ファン歴30年以上が谷山浩子さんの曲世界を紹介。トラウマソングとして有名なNHK『みんなのうた』への提供曲「まっくら森の歌」をはじめ、あまりにも独特すぎる不思議な曲の世界にの数々に虜になること間違いなし!?
谷山浩子入門 ~『みんなのうた』でトラウマを与えた音楽家!?唯一無二のダークファンタジー世界~はこちらから!
はじめに
第1章 谷山浩子の曲世界
第2章 谷山浩子の軌跡
第3章 ラジオとライブ
著者:加藤千鶴
1972年生まれのライター。谷山浩子ファン歴30年以上。小学6年生の時にラジカセから流れる音楽に魅了され日本のポップス・ロックを聴き続けてきました。谷山浩子さんはみんなのうたの「恋するニワトリ」でハマりました。音楽以外では、演劇やダンスなどの舞台鑑賞と、シュノーケリングなどの旅行、FMラジオが趣味。
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第1章では谷山浩子さんの楽曲の魅力をご紹介してきました。
第2章では谷山浩子さんの軌跡を通して、浩子さんへの理解を深めていただきたいと思います。
目次
- 年表一覧
- 【1956年~1972年】誕生~最初のレコードデビュー
- 【1974年】ポプコン入賞
- 【1977年】本格的に歌手としてデビュー
- 【1982年】ラジオ『オールナイトニッポン』開始
- 【1981年】橋本一子さんプロデュースのアルバム『時の少女』 ~ポピュラリティーを獲得していった楽曲~
- 【1985年~1986年】『みんなのうた』に楽曲を提供/斉藤由貴への提供曲ヒット
- 【1987年】『101人コンサート』で全国少人数ライブ
- 【1998年】音楽劇を上演
- 【2002年】猫森集会
- 【2006年】『ゲド戦記』の挿入歌
- 【2012年~2013年】ROLLY氏とのコラボ
- 【2017年】アルバム『月に聞いた11の物語』
- 【2019年】アルバム『花さかニャンコ』
年表一覧
年月 | 出来事 |
1956年8月 | 誕生 |
1972年4月(当時15歳) | 1回目のデビュー。シングル「銀河系はやっぱりまわってる」リリース |
1974年5月 | 第7回ポピュラーソングコンテストで入選 |
1975年2月 | 2回目のデビュー。シングル「お早うございます帽子屋さん」をリリース |
1977年3月 | 3回目のデビュー。シングル「河のほとりに」リリース。 |
1981年11月 | 橋本一子プロデュースのアルバム『時の少女』リリース |
1982年4月(~1986年4月) | 『谷山浩子のオールナイトニッポン』放送開始 |
1985年2月 | 『みんなのうた』に「恋するニワトリ」提供 |
1985年8月 | 『みんなのうた』に「まっくら森の歌」提供 |
1986年5月 | 斉藤由貴「土曜日のタマネギ」リリース |
1986年11月(当時30歳) | 斉藤由貴「MAY」リリース |
1987年(~2001年) | 『101人コンサート』始まる |
1996年 | 結婚 |
1998年(~2005年) | 音楽劇『幻想図書館』シリーズ上演開始 |
2002年 | ライブ『猫森集会』開始 |
2006年6月(当時49歳) | 『ゲド戦記』挿入歌「テルーの唄」リリース |
2012年6月 | 『オールナイトニッポンモバイル』放送開始 |
2012年9月 | 共作アルバム『ROLLY&谷山浩子のからくり人形楽団』リリース |
2017年9月 | アルバム『月に聞いた11の物語』リリース |
2019年9月 | アルバム『花さかニャンコ』リリース |
【1956年~1972年】誕生~最初のレコードデビュー
浩子さんは1956年生まれ、横浜市育ち。
音楽一家で育ち、そのうち曲を作るようになります。
中学生の時に学校の近所にあったレコード会社に曲の持ち込みを始めました。
元々は歌謡曲の作曲家志望でした。
ただ自分で歌えばレコードを出してもらえるというので、ピアノ弾き語りで一番初めのレコードデビューを果たします。1972年4月(浩子さん当時15歳)のシングル「銀河系はやっぱりまわってる」とアルバム『静かでいいな 〜谷山浩子15の世界〜』がデビュー作品です。
▼アルバム『静かでいいな 〜谷山浩子15の世界〜』
1972年は松任谷(荒井)由実さんがデビューした年。「シンガーソングライター(自分で作詞作曲して歌う歌手)」という新しい音楽の形が登場し始めた頃でした。
それまでメジャーだったのはいわゆる歌謡曲です。それぞれ専業の作詞家・作曲家・編曲家・歌手・演奏家が分業していました。自分の個性の表現として自分で作った歌を歌うというのはバンドも含めてこの頃出てきた潮流です。
