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世界的歌姫Taylor Swift(テイラー・スウィフト)と会った筆者が、Taylorの魅力を紹介。Taylorのこれまでの軌跡・ファンとの交流・社会貢献・音楽の変遷などを知れば、筆者が彼女をお手本にして歌手を目指す理由もわかるはず!
Taylor Swift(テイラー・スウィフト)入門 ~Taylorに会った筆者が語る~はこちら から!
著者:Sakift
20代前半。幼少期から歌手を志し9歳の時にTaylor Swiftのファンになって以来彼女をロールモデルにしている。RED Tour、1989 World Tour、Reputation Stadium Tourに参加。2014年のRED Tourでは、コンサート後のミートアンドグリート’’Club RED’’に招待され実際にTaylor Swiftと会って話をする。いわゆる空港での『出待ち』も毎回しており、その場でサインをもらったこともある。
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このページではTaylorがどういった環境で育ち、どのようにして夢を持つようになったのかをお伝えします。
Taylorの道のりを知ることで、夢を追う上で具体的に何をすればいいのかが学べます。
【誕生】「Taylor Swift」名前の由来
Taylor Swiftという名前は、米シンガーソングライターであるJames Taylorr(ジェームス・テイラー)からとったと言われています。両親がJames Taylorのファンだったことに由来し、Taylorと名付けたそうです。
まるで生まれた時から歌手になることが必然だったかのような由来に思えます。
James Taylor(ジェームス・テイラー)とは
By Joella Marano, CC 表示-継承 2.0 , Link
1948年生まれのアメリカ合衆国出身のシンガーソングライター。2000年に「ロックの殿堂」入り。「君の友だち(You’ve Got a Friend)」で1972年にグラミー賞で最優秀楽曲賞を獲得している。
【幼少期】クリスマスツリーの農場
Taylorは「クリスマスツリーの農場」で育ったという少々意外な幼少期を過ごしました。
その環境はTaylorの歌手としての人生に多大な影響を与えたといいます。
Taylorの自由な歌詞づくりと、型にとらわれないスタイルの音楽創りには、こうした環境の影響が感じられます。
広大な土地を無制限に走り回れる自由な環境こそが、作詞作曲をする上での感性を育んだのかもしれません。
【11歳~】いじめの経験
Taylorは中学生の時にいじめを受けていました。
Taylorは辛いいじめに遭いながらも、ただ屈することなくその悔しさを音楽にぶつけていました。
毎日血の滲むような努力を重ね、暇さえあれば常にギターに触れていたといいます。彼女の等身大で共感できる作詞スタイルは、この経験からも来ていると思います。
Taylorが影響を受けたのは、当然ながら彼女を取り巻く「環境」だけではありません。
Taylorの母方の祖母はオペラ歌手で、テレビ番組の司会者としても活躍していたのです。祖母のMarjorie Finlay(マージョリー・フィンレイ)はオペラ歌手として活躍する一方で、教会の集会でもよく歌っていました。
さらにTaylorは、カントリー歌手LeAnn Rimes(リアン・ライムス)も幼少期から好きでした。こうした人々の影響を受けてTaylorは、歌手になるために多くの人の前で歌うにはどうすべきか考えました。
そこで、学校に通いながらスポーツイベントの開会式の国歌斉唱やコンテストなどの規模の大きいものから、地元のフェスティバルや喫茶店など様々な場所で歌を歌いました。最も有名なものと言えば12歳の時にNBAの試合前に国歌斉唱を行ったこともありました。
幼少期からすでに卓越した歌唱力があり、歌手としての才能は十分だったのです。
小さい頃から作詞をしていたと語るTaylor。
Taylorは10歳にして”A Monster in My Closet”という詩を書き作詞コンテストにて入賞しています。幼い頃から作詞における持ち前のセンスを発揮していました。
ペンシルベニア州出身であるTaylorは11歳の頃、アメリカのカントリー歌手のFaith Hillがナッシュビルに移住した後に歌手として成功したことに影響を受け、自分もカントリーミュージックの聖地ナッシュビルに引っ越す必要性があると考えていました。
そのため常々両親にも相談していたそうです。
またその頃、ナッシュビルにある多くのレーベルにデモテープを提出していましたが、若すぎるということもありなかなかその評価は上がらずにいました。
12歳の頃のTaylorの逸話に「コンピュータの修理士が家に来た際にTaylorにc,d,gの三つのコードを教え、その日の夜に「Lucky You」という曲を作曲した」というものがあります。
