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ジャニーズファン歴25年で『なぜ90年代J-POPはあんなにアツかったのか?』の著者であるシン氏が90年代ジャニーズという存在を紐解く!「少年隊」「光GENJI」が築いたジャニーズの礎とは?「SMAP」「V6」「TOKIO」「KinKi Kids」の軌跡とおすすめ楽曲をジャニーズと共に青春を過ごしてきた筆者視点で語る!
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この章では90年代活躍したジャニーズグループ「SMAP」「TOKIO」「V6」「KinKi Kids」の軌跡と楽曲を紹介します。
このページからは「KinKi Kids」の軌跡と楽曲を紹介していきます。
「KinKi Kids」90年代簡易年表
年月 |
出来事 |
1991年5月 |
堂本光一と堂本剛が初対面 |
1992年12月 |
紅白歌合戦で「KANZAI BOYA」とユニット名が付く |
1993年4月 |
「KinKi Kids」に改名 |
1994年7月 |
ドラマ「人間・失格」出演 |
1994年12月 |
日本武道館で初の単独コンサート |
1995年4月 |
ドラマ「金田一少年の事件簿」 |
1996年1月 |
ドラマ「銀狼怪奇ファイル」 |
1996年4月 |
ドラマ「若葉のころ」 |
1997年7月 |
シングル「硝子の少年」アルバム「A album」でCDデビュー |
1997年11月 |
2枚目シングル「愛されるより 愛したい」リリース。CD累計売上163万枚。 |
1998年7月 |
4枚目シングル「全部だきしめて」リリース。CD累計売上115万枚。 |
運命的なふたり。「シンメ」の究極の形
ダンスのフォーメーションにおいて、対となって踊ることをシンメトリーといいます。この「シンメ」はジャニーズファンにとってたいへん重要なもの。
ファンはシンメという関係性に特別感を抱き、シンメにしか出せない空気感を愛し、息の合ったコンビネーションに胸を躍らせます。
そして何より、二人が並んだときの「無敵感」に夢を見るのです。
KinKi Kidsは、1991年5月5日に横浜アリーナで開催された光GENJIのコンサートで初対面を果たして以降、2019年現在までずっとコンビを組んできたジャニーズきってのシンメトリー。
もともとは近畿二府四県からひとりずつ抜擢し、複数人による関西発グループを結成する構想だったそう。
しかし、光GENJIやSMAPのバックダンサーとして経験を積んでいった二人は、1992年にSMAPのバックダンサーとして出演した紅白歌合戦で「KANZAI BOYA(カンサイボーヤ)」とユニット名が付けられ、正式にデュオとなりました。
同じ「堂本」という苗字、関西出身(光一の出生は千葉)、学年違いの同年生まれ(光一があと1日早く生まれていたら同年生まれにはならなかった)、ちょうど100日違いの誕生日…。
ルックスも性格もまるで異なるのに、どこか似ている、同じ雰囲気をまとう二人。
偶然という言葉では片付けられない、もはや運命的な出会いとしか言いようがありません。しかし運命だとか必然だとか表現にこだわるよりも、二人で歩んできたその軌跡こそが本物です。
ふとしたときに重なる発言や仕草、ときにふたりにしか分からない笑いのツボ、変わらぬ距離感、それらすべてに、20年をゆうに超える二人の歴史を感じずにはいられません。
彼らをデビュー前からかわいがっていたSMAP中居氏が「キンキくらいになると、死ぬときは手を繋いで同時に死んでほしい」とバラエティ番組で発言したこともあるほど、誰の目から見てもジャニーズきっての絶対的なコンビ。
彼らの人気曲「欲望のレイン」「愛のかたまり」は歴代の人気シンメにカバーされ、シンメを組むコンビにとっても、シンメを愛するジャニーズファンにとっても憧れの曲です。
KinKi Kidsの軌跡
KinKi Kidsへの想いをアツく語りたいところではありますが、いかんせん記録の多い彼ら。
当時、異例ずくめとも言えるKinKi Kidsの活躍と人気ぶりは、あとに続くジャニーズアイドルに大きく影響を与えました。
90年代のKinKi Kidsの人気がどれほど凄かったか。
少なくともそれが、当時を知らない読者の方に伝われば幸いです。
デビュー前に「日本武道館」で初単独コンサートを開催
KinKi Kidsは入所した当初、平日は関西の地元の学校へ通い、土日は京都駅で待ち合わせをして二人で上京し、レッスンを受けるという日々を送っていました。
先輩アイドルの冠番組への出演や、バックダンサーとしての活動、雑誌への掲載など露出が増えるにつれ、すぐにジャニーズファンの間で注目の存在になります。
1993年には「KANZAI BOYA(カンサイボーヤ)」から「KinKi Kids」に改名。
光一が中学三年生、剛が中学二年生の1993年に上京。
本格的にトップアイドルへの道をまい進していきます。
彼らが20歳になったころ、上京当時の心境を語る機会が何度かありました。
親元を離れ、アイドルとして頑張っていくと決めた少年の心は、推して知るべし、といったところでしょうか。
当時はそんな姿など微塵もみせませんでしたが、こういった背景も由来してか、彼らにはどこか切なく儚い雰囲気があった。
それさえも魅力でした。
