「歌手」岡村靖幸の活動① ~デビューから「家庭教師」~

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歌手として強烈な個性を放ち、時には「気持ち悪い」とも称される「岡村靖幸」。デビュー前から岡村靖幸をリアルタイムで見てきた筆者が、その魅力を紐解きます。

『岡村靖幸』入門 ~超個性的シンガーの魅力に迫る~ はこちらから

著者:しあ

40代後半女性。音楽が大好きでJ-POP K-POP 洋楽 演歌歌謡曲とさまざまな音楽を聴いています。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。全部チケットの半券をとっているのでとても大切な想い出です。音楽はとても生活を豊かにしてくれるもの。私の好きなアーティストの魅力を知っていただければ、と思います。お問い合わせはこちらから

 

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「Out of Blue」で歌手デビュー

 

▼岡村靖幸簡易年表

1984年(19歳) 岡村靖幸作曲家になる
1986年1月1日 吉川晃司「キャンドルの瞳」リリース
1986年7月2日 渡辺美里「Lovin’you」リリース
1986年12月1日 岡村靖幸歌手デビュー「Out of Blue」リリース
1988年9月 「聖書(バイブル)」リリース

 

 

岡村さんは、年12月1日シングル「Out of Blue」でシンガーとしてデビューします。

吉川晃司さんや渡辺美里さんへの曲提供で、高い実績を上げていた岡村さん。

 

シンガーとしてのデビューのきっかけは、渡辺美里さんのレコーディングにコーラスとして参加していて、空き時間にダンスを踊っていたところをプロデューサーに見初められたそうです。

岡村さんのダンスはとても個性的で、魅力的です。

プロデューサーの目にダンスが「輝いてる」と映っても不思議ではありませんが、もちろんそのダンスだけが認められたわけではなく、やはりソングライティング(曲作り)の高さや、ボーカルなどを含めて、だとは思いますが。

 

渡辺美里
歌手。1996年に発売された小室哲哉作曲の『My Revolution』シングル44.5万枚を記録し、自身を代表する曲になっている。

岡村靖幸は渡辺美里に多くの楽曲を提供している。詳しくは前のページで。

 

デビュー年1986年の音楽業界の状況

 

岡村さんのデビューした1986年はとても音楽業界が賑わっていた時で、次々と時代のニューウエーブが起こっているような感じでした。

私自身、1986年は高校2年生で、このとても多感な青春時代を’80年代の音楽、空気と共に過ごせたことは今の自分につながる財産だと思っています。

 

<参考>1986年(昭和61年)のオリコンCDシングル年間売上TOP10
1位 石井明美「CHA-CHA-CHA」 2位 中森明菜「DESIRE -情熱-」 3位 少年隊「仮面舞踏会」 4位 KUWATA BAND「BAN BAN BAN」 5位 渡辺美里「My Revolution」

6位 小林明子「恋におちて -Fall in love-」 7位 中森明菜「ジプシー・クイーン」 8位 KUWATA BAND「スキップ・ビート (SKIPPED BEAT)」 9位 チェッカーズ「OH!! POPSTAR」 10位 河合その子「青いスタスィオン」


 

作曲家として認知されていた岡村さんは、美里さんと同じレコード会社「EPICソニー」からデビューします。

 

当時のEPICソニーの勢いは群を抜いていて、とても魅力的なアーティストがたくさん所属していました。

美里さんの他、佐野元春さん、大江千里さん、大澤誉志幸さん、TM NETWORK 、BARBEE BOYSなどなど数え上げればきりがありません。

同じ系列のCBSソニーには尾崎豊さん、HOUND DOG、REBECCA、岡村さんと同期の久保田利伸さん、聖飢魔Ⅱなどがおり、ソニー系の勢いはとてもすごかったです。

また、EPICソニーからは岡村さんの同期で松岡英明さん、安藤秀樹さんがおり、松岡さんと岡村さんは、特に人気が高かったです。

 

松岡英明
『松BOW』の愛称で親しまれる。代表曲に「以心伝心」「Kiss Kiss」などがある。

 

