『King Gnu』入門 ~全人類必聴の歴史的革命バンド~【メンバーと軌跡編】

「音楽で生き方が変わる、時代が変わる」、そんな話はあり得ないと思っていませんか?
でももし、ひたすら前向きで豊かな人生にしてくれる音楽が現代の日本にあるとしたら…聴いてみたいでしょう。それがKing Gnu(キングヌー)です。

はじめに

「音楽で生き方が変わる、時代が変わる」、そんな話はあり得ないと思っていませんか?
でももし、ひたすら前向きで豊かな人生にしてくれる音楽が現代の日本にあるとしたら…聴いてみたいでしょう。それがKing Gnu(キングヌー)です。

King Gnuとは?どこが革命的なのか?

第1章 軌跡

この章ではKing Gnuの前身バンド「Srv.Vinci始動」から2019年の4月までの軌跡をお伝えします。知ればKingGnuにハマる事間違い無し。

軌跡① 【Srv.Vinci時代~インディーズ時代】
軌跡② 【『Flash!!!』~『Prayer X』】
軌跡③ 【メジャーデビュー後】有料会員

King Gnu年表



第2章 常田大希

1992年5月15日生
ギター・ボーカル他
『天才なのに努力を重ねたので鬼才になってしまった“音楽モンスター”』

常田大希① 【人間性】
常田大希② 【文学性】有料会員
常田大希③ 【音楽性】有料会員

第3章 井口理

1993年10月5日生
ボーカル・キーボード
『幅広い層に受け入れられる「嫌われない歌声」は天性のもの』

井口理① 【常田大希との関係性】有料会員
井口理② 【人間性】
井口理③ 【音楽性】有料会員

第4章 勢喜遊

1992年9月2日生
ドラム・サンプラー
『勢喜さんが生み出すグルーヴはリズムの歴史を踏まえたうえでなおかつ斬新』

勢喜遊① 【基本情報と略歴】
勢喜遊② 【人間性】有料会員
勢喜遊③ 【音楽性】有料会員

第5章 新井和輝

1992年10月29日生
ベース・シンセベース他
『レイドバックする重いジャズ風なベースのグルーヴで、音楽の楽しみ方も人生も、格段に豊かになる』

新井和輝① 【人間性】
新井和輝② 【音楽性】有料会員
新井和輝③ 【高井息吹と眠る星座】有料会員

音楽を愛して40年。中学時代は『ベストヒットUSA』を欠かさずチェック。King Gnuを聴いて生き方が変わるほどの感銘を受ける。(Twitter,ブログ)お問い合わせはこちらから

King Gnu
代表曲「白日」「Prayer X」

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2件のトピックを表示中 – 1 – 2件目 (全2件中)
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【代書屋】あらすじや見所など落語ファン歴10年による解説!

 

落語には「噺の終わりにオチがある、おもしろおかしい落語」滑稽噺と「心温まるような人情を描いた落語」である人情噺というジャンルに分けることができます。

滑稽噺の中でおすすめなのが「代書屋」です。

このページでは「代書屋」のあらすじや、どの落語家の「代書屋」がおすすめかなどを徹底解説いたします。

 

※このページは10年前に落語にはまって以来ほぼ毎日落語を聴いているミドケン氏による『落語初心者入門』の内容をWebon編集部がまとめたものです。

▼『落語初心者入門』(全23ページ)

 

あらすじ

 

自分で字が書けない男が、代書屋(=本人の代わりに書類や手紙などの代筆を行う商売)のもとに履歴書を代わりに書いてくれとやって来る。

代書屋はさっそく仕事に取りかかるが、何を聞いてもトンチンカンな答えばかりで一向に前に進まない。

 

 

名前、生年月日、住所、何ひとつまともに答えることができない男に困り果てながらも、必死に履歴書を完成させようと代書屋は四苦八苦。

果たして履歴書は完成するのか・・・。

 

–ネタバレ–

 

これ以上聞いても意味がないと思った代書屋は、最後に「賞罰」を聞く。

罰がないかを確認するために聞いたが実は賞があると言う「大きな賞状もろて、新聞に写真入りで載った」と聞いて代書屋は驚く。

「一昨年の秋の新聞社主催の大食い大会で大きなボタ餅を八十六食べて優勝して賞状もろて新聞に写真入り・・・・・」

「そんなアホなこと書けるかいな」

 

–ネタバレ終わり–

 

みどころ

 

もとは上方落語ですが現在は東京の落語家も演じています。

昭和の初めに四代目・桂米團治が作った新作落語ですが、今では古典に近い演目となっており多くの落語家が演じています。

 

▼四代目・桂米團治

 

代書屋は何人かの客が出てくる噺ですが最後までやることは希で、ほとんどが一人目の客のくだりで噺を切ります。(上記ネタバレ部分は一人目の客のくだりまで紹介)

とにかく笑いどころ満載の落語ですっとんきょうな掛け合いは爆笑ものです。

 

▼筆者おすすめ「代書屋」が鑑賞できる作品

⚫柳家権太楼2「不動坊火焔」「代書屋」-「朝日名人会」ライヴシリーズ22(Amazon Music Unlimited)

 

「代書屋」が十八番の落語家「桂枝雀」

名前 二代目 桂枝雀(かつら しじゃく)
生年月日 1939年(昭和14年)8月13日/没年1999年(享年59)
上方落語の代表的落語家であり「東の志ん朝、西の枝雀」と称された。客を爆笑させるスタイルの落語を得意とする。周囲の人々が「稽古ばかりしている人であった」と口を揃えるほどの努力家。英語落語の先駆者。松本人志や千原ジュニアなど大物お笑い芸人たちがリスペクトする存在。

 

誰も真似することのできない爆笑落語を築き上げた枝雀さんですが、持ちネタは60※と決めていたといいます(年によっていくつか入れ替えることはある)。

編集部注※)落語の演目(ネタ)の種類はおよそ500種類と言われる

 

その60の演目を徹底的に磨き上げて、とっかえひっかえしながら高座にかけていたそうですが、その中でも十八番中の十八番が『代書屋(だいしょや)』と『宿替え(やどがえ)』です。

枝雀さん曰くこの2つは「必ずウケるネタ」だそうで、私的にも分かりやすい内容で笑いどころの多い作品なので落語初心者にはおすすめしたい演目です。

注目のポイントは、枝雀さんの一挙手一投足すべてです。

最初から最後まで、その豊かな表情、派手な動き、妙な抑揚をつけた台詞回しなどなど、どれも見逃し厳禁です。

 

▼桂枝雀氏の『代書』『宿替え』が収録されている作品

⚫桂枝雀落語大全 【第一期】 DVD-BOX 全10枚セット

 

代書屋を聴く方法

 

「代書屋」を聴くには、以上でおすすめしたCDを購入して聴く方法もありますが、音声の配信サービスを利用するという方法もあります。

以下では「代書屋」が聴けるサービスを紹介いたします。

 

audible

 

audibleでは「代書屋」を聴くことができます。

audibleはベストセラー小説からビジネス書、英字新聞まで、20以上の豊富なジャンルを音声で聴ける定額制サービスで、落語作品も数多く収録しています。人間国宝・五代目柳家小さん(やなぎや こさん)さんも収録。名だたるレジェンドたちの演目が手軽に聴けます。

 

▼audible公式サイト(プロナレーターの朗読配信サービス。無料お試し有)

 

Spotify

 

Spotifyでも「代書屋」を聴くことができます。

Spotifyは音楽ストリーミング配信サービスですが、落語のコンテンツも充実しているのでおすすめです。

立川志らく(たてかわ しらく)、春風亭一之輔(しゅんぷうてい いちのすけ)、三遊亭白鳥(さんゆうてい はくちょう)、など、今をときめく落語家のラインナップが豊富なのが特徴です。

 

Spotifi公式サイト (音楽ストリーミングサービス。無料。(有料版有))

 

以上「代書屋」の紹介でした。その他落語の滑稽噺の演目についてさらに詳しく知りたい方は下記のページをご覧くださいませ。

 

また『読んで楽しい落語の演目と知識』では落語の演目の中から、あなたの好みにピッタリと合った落語演目をご紹介いたします。

▼『読んで楽しい落語の演目と知識』(全10ページ)

 

