谷山浩子とは

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ファン歴30年以上が谷山浩子さんの曲世界を紹介。トラウマソングとして有名なNHK『みんなのうた』への提供曲「まっくら森の歌」をはじめ、あまりにも独特すぎる不思議な曲の世界にの数々に虜になること間違いなし!?

谷山浩子入門 ~『みんなのうた』でトラウマを与えた音楽家!?唯一無二のダークファンタジー世界~はこちらから!

はじめに

谷山浩子とは

第1章 谷山浩子の曲世界

『みんなのうた』~カワイイのに怖い曲~編

コラボ編

ファンタジー世界編

第2章 谷山浩子の軌跡

谷山浩子の軌跡

第3章 ラジオとライブ

ラジオとライブ

著者:加藤千鶴

1972年生まれのライター。谷山浩子ファン歴30年以上。小学6年生の時にラジカセから流れる音楽に魅了され日本のポップス・ロックを聴き続けてきました。谷山浩子さんはみんなのうたの「恋するニワトリ」でハマりました。音楽以外では、演劇やダンスなどの舞台鑑賞と、シュノーケリングなどの旅行、FMラジオが趣味。

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谷山浩子とは【基本情報】

名前 谷山浩子(たにやま ひろこ)
生年月日 1956年8月29日
出身地 東京都杉並区生まれ(神奈川県横浜育ち)
職業 シンガーソングライター
シンガーソングライター。多くの楽曲提供をしておりNHK『みんなのうた』への提供曲「まっくら森の歌」はみんなのうた三大トラウマソングとして知られている。映画『ゲド戦記』の挿入歌「テルーの唄」、映画『コクリコ坂から』の劇中挿入歌を担当。斉藤由貴、持田香織(EveryLittleThing)、豊崎愛生、上坂すみれにも楽曲を提供。ラジオ番組『オールナイトニッポン』のパーソナリティ、童話、小説、などその活動は多岐にわたる。メルヘンで怖い独自の世界観の楽曲でファンを獲得している。

 

谷山浩子さんをご存知でしょうか?

NHK『みんなのうた』で子どもの頃に聞いていた方が多いかもしれません。

「まっくら森の歌が怖かった・・・」という声も少なくないようです。

透明感のあるやさしいメロディーと歌、不思議でコワい歌詞の世界、それが谷山浩子さんの魅力です。

歌の中では

募る思いで町は砂漠になったり(「不眠の力」)

森が燃え上がったり(「Elfin」)

ブラックホールに花が咲くこともあります。(「花さかニャンコ」)

現実離れした空想世界は、ポップスというジャンルを飛び越えて、ファンタジーやアニメなどの方が近いかもしれません。

いっしょに谷山浩子さんの世界をのぞいてみましょう。

 

代表的な仕事

 

代表的なお仕事は「みんなのうた」とアニメ等への楽曲提供です。

浩子さんは1972年のデビュー以来49枚(組)のアルバムをリリースしてきたシンガーソングライターです。デビュー当時のジャンルでいうとニューミュージック。ピアノを弾きながら歌います。

 

ニューミュージック

1970年代から1980年代にかけて流行した日本のポピュラー音楽のジャンル。フォークソングにロックの要素が混じった、当時としては新しい音楽。吉田拓郎はニューミュージックの代表と称される。井上陽水、松任谷由実、さだまさし等もニューミュージックのミュージシャンとされる。

 

浩子さんの楽曲で一般的によく知られているのは、NHK『みんなのうた』の曲です。

有名なのは「恋するニワトリ」「まっくら森の歌」。

2019年4月には新作「花さかニャンコ」が放送になりました。

可愛くて突飛な設定、時々コワい独特の世界は、長く愛されています。

▼曲名と内容

曲名 内容
恋するニワトリ 風見鶏に恋したニワトリの叶わぬ恋。
まっくら森の歌 魚は空に、小鳥は水に、時計を見ればさかさままわりしている不思議な「まっくら森」が描写されている。
花さかニャンコ 花を咲かせる猫が描写されている。ケンカをする人、指、花、銀河、ブラックホール、色んなところに花を咲かせていく。

 

もう一つ、目にする機会が多いのが他の歌手への楽曲提供です。

1980年代には斉藤由貴さんが歌う「土曜日のタマネギ」「MAY」の作詞を担当し、ヒットしました。

 

アニメや声優とのコラボが多いのも特徴です。

ジブリ映画『ゲド戦記』では手嶌葵さんが歌った挿入歌「テルーの唄」の作曲を担当。アニメの世界との親和性の高さはいろいろなところで発揮されています。

 

浩子さんのコラボ楽曲については第1章2ページ目で紹介! 浩子さんのコラボ楽曲については第1章2ページ目で紹介!

 

浩子さんはシンガーソングライターとしての活動がメインですが、いわゆる「ヒット曲」はありません。

シングル「風になれ~みどりのために~」「ひとみの永遠」はCMソングとして、お茶の間に流れました。

ちなみにファンの間では「海の時間」「王国」などの曲が代表曲として愛されています。

 

谷山浩子さんの楽曲の特徴

 

浩子さんの曲調はピアノ弾き語りがメインでパーソナルな印象を与えます。歌詞の世界観はほかの音楽では類を見ない独特のファンタジー世界です。

多くの曲のテーマは「届かない恋心」や「人と交われない孤独感」。

▼「届かない恋心」「人と交われない孤独感」が描かれた曲

テーマ 曲名
届かない恋心 「電波塔の少年」「SORAMIMI~空が耳をすましている~」「ラ・ラ・ルウ」
人と交われない孤独感 「銀河通信」「ひとりでお帰り」「よその子」

 

そして、同じく重要な位置を占めるのが、物語の世界を歌った曲です。

 

 

多くの楽曲で現実離れした展開を見せ、その想像力と幻想的な世界観が魅力です。

思い詰めた心が、妄想という枠を超越した壮大な幻想世界を生み出します。その様子は 「はてしない物語」などの濃厚に構築されたファンタジー小説を連想します。

現実から広がる妄想、そして妄想から広がっていく壮大な世界観です。

▼ミヒャエル・エンデ「はてしない物語」(『ネバーエンディング・ストーリー』として映画化されている)

曲調は世界観に合う壮大な曲やマイナーコードの曲が多いのですが、入門編としておすすめなのが明るく親しみやすいメロディーに、奇妙だったり、壊れた世界を歌う怖い内容の歌詞が合わさった曲です。

唯一無二のコワくてカワイイ世界。不思議でクセになります。中には、想像も及ばないヘンテコな生き物に寄生されるキッチュな世界も。

独特の世界観をぜひ体験していただきたいと思います。

 

谷山浩子さんの人柄

 

浩子さんは1996年に結婚。夫は中学校の時の初恋の人でした。(2019年に死別)

趣味は、読書、映画・TVドラマ鑑賞など。『三国志』などの歴史小説・マンガや、『指輪物語』『ゲド戦記』などのファンタジー小説が大好き。

パソコンはまだ一般的でなかった時代からのユーザーで、1985年からパソコン通信に参加。パソコン通信(1980年代より行われたパソコンを使ったデータ通信)やホームページで交流するアーティストとして一部で有名でした。

現在はTwitterでよくつぶやいています。

NHKドラマ『半分、青い。』では、主人公のマンガ家修行・活動を描いた時期に、盛んにツイートしていました。浩子さんは『半分、青い。』の楽曲を手掛けているなどの関係がある訳ではないのですが、TVドラマが好きなのとマンガが好きなのが両方重なって、かなりハマったように見えました。

 

 

ネコはよく曲にも出てきます。進化や宇宙の話も好きなようです。物語とともに、曲への影響を感じます。

 

浩子さんという人柄を一言で表すなら「発想がとってもオリジナルな自由人」だと思います。

曲もほかに例を見ないものですが、ライブのトークなどを聞いていても、トークの連想のしかたが突飛で驚くことが時々あります。

トークが無軌道に進む様子や、ネットでの積極的な交流など「こうあるべき」という束縛からすごく自由だと感じます。

 

以上、谷山浩子さんがどんな方なのかざっくりと紹介しました。

次の章からは浩子さんの楽曲を【『みんなのうた』~カワイイのに怖い曲~編】【コラボ編】【ファンタジー世界編】に分けて3ページにわたって紹介いたします。

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はじめに

谷山浩子とは

第1章 谷山浩子の曲世界

『みんなのうた』~カワイイのに怖い曲~編

コラボ編

ファンタジー世界編

第2章 谷山浩子の軌跡

谷山浩子の軌跡

第3章 ラジオとライブ

ラジオとライブ

著者:加藤千鶴

1972年生まれのライター。谷山浩子ファン歴30年以上。小学6年生の時にラジカセから流れる音楽に魅了され日本のポップス・ロックを聴き続けてきました。谷山浩子さんはみんなのうたの「恋するニワトリ」でハマりました。音楽以外では、演劇やダンスなどの舞台鑑賞と、シュノーケリングなどの旅行、FMラジオが趣味。

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ボカロ、歌い手って何? ~トップクラスの人気!天月-あまつき-という存在~

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超有名歌い手「天月-あまつき-」。「小さな恋のうた」の歌ってみた動画は6900万回の再生回数を越え、女子中高生で知らない人はいないと言われています。そんな天月-あまつき-の基礎知識からオリジナルキャラ「正宗くん」の魅力までファンが徹底解説!

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著者:Ayaka

ボカロ・歌い手が好き。特に天月さん、まふまふさんのファン。天月さんの2018~2019年冬ツアーは9公演中4公演参加。2019年6月リリースの天月さんの新曲CDは18枚予約。30代以上の世代にもボカロや歌い手の素晴らしさを伝えたいと思っている。

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ボカロ、歌い手が大好きなAyakaと申します。

「ボカロ」「歌い手」という言葉は知っていても、意味がよくわからない方もいるのではないでしょうか。

 

ボカロ、歌い手って何?

