岡村靖幸・吉川晃司・尾崎豊の関係性

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歌手として強烈な個性を放ち、時には「気持ち悪い」とも称される「岡村靖幸」。デビュー前から岡村靖幸をリアルタイムで見てきた筆者が、その魅力を紐解きます。

『岡村靖幸』入門 ~超個性的シンガーの魅力に迫る~ はこちらから

著者:しあ

40代後半女性。音楽が大好きでJ-POP K-POP 洋楽 演歌歌謡曲とさまざまな音楽を聴いています。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。全部チケットの半券をとっているのでとても大切な想い出です。音楽はとても生活を豊かにしてくれるもの。私の好きなアーティストの魅力を知っていただければ、と思います。お問い合わせはこちらから

 

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3人の出会い

 

もともと吉川さんと尾崎さんが親友で、そこに岡村さんが加わったようです。

岡村さんが吉川さんへ曲提供をしたことで知り合い、遊ぶようになり、吉川さんから尾崎さんを紹介されて3人は意気投合、大親友となります。

3人は同じ年で、岡村さんは2人とは19歳の頃に知り合ったそうです。

雑誌のインタビューなどでも、3人それぞれから、お互いの名前がよく出ていました。

 

吉川晃司(きっかわ こうじ)とは

1984年にシングル「モニカ」でデビュー。同曲は映画「すかんぴんウォーク」の主題歌になっている。岡村靖幸は吉川晃司へ楽曲提供をしている。詳しくはこちら

 

尾崎豊(おざき ゆたか)とは

1983年、シングル「15の夜」で高校在学中にデビュー。当時の若者のカリスマ的存在。1996年、26歳という若さでこの世を去る。

 

3人の関係性

 

3人はしょっちゅう飲みに行ったりして遊んでいたそうです。

行きつけのお店は東京、西麻布にあった「RED SHOES」。

 

『RED SHOES』はまだある?
3人のいきつけの西麻布にあったカフェバー『RED SHOES』は1995年に閉店してしまいました。2015年3月より南青山のビル地下1Fで復活を果たしています。

Food&Bar Red Shoes
Food&Bar Red Shoes
ジャンル:ダイニングバー
アクセス:西武池袋線練馬駅北口 徒歩5分
住所:〒176-0001 東京都練馬区練馬1-34-14 山章興産ビル2F(地図

 

「RED SHOES STORY」として尾崎さんの歌のタイトルにもなっています。

 

 

お店をはしごして朝まで飲み歩く事も。

次にどの店に行くのかをじゃんけんで決めたり。

岡村さんが勝ったら踊れる店、吉川さんが勝ったらとことん飲める店、尾崎さんが勝ったら女性を口説ける店・・・。

 

尾崎さんと吉川さんはとてもお酒が強いのですが、岡村さんは当時そんなにお酒が飲めなかったので、大好きなダンスが踊れるディスコに行きたかったそうです。

結局は誰が勝っても、ただただ3人で飲む、というパターンが多く、女性のいるお店にも行かず、飲んだくれていたそう。

吉川さんは当時、朝目が覚めたら地下鉄の階段で寝ていたとか、ごみ捨て場に頭を突っ込んで寝ていて、通学途中の女子学生に注意された、などと話していました。

音楽界で名のある3人なのに、ぐでんぐでんに酔っぱらっているため、悲しいぐらい全然もてなかったそうです。

 

くだらない話から、仕事の悩み、愚痴などを語り合い、同い年ということもあり、とても自然体でいられたみたいです。

それぞれが語るお互いの話で、とても仲がいいことがうかがえていました。

私は3人のこの関係性が大好きでした。

今でも、この時代のことを思うと胸がキュンとします。

 

コンサートでの共演

 

3人が同じステージに揃って立ったことはないのですが、岡村さんと尾崎さんは多くのアーティストが参加した1986年8月の広島平和コンサート「A LIVE HIROSHIMA ‘87」で共演しています。

 

『A LIVE HIROSHIMA ‘87』CD
A LIVE HIROSHIMA ‘87のライブの模様がダイジェストで記録されたCD。岡村靖幸の曲では「Dog Days」が収録されている。

 

このライブはTVでオンエアされたのでそれで見ました。

 

岡村さんの「Young oh! oh!」に尾崎さんが乱入する形で二人で歌ったのですが、これがとてもよかった~~!!