さらに「落語のマクラって何?」「どこで落語は観れるの?」など基礎から落語を学びたい方は『落語初心者入門』をぜひご覧くださいませ。

▼『落語初心者入門』(全23ページ)

ロートレックに起きた1878年の悲劇

 

 

▼ロートレック

 

1878年の偶然の悲劇

 

ロートレックを話題にするにあたって、彼の身体的ハンディキャップは避けて通れないトピックスです。

第一の事故は、1878年5月30日(ロートレックが9歳の時)に、ロートレックが生まれた場所でもあるボスク館で左脚を骨折してしまいました。

ロートレックが家族と一緒に居間で過ごしている時に起こった出来事でした。これは、ロートレックが座っている椅子の下に置いてあったほうきの柄に、彼が足を引っかけてしまったために椅子から転げ落ちてしまったことによる事故でした。

不運なことに事故はさらに続きます。

1879年の夏に、フランスのコミューン(自治体)であるルルドの近くにある「バレージュ」という温泉地で過ごしている時のことでした。

 

コミューン

フランスの自治体の最小単位。日本では市町村にあたる。

 

このバレージュの源泉は、負傷者の治療にも使われていたため、ロートレックも前年に骨折した左脚を癒しに訪れていました。

ロートレックは、まだ痛みが癒えない片足を引きずりながら母親のアデールの腕につかまって歩いている時に、およそ1mの深さの乾いた川床へ落ちてしまい、反対の右脚を骨折してしまいました。

二度にわたりロートレックを襲った災難に対して、両親はあらゆる手段で治療を試みましたが、結果的に脚の成長は完全に止まってしまいました。

 

 

事故後

 

10歳を過ぎた少年が転んだだけで骨折して成長が止まってしまうほど、虚弱である理由には様々な病名や憶測が飛び交いました。しかし、結果的に原因ははっきりとしませんでした。

もしも骨のもろさが遺伝的なことと関係するのであれば、ロートレックの先祖が何度も近親婚を繰り返してきたことは無関係とは言い切れないでしょう。

この続けざまに起こった2つの事故のために、ロートレックは大自然の中を駆け回る自由を失いました。

ロートレックはいつも脚の痛みに苦しみ、事故が起きたのは自分が不注意なせいだと思い込み、それ以外の理由を探そうとしませんでした。

次第に父親のアルフォンスからも「期待外れな息子」として見切られてしまい、父子関係に溝ができてしまいました。ですが、母親のアデールだけは最後までロートレックを愛し、決して彼を見放さずに支援し続けました。

※ロートレックと両親について詳しくは前のページで解説!

 

 

ロートレックは、生涯にわたって脚の長さが平均的な成人男性に比べて短かった男性です。

記録によると、ロートレックが18歳の時の身長は153㎝ほどだったそうです(日本の喜劇俳優である池乃めだか氏は150㎝で、ロートレックとほぼ同じです。)。

 

▼池乃めだか氏

By Ogiyoshisan投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, Link

 

また、1850年からロートレックが生きた時代のフランス人男性の平均身長は約165㎝です。(現在の平均は175㎝)(参照http://englishbulletin.adapt.it/wp-content/uploads/2014/10/oecd_2_10_2014.pdf)

 

 

身長の高さだけを聞くと過剰に低すぎるとは思わないでしょう。

画家のパブロ・ピカソも身長は163㎝と高身長ではなく、ロートレックと10㎝ほどしか差はありませんでした。

 

パブロ・ピカソ

1881年にスペインで生まれ、フランスで活躍した画家。

 

おそらく、ロートレックの身体全体のバランスを見た時に、脚だけが上半身と比べて異常に短く見えてしまうため、目立ったのでしょう。

 

パリでのロートレック

 

しかし、一人でパリに出てきたロートレックは、周りから差別的な扱いを受けていたかと言えば、そうではありませんでした。

殊(こと)に、パリのモンマルトル(パリにあった芸術家の街。現在はパリと併合)周辺ではロートレックは「紳士」として扱われていました。

 

 

娼婦上がりの女性たちが、ブルジョアや貴族たちをののしったりあざけったりするのをショーとして商売していたキャバレー「ル・ミルリトン」では、店に入る客は茶化されたり、ヤジを飛ばされたりしながら店に出迎えられる習わしだったそうですが、ロートレックに対しては違ったそうです。

 

貴族たちをののしったりするショー

ロートレックがモンマルトルで過ごし始めた頃には、カフェやキャバレー、ダンスホールが続々とできていました。そのような店では、社会の最下層民としてとらえられていた娼婦あがりの踊り子たちが、富裕層に向けてショーをしていました。

ロートレックの友人、ブリュアンの経営する「ル・ミルリトン」では、最下層民である娼婦や浮浪者といった、弱者たちの貧しい辛さや人生の苦しみなどを露骨な言葉で歌ったり、富裕層たちをからかったりしていました。

そして、それを客の富裕層たちは楽しんでいたそうです(平たく言うと、見世物小屋のような感じです。)。当時、店の看板には「ののしられたい者はミルリトンへ」とキャッチコピーが掲げられていたようです。

 

ロートレックだけ丁重に出迎えられた理由には、ロートレックが名家の出身であるからというよりも、画家であることで周りから一目置かれていたようです。

加えて、ロートレックは重々しく振る舞うような陰鬱な性格ではなく、むしろ仮装をして人を楽しませるなど、社交的でひょうきんな人柄でした。

 

▼仮装するロートレック

 

ロートレックは夜ごとバーやカフェに出かけて店の片隅に座り、ショーに出るスターやそこで過ごす人々と交流するだけではなく、鋭い観察力で彼女らや彼らをスケッチブックに描き写していました。

ロートレックはどれだけ娼婦や酒から抜け出せなくなっても、絵を描くことだけは終生止めませんでした。

 

▼ロートレックの作品『ムーラン・ルージュの舞踏会』(1890年)

 

【著者に聞きました!】悲劇とロートレック

 

Q.(Webon編集部) ここで語られているような悲劇によってロートレックは有名な画家になったのでしょうか?それともこのような悲劇が無くても有名な画家になっていたのでしょうか?HARUKA氏はどのように考えますか?

A.(HARUKA) ロートレックの友人ポール・ルクレルク氏の回想録によりますと、ロートレックは生前「もしも自分が人並みの身体だったら、絵を描く代わりに狩猟でもしただろう」とよく語っていたそうです。

身体にハンディがあることを忘れさせるくらい社交的で陽気な性格のロートレックは、スポーツが大好きで競馬や競輪、サーカスも良く観に行っていたそうです。ただポールが察するに、他の誰もができるようなことを自分にはできないことを密かに苦しんでいたようでした。

私の想像では、ロートレックは身体が丈夫で脚のケガもなければ、青年の頃からパリへ出てくることももかしたらなかったのではないかと感じます。アクティブな性格のロートレックは、絵は趣味程度にとどめて大学へ進学し、他の何か違った職業に就いていたかもしれないと考えます。

※ポール・ルクレルク:作家・詩人。ロートレックも表紙を手がけた当時の雑誌「ルヴュ・ブランシュ」の創刊者でもあり、ロートレック親しい友人の一人です。

 

以上、ロートレックに起きた1878年の悲劇でした。

次のページから第2章。第2章ではロートレックの作品について解説をしていきます。

Next

 

ロートレックの家族

 

 

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック

1864年にフランスで生まれる。11歳の時に事故で両足の成長が止まってしまう。その後フランス・パリで人気画家として活躍。1901年、36歳で死去。

 

ロートレックの家族

 

ロートレックは、高名なトゥールーズ家の直系の子孫で、とても裕福な家庭環境でした。

 

直系子孫

直接的な親子関係で繋がる系統の事。

 

ロートレックの父親であるアルフォンスは、母親のアデールと結婚するまでは槍騎兵連隊(そうきへいれんたい:槍を持ち馬に乗り戦う兵士の部隊)として活躍し、結婚後は乗馬や鷹狩りに明け暮れていました。

他にもサーカスや仮装なども好み奇抜な人物で有名でした。

 

 

一方、母親のアデールは、アルフォンスとは正反対の性格をした女性でした。控えめで優しく、慎ましやかな女性でした。ロートレックは「聖人のような女性だった」と言っています。

 

 

