったと思いますが「Out of Blue」「Young oh! oh!」「Dog Days」を歌ったのは覚えていて、その3曲を聴けたのがすごくうれしかったです。

 



 

「Dog Days」の歌詞にある「Sunshine」。

大雨だったけど、岡村さんは太陽のようにキラキラと輝いていました。

友達一人を除いて、みんな「岡村ちゃんカッコよかったね~~!!」って言っていました。

残りの一人は、生で見た岡村さんは雑誌やPVより気持ち悪かったそうです・・・。

 

その後さらに雨が強くなり、山の上ということもあり気温が下がり、体調不良の観客も続出しますが、イベントは最後まで行われます。

大トリの佐野元春さんが登場した朝5時ぐらい(?)には朝日が出て、とてもとても感動しました。

 

佐野元春
1980年にシングル「アンジェリーナ」でデビュー。斬新なスタイルの音楽で高い評価を獲得する。代表曲に「サムデイ」などがある。

 

尾崎さんも出演していたので、岡村さんと尾崎さんは楽屋で楽しく過ごしていたかもしれませんね。(二人はとても仲が良かったです)

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岡村靖幸・吉川晃司・尾崎豊の関係性

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3人の出会い

 

もともと吉川さんと尾崎さんが親友で、そこに岡村さんが加わったようです。

岡村さんが吉川さんへ曲提供をしたことで知り合い、遊ぶようになり、吉川さんから尾崎さんを紹介されて3人は意気投合、大親友となります。

3人は同じ年で、岡村さんは2人とは19歳の頃に知り合ったそうです。

雑誌のインタビューなどでも、3人それぞれから、お互いの名前がよく出ていました。

 

吉川晃司(きっかわ こうじ)とは

1984年にシングル「モニカ」でデビュー。同曲は映画「すかんぴんウォーク」の主題歌になっている。岡村靖幸は吉川晃司へ楽曲提供をしている。詳しくはこちら

 

尾崎豊(おざき ゆたか)とは

1983年、シングル「15の夜」で高校在学中にデビュー。当時の若者のカリスマ的存在。1996年、26歳という若さでこの世を去る。

 

3人の関係性

 

3人はしょっちゅう飲みに行ったりして遊んでいたそうです。

行きつけのお店は東京、西麻布にあった「RED SHOES」。

 

『RED SHOES』はまだある?
3人のいきつけの西麻布にあったカフェバー『RED SHOES』は1995年に閉店してしまいました。2015年3月より南青山のビル地下1Fで復活を果たしています。

Food&Bar Red Shoes
Food&Bar Red Shoes
ジャンル:ダイニングバー
アクセス:西武池袋線練馬駅北口 徒歩5分
住所:〒176-0001 東京都練馬区練馬1-34-14 山章興産ビル2F(地図

 

「RED SHOES STORY」として尾崎さんの歌のタイトルにもなっています。

 

 

お店をはしごして朝まで飲み歩く事も。

次にどの店に行くのかをじゃんけんで決めたり。

岡村さんが勝ったら踊れる店、吉川さんが勝ったらとことん飲める店、尾崎さんが勝ったら女性を口説ける店・・・。

 

尾崎さんと吉川さんはとてもお酒が強いのですが、岡村さんは当時そんなにお酒が飲めなかったので、大好きなダンスが踊れるディスコに行きたかったそうです。

結局は誰が勝っても、ただただ3人で飲む、というパターンが多く、女性のいるお店にも行かず、飲んだくれていたそう。

吉川さんは当時、朝目が覚めたら地下鉄の階段で寝ていたとか、ごみ捨て場に頭を突っ込んで寝ていて、通学途中の女子学生に注意された、などと話していました。

音楽界で名のある3人なのに、ぐでんぐでんに酔っぱらっているため、悲しいぐらい全然もてなかったそうです。

 

くだらない話から、仕事の悩み、愚痴などを語り合い、同い年ということもあり、とても自然体でいられたみたいです。

それぞれが語るお互いの話で、とても仲がいいことがうかがえていました。

私は3人のこの関係性が大好きでした。

今でも、この時代のことを思うと胸がキュンとします。

 

コンサートでの共演

 

3人が同じステージに揃って立ったことはないのですが、岡村さんと尾崎さんは多くのアーティストが参加した1986年8月の広島平和コンサート「A LIVE HIROSHIMA ‘87」で共演しています。

 

『A LIVE HIROSHIMA ‘87』CD
A LIVE HIROSHIMA ‘87のライブの模様がダイジェストで記録されたCD。岡村靖幸の曲では「Dog Days」が収録されている。

 

このライブはTVでオンエアされたのでそれで見ました。

 

岡村さんの「Young oh! oh!」に尾崎さんが乱入する形で二人で歌ったのですが、これがとてもよかった~~!!

 

 

二人が親友だということは多くのファンが知っていたので、共演はうれしかったですね。

しかも、尾崎さんがあんなに楽しそうに笑うなんて・・・彼自身のステージではあまり見ない表情で、素の尾崎さんが見られた気がします。

はじけまくる尾崎さんを岡村さんもはじける笑顔で見てる・・・二人の仲の良さがうかがえる最高のステージでした。

 

尾崎さんは、渡辺美里さんのステージにも乱入し、美里さんをお姫様抱っこしたりと、意外な素顔を垣間見せていました。

 

岡村靖幸さんは渡辺美里さんに多くの曲提供をしています。詳しくは第1章2ページ目で!

 

きっと、私たちファンが知らないだけで、尾崎さんも岡村さん、吉川さんの前では普通の青年だったんですよね。

ちなみに吉川さんと尾崎さんは、1986年のHOUND DOGの武道館公演に飛び入り参加しています。

 

HOUND DOGとは
1980年「嵐の金曜日」でデビューした大友康平を中心とした日本のロックバンド。代表曲に「ff(フォルテシモ)」などがある。

 

3人の関係性の変化と尾崎豊の死去

 

年齢を重ねて大人になっていき、3人共仕事も忙しく、尾崎さんは結婚し子供も生まれ、吉川さんは事務所を移籍したりとなかなか以前のように泥酔するまで飲むことは無くなっていったそうです。

岡村さんも、自身の音楽活動に加え、他アーティストのプロデュースなどで忙しくなりました。

 

3人で最後に会ったのが、25歳ぐらいの時だそうです。

それからすぐに尾崎さんが26歳という若さで亡くなってしまい、もう3人で会えなくなってしまいます。

 

尾崎さんの葬儀では、吉川さんが弔辞を読んでいます。

岡村さんは

「尾崎の死によって時代が終わったというか、何かが終わったのだと思います。19歳のあの頃、彼らという素敵な同級生に出会えて僕はラッキーでした。」

と語っています。

 

現在の吉川さんとの関係は、以前のように頻繁に会ったりということはないようなのですが、お互い大人になり仕事なども忙しく、ゆっくりと会う機会が減った、ということではないでしょうか。

自分のことに置き換えてみても、学生時代の友達とは頻繁に会う機会が減ってしまうことも。

だけど、仲が悪いとかそういったことではなく、会えば一瞬にして会っていない時間も取り戻せますよね。

きっと、そういう間柄なのではないでしょうか。

 