 

 

二人が親友だということは多くのファンが知っていたので、共演はうれしかったですね。

しかも、尾崎さんがあんなに楽しそうに笑うなんて・・・彼自身のステージではあまり見ない表情で、素の尾崎さんが見られた気がします。

はじけまくる尾崎さんを岡村さんもはじける笑顔で見てる・・・二人の仲の良さがうかがえる最高のステージでした。

 

尾崎さんは、渡辺美里さんのステージにも乱入し、美里さんをお姫様抱っこしたりと、意外な素顔を垣間見せていました。

 

岡村靖幸さんは渡辺美里さんに多くの曲提供をしています。詳しくは第1章2ページ目で!

 

きっと、私たちファンが知らないだけで、尾崎さんも岡村さん、吉川さんの前では普通の青年だったんですよね。

ちなみに吉川さんと尾崎さんは、1986年のHOUND DOGの武道館公演に飛び入り参加しています。

 

HOUND DOGとは
1980年「嵐の金曜日」でデビューした大友康平を中心とした日本のロックバンド。代表曲に「ff(フォルテシモ)」などがある。

 

3人の関係性の変化と尾崎豊の死去

 

年齢を重ねて大人になっていき、3人共仕事も忙しく、尾崎さんは結婚し子供も生まれ、吉川さんは事務所を移籍したりとなかなか以前のように泥酔するまで飲むことは無くなっていったそうです。

岡村さんも、自身の音楽活動に加え、他アーティストのプロデュースなどで忙しくなりました。

 

3人で最後に会ったのが、25歳ぐらいの時だそうです。

それからすぐに尾崎さんが26歳という若さで亡くなってしまい、もう3人で会えなくなってしまいます。

 

尾崎さんの葬儀では、吉川さんが弔辞を読んでいます。

岡村さんは

「尾崎の死によって時代が終わったというか、何かが終わったのだと思います。19歳のあの頃、彼らという素敵な同級生に出会えて僕はラッキーでした。」

と語っています。

 

現在の吉川さんとの関係は、以前のように頻繁に会ったりということはないようなのですが、お互い大人になり仕事なども忙しく、ゆっくりと会う機会が減った、ということではないでしょうか。

自分のことに置き換えてみても、学生時代の友達とは頻繁に会う機会が減ってしまうことも。

だけど、仲が悪いとかそういったことではなく、会えば一瞬にして会っていない時間も取り戻せますよね。

きっと、そういう間柄なのではないでしょうか。

 

2014年10月、氣志團の綾小路翔さんが岡村さんと吉川さんとの3ショットをSNSに上げてくれています。

 

吉川晃司さん、岡村靖幸さんと俺。本来ならば尾崎豊さんの場所に俺。泣きます。

綾小路 翔さん(@showayanocozey)がシェアした投稿 –

 

私は、3人のこの関係性をリアルタイムで目の当たりに見ていて、同じ時代を生きられたことにとても感謝しています。

3人それぞれを語る時に、この3人の関係性は絶対に外せません。
高校生の私は、3人のまぶしい姿に憧れを感じて、見ていたように思います。

 

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著者:しあ

40代後半女性。音楽が大好きでJ-POP K-POP 洋楽 演歌歌謡曲とさまざまな音楽を聴いています。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。全部チケットの半券をとっているのでとても大切な想い出です。音楽はとても生活を豊かにしてくれるもの。私の好きなアーティストの魅力を知っていただければ、と思います。お問い合わせはこちらから

「歌手」岡村靖幸の活動② ~3度の逮捕、復帰から現在~

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歌手として強烈な個性を放ち、時には「気持ち悪い」とも称される「岡村靖幸」。デビュー前から岡村靖幸をリアルタイムで見てきた筆者が、その魅力を紐解きます。

『岡村靖幸』入門 ~超個性的シンガーの魅力に迫る~ はこちらから

著者:しあ

40代後半女性。音楽が大好きでJ-POP K-POP 洋楽 演歌歌謡曲とさまざまな音楽を聴いています。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。全部チケットの半券をとっているのでとても大切な想い出です。音楽はとても生活を豊かにしてくれるもの。私の好きなアーティストの魅力を知っていただければ、と思います。お問い合わせはこちらから

 

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アルバム「禁じられた生きがい」リリース

 

