ロートレックの家族

 

 

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック

1864年にフランスで生まれる。11歳の時に事故で両足の成長が止まってしまう。その後フランス・パリで人気画家として活躍。1901年、36歳で死去。

 

ロートレックの家族

 

ロートレックは、高名なトゥールーズ家の直系の子孫で、とても裕福な家庭環境でした。

 

直系子孫

直接的な親子関係で繋がる系統の事。

 

ロートレックの父親であるアルフォンスは、母親のアデールと結婚するまでは槍騎兵連隊(そうきへいれんたい:槍を持ち馬に乗り戦う兵士の部隊)として活躍し、結婚後は乗馬や鷹狩りに明け暮れていました。

他にもサーカスや仮装なども好み奇抜な人物で有名でした。

 

 

一方、母親のアデールは、アルフォンスとは正反対の性格をした女性でした。控えめで優しく、慎ましやかな女性でした。ロートレックは「聖人のような女性だった」と言っています。

 

 

1868年にロートレックの弟・リシャールが生後すぐに亡くなったことで、アルフォンスとアデールの仲は冷え切ってしまったようです。(ロートレックの生誕は1864年)

 

【コラム】ロートレックの両親

もともとロートレックの父親は自分本位な方で、家族に愛情を注ぐということが少なかったようです。また、父親のアクティブで風変わりな性格とは正反対に母親は慎ましく、読書を趣味とするような大人しい女性でした。

ロートレックの弟が亡くなったことで不仲になってしまった理由は文献などには明記されていませんが、私が想像するに、おそらく父親自身が期待していた子供に恵まれなかったことを母親のせいした結果、不仲になったのではないかと思います。

さらに、その後両親は離婚したそうです。母親は、1883年ロートレックがパリに出てすぐの19歳の時にマルロメの城館を買い取り、そこで静かに暮らしました。マルロメはロートレックにとって帰省する実家となり、ロートレックは最期そこで死を迎えます。

 

父親のアルフォンスは、第一子である男の子のロートレックにかなりの期待を寄せていました。

ロートレックが12歳の誕生日の時に、アルフォンスからプレゼントされた鷹狩りの本には、アルフォンスから直筆で以下のようなメッセージが加えられていました。

「息子よ、忘れないでほしいのだが、大気の中での生活や照りわたる太陽の下での生活だけが健康にふさわしいのだ。

何にせよ、自由を奪われたものは自分を見失い、すみやかに滅んでいくのだ。この小さな鷹狩りの本は、広大な自然の中での生活の素晴らしさをお前に教えることだろう。

そしていつの日か、お前が人生の苦さを味わうとき、何よりも馬が、そしてまた犬が、鷹が、お前の貴重な友となり、世の苦しみを多少なりとも忘れさせてくれるだろう。」

(出典:現代世界美術全集「ロートレック」より)

※改行 弊編集部

 

このようなアルフォンスのメッセージは、ロートレックの今後の人生には忠実に反映されず、むしろロートレックは正反対な人生を送ることになるのでした。

太陽の降り注ぐ大自然や馬、鷹などと触れ合う機会には恵まれず、バーやダンスホール、酒、娼婦たちとの触れ合いが中心となるのでした。

後の1878年、1879年(当時ロートレックは14、15歳)と続けざまに起こった、ロートレックの運命を大きく変えた「偶然の悲劇」とも言える事故は、ロートレック自身だけではなく、アルフォンスやアデールにとっても衝撃なトピックスでした。

 

※1878、1879年のロートレックに起きた事故については次のページで解説!

 

この事故によって、ロートレックは両脚の成長だけが10代のままで止ってしまうのでした。

この事故を機に、アルフォンスは期待していた唯一の一人息子に失望してしまい、ロートレックに目をかけることを止めてしまいました。

 

 

一方で、母親のアデールはロートレックの弟の死後、ロートレックの成長を生きがいとし、より一層彼に愛情を注ぎました。

しかしながら、アデールはロートレックの将来を過剰に不安がって、彼に対して過保護になったり、囲ったりするようなことはしませんでした。むしろ、ロートレックの絵の才能を誰よりも早くに見抜いて、それを育もうとしました。

 

 

ロートレックの生涯にわたって、アデールは経済的な支援をロートレックにし続けたのです。後にロートレックが一人でパリへ出てきて、自由を謳歌できたのも母親のアデールのおかげとも言えます。

さらに、父親のアルフォンスとの関係とは反対に、ロートレックとアデールはとても仲の良い親子でした。

1882年には、パリでホームシックになったロートレックはこのようにアデールへ綴っています。

「おかあさんへ。おかあさんは腕の骨でも折ったのですか?それともちび助の存在を忘れてしまったのですか?