2014年10月、氣志團の綾小路翔さんが岡村さんと吉川さんとの3ショットをSNSに上げてくれています。

 

吉川晃司さん、岡村靖幸さんと俺。本来ならば尾崎豊さんの場所に俺。泣きます。

綾小路 翔さん(@showayanocozey)がシェアした投稿 –

 

私は、3人のこの関係性をリアルタイムで目の当たりに見ていて、同じ時代を生きられたことにとても感謝しています。

3人それぞれを語る時に、この3人の関係性は絶対に外せません。
高校生の私は、3人のまぶしい姿に憧れを感じて、見ていたように思います。

 

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岡村靖幸のデビュー当時

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岡村靖幸のデビュー曲「Out of Blue」(1986)

 

第1章の1ページ目でも書きましたがそもそも岡村さんの名前を知ったのは、吉川晃司さんへの曲提供でした。

 

岡村さんは吉川さん、渡辺美里さんへの曲提供を多く行っており、そこで名前を度々見つけ、とても興味がありました。

 

音楽が好きで、音楽雑誌を読んだり、いろいろとアンテナを張っているとたくさんの情報が入ってきます。

 

私が岡村さんと出会った1985年頃はネットなんてない時代ですから、今よりも情報を得ることに一所懸命だったと思います

岡村さんが、作曲家を経ていよいよシンガーとしてデビューする、ということは音楽雑誌にも取り上げられ注目されていました。

 

 

岡村さんが楽曲を提供していた渡辺美里さんと同じレコード会社「EPICソニー」からデビューするということでした。当時とても勢いのあったEPICソニーですから、プロモーションにも割と力を入れていたと思います。

EPICソニーは全国のレコード店などを通じてPVの上映会、フィルムコンサートをよく行っていたんです。

 

私は、友達とその上映会によく行っていました。

その上映会では、一早く所属アーティストのPVだったり、情報が見られたんですよね。

そこで、期待の新人、岡村靖幸さんのデビュー曲「Out of Blue」のPVを目にするのです。

 

 

「Out of Blue」

 

イントロのギターのフレーズ・・・一瞬で「カッコいい~~!!」と思いました。

曲は文句なしによかったですし、声も、歌い方もカッコいい!と思いました。

 

初めはとても映像が暗くてイマイチ顔がよく見えないんです。

 

雨の中(人工雨)ワンカットでずっと踊りながら歌っていて、最後の方になると少し照明が明るくなり、顔もアップになって、バーンっと、自分でシャツもはだけたりして、とにかくセクシーでカッコよかったですね。

 

 

このPVを見た時は少しだけ、俳優の三上博史さんに似てるって思いました。

 

▼写真:三上博史

 

▼「Out of Blue」を聴きたい方は、画像クリックで商品詳細へ

賛否両論の「Out of Blue」

 

私は「Out of Blue」は本当に名曲だと思い、大大大好きで、後にライブで聴いた時は感動しました。

 

私は岡村さんを「すごくカッコいい」って思ったんですけど、一緒に行った友達は賛否両論、好き嫌いが分かれました。

「気持ち悪い」っていう子もいました。

 

このPVにはそんなに気持ち悪い要素はないのに(笑)

しいていえば、挑戦的な目つきでしょうか?

 

当時は高校生でおこづかいもそんなになく、欲しいレコード全ては買えないのでシングルはレンタルしました。

B面の「幾千年分のPAIN」もよかったし、声や歌い方にとっても魅了されました。

デビューしてからは、音楽雑誌に頻繁に載っていて、PVで見たのと顔の印象が違うなって思ったのと、インタビューでよくエッチな発言もしていたので、少し気持ち悪い要素もありつつ(笑)岡村靖幸という人が段々とわかってきた感じでした。

おかしなことを言っても、基本的に真面目に答えていく岡村さんの姿はとても好印象でした。

 

HOUND DOGの大友康平さんがDJを務めるラジオに、ゲストとして来た時に、前日に(もしくは当日)親知らずを抜いたそうで、ラジオ越しにも声の調子で顔の腫れがわかるほどで、もごもごと、とても申し訳なさそうに話していたのがかわいらしかったです。

 

HOUND DOGとは
1980年「嵐の金曜日」でデビューした大友康平を中心とした日本のロックバンド。代表曲に「ff(フォルテシモ)」などがある。

 

著者は「Young oh!oh!」「Dog Days」でさらに虜に


▲岡村靖幸ファーストアルバム『yellow』(画像クリックで商品詳細へ)

 

ファーストアルバムに収録されていて、3枚目のシングルでもある「Young oh! oh!」(1987)、4枚目のシングル「Dog Days」(1987)はポップでキャッチーな曲で大好きでした。

 


 

私は、どんどんと岡村さんの魅力にとりつかれていきました。

5枚目のシングル「イケナイコトカイ」(1988)は名バラードで多くの音楽ファンの支持を得ました。

 

 

デビューしたての時はその言動から、少しキワモノ扱い?っぽくも無きにしも非ずでしたが、この「イケナイコトカイ」では、曲のクオリティの高さでさらにファン層を広げたと思います。

 

▼岡村靖幸デビュー当時の発表楽曲

曲名 発表年月日
Out of Blue 1986年12月1日
Check Out Love 1987年3月5日
Young oh! oh! 1987年5月21日
Dog Days 1987年7月22日
イケナイコトカイ 1988年2月1日

 

岡村さんを知ったきっかけが吉川晃司さん、と言いましたが、デビュー当時吉川さんと岡村さんは尾崎豊さんも含めて大親友となっていました。

3人それぞれから互いの話がよく出ていたので、そんな話からも岡村さんをより深く知ることができていました。

 

吉川さんは私にとって、音楽を好きになる原点でした。吉川さんが尾崎さんと親友になり、彼の話を良くしていたことから、私は尾崎さんも好きになりました。

なので、この3人の関係性というのは私にとって、とっても意味のある大きなものなのです。

次のページではこの3人の関係性について話していきます。3人の関係性を知る事でさらに岡村さんの事を深く知れることでしょう。

 

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【岡村靖幸のアルバムが多数聴ける。30日間無料体験有】

 

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著者:しあ

40代後半女性。音楽が大好きでJ-POP K-POP 洋楽 演歌歌謡曲とさまざまな音楽を聴いています。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。全部チケットの半券をとっているのでとても大切な想い出です。音楽はとても生活を豊かにしてくれるもの。私の好きなアーティストの魅力を知っていただければ、と思います。お問い合わせはこちらから

「歌手」岡村靖幸の活動② ~3度の逮捕、復帰から現在~

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歌手として強烈な個性を放ち、時には「気持ち悪い」とも称される「岡村靖幸」。デビュー前から岡村靖幸をリアルタイムで見てきた筆者が、その魅力を紐解きます。

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アルバム「禁じられた生きがい」リリース

 

▼岡村靖幸簡易年表

1986年12月1日 岡村靖幸歌手デビュー「Out of Blue」リリース
1988年9月 シングル「聖書(バイブル)」で世間から認知
1990年11月 アルバム「家庭教師」が問題作と話題に
1995年12月 アルバム「禁じられた生きがい」リリース
1996年5月 岡村靖幸プロデュースの川本真琴「愛の才能」リリース
2003・2005・2008年 3度の逮捕