1868年にロートレックの弟・リシャールが生後すぐに亡くなったことで、アルフォンスとアデールの仲は冷え切ってしまったようです。(ロートレックの生誕は1864年)

 

【コラム】ロートレックの両親

もともとロートレックの父親は自分本位な方で、家族に愛情を注ぐということが少なかったようです。また、父親のアクティブで風変わりな性格とは正反対に母親は慎ましく、読書を趣味とするような大人しい女性でした。

ロートレックの弟が亡くなったことで不仲になってしまった理由は文献などには明記されていませんが、私が想像するに、おそらく父親自身が期待していた子供に恵まれなかったことを母親のせいした結果、不仲になったのではないかと思います。

さらに、その後両親は離婚したそうです。母親は、1883年ロートレックがパリに出てすぐの19歳の時にマルロメの城館を買い取り、そこで静かに暮らしました。マルロメはロートレックにとって帰省する実家となり、ロートレックは最期そこで死を迎えます。

 

父親のアルフォンスは、第一子である男の子のロートレックにかなりの期待を寄せていました。

ロートレックが12歳の誕生日の時に、アルフォンスからプレゼントされた鷹狩りの本には、アルフォンスから直筆で以下のようなメッセージが加えられていました。

「息子よ、忘れないでほしいのだが、大気の中での生活や照りわたる太陽の下での生活だけが健康にふさわしいのだ。

何にせよ、自由を奪われたものは自分を見失い、すみやかに滅んでいくのだ。この小さな鷹狩りの本は、広大な自然の中での生活の素晴らしさをお前に教えることだろう。

そしていつの日か、お前が人生の苦さを味わうとき、何よりも馬が、そしてまた犬が、鷹が、お前の貴重な友となり、世の苦しみを多少なりとも忘れさせてくれるだろう。」

(出典:現代世界美術全集「ロートレック」より)

※改行 弊編集部

 

このようなアルフォンスのメッセージは、ロートレックの今後の人生には忠実に反映されず、むしろロートレックは正反対な人生を送ることになるのでした。

太陽の降り注ぐ大自然や馬、鷹などと触れ合う機会には恵まれず、バーやダンスホール、酒、娼婦たちとの触れ合いが中心となるのでした。

後の1878年、1879年(当時ロートレックは14、15歳)と続けざまに起こった、ロートレックの運命を大きく変えた「偶然の悲劇」とも言える事故は、ロートレック自身だけではなく、アルフォンスやアデールにとっても衝撃なトピックスでした。

 

※1878、1879年のロートレックに起きた事故については次のページで解説!

 

この事故によって、ロートレックは両脚の成長だけが10代のままで止ってしまうのでした。

この事故を機に、アルフォンスは期待していた唯一の一人息子に失望してしまい、ロートレックに目をかけることを止めてしまいました。

 

 

一方で、母親のアデールはロートレックの弟の死後、ロートレックの成長を生きがいとし、より一層彼に愛情を注ぎました。

しかしながら、アデールはロートレックの将来を過剰に不安がって、彼に対して過保護になったり、囲ったりするようなことはしませんでした。むしろ、ロートレックの絵の才能を誰よりも早くに見抜いて、それを育もうとしました。

 

 

ロートレックの生涯にわたって、アデールは経済的な支援をロートレックにし続けたのです。後にロートレックが一人でパリへ出てきて、自由を謳歌できたのも母親のアデールのおかげとも言えます。

さらに、父親のアルフォンスとの関係とは反対に、ロートレックとアデールはとても仲の良い親子でした。

1882年には、パリでホームシックになったロートレックはこのようにアデールへ綴っています。

「おかあさんへ。おかあさんは腕の骨でも折ったのですか?それともちび助の存在を忘れてしまったのですか?

二言三言でいいので、僕に今の様子を知らせてください。こちらは万事順調です。

一生懸命勉強をしています。くれぐれもよろしくお願いします。キスを送ります。それでは。」

(出典:創元社「ロートレック―世紀の闇を照らす」)

※改行 弊編集部

 

アデールはもちろん、ロートレックも母親をとても愛していました。お互いに会えないときは、このように手紙のやりとりを交わしていました。

ロートレックが父親に手紙を書くときは、自分の身について何か大きな決断をする時に意見や承認をもらうときだけだったそうです。

母親のアデールもロートレックも互いに、父親のアルフォンスとの溝が深まらなかっただけに、生涯にわたって2人の絆は固く結ばれました。

 

▼ロートレックが描いた母親アデールが掲載されています(スペイン語サイト)

http://treclau.blogspot.com/2009/07/adele-tapie-de-celeyran-condesa-de.html

 

【著者に聞きました!】母親の影響

Q.(Webon編集部) 母親アデールの影響を受けた事をロートレックの作品を観ていて感じることはありますか?

A.(HARUKA) 個々の作品の作風や題材から母親の影響を感じることはありませんが、母親がいたからこそロートレックが画家としてのびのびと過ごせたのだと思います。ロートレックは、パリに出てきてから、自分の状況が良い時も悪い時も定期的に母親への手紙を欠かしませんでした。

ロートレックが母親へ宛てた手紙からは、別々に暮らしていてもお互いに想い合っていた様子が感じ取られ、ロートレックの心の中にはいつでも母親が存在していたように感じます。

 

以上、「ロートレックの家族」でした。次のページではロートレックに起きた1878年の悲劇について解説をしていきます。

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ロートレックの生い立ち

 

 

ロートレックの生い立ち

生まれ

 

トゥールーズ=ロートレック(正式名:アンリ・マリ・レーモン・ド・トゥールーズ=ロートレック・モンファ)は、1864年11月24日にフランスの南西部にあるアルビ地方で、アルビ最古の城館(じょうかん:貴族などの別荘)と言われるボスク館で大嵐の中、生を受けました。

 

▼アルビの風景(現在)

 CC BY-SA 2.0 fr, Link

 

ロートレックは、750年から1271年までアルビ地方を治めていた名高いトゥールーズ家の直系子孫でした。

 

直系子孫

直接的な親子関係で繋がる系統の事。

 

ロートレックの父親は「アルフォンス・ド・トゥールーズ=ロートレック=モンファ伯爵」、母親はタピエ・ド・セレイラン家から嫁いだ「アデール」でした。

 

 

母親のアデールは、アンベール・デュ・ボスクという人物の姪にあたり、ロートレックの出産準備をするために、ボスク氏が住居として利用していたボスク館に滞在していました。

ロートレックもこのボスク館で少年時代を過ごしました。

 

 

ロートレックの父親の家系であるロートレック家と母親の家系であるタピエ家は過去に婚姻関係を繰り返していたそうで、ロートレックの虚弱体質や骨がもろい原因は、近親結婚によるところもあると考えられています。

 

近親結婚

近親者同士の結婚が行われると病気や奇形などの症状が遺伝子の仕組みにより出現しやすくなる。この理由より日本では三親等以内(一親等:父母、子 二親等:祖父母、孫、兄弟姉妹 三親等:曾祖父母、曾孫、叔父叔母、甥姪)の結婚が禁止されている。

 

少年期

 

ロートレックには兄弟がいましたが、1868年に弟にあたるリシャールが生後1年ほどで亡くなってしまい(ロートレックは1864年に生誕)、以降一人息子として育てられました。

幼少期のロートレックは愛くるしいルックスで、「プティ・ビジュー(小さな宝石)」と呼ばれ、家族からとても大切に育てられてきました。

 

 

ロートレックが8歳の時(1872年)には一時的に家族とパリの高級ホテルで暮らしました。パリにある中学校へ進学のためです。

そこで両親はロートレックをリセ・フォンタヌ学院に通わせました。そこでは将来的に大学進学を目指すための勉強をします。

セ・フォンタヌ学院で、ロートレックはモーリス・ジョワイヤンという友人と出会いました。

 

 

モーリス・ジョワイヤンは、終生にわたってロートレックの良き友達であり、ロートレックが存命中も死後も彼の作品を守り、世に広める役割を果たしました。

 

さらに、このパリの滞在中に、後のロートレックの初めての師匠となる画家のルネ・プランストーと出会います。ルネ・プランストーは父親のアルフォンスの友人で、主に馬を描く動物画で有名な画家でした。

 

 

さらに、この動物画家のプランストーからの触発されたのもあり、この頃からロートレックはデッサンを習慣化するようになりました。

 

デッサン

立体的な対象物をそのまま平面である絵で描く事。

▼例:人間のデッサン

 

当時のロートレックは、使っていた教科書やノートの余白にびっしりとデッサンを描き込んでいたようです。

他にもデッサン以外に、友人のエティエンヌ・ドゥヴィスムが書いた「ココット(1881年)」という馬の生涯をユーモラスに描いた小説の挿絵も23枚ほど描いていました。

このように、ロートレックの画家としての才能は早くから芽吹いたのでした。

 

【著者に聞きました!】師匠の出会っていなかったら・・・

Q.(Webon編集部) ロートレックは師匠に出会っていなかったら才能は開花しなかったと思いますか?