岡村靖幸の強烈な個性

 

岡村さんのその強烈な個性は、今までに出逢ったことのないようなキャラクターだったので魅力的な反面、気持ち悪くもありました(笑)

今の時代では、あまり気にならないかもしれませんが、当時の中高生の女の子には「僕は君とSEXがしたいんだ」という発言や、性的な歌詞はちょっと刺激がありすぎました。

雑誌のインタビューでもよくエッチな発言をしていましたし(笑)

 

でも、その反面、とても純粋でロマンティストなんだろうな、とも感じていました。

どんなにエッチな発言をしてもいやらしくなく、実は女の子に声もかけられない、という内気な一面を見せていたり、言葉の端々に誠実さを醸し出していました。

だからどんなにエッチなことを言っても、なんだかかわいらしく思えていたのです。

 

世間に岡村靖幸が認知されたきっかけ

 

▼岡村靖幸簡易年表

1984年(19歳) 岡村靖幸作曲家になる
1986年12月1日 岡村靖幸歌手デビュー「Out of Blue」リリース
1988年9月 「聖書(バイブル)」リリース
1988年11月 「だいすき」リリース
1990年11月 アルバム「家庭教師」リリース

 

岡村さんの魅力はその独特の歌詞、言葉のチョイス、メロディセンス、個性的なボーカル、ライブパフォーマンス。

 

世間的に認知されたのは「聖書(バイブル)」(1988)「だいすき」(1988)になるかと思います。

 

 

「聖書」では

「好きな女の子(10代)が35歳の中年と恋してる、なんで?僕のほうがいいじゃん、同級生だしバスケット部だし、背が179cm!」

と訴えるこの曲は衝撃を巻き起こしました。

歌詞全体を通してみると、とてもピュアな想いが綴られていて、タイトルに「聖書(バイブル)」とつけたそのセンスが素晴らしいと思います。

ダンサブルなサウンドに岡村さんの圧倒的な個性のあるボーカル、そしてあのくねくね、そしてキレのある独特のダンスは、とてもとても魅力的でした。

 

 

「だいすき」でも、とてもストレートに、彼女をだいすきな気持ちが綴られています。かわいらしい詩にキャッチーなメロディで、車のCMに使われたこともあり、岡村さん最大のヒットとなるかと思います。

 

 

岡村靖幸の人間性

 

岡村さんの歌はエッチな歌詞、意味不明な歌詞、などもありますが、根底にはとても純粋な男の子の気持ちがあって、そんなところに心をくすぐられたりします。

実際、岡村さんはインタビューなどでも、絶対に自分からは告白できない、女の子と話せない、声もかけられない、と言っていて、常にモテたいモテたいが口ぐせでした(笑)

きっとエッチなことを言うのも、自分の純粋さの裏返し、実行できないからこそ口に出してしまう、妄想で頭でっかちになっている思春期の純情な男の子という感じで、なんだかとてもかわいらしかったのです。

岡村さんはライブパフォーマンスは強烈なインパクトですが、普段はとてもおとなしく、誠実な人だと私自身はずっと感じていたので、そこのギャップもとても魅力に感じていました。

 

衝撃の問題作&最高傑作「家庭教師」

 

▼岡村靖幸簡易年表

1986年12月1日 岡村靖幸歌手デビュー「Out of Blue」リリース
1988年9月 「聖書(バイブル)」リリース
1990年11月 アルバム「家庭教師」リリース
1995年12月 アルバム「禁じられた生きがい」リリース

 

「yellow」「DATE」「靖幸」とアルバムをリリースし、4枚目のアルバム「家庭教師」を発表します。

衝撃の問題作、最高傑作などど言われたこのアルバムは、いい意味でも悪い意味でも音楽界を震撼させました。

 

1曲目の「どぉなっちゃってんだよ」から強烈なインパクトで引き込まれます。

 

 

どの曲も確かに名曲ぞろい。

しかし、聴くのを挫折してしまうのが、4曲目の「家庭教師」!