 

「ボカロ」は「ボーカロイド(VOCALOID)」の略です。

ボーカロイドとは音楽関連製品を制作するメーカーYAMAHAが開発した音楽ソフトです。歌詞とメロディーをパソコンに入力し歌声を作り出すことができます。今ではこの製品だけでなく、この技術を総称して「ボーカロイド」と言います。

ボーカロイドは、歌詞とメロディを入力すれば「初音ミク」などの「擬人化したキャラクター」に歌を歌わすことができます。楽曲を作成する人はボカロPと呼ばれます。

▼ボーカロイドで作られた楽曲:初音ミク『千本桜』

 

ボカロ曲を歌う人のことを一般的に「歌い手」と呼びます。

歌い手の方はニコニコ動画などのサイトに「歌ってみた動画」を投稿したり、YouTubeに自身が歌った動画をアップロードしたりして活動をしています。ライブを行っている歌い手の方も多くいます。

 

ネットシーンで活躍する歌い手の方は現在、日陰の存在です。

「インターネットカラオケマン」と揶揄されることもしばしばあります。

ただ、歌い手さんの中には自身で作詞作曲をし、アーティストとしてもっと世間から注目されるべき存在の方もいます。

その一人が天月-あまつき-さん(以下、天月)です。

 

歌い手の中でトップクラスの人気を誇る天月-あまつき-さん

 

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ポッキーの日だから鶏肉食べた🐔 #ポッキーの日

天月-あまつき-さん(@amatsuki_official)がシェアした投稿 –

▲天月さん(1991年生まれ。男性)

 

天月さんは、歌い手の中でもトップクラスに知名度と人気があります。

主にネットで活動をされている天月さんですが、若者の間ではほとんどの人がその存在を知っています。中高生の女子では、天月さんを知らない方はほぼいないと思います。

 

天月さんはボカロ以外にもJ-POPをカバーすることが多い歌い手さんです。天月さんのJ-POPカバーで最も再生回数があるのが「小さな恋のうた」です。

YouTubeでの動画再生数は2019年5月現在、6,900万回を突破しています。この曲がきっかけで歌い手の人気に火が付いたと言っても過言ではありません。

▼天月「小さな恋のうた」

 

MONGOL800さんの大人気曲「小さな恋のうた」は今では天月さんのライブでは欠かせないものとなりました。

 

女子中高生には人気があるものの、30代以上の方は天月さんを知らない方がほとんどではないでしょうか。そもそも歌い手の存在もあまり知らないのではないでしょうか。

私も決して若者と呼べる年齢ではありません。ただ、ボカロと出逢い、そこから歌い手の方の歌声を聴き、こんなにも素晴らしい音楽がネット上で無料で聴くことができるのか、ということに感動しました。

歌い手にまだなじみのない30代以上の方にもぜひその世界を知って欲しいと思っております。

 

歌い手を知る第一歩としては、天月さんがおすすめです。歌い手の中でもJ-POPのカバーが多いので、初めて歌い手の歌を聴く方でも受け入れやすいでしょう。

まずは「小さな恋のうた」を聴き、天月さんの少年のような透き通った素晴らしい歌声を感じていただきたいと思います。

 

天月さんは私が最も心惹かれたアーティストです。

このWebonでは天月さんの魅力を、より深く、より親身に感じていただけるように執筆させていただきました。

多くの方が天月さん、ひいては歌い手の魅力を知っていただければ幸いです。

次の章では天月さんがどんな人物なのかを紹介いたします。

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天月-あまつき-のおすすめ楽曲 【歌ってみた編】

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この章では天月さんのおすすめの楽曲を【歌ってみた編】【J-POPカバー編】【オリジナル編】に分けて3ページにわたって紹介します。

このページでは天月さんの歌ってみたのおすすめ曲について紹介したいと思います。

 

① 脳漿炸裂ガール【天月&伊東歌詞太郎】

 【原曲】「脳漿炸裂ガール」とは?

「脳漿炸裂ガール」は2012年10月に投稿されたボカロP「れるりり」の楽曲。投稿5ヶ月で再生回数が150万回を突破する。2013年には小説化もされている。

 

「脳漿炸裂ガール」の歌ってみた動画は、2012年10月24日にニコニコ動画に投稿された伊藤歌詞太郎さんとのコラボ曲。

 

伊藤歌詞太郎
2012年に活動開始、2014年メジャーデビューのシンガーソングライター。現在の動画再生回数は8000万回を突破。狐の仮面がトレードマーク。中国の上海や北京などでもワンマンライブを成功させる。

 

天月さんの「脳漿炸裂ガール」の歌ってみた動画は2019年6月現在、ニコニコ動画での回数は463万回を突破している大人気曲です。

「脳漿炸裂ガール」の原曲は人気のある曲なので、多くの歌い手さんがこぞってこちらの曲を歌い投稿していました。原曲は再生回数が737万回を突破していますが次に歌ってみたで再生回数が多いのが、この天月&伊東歌詞太郎の歌ってみたなのです。

 

私も個人的にすごく好きな曲で、他の歌ってみたと比較してみても、天月&伊東歌詞太郎の歌ってみたは聴き易いです。

この曲は途中でアドリブ(アレンジ)を利かせるところがあるのですが、天月さんと伊東さんのアドリブはくすっと笑えるような楽しさがあります。

ボカロの中でも人気曲ですので、是非聴いてみてください。

 

②  ロメオ【まふまふ×天月】

 原曲】「ロメオ」とは? 

2017年2月に投稿されたHoneyWorks(ボカロで楽曲を発表しているクリエイター集団。関連作品の動画再生回数4億回以上。)のオリジナル曲。

 

大手歌い手のまふまふさんとのコラボ曲である「ロメオ」。

まふまふさんと天月さんの組み合わせは「まふ月」と呼ばれ、大人気です。

このロメオはまふ月コラボ第6弾となっていて、歌ってみたが投稿されるや否やたくさんのリスナーの心を鷲掴みにしました。

まふ月歌ってみたコラボ一覧はこちら!(クリックorタップで開く)
年月 楽曲
1 2012年8月 チルドレンレコード
2 2013年1月 過食性:アイドル症候群
3 2013年10月 ハウトゥー世界征服
4 2014年7月 No Logic
5 2015年6月 竹取オーバーナイトセンセーション
6 2017年2月 ロメオ
7 2017年12月 ノンファンタジー
8 2018年4月 アウトサイダー
9 2018年10月 夢ファンファーレ

 

まふ月の「ロメオ」の歌ってみた動画は2017年2月27日にニコニコ動画に投稿され、2019年6月現在の再生数は244万回を突破しています。

 

天月さんの魅力として、かっこよく歌う時と可愛く歌う時、面白く歌う時など、様々なパターンの歌い方をすることが挙げられます。

そしてこのロメオはまさに「かっこよく歌う」パターン。

途中のセリフの「おいで」はイケボすぎて、多くの女性ファンを虜にしました。

「ロメオ」はHoneyWorks(通称ハニワ)と呼ばれる女子中高生に大人気のグループが作詞作曲をしたものが原曲となっています。まふ月はHoneyWorksの「夢ファンファーレ」「ノンファンタジー」なども歌っているので、ハニワが気になる方にもとてもおすすめです。

 

【筆者に聞いてみた】まふ月に対する特別な想い

Q.(Webon編集部)Ayaka氏はまふまふさんのファンでもあるとお伺いしましたが、まふ月に対してはやはり特別な思いがあるのでしょうか。

A.(筆者 Ayaka)私自身まふまふさんも好きなので、まふ月が2人で歌う姿には感動します。 またそれだけでなく2016年6月30日の天月さんの誕生日には、まふまふさんが描き下ろした「ミカヅキリサイズ」という曲をニコニコ動画に投稿しています。 投稿日時と二人の組み合わせを見た時に、二人はやはり信頼関係の絆で結ばれているのだなと感動しました。

▼「ミカヅキリサイズ」

「それはきっと恋でした。」という天月さんのアルバムにもまふまふさんが書き下ろした曲「ヒロイックシンドローム」が入っており、その曲を天月さんが大好きそうに大切そうにライブで歌われている姿が印象的でした。 このように二人がお互いにリスペクトし合っている友人同士というのが私はすごく好きです。まふまふさんと天月さんは2019年6月23日開催の「ひきフェス」にて二人でオリジナル曲「かまってちょうだい」を歌いました。動画では見ていたものの、実際に二人で「かまってちょうだい」を歌う姿に感動し、笑顔が零れ、とても幸せを感じました。

 

③  ホシアイ

 原曲】「ホシアイ」とは? 

2012年6月にニコニコ動画に投稿されたボカロP「レフティーモンスター」の楽曲。七夕ソングとして親しまれ、多くの歌い手にカバーされる。

 

天月さんのソロでの歌ってみた「ホシアイ」。

天月さんのライブではもはや欠かすことのできない定番曲です。

天月さんを語る上で、この曲は絶対に外すことができません。

「天月」という名前の通り天体系の曲を歌うことも多い天月さん。

「ホシアイ」はファーストメジャーアルバムにも収録されていて、天月さん自身も思い入れの深い曲となっています。

▼ファーストメジャーアルバム「ホシアイ」(画像クリックで昇進詳細へ)

2014年7月7日の七夕にニコニコ動画に投稿され、2019年6月現在の再生数は189万回を突破しています。

「ホシアイ」では優しく大切そうに、歌詞を丁寧に歌う天月さんの魅力を堪能することができます。

ただそこには力強さもあり、切なさも感じられるような歌い方も。

天月さんの魅力が凝縮された歌ってみたとなっています。

 

ちなみに、他の天月さんの天体系の曲では、オリジナル曲で「ほしのこもりうた」であったり「StarMan!!」という曲を作っていたりします。またナユタン星人というボカロPの作る曲は天体系の曲が多くそれを天月さんが何曲か歌ったりしています。

その中でも特に「ホシアイ」という曲に関してはファンも天月さん自身も思い入れの深い曲となってます。

 

まとめ

 

今回は天月さんのおすすめの歌ってみたを3曲紹介しました。

「脳漿炸裂ガール」は楽しそうに歌っている天月さん、

「ロメオ」はとにかく王子様のようなかっこいい天月さん、

「ホシアイ」は優しさ溢れる天月さんを聴くことができます。

もちろん他にも天月さんの歌ってみたは素晴らしいものが沢山あります。

是非、自分のお気に入りの曲を見つけていただけましたら嬉しいです。

次のページでは天月さんのJ-POPカバーのおすすめ曲を紹介します。

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天月-あまつき-のおすすめ楽曲 【J-POPカバー編】

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この章では天月さんのおすすめの楽曲を【歌ってみた編】【J-POPカバー編】【オリジナル編】に分けて3ページにわたって紹介しています。

