SMAPの90年代のおすすめの名曲5選

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ジャニーズファン歴25年で『なぜ90年代J-POPはあんなにアツかったのか?』の著者であるシン氏が90年代ジャニーズという存在を紐解く!「少年隊」「光GENJI」が築いたジャニーズの礎とは?「SMAP」「V6」「TOKIO」「KinKi Kids」の軌跡とおすすめ楽曲をジャニーズと共に青春を過ごしてきた筆者視点で語る!

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著者:シン アキコ

30代前半女性。ジャニーズファン歴25年。70年代、80年代、90年代の邦楽を愛している。著書『なぜ90年代J-POPはあんなにアツかったのか?: J-POP愛して25年の著者がヒット曲を徹底分析 (Webonブックス) 』

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今回はSMAPの「ぜひ聴きなおしてみてほしいおすすめの90年代シングル」5曲を解説してまいります。

シングルだけみても90年代だけで実に30枚以上もリリースされており、セレクトにはかなり苦労しました。

SMAPの音楽を作った方々についても触れながらお伝えしますので、SMAPについて深く知るきっかけになればと思います。

 

SMAP90年代のおすすめの名曲5選

「君色思い」作詞・作曲:林田健司

 

1994年1月リリースのSMAPの11枚目シングル「君色思い」は林田健司による提供曲。オリコン週間5位。

林田健司によるSMAPへの楽曲提供は

「$10」(10枚目シングル。1993年リリース。オリコン週間5位。)
「KANSHAして」(16枚目シングル。1995年リリース。オリコン週間1位)

などヒット曲が並ぶ。

また、彼の楽曲をジャニーズアイドルがカバーすることも多く、林田健司はジャニーズとは縁の深いアーティストだ。

 

「君色思い」はこれまでのジャニーズにない「音痴」というキャラクターを自虐する中居による歌い出しが聴きどころ。

彼のソロ歌唱は「free bird」「世界にひとつだけの花」など2000年以降のシングル曲では聴くことのできる機会が増えている。実に優しい歌声だ。

「君色思い」は、香取が声優として出演したアニメ「赤ずきんチャチャ」の主題歌として、子ども世代にも人気を得た。

 

「君は君だよ」 作詞:小倉めぐみ 作曲:谷本新

 

1993年9月にリリースされたSMAPの9枚目シングル「君は君だよ」。オリコン週間7位。

 

作詞を担当したのはSMAPへの歌詞提供の多い小倉めぐみ。

彼女の詞は美しく、優しさに溢れている

先述した「がんばりましょう」や「それじゃまた」をはじめ、なかには「正義の味方はあてにならない」などユーモラスな歌詞も提供している。

「君は君だよ」もぜひ、歌詞に注目してもらいたい1曲だ。

SMAPはいつもこうして、人々の背中をそっと押す。

「がんばれ」と言ってしまうのではなく、個々の存在を認めてくれる。

そういう歌を歌えるのがSMAPだ。

 

優しさにあふれた歌詞を最大限に活かす、谷本新によるメロディ。

彼もSMAPをはじめ数々のアーティストへの楽曲提供を行っている。

ジャニーズへの楽曲提供も古くから行っているが、90年代後半~00年代という、ジャニーズ音楽の変換期においても数々名作を生み出しており、ジャンルを問わず幅広い楽曲を制作している。

 

「どんないいこと」作詞:大倉浩平 作曲 :庄野賢一

 

「どんないいこと」は1995年9月にリリースされたSMAPの18枚目シングル。オリコン週間1位であり、1995年の年間63位。

「どんないいこと」はドラマか映画のワンシーンが浮かぶような、丁寧に紡がれた歌詞が印象的。当時のSMAPにとっては前作「しようよ」に引き続き、大人っぽいテイストの楽曲といえる。

活動の後期においても歌唱される機会が多く、当時こそスマッシュヒットであったが、非常に長く愛された楽曲だ。

タイトルはもちろん、サビにも使用される「どんないいこと」という言葉。

解釈を聴き手に任せた秀逸な言葉である。

「うまくいかないときは落ち込むのさ」という歌詞をサラッと歌える、SMAPがもつ等身大の魅力と楽曲の世界観が非常にうまくマッチしている。

 

「オリジナルスマイル」作詞:森浩美 作曲:MARK DAVIS

 

「オリジナルスマイル」は1994年4月にリリースされたSMAPの13枚目シングル。オリコン週間2位で、1994年の年間60位。

東日本大震災の際、日本中へのエールとして歌われた楽曲。

 