A.(著者:HARUKA) 下に挙げた参考書籍では、幼い頃のロートレックのデッサンを見ることができました。例えば、骨折した際の治療にあたった外科医の絵やベッドで過ごす自画像など、幼いころからデッサンを習慣としていたようです。最初の師ルネ・プランストーに出会っていなければ、ロートレックの絵画の才能は引き出されておらず、パリに出て画家としての活躍はしていなかったのではと想像します。

参考書籍:ロートレックのデッサン (双書美術の泉 13)

 

フランスにおける貴族階級とは?

 

ロートレックの家柄でもある「貴族」とは、フランスではどれくらい高い地位に位置づけられていたのでしょうか?

中世から1790年のフランス革命に至るまで、フランスでは絶対君主制の支配が続いており、フランスの貴族階級は第一身分の「僧侶」第二身分の「貴族」第三身分の「平民」に分かれていました。

僧侶と貴族は「特権階級」と呼ばれ、フランス人口の1%にも満たない人口でしたが、国土の40%を所有していました。

 

 

彼らは特別な権利として、納税義務の免除や帯剣(たいけん:剣の所持)や狩りの権利、教会で特別席、封建制度による荘園の所有権(私有地を持つ権利)などの様々な権利を認められていました。

さらに平民の身分は「市民」と「農民」に分かれました。市民は「ブルジョワジー」と呼ばれ、近代化による生産力の向上によって成長した、ある一定の私有財産を持つ都市住民層を指します。

 

 

ブルジョワジーという言葉は、中世において都市(ブルク)に住む人々という意味から派生しています。

市民は4階級に分かれ、

「上流ブルジョワ(法律家や実業家、特権商人など)」
「中流ブルジョワ(地方商人、産業家など)」
「下層ブルジョワ(商店主、手工業親方など)」
「サン・キュロット(職人、労働者)」

が存在しました。

 

 

さらに、農民も大地主、大借地農、自営農民、小作人の4階層に分かれていました。

 

 

市民も農民も貴族を養うために働き、重税を納めていましたが、政治への参加権はありませんでした。

そのような負担と不満が積み重なり、人民の権利を主張する市民革命がブルジョワジー主体となって起こりました。

第三身分者(平民)を中心に構成された国民議会において、フランス人権宣言が1789年8月26日に制定され、翌年には貴族身分の世襲が制度上で廃止されました。

 

 

このようにフランス革命では封建制度が廃止され、第二身分の貴族や教会の財産は没収され、特権も廃除されました。

しかし、革命によって全ての貴族が一掃されたわけではなく、中には資本家や地主に転身し、貴族であったなごりから富や影響力を持ち続けた人も多くいたようです。

文献によるとロートレックは経済的な心配なくパリに出て来たりしたそうなので、裕福な環境を維持できていたようです。

 

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ロートレックが生きた時代

 

 

このページではロートレックの絵画を理解する為にロートレックが生きた時代のフランスについて分かりやすく解説をしていきます。

 

 

ロートレックが生きた時代のフランス

 

ロートレックが生まれたのは1864年。

1864年は日本では幕末にあたります。この年の6月、京都の「池田屋」という旅館で、天皇を長州へ連れて行こうと計画を企てていた長州藩・土佐藩・肥後藩の尊王攘夷派の志士らを、新選組が襲撃した「池田屋事件」が起こるなど、日本は動乱のさなかにありました。

 

1800年代のフランスの歴史の流れは、

それまでの王族出身者による政治からナポレオンの登場によって軍人が台頭し、ナポレオンが退位した後、再び王政に戻る

というような不安定な政権交代がなされていました。

 

▼ナポレオン

 

再び王政に戻った後の1848年2月には賃金労働者階級(=給料などの賃金をもらって労働する人たちのこと)による革命(二月革命)が起こり、同年6月にはパリの労働者が暴動を起こしました(六月蜂起)。

 

二月革命(なぜ革命は起きた?)

フランスで起こった賃金労働者階級による革命。その時のフランスは多額の納税をした人でないと、投票することができなかった。そのため一部の富裕層に富が集中しており、多くの国民たちが貧困に陥っており、革命が起きることとなった。

ちなみに、それまでにもフランスでは革命が起こっていたが、それまでの革命は中産階級(=肉体労働だけでなく頭脳労働などを行う教員や資本家などが属する階級)が主体となっているものであった。この革命では社会主義者も参加した。

六月蜂起

フランスの労働者による暴動。失業者に仕事を与える為の施設などが閉鎖された事によって暴動が起きた。最終的には鎮圧され、15,000人もの人が追放された。

 

このような動乱の中、国民の圧倒的な支持を得て、ナポレオンの甥(おい)にあたるナポレオン三世が1852年に皇帝に即位しました。

 

▼ナポレオン三世

 

彼は、当時のセーヌ県知事ジョルジュ=ウジェーヌ・オスマンと共に、劣悪な環境であったパリ市街の都市改革に尽力したことでも知られています。

 

▼ジョルジュ=ウジェーヌ・オスマン

 

このナポレオン三世とオスマンの近代的な都市改革によってリニューアルされたパリが、現在のパリの街の原型になっていると言われています。

オスマンによる都市改革がなされるまでのパリ市内は、日当たりや風通しの悪い場所が多く、道端にはゴミや汚物が投げ捨てられ、それがパリを通るセーヌ川に流れ込んでいました。

その水が飲み水に使用されるなどして、パリは病気や疫病が広がりやすい環境でした。

 

 

オスマンによる都市改革によって「劣悪な環境を改善し、街を清潔にすべく建物を建て直し、道幅を広げる」などといった大幅な都市整備が施されました。

このようにパリ市内の複雑な路地を減らして交通網を整えることで、スラム街や貧民窟(ひんみんくつ:貧乏人が集まっている地域)のような治安が悪い場所が減りました。また、学校や病院などの公共機関を増やし、上下水道を施工することで衛生面も改善されました。

 

このような近代的で大規模な都市整備は画期的に思えましたが、一方で、パリでは多くの自治体やコミュニティが失われ、互いに知らない者同士が寄り集まった街となりました。

 

なぜ自治体やコミュニティが失われてしまった?

ジョルジュ・オスマンによるパリの都市改革によって、パリの中心部には大きな広場が作られました。そして広場を中心に放射状に大通りを配置して、新しいパリの街が作られました。

その結果、パリの過密した状態が解消され、区画整備された都市に生まれ変わりましたが、元々そこにいた一般市民や貧民たちは郊外へと立ち退きを強いられました。

都市整備後も、インフラ整備された中心部には富裕層が住み、パリに住んでいた一般市民はパリの周辺部に住むという現象が起きました。このため、コミュニティや人々の繋がりが失われてしまったようです。

 

また、街を護る力も低下しました。

例えば、フランス革命などで、パリ市民は過密した建物の狭い通りを利用してバリケードを築いていました。古くからあった住民達の家を解体したことによって、昔からあった下町のコミュニティや連携が無くなってしまい、街を防御する力も低下してしまいました。

1870年9月には普仏戦争におけるフランスの敗北を決定づける市街戦がパリを舞台として繰り広げられ、大きな被害を出しました。

 

普仏戦争

1870年~1871年に起きたプロイセン王国とフランスの戦争。プロイセン王国は1700年代~1900年頃までヨーロッパの現在のドイツ辺りにあった王国。普仏戦争は当時勢力を伸ばすプロイセン王国やその同盟であるドイツ諸邦とそれに危惧するフランスの衝突であった。結果フランスが敗北しパリが占領された。