 

 

まずあの長い語り、喘ぎ声が衝撃的で人前で聴けません(笑)

まだボーカル部分はいいのですが、あのはぁはぁ言いながら延々と続く一人語り。

好き嫌い、はっきりと分かれてしまうかも。

 

まさに、岡村靖幸どぉなっちゃってんだよ、と感じたアルバムでした。

しかし、中毒のように何度も何度も聴いてしまうアルバムなのです。

当時から、天才天才と騒がれていた岡村さんですが、今、改めてその才能に魅せられてしまうのです。

 

 

この「家庭教師」をリリース後、次のアルバム「禁じられた生きがい」を発表するまでに5年を要してしまいます。

岡村さんは休養宣言こそないものの、制作活動に没頭し、あまり表舞台には出てこなくなっていったのです。

 

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「作曲家」岡村靖幸の活動② ~渡辺美里への提供曲~

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渡辺美里への楽曲提供

▼岡村靖幸簡易年表

1984年(19歳) 岡村靖幸作曲家になる
1986年1月1日 吉川晃司「キャンドルの瞳」リリース
1986年7月2日 渡辺美里「Lovin’you」リリース
1986年12月 岡村靖幸歌手デビュー

 

▲渡辺美里氏

 

吉川晃司さんへの提供曲は「奪われたWink 」(1986)の一曲だけですが、岡村さんの提供曲と言えば、何よりも渡辺美里さんだと思います。

1980年代から90年代にかけて、渡辺美里さんだけで23曲提供しています。

渡辺美里さん2枚目のオリジナルアルバムで2枚組の「Lovin’ you」(1986)においては、20曲中8曲の作曲をしています。(このページの文末に提供曲一覧を記載しています)

 

 

この渡辺美里さんの「Lovin’ you」は岡村さんはまだ歌手としてのデビュー前でしたが、当時とても勢いに乗っていた小室哲哉氏、大江千里氏などを作家として起用していて、とてもクオリティの高いアルバムです。

とにかく名曲ぞろいなので、美里さんファンでなくても岡村さんファンならぜひとも聴いてほしいアルバムです。

 

 

大江千里とは

1993年に「ワラビーをぬぎすてて」でデビュー。「十人十色」「格好悪いふられ方」がヒットする。

 

美里さんへの提供曲の印象

 

美里さんへの提供曲は、いわゆる岡村靖幸感を感じないものもあります。

それは、やはり美里さんのイメージに合ったものを、と求められていたからなのかな、と思います。

岡村さんは、作曲家という仕事に対して

「自分のエゴを出す仕事ではない。このアーティストのイメージに合ったこんな曲を創ってほしい、というニーズに応えて創るもの。」

と語っていました。

 

シンガー岡村靖幸として認知されてからは、岡村さんっぽい曲を創ってくださいとオファーされることが多かったのではないかと思いますが、まだデビュー前の岡村さんは「美里さんにぴったりの曲を」と思い創っていたのでしょう。

しかし、そのどれもが名曲ぞろいで、改めて岡村さんのソングライティングの高さを知ることができるのです。

 

岡村さんは

「ソロの自分の曲を創る際は、いかに自分を出すかが大事」

と言っています。

自分の曲と提供曲とでソングライティングを使い分けていて、高いクオリティを保っているのは、もしかすると商業作曲家としても成功出来ていたのでは、と思ってしまいます。

 

下記では、美里さんへの提供曲で、私の好きなベスト3をご紹介します。

 

著者の好きな「岡村靖幸」の渡辺美里への提供曲ベスト3

1 虹をみたかい

 

岡村靖幸テイスト満載の曲です。

美里さんの歌詞に岡村さんのメロディがバッチリとハマっていて、さらに美里さんのパンチのあるボーカルがこの曲を更に際立たせています。

美里さんへの初期の提供曲はあまり岡村節を感じさせませんが、これは作、編曲、コーラスと関わっており、とてもパワフル、ソウルフルでファンキー!