「家庭教師」リリース後、岡村さんは次のアルバム「禁じられた生きがい」までに5年の月日を要します。

▼アルバム「家庭教師」(画像クリックで商品詳細へ)

 

当時「月刊カドカワ」という雑誌では、度々岡村さんの特集が組まれていました。

’92年10月号で「本人によるニューアルバム遅延経過報告」というものがあり、それを読めば制作に時間をかける意味も納得できました。

 

「楽曲がしっかり納得いくものにならない、宝石にまでなれてない時は保留する」

ということだったので、きっと何度も何度も試行錯誤してるんだろうなあ、と思いました。

 

岡村さんは

「家庭教師というアルバムを超えなくちゃいけないから大変なんですけど、でもがんばって超えたいと思っています。なぜ、音楽を創って発表しているかというと、自分が救われるためとかそういうことが大きい。レコーディングやライブをやっている時は救われているな、って感じるから」

と話していました。

 

そして完成させた「禁じられた生きがい」はどのメディアも岡村靖幸完全復活!と絶賛しました。

▼アルバム「禁じられた生きがい」

 

ただ、5年もの月日を要したのにもかかわらず、既発のシングル込みで新曲が多くなかったので、少し残念な部分はありました。

とても創作に苦悩していた事がうかがえます。

 

それでも「禁じられた生きがいは」岡村靖幸テイスト満載の素晴らしいアルバムで、1曲目のインストゥルメンタル「あばれ太鼓」から2曲目「青年14歳」の流れはカッコよすぎます。

 


 

 

その後、またリリース期間は空くのですが、1996年川本真琴さんのデビューシングル「愛の才能」の作曲、編曲、プロデュースを手掛けヒットします。

 

 

私は初めて聴いた時、岡村さんの作曲と知らなかったのですが、一瞬で岡村さんっぽいと思いました。

 

そしてすぐに岡村さん作曲、プロデュースと知り、やっぱり!!と納得しました。
岡村さんはこの曲をライブでセルフカバーしており、2018年のライブツアー「マキャベリン」でも披露されました。

 

 

2013年のライブBlu-ray、DVD「むこうみずでいじらしくて」でも岡村さんの歌う「愛の才能」が見られます。

 

 

覚醒剤事件で3度の逮捕

▼岡村靖幸簡易年表

1986年12月1日 岡村靖幸歌手デビュー「Out of Blue」リリース
1988年9月 シングル「聖書(バイブル)」で世間から認知
2003・2005・2008年 3度の逮捕
2011年 本格復帰

 

岡村さんを語るうえで絶対に避けては通れないこと・・・岡村さんは覚醒剤事件で3度逮捕されています。

2003年、2005年、2008年と逮捕されますが、1度目の逮捕は逮捕時に公表されておらず、2005年の逮捕時に2度めの逮捕だということが発覚し、多くのファン、音楽関係者に衝撃を与えました。

 

私は、岡村さんのこの事件にとても驚き、怒り、がっかりし、悲しみました。

なぜ、親友、尾崎豊と同じ過ちを犯してしまったのかと思いました。

 

尾崎豊とは
1983年、シングル「15の夜」で高校在学中にデビュー。当時の若者のカリスマ的存在。覚せい剤取締法違反の容疑で逮捕されたことがある。

 

2007年には1度復活し、ライブツアーも行いますが、11月、ツアー終盤大阪公演で左脚靱帯断裂をし、最終公演の名古屋公演を残し治療のため休養します。

そんな最中、2008年2月にまた覚せい剤所持で逮捕され、多くの人を心底がっかりさせます。

 

治療のため延期になった名古屋の振替公演を控えた中での逮捕でした。

 

名古屋公演は中止になり、新たな出発としてせっかく発足したファンクラブも解散となり、多くの人の気持ちを傷つけることなりました。

公判の様子を傍聴した人の詳しい話をその方のブログで見たのですが、事細かに岡村さんの様子が綴られていました。

岡村さんは

「ファン、音楽関係者、家族、さまざまな人々に迷惑をかけ裏切ったことについて心底反省していて、音楽を通して償っていきたい」

と語っていました。

覚醒剤の使用について「自分の心が弱かった」とも言ってたそうですが、そんなことは使用してもいいという理由にはなりません。

 

この事は岡村さんは、一生十字架を背負うべきだし、何を言われても仕方ないと思うのです。

 

ファンも、この事は決して忘れてはいけないことだと思います。

ただ、私は岡村さんのその弱さを責めきれない気持ちもあります。

どんなに犯罪を犯しても、家族や愛する人はその犯罪者を見捨てることはやはりできないだろうと思います。

私も、犯罪を犯したからと言って岡村さんを嫌いになれないし、彼が心から罪を悔い、反省し、復活を果たそうとするなら、その過程を見守っていきたいと思います。

 

2011年から本格復帰、そして現在

 

▼岡村靖幸簡易年表

1986年12月1日 岡村靖幸歌手デビュー「Out of Blue」リリース
1988年9月 シングル「聖書(バイブル)」で世間から認知
2003・2005・2008年 3度の逮捕
2011年 本格復帰
2016年 アルバム「幸福」リリース

 

2011年からは本格復帰し、現在までライブツアーやアルバムの発売、いろんなアーティストとも積極的にコラボもしています。

2016年に発売したオリジナルアルバム「幸福」を、私は岡村さんの最高傑作だと思っています。

▼アルバム「幸福」(画像クリックで商品詳細へ)

覚醒税を使用していたであろう期間は体型も太っていたり、声の調子も悪かったと思います。

このアルバムでは、岡村さん本来のパフォーマンスを取り戻し、相当な努力をしたと思われます。

 

 

何度も逮捕を繰り返しながら、なぜ岡村靖幸は愛されるのか。

やはり多くの人にとって、彼が唯一無二の存在であり、その魅力に魅せられているからだと私は思います。

 

そして、彼が心底反省していて、「自分が一番大切にしている音楽という仕事」と語るように音楽に対し、とても真摯に向き合っていることが伝わっているからだと思います。

 

岡村さんをよく知らない人たちからすれば、「甘い」と言われるのは仕方のない事ですが、やはり私は、岡村さん自身と岡村さんの音楽が大好きだし、これからも彼のパフォーマンスを見たいのです。

 

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ベートーヴェン「交響曲第7番」 初心者にもわかりやすく解説

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「クラシック音楽」と聞くとなんだか難しそうで敷居も高い。でもクラシック音楽を作っている作曲家だって人間です。面白いエピソードもたくさんあるんです。有名曲と作曲家を知りクラシック音楽を楽しみましょう!

「クラシック音楽初心者入門 ~有名曲・作曲家を学ぼう!~」はこちらから!