別名「独仏戦争」「1870年戦争」。

 

普仏戦争の傷が癒えようとする頃、現在でもパリのアイコン(象徴)で広く知られているエッフェル塔は、ナポレオン三世の統治から始まった近代化の波に乗って1889年のパリ万博の際に建てられました。

 

▼エッフェル塔

 

エッフェル塔は最新の建築技術で建設され、300mの高さは当時の世界1位を誇る高層建造物でした。

 

しかし、パリの近代化によって追いやられたり失ったりしたもの去りゆく人々への哀愁。このようなもの悲しさや切なさを芸術家たちは見逃しませんでした。

また、19世紀のフランスは産業革命により市民が勢力をつけ始めた時代でもありました。これまで貴族中心だったヨーロッパの文化も次第に市民のものに移り変わっていきました。

そのような背景もあり、芸術家たちの視線は、その都市で生活する人々と彼らの心の表情へと注がれていったのです。

 

産業革命

18世紀後半からイギリスで起こった産業の工業化と、それによって生じた社会構造の変化を指す。蒸気機関の開発などで工業が発展した。

 

印象派の登場

 

19世紀前半の絵画は、人の感情や情熱をありのままに表現しようとしたロマン主義が主流でした。

19世紀後半になるとこれまでの古典主義やロマン主義、写実主義とは異なった「印象派」の画家が登場しました。

 

この印象派の画家たちは、目に写ったものをそのままの印象で描こうとしました。つまり、写真のように物や人を正確に描くのではなく、目で見て感じた光や影の変化や明暗を表現する手法でした。

 

▼印象派・モネの作品(『印象・日の出』)

▼写実主義・ギュスターヴ・クールベの作品(『市場から戻ったフラジェイの農民』)

 

また、当時のフランスにおいて、「サロン」と呼ばれる国が開催する公募展に出展できた人が、画家として認められていました。

 

▼サロンの様子

 

サロンで認められた絵画の多くは、歴史画(歴史上の出来事や神話を描いた絵画)や宗教画(宗教に関連したものを描いた絵画)などの固い印象のものでした。

そのようなしきたりに反感を持った画家たちが、参加費さえ払えば誰でも出展できるグループ展を開いたのが印象派の始まりでした。

 

印象派の代表的な画家は、マネ、モネ、ルノワール、ドガなどです。

 

▼マネの作品『アブサンを飲む男』

▼モネの作品『並木道』

▼ルノワールの作品『ロメーヌ・ラコー嬢』

▼ドガの作品『オペラ座のオーケストラ』

 

また、1867年のパリ万博において日本の浮世絵が紹介されました。

日本文化への熱烈な興味を「ジャポニズム」と呼び、ロートレックはもちろん、マネやゴッホなど多くの画家が、浮世絵の持つ色彩豊かで装飾的な世界観に触発されました。

 

▼歌川広重の浮世絵(左)とゴッホの模写(右)

 

さらに、絵画の流れは後期印象派として発展し、人間の持つ繊細で複雑な心情や感情を描こうとしました。

 

前期印象派と後期印象派

印象派(前期印象派)は、屋外で絵を描く機会が増え、対象の形そのものよりも光の変化や空気感など、一瞬の印象をキャンバスに再現しようとしました(モネ、ドガ、ルノワール、ピサロなど)。

この初期の印象派(つまり前期印象派)の影響を受けながらも、画家の独自路線を展開していったのが後期印象派(ゴッホなど)です。そのため、後期印象派の画家の画風はそれぞれ異なります。

前期印象派 項目 後期印象派
1875年頃~ 年代 1910年頃~
モネ・ルノワールなど 代表作家 ゴッホなど
一瞬の印象を描く 特徴 画風は画家による

ちなみに、今でこそ価値ある作品として印象派画家の展覧会が日本でも開催されますが、当時の人々からの評価は低かったそうです。まったく評価されなかった印象派の画家たち(モネやピサロなど)が自分たちの絵を認めてもらおうと、1874年に展覧会を開催しました。

当時のジャーナリストが、その展覧会の画家たちを「印象的にへたくそだ」と皮肉ったのが「印象派」の由来とされています。

 

そのため(ジャポニズムの影響などもあり)、絵の表現は派閥や様式を重んじるような表現などではなく、それぞれの画家の思い描く理想によって絵の手法やタッチが異なり、これまで以上に自由度の高いスタイルが広がりました。

 

 

今回ご紹介しているロートレックも後期印象派にカテゴライズされる画家です。

このような時代背景の中でロートレックは絵画を描きました。時代背景が見えると、より一層画家の絵を楽しめると思います。

次のページではロートレックの生い立ちに迫ります。

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落語と言えばこの5つ! 【定番ギャグと「笑点」の落語】

Webon紹介目次著者
落語の演目数は数えきれないほど。そんな落語をいざ聴こうと思っても何を聴いたらいいかわからない・・・そんなあなたに好みにピッタリと合った落語演目をご紹介!落語を聴く上で知っておくといい知識も大公開!読めば落語にハマる事間違い無し!!

『読んで楽しい落語の演目と知識 ~人気の演目から泣ける演目まで~』はこちらから!

著者:なかむら治彦

本業は4コマ漫画家兼イラストレーター。学生時代から筋金入りの落語ファン。1998年「第1回新作落語大賞」に落語脚本を投稿し、大賞を受賞。その後は「尾張家はじめ」のペンネームで落語作家兼ライターを副業に。現在、隔月パズル雑誌『漢字道』(イード)で落語4コマを連載中。著書は『落語まんが寄席』(新星出版社)他。

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『落語の演目と知識』目次へ  (全10ページ)

 

エンタメ業界には「定番」と称される作品が必ずあります。

映画の「寅さん」や歌舞伎の「忠臣蔵」のように、長年贔屓にしているファンにとっては常識中の常識で、かつビギナーに対しては教科書の1ページ目のような存在のもの。それが「定番」です。

 

▼寅さん(男はつらいよ)

▼忠臣蔵

 

では落語で「定番」と呼ばれる演目となりますと、どうでしょう。

寅さんや忠臣蔵のような、全世代が知っている演目は、果たしてどれくらいあるでしょうか?

落語の場合、超が付くほど有名なタイトルは残念ながら限られます。100人が100人とも知っている落語となりますと、それこそ五本の指に収まる程度かもしれません。

そこで、ここではちょっとだけ解釈を変えて、一般的によく知られる演目に加え、「実はこの落語は定番ギャグになっていた」という演目や、あの定番演芸番組にまつわる演目など、多角的な「定番」を紹介してみたいと思います。

まずは「定番」とされる超有名な落語演目を5つご紹介します。

 

超有名な定番落語5選

 

まずは、落語に詳しくない人でもタイトルぐらいはご存知な有名落語から。

 

1.寿限無

 

一番メジャーな落語と言えば『寿限無(じゅげむ)』でしょう。

子供が生まれてお寺の住職にいろいろな名前を提案してもらった父親が、子供の健康を思う余り、その提案を全部もらってめちゃくちゃ長い名前を作り上げてしまうという、お馴染みの話です。

 

~あらすじ~

あるお家に子供が生まれた。子供にめでたい名前を付けてもらおうと住職に依頼をする。いくつも名前の案を出してもらったが、父親が全てをつなげて名前にしてしまう・・・

~概要~

昔上方(関西)では『長名』という演目名で演じられた。子供がつけられる名前は落語家によって異なる事もある。よく用いられる例は以下の通り。

「じゅげむ じゅげむ ごこうのすりきれ かいじゃりすいぎょの すいぎょうまつ うんらいまつ ふうらいまつ くうねるところにすむところ やぶらこうじのぶらこうじ ぱいぽ ぱいぽ ぱいぽのしゅーりんがん しゅーりんがんのぐーりんだい ぐーりんだいのぽんぽこぴーの ぽんぽこなーの ちょうきゅうめいのちょうすけ」

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NHK-Eテレの幼児向け番組『にほんごであそぼ』で番組開始時からフィーチャーされ、落語を知らない子供たちの間にも『寿限無』は知れ渡りました。

 

▼NHK-Eテレ『にほんごであそぼ』

(出典:http://www.nhk.or.jp/kids/program/nihongo.html)

 