天月-あまつき-さん(以下、天月)は他の歌い手と比べて、J-POPのカバーが多いのも魅力的です。

今回は天月さんのおすすめのJ-POPカバーについてご紹介します。

 

① 小さな恋のうた【MONGOL800】

▲「小さな恋のうた」

 

天月さんの「小さな恋のうた」は2019年6月現在、ニコニコ動画での再生回数は313万回を突破し、YouTubeでは再生回数7000万回を超える大人気曲です。

天月さんがMONGOL800さんの「小さな恋のうた」をカバーしたのは2016年5月21日のことでした。それから天月さんと言えば「小さな恋のうた」という認識が広まっていきました。

今では天月さんの代表曲は「小さな恋のうた」であり、原曲を歌っているMONGOL800さんを知らない人は「小さな恋のうた」が天月さんのオリジナル曲であると思うほどです。

天月さんが歌う「小さな恋のうた」は本当に曲調と声がぴったり合っていて、すごく素敵です。

ライブでも歌えば盛り上がる、天月リスナーが何回でも聴きたくなる曲となっています。

 

② 前前前世/スパークル【RADWIMPS】

▲「前前前世」

▲「スパークル」

 

天月さんは映画「君の名は。」で使われたRADWIMPSさんの「前前前世」と「スパークル」をカバーしています。

どちらも天月さんの少年のような透き通る声が魅力的となっている2曲。

RADWIMPSさんのオリジナルが好きな方にも是非聴いていただきたいカバーとなりました。

 

J-POPカバーをすると、どうしても歌い手の方は「インターネットカラオケマン」などと揶揄されることがあります。

しかし、天月さんの場合は決してそのようなことはありません。

カバー曲が天月さんのオリジナルの曲のように聴こえます。カバー曲を自分のものとするのが天月さんの大きな魅力なのです。

J-POPのカバーの場合は原曲をどこまでアレンジするのかというのも問題ですが、この2曲は原曲の雰囲気を壊すことなく、天月さんの雰囲気や声質に合わせてアレンジされていてとても素敵な仕上がりです。

「前前前世」では天月さんの歌声が活かされるような、バラードテイストのアレンジがされています。

2曲ともずっと聴いていたい、幸せな気持ちになれる曲となっています。

 

③ 灰色と青【米津玄師】

▲「灰色と青」

 

こちらは天月さんのご友人である佐香智久さん(少年Tさん)とのコラボ曲。

 

佐香智久
1991年生まれのシンガーソングライター。2009年に「少年T」という名義で活動開始。2012年「佐香智久」名義でメジャーデビュー。「Web界のプリンス的存在」とも言われる。動画総再生回数は 1,350万回以上。オリコンデイリーランキングで最高9位を獲得。

 

米津玄師さんと菅田将暉さんが歌った「灰色と青」のカバー曲です。

天月さんは米津玄師さんの曲では他にも「Lemon」であったり「ピースサイン」をカバーしているのですが「灰色と青」は切なくも力強く歌う天月さんが素敵な1曲です。

ソロもとても素敵な天月さんですが、佐香さんとの組み合わせも非常に魅力的です。

佐香さんとは他にも最近では「僕のキモチ」(WaT)をカバーされています。佐香さんの歌声も素敵ですので、是非、天月さんと一緒に聴いてみてください。

▼「僕のキモチ」

 

まとめ

 

J-POPカバーの良いところは、ボカロに慣れていない方でも聴き易いというところです。

天月さんを知る上で最初に是非聴いていただきたい3曲について紹介しました。

「小さな恋のうた」は多くの人に知られている曲ですので、最初に聴いてみてください。

米津玄師さんも大人気なので、ご存知の方も多いでしょう。米津さんの曲のカバーも最高に素敵です。

他にも今流行りのあいみょんさんであったり、Aimerさんなど女性の方のカバーもする天月さん。

天月さんは女性のカバー曲を歌っても本当に違和感がありません。まるで自分のオリジナル曲のように上手に歌う天月さんの女性曲のカバーが好きです。

 

天月さんのJ-POPカバーを聴けば、その才能の深さに脱帽することは間違いありません。

次のページでは天月さんのオリジナルのおすすめ曲について紹介いたします。

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ボカロ・歌い手が好き。特に天月さん、まふまふさんのファン。天月さんの2018~2019年冬ツアーは9公演中4公演参加。2019年6月リリースの天月さんの新曲CDは18枚予約。30代以上の世代にもボカロや歌い手の素晴らしさを伝えたいと思っている。

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天月-あまつき-のおすすめ楽曲 【オリジナル編】

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この章では天月さんのおすすめの楽曲を【歌ってみた編】【J-POPカバー編】【オリジナル編】に分けて3ページにわたって紹介しています。

天月さんはボカロを歌ったりJ-POPをカバーするだけでなく、自分自身で作詞作曲もされる方です。

オリジナル曲も大人気で、たくさんご紹介したい曲があるのですが、今回はその中でも、初めて天月さんを聴く方におすすめな楽曲を紹介します。

 

① かいしんのいちげき!

▲「かいしんのいちげき!」

 

天月さんが作詞作曲された大人気曲「かいしんのいちげき!」

「ありきたりでも一途なラブソング」という天月さんの言葉の通り「学生時代の恋愛」をテーマにした可愛らしい恋愛ソングとなっています。

ニコニコ動画とYouTubeの両方に投稿されていて「動画がとにかく可愛い!」と喜ぶリスナーが続出。

この続きの曲として「恋に溺れて」も天月さんの作詞作曲なのですが、こちらも大人気となっています。

この2曲は合わせて聴いてみると、天月さんの世界にどっぷりと浸かることができます

▼「恋に溺れて」

 

天月さんの恋愛ソングは恋に不器用な人がテーマであることが多いです。なかなか簡単にうまくいかない恋愛だけど、恋愛に一生懸命な恋愛ソングが多いです。

「不倫」であったり「略奪」など大人にありがちな暗いテーマではなく、いつもキラキラとした若者の前向きな恋愛ソングとなっています。どちらかというと若者に向けて歌っていることが多いです。

「かいしんのいちげき!」「恋に溺れて」はアニメーションのMVになっており、どちらも茶々ごまさんというイラストレーターの方が描いています。天月さんはどちらのMVも「可愛いので何回も観て」とおっしゃっています。

この曲に限らず、天月さんのアニメーションのMVはキラキラとした世界観のものが多いです。天体系のようなアニメーションや綺麗めなおしゃれなMVがたくさんあります。

 

② スターライトキセキ/Ark

▲「スターライトキセキ」

▲「Ark」

 

2019年6月26日発売の5thシングル「スターライトキセキ」と「Ark」は両A面シングルで、どちらも天月さんが作詞作曲をされた曲です。

▼5thシングル「スターライトキセキ/Ark」(画像クリックで商品詳細へ)

「スターライトキセキ」はキラキラとした青春が描かれている、天月さんの世界そのもの。

夏に向けて作られた曲で、学生時代の夏休みにこんな素敵な曲が聴けていたら、もっと青春を楽しめたのかな、と大人の私も思ってしまうような曲となっています。

特にサビがキャッチーでつい口ずさんでしまうような、親しみやすい曲。

 

そして「Ark」は「スターライトキセキ」とは全く違う方向性の曲で、絶望と救いをテーマとした楽曲。

こちらは少しダークな天月さんを堪能することができます。

MVは天月さんが出演していて、実写というのもリスナーの心を大きく掴みました。非常にかっこいいMVとなっているので、気になった方は是非、シングルをお手に取ってみてください。

 

【コラム】なぜ「Ark」のMVが実写であることが心を掴んだ?

歌い手さんは、実写を嫌う傾向が多いです。ニコニコ動画に実写を投稿する歌い手さんはほぼいません。動画に投稿されるのはほぼアニメーションです。YouTubeにたまに実写の動画があがるものの、基本的にTwitterなどに投稿される写真も顔はスタンプで隠し、顔などがよく見えるシーンは少ないです。しかしファンとしては他のミュージシャンのように実写でのMVが見たい人が多くいます。そのため、シングルとして実写のMVがあると喜ぶファンが多くなっています。結果「Ark」のMVは多くの支持を獲得したのです。

 

③ 恋人募集中(仮)

▲「恋人募集中(仮)」

 

「恋人募集中(仮)」は天月さんの4thシングル。

▼シングル「恋人募集中(仮)」(画像クリックで商品詳細へ)

「恋がしたい したい したい」というフレーズから始まるこちらの曲。

サビでもこの歌詞が再び登場し、恋愛が本当にしたいという気持ちが歌われています。

恋がしたい男性心を歌うこの楽曲のMVもやはり天月さんが出演していて、特にサビでダンスをしたり、天月さんがあっかんべーをするところが可愛いと評判のMV。

 

またタイトルに「(仮)」がついているのが、天月さんらしいと思います。

天月さんは「かっこいいのにかっこつけない」「ベタが好きなのにベタだと恥ずかしい」と思うような少しシャイな性格です。「(仮)」は天月さんの照れ隠しのように感じました。

草食系のような彼の性格の一面が垣間見えるような気がして「恋人募集中」だけだと、恥ずかしいと思って「(仮)」をつけられたのかなと思い、ファンの一人として天月さんらしいなと微笑ましく感じました。

 

番外編 イデア(作詞:宮田レフティリョウ&天月 作曲:宮田レフティリョウ&レフティモンスター)

▲「イデア」

 

こちらは天月さんと宮田レフティリョウさんとの共作となっています。

3rdアルバム「それはきっと恋でした。」に収録されている「イデア」はファンの間でも大人気曲。

▼3rdアルバム「それはきっと恋でした。」(画像クリックで商品詳細へ)

「何万回だって君を想うよ」という歌詞であったり、途中の長めのセリフの部分であったり「今、会いに行くから」という天月さんの言葉がぐっと胸に迫る素晴らしい楽曲となっています。

「大人なんてくだらない生き物」「たいせつなものは目には見えない」などドキっとするような歌詞にも注目です。

 

まとめ

 

天月さんのオリジナル曲はどれも素晴らしく、ただの歌ってみたであったり、J-POPのカバーをしていたりするだけの歌い手ではないのです。

天月さんは歌い手という枠を超え、もはや一人のアーティストとして、世の中に素敵な音楽を送り出している方です。

非常に尊敬しますし、実際に曲を聴けば人気の理由がお分かりいただけるかと思います。

以上、この章では天月さんのおすすめ楽曲を紹介しました。

次のページでは天月さんのライブを紹介します。

『天月-あまつき-入門』目次へ  (全10ページ)

 

目次著者

著者:Ayaka

ボカロ・歌い手が好き。特に天月さん、まふまふさんのファン。天月さんの2018~2019年冬ツアーは9公演中4公演参加。2019年6月リリースの天月さんの新曲CDは18枚予約。30代以上の世代にもボカロや歌い手の素晴らしさを伝えたいと思っている。

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JAGATARAの軌跡④ 【江戸アケミの死】

Webon紹介目次著者
鶏やヘビを食いちぎるなどの過激なパフォーマンスで注目を浴びたJAGATARA。精神疾患を患いながらも奇跡の復帰を遂げた江戸アケミ。そして死まで。1980年代を駆け抜けた伝説のバンドの軌跡をお伝えします!