めちゃめちゃカッコいい曲になっています。

 

脳内で岡村さんが歌っているのを想像してみると、何だかクセが強い感じがして・・・やはり美里さんへ提供した美里さんボーカルだからこそ、より輝く曲なのかな、と思います。

でも、岡村さんバージョンも聴いてみたいなあ~~ライブで聴いたらすっごくカッコいいと思うのです。

▼「虹をみたかい」Amazon Music Unlimitedで聞き放題

 

2 跳べ模型ヒコーキ

 

シンプルだけど、心にとても響くせつないメロディ。

美里さんの作詩で、最初の「路面電車の~」の歌詞とメロディに一気に心を掴まれます。

この曲が収録されているアルバム「Flower bed」が大好きで、その中でもこの曲が一番好きでした。

夏に発売されたアルバムで、歌詞にも「夏のにおいが~」とあり、今でも夏が来るとこの曲が無性に聴きたくなります。

岡村さんが創り出す美しいメロディラインに、とても魅了される曲です。

▼アルバム『Flower bed』Amazon Music Unlimitedで全曲聞き放題

 

3 Lovin’ you

 

美里さんの曲の中でも大人気の、名バラードだと思います。

美里さんバージョンを聴くとあまり岡村さんぽさを感じないのだけど、岡村さんが歌っているのを聴くと(岡村さんバージョンのCDはありません)不思議・・・とてもとても岡村さんぽいのです。

Bメロ、サビのところはうわ~岡村ちゃんだな~と思います。

 

ちなみに、岡村さんバージョンの「Lovin’you」は1988年のテレビ番組で披露されていたようです。

▼アルバム『Lovin’you』Amazon Music Unlimitedで全曲聞き放題

 

作曲家岡村靖幸も高評価

 

小中学校と田原俊彦さん、近藤真彦さん、松田聖子さん、中森明菜さんなど、アイドルが好きだった私も、前ページで書いたように、吉川晃司さんとの出逢いによって音楽への興味がとても湧いてくるようになりました。

 

中学3年生ぐらいからは、いろいろな音楽を聴くようになりました。

今でこそ、クラス中みんなが音楽を聴いたり、ライブに行ったりが当たり前だと思いますが、この時代はまだそんな感じではなく、はっきりと音楽ファンとそうでない子の違いがありました。

私を含め、音楽ファンの子たちの間では美里さんは大人気で、アルバムをみんな聴いていました。

 

その中で、岡村靖幸の創った曲いいよね、という話に当然なっていました。

また、当時私たち音楽ファンの愛読書「PATi PATi (パチパチ)」には若い世代のアーティストがたくさん載っており、大人気の雑誌でした。

美里さんも毎月載っており、アルバム制作秘話などが聞けました。

そこで、美里さんからまだデビュー前の岡村さんの話なども少しだけ聞けたりして、だんだんと岡村靖幸の輪郭が見えてきた感じです。

▼「PATi PATi (パチパチ)」2012年5月号

 

渡辺美里への提供曲一覧

 

文中に紹介している曲や、下記で紹介しているアルバムの曲は全てAmazon Music Unlimitedで聴くことができます。

 

アルバム『eyes』

▼画像クリックで商品詳細へ

・GROWIN’ UP(1985年 作曲、コーラス)
・すべて君のため(1985年 作曲)
・Lazy Crazy Blueberry Pie(1985年 作曲、編曲、コーラス)
・Bye Bye Yesterday(1985年 作曲)

 

アルバム『Lovin’you』

▼画像クリックで商品詳細へ


<ディスク1>

・Long Night(1986年 作曲)
・素敵になりたい(1986年 作曲、コーラス)
・19才の秘かな欲望(1986年 作曲)
・Resistance(1986年 作曲

<ディスク2>

・悲しき願い (Here&There) (1986年 作曲)
・みつめていたい (Restin’InYourRoom) (1986年 作曲)
・A Happy Ending(1986年 作曲)
・Lovin’ You(1986年 作曲)

 

シングル『BELIEVE / Half Moon』

▼画像クリックで商品詳細へ

・Half Moon(1986年 作曲、編曲、コーラス)