寄席では昔から、入門したての前座さんが発声と滑舌の稽古を兼ねてよく演じます。構成も分かりやすいですし、長すぎる名前を繰り返すことで生じる可笑しみは全世代共通だと思います。

まだ全編ちゃんと聴いたことが無いという人は、一度聴いてみてはいかがでしょうか。

 

2.饅頭怖い

 

一方、落語の台詞が独立して有名フレーズになるパターンもあります。

友達が怖い物を言い合う落語『饅頭怖い』のオチに出てくる台詞「ここらで一杯お茶が怖い」は、聴き覚えのある人も多いでしょう。

これは饅頭が大好物の男が「俺は饅頭が怖い」と嘘をつき、友達がイタズラ心で饅頭を持ち寄ってみるとそれをペロリとたいらげてしまった、その直後に口にする言葉です。

 

~あらすじ~

街の男たちが集まって自分たちの「怖いもの」の話をしている。クモが怖い、お化けが怖い、などと言っているがその中で一人だけ「まんじゅうが怖い」と言う男がいた・・・

~概要~

広く世間に知られる人気の演目。若手の練習噺としても用いられるが、持ちネタにする名人落語家も多い。

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3.時そば

 

『時そば』の「今、何時(なんどき)だい?」も有名フレーズです。

江戸時代、ある男が一杯16文のそばを食べて支払う際、わざわざ細かい銭を1枚ずつ「ひ、ふぅ、みぃ…」と払っていく途中で「今、何時だい?」とそば屋に訊ねて1文ごまかすという話からこの演目は作られていて、落語の後半ではそれを真似た男がことごとく失敗するギャグ満載の展開になります。

 

~あらすじ~

とある男がそば屋の屋台を呼び止めた。1杯いただくと言った後、その男はそば屋の看板から割りばし、器などを褒めちぎる。気を良くした店主、そばをその男に振舞う。さらにそば、つゆをその男は矢継ぎ早に褒め、いざお勘定になった時・・・

~概要~

『刻そば』『時蕎麦』と書かれる時もある。上方(関西)では『時うどん』という演目名。多くの落語家が演じる人気演目。

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4.目黒のさんま

 

同じく江戸時代、殿様が目黒で人生初の焼きたてのさんまを食べて感激し、「さんまは目黒に限る」と言い切る落語が『目黒のさんま』です。

この落語が元となって、1990年代からは毎年9月にJR目黒駅周辺など数箇所で「目黒のさんま祭り」というイベントが催されています。

お馴染みの落語が町おこしイベントにまで派生した例です。

 

~あらすじ~

とある殿様が目黒へ出かけた際、家来が弁当を忘れてしまった。殿様一同、空腹で歩いているといい匂いがしてくる。「なんだこの匂いは?」と問う殿様に家来は「『さんま』という魚ですが、殿様が食べるような魚ではありません。庶民の魚です。」と答えるが、今はそのような事を言っている時ではないとさんまを殿様は食す。するとあまりの美味しさに殿様は感動する・・・

~概要~

演目に出てくる「目黒」は現在の目黒区であるという説と他の場所であるという説がある。

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5.芝浜

 

JRと言えばもう一つ。2018年にJR山手線の新駅「高輪ゲートウェイ」の名前が決定した際、一般公募で3位になった名前が古典落語の名作として名高い『芝浜』でした。江戸の昔、芝の一帯はまだ海浜でした。

もし「芝浜」の名前に決定していたら、目黒のようなイベントが始まっていたかもしれません。

 

~あらすじ~

とある魚屋、腕はいいが酒飲み。酒が原因で仕事で失敗ばかりしていた。そんなある時大金の入った財布を拾う。あろうことかその金で飲み明かしてしまう。泥酔して帰り夜が明けると妻が「金も無いのにそんなに飲んで」と言う。そこで拾った財布のことを言うと「どこにそんな財布あるんだい?」と言われる。あったはずの財布がなくなっている・・・

~概要~

人情噺(感動する落語演目)の定番中の定番。

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あのギャグフレーズは落語だった?

 

テレビで有名な芸能人のギャグの中にも、出典が落語だったものがあります。何かというと、志村けんさんが「変なおじさん」のコントのオチに使う「だっふんだ」です。

 

▼志村けん

 

あのフレーズは元々、関西の爆笑王と呼ばれた桂枝雀(かつら しじゃく)師匠(故人)が演じた『ちしゃ医者』という演目の中で、医者の先生が貫録を示すためにちょっと偉そうに「だっふんだぁー」と誇張した咳払いをする声から来ています。

 

▼桂枝雀

 

枝雀師匠のファンだった志村さんが、コントの中で同じような咳払いをして真似ていましたが、それが時を経て独立したギャグフレーズに変化したのでした。

ちなみに「ちしゃ」というのはレタスの和名(萵苣)で、『ちしゃ医者』は田舎の頼りないお医者さんとその門弟の話です。

 

6.ちしゃ医者

~あらすじ~

ある時、村人が藪医者の元へ急患がいるから来てくれとやってくる。藪医者だからとその医者を手伝っている男が言うが村人は「もう死にそうだから」と診に来てもらおうとする。そこで駕籠(カゴ:医者が乗って往診に行く為のもの)を村人と手伝いの男に担がせるが途中で急患が死に村人は帰ってしまう・・・

~概要~

別題『駕籠医者』。上方(関西)の落語。

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「だっふんだ」以外にも、一時期志村さんがコント番組で多用していた「すびばせんね」(お詫びする時の「すみませんね」が酔っ払って発音不明瞭になった言葉)とか、「頭沸くねー」(嬉しさで頭の中が混乱した時の言葉)も、枝雀師匠が落語高座の中で使用していたフレーズでした。

1999年に枝雀師匠が他界された時は多くのファンが悲しみましたが、今もフレーズが残っているのは、ファンとしてはどこか嬉しいものです。

ちなみに「すびばせんね」は枝雀師匠の『首提灯』など酔っ払いの出てくる落語、「頭沸くねー」は同じく『船弁慶』という演目の中に出てきます。興味のある人はCDやDVDで確認してみてください。

 

7.首提灯

~あらすじ~

ある男が煮売屋(居酒屋)で飲み食いした後、細かい金が無かったため、表の露店で日本刀を購入して、その釣り銭で払いを済ませる。その後、試し切りをしたくなった男は、自宅の玄関をわざと開け放って泥棒を誘い込み・・・

~概要~

江戸(東京)と上方(関西)では導入部分が異なる噺。

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8.船弁慶

~あらすじ~

ある日喜六が留守番をしていると友人の清八が訪ねてきて芸者遊びをしに行こうと言う。喜六は妻にいつも内緒で遊びに出かけていた事やいつも驕られてばかりいたので芸者から「弁慶」と呼ばれている事を気にするが、結局また遊びに行くことにする・・・

~概要~

元々は能の演目だった。

※喜六と清八は落語の主要キャラクター。こちらのページで解説しています。

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「笑点」オープニングに登場する落語

 

1966年にスタートした日本テレビの国民的演芸番組「笑点」は、たとえ落語に興味の無い人でも必ず一度は見たことがあるでしょう。

 

 

その「笑点」の看板コーナーが大喜利です。

大喜利とは本来、寄席興行の中で行われる特別企画のことでした。

その日の出演者が揃って登場して、踊りを踊ったり、茶番(ちゃばん)と呼ばれるお芝居をしたりすることが大喜利であって、お馴染み回答者と司会者の問答形式もその一種でした。

その「笑点」のオープニングアニメで、出演者たちはそれぞれ何をしているんだろう?と思っている人も多いのではないでしょうか。

実はあれも、全部落語のワンシーンなのです。

 

林家木久扇(はやしや きくおう)師匠は『昭和芸能史』という木久扇師匠自身が創作した漫談で、昭和の名優・片岡千恵蔵のスタイルを木久扇師匠が真似ています。

 

引用:笑点(http://www.ntv.co.jp/sho-ten/) ©Nippon Television Network Corporation

▼林家木久扇

▼片岡千恵蔵

 

三遊亭好楽(さんゆうてい こうらく)師匠は『王子の狐』。好楽師匠が女性に化ける狐の役になっています。

 

▼三遊亭好楽(右)

 

三遊亭小遊三師匠は『強情灸』。江戸っ子が山盛りのお灸の熱さを我慢している場面です。

 

▼三遊亭小遊三

 

三遊亭円楽師匠は『秘伝書』。博学の円楽師匠が豆知識満載の本を売っています。

 

▼三遊亭円楽

 

春風亭昇太師匠は先ほど紹介した『寿限無』。登場人物の子供になりきっています。

 

▼春風亭昇太

 

林家たい平師匠は『二十四孝』。孝行息子が母親に「鯉を食べたい」と言われ、自分の体温で池の氷を解かしている場面です。

 

▼林家たい平

 

林家三平師匠はやはり先ほど紹介した『時そば』。失敗する方の客でしょうか?