【1974年】ポプコン入賞
浩子さんはデビューが3回あるといいます。
1回目は先程紹介した1972年4月リリースの「銀河系はやっぱりまわってる」。これは浩子さんにとって最初のレコードという意味のデビュー作品です。この頃の浩子さんはNHKの『ステージ101』という音楽TV番組にレギュラー出演もしていました。ただ、プロ意識はなかったと語っているので、本人にとってはレコードリリースで完結していたのだろうと思います。
2回目のデビューは「お早うございますの帽子屋さん」のシングルリリースです。きっかけとなったのはヤマハポピュラーソングコンテストです。
ヤマハポピュラーソングコンテスト(通称:ポプコン)はアマチュアが出場してプロになれるというコンテストで、中島みゆきさんをはじめ多くの歌手がデビューしています。いわばプロ歌手への登竜門です。
浩子さんは「お早うございますの帽子屋さん」で入選し、1975年にシングルでリリースされプロデビューを果たしました。
▼EPレコード「お早うございますの帽子屋さん」
【1977年】本格的に歌手としてデビュー
その後も職業作家としての道を模索していた浩子さんですが、20歳の時に音楽事務所と契約し、シングル「河のほとりに」、アルバム『ねこの森には帰れない』で3回目となる本格デビューを果たしました。これから本格的に歌手として活動していくという意味でのデビューです。
▼アルバム『ねこの森には帰れない』
初期の作品は小説『車のいろは空のいろ』や『日本の昔話』など、ほかの人の作品をベースにした曲が多いのが特徴です。
ベース | 曲名 |
車のいろは空のいろ | 「すずかけ通り三丁目」「おさかなはあみの中」「山猫おことわり」「くま紳士の身の上話」「本日は雪天なり」1977年5月リリースのアルバム『ねこの森には帰れない』に収録 |
日本の昔話 | 「北風南風」「二月の部屋」「雲雀」「水蜘蛛」「夜明け前声がやって来た」「やまわろ」1978年3月リリースのアルバム『もうひとりのアリス』に収録 |
当時は、中島みゆきさんと並んで「暗い(当時の表記は『クラい』)」といわれていました。
聞くとどん底まで落ち込むような、内面に向き合う作品がこの頃多く生まれています。
▼聞くとどん底まで落ち込むような、内面に向き合う作品の例
曲名 | 内容 |
真夜中の太陽 | ひとりぼっちでも、信じていた人が去っても、燃えろ私の命。 |
もみの木 | 窓の外にはもみの木がある。「もみの木 いい朝だね」もみの木は何も答えない。いつのまにか季節は過ぎていく。 |
あやつり人形 | あたしは悲しいあやつり人形。あなたはあたしの人形使い。いくら逃げても引きもどされる。あなたがいなくってもどこへも行けない。 |
この時代の作品には「カントリーガール」「窓」「あたしの恋人」などがあります。
この頃浩子さんは1982年4月より放送が始まった『オールナイトニッポン』のパーソナリティーとして名前を知られていました。この深夜ラジオ番組は1980年台には中高生にものすごく影響力があり、ヘビーリスナー以外でもとりあえず知っている番組でした。中島みゆきさんも『オールナイトニッポン』で番組を持っていた人です。それで、浩子さんにヒット曲はないものの「暗い」代表的な歌手として挙げられたのでした。
【1982年】ラジオ『オールナイトニッポン』開始
浩子さんはラジオのパーソナリティーとしても活躍しています。
ニッポン放送の人気ラジオ番組『オールナイトニッポン』の2部(27時-29時)のパーソナリティーを1982年から4年間務めました。
マンガ好きを活かして、マンガ家・キャラクターの人気投票や、マンガ家やSF作家の新井素子さんがゲストに来て交流していたのが特徴でした。
トークは暗い曲のイメージとは正反対のオクターブ高い声。今でいうアニメ声のしゃべりで、衝撃を与えました。放送初回に緊張しすぎて出てしまった声だったそうです。声のトーンはずっとそれを踏襲していました。
そんな感じで始まった番組でしたがマンガ家との交流などがあり人気でした。
それまでの浩子さんは「ライブが怖い」「ラジオなんてとんでもない」と思っている内向的な歌手でしたが、このあたりから外に向けた活動が増えていきます。
【1981年】橋本一子さんプロデュースのアルバム『時の少女』 ~ポピュラリティーを獲得していった楽曲~
アルバム『時の少女』のプロデュースを依頼した橋本一子さんとの出会いで、自分の音楽に自信を持ったといいます。
浩子さんにはヒット曲がなく、レコード会社から「組曲は売れない」「売れる曲を作るように」という指示を受けてスランプに陥っていました。ところが、浩子さんが気に入ってプロデュースを依頼した橋本一子さんに曲を絶賛され「これでいいんだ」と自信を持ったそうです。