著者:めーぷる

国立大学医学部で大学生活を楽しみつつ、プログラマーとライターの仕事も手掛けています。幼少期からピアノとヴァイオリンを習っており、クラシック音楽、ジャズ、洋楽と幅広いジャンルの音楽に親しんでいます。趣味は幅広く、音楽の他にもバドミントン、スキー、スポーツ観戦、海外ドラマ、料理、カフェ巡りなど多岐にわたります。お問い合わせはこちらから

 

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<まずは聴いてみよう!>

クラシックの名曲を通じてクラシック音楽の魅力を学んでいきましょう!今回はベートーヴェン「交響曲第7番」です。こちらの曲はドラマ『のだめカンタービレ』でも使われていたので、聴いたことがある方も多いかと思います。

最初の15秒程聴けば「あっ!聴いたことあるかも!」と思うのでは?

交響曲第7番

 

 

さて、今回もオーケストラの曲についてご紹介していきましょう。

このページでは満を持してべート―ヴェンの登場です。音楽室の壁で怖い顔をした肖像画がかけられいるのを見覚えがる方もいらっしゃるのではないでしょうか。

肖像画からも感じられる通り、彼の人生というのは激動に満ちたものです。彼の人生についても触れつつ、「交響曲第7番」についてご紹介いたします。

 

また、漫画「のだめカンタービレ」には今回ご紹介する「交響曲第7番」が登場します。ドラマ版でも登場しました。

のだめカンタービレのファンの方であれば、もしかすると耳にしたことのあるメロディーであるかもしれません。

▼漫画「のだめカンタービレ」(画像クリックで商品詳細へ)

 

ベートーヴェン

▲ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン 1803年

 

ベートーヴェンはもともと宮廷音楽(宮廷で演奏される音楽)に携わる音楽一家のもとに生まれました。

ベートーヴェンの父も宮廷音楽のテノール(高い声域の男声歌手あるいはその声域のこと)を務めていました。

 

彼の父も息子の音楽家としての将来に大変期待をかけていたといいます。しかし、ベートーヴェンの父は酒におぼれるなど、私生活が荒れていました。

ベートーヴェンへの音楽教育も暴力まがいのものであったため、ベートーヴェンは幼少期に音楽が好きであるとは言えなかったそうです。

 

ベートーヴェンは16歳でウィーンへと赴き、憧れていたモーツァルトのもとを訪ねます。

しかし、せっかく憧れの存在と出会うことができたにもかかわらず、その直後にベートーヴェンの母が死没したという悲報が届きます。

急遽ベートーヴェンは故郷のボンへと戻らざるをえなくなってしまいました。

 

ウィーン
クラシック音楽が盛んなオーストラリアの首都。ベートーヴェン・シューベルト・モーツァルトなど多くの作曲家が活躍し「音楽の都」とも呼ばれる。

 

モーツァルト
モーツァルトは、幼い頃から音楽の才能を発揮し、3歳で鍵盤楽器を弾き、5歳の時作品の制作を始めたと言います。幼い子供の視点に立っているかのような穢れのないクリアーな楽曲を数多く生み出しました。

▼モーツァルト

 

さらに既に失職していた父と幼い弟たちの面倒も見なければならなくなったため、ベートーヴェンは様々な仕事をしてお金を稼ぐ必要性に迫られ、音楽活動に費やす時間というのも奪われてしまいました。

 

 

ベートーヴェンの転機と悲劇

 

そんなベートーヴェンにも転機が訪れます。

当時の大作曲家であるハイドンがたまたま旅の途中でベートーヴェンの暮らすボンを訪れたのです。

 

▼ハイドン(現在のドイツ国家のメロディーを作曲した)

 

ハイドンに会ったベートーヴェンはその実力を認められ、弟子入りを許されます。

これがきっかけとなり、ベートーヴェンはヴィルトゥオーゾ(名手)としての道を歩み始めます。

 

ヴィルトゥオーゾ(名手)とは
超一流の演奏家のこと。また、超一流の作曲家もこれに該当する。

 

ところが20代後半になると、またしてもベートーヴェンは悲劇に襲われることになってしまいます。

重度の難聴が発症してしまったのです。ベートーヴェンは音楽家として窮地に立たされることになってしまいました。

しかし、ベートーヴェンは諦めませんでした。難聴によりピアニストとしての活動は断念したものの、作曲家に専念して新たな道を歩み始めたのです。

 

難聴ではあったものの、ピアノに耳を当てることでわずかに音を感じることができたため、作曲することは可能だったようです。

40歳頃になると心身ともにあらゆる部分がむしばまれていき、作曲が困難になることも多々ありました。

それでも、彼の音楽への情熱が揺るぐことはなく、そうした多難の時期に残された作品の一つこそが「交響曲第7番」です。

 

 

「交響曲第7番」の構成と魅力

 

ベートーヴェンは生涯で9つの交響曲を残しているのですが、「交響曲第7番」は唯一タイトルを持たない曲として知られています。

 

「タイトルを持たない曲」とはどういうこと?
ベートーベンの交響曲第5番には「運命」というサブタイトルがついています。このようなサブタイトルがついていないということを意味します。

他のタイトルを持たない曲の例>ラフマニノフ「交響曲第2番」など。(第1章ピアノ編にて解説)

 

また、「交響曲第7番」は4つの楽章から構成されています。

 

交響曲第7番

<第1楽章>

▼前半

▼後半

<第2楽章>

<第3楽章>

<第4楽章>

 

ベートーヴェンはこの曲の作曲においてリズムを重視したといいます。

実際、各楽章に特異的なリズムが用いられています。

例えば、第一楽章は最初から最後までずっと同じリズムで進行し、その独特のリズムこそが、明るさと高揚感を実現しているということができるでしょう。

最初から最後までリズムが一貫している曲というのは極めて珍しいです。一般的なクラシックであればがリズムは変わるものなのです。

 

 

ベートーヴェンがリズムに着目して制作したこの曲は、ワーグナーも「舞踏の聖化」という独自の言葉で絶賛されていたことは有名。

 

ワーグナー
ドイツの作曲家。「楽劇」という劇と音楽を一体化させた新たなジャンルを産み出した人物。「舞踏の聖化」というのは理解しずらい表現ではありますが、要はリズムを絶賛しているというようなこと。

▼ワーグナー

 

また、ベートーヴェンの交響曲第7番は、第5番,6番で共に暗いテーマが続いていたのとは対照的で、9つあるベートーヴェンの交響曲の中でも明るくワクワクするような旋律が際立っています。

リズムで新たな挑戦を試みたことも述べた通りです。

 

▼参考:ベートーヴェンの交響曲第5番(第1楽章)

 

これらを考えると、多難の時期であったにも関わらず、ベートーヴェンの交響曲に対する姿勢、延いては音楽のとらえ方に何らかの変化があったのだと感じられるでしょう。

したがって、他の交響曲と聞き比べてみると、違いが感じられて興味深いと思います。

 

さて、今回はベートーヴェンの交響曲第7番についてご紹介いたしましたがいかがでしたでしょうか。

ベートーヴェンが強調したリズム感とはどのようなものなのかを感じながら楽しんでください。

 

 

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目次著者

著者:めーぷる

国立大学医学部で大学生活を楽しみつつ、プログラマーとライターの仕事も手掛けています。幼少期からピアノとヴァイオリンを習っており、クラシック音楽、ジャズ、洋楽と幅広いジャンルの音楽に親しんでいます。趣味は幅広く、音楽の他にもバドミントン、スキー、スポーツ観戦、海外ドラマ、料理、カフェ巡りなど多岐にわたります。お問い合わせはこちらから