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著者 積 緋露雪

1964年生まれ。音楽雑誌「CDで~た」の執筆・編集・企画を担当。ライター歴20年以上。小説『審問官』シリーズ出版。

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前ページでは江戸アケミの復帰後の軌跡についてお伝えしました。

このページでは、メジャーデビュー、江戸アケミの死、死後リリースされたアルバム「おあそび」などについてお伝えします。

 

▼このページで紹介する出来事

年月 出来事
1988年4月 アルバム「それから」でメジャーデビュー
1989年12月 アルバム「ごくつぶし」(江戸アケミ生前最後のアルバム)
1990年1月 江戸アケミ死亡
1990年7月 アルバム「おあそび」
全体年表はこちら(クリックorタップで開く)
年月 出来事
1979年 最初のギグ
1980年 過激なパフォーマンスに走る
1982年5月 デビューアルバム「南蛮渡来」
1983年5月 シングル「家族百景」
1983年 スタジオ制作
1983年11月頃~ 江戸アケミ精神疾患発症・JAGATARA活動休止
1985年9月 「アースビート伝説85」江戸アケミ出演(復帰の第一歩)
1987年3月 アルバム「裸の王様」リリース
1987年12月 アルバム「ニセ予言者ども」
1988年4月 アルバム「それから」でメジャーデビュー
1989年12月 アルバム「ごくつぶし」(江戸アケミ生前最後のアルバム)
1990年1月 江戸アケミ死亡
1990年7月 アルバム「おあそび」

 

【1988年4月】メジャー・デビューに対する複雑な思い

 

JAGATARAは1988年、アルバム「それから」でメジャー・デビューを飾りました。

しかし、江戸アケミはメジャー・デビューすることに関してディレンマを抱えることになったのです。

そもそも江戸アケミはメジャーのレコード会社を信用しておらず、毛嫌いしていました。

それは、メジャーで活動すると色々と制約を受けてしまい、自分たちの活動が自由にできなくなってしまうという理由からです。

それでもメジャー・デビューすることを決断した江戸アケミは再び、情緒不安定な状態になり、なかなかメジャー・デビューすることを決断してしまったことを受け入れられなかったのでした。

 

【コラム】なぜメジャーデビューを決断した?

これは推測でしかありませんが、江戸アケミにもメジャーに対する憧れのようなものがあり、それには抗えなかったのだと思います。例えば、それは有名になりたいなどといった欲です。江戸アケミもやはり普通に出世欲がある人間だったのだと思います。

 

江戸アケミはメンバーに対して何度も何度もなぜメジャー・デビューするのかということを問いただし、また、自問自答しては答えを見いだせないまま、心は乱れるばかりだったのです。

最終的に江戸アケミは答えを求めることをやめて、メジャー・デビューしたことに関する複雑な思いに蓋をしました。

しかし、「それから」制作の頃からJAGATARAのメンバー間の関係にも微妙なずれが生まれ始めました。

それは音楽性の違いであったり、意思疎通の小さな齟齬であったり、原因は様々です。

 

「それから」はどんなアルバム?


▲アルバム「それから」

 

「それから」を聴いた第一印象は、なんだか倦み疲れているという印象なのです。

「裸の王様」「ニセ予言者ども」、そしてJAGATARAがサントラを担当した映画「ロビンソンの庭」での颯爽とはつらつとしたJAGATARAの音楽はもう「それから」には存在していないのです。

確かにいえることは「それから」でJAGATARAは何かが根本的に変わってしまったということです。

 

微妙な揺れを見せるアフロビートに、なんだか今にも壊れそうな危うさを覚えてしまう「TABOO SYNDROME」では、江戸アケミの日常生活が赤裸々に歌われています。

メジャー・デビューするに当たり非常に神経質になっていた江戸アケミの日常生活は、精神疾患が再び悪化したのではないかと思わせるような奇行が目立つようになりました。

例えば“くそをつかんでうろつき”などの奇行が日常茶飯事であったようです。

このナンバーで江戸アケミは気分が落ち込んでしょうがないということを訴えているのです。

この原因がメジャー・デビューにあったのですから、「それから」はなんとも皮肉なアルバムなのです。

跳ねるに思いっきり跳ねていない感のあるファンク・ビートが、それでもうねり回る「GODFATHER」は、どうして皮肉なアルバムに聴こえてしまうのかを考えたとき、もしかすると「GODFATHER」で何か新しいことがやりたかったのかもしれません。

ギターのリフが繰り返す中、江戸アケミはこのナンバーで“音楽演劇”を行っているのです。

歌うところは歌を歌っているのですが、映画の「ゴッドファーザー」にかけてのものなのか、それに似たような物語が台詞のやりとりで進んでゆくのです。

江戸アケミはこのナンバーでついに歌を超越し、ミュージカルとは全く異質の“音楽演劇”を、つまりそれは現代版義太夫を創出したといえるのです。

ホーン・セクションが華やかなR&Bナンバーに仕上がっている「BLACK JOKE」まで聴き進んでゆくと、「それから」の第一印象の倦み疲れた印象にも慣れ、江戸アケミのヴォーカルにやっと以前にあった力強さが宿り始め、聴かせるのです。

「CASH CARD」は、英国のプログレッシヴ・ロックの大御所、ピンク・フロイドの「マネー」を彷彿とさせる音楽世界を展開しています。

▼ピンク・フロイド「マネー」

 

キャッシュ・カードが持つ便利さに潜む落とし穴を江戸アケミは、皮肉たっぷりに歌い上げています。

EBBYが作曲し、江戸アケミが詞を書いた「つながった世界」は、打ち込みを取り入れた楽曲でリズムは非常に複雑な構成をしています。

▼EBBY(JAGATARAのギター)

 

中でも“今が最高だと転がっていこうぜ”と歌う箇所で江戸アケミは、ビートに乗った悦楽のようなものを感じていたかもしれないと思わせるほど、ビートとヴォーカルが渾然一体となって押し寄せてくるのです。

「ある平凡な男の一日」は、スチール・パン(ドラム缶から作られた打楽器)の音色がとても印象的なカリブ海の音楽を思わせるナンバー。平凡な男が、もらったばかりの給料をすべて使い果たし、それでも“俺の女房”は許してくれるとのろけを歌にしたものです。

JAGATARAとしては面白い試みのナンバーです。

そして、これも名曲の誉れ高い「中産階級ハーレム-故ジョン・レノンと全フォーク・ミュージシャンに捧ぐ-」では、生ギターで江戸アケミが弾き語りをしていて、中産階級においてのなんとも居心地の悪さを胸底から吐き出すように歌い上げています。

最後の息を吐ききってホーンが事切れた後に江戸アケミが“だいじょうぶマイフレンド”と叫ぶところは秀逸です。

 

【コラム】どういった点が秀逸?

江戸アケミにまだ精神疾患の症状があり「中産階級ハーレム~」ではかなりシリアスな内容の絶望的な内容の歌を歌っているのですが、エンディングで“頭をからっぽにするんだ”と何度も叫んでいます。そのあまりにも病的に聞こえてしまうことに対するカタルシスとして江戸アケミが最後に“だいじょうぶマイフレンド”と叫ぶのです。これで、聴くものも江戸アケミは大丈夫だとほっと一息つけるのです。この効果は絶大です。

 

ラスト・ナンバーの「ヘイ・セイ!(元年のドッジボール)」はスカ・ナンバーで、江戸アケミの口癖だったという“お前はお前のロックンロールをやれ”という歌詞が含まれていて、メジャー・デビューを果たした自身に対する皮肉を歌っているようでもあります。

このナンバーはあまり注目されませんが、意外と江戸アケミの当時の本音が詰まったナンバーといえ、最後はJAGATARAらしくハチャメチャなカオス状態で終わりを迎えます。

 

【1989年12月】生前最後のアルバム「ごくつぶし」リリース


▲アルバム「ごくつぶし」

 

1989年12月、江戸アケミ生前の最後のアルバム「ごくつぶし」がリリースされます。

 

「ごくつぶし」はどんなアルバム?

