「歌手」岡村靖幸の活動① ~デビューから「家庭教師」~

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歌手として強烈な個性を放ち、時には「気持ち悪い」とも称される「岡村靖幸」。デビュー前から岡村靖幸をリアルタイムで見てきた筆者が、その魅力を紐解きます。

『岡村靖幸』入門 ~超個性的シンガーの魅力に迫る~ はこちらから

著者:しあ

40代後半女性。音楽が大好きでJ-POP K-POP 洋楽 演歌歌謡曲とさまざまな音楽を聴いています。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。全部チケットの半券をとっているのでとても大切な想い出です。音楽はとても生活を豊かにしてくれるもの。私の好きなアーティストの魅力を知っていただければ、と思います。お問い合わせはこちらから

 

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「Out of Blue」で歌手デビュー

 

▼岡村靖幸簡易年表

1984年(19歳) 岡村靖幸作曲家になる
1986年1月1日 吉川晃司「キャンドルの瞳」リリース
1986年7月2日 渡辺美里「Lovin’you」リリース
1986年12月1日 岡村靖幸歌手デビュー「Out of Blue」リリース
1988年9月 「聖書(バイブル)」リリース

 

 

岡村さんは、年12月1日シングル「Out of Blue」でシンガーとしてデビューします。

吉川晃司さんや渡辺美里さんへの曲提供で、高い実績を上げていた岡村さん。

 

シンガーとしてのデビューのきっかけは、渡辺美里さんのレコーディングにコーラスとして参加していて、空き時間にダンスを踊っていたところをプロデューサーに見初められたそうです。

岡村さんのダンスはとても個性的で、魅力的です。

プロデューサーの目にダンスが「輝いてる」と映っても不思議ではありませんが、もちろんそのダンスだけが認められたわけではなく、やはりソングライティング(曲作り)の高さや、ボーカルなどを含めて、だとは思いますが。

 

渡辺美里
歌手。1996年に発売された小室哲哉作曲の『My Revolution』シングル44.5万枚を記録し、自身を代表する曲になっている。

岡村靖幸は渡辺美里に多くの楽曲を提供している。詳しくは前のページで。

 

デビュー年1986年の音楽業界の状況

 

岡村さんのデビューした1986年はとても音楽業界が賑わっていた時で、次々と時代のニューウエーブが起こっているような感じでした。

私自身、1986年は高校2年生で、このとても多感な青春時代を’80年代の音楽、空気と共に過ごせたことは今の自分につながる財産だと思っています。

 

<参考>1986年(昭和61年)のオリコンCDシングル年間売上TOP10
1位 石井明美「CHA-CHA-CHA」 2位 中森明菜「DESIRE -情熱-」 3位 少年隊「仮面舞踏会」 4位 KUWATA BAND「BAN BAN BAN」 5位 渡辺美里「My Revolution」

6位 小林明子「恋におちて -Fall in love-」 7位 中森明菜「ジプシー・クイーン」 8位 KUWATA BAND「スキップ・ビート (SKIPPED BEAT)」 9位 チェッカーズ「OH!! POPSTAR」 10位 河合その子「青いスタスィオン」


 

作曲家として認知されていた岡村さんは、美里さんと同じレコード会社「EPICソニー」からデビューします。

 

当時のEPICソニーの勢いは群を抜いていて、とても魅力的なアーティストがたくさん所属していました。

美里さんの他、佐野元春さん、大江千里さん、大澤誉志幸さん、TM NETWORK 、BARBEE BOYSなどなど数え上げればきりがありません。

同じ系列のCBSソニーには尾崎豊さん、HOUND DOG、REBECCA、岡村さんと同期の久保田利伸さん、聖飢魔Ⅱなどがおり、ソニー系の勢いはとてもすごかったです。

また、EPICソニーからは岡村さんの同期で松岡英明さん、安藤秀樹さんがおり、松岡さんと岡村さんは、特に人気が高かったです。

 

松岡英明
『松BOW』の愛称で親しまれる。代表曲に「以心伝心」「Kiss Kiss」などがある。

 

岡村靖幸の強烈な個性

 

岡村さんのその強烈な個性は、今までに出逢ったことのないようなキャラクターだったので魅力的な反面、気持ち悪くもありました(笑)

今の時代では、あまり気にならないかもしれませんが、当時の中高生の女の子には「僕は君とSEXがしたいんだ」という発言や、性的な歌詞はちょっと刺激がありすぎました。

雑誌のインタビューでもよくエッチな発言をしていましたし(笑)

 