 

アルバム『ribbon』

▼画像クリックで商品詳細へ

・シャララ(1988年 作曲)
・19才の秘かな欲望 (The Lover Soul Version) (1988年 作曲)

 

アルバム『Flower bed』

▼画像クリックで商品詳細へ

・跳べ模型ヒコーキ(1989年 作曲)
・冷たいミルク(1989年 作曲)

 

シングル『虹をみたかい』

▼画像クリックで商品詳細へ

・虹をみたかい(1989年 作曲、編曲)
・虹をみたかい (Honey-bee Version) (1990年 作曲、編曲、コーラス)←こちらの曲を聴きたい場合は、下記リンクより。

 

 

アルバム『tokyo』

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・虹をみたかい (tokyo mix) (1990年 作曲、編曲、コーラス)

 

アルバム『Lucky』

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・はだかの気持(1991年 作曲、編曲、コーラス)

 

シングル『泣いちゃいそうだよ』

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・泣いちゃいそうだよ(1992年 作曲)

 

アルバム『BIG WAVE』

▼画像クリックで商品詳細へ

・ジャングルチャイルド(1993年 作曲、コーラス)
・BIG WAVEやってきた(1993年 作曲)
・若きモンスターの逆襲(1993年 作曲、コーラス)
・さえない20代(1993年 作曲)

 

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「作曲家」岡村靖幸の活動① ~吉川晃司への楽曲提供~

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歌手として強烈な個性を放ち、時には「気持ち悪い」とも称される「岡村靖幸」。デビュー前から岡村靖幸をリアルタイムで見てきた筆者が、その魅力を紐解きます。

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40代後半女性。音楽が大好きでJ-POP K-POP 洋楽 演歌歌謡曲とさまざまな音楽を聴いています。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。全部チケットの半券をとっているのでとても大切な想い出です。音楽はとても生活を豊かにしてくれるもの。私の好きなアーティストの魅力を知っていただければ、と思います。お問い合わせはこちらから

 

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作曲家デビューの経緯

▼岡村靖幸簡易年表

1984年(19歳) 岡村靖幸作曲家になる
1986年1月1日 吉川晃司「キャンドルの瞳」リリース
1986年12月 岡村靖幸歌手デビュー

 

 

岡村さんは1965年8月14日神戸市で生まれました。

外資系航空会社に勤める父親の仕事の関係で、小さいころから各地を転々としていたそうです。新潟県立新潟東高等学校在学中から、本格的に音楽活動を始めます。

そこからシンガーとしてデビューに至るまでに、まず作曲家としてデビューしました。

 

岡村さん曰く

「当時は今と違ってデビューへの架け橋があまりなく、コンテストもヤマハポプコン、イーストウエストぐらいでした。レコード会社に自らデモテープを送る、というのもよく行われていました。」

 

音楽雑誌にはよく音楽ディレクターの名前と電話番号が書かれているとともに、そこに応募してほしい旨が記載してありました。

当時岡村さんは、それを見て電話をしたそうです。

 

すると電話の相手が「デモテープを送るのではなく、いついつ何時に来てくれ」と言ってきたので、EPICソニー(後の岡村さんの最初の所属レコード会社)に行きます。

担当の方がその場で聴いて岡村さんは感想を言ってもらい、その後何度かやり取りをするうちにプロの仕事をするようになったそうです。

 

このようにして岡村さんは作曲家としてデビューすることになったわけです。

 

ただ岡村さんとしてはそこを目指していたわけではなく、あくまでプロのシンガーを目指していました。

つまりシンガーを目指す上で、作曲やアレンジなど作曲家として活動をまずはじめ、そこからシンガーとしてのデビューを果たした、ということです。

 

1980年代の音楽業界

▲1980年代前半に流行した「竹の子族」

 

岡村さんが作曲家になる前後の1980年代は歌謡曲も、ロック、ポップス音楽も混在していました。

岡村さんは

「作詞家、作曲家、アレンジャーの仕事がたくさんあったので、このタイミング(作曲家になった1984年ごろ)で僕が音楽業界に入れたのはラッキーだった」

と言っています。

 