これをきっかけに、浩子さんの楽曲は不思議なポップさを深めていきます。
「風になれ~みどりのために~」「ラ・ラ・ルウ」「てんぷら☆さんらいず」などがこの時代の作品です。
▼この時代の作品であり不思議ポップさを深めた曲の例
曲名 | 内容 |
風になれ~みどりのために~ | 空にうつれ水にひびけ。たたけ風のドラム、鳴らせ時のシンバル。 |
ラ・ラ・ルウ | 道端で花をつんでいて、遅れたら、あなたには私より先についた人がいた。 |
てんぷら☆さんらいず | 午前5時の新宿駅でてんぷら☆さんらいず。一度食べたらもう帰れない。 |
【1985年~1986年】『みんなのうた』に楽曲を提供/斉藤由貴への提供曲ヒット
さらにはNHK『みんなのうた』で長く愛される曲「恋するニワトリ」「まっくら森の歌」を提供。
そして斉藤由貴さんへ詞を提供した「土曜日のタマネギ」(オリコン週間6位)「MAY」(オリコン週間2位、オリコン1987年度年間39位)がヒットしました。
【1987年】『101人コンサート』で全国少人数ライブ
▲『谷山浩子 101人コンサートスペシャル at 青山円形劇場 1988』トレーラー映像
1987年から始まったのが、『101人コンサート』です。
一般の人が主催して、100人強が入る会場であれば、どこにでも行ってコンサートをするという出前ライブでした。
※101人コンサートは次のページで解説
この頃浩子さんが多く出版したのが、主に中高生向けの小説です。
浩子さんの小説はNHK-FMでラジオドラマにもなり、本人も出演しました。
小説の世界の組曲も作られ、アルバム『透明なサーカス』など一層濃厚な世界が構築されました。
ライブで人気がある「海の時間」「森へおいで」はこの時期に誕生した曲です。「海の時間」はスケールが大きな曲で、ライブでは照明などホールの演出が映えるのが人気の理由かと思います。
【1998年】音楽劇を上演
1998年から音楽劇(音楽を劇中で歌い・演奏する演劇)が4本上演されました。
『幻想図書館』というシリーズでは、童話『雪の女王』、児童小説『不思議の国のアリス』、マンガ『アタゴオルは猫の森』を原作とした3作。
▼DVD『谷山浩子の幻想図書館 Vol.3~アタゴオルは猫の森~ 』
大森博史氏と作った『空間読書の会』では小説『第七官界彷徨』を取り上げました。
朗読や芝居と歌の構成で、物語の曲が多く作られました。
『幻想図書館』は浩子さんが思い入れのある物語を持ってきて、ほかの出演者と一緒に楽しそうに遊んでいるというような印象の舞台でした。
「その話をそう切り取るのか!」という新鮮な驚きがありました。書き下ろしの歌はアルバムに収められていて、じっくり聞くとまた後から発見があります。
【2002年】猫森集会
『101人コンサート』の後を受けて、2002年から始まったのが、『猫森集会』のライブです。
新宿のスペース・ゼロを会場に、それぞれ独立した4つのプログラムごとにゲストを迎えて1-2日ずつ上演しています。
【2006年】『ゲド戦記』の挿入歌
2006年7月公開のスタジオジブリのアニメ映画『ゲド戦記』では、手嶌葵さんが歌った挿入歌「テルーの唄」や、アルバム『ゲド戦記歌集』の多くの曲の作曲を担当。
▼アルバム『ゲド戦記歌集』
当時のライブでは、現実世界寄りの美しい曲を歌った後に、すべてを吹き飛ばす曲「ドッペル玄関」「素晴らしき紅マグロの世界」をアンコールで歌うのが一時期定番化しました。
【2012年~2013年】ROLLY氏とのコラボ
2012年、2013年にはROLLY氏とのコラボでアルバムが作られました。『ROLLY&谷山浩子のからくり人形楽団』『暴虐のからくり人形楽団』の2枚です。
▼アルバム『ROLLY&谷山浩子のからくり人形楽団』
アルバムのキャッチコピーが「ダークでキッチュ、ファンタジーでゴシック」。
浩子さんの楽曲のダーク&ゴシックな魅力をクローズアップした作品です。
【2017年】アルバム『月に聞いた11の物語』
デビュー45周年を迎えて、2017年に発売されたのがアルバム『月に聞いた11の物語』です。
▼アルバム『月に聞いた11の物語』
メルヘン色全開の、楽しくてそしてコワいアルバムになっています。
【2019年】アルバム『花さかニャンコ』
2019年9月には新しいアルバム『花さかニャンコ』を発売予定。(2019年7月現在)NHK『みんなのうた』の新曲「花さかニャンコ」は既に放送されて大人気です。
以上、谷山浩子さんの歴史を紹介しました。
次のページでは浩子さんのラジオやライブをご紹介します。
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