「歌手」岡村靖幸の活動① ~デビューから「家庭教師」~

Webon紹介目次著者
歌手として強烈な個性を放ち、時には「気持ち悪い」とも称される「岡村靖幸」。デビュー前から岡村靖幸をリアルタイムで見てきた筆者が、その魅力を紐解きます。

『岡村靖幸』入門 ~超個性的シンガーの魅力に迫る~ はこちらから

著者:しあ

40代後半女性。音楽が大好きでJ-POP K-POP 洋楽 演歌歌謡曲とさまざまな音楽を聴いています。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。全部チケットの半券をとっているのでとても大切な想い出です。音楽はとても生活を豊かにしてくれるもの。私の好きなアーティストの魅力を知っていただければ、と思います。お問い合わせはこちらから

 

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「Out of Blue」で歌手デビュー

 

▼岡村靖幸簡易年表

1984年(19歳) 岡村靖幸作曲家になる
1986年1月1日 吉川晃司「キャンドルの瞳」リリース
1986年7月2日 渡辺美里「Lovin’you」リリース
1986年12月1日 岡村靖幸歌手デビュー「Out of Blue」リリース
1988年9月 「聖書(バイブル)」リリース

 

 

岡村さんは、年12月1日シングル「Out of Blue」でシンガーとしてデビューします。

吉川晃司さんや渡辺美里さんへの曲提供で、高い実績を上げていた岡村さん。

 

シンガーとしてのデビューのきっかけは、渡辺美里さんのレコーディングにコーラスとして参加していて、空き時間にダンスを踊っていたところをプロデューサーに見初められたそうです。

岡村さんのダンスはとても個性的で、魅力的です。

プロデューサーの目にダンスが「輝いてる」と映っても不思議ではありませんが、もちろんそのダンスだけが認められたわけではなく、やはりソングライティング(曲作り)の高さや、ボーカルなどを含めて、だとは思いますが。

 

渡辺美里
歌手。1996年に発売された小室哲哉作曲の『My Revolution』シングル44.5万枚を記録し、自身を代表する曲になっている。

岡村靖幸は渡辺美里に多くの楽曲を提供している。詳しくは前のページで。

 

デビュー年1986年の音楽業界の状況

 

岡村さんのデビューした1986年はとても音楽業界が賑わっていた時で、次々と時代のニューウエーブが起こっているような感じでした。

私自身、1986年は高校2年生で、このとても多感な青春時代を’80年代の音楽、空気と共に過ごせたことは今の自分につながる財産だと思っています。

 

<参考>1986年(昭和61年)のオリコンCDシングル年間売上TOP10
1位 石井明美「CHA-CHA-CHA」 2位 中森明菜「DESIRE -情熱-」 3位 少年隊「仮面舞踏会」 4位 KUWATA BAND「BAN BAN BAN」 5位 渡辺美里「My Revolution」

6位 小林明子「恋におちて -Fall in love-」 7位 中森明菜「ジプシー・クイーン」 8位 KUWATA BAND「スキップ・ビート (SKIPPED BEAT)」 9位 チェッカーズ「OH!! POPSTAR」 10位 河合その子「青いスタスィオン」


 

作曲家として認知されていた岡村さんは、美里さんと同じレコード会社「EPICソニー」からデビューします。

 

当時のEPICソニーの勢いは群を抜いていて、とても魅力的なアーティストがたくさん所属していました。

美里さんの他、佐野元春さん、大江千里さん、大澤誉志幸さん、TM NETWORK 、BARBEE BOYSなどなど数え上げればきりがありません。

同じ系列のCBSソニーには尾崎豊さん、HOUND DOG、REBECCA、岡村さんと同期の久保田利伸さん、聖飢魔Ⅱなどがおり、ソニー系の勢いはとてもすごかったです。

また、EPICソニーからは岡村さんの同期で松岡英明さん、安藤秀樹さんがおり、松岡さんと岡村さんは、特に人気が高かったです。

 

松岡英明
『松BOW』の愛称で親しまれる。代表曲に「以心伝心」「Kiss Kiss」などがある。

 

岡村靖幸の強烈な個性

 

岡村さんのその強烈な個性は、今までに出逢ったことのないようなキャラクターだったので魅力的な反面、気持ち悪くもありました(笑)

今の時代では、あまり気にならないかもしれませんが、当時の中高生の女の子には「僕は君とSEXがしたいんだ」という発言や、性的な歌詞はちょっと刺激がありすぎました。

雑誌のインタビューでもよくエッチな発言をしていましたし(笑)

 

でも、その反面、とても純粋でロマンティストなんだろうな、とも感じていました。

どんなにエッチな発言をしてもいやらしくなく、実は女の子に声もかけられない、という内気な一面を見せていたり、言葉の端々に誠実さを醸し出していました。

だからどんなにエッチなことを言っても、なんだかかわいらしく思えていたのです。

 

世間に岡村靖幸が認知されたきっかけ

 

▼岡村靖幸簡易年表

1984年(19歳) 岡村靖幸作曲家になる
1986年12月1日 岡村靖幸歌手デビュー「Out of Blue」リリース
1988年9月 「聖書(バイブル)」リリース
1988年11月 「だいすき」リリース
1990年11月 アルバム「家庭教師」リリース

 

岡村さんの魅力はその独特の歌詞、言葉のチョイス、メロディセンス、個性的なボーカル、ライブパフォーマンス。

 

世間的に認知されたのは「聖書(バイブル)」(1988)「だいすき」(1988)になるかと思います。

 

 

「聖書」では

「好きな女の子(10代)が35歳の中年と恋してる、なんで?僕のほうがいいじゃん、同級生だしバスケット部だし、背が179cm!」

と訴えるこの曲は衝撃を巻き起こしました。

歌詞全体を通してみると、とてもピュアな想いが綴られていて、タイトルに「聖書(バイブル)」とつけたそのセンスが素晴らしいと思います。

ダンサブルなサウンドに岡村さんの圧倒的な個性のあるボーカル、そしてあのくねくね、そしてキレのある独特のダンスは、とてもとても魅力的でした。

 

 

「だいすき」でも、とてもストレートに、彼女をだいすきな気持ちが綴られています。かわいらしい詩にキャッチーなメロディで、車のCMに使われたこともあり、岡村さん最大のヒットとなるかと思います。

 

 

岡村靖幸の人間性

 

岡村さんの歌はエッチな歌詞、意味不明な歌詞、などもありますが、根底にはとても純粋な男の子の気持ちがあって、そんなところに心をくすぐられたりします。

実際、岡村さんはインタビューなどでも、絶対に自分からは告白できない、女の子と話せない、声もかけられない、と言っていて、常にモテたいモテたいが口ぐせでした(笑)

きっとエッチなことを言うのも、自分の純粋さの裏返し、実行できないからこそ口に出してしまう、妄想で頭でっかちになっている思春期の純情な男の子という感じで、なんだかとてもかわいらしかったのです。

岡村さんはライブパフォーマンスは強烈なインパクトですが、普段はとてもおとなしく、誠実な人だと私自身はずっと感じていたので、そこのギャップもとても魅力に感じていました。

 

衝撃の問題作&最高傑作「家庭教師」

 

▼岡村靖幸簡易年表

1986年12月1日 岡村靖幸歌手デビュー「Out of Blue」リリース
1988年9月 「聖書(バイブル)」リリース
1990年11月 アルバム「家庭教師」リリース
1995年12月 アルバム「禁じられた生きがい」リリース

 

「yellow」「DATE」「靖幸」とアルバムをリリースし、4枚目のアルバム「家庭教師」を発表します。

衝撃の問題作、最高傑作などど言われたこのアルバムは、いい意味でも悪い意味でも音楽界を震撼させました。

 

1曲目の「どぉなっちゃってんだよ」から強烈なインパクトで引き込まれます。

 

 

どの曲も確かに名曲ぞろい。

しかし、聴くのを挫折してしまうのが、4曲目の「家庭教師」!