まず、音楽出版社と作曲家としての専属契約を結び、そこからレコード会社のつながりなどで、いろんな人に曲を書くようになったそうです。

高校は中退するのですが、10代の若い青年が作曲家としてすぐに採用された事は言わずもがな。さらにその後シンガーとしてデビューでき、順調に進んだのは岡村さんにとてもとても魅力があったからだと私は思います。

 

吉川晃司への楽曲提供

 

私が初めて岡村さんの名前を目にしたのは、吉川晃司さんの1986年1月1日リリース7枚目のシングル「キャンドルの瞳」のB面「奪われたWink」です。(当時はレコードなのでA面B面でした。)

 

▼岡村靖幸簡易年表

1984年(19歳) 岡村靖幸作曲家になる
1986年1月1日 吉川晃司「キャンドルの瞳」リリース
1986年12月 岡村靖幸歌手デビュー

 

『キャンドルの瞳 [EPレコード 7inch]』吉川晃司(画像クリックで商品詳細へ)



作詩 松本一起 作曲 岡村靖幸 編曲 後藤次利

 

吉川さんは、田原俊彦さん、近藤真彦さんなどに代表される往年のアイドルとは違う、新たなアイドルとしてチェッカーズと共に時代を席巻しました。

 

チェッカーズとは
1983年「ギザギザハートの子守唄」でデビュー。2枚目のシングル「涙のリクエスト」が大ヒットする。最大のヒット曲は「ジュリアに傷心」。社会現象を起こす程のアイドル的人気を博す。全身チェックの衣装は、ファッションにも大きな影響を与える。


 

私も吉川さんの大ファンで、アイドルとしてではなく、アーティストとして意識していました。吉川さんは私とその後の音楽とのつながりを導いてくれた人です。

 

吉川さんが歌う岡村さんの作曲B面シングル「奪われたWink」を初めて聴いた時は

「なんてかっこいいんだろう~!!」

と思いました。

 

当時はシングルレコードにA面、B面と2曲しか入っていなかったので、その2曲のクオリティーはとても高かったように思います。

しかし、やはり「シングルA面の曲!」というインパクトは絶大なので、岡村さんはB面での収録に少々不満げだった様子。

 

私は、もちろんA面の「キャンドルの瞳」も好きでしたが、「奪われたWink」の方がより好きでした。

吉川さんの中毒性のある歌い方に、不安定な癖のあるメロディがとてもマッチしていました。

 

吉川さんはアイドルとしてのデビューの仕方でしたが、その楽曲の良さはアイドルとしての枠に収まらず、とても評価の高いものでした。

そんな吉川さんの楽曲の中でも「奪われたWink」は最初の歪んだギターからインパクトがあり、中毒性のあるメロディが病みつきになる曲でした。

 

今もレコードを大事に持っていますが、この曲はレコード、CD音源ともに入手困難なものとなっています。

私と吉川さん、岡村さんをつないでくれた、とても縁深い曲なのです。

 

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「岡村靖幸」基本情報

 

名前 岡村靖幸(おかむら やすゆき)
生年月日 1965年8月14日
出身地 兵庫県神戸市
デビュー年/曲 1986年「Out of Blue」

▼岡村靖幸氏の曲

気持ち悪い=かっこいい!?岡村靖幸の魅力

 

岡村靖幸というアーティストは唯一無二の存在だと思います。

彼のようなアーティストは良くも悪くも他にいないのではないでしょうか。

岡村さんは、一般的にはそれほど認知されていないかもしれませんが、音楽ファンの間では、好きか嫌いかのどちらかに分かれることが多いと思います。

好きな人は熱狂的に好きだし、嫌いな人は拒否反応を起こすほど嫌い、という声もあります。

 

でも、その気持ちもよくわかるのです。

岡村さんはとても魅力的なアーティストだと思いますが、その反面少し気持ち悪くもあります。

しかし、その気持ち悪いというのは岡村さんににとっては、最大のほめ言葉だと思うのです。

実際、ファンも「岡村ちゃん気持ち悪い~(笑)」と嬉々として語っていたり・・・。

 