でも、その反面、とても純粋でロマンティストなんだろうな、とも感じていました。

どんなにエッチな発言をしてもいやらしくなく、実は女の子に声もかけられない、という内気な一面を見せていたり、言葉の端々に誠実さを醸し出していました。

だからどんなにエッチなことを言っても、なんだかかわいらしく思えていたのです。

 

世間に岡村靖幸が認知されたきっかけ

 

▼岡村靖幸簡易年表

1984年(19歳) 岡村靖幸作曲家になる
1986年12月1日 岡村靖幸歌手デビュー「Out of Blue」リリース
1988年9月 「聖書(バイブル)」リリース
1988年11月 「だいすき」リリース
1990年11月 アルバム「家庭教師」リリース

 

岡村さんの魅力はその独特の歌詞、言葉のチョイス、メロディセンス、個性的なボーカル、ライブパフォーマンス。

 

世間的に認知されたのは「聖書(バイブル)」(1988)「だいすき」(1988)になるかと思います。

 

 

「聖書」では

「好きな女の子(10代)が35歳の中年と恋してる、なんで?僕のほうがいいじゃん、同級生だしバスケット部だし、背が179cm!」

と訴えるこの曲は衝撃を巻き起こしました。

歌詞全体を通してみると、とてもピュアな想いが綴られていて、タイトルに「聖書(バイブル)」とつけたそのセンスが素晴らしいと思います。

ダンサブルなサウンドに岡村さんの圧倒的な個性のあるボーカル、そしてあのくねくね、そしてキレのある独特のダンスは、とてもとても魅力的でした。

 

 

「だいすき」でも、とてもストレートに、彼女をだいすきな気持ちが綴られています。かわいらしい詩にキャッチーなメロディで、車のCMに使われたこともあり、岡村さん最大のヒットとなるかと思います。

 

 

岡村靖幸の人間性

 

岡村さんの歌はエッチな歌詞、意味不明な歌詞、などもありますが、根底にはとても純粋な男の子の気持ちがあって、そんなところに心をくすぐられたりします。

実際、岡村さんはインタビューなどでも、絶対に自分からは告白できない、女の子と話せない、声もかけられない、と言っていて、常にモテたいモテたいが口ぐせでした(笑)

きっとエッチなことを言うのも、自分の純粋さの裏返し、実行できないからこそ口に出してしまう、妄想で頭でっかちになっている思春期の純情な男の子という感じで、なんだかとてもかわいらしかったのです。

岡村さんはライブパフォーマンスは強烈なインパクトですが、普段はとてもおとなしく、誠実な人だと私自身はずっと感じていたので、そこのギャップもとても魅力に感じていました。

 

衝撃の問題作&最高傑作「家庭教師」

 

▼岡村靖幸簡易年表

1986年12月1日 岡村靖幸歌手デビュー「Out of Blue」リリース
1988年9月 「聖書(バイブル)」リリース
1990年11月 アルバム「家庭教師」リリース
1995年12月 アルバム「禁じられた生きがい」リリース

 

「yellow」「DATE」「靖幸」とアルバムをリリースし、4枚目のアルバム「家庭教師」を発表します。

衝撃の問題作、最高傑作などど言われたこのアルバムは、いい意味でも悪い意味でも音楽界を震撼させました。

 

1曲目の「どぉなっちゃってんだよ」から強烈なインパクトで引き込まれます。

 

 

どの曲も確かに名曲ぞろい。

しかし、聴くのを挫折してしまうのが、4曲目の「家庭教師」!

 

 

まずあの長い語り、喘ぎ声が衝撃的で人前で聴けません(笑)

まだボーカル部分はいいのですが、あのはぁはぁ言いながら延々と続く一人語り。

好き嫌い、はっきりと分かれてしまうかも。

 

まさに、岡村靖幸どぉなっちゃってんだよ、と感じたアルバムでした。

しかし、中毒のように何度も何度も聴いてしまうアルバムなのです。

当時から、天才天才と騒がれていた岡村さんですが、今、改めてその才能に魅せられてしまうのです。

 

 

この「家庭教師」をリリース後、次のアルバム「禁じられた生きがい」を発表するまでに5年を要してしまいます。

岡村さんは休養宣言こそないものの、制作活動に没頭し、あまり表舞台には出てこなくなっていったのです。

 

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40代後半女性。音楽が大好きでJ-POP K-POP 洋楽 演歌歌謡曲とさまざまな音楽を聴いています。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。全部チケットの半券をとっているのでとても大切な想い出です。音楽はとても生活を豊かにしてくれるもの。私の好きなアーティストの魅力を知っていただければ、と思います。お問い合わせはこちらから