 

 

まずあの長い語り、喘ぎ声が衝撃的で人前で聴けません(笑)

まだボーカル部分はいいのですが、あのはぁはぁ言いながら延々と続く一人語り。

好き嫌い、はっきりと分かれてしまうかも。

 

まさに、岡村靖幸どぉなっちゃってんだよ、と感じたアルバムでした。

しかし、中毒のように何度も何度も聴いてしまうアルバムなのです。

当時から、天才天才と騒がれていた岡村さんですが、今、改めてその才能に魅せられてしまうのです。

 

 

この「家庭教師」をリリース後、次のアルバム「禁じられた生きがい」を発表するまでに5年を要してしまいます。

岡村さんは休養宣言こそないものの、制作活動に没頭し、あまり表舞台には出てこなくなっていったのです。

 

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著者:しあ

40代後半女性。音楽が大好きでJ-POP K-POP 洋楽 演歌歌謡曲とさまざまな音楽を聴いています。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。全部チケットの半券をとっているのでとても大切な想い出です。音楽はとても生活を豊かにしてくれるもの。私の好きなアーティストの魅力を知っていただければ、と思います。お問い合わせはこちらから

「作曲家」岡村靖幸の活動② ~渡辺美里への提供曲~

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渡辺美里への楽曲提供

▼岡村靖幸簡易年表

1984年(19歳) 岡村靖幸作曲家になる
1986年1月1日 吉川晃司「キャンドルの瞳」リリース
1986年7月2日 渡辺美里「Lovin’you」リリース
1986年12月 岡村靖幸歌手デビュー

 

▲渡辺美里氏

 

吉川晃司さんへの提供曲は「奪われたWink 」(1986)の一曲だけですが、岡村さんの提供曲と言えば、何よりも渡辺美里さんだと思います。

1980年代から90年代にかけて、渡辺美里さんだけで23曲提供しています。

渡辺美里さん2枚目のオリジナルアルバムで2枚組の「Lovin’ you」(1986)においては、20曲中8曲の作曲をしています。(このページの文末に提供曲一覧を記載しています)

 

 

この渡辺美里さんの「Lovin’ you」は岡村さんはまだ歌手としてのデビュー前でしたが、当時とても勢いに乗っていた小室哲哉氏、大江千里氏などを作家として起用していて、とてもクオリティの高いアルバムです。

とにかく名曲ぞろいなので、美里さんファンでなくても岡村さんファンならぜひとも聴いてほしいアルバムです。

 

 

大江千里とは

1993年に「ワラビーをぬぎすてて」でデビュー。「十人十色」「格好悪いふられ方」がヒットする。

 

美里さんへの提供曲の印象

 

美里さんへの提供曲は、いわゆる岡村靖幸感を感じないものもあります。

それは、やはり美里さんのイメージに合ったものを、と求められていたからなのかな、と思います。

岡村さんは、作曲家という仕事に対して

「自分のエゴを出す仕事ではない。このアーティストのイメージに合ったこんな曲を創ってほしい、というニーズに応えて創るもの。」

と語っていました。

 

シンガー岡村靖幸として認知されてからは、岡村さんっぽい曲を創ってくださいとオファーされることが多かったのではないかと思いますが、まだデビュー前の岡村さんは「美里さんにぴったりの曲を」と思い創っていたのでしょう。

しかし、そのどれもが名曲ぞろいで、改めて岡村さんのソングライティングの高さを知ることができるのです。

 

岡村さんは

「ソロの自分の曲を創る際は、いかに自分を出すかが大事」

と言っています。

自分の曲と提供曲とでソングライティングを使い分けていて、高いクオリティを保っているのは、もしかすると商業作曲家としても成功出来ていたのでは、と思ってしまいます。

 

下記では、美里さんへの提供曲で、私の好きなベスト3をご紹介します。

 

著者の好きな「岡村靖幸」の渡辺美里への提供曲ベスト3

1 虹をみたかい

 

岡村靖幸テイスト満載の曲です。

美里さんの歌詞に岡村さんのメロディがバッチリとハマっていて、さらに美里さんのパンチのあるボーカルがこの曲を更に際立たせています。

美里さんへの初期の提供曲はあまり岡村節を感じさせませんが、これは作、編曲、コーラスと関わっており、とてもパワフル、ソウルフルでファンキー!

めちゃめちゃカッコいい曲になっています。

 

脳内で岡村さんが歌っているのを想像してみると、何だかクセが強い感じがして・・・やはり美里さんへ提供した美里さんボーカルだからこそ、より輝く曲なのかな、と思います。

でも、岡村さんバージョンも聴いてみたいなあ~~ライブで聴いたらすっごくカッコいいと思うのです。

▼「虹をみたかい」Amazon Music Unlimitedで聞き放題

 

2 跳べ模型ヒコーキ

 

シンプルだけど、心にとても響くせつないメロディ。

美里さんの作詩で、最初の「路面電車の~」の歌詞とメロディに一気に心を掴まれます。

この曲が収録されているアルバム「Flower bed」が大好きで、その中でもこの曲が一番好きでした。

夏に発売されたアルバムで、歌詞にも「夏のにおいが~」とあり、今でも夏が来るとこの曲が無性に聴きたくなります。

岡村さんが創り出す美しいメロディラインに、とても魅了される曲です。

▼アルバム『Flower bed』Amazon Music Unlimitedで全曲聞き放題

 

3 Lovin’ you

 

美里さんの曲の中でも大人気の、名バラードだと思います。

美里さんバージョンを聴くとあまり岡村さんぽさを感じないのだけど、岡村さんが歌っているのを聴くと(岡村さんバージョンのCDはありません)不思議・・・とてもとても岡村さんぽいのです。

Bメロ、サビのところはうわ~岡村ちゃんだな~と思います。

 

ちなみに、岡村さんバージョンの「Lovin’you」は1988年のテレビ番組で披露されていたようです。

▼アルバム『Lovin’you』Amazon Music Unlimitedで全曲聞き放題

 

作曲家岡村靖幸も高評価

 

小中学校と田原俊彦さん、近藤真彦さん、松田聖子さん、中森明菜さんなど、アイドルが好きだった私も、前ページで書いたように、吉川晃司さんとの出逢いによって音楽への興味がとても湧いてくるようになりました。

 