▼岡村靖幸簡易年表

1986年12月1日 岡村靖幸歌手デビュー「Out of Blue」リリース
1988年9月 シングル「聖書(バイブル)」で世間から認知
1990年11月 アルバム「家庭教師」が問題作と話題に
1995年12月 アルバム「禁じられた生きがい」リリース
1996年5月 岡村靖幸プロデュースの川本真琴「愛の才能」リリース
2003・2005・2008年 3度の逮捕

「家庭教師」リリース後、岡村さんは次のアルバム「禁じられた生きがい」までに5年の月日を要します。

▼アルバム「家庭教師」(画像クリックで商品詳細へ)

 

当時「月刊カドカワ」という雑誌では、度々岡村さんの特集が組まれていました。

’92年10月号で「本人によるニューアルバム遅延経過報告」というものがあり、それを読めば制作に時間をかける意味も納得できました。

 

「楽曲がしっかり納得いくものにならない、宝石にまでなれてない時は保留する」

ということだったので、きっと何度も何度も試行錯誤してるんだろうなあ、と思いました。

 

岡村さんは

「家庭教師というアルバムを超えなくちゃいけないから大変なんですけど、でもがんばって超えたいと思っています。なぜ、音楽を創って発表しているかというと、自分が救われるためとかそういうことが大きい。レコーディングやライブをやっている時は救われているな、って感じるから」

と話していました。

 

そして完成させた「禁じられた生きがい」はどのメディアも岡村靖幸完全復活!と絶賛しました。

▼アルバム「禁じられた生きがい」

 

ただ、5年もの月日を要したのにもかかわらず、既発のシングル込みで新曲が多くなかったので、少し残念な部分はありました。

とても創作に苦悩していた事がうかがえます。

 

それでも「禁じられた生きがいは」岡村靖幸テイスト満載の素晴らしいアルバムで、1曲目のインストゥルメンタル「あばれ太鼓」から2曲目「青年14歳」の流れはカッコよすぎます。

 


 

 

その後、またリリース期間は空くのですが、1996年川本真琴さんのデビューシングル「愛の才能」の作曲、編曲、プロデュースを手掛けヒットします。

 

 

私は初めて聴いた時、岡村さんの作曲と知らなかったのですが、一瞬で岡村さんっぽいと思いました。

 

そしてすぐに岡村さん作曲、プロデュースと知り、やっぱり!!と納得しました。
岡村さんはこの曲をライブでセルフカバーしており、2018年のライブツアー「マキャベリン」でも披露されました。

 

 

2013年のライブBlu-ray、DVD「むこうみずでいじらしくて」でも岡村さんの歌う「愛の才能」が見られます。

 

 

覚醒剤事件で3度の逮捕

▼岡村靖幸簡易年表

1986年12月1日 岡村靖幸歌手デビュー「Out of Blue」リリース
1988年9月 シングル「聖書(バイブル)」で世間から認知
2003・2005・2008年 3度の逮捕
2011年 本格復帰

 

岡村さんを語るうえで絶対に避けては通れないこと・・・岡村さんは覚醒剤事件で3度逮捕されています。

2003年、2005年、2008年と逮捕されますが、1度目の逮捕は逮捕時に公表されておらず、2005年の逮捕時に2度めの逮捕だということが発覚し、多くのファン、音楽関係者に衝撃を与えました。

 

私は、岡村さんのこの事件にとても驚き、怒り、がっかりし、悲しみました。

なぜ、親友、尾崎豊と同じ過ちを犯してしまったのかと思いました。

 

尾崎豊とは
1983年、シングル「15の夜」で高校在学中にデビュー。当時の若者のカリスマ的存在。覚せい剤取締法違反の容疑で逮捕されたことがある。

 

2007年には1度復活し、ライブツアーも行いますが、11月、ツアー終盤大阪公演で左脚靱帯断裂をし、最終公演の名古屋公演を残し治療のため休養します。

そんな最中、2008年2月にまた覚せい剤所持で逮捕され、多くの人を心底がっかりさせます。

 

治療のため延期になった名古屋の振替公演を控えた中での逮捕でした。

 