 

この「ごくつぶし」は江戸アケミの36年という人生の集大成にふさわしい力作となっています。

まず、23分以上もの大作「SUPER STAR ?」はラテン・ビートを軸に、様々に変化を遂げるナンバーです。

これは「それから」の「GODFATHER」で切り開いた“音楽演劇”と呼ぶしかない物語を語り尽くすように歌う、つまり、ファンキーなラテン・ビートの現代版義太夫を江戸アケミは思う存分このナンバーで繰り広げています。

物語はオカマのジョニーの甦生の壮大な物語で、あるいはそれは江戸アケミが自分の死を予感していたとしか思えない内容なのです。

 

「BIG DOOR」も18分あまりに及ぶ、これまた大作です。

このナンバーはフリー・ジャズかインプロヴィゼーション(即興演奏)かクラシックの現代音楽に通じるものがあり、ここに江戸アケミの“狂気”が閉じ込められています。

すでにこの頃、江戸アケミはヘトヘトに精神的に疲れ果てて、再び精神疾患の症状が顕著に表れ始めていた時期で、都会の中を白いライオンが蠢くという内容の詞は、実際に江戸アケミがそのようなことを体験した事実が書かれています。

演奏はもうハチャメチャでありながら、奏者の息はぴったりと合っているという奇妙なナンバーでもあります。

 

「MUSIC MUSIC」では江戸アケミはひたすらロックというものを問うています。

サウンドはJAGATARAの初期のパンキッシュな要素が見られる上に、オーソドックスなロック・サウンドで構成されています。

“俺にはロックなんかいらない”と歌う江戸アケミの胸中は相当複雑なものを抱え込んでいたように思います。

 

【1990年1月】江戸アケミの死

 

1990年1月27日、江戸アケミが自宅浴槽で溺死しているのを発見されます。

享年36です。

それが江戸アケミの限界だったのかもしれません。

それまでの江戸アケミは、肉体は充実していくのに精神的にはヘトヘトで、死の直前、江戸アケミはJAGATARAをやめると言い残して亡くなりました。

JAGATARAそのものが空中分解寸前だったのです。

メンバーの目指す方向の違いや音楽に求めることの違いなど、様々なことが重なってのことでした。

そんなときの江戸アケミの突然の死でした。

 

【1990年7月】アルバム「おあそび」リリース

 

レコード会社との契約上、JAGATARAはもう一枚アルバムをリリースしなければなりませんでした。

そこでOTOが中心となり「それから」と「ごくつぶし」の音源を元に、南アフリカのメマハラティーニ&マホテラ・クイーンズなど海外のミュージシャンが参加し、JAGATARAの音楽の本質をさらけ出して見せたアルバムが「おあそび」です。

▼アルバム「おあそび」

ただし「そらそれ」だけは江戸アケミが生前にレコーディングした最後のナンバーで、アフリカの土着音楽のビートに楽しそうに乗る江戸アケミのヴォーカルは、新たな何かを見出したかのようで、その死が惜しまれてなりません。

 

その後も相次ぐメンバーの死

 

江戸アケミの死後、JAGATARAのメンバー2人が相次いで亡くなります。

1992年4月8日、JAGATARAの最初期からのメンバー、渡辺正巳(ベース)が急性肺炎のために亡くなります。享年38です。

同年12月9日、JAGATARAで異彩を放つサックスを吹いていた篠田昌已が心筋梗塞で亡くなります。享年34です。

JAGATARAの中でも特に江戸アケミに近しかった2人が相次いで亡くなりました。

ここに何か人生の綾を見てしまうのですが、それにしても2人とも若すぎます。

 

JAGATARAは現在進行系

 

その他のJAGATARAのメンバーはそれぞれ今もJAGATARAを背負って音楽活動などをしています。

それはJAGATARAを伝説のバンドにせずに、いつまでも現在進行形のバンドにしておきたいからに他なりません。

JAGATARAは江戸アケミという稀有な才能の周りに才能ある人たちが集った“運動体”であり、また、JAGATARAはデビュー・アルバム「南蛮渡来」から「ごくつぶし」へと音楽的に一気に駆け上ってしまった感があり、太く短く、そして大きく輝いたバンドで、JAGATARAのメンバーだった人たちの心の中では今もJAGATARAは伝説のバンドとして過去のバンドではなく、現在も現役のバンドとして存在し続けているのです。

▼2019年6月に開設されたJAGATARA公式Twitter


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著者 積 緋露雪

1964年生まれ。音楽雑誌「CDで~た」の執筆・編集・企画を担当。ライター歴20年以上。小説『審問官』シリーズ出版。

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JAGATARAの軌跡③  【江戸アケミの復帰】

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鶏やヘビを食いちぎるなどの過激なパフォーマンスで注目を浴びたJAGATARA。精神疾患を患いながらも奇跡の復帰を遂げた江戸アケミ。そして死まで。1980年代を駆け抜けた伝説のバンドの軌跡をお伝えします!

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前ページでは江戸アケミの精神疾患が発症するまでの軌跡を振り返ってまりました。

このページでは、江戸アケミの復帰の第一歩となるコンサート「アースビート伝説85」への出演から、アルバム「ニセ予言者ども」のリリースまでの軌跡を振り返ってまいりましょう。

 

▼このページで紹介する出来事

年月 出来事
1985年9月 「アースビート伝説85」江戸アケミ出演(復帰の第一歩)
1987年3月 アルバム「裸の王様」リリース
1987年12月 アルバム「ニセ予言者ども」
全体年表はこちら(クリックorタップで開く)
年月 出来事
1979年 最初のギグ
1980年 過激なパフォーマンスに走る
1982年5月 デビューアルバム「南蛮渡来」
1983年5月 シングル「家族百景」
1983年 スタジオ制作
1983年11月頃~ 江戸アケミ精神疾患発症・JAGATARA活動休止
1985年9月 「アースビート伝説85」江戸アケミ出演(復帰の第一歩)
1987年3月 アルバム「裸の王様」リリース
1987年12月 アルバム「ニセ予言者ども」
1988年4月 アルバム「それから」でメジャーデビュー
1989年12月 アルバム「ごくつぶし」(江戸アケミ生前最後のアルバム)
1990年1月 江戸アケミ死亡
1990年7月 アルバム「おあそび」

 

【1983年~1985年】江戸アケミ活動休止中のJAGATARA

 

江戸アケミは発病後に入院しましたが、それでも外出許可がもらえた時などはライヴに出演していたりもしていました。

しかし、故郷の高知県に帰郷した江戸アケミは前述の通り四万十川をぼうっと眺めるのを日課にして、回復をじっと待っていたのです。

その間、江戸アケミ以外のメンバーはどうしていたかというと、江戸アケミの復帰を我慢強く待ちながらも、それぞれ演奏の技術を向上させようとセッションを重ねたり、または自身のバンドを作るなどして音楽活動を継続していました。

この江戸アケミの活動休止期間というのは、JAGATARAというバンドの形が、それまで江戸アケミという強烈な個性の渦に各メンバーが丸ごと呑み込まれた形でのバンド形式から、各メンバーが力をつけることで、各メンバーが小さいながらもしっかりと渦を巻きながら江戸アケミの強烈な渦に丸ごと呑み込まれることなく各自が自存しながらも連動する“共同体”へと次第にバンドの形式が変化してゆく過程でもあったのです。

つまり江戸アケミ以外のメンバーもJAGATARAが活動休止していた時間にそれぞれ実力をつけ、また自分を見つめ直す時間が持てたことにより、各メンバーにもまた江戸アケミの強烈な個性と対峙できる“個性”が備わったのです。

こうして江戸アケミ不在のJAGATARAは活動休止という窮地の時間の中、江戸アケミ以外の各メンバーはたくましく成長を遂げたのでした。

 

【1985年】「アースビート伝説85」で江戸アケミ復帰の第一歩を飾る

 

江戸アケミが精神疾患を発症してから約3年経った1985年9月15日。

東京都・日比谷野音で世界各国の音楽が集結したコンサート「アースビート伝説85」が雨降る中、決行されました。

このコンサートに江戸アケミは高知県から駆けつけ、久しぶりにJAGATARAとして出演することになったのです。

これはギターのOTOらが江戸アケミの復帰を切望したから奇跡的に実現したといっても過言ではありません。

江戸アケミはというと、薬のせいでろれつが回らずにしゃべられないにもかかわらず、演奏が始まるとむっくりと何かが江戸アケミの内部で目覚めたかのように身体は踊り出し力強い歌声を発するのでした。

症状的に厳しい状態であったにも関わらず、復帰できたことは奇跡に近いものがあります。

このコンサートにはJAGATARAの外に、八丈太鼓(日本)、ハムザ・エル・ディン(スーダン)、フランシス・シルヴァ(ブラジル)、ネパール民族舞踏団(ネパール)、フールズ(日本)、後に芥川賞を受賞することになる町田康氏が「町田町蔵」名義で率いた町田町蔵+人民オリンピックショー(日本)などバラエティに富んだ出演者が出演しました。なお、町田町蔵と江戸アケミはセッションをする間柄でした。

この「アースビート伝説85」で江戸アケミは復帰への第一歩を踏み出したのです。

 

【1987年1月】江戸アケミが再上京しアルバム「裸の王様」完成


▲アルバム「裸の王様」(画像クリックで商品詳細へ)

 

この頃、江戸アケミはOTOの言うことだけは聞いたそうです。

そのOTOの強い勧めもあって江戸アケミは病気は根治していないにもかかわらず、再上京します。

当時の江戸アケミは薬のせいでぼうっとし、ろれつがよく回らない状態なのでしたが、ひとたび歌になると病気を発症する以前よりもなお一層ビートに乗り、歌う姿は神々しく見えていたそうです。

JAGATARAのメンバーはこの頃、衣装をそろえ、JAGATARAが変わったことを強く印象づけるのでした。

そして1987年1月にアルバム「裸の王様」が完成します。

 

「裸の王様」はどんなアルバム?

 

アフロビート全開でどこか切なさが漂うアルバム・タイトル曲「裸の王様」で幕を開けるアルバム「裸の王様」。江戸アケミが薬漬けでまだ、ひどい状態だとは微塵も感じられないほど溌剌と切れ味鋭いヴォーカルが収録されています。

またサックスが一際光る演奏を聴かせていています。

なるほど、JAGATARAの各メンバーは演奏力をかなり上げたと思われます。

各メンバーが演奏力を上げると自然と江戸アケミに意見が言えるようになり、実際に、JAGATARAの各メンバーはかなり議論を重ねて音作りなどをしていたそうです。

新たに加わったYukarie(ユカリ)の女声コーラスがとてもよい味を出している「岬でまつわ」もアフロビートが効いたナンバーで、うねるビートに全身全霊で乗る江戸アケミのヴォーカルは聴き応え十分です。

ギターが光る「ジャンキー・ティーチャー」もアフロビート・ナンバーです。

とはいえ、ここはJAGATARAです。JAGATARAの音楽は一筋縄ではいかず単にアフロビートをそのまま取り入れることはなく、アイデア満載なのです。

基本のビートはアフロビートなのですがビートに乗った江戸アケミは破天荒ともいえるように暴れ回ります。

また、例えばフランク・ザッパのようにハチャメチャなのです。

それでいて、カオスには陥らず、江戸アケミがその強烈な個性で、曲をギリギリの線でなんとかまとめてしまうのです。その豪腕ぶりに凄みがあります。

「ジャンキー・ティーチャー」はかなりユニークなナンバーといえ、途中、“危ないね 危ないね 危ないね”と不安を煽るようなサウンドがあるかと思えば、エンディングでは江戸アケミがジャンキー・ティーチャー(聴いている人を指している)に対して“この中にたったひとつだけ正解がある”などとがなり立て、挑発します。

最後は哀愁漂い名曲と言われているレゲエ・ナンバーの「もうがまんできない」です。

“ちょっとのひずみならがまん次第でなんとかやれる”と歌う江戸アケミは最後は“心の持ちようさ”とかなり深刻に歌い上げ、この言葉が胸に突き刺さるのです。

 

【1987年12月】アルバム「ニセ予言者ども」リリース


▲アルバム「ニセ予言者ども」

 

1987年12月にはアルバム「ニセ予言者ども」をリリースします。

 

「ニセ予言者ども」はどんなアルバム?