幼い頃から音楽への関心が強かったTaylorは、頭の回転が早い上に大変物覚えが良かったということがわかります。頭の回転が早いことは大人になり成熟した今も変わらぬTaylorの魅力だと思います。
そういった才能が幼い頃からありながらも、なかなか契約には結びつきませんでした。
【14歳~】RCAレコードと契約
その後、14歳という異例の若さでRCAレコードの養成所と契約したTaylor。Sony ATVミュージックパブリッシング(世界最大の音楽出版社)にソングライターとして最年少で採用されました。
異例の若さの契約を可能としたのは、大きな舞台で国歌斉唱をしたことや、その歌唱力と類まれな外見が認められたからだと思います。
それと同時にTaylorの家族は全員でナッシュビルに転居しました。Taylorに極力プレッシャーをかけないよう気遣った両親は「引越したのはナッシュビルの街が好きだからだ。」と言ってくれていたそうです。
引越しの理由は父親の仕事先がナッシュビルになったというのもありますが、おそらくそれほど引越しの必要性はなかったと思います。Taylorの夢を家族全員で応援していたそうなので、実質上はTaylorのためだったのではないでしょうか。
【16歳~】デビューアルバムリリース
Taylorは自らの作詞作曲でアルバムを出したいと考えていました。
そんな彼女の要望とは裏腹に、事務所は他のソングライターの曲を歌わせようとしました。またTaylorのアルバム出版は18歳まで待つという方針でした。
自分に意向に沿わなかったためTaylorは事務所を離れる決意をします。
そんな中、ナッシュビルにあるミニライブハウス”Blue bard Cafe”でパフォーマンスしていたTaylorに、Big Machine Record(ビッグマシン・レコード)を設立しようとしていたScott Borchetta(スコット・ボーチェッタ)が目をつけました。
Taylorの類いまれなる容姿とその歌声を聴けば、誰しもがスカウトしたくなると思います。
その後着実に話は進み、TaylorがBig Machine Recordの1人目の契約者となったのです。
RCA所属時は事務所の曲作りの方針と合わず悩んでいたTaylorですが「全てを彼女の好きなようにしていい」と言ったScott Borchettaとの事務所契約により、彼女はあっという間にファーストアルバムを手がけることとなります。
2006年10月24日、Taylorが16歳の時にリリースされた『Taylor Swift』は、瞬く間にBillboardのTop Country Chartにおいて1位を記録。
▼アルバム「Taylor Swift」(画像クリックで商品詳細へ)
▼収録曲「Teardrops On My Guitar」 Billboard Hot 100 最高13位
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▼収録曲「Our Song」 Billboard Hot 100 最高16位
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デビューアルバムにしてカントリー界の市場を制しました。こうして彼女のサクセスストーリーが始まったのです。
さてアルバム『Taylor Swift』でBillboardのTop Country Chartにおいて1位を記録したTaylorですが、このような成功の背景にはいじめを受けても努力を重ね、引越しの相談、デモテープを送るなどの行動を常にしていたことが要因に挙げられます。
Taylorには才能がありました。ただ才能があったとしても実際に活かせていない人が多くいる中、行動することが何より大切だと気づいていたTaylorは尊敬に値します。なるべくして歌手になったのだと思います。
Taylorが幼少期からどういった活動をしてきたのかその道のりを振り返ると、夢を追う上でより具体的に何をすればいいのかがわかると感じています。
このページではTaylorのデビューまでの道のりから彼女の魅力と歌手の夢を追う上で学ぶべきことをお伝えしてきました。
次の章からTaylorの人格を通して彼女の魅力や学べることについてお伝えします。
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著者:Sakift
20代前半。幼少期から歌手を志し9歳の時にTaylor Swiftのファンになって以来彼女をロールモデルにしている。RED Tour、1989 World Tour、Reputation Stadium Tourに参加。2014年のRED Tourでは、コンサート後のミートアンドグリート’’Club RED’’に招待され実際にTaylor Swiftと会って話をする。いわゆる空港での『出待ち』も毎回しており、その場でサインをもらったこともある。
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