SMAPの楽曲ではおなじみの森浩美が作詞を担当。

なかなか売れずに苦戦しているSMAPへのエールとして、そして彼らがもつ反骨精神にぴったりだとして制作したという歌詞。

元は木村出演の「オロナミンC」のCMのために作られた楽曲だったという。

問い合わせが殺到した末にリリースの運びとなった「オリジナルスマイル」は、SMAPを代表する作品となった。

 

「みんな出来れば楽してズルもしたいさ」
「山程ムカつくこと毎日あるけど 腐ってたらもうそこで終わり」
「笑顔抱きしめ ココロに活力 腹の底から笑い飛ばせ」

引用:SMAP「オリジナルスマイル」作詞:森浩美

 

正しいことばかり言うわけではない、決して優等生ではない、やや荒っぽい口調さえも、まさに新しいアイドル・SMAPだからこそ歌える曲。

くすぶる心をたきつけてくれるような、アツイ楽曲だ。

 

「SHAKE」作詞:森浩美 作曲:小森田実

 

「SHAKE 」は1996年11月にリリースされたSMAPの23枚目のシングル。オリコン週間1位、1997年の年間19位。

 

5人となったSMAPは、別の道を行く森と「1番で居続けること」を誓った。

そして確かにそこから、SMAPは快進撃を始めるのだ。

「SHAKE」は、SMAPの後輩であれば皆が踊れるほどの振り付けも特徴的。

これはジャニーズの振り付けを多く担当しているサンチェによるもの。

しかしSMAPのダンスには彼らにしかない茶目っ気と色気がある。

振り付けもバラバラで揃っていないことが多いのですが、それさえも「SMAP」なのだと思わせてしまう個性こそトップアイドルのなせる業だと思います。

歌詞もまた特徴的だ。

アイドルの楽曲において「恋愛」はよくあるテーマだが、この当時のSMAPが歌う恋愛には年齢相応の色気とリアリティがある。

たとえば「青いイナズマ」「ダイナマイト」などがそうだ。

これもまた、他のアイドルにはなかった表現であろう。

「SHAKE 」のサビの歌詞はやはり森浩美といったところ。

ただただハッピーな気持ちを、言葉にできないとき、人はこんな心境になることもある。

語彙力をなくしてしまうほどの多幸感を、きちんと言葉で表している。

「チョーベリベリ」など当時の流行語が入っているのも、SMAPの歴史を感じさせて良い。

 

ちなみに「SHAKE」の作曲者である小森田実は別名義「コモリタミノル」を含めると実に数多くのアーティスト、アイドルに楽曲提供を行っている。

SMAPでいえば「たいせつ」「ダイナマイト」「らいおんハート」「BANG! BANG! バカンス!」など、ジャンルを問わずヒット曲を手掛けている。

歌うもの、聴いているもの、誰もが笑顔になるハッピーな曲だ。

 

【コラム】SMAPの楽曲の特徴

SMAPはタイトルに魅力がある楽曲が多いのも特徴。例えば「それが痛みでも」「こんなに僕を切なくさせてるのに」「まったくもう」といった日本語のタイトルを持つ楽曲は、なんだか続きが気になる、ドラマチックな予感を抱かせます。一方で「歯が痛い!」「僕の冷蔵庫」「シャンプー3つ」などタイトルだけではまるで内容を想像できず、なんだか無性に気になってしまうものまで、SMAPのシングルおよびアルバムのジャケットには“聴いてみたい”と思わせるタイトルがずらりと並んでいるのです。

 

アルバムにも多数の名曲が!

 

実はSMAPはアルバムにも多数の名曲があります。

むしろ、アルバムこそ名曲の宝庫といっても過言ではありません。

一例を下記にあげます。

「MY CHILDHOOD FRIEND ~鏡の中のRadio」では私の愛するミュージシャンであり作詞家、久保田洋司氏による切ない歌詞に注目していただきたいです。

▼アルバムの名曲の一例

「Run! Run! Run!」「Shake U Up」「さよならの恋人」「真夜中のMERRY-GO-ROUND」「Part Time Kiss」「悲しくて眠れない」「君が何かを企んでいても」「MY CHILDHOOD FRIEND ~鏡の中のRadio」「君と僕の6ヶ月」「ひと駅歩こう」…

 

これでもほんの一部なのですが、SMAPはとにかくシングル・アルバムいずれもリリース枚数が多く、いずれも名曲ばかり。

ご紹介した曲をきっかけに、ぜひともSMAPの曲を聴いてみてください。

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SMAPの軌跡

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30代前半女性。ジャニーズファン歴25年。70年代、80年代、90年代の邦楽を愛している。著書『なぜ90年代J-POPはあんなにアツかったのか?: J-POP愛して25年の著者がヒット曲を徹底分析 (Webonブックス) 』

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この章では90年代活躍したジャニーズグループ「SMAP」「TOKIO」「V6」「KinKi Kids」の軌跡と楽曲を紹介します。