 

ファンク・ビートが跳ね暴れる「少年少女」「みちくさ」で、江戸アケミはビートに全身全霊で乗っているのです。

「少年少女」では夢や未来ある少年少女の現実からの解放を歌い上げ、

「みちくさ」ではホーン・セクションが花を添えながら、“時は流れ 人はまた去る”と歌っては“おまえの考えひとつで どうにでもなるさ”と江戸アケミ自身にいい聞かせるように歌っています。

江戸アケミの精神疾患でJAGATARAが活動休止せざるを得なかったことを指して「みちくさ」といっているのか、“やりたいことがたくさん残ってる”と叫ぶ江戸アケミは活動再開したことに対してやる気満々といった気概が伝わってきます。

しかし一方で、それは江戸アケミの遺言にも聞こえるのです。

 

これまた、ファンク・ビートが跳ね回る「ゴーグル、それをしろ」でも江戸アケミは全身全霊でビートに乗っています。

現実が幻想という化け物に取り憑かれているのでそれを避けるために“ゴーグル”をしろと江戸アケミは訴えているのです。

“俺は何でも見てきた 魂の抜け殻になった奴らを”と歌うところなど、グサリと心に突き刺さる強烈な印象を残すナンバーが「ゴーグル、それをしろ」です。

 

最後は哀愁を帯びたアフロビート・ナンバーで名曲といわれている「都市生活者の夜」です。

“昨日は事実 今日は存在 明日は希望”という歌詞がとても印象に残るこのナンバーで、江戸アケミは都市生活者が否応なく帯びてしまう存在の哀しみを実によく表現していて、深く深く歌詞が心に染み入る名曲と呼ばれるにふさわしいナンバーが「都市生活者の夜」なのです。

 

【コラム】「ニセ予言者ども」が傑出したアルバムである理由

このアルバムでの江戸アケミは弾けるファンク・ビートに日本人離れしたリズム感で乗り、また収録されたナンバーの歌詞が、心に突き刺さるものであったり、じんわりと心に染み入るものであったり。その歌詞が激しい江戸アケミのヴォーカルとは裏腹にまだ、精神疾患が根治していなかった江戸アケミの「存在の哀しみ」が滲み出たナンバーばかりなのです。

「やりたいことがいっぱい残ってる」といった「魂の叫び」を上げもしています。また、バンド演奏もこのアルバムではほどよい緊張感の中、引き締まった演奏で、心にビンビンと響くのです。JAGATARAの「顔」であったファンク・ビートがこのアルバムは傑出してよく、また、アフロビート(ジャズやファンクの要素を下地としたアフリカ音楽)も取り入れてのナンバーの哀愁など、JAGATARAのこれからを決定したアルバムと言っても過言ではありません。

 

さて、このページでは江戸アケミ復帰後のJAGATARAの軌跡を振り返ってまいりました。次のページではJAGATARAのメジャーデビューから、江戸アケミの死後リリースされた「おあそび」などについてお伝えします。

『JAGATARA入門』目次へ  (全5ページ)

 

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著者 積 緋露雪

1964年生まれ。音楽雑誌「CDで~た」の執筆・編集・企画を担当。ライター歴20年以上。小説『審問官』シリーズ出版。

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JAGATARAの軌跡② 【江戸アケミ精神疾患の発症】

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鶏やヘビを食いちぎるなどの過激なパフォーマンスで注目を浴びたJAGATARA。精神疾患を患いながらも奇跡の復帰を遂げた江戸アケミ。そして死まで。1980年代を駆け抜けた伝説のバンドの軌跡をお伝えします!

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前ページでは名盤「南蛮渡来」のリリースまでの活動を振り返ってまいりました。

このページではシングル「家族百景」リリースから、江戸アケミの精神疾患の発症の経緯などをお伝えします。

▼このページで紹介する出来事

年月 出来事
1983年5月 シングル「家族百景」
1983年 スタジオ制作
1983年11月頃~ 江戸アケミ精神疾患発症・JAGATARA活動休止
全体年表はこちら(クリックorタップで開く)
年月 出来事
1979年 最初のギグ
1980年 過激なパフォーマンスに走る
1982年5月 デビューアルバム「南蛮渡来」
1983年5月 シングル「家族百景」
1983年 スタジオ制作
1983年11月頃~ 江戸アケミ精神疾患発症・JAGATARA活動休止
1985年9月 「アースビート伝説85」江戸アケミ出演(復帰の第一歩)
1987年3月 アルバム「裸の王様」リリース
1987年12月 アルバム「ニセ予言者ども」
1988年4月 アルバム「それから」でメジャーデビュー
1989年12月 アルバム「ごくつぶし」(江戸アケミ生前最後のアルバム)
1990年1月 江戸アケミ死亡
1990年7月 アルバム「おあそび」

 

【1983年5月】「家族百景」リリース

 

デビュー・アルバム「南蛮渡来」は評判が評判を呼んで、自主制作した3000枚は完売しました。

1983年になり暗黒大陸じゃがたらはEP12インチ・シングル「家族百景」をリリースします。

▼シングル「家族百景」(画像クリックで商品詳細へ)

そして、江戸アケミは「南蛮渡来」完売で得られた収入約300万円で自前の録音スタジオ制作に着手します。スタジオ制作の目的は自前のレコード製作を考えている人に使ってもらうためでした。

江戸アケミはこの時もしかするとメジャー・デビューの芽すらないバンド連中との“連帯”を志向していたのかもしれません。

本当のところは分かりませんが、江戸アケミは自分のために録音スタジオの制作に着手したのではないことだけは確かです。”自分のためより、他人のため”に生きていたような人物が江戸アケミなのです。

それに加えて江戸アケミにはレゲエを生み出した国であるジャマイカに対する羨望があったようです。

江戸アケミはレゲエそのものに嫉妬するほどにレゲエを愛していたと思われます。

「レゲエ」はバラック(粗末な家屋)みたいなスタジオで制作されているにもかかわらず、“世界的な音楽”になりました。一方、日本はというと、やれ機材がどうしたなど体裁ばかりにこだわっていてレゲエの足下にも及ばない、という忸怩たる思いが江戸アケミの胸の内にあったのは想像に難くありません。

 

スタジオ制作に取りかかる

 

江戸アケミは1983年、東京都渋谷区・松見坂にあったとあるビルの屋上で自前の録音スタジオ制作に取りかかります。

江戸アケミ自身が工事を行うという本当の手作りのスタジオだったのです。

ただし、機材は当時としては最新式でかなりのものが揃っていました。

完成するとそのスタジオは「じゃがたらスタジオ」と命名されました。

通称“じゃがスタ”と呼ばれたそのスタジオは“とがった音”ではなく“暖かい音”でレコード製作ができるスタジオとして次第に知られてゆきます。

江戸アケミは生真面目だった一方で色々な人から慕われる“親分肌”なところがあって、“じゃがスタ”には江戸アケミを慕った人たちが集まる場所になっていきました。

そうなると普通であれば“族”と呼ばれる集団へとなるがお決まりのコースだったのですが、“じゃがスタ”に集った人たちは最後までほんわかとした集まりだったそうです。

 

【1983年11月頃】江戸アケミ精神疾患の発症

 

1983年といえば、江戸アケミが突然に精神疾患を発症した年でもあります。

江戸アケミが発症した精神疾患は現在の統合失調症といわれています。

 

それは突然やってきました。

JAGATARAがそのとき関西から北陸へのツアーへ出発した直後のことでした。

「南蛮渡来」の成功やラジオ出演で全国のライヴ・ハウスから声がかかっていたのは想像に難くありません。

メンバーの証言などから江戸アケミの様子に異変が現れ始めたのは1983年10月30日のことだったようです。

それでも神戸での11月1日、2日のライヴ・ハウスでのライヴは無事に終えたそうです。

 

しかし、問題は11月3日の京都の精華大学の学園祭でのライヴです。

その前段にJAGATARAのメンバーの京都の宿舎には多くのジャンキーが出入りしていたそうです。

それが、江戸アケミには悪い意味で衝撃だったようです。

色々な人の江戸アケミ像はというと、江戸アケミは何をおいてもまず、自分よりも先に相手のことを考えて行動する人だったそうです。

ジャンキーに出くわしてしまった江戸アケミは非があるのは相手ではなく自分にあると、はなから思い込んで、それでなくとも生真面目な江戸アケミはジャンキーの悪しき生態に当てられたのだと思われます。

多分、ジャンキーの生態が江戸アケミには理解不能で、それでもとことん考えないと気が済まない江戸アケミは、倒錯してしまったのかもしれません。

つまり、ジャンキーの生態が“普通”でおかしいのは江戸アケミ自身だと。

 

【コラム】江戸アケミとドラッグの関係性

江戸アケミはドラッグを全否定していました。しかし、実際にドラッグに溺れた人たちを目の当たりにして、それはもしかしたならば、江戸アケミは自分の音楽がそうさせてしまったのではないかと自虐的と思えるほど自省してしまっていたのです。そのときの江戸アケミの落ち込みようは大変ひどかったと想像されます。これは江戸アケミのルーツにクリスチャンということが関係していると言われています。“ジャンキーを救えなかったのは自分の罪”と江戸アケミは考えていたようです。

 

その宿舎を出て精華大学へ向かう車中、江戸アケミは「UFOが出るぞ」などと変なことを口走り始めます。

そして、ツアーの同行者の一人がある不気味な池を右手に通り過ぎたときに“自殺する人が多い池”という趣旨の言葉をつぶやきます。

精華大学に着くと、2台の車でJAGATARAのメンバーは移動していたのですが、1台が30分くらい遅れて精華大学に到着しました。

それに対して怒った江戸アケミは“5時間待っていたんだぞ”という風に怒鳴り散らし、それを見たメンバーは呆気にとられたといいます。

 