 

▼林家三平

 

そして山田隆夫さんは『藪入り』。大店の小僧さんの衣装が似合いますね。

 

▼山田隆夫

 

この他にも、『元犬』『鰻屋』『しわいや』『笠碁』『鼠穴』『居酒屋』のワンシーンが盛り込まれています。

ちょっとした所に落語ネタをはさんで、少しでも落語に親しみを持つキッカケにしてほしいというスタッフの心遣いを感じます。どんな内容の落語か興味が沸いた人は、是非一度試しに聴いてみてください。

 

寄席で笑点メンバーに会う

 

では最後に、これら有名落語を聴きたい場合はどうすればいいのかを説明します。

「笑点」のオープニングアニメに出てくる落語も含めて、ここで紹介した落語はいずれも寄席や落語会で頻繁に演じられる落語ばかりですので、まずは寄席観覧がおすすめです。

では、寄席で「笑点」メンバーを見たい場合にはどうすればいいのか?

まず基本情報として覚えておきたいのは、「笑点」メンバーはそれぞれ所属団体が異なるため、全員が同じ寄席興行に並ぶ機会は基本的には無いということです。

木久扇師匠・たい平師匠・三平師匠は『落語協会』

小遊三師匠・昇太師匠は『落語芸術協会』

好楽師匠・円楽師匠は『五代目円楽一門会』

にそれぞれ所属しています。(団体は全部で5つあり、その他に『落語立川流』と『上方落語協会』があります)

 

落語家の団体はなぜ5つもある?

最初は明治時代に設立された落語協会だけでしたが「金銭問題」「人間関係上のこと」「落語界の改革のため」など、いろいろな理由によって分裂や統合を繰り返して今のような状態になっています。

各団体はそれぞれ独自に興行を打ったり、二ツ目や真打の昇進の決定などを行っています。

※落語初心者入門 第1章「落語家の階級」より引用

 

このうち都内の寄席に出演するのは落語協会と落語芸術協会で、10日交代で興行を受け持っています。

円楽一門会は独自に活動していますが、円楽師匠は落語芸術協会の客員もしているため興行に参加することもあります。また、寄席の特別興行などではごくたまにメンバーの中の2~3人が並ぶこともあります。

それぞれの寄席や所属団体のサイト(円楽一門会は公式サイトが無いため他の2団体)などで出演情報をチェックして、メンバーの生の落語を聴きにお出掛けください。

 

▼メンバーの所属団体と公式サイト

メンバー 所属団体 公式サイト
木久扇師匠
たい平師匠
三平師匠
落語協会 http://rakugo-kyokai.jp/
小遊三師匠
昇太師匠
落語芸術協会 https://www.geikyo.com/
好楽師匠
円楽師匠
五代目円楽一門会 なし

 

次のページでは落語を楽しむ為に知っておくといい基礎知識を有名落語演目と共にご紹介。知識とともに落語を聴いてみていただければと思います。

『落語の演目と知識』目次へ  (全10ページ)



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目次著者

著者:なかむら治彦

本業は4コマ漫画家兼イラストレーター。学生時代から筋金入りの落語ファン。1998年「第1回新作落語大賞」に落語脚本を投稿し、大賞を受賞。その後は「尾張家はじめ」のペンネームで落語作家兼ライターを副業に。現在、隔月パズル雑誌『漢字道』(イード)で落語4コマを連載中。著書は『落語まんが寄席』(新星出版社)他。

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はじめに ~ロートレックという37年間の人生~

 

 

ロートレックという37年間の人生

 

「世紀末芸術」というものをご存知でしょうか。

 

幻想的な作品が印象的な「ルドン」

▼ルドンの作品「眼=気球」(1878年)

 

官能的であるけれど気品のあるモノクロ画が特徴的な「ビアズリー」

▼ビアズリーの作品『サロメ』の挿絵(サロメ=文学作品の題名)(1894年)

 

日本でも高い人気を誇る「ミュシャ」や「ムンク」。

▼ミュシャの作品『春』(1896年)

▼ムンクの作品『叫び』(1893年)

 

彼らは1890年代から20世紀初頭にかけて活躍した「世紀末芸術」と呼ばれる作品を描いた芸術家です。

彼らの「世紀末芸術」と呼ばれる作品の多くは抽象的ですが、幻想的で退廃的なものを美しく描いており、観る人の想像力がかき立てられます。

 

このWebonではそんな19世紀末に活躍した数多くいるヨーロッパの芸術家の中でも、37歳という短い生涯の中でインパクトの強い作品を多く残した画家

トゥールーズ=ロートレック

(正式名:アンリ・マリ・レーモン・ド・トゥールーズ=ロートレック・モンファ)

をご紹介します。

 

ロートレックとは

▼トゥールーズ=ロートレック

 

南フランスのアルビ(現:タルヌ県県庁所在地)で生まれたトゥールーズ=ロートレックは、由緒ある貴族の流れを引き継いだ家系出身の画家です。

 

▼フランス、アルビの風景(現在)

 CC BY-SA 2.0 fr, Link

 

そんなロートレックには彼だけに与えられたハンディがありました。

 

ロートレックは10代の頃に足を片足ずつ続けて骨折しています。

そして両足を骨折したロートレックは、10代の頃のままで足の成長が止まってしまうのでした。

ロートレックの骨折の原因は、大きな事故や病気ではなく、ほんのささいな出来事での骨折でした。おそらく、医学が発達した現代の私たちがロートレックと同じように骨折しても成長が止まるほど重篤にはならないでしょう。

おそらく現代の医療技術であれば、なぜ骨がもろいのかを当時よりも詳しく原因を突き止められると思います。

 

しかし、ロートレックの足の成長は止まってしまったのです。

ロートレックの両親はじめ、ロートレック家が近親結婚を繰り返していたことが足の成長を止めた原因、つまり彼の弱い体質の原因である、と言われています。

 

近親結婚

近親者同士の結婚が行われると病気や奇形などの症状が遺伝子の仕組みにより出現しやすくなる。この理由より日本では三親等以内(一親等:父母、子 二親等:祖父母、孫、兄弟姉妹 三親等:曾祖父母、曾孫、叔父叔母、甥姪)の結婚が禁止されている。

 

そんなハンディキャップを背負った彼が生涯にわたり衣食住から死の床にいたるまで、不自由なく過ごすことができたのは、一人息子の彼を不憫に思う母親のおかげであるところが大きかったようです。

 

ロートレックの作品

 

ロートレックはそんな自分の不遇な状況と重ね合わせたのか、夜の酒場や踊り子、娼婦など現代でも昼間には陽が当たらないものを偏愛しました。

 

彼は、雄大な自然の風景画や、身分の高い人の人物画などではなく、彼が愛する酒場や娼婦、踊り子を描き続け、時には自分さえも絵の中に描き入れました。

 

▼ロートレックの作品『ムーラン通りのサロン』(1894年)

 

ロートレックの特異的な身体と、誰もが二度見してしまうような絵は瞬く間にパリのモンマルトルで有名になりました。

 

▼1897年に別の画家によって描かれた「モンマルトル大通り」

 

ロートレックの絵は、生き写しのような正確な描写ではなく、諧謔的(かいぎゃくてき:気の利いた冗談のよう)かつ皮肉たっぷりに風刺絵のようでした。

時に彼の出来上がった絵を見て不愉快になったモデルもいたようでした。

ロートレックは自分の身に起きた偶然の不幸と「普通ではない」場所や彼女(または彼ら)とを重ね合わせていました。

しかし、ロートレックは自分のハンディキャップを悲嘆的に暮れて終わらせたわけではありませんでした。むしろ対峙し、時には挑戦するかのように短い生涯をかけて絵を描きに描き続けたのでした。