まずは「SMAP」の軌跡と楽曲を紹介していきます。

 

「SMAP」90年代簡易年表

年月 出来事
1988年4月 SMAP結成
1991年9月 「Can’t Stop!! -LOVING-」でCDデビュー
1994年3月 12枚目シングル「Hey Hey おおきに毎度あり」で初のオリコン1位
1994年6月 13枚目シングル「オリジナルスマイル」でオリコン2位
1994年9月 14枚目シングル「がんばりましょう」でオリコン1位
1994年12月 15枚目シングル「たぶんオーライ」でオリコン1位
1995年1月 「がんばりましょう」で日本を元気づける
1995年3月 16枚目シングル「KANSHAして」でオリコン1位
1996年4月 冠番組「SMAP×SMAP」放送開始
1996年5月 メンバーの森且行が脱退
1998年1月 27枚目シングル「夜空ノムコウ」で初のミリオンヒット
2000年8月 32枚目シングル「らいおんハート」で二度目のミリオンヒット

 

SMAPはジャニーズを変えた存在

 

2016年。SMAPは惜しまれつつも解散を迎えましたが、その活動は国民的アイドルグループと称されるにふさわしいものでした。

前章で紹介した少年隊や光GENJIがジャニーズの教科書を作った存在であるとするならば、SMAPはそこに数多くの番外編を残したアイドルであると、私は思います。

後に続くアイドルの中には、教科書を丁寧に辿る者もいれば、ときには塗り替える者もいるでしょう。

「バラエティへの本気の進出」「衣装も用意されないアイドルから国民的アイドルへの転身」「30歳を超えても歌って踊るアイドルグループで居続けたこと」などSMAPの描いた番外編はSMAPにしか辿ることのできないページ。

解散してもなおSMAPがオンリーワンであることの証明です。

日本中、老若男女問わず誰もが彼ら個人の名前を言える。

いつのまにかそんなグループになっていましたね。

「音楽番組氷河期のデビュー」「なかなか埋まらないホール公演」といった、ジャニーズアイドルとしては異例ともいえる不遇の時期を乗り越えてきたSMAP。

体当たりもいとわぬバラエティへの進出や、コミックソングも全力でやりきる姿勢など「新しいアイドル」の道を切り拓き、着実に知名度と人気を獲得していきました。

 

SMAPの軌跡

不遇の時代

 

音楽面ではキャッチーな良曲に恵まれ、アニメの主題歌やCMに起用されながらも、あと一歩というところで代表曲には至らない時代が続きます。

代表曲に至らなかった理由の一つとしては、メディアで曲を披露できる機会がこれまでのジャニーズアイドルと比較して圧倒的に少なくなったことが挙げられます。

この頃、日本の主要な音楽番組は軒並み終了していきました。「ザ・ベストテン」が89年に終了、「夜のヒットスタジオ」シリーズも90年には終了。とくに「ザ・ベストテン」は毎回趣向をこらした演出や生パフォーマンスが人気の番組であり、少年隊や光GENJIのブレイクには欠かせない番組であったと思います。

これらの番組が終了したことはSMAPにとっては痛手であったと思いますし、彼ら自身もかつてそのように語っていたことがありました。

また、音楽業界ではビーイング系ブームやバンドブームに火がついたことで、相対的にジャニーズ全体の売り上げも低迷していた時期でした。

※ビーイング系ブーム:ビーイングという音楽プロダクション所属によるアーティスト「ZARD」「大黒摩季」「DEEN」「B’z」などが90年代J-POPシーンで大活躍。1992年12月28日から93年7月26日までの31週間中、27週にわたってビーイング系アーティストが首位を獲得するという快挙を成し遂げる。ビーイング系ブームについて詳しくはこちらで解説!

 

現在とは異なり、曲を聴くためにはCDを購入しなければならない時代です。

楽曲が受け、気に入られればファン以外も購入し、売り上げが伸びるということ。

知名度や話題性が、ダイレクトにチャートに反映する時代でした。

一般層にもCDが購入されチャートをかけのぼるためには、良曲であることはもちろん、話題性やタイアップといった付加価値も必要だったといえるでしょう。

 

黄金時代へ突入

 

そんなとき転機となったのは1994年にリリースされたSMAPの12枚目のシングル「Hey Hey おおきに毎度あり」。

当時の「KANZAI BOYA」ことKinKi Kidsとのかけ合いが話題になりました。

この曲でSMAPは初のオリコンチャート初登場1位を獲得しています。

続く「オリジナルスマイル」は木村拓哉出演「オロナミンC」のCMタイアップに起用、以降「がんばりましょう」「たぶんオーライ」「KANSHAして」と3か月に1枚のペースで新曲をリリース。