いよいよ精華大学でのライヴが始まります。

集まった学生たちは踊り出したそうです。

そのせいなのか、江戸アケミはライヴ途中、突然歌うのをやめてしまいます。

そのときの様子は、もう江戸アケミは完全に“イっちゃっていて”、目は虚ろで、ただ首を左右にゆっくりと振っていたそうです。

 

ライヴはそこで中止になりメンバーたちは楽屋に戻ったのですが、江戸アケミは、放心状態で“じゃがたらをやめる”と言い残し、楽屋を去ったとのこと。

メンバーの多くがこのとき江戸アケミは発病していたと振り返っています。

 

この後、江戸アケミは都内の病院に入院し、その後、退院し、故郷の高知県に帰郷して療養します。

JAGATARAの活動は休止に追い込まれます。

江戸アケミは故郷にいて四万十川をぼうっと眺めているのを日課にしていたそうです。

江戸アケミは退院したからといって精神疾患が根治したわけではありませんでした。

大量の薬を毎日飲んでいたといわれています。

残されたメンバーは、それでも江戸アケミが復帰するときを辛抱強く待っていました。

 

さて、このページでは江戸アケミの精神疾患が発症するまでの軌跡について振り返ってまいりました。次のページでは、江戸アケミが復帰に至った経緯などについてお伝えします。

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目次著者

著者 積 緋露雪

1964年生まれ。音楽雑誌「CDで~た」の執筆・編集・企画を担当。ライター歴20年以上。小説『審問官』シリーズ出版。

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JAGATARAの軌跡① 【ヘビを食いちぎる過激パフォーマンス!伝説のアルバム「南蛮渡来」】

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鶏やヘビを食いちぎるなどの過激なパフォーマンスで注目を浴びたJAGATARA。精神疾患を患いながらも奇跡の復帰を遂げた江戸アケミ。そして死まで。1980年代を駆け抜けた伝説のバンドの軌跡をお伝えします!

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著者 積 緋露雪

1964年生まれ。音楽雑誌「CDで~た」の執筆・編集・企画を担当。ライター歴20年以上。小説『審問官』シリーズ出版。

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今は亡き江戸アケミが率いたJAGATARAを知っている人は熱狂的なJAGATARAのファンだと思います。

JAGATARAはこれからというときに江戸アケミが亡くなってしまいました。「伝説」と化して歴史に固定化されることを嫌っていた江戸アケミ自身にとっては不本意かもしれませんが、今やJAGATARAというバンドは「伝説」と化しています。

このページでは最初のギグから名盤の誉れ高い伝説のデビュー・アルバム「南蛮渡来」発表までの軌跡をお伝えします。

▼このページで紹介する出来事

年月 出来事
1979年 最初のギグ
1980年 過激なパフォーマンスに走る
1982年5月 デビューアルバム「南蛮渡来」
全体年表はこちら(クリックorタップで開く)
年月 出来事
1979年 最初のギグ
1980年 過激なパフォーマンスに走る
1982年5月 デビューアルバム「南蛮渡来」
1983年5月 シングル「家族百景」
1983年 スタジオ制作
1983年11月頃~ 江戸アケミ精神疾患発症・JAGATARA活動休止
1985年9月 「アースビート伝説85」江戸アケミ出演(復帰の第一歩)
1987年3月 アルバム「裸の王様」リリース
1987年12月 アルバム「ニセ予言者ども」
1988年4月 アルバム「それから」でメジャーデビュー
1989年12月 アルバム「ごくつぶし」(江戸アケミ生前最後のアルバム)
1990年1月 江戸アケミ死亡
1990年7月 アルバム「おあそび」

 

【1979年】最初のギグ

 

JAGATARAというバンドが活動を開始したのは1979年のことでした。

JAGATARAのファースト・ギグといわれているのが1979年3月8日、東京都世田谷区上馬にあったライヴ・ハウス「ガソリンアレイ」での“江戸&じゃがたら”とのバンド名で“猫だまし演芸一座ジョイントコンサート”と銘打って行われたギクです。

当時のJAGATARAは音楽性に脂がのっていた頃のJAGATARAのアフロビート(ジャズやファンクの要素を下地としたアフリカ音楽)とファンク・ビートがはね暴れるものとはかなり違っていてロックンロール色が強いものだったようです。

メンバーもJAGATARAの音楽の核となるメンバーであるOTO(村田尚紀・ギター)などはまだ参加していませんでした。

一方で江戸アケミはアメリカ南部のブルージーなロックがしたくて、メンバー募集の告知をしていました。江戸アケミの根本にはブルースがあったのです。

 

【1980年】江戸アケミが過激なライヴ・パフォーマンスへ走る

 

JAGATARAの原型ができた1980年。

江戸アケミは当時、全盛だったパンク・ロック(1970年代半ばにアメリカで誕生した過激で攻撃的なロック)を標榜していました。

しかし、生真面目で大変な照れ屋だった江戸アケミはライヴでのMCが大の苦手。それでもMCをするのですが、その際いわゆる“親父ギャグ”を飛ばします。

しかし、それがあまりにもくだらなくて客からヤジが飛びます。

あるときそれに窮した江戸アケミは何を思ったかマイクに頭をゴツンとぶつけたのです。

それが観客にウケてしまったのが運の尽きだったのです。

この自虐的なパフォーマンスはエスカレートせざるを得ないのです。

それというのも、観客は前と同じパフォーマンスでは満足しないものです。

江戸アケミは生真面目で照れ屋であった反動で異常なまでにサービス精神があったために、観客がはやし立てれば、それに応じてより過激なパフォーマンスをしてしまうのでした。

初めはマイクにゴツンと頭をぶつけていたものが、激しくマイクに頭をぶつけるようになり、それを観客が喜んだのです。

観客が喜べば、江戸アケミは何でもしてしまうのです。

 

さらに過激になるライヴ・パフォーマンス

 

観客は江戸アケミの自虐的なパフォーマンス見たさに大勢やってきていました。

江戸アケミのライヴ・パフォーマンスにより、ライヴ・ハウスはいつも観客でいっぱいだったそうです。

江戸アケミのライヴ・パフォーマンスは観客の求めを満足させるために更に更に過激さを増していきました。

鶏やシマヘビを食いちぎりそれを食らって、そして自らをフォークやカミソリで切りつけ、時には出血多量で救急車で病院に運ばれるまで、自虐的な江戸アケミのライヴ・パフォーマンスは過激になっていきました。

また、ときには他のバンドのライヴに殴り込んでは血だらけでぶっ倒れたり、全裸になったりもしていました。

観客には“江戸アケミ信者”のような人たちが現れ、怖いもの見たさでライヴ・ハウスは大盛況だったと言われています。

 

初めは江戸アケミ本人がやりたくてやっていたパフォーマンスでしたが、江戸アケミは次第にそんなパフォーマンスに嫌気がさしてきて、本心ではやりたくなくなっていたのです。

しかし、観客がはやし立てるから過激なパフォーマンスをしてしまうのでした。

江戸アケミは当時、負の連鎖の中にいました。

1980年8月、負の連鎖を断ち切ろうと江戸アケミは過激なパフォーマンスはもう金輪際やめて、音楽で勝負する決意をします。

そして時を同じくしてJAGATARAの音楽の核となるOTOが加入します。

この後、JAGATARAは“暗黒大陸じゃがたら”と名乗り、ツアーを敢行し、全国のライヴ・ハウスを巡ります。

 

【1982年5月】「南蛮渡来」リリース

 

まだ、インディーズという言葉もほとんど知られていない時代の1982年、JAGATARAは暗黒大陸じゃがたら名義でファースト・アルバム「南蛮渡来」をリリースします。

▼アルバム「南蛮渡来」(画像クリックで商品詳細へ)

このアルバムは少なからず、業界関係者だけでなく一般のJAGATARAのファンに衝撃を与えるものだったのです。

例えば音楽雑誌『ロッキング・オン』の編集者兼代表取締役でラジオのパーソナリティとしても知られている渋谷陽一氏に高く評価されました。

渋谷陽一氏のラジオ番組に出演したり、音楽評論家中村とうよう氏にも高く評価されたりと「南蛮渡来」は発表当時、日本を代表する音楽評論家に高く評価されたのです。

 

南蛮渡来はどんなアルバム?

 

「南蛮渡来」は“日本人てくらいね、性格がくらいね”という言葉とサックスが強烈な印象の「でも・デモ・DEMO」のファンク・ナンバーで始まります。

この中で、親しい人やどうでもいい人に対して別れを言って“せこく生きてちょうだい”と突き放す江戸アケミ。

これは思うに過去の自分自身に対しての惜別の言葉にもとれます。

更にいえば江戸アケミが書く歌詞はどれもが江戸アケミの遺言のように思えて仕方がないのです。実際に曲を聴けば、それが伝わってくることでしょう。

 

ノイジーなパンク・ナンバーの「季節のおわり」では“何かがちがう”社会への反抗が歌い上げられ、「BABY」ではパンキッシュなファンク・ビートに乗せて、江戸アケミの思いの丈をがなるように歌われています。

 

そして大槻ケンジらにカヴァーされ愛されている名曲「タンゴ」

“都会の隅で”生きてゆく生きづらさをアフロビートによるアレンジのレゲエ・ナンバーとしてその不合理を切々と江戸アケミが歌い上げています。

 

社会に対する敵愾心むき出しのパンク・ナンバーの「アジテーション」は、他者との関係の破綻から見えてくる社会の嘘くささに対する“アジテーション”です。

パンク・ナンバーの「ヴァギナ・FUCK」では卑猥な言葉で聴くものをアジテーションしています。

パンキッシュなレゲエ・ナンバーの「FADE OUT」も“息苦しくてかなわない”日常に対する反抗の歌で、そんな終わらない日常から逃れられないことに嫌気がさして仕方がない様が言葉を吐き出すように歌われています。

 

終曲は一転してこれまた名曲「クニナマシュ」です。

“人類ミナ兄弟”とアフロビートに江戸アケミは心底乗ることに集中しています。

そして「クニナマシュ」では女声がうまく使われています。

「クニナマシュ」は次第にカオス状態になっていって有名な“ぼくたちは光の中でチャチャチャ”というフレーズを女声が歌い、その中を江戸アケミが息苦しそうに“あいつの躰に 火をつけろ”とあまりに残酷な“祭り”を煽って終わりを迎えます。

なお、1989年にCDが再々発売された際にボーナストラックとして「元祖家族百景」「ウォークマンのテーマ」が収録されました。

 

さて、ここまでは名盤「南蛮渡来」のリリースまでの活動を振り返ってまいりましたが、次のページではシングル「家族百景」リリースから、江戸アケミの精神疾患の発症の経緯などをお伝えします。

『JAGATARA入門』目次へ  (全5ページ)

 

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著者 積 緋露雪

1964年生まれ。音楽雑誌「CDで~た」の執筆・編集・企画を担当。ライター歴20年以上。小説『審問官』シリーズ出版。

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スターダスト・レビュー「還暦少年ツアー」の見どころ徹底解説!ファン歴24年が語る!