 

伝えたい事

 

このWebonではロートレックの37年間という短いながらも濃い人生を通じて、「表現活動における原動力」の大切さを伝えたいと思います。

表現者によっては、暗い過去をバネに、多くの人を喜ばせるような表現でポジティブに人生を歩む人もいます。

その一方で、ロートレックのように表現活動を続けながらも心の闇を抱えたまま人生を終えてしまう人もいます。

決して「表現をする上でこれが正しい」であるとか「こうしなければいけない」といったジャッジや指南をするつもりはありませんが、表現や活動を(アーティストでなくとも)する上で自身の経験やバックボーンは原動力として不可欠な要素だということを、ロートレックを紹介する事でお伝えしたいと思います。

 

次のページから第1章。第1章ではロートレックの時代や家族、そして生い立ちを紹介していきます。

まずは次のページでロートレックがどのような時代を生きたかを解説していきます。

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フランス画家 ロートレック入門

 

はじめに

はじめに ~ロートレックという37年間の人生~

 

第1章 フランス画家・ロートレックとは

ロートレックが生きた時代

ロートレックの生い立ち

ロートレックと家族

ロートレックに起きた1878年の悲劇

 

第2章 ロートレックの魅力と作品

パリでの生活

画家としての活躍

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はじめに ~落語の入口は百人百様~

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落語の演目数は数えきれないほど。そんな落語をいざ聴こうと思っても何を聴いたらいいかわからない・・・そんなあなたに好みにピッタリと合った落語演目をご紹介!落語を聴く上で知っておくといい知識も大公開!読めば落語にハマる事間違い無し!!

『読んで楽しい落語の演目と知識 ~人気の演目から泣ける演目まで~』はこちらから!

著者:なかむら治彦

本業は4コマ漫画家兼イラストレーター。学生時代から筋金入りの落語ファン。1998年「第1回新作落語大賞」に落語脚本を投稿し、大賞を受賞。その後は「尾張家はじめ」のペンネームで落語作家兼ライターを副業に。現在、隔月パズル雑誌『漢字道』(イード)で落語4コマを連載中。著書は『落語まんが寄席』(新星出版社)他。

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『落語の演目と知識』目次へ  (全10ページ)

 

はじめに

 

最近、ドラマや漫画などで落語界が舞台の作品がヒットした影響で、落語に対する注目度が急激に高まっています。

そんな落語ブームの流れとともに、動画サイトで落語を聴くようになった人や、初めて寄席に足を運んでみた人もきっと多くいらっしゃることでしょう。

 

▼近年ヒットした落語が題材(又は落語家が主要人物)の作品例

タイトル メディア 備考
「わろてんか」(2017)

テレビドラマ

【内容:芸能事務所・吉本興業がモデルとなった物語。多くの漫才師や落語家が登場する。】

平均視聴率約24.2%(ビデオリサーチ社調べ)
「昭和元禄落語心中」(2010~)

漫画・アニメ・テレビドラマ

【内容:弟子を取らない事で有名な落語の名人とその周りの人物の人間模様が描かれた物語】

漫画は累計190万部を超える大ヒット
「赤めだか」(2015・TBSドラマ)

エッセイ・テレビドラマ

【内容:落語の名人・立川談志とその弟子立川談春の物語(原作は立川談春のエッセイ)】

書籍発行部数10万部、テレビドラマ視聴率約10%(ビデオリサーチ社調べ)

 

その一方で、「これから落語に興味を持ってみたいけど、どこから入っていいのか分からない…」と、キッカケのつかみ方を迷っている人もいらっしゃるのではないでしょうか。

 

落語の演目数

 

ひとくちに『落語』と言いましても、様々なバリエーションが存在していることは皆さんお察しのことと思います。

では、落語っていったい何種類ぐらいあると思いますか?

 

落語の演目(演じられる題目)には、何十年何百年と伝承されている古典落語と、最近創作された新作落語(創作落語とも呼ばれます)の2パターンがあります。

 

古典落語と新作落語

古典落語と新作落語の定義は諸説あるため、一概には言えませんが、理解しやすい基準としましては、作者が明確なのが新作落語で、長年にわたり不特定多数の作者の手が加わって出来上がったのが古典落語という考え方です。

その一方で、一代限りで演者が途絶えるのが新作落語、何代もの演者によって口伝され継承されるのが古典落語、という考え方もあります。その意味では、昭和に完成した新作落語の中にも、多くの演者に受け継がれて既に古典化した演目もあります。

2015年に亡くなった桂米朝師匠が1950年代に自作した新作落語『一文笛』などは古典化したその好例でしょう。

 

そのうち古典落語の演目は、現在寄席や落語会でよく演じられているものがざっと200種類ほど。

上演回数の少ない珍しい古典落語を含めると、およそ500種類ほどと考えられています。

一方の新作落語の演目は、誕生後に世代を超えて後世に伝わり古典化した作品(古典落語のように受け継がれていくようになった演目)もあれば、昨日できたてホヤホヤの作品もあります。

中には落語家さんが1回高座(落語の舞台)で喋ったきり、日の目を見なくなる作品まであるため、新作落語の実数は誰にも分かりません。

 

 

以上を総合的に考えれば、現在コンスタントに演じられている落語の数は、古典・新作合わせて250~300種類ほどと考えるのが妥当でしょうか。

参考までに、東大落語会が編集した古典落語の演題事典『増補 落語事典』(青蛙房)には、約1,260作もの古典落語が紹介されています。

ただしその中には、小ばなし(数十秒で終わる短い落語)や演じ手が全くいない幻の演目が全体の何割かを占めています。

また、『増補 落語事典』が刊行された1973年以降、新たに古典化した新作落語も数多くあります。

 

 

奥が深い芸能

 

これだけ種類がある落語ですから、当然ストーリーもまちまちですし、多くの場合、個々の落語家さんによって演出も異なります。

しかも、落語という芸能ジャンルに対する定義が個人個人で違うものですから、話は一層ややこしくなります。

 

「あなたにとって落語とは?」

そう質問されて、

ある人は「伝承話芸」と答え、

またある人は「お笑いの一ジャンル」、

またある人は「ストーリーテリング」、

またある人は「一人芝居」、

またある人は「言葉によるライブ芸

と答えます。

これらはいずれも視点が微妙に異なるものの、すべて正解と言えます。つまりそれだけ様々な要素を持ち合わせている奥の深い芸能が、落語なのです。

 

 

とはいえ、この定義というのがクセモノで、あまり固定観念を強く抱きすぎると、ファーストインプレッション(第一印象)で失敗する確率が高まってしまう恐れが出てきます。

いわく、「落語で笑いたかったのに全然笑えない内容だった」

「火の出るような熱い演技を期待して行ったら世間話みたいなゆるい口調で驚いた」

「落語の世界に没入したかったのに集中できなかった」

「『笑点』みたいな大喜利が見たかったのに「寄席ではやっていませんよ」と言われた」

等々。

初めての生落語に「思ってたんと違う…」とガッカリ、というこうした残念な事例の数々は、実は珍しくなく、落語初心者のあるあるエピソードでもあるのです。

 

 

ファーストインプレッションでガッカリしないためには、あまりシチュエーションにとらわれず、「とりあえず聴いてみよう」くらいの寛容な受け入れ体勢で臨むのがベターかもしれません。

 

 

回りくどい説明をしてしまいましたが、つまり、落語初心者にとって「入口選びはとても大切」ということをお伝えしたかったのです。

このWebonでは、あなたが落語に対して最高のファーストインプレッションを得られるように、条件を絞りながら最終的にあなたの好みにマッチした落語をご提案する処方箋システムで、落語の入口にご案内したいと思います。

 

まずは落語の定番中の定番からご紹介していきます。

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著者:なかむら治彦

本業は4コマ漫画家兼イラストレーター。学生時代から筋金入りの落語ファン。1998年「第1回新作落語大賞」に落語脚本を投稿し、大賞を受賞。その後は「尾張家はじめ」のペンネームで落語作家兼ライターを副業に。現在、隔月パズル雑誌『漢字道』(イード)で落語4コマを連載中。著書は『落語まんが寄席』(新星出版社)他。

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