ラジオ・テレビ・ドラマで大活躍
東京進出により彼らはさらに活躍の幅を広げていきます。
NHK「アイドルオンステージ」では、自分たちで選んだ楽曲を毎週のように披露。
もともと引っ込み思案でおとなしいふたりですが「関西出身アイドル」という周囲の期待から、慣れないトークもがんばっていた姿が印象的です。
冠ラジオ番組や冠バラエティ番組を持ちながら、ドラマにも多数出演。
1994年にはドラマ「人間・失格~たとえばぼくが死んだら」に二人揃って出演し、お茶の間にも広くその存在が知られることとなりました。
この作品において、二人はそれぞれオーディションで主役級の役どころを勝ち取っています。
同年の年末には、KinKi Kidsとして初の単独コンサートを日本武道館で開催しました。
助演としても多数のドラマ出演を誇る彼らですが、1995年にスタートした「金田一少年の事件簿」シリーズ、翌96年「銀狼怪奇ファイル」、ダブル主演が話題となった名作「若葉のころ」は、彼らの代名詞とも言える作品です。
当時の彼らはレギュラー番組を6本に加えCMにも複数出演の大抜擢。
KinKi Kidsをテレビで見ない日はありませんでした。
デビュー前にも関わらずオリジナルの楽曲を持ち、ミュージックステーションにも何度となく出演しています。
まさに眠る暇もない毎日。メディアからは「日本一忙しい高校生」と呼ばれ、ときに痛々しささえも感じるほど、当時の彼らは多忙を極めていました。
普通の学生らしい青春など、まるでなかったのではないかと思います。
それでも、求められる「KinKi Kids」を全力でやり切ってくれた二人。
KinKi Kidsが駆け抜けた10代は、誰にも真似のできない、追いつくこともできないほど、眩しく目まぐるしく過ぎていったことでしょう。
少年が一番輝く時間を見せてくれた。
彼らがくれた青春を、ファンは今も大切に抱きしめています。
人気はとどまるところを知らず、クラスでは「光一派」「剛派」どちらかという話題でいつも持ちきりでした。
そして結局みんな、二人ともが好きだというオチ。
これほどまでの人気を誇りながら、一向にCDデビューの朗報は訪れません。
「金田一少年の事件簿」の主題歌「kissからはじまるミステリー」、「若葉のころ」の主題歌「FRIENDS」をはじめ、それぞれソロで主演したドラマの主題歌にもオリジナル曲「僕は思う」「ひとりじゃない」が起用されました。
そのたびに「いよいよデビューか?」と期待しながらも「リリースの予定はない」の繰り返し。
しかし。その日は突然やってきたのです。
待望のデビュー&いきなりのミリオンセラー
1997年5月29日。同年7月21日にKinKi KidsがCDデビューするという知らせがワイドショーをかけめぐりました。
楽曲は未発表の完全オリジナル曲「硝子の少年」。
さらにはこれまでのオリジナル曲を収録した1stアルバム「A album」もシングルと同日に発売するという前代未聞のデビューです。
本人たちさえ前日まで知らされていなかったという衝撃のデビュー会見に、ファンは驚くとともに歓喜しました。
学校は、しばらくその話題でもちきり。
みんなが待っていた日がようやくやってきたのです。
作詞松本隆・作曲山下達郎によるデビュー曲「硝子の少年」は、オリコン初登場1位を記録。
2019年現在の累計では180万枚近くの売り上げを記録しています。
楽曲、歌詞、振り付け、すべてにおいてジャニー喜多川氏がこだわり抜いたというとびっきりの作品。
昭和歌謡のテイストを漂わせた、哀愁のあるメロディアスな楽曲。
瑞々しくもありながら、どこか儚さと憂いのある彼らを指すような「硝子の少年」という詩的なタイトルと歌詞。
そして山下達郎が「濡れた声」と表現した、剛の色気のある歌い出しに続く光一の甘い声、重なるユニゾン。
この曲と出会うためにデビューを待たされたのならかまわない、むしろこの楽曲に出会うためだったのかとさえ思える、会心のデビュー曲でした。
1997年12月にリリースされた2枚目のシングル「愛されるより愛したい」も、話題作となったダブル主演ドラマ「ぼくらの勇気・未満都市」の主題歌として大ヒット。
10代最後のアルバム「B album」には自作曲も収録されています。
冠バラエティ番組「LOVE LOVE あいしてる」をきっかけに始めたギターもみるみる上達した二人。
KinKi Kidsは、マイナーコードが似合う実力派アイドルとしてその地位を確立させ、豪華制作陣とともにジャニーズの「アーティスト性」を高めました。
現在のKinKi Kids
今では二人も40歳。持ち前の才能と努力を武器に、舞台に音楽にとそれぞれが自分の道を進み、ジャニーズタレントとしてもグループとしても、唯一無二の存在を確立しています。
良い意味で肩の力が抜けた独特のゆるさも、現在のKinKi Kidsが持つオンリーワンの魅力といえるでしょう。
それぞれタイプの異なるルックスを持ち、歌って踊るカッコよさと、やわらかな関西弁で話すギャップ。
まさに女の子に恋されるために生まれてきたような二人組。
90年代の女の子たちが恋した無敵のデュオは、今までもこれからもどこまでも、並んで歩み続けることでしょう。KinKi Kid“s”として。
次のページではKinKi Kidsの90年代のおすすめの名曲をご紹介します
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