気持ち悪い=カッコいい、なんです。

 

カッコいいと気持ち悪いはまさに紙一重。

岡村さんは決して狙っているわけではなく、そこのバランスが天才的に優れていると思います。

持って生まれたものなのでしょうか。

 

<30秒のプレビューを聴いてみると岡村靖幸の「カッコいいと気持ち悪いの紙一重」の雰囲気が掴めるかと思います>

 

筆者と「岡村靖幸」との出会い

 

岡村さんを知ったのは、私が高校生の時です。

岡村さんがデビューする前から、吉川晃司さん、渡辺美里さんという大物アーティストへ曲を提供していたので、その存在を知っていました。

デビューの際も雑誌などで騒がれていて大注目でした。

岡村さんの当時の所属レコード会社、EPICソニーは、地方のレコード店を通じて、PVの上映会などをしていたので、デビュー曲の「Out of Blue」も一早く知っていて、その楽曲にとても魅了されていました。

 

 

あまり顔がよく見えない作りのPVでしたが、それがまた岡村さんの怪しい感じを助長していて、気持ち悪いようなカッコいいような不思議な感じでした。

 

岡村靖幸入門で伝えたいこと

 

それ以降、岡村さんにはとても魅了され続けています。

リリースがない期間や、薬物事件の時も、ずっと見続けてきました。

今の岡村さんは、キャリアの中で一番充実してるんじゃないかな、と思えるぐらい、なんだか余裕も感じられて、とても素敵だと思っています。

 

岡村さんの独特の歌詞、天才的なメロディ、アレンジ、癖のある声、歌い方、その何とも言えないパフォーマンスはとても魅力的であると共に、一見少し癖があり気持ち悪いと思うかも。

でも、その先にあるカッコよさに多くの人は魅了されていくのだと思います。
なんだかわからないけど、気になる、引き込まれていってしまう。

そんな岡村靖幸の魅力についてご紹介したいと思います。

 

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著者:しあ

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『岡村靖幸』入門 ~超個性的シンガーの魅力に迫る~

はじめに

「岡村靖幸」は、DAOKO、小出祐介などと若手アーティストとのコラボで再び注目を集めていますが、「あのスーツのおじさんは誰?」と思っている方も多いかと思います。
数百本以上の音楽ライブを鑑賞し、デビュー前から岡村靖幸をリアルタイムで見てきた筆者が「岡村靖幸」の魅力をお伝えします。

はじめに ~人々が岡村靖幸に魅了される理由~

第1章 基礎知識

岡村靖幸は作曲家としてデビューし、有名アーティストを多く手掛けます。ダンスが注目され歌手デビュー、衝撃の問題作「家庭教師」をリリース、3度の逮捕・・・。波乱万丈の「岡村靖幸」の音楽家人生についてお伝えします!

吉川晃司への楽曲提供
渡辺美里への提供曲
歌手デビューから「家庭教師」
三度の逮捕、復帰から現在

第2章 深く知る

ここでは「岡村靖幸」という人物をあらゆる角度から紐といていきます。当時のPV上映会の様子や、吉川晃司と尾崎豊との友情、EPICソニーというレコード会社に入ったことで伝わった岡村靖幸の魅力など、お伝えします。

デビュー当時
吉川晃司・尾崎豊との関係性
伝説のライブ『BEAT CHILD』
EPICソニーのPV創り

第3章 パフォーマンス

岡村靖幸は若いミュージシャンとのコラボもあって、幅広い年代にその魅力を伝えいてます。岡村靖幸の楽曲、ダンス、その魅力を知っていただきたいです。

コラボ楽曲
おすすめの名曲
岡村靖幸復帰後の活動

おわりに

最後に筆者が参加した岡村靖幸のライブ「マキャベリンツアー」の様子をお伝えします。

岡村靖幸のライブ ~大分初開催「マキャベリンツアー」~

 

著者 しあ

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