名古屋公演は中止になり、新たな出発としてせっかく発足したファンクラブも解散となり、多くの人の気持ちを傷つけることなりました。

公判の様子を傍聴した人の詳しい話をその方のブログで見たのですが、事細かに岡村さんの様子が綴られていました。

岡村さんは

「ファン、音楽関係者、家族、さまざまな人々に迷惑をかけ裏切ったことについて心底反省していて、音楽を通して償っていきたい」

と語っていました。

覚醒剤の使用について「自分の心が弱かった」とも言ってたそうですが、そんなことは使用してもいいという理由にはなりません。

 

この事は岡村さんは、一生十字架を背負うべきだし、何を言われても仕方ないと思うのです。

 

ファンも、この事は決して忘れてはいけないことだと思います。

ただ、私は岡村さんのその弱さを責めきれない気持ちもあります。

どんなに犯罪を犯しても、家族や愛する人はその犯罪者を見捨てることはやはりできないだろうと思います。

私も、犯罪を犯したからと言って岡村さんを嫌いになれないし、彼が心から罪を悔い、反省し、復活を果たそうとするなら、その過程を見守っていきたいと思います。

 

2011年から本格復帰、そして現在

 

▼岡村靖幸簡易年表

1986年12月1日 岡村靖幸歌手デビュー「Out of Blue」リリース
1988年9月 シングル「聖書(バイブル)」で世間から認知
2003・2005・2008年 3度の逮捕
2011年 本格復帰
2016年 アルバム「幸福」リリース

 

2011年からは本格復帰し、現在までライブツアーやアルバムの発売、いろんなアーティストとも積極的にコラボもしています。

2016年に発売したオリジナルアルバム「幸福」を、私は岡村さんの最高傑作だと思っています。

▼アルバム「幸福」(画像クリックで商品詳細へ)

覚醒税を使用していたであろう期間は体型も太っていたり、声の調子も悪かったと思います。

このアルバムでは、岡村さん本来のパフォーマンスを取り戻し、相当な努力をしたと思われます。

 

 

何度も逮捕を繰り返しながら、なぜ岡村靖幸は愛されるのか。

やはり多くの人にとって、彼が唯一無二の存在であり、その魅力に魅せられているからだと私は思います。

 

そして、彼が心底反省していて、「自分が一番大切にしている音楽という仕事」と語るように音楽に対し、とても真摯に向き合っていることが伝わっているからだと思います。

 

岡村さんをよく知らない人たちからすれば、「甘い」と言われるのは仕方のない事ですが、やはり私は、岡村さん自身と岡村さんの音楽が大好きだし、これからも彼のパフォーマンスを見たいのです。

 

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著者:しあ

40代後半女性。音楽が大好きでJ-POP K-POP 洋楽 演歌歌謡曲とさまざまな音楽を聴いています。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。全部チケットの半券をとっているのでとても大切な想い出です。音楽はとても生活を豊かにしてくれるもの。私の好きなアーティストの魅力を知っていただければ、と思います。お問い合わせはこちらから

「作曲家」岡村靖幸の活動① ~吉川晃司への楽曲提供~

Webon紹介目次著者
歌手として強烈な個性を放ち、時には「気持ち悪い」とも称される「岡村靖幸」。デビュー前から岡村靖幸をリアルタイムで見てきた筆者が、その魅力を紐解きます。

『岡村靖幸』入門 ~超個性的シンガーの魅力に迫る~ はこちらから

著者:しあ

40代後半女性。音楽が大好きでJ-POP K-POP 洋楽 演歌歌謡曲とさまざまな音楽を聴いています。ライブが大好きで今まで行ったライブは数百本。全部チケットの半券をとっているのでとても大切な想い出です。音楽はとても生活を豊かにしてくれるもの。私の好きなアーティストの魅力を知っていただければ、と思います。お問い合わせはこちらから

 

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作曲家デビューの経緯

▼岡村靖幸簡易年表

1984年(19歳) 岡村靖幸作曲家になる
1986年1月1日 吉川晃司「キャンドルの瞳」リリース
1986年12月 岡村靖幸歌手デビュー

 

 

岡村さんは1965年8月14日神戸市で生まれました。

外資系航空会社に勤める父親の仕事の関係で、小さいころから各地を転々としていたそうです。新潟県立新潟東高等学校在学中から、本格的に音楽活動を始めます。

そこからシンガーとしてデビューに至るまでに、まず作曲家としてデビューしました。

 

岡村さん曰く

「当時は今と違ってデビューへの架け橋があまりなく、コンテストもヤマハポプコン、イーストウエストぐらいでした。レコード会社に自らデモテープを送る、というのもよく行われていました。」