中学3年生ぐらいからは、いろいろな音楽を聴くようになりました。

今でこそ、クラス中みんなが音楽を聴いたり、ライブに行ったりが当たり前だと思いますが、この時代はまだそんな感じではなく、はっきりと音楽ファンとそうでない子の違いがありました。

私を含め、音楽ファンの子たちの間では美里さんは大人気で、アルバムをみんな聴いていました。

 

その中で、岡村靖幸の創った曲いいよね、という話に当然なっていました。

また、当時私たち音楽ファンの愛読書「PATi PATi (パチパチ)」には若い世代のアーティストがたくさん載っており、大人気の雑誌でした。

美里さんも毎月載っており、アルバム制作秘話などが聞けました。

そこで、美里さんからまだデビュー前の岡村さんの話なども少しだけ聞けたりして、だんだんと岡村靖幸の輪郭が見えてきた感じです。

▼「PATi PATi (パチパチ)」2012年5月号

 

渡辺美里への提供曲一覧

 

文中に紹介している曲や、下記で紹介しているアルバムの曲は全てAmazon Music Unlimitedで聴くことができます。

 

アルバム『eyes』

▼画像クリックで商品詳細へ

・GROWIN’ UP(1985年 作曲、コーラス)
・すべて君のため(1985年 作曲)
・Lazy Crazy Blueberry Pie(1985年 作曲、編曲、コーラス)
・Bye Bye Yesterday(1985年 作曲)

 

アルバム『Lovin’you』

▼画像クリックで商品詳細へ


<ディスク1>

・Long Night(1986年 作曲)
・素敵になりたい(1986年 作曲、コーラス)
・19才の秘かな欲望(1986年 作曲)
・Resistance(1986年 作曲

<ディスク2>

・悲しき願い (Here&There) (1986年 作曲)
・みつめていたい (Restin’InYourRoom) (1986年 作曲)
・A Happy Ending(1986年 作曲)
・Lovin’ You(1986年 作曲)

 

シングル『BELIEVE / Half Moon』

▼画像クリックで商品詳細へ

・Half Moon(1986年 作曲、編曲、コーラス)

 

アルバム『ribbon』

▼画像クリックで商品詳細へ

・シャララ(1988年 作曲)
・19才の秘かな欲望 (The Lover Soul Version) (1988年 作曲)

 

アルバム『Flower bed』

▼画像クリックで商品詳細へ

・跳べ模型ヒコーキ(1989年 作曲)
・冷たいミルク(1989年 作曲)

 

シングル『虹をみたかい』

▼画像クリックで商品詳細へ

・虹をみたかい(1989年 作曲、編曲)
・虹をみたかい (Honey-bee Version) (1990年 作曲、編曲、コーラス)←こちらの曲を聴きたい場合は、下記リンクより。

 

 

アルバム『tokyo』

▼画像クリックで商品詳細へ

・虹をみたかい (tokyo mix) (1990年 作曲、編曲、コーラス)

 

アルバム『Lucky』

▼画像クリックで商品詳細へ

・はだかの気持(1991年 作曲、編曲、コーラス)

 

シングル『泣いちゃいそうだよ』

▼画像クリックで商品詳細へ

・泣いちゃいそうだよ(1992年 作曲)

 

アルバム『BIG WAVE』

▼画像クリックで商品詳細へ

・ジャングルチャイルド(1993年 作曲、コーラス)
・BIG WAVEやってきた(1993年 作曲)
・若きモンスターの逆襲(1993年 作曲、コーラス)
・さえない20代(1993年 作曲)

 

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「作曲家」岡村靖幸の活動① ~吉川晃司への楽曲提供~

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歌手として強烈な個性を放ち、時には「気持ち悪い」とも称される「岡村靖幸」。デビュー前から岡村靖幸をリアルタイムで見てきた筆者が、その魅力を紐解きます。

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作曲家デビューの経緯

▼岡村靖幸簡易年表

1984年(19歳) 岡村靖幸作曲家になる
1986年1月1日 吉川晃司「キャンドルの瞳」リリース
1986年12月 岡村靖幸歌手デビュー

 

 

岡村さんは1965年8月14日神戸市で生まれました。

外資系航空会社に勤める父親の仕事の関係で、小さいころから各地を転々としていたそうです。新潟県立新潟東高等学校在学中から、本格的に音楽活動を始めます。

そこからシンガーとしてデビューに至るまでに、まず作曲家としてデビューしました。

 

岡村さん曰く

「当時は今と違ってデビューへの架け橋があまりなく、コンテストもヤマハポプコン、イーストウエストぐらいでした。レコード会社に自らデモテープを送る、というのもよく行われていました。」

 

音楽雑誌にはよく音楽ディレクターの名前と電話番号が書かれているとともに、そこに応募してほしい旨が記載してありました。

当時岡村さんは、それを見て電話をしたそうです。

 

すると電話の相手が「デモテープを送るのではなく、いついつ何時に来てくれ」と言ってきたので、EPICソニー(後の岡村さんの最初の所属レコード会社)に行きます。

担当の方がその場で聴いて岡村さんは感想を言ってもらい、その後何度かやり取りをするうちにプロの仕事をするようになったそうです。

 

このようにして岡村さんは作曲家としてデビューすることになったわけです。

 

ただ岡村さんとしてはそこを目指していたわけではなく、あくまでプロのシンガーを目指していました。

つまりシンガーを目指す上で、作曲やアレンジなど作曲家として活動をまずはじめ、そこからシンガーとしてのデビューを果たした、ということです。

 

1980年代の音楽業界

▲1980年代前半に流行した「竹の子族」

 

岡村さんが作曲家になる前後の1980年代は歌謡曲も、ロック、ポップス音楽も混在していました。

岡村さんは

「作詞家、作曲家、アレンジャーの仕事がたくさんあったので、このタイミング(作曲家になった1984年ごろ)で僕が音楽業界に入れたのはラッキーだった」

と言っています。

 

まず、音楽出版社と作曲家としての専属契約を結び、そこからレコード会社のつながりなどで、いろんな人に曲を書くようになったそうです。

高校は中退するのですが、10代の若い青年が作曲家としてすぐに採用された事は言わずもがな。さらにその後シンガーとしてデビューでき、順調に進んだのは岡村さんにとてもとても魅力があったからだと私は思います。

 

吉川晃司への楽曲提供

 

私が初めて岡村さんの名前を目にしたのは、吉川晃司さんの1986年1月1日リリース7枚目のシングル「キャンドルの瞳」のB面「奪われたWink」です。(当時はレコードなのでA面B面でした。)

 

▼岡村靖幸簡易年表

1984年(19歳) 岡村靖幸作曲家になる
1986年1月1日 吉川晃司「キャンドルの瞳」リリース
1986年12月 岡村靖幸歌手デビュー

 

『キャンドルの瞳 [EPレコード 7inch]』吉川晃司(画像クリックで商品詳細へ)



作詩 松本一起 作曲 岡村靖幸 編曲 後藤次利

 

吉川さんは、田原俊彦さん、近藤真彦さんなどに代表される往年のアイドルとは違う、新たなアイドルとしてチェッカーズと共に時代を席巻しました。

 