いずれもスマッシュヒットを記録し、SMAPはいよいよ黄金時代へと突入していきます。

 

当時のSMAPは現オートレーサーの森且行を加えた6人体制。

メンバー全員、従来のジャニーズアイドルと比較すると長身でスタイルが良く、ステージ映えするシルエットが魅力でした。

アイドル然としていない、単色のスーツやシャツといったシンプルな衣装で歌い踊ってもキマる。シックな衣装では隠せないほどのオーラと若い色気、ギラギラした野心がTV越しにも伝わってくるようでした。

長髪や茶髪、ピアスといったスタイルは他のグループのメンバーにも見受けられましたが、これらもSMAPの「(良い意味で)優等生ジャニーズではない」雰囲気によく似合いました。

ノッてきた6人時代のSMAPは、まさに「無敵」「向かうところ敵なし」と言わんばかりの存在感を放っていたのです。

 

「がんばりましょう」で日本中を勇気づけた

 

SMAPを語る上で外せないエピソードといえば、やはり1995年1月20日「ミュージックステーション」で披露した「がんばりましょう」の歌唱。

「がんばりましょう」は前年の9月に発売されており、SMAPとしては2度目のオリコンチャート初登場1位を獲得した楽曲です。

ミュージックステーション放送の3日前に発生した、阪神・淡路大震災。SMAPは予定していた曲ではなく「がんばりましょう」を披露し、被災者へのメッセージとしました。

 

2011年3月放送の「SMAP×SMAP」では、東日本大震災の被災者に向け同じく「がんばりましょう」を披露。

同番組では、番組終了のその日までチャリティー募金のメッセージを呼びかけています。

「がんばりましょう」は、気だるい毎日を歌った楽曲ではありますが、ところどころに核心をついてくるような、はっとさせられるフレーズが存在します。

苦しいときやつらいとき、胸に届く言葉などせいぜいワンフレーズ。意図して放たれた言葉よりも、不意に耳に飛び込んでくる、必然的に出会うような言葉があるものです。

私自身は震災被害者でないため、震災のつらさやおそろしさについて語る言葉を持ちません。しかし、

 

いつの日にか また幸せになりましょう
空は青い 僕らはみんな生きている

引用:SMAP「がんばりましょう」作詞:小倉めぐみ

 

この「たった一言」に、彼らの笑顔に、支えられた人がきっときっと、たくさんいたのだと思うのです。

 

SMAPが愛された理由~「カッコ悪いほう」を歌えるアイドル~

 

SMAPは、いつでもなんとなく身近な存在でした。

先述したように、快進撃を始めたころのSMAPはとてつもないオーラを放つ存在で、押しも押されぬスーパーアイドルで…手が届くわけなどないのです。

けれど、SMAPはファンタジーの住人ではなかった。

 

私たちと同じように歳を重ね、同じように「今日」を生きている。

たしかにそう思えるアイドルでした。

「カッコ悪いほう」を歌えるアイドル。

私はSMAPをそのように形容します。

だるい日もあるね、カッコ悪い日もあるし、人生って大変だよね、いろいろあるよね…そんなどうにもならない「人生」ってものを代弁してくれる。

鬱屈とした毎日を、歌とパフォーマンスで昇華してくれる。

そこにどうしてかリアリティがある。

そんな存在でした。

 

バラの花束が似合うのも いるのさ
だけど似合わない 転がるように生きていくだけ

引用:SMAP「俺たちに明日はある」作詞:相田毅

 

SMAPは、いうまでもなく「バラの花束が似合う」ほうでしょう。

だけど、いつでも「似合わない」ほうを歌う、そしてキマる。

SMAPが愛された理由。

それは、ファンタジーではなく現実を生きるアイドルだったから。

私はそう思います。

 

かつてアイドルとは、だいたいが20代のうちに解散または引退してしまうのが通例とされてきました。

その常識を打ち破ったのもSMAPです。

全員が30代になっても、40代に差し掛かろうとも、現役で歌って踊り続ける姿、ずっとトップであり続ける姿はジャニーズファンにとって希望でした。

そして元メンバー森と交わした「ずっと一番であってほしい」という約束を、いつまでも守り続けていた。

 

ですから、SMAPだけはいつでもそこにいてくれる、いつまでも変わらず先頭を走り続け、道を切り開いてくれるものだとばかり思っていました。

私の人生において、SMAPがいなくなる日など来るはずがないと思っていた。

SMAPが解散してしまったこと、今でもさみしく思います。

けれどSMAPがいたから、私の平成は楽しかった。

そしていまでもSMAPがくれた元気に、私は支えられて生きています。

 

次のページではSMAPの90年代のおすすめの名曲をご紹介します。

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