 

音楽雑誌にはよく音楽ディレクターの名前と電話番号が書かれているとともに、そこに応募してほしい旨が記載してありました。

当時岡村さんは、それを見て電話をしたそうです。

 

すると電話の相手が「デモテープを送るのではなく、いついつ何時に来てくれ」と言ってきたので、EPICソニー(後の岡村さんの最初の所属レコード会社)に行きます。

担当の方がその場で聴いて岡村さんは感想を言ってもらい、その後何度かやり取りをするうちにプロの仕事をするようになったそうです。

 

このようにして岡村さんは作曲家としてデビューすることになったわけです。

 

ただ岡村さんとしてはそこを目指していたわけではなく、あくまでプロのシンガーを目指していました。

つまりシンガーを目指す上で、作曲やアレンジなど作曲家として活動をまずはじめ、そこからシンガーとしてのデビューを果たした、ということです。

 

1980年代の音楽業界

▲1980年代前半に流行した「竹の子族」

 

岡村さんが作曲家になる前後の1980年代は歌謡曲も、ロック、ポップス音楽も混在していました。

岡村さんは

「作詞家、作曲家、アレンジャーの仕事がたくさんあったので、このタイミング(作曲家になった1984年ごろ)で僕が音楽業界に入れたのはラッキーだった」

と言っています。

 

まず、音楽出版社と作曲家としての専属契約を結び、そこからレコード会社のつながりなどで、いろんな人に曲を書くようになったそうです。

高校は中退するのですが、10代の若い青年が作曲家としてすぐに採用された事は言わずもがな。さらにその後シンガーとしてデビューでき、順調に進んだのは岡村さんにとてもとても魅力があったからだと私は思います。

 

吉川晃司への楽曲提供

 

私が初めて岡村さんの名前を目にしたのは、吉川晃司さんの1986年1月1日リリース7枚目のシングル「キャンドルの瞳」のB面「奪われたWink」です。(当時はレコードなのでA面B面でした。)

 

▼岡村靖幸簡易年表

1984年(19歳) 岡村靖幸作曲家になる
1986年1月1日 吉川晃司「キャンドルの瞳」リリース
1986年12月 岡村靖幸歌手デビュー

 

『キャンドルの瞳 [EPレコード 7inch]』吉川晃司(画像クリックで商品詳細へ)



作詩 松本一起 作曲 岡村靖幸 編曲 後藤次利

 

吉川さんは、田原俊彦さん、近藤真彦さんなどに代表される往年のアイドルとは違う、新たなアイドルとしてチェッカーズと共に時代を席巻しました。

 

チェッカーズとは
1983年「ギザギザハートの子守唄」でデビュー。2枚目のシングル「涙のリクエスト」が大ヒットする。最大のヒット曲は「ジュリアに傷心」。社会現象を起こす程のアイドル的人気を博す。全身チェックの衣装は、ファッションにも大きな影響を与える。


 

私も吉川さんの大ファンで、アイドルとしてではなく、アーティストとして意識していました。吉川さんは私とその後の音楽とのつながりを導いてくれた人です。

 

吉川さんが歌う岡村さんの作曲B面シングル「奪われたWink」を初めて聴いた時は

「なんてかっこいいんだろう~!!」

と思いました。

 

当時はシングルレコードにA面、B面と2曲しか入っていなかったので、その2曲のクオリティーはとても高かったように思います。

しかし、やはり「シングルA面の曲!」というインパクトは絶大なので、岡村さんはB面での収録に少々不満げだった様子。

 

私は、もちろんA面の「キャンドルの瞳」も好きでしたが、「奪われたWink」の方がより好きでした。

吉川さんの中毒性のある歌い方に、不安定な癖のあるメロディがとてもマッチしていました。

 

吉川さんはアイドルとしてのデビューの仕方でしたが、その楽曲の良さはアイドルとしての枠に収まらず、とても評価の高いものでした。

そんな吉川さんの楽曲の中でも「奪われたWink」は最初の歪んだギターからインパクトがあり、中毒性のあるメロディが病みつきになる曲でした。

 

今もレコードを大事に持っていますが、この曲はレコード、CD音源ともに入手困難なものとなっています。

私と吉川さん、岡村さんをつないでくれた、とても縁深い曲なのです。

 

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