チェッカーズとは
1983年「ギザギザハートの子守唄」でデビュー。2枚目のシングル「涙のリクエスト」が大ヒットする。最大のヒット曲は「ジュリアに傷心」。社会現象を起こす程のアイドル的人気を博す。全身チェックの衣装は、ファッションにも大きな影響を与える。


 

私も吉川さんの大ファンで、アイドルとしてではなく、アーティストとして意識していました。吉川さんは私とその後の音楽とのつながりを導いてくれた人です。

 

吉川さんが歌う岡村さんの作曲B面シングル「奪われたWink」を初めて聴いた時は

「なんてかっこいいんだろう~!!」

と思いました。

 

当時はシングルレコードにA面、B面と2曲しか入っていなかったので、その2曲のクオリティーはとても高かったように思います。

しかし、やはり「シングルA面の曲!」というインパクトは絶大なので、岡村さんはB面での収録に少々不満げだった様子。

 

私は、もちろんA面の「キャンドルの瞳」も好きでしたが、「奪われたWink」の方がより好きでした。

吉川さんの中毒性のある歌い方に、不安定な癖のあるメロディがとてもマッチしていました。

 

吉川さんはアイドルとしてのデビューの仕方でしたが、その楽曲の良さはアイドルとしての枠に収まらず、とても評価の高いものでした。

そんな吉川さんの楽曲の中でも「奪われたWink」は最初の歪んだギターからインパクトがあり、中毒性のあるメロディが病みつきになる曲でした。

 

今もレコードを大事に持っていますが、この曲はレコード、CD音源ともに入手困難なものとなっています。

私と吉川さん、岡村さんをつないでくれた、とても縁深い曲なのです。

 

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はじめに ~人々が岡村靖幸に魅了される理由~

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「岡村靖幸」基本情報

 

名前 岡村靖幸(おかむら やすゆき)
生年月日 1965年8月14日
出身地 兵庫県神戸市
デビュー年/曲 1986年「Out of Blue」

▼岡村靖幸氏の曲

気持ち悪い=かっこいい!?岡村靖幸の魅力

 

岡村靖幸というアーティストは唯一無二の存在だと思います。

彼のようなアーティストは良くも悪くも他にいないのではないでしょうか。

岡村さんは、一般的にはそれほど認知されていないかもしれませんが、音楽ファンの間では、好きか嫌いかのどちらかに分かれることが多いと思います。

好きな人は熱狂的に好きだし、嫌いな人は拒否反応を起こすほど嫌い、という声もあります。

 

でも、その気持ちもよくわかるのです。

岡村さんはとても魅力的なアーティストだと思いますが、その反面少し気持ち悪くもあります。

しかし、その気持ち悪いというのは岡村さんににとっては、最大のほめ言葉だと思うのです。

実際、ファンも「岡村ちゃん気持ち悪い~(笑)」と嬉々として語っていたり・・・。

 

気持ち悪い=カッコいい、なんです。

 

カッコいいと気持ち悪いはまさに紙一重。

岡村さんは決して狙っているわけではなく、そこのバランスが天才的に優れていると思います。

持って生まれたものなのでしょうか。

 

<30秒のプレビューを聴いてみると岡村靖幸の「カッコいいと気持ち悪いの紙一重」の雰囲気が掴めるかと思います>

 

筆者と「岡村靖幸」との出会い

 

岡村さんを知ったのは、私が高校生の時です。

岡村さんがデビューする前から、吉川晃司さん、渡辺美里さんという大物アーティストへ曲を提供していたので、その存在を知っていました。

デビューの際も雑誌などで騒がれていて大注目でした。

岡村さんの当時の所属レコード会社、EPICソニーは、地方のレコード店を通じて、PVの上映会などをしていたので、デビュー曲の「Out of Blue」も一早く知っていて、その楽曲にとても魅了されていました。

 

 

あまり顔がよく見えない作りのPVでしたが、それがまた岡村さんの怪しい感じを助長していて、気持ち悪いようなカッコいいような不思議な感じでした。

 

岡村靖幸入門で伝えたいこと

 

それ以降、岡村さんにはとても魅了され続けています。

リリースがない期間や、薬物事件の時も、ずっと見続けてきました。

今の岡村さんは、キャリアの中で一番充実してるんじゃないかな、と思えるぐらい、なんだか余裕も感じられて、とても素敵だと思っています。

 

岡村さんの独特の歌詞、天才的なメロディ、アレンジ、癖のある声、歌い方、その何とも言えないパフォーマンスはとても魅力的であると共に、一見少し癖があり気持ち悪いと思うかも。

でも、その先にあるカッコよさに多くの人は魅了されていくのだと思います。
なんだかわからないけど、気になる、引き込まれていってしまう。

そんな岡村靖幸の魅力についてご紹介したいと思います。

 

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目次著者

著者:しあ

40代後半女性。音楽が大好きでJ-POP K-POP 洋楽 演歌歌謡曲とさまざまな音楽を聴いています。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。全部チケットの半券をとっているのでとても大切な想い出です。音楽はとても生活を豊かにしてくれるもの。私の好きなアーティストの魅力を知っていただければ、と思います。お問い合わせはこちらから

『岡村靖幸』入門 ~超個性的シンガーの魅力に迫る~

はじめに

「岡村靖幸」は、DAOKO、小出祐介などと若手アーティストとのコラボで再び注目を集めていますが、「あのスーツのおじさんは誰?」と思っている方も多いかと思います。
数百本以上の音楽ライブを鑑賞し、デビュー前から岡村靖幸をリアルタイムで見てきた筆者が「岡村靖幸」の魅力をお伝えします。

はじめに ~人々が岡村靖幸に魅了される理由~

第1章 基礎知識

岡村靖幸は作曲家としてデビューし、有名アーティストを多く手掛けます。ダンスが注目され歌手デビュー、衝撃の問題作「家庭教師」をリリース、3度の逮捕・・・。波乱万丈の「岡村靖幸」の音楽家人生についてお伝えします!

吉川晃司への楽曲提供
渡辺美里への提供曲
歌手デビューから「家庭教師」
三度の逮捕、復帰から現在

第2章 深く知る

ここでは「岡村靖幸」という人物をあらゆる角度から紐といていきます。当時のPV上映会の様子や、吉川晃司と尾崎豊との友情、EPICソニーというレコード会社に入ったことで伝わった岡村靖幸の魅力など、お伝えします。

デビュー当時
吉川晃司・尾崎豊との関係性
伝説のライブ『BEAT CHILD』
EPICソニーのPV創り

第3章 パフォーマンス

岡村靖幸は若いミュージシャンとのコラボもあって、幅広い年代にその魅力を伝えいてます。岡村靖幸の楽曲、ダンス、その魅力を知っていただきたいです。

コラボ楽曲
おすすめの名曲
岡村靖幸復帰後の活動

おわりに

最後に筆者が参加した岡村靖幸のライブ「マキャベリンツアー」の様子をお伝えします。

岡村靖幸のライブ ~大分初開催「マキャベリンツアー」~

 

著者 しあ

40代後半女性。音楽が大好きでさまざまな音楽を聴いています。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。私の好きなアーティストの魅力を知っていただければ、と思います。お問い合わせはこちらから