 

スターダスト・レビューは2019年末まで続く「還暦少年ツアー」の真っ最中で、全81公演を予定しています。

「還暦少年ツアー」の見どころをご紹介します。

 

ネタバレを含みますので、知りたくない方はネタバレ部分は赤文字で明示いたしましたので見ないようにお願いします。

ちなみにボーカル&ギターの根本要さんは「ネタバレしてくれて全然かまわないよ」という人です。ネタバレしても、生のライブが勝ると思っているからです。

でも、ネタバレOKの人、ネタバレが嫌だという人がいることはもちろん理解しているので「ネット上では配慮をお願いしますね。」と言っています。

※ちなみに様々なミュージシャンのライブに数百回以上行っている筆者は、スタレビのライブが日本一だと公言しています。その理由を知りたい方は以下のコンテンツより!

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▼ウェブサイト版『スターダスト・レビュー入門』(全14ページ)

 

「還暦少年ツアー」7つの見どころ

① セットがかわいい

 

今回のツアーは「セットがかわいい」というのが話題の一つとなっています。

通常、スタレビはそんなに豪華なセットを組むわけではありません。

ですが、今回は客席に入った瞬間からワクワクするセットが組まれています。

ライブへの期待が高まること間違いなしです。

 

-ネタバレ-

 

今回のツアーのテーマは「スタレビ遊園地」。

題して「ユニバーサルスタレビジャパン」略して「USJ」。

ステージには大きな観覧車、ジェットコースターが組まれていて、とにかくかわいい。

見た瞬間に「うわ~っ!」っとなると思います。

観覧車の真ん中には「スタレビ」の文字。

スタレビはずっと照明に力を入れていて、曲に合わせてライトアップされるセットは本当に楽しく素晴らしい。

 

-ネタバレ終了-

 

② アルバム「還暦少年」の曲が素晴らしい

 

最新アルバム「還暦少年」のツアーなので「還暦少年」の曲をたっぷりとお届け。
CDとライブでは曲に対する感じ方が変わります。

やはり生で聴く音はライブならではの良さがあり、とてもカッコよかったり、心地よかったりと、とても楽しめるのです。

ぜひアルバム「還暦少年」を聴きこんで参加してほしいと思います。

 

-ネタバレ-

 

アルバム収録曲10曲中、9曲をライブでは演奏します。

これは、なかなか異例なこと。

スタレビの場合、アルバムのツアーでは収録曲が10曲あれば、ライブで演奏するのは大体6~7 曲ぐらいです。

今回は9曲も演奏するのでたっぷりと楽しめるのです。

「世界はいつも夜明け前」の要さんのギターがカッコいい。

 

-ネタバレ終了-

 

 

③ セットリストが日替わり / リクエストボタンの存在

 

スタレビのツアーでは、セットリスト(演奏曲目)が変わるのが魅力。

24曲ほどのセットリストのうち、約9曲は日替わり曲となっています。そしてその中の曲は ファンが決めることができます。

約9曲の日替わりの曲は候補曲の中から選ぶのですが、ライブ会場に設置された「リクエストボタン」に曲目が出ています。

その中から聴きたい曲の「リクエストボタン」を押して、今日のセットリストを決めましょう!

▼リクエストボタンのイメージイラスト

 

④ 「木蘭の涙」しか知らなくても大丈夫

 

スタレビの代表曲「木蘭の涙」。

これしか知らなくても大丈夫です。

きちんと要さんが説明してくれます。

 

-ネタバレ-

 

「オープニングからずいぶん時間がたったけど、知らない曲ばっかりだ…どうしよう…と思っているあなた!大丈夫です。『木蘭の涙』しか知らない、そんなあなたにお届けするスタレビの隠れた名曲シリーズ~!いやいや別に隠してないから。あえてヒット曲を出さないようにしてるだけだから。」と笑いをとる要さん。

曲を知らなくても楽しめるのがスタレビライブです。

もし気に入った曲があれば、ぜひ終演後にCDを購入してください。

 

-ネタバレ終了-

 

⑤ 健康に配慮!要さんが自身の病気をネタにする

 

昨年(2018年)要さんが、軽い軽い脳梗塞で大事をとって入院。

すぐに元気になったので一安心だったのですが、それ以来ネタが一つできたとばかりに自身の病気で笑いをとっていく姿には感心します(笑)

 

根本要さんの入院について詳しくは『スターダスト・レビュー入門』のこちらのページより!

 

ファンの年齢層も高くなっていく、ということもありライブでは15分ほど休憩時間があります。

トイレに行ったり、グッズを買ったりしていいのですが、メンバーはずっとステージにいます。

普通は休憩時間があれば、アーティストも舞台袖に引っ込みますが、スタレビはずっとトークをしています。

これがおもしろい。

ですから私は、ささ~っとトイレに行ってささ~っと戻ってきます。

ライブ中にトイレに行くことはない私ですが、スタレビライブは長いので(3時間半~4時間近く)「行っていいよ」と言われると行っておきたいのです。

 

-ネタバレ-

 

腿上げ運動や、エコノミー症候群に配慮して立ち上がって伸び~をしたり、デトックス効果と称して声出しがあったりと、健康にも配慮した内容で笑いをとる要さん。

「還暦少年」では、客席を年代別に分けたパフォーマンスで観客を盛り上げ、熱気は最高潮です。

 

-ネタバレ終了-

 

⑥ おみやげつき

 

スタレビのツアーでは大塚食品さんがスポンサーになってくださっていて、終演後にはクリスタルガイザー700mlを一人一本頂けます。

▼クリスタルガイザー

大塚食品さんがスポンサーになって、もう20年近く経つでしょうか。

カロリーメイトやSOYJOY、イオンウォーターなどいろいろと頂いてきました。

ここ数年は、クリスタルガイザーを頂いていて、ライブ遠征した時にホテルでお茶を飲むのに助かっています。

 

⑦ 募金をするとステッカーがもらえる

 

スタレビは、東日本大震災をきっかけに義援金活動を始めました。

その活動は一過性に過ぎず、今現在までずっと続けています。

みんなが募金をしやすいようにと、募金をするとステッカーが配られます。

スタレビの事務所社長の鬼木さん自ら、募金箱の前に立っています。

私は、信頼できるスタレビ以外には募金をしません。

ぜひ、ライブでは募金をしていただけたらと思います。

 

ファンクラブならではの3つの特典

 

以下ではファンクラブならではの特典を紹介します。

スタレビの楽しみ方の幅を広げたい方は、ぜひファンクラブにも入会いただければと思います。

ファンクラブ入会はこちら⇒スタレビ公式サイト(フラッパークラブページ)

 

① 記念スタンプ

 

今回の「還暦少年ツアー」から、記念スタンプが始まりました。

ファンクラブ会員は、チケットやその他押したいものに当日の日付入りのかわいい記念スタンプを押すことができます。

何かライブの記念になるものを、とメンバーたちが考えてくれたものです。

 

② 当日入会でサイン入り生写真

 

会場でファンクラブに入会すると、サイン入り生写真がもらえます。

もちろん、当日入会でも記念スタンプを押すことができます。

スタレビが好き!と思ったらぜひ入会を。

 

③ バックステージご招待

 

ファンクラブ会員は、抽選でライブ後にバックステージに招待して頂けます。

各会場4名です。

一度も当選していない人が優先ですが、現在2度目の応募も可能となっています。

私は9年前に当選し、今回ダメ元で2回目の応募をしたら当選しまして、とっても幸せな時間を過ごすことができました。

メンバーとの5ショット写真に自分の名前入りのサイン、その他サインしてほしいものを持って行くとそれにもサイン、握手やたっぷりとお話も出来て、いたれりつくせりなのです。

スタッフさんがコップでお水も出してくださり、クリスタルガイザーもまた楽屋で頂きました。

メンバーはとにかく優しくてきちんと話を聞いてくれ、いかにファンクラブ会員を大事に思ってくれているかがよくわかります。

要さんからの質問として「いつからスタレビを好きなのか」「今日のライブの感想」を聞かれますので心の準備を。

 

ファンクラブ入会はこちら⇒スタレビ公式サイト(フラッパークラブページ)

 

「還暦少年ツアー」に参加した感想!

 

とにかくすっごく楽しい! 元気をもらえる!

私は、いつも最新のスタレビが最高だと思っています。

最新アルバムが最高だし、最新ツアー、最新ライブが最高だと思っています。

今回も本当に最高で、スタレビが本当に大好き!と実感しました。

おそらくセットリストの中で、世間的に知られている曲は2~3曲…もしかしたらあの1曲だけかも知れません。

こんなにヒット曲がないのに、こんなに楽しくて盛り上がるライブ他にある?と思います。

これは、他のライブにも多く参加している私だから言えます。

スタレビのライブほど楽しいライブはない。

一緒に歌って踊って、笑って盛り上がって最後の曲は感動で胸がいっぱい。

還暦を迎えたスタレビメンバーが、こんなにも楽しく生きている。

ライブ後には「自分もこんな風に年を重ねたい、年をとることが怖くない」そんな風に思えるはず。

ぜひあなたも「スタレビの最高のバックダンサー&バックコーラス」として、スタレビライブに参加してください。

 

以上、しあ氏による「スターダスト・レビュー還暦少年ツアーの見どころを解説でした。スターダスト・レビューについて一から知りたい方は、当記事の筆者であるしあ氏による「スターダスト・レビュー入門」をご覧くださいませ。

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▼ウェブサイト版『スターダスト・レビュー入門』(全14ページ)