二言三言でいいので、僕に今の様子を知らせてください。こちらは万事順調です。

一生懸命勉強をしています。くれぐれもよろしくお願いします。キスを送ります。それでは。」

(出典:創元社「ロートレック―世紀の闇を照らす」)

※改行 弊編集部

 

アデールはもちろん、ロートレックも母親をとても愛していました。お互いに会えないときは、このように手紙のやりとりを交わしていました。

ロートレックが父親に手紙を書くときは、自分の身について何か大きな決断をする時に意見や承認をもらうときだけだったそうです。

母親のアデールもロートレックも互いに、父親のアルフォンスとの溝が深まらなかっただけに、生涯にわたって2人の絆は固く結ばれました。

 

▼ロートレックが描いた母親アデールが掲載されています(スペイン語サイト)

http://treclau.blogspot.com/2009/07/adele-tapie-de-celeyran-condesa-de.html

 

【著者に聞きました!】母親の影響

Q.(Webon編集部) 母親アデールの影響を受けた事をロートレックの作品を観ていて感じることはありますか?

A.(HARUKA) 個々の作品の作風や題材から母親の影響を感じることはありませんが、母親がいたからこそロートレックが画家としてのびのびと過ごせたのだと思います。ロートレックは、パリに出てきてから、自分の状況が良い時も悪い時も定期的に母親への手紙を欠かしませんでした。

ロートレックが母親へ宛てた手紙からは、別々に暮らしていてもお互いに想い合っていた様子が感じ取られ、ロートレックの心の中にはいつでも母親が存在していたように感じます。

 

以上、「ロートレックの家族」でした。次のページではロートレックに起きた1878年の悲劇について解説をしていきます。

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ブルース・リー(李小龍) 【カンフー映画スター俳優9選②】

Webon紹介目次著者

カンフー映画を見たことがありますか?ブルース・リー氏やジャッキー・チェン氏は「俳優が武術をする」というよりは、「武術家が演技をする」と表現したほうがしっくりきます。カンフー映画鑑賞歴27年の著者が語ります!

「カンフー映画入門 ~観れば観るほど強くなる!?~」はこちらから!

はじめに

はじめに ~カンフー映画を楽しもう!~

第1章 カンフー映画とは

カンフー映画とは 【カンフー映画の歴史①】

ジミー・ウォング氏の時代 【カンフー映画の歴史②】

ブルース・リー氏の時代 【カンフー映画の歴史③】

ジャッキー・チェン氏の時代「酔拳・蛇拳」 【カンフー映画の歴史④】

ジャッキー・チェン氏の時代「プロジェクトA」 【カンフー映画の歴史⑤】

ジェット・リー氏とドニー・イェン氏の時代 【カンフー映画の歴史⑥】

第2章 カンフー映画スター俳優9選

ジミー・ウォング(王羽) 【カンフー映画スター俳優9選①】

ブルース・リー(李小龍) 【カンフー映画スター俳優9選②】

サモハン(洪金寶、サモ・ハン・キンポー) 【カンフー映画スター俳優9選③】

ジャッキー・チェン(成龍) 【カンフー映画スター俳優9選④】

ユン・ピョウ(元彪) 【カンフー映画スター俳優9選⑤】

ユン・ワー(元華) 【カンフー映画スター俳優9選⑥】

ラム・チェンイン(林正英) 【カンフー映画スター俳優9選⑦】

ジェット・リー(李 連杰) 【カンフー映画スター俳優9選⑧】

ドニー・イェン(甄子丹) 【カンフー映画スター俳優9選⑨】

第3章 カンフー映画を観る方法

カンフー映画を観る方法 【動画配信サービス比較】

第4章 おすすめカンフー映画13選

燃えよドラゴン(1973) 【おすすめカンフー映画13選①】

片腕カンフー対空飛ぶギロチン(1975) 【おすすめカンフー映画13選②】

酔拳(1978) 【おすすめカンフー映画13選③】

豚(とん)だカップル拳(1979) 【おすすめカンフー映画13選④】

ユン・ピョウinドラ息子カンフー(1981) 【おすすめカンフー映画13選⑤】

少林寺(1982) 【おすすめカンフー映画13選⑥】

霊幻道士(1985) 【おすすめカンフー映画13選⑦】

プロジェクトA(1983) 【おすすめカンフー映画13選⑧】

スパルタンX(1984) 【おすすめカンフー映画13選⑨】

七小福(夢に生きた子供達)(1988) 【おすすめカンフー映画13選⑩】

シティーハンター(1993) 【おすすめカンフー映画13選⑪】

イップ・マン 序章(2008) 【おすすめカンフー映画13選⑫】

捜査官X(2011) 【おすすめカンフー映画13選⑬】

第5章 カンフー映画の寄り道話

『七小福』とは 【ジャッキー達の子供時代】

アンジェラ・マオ 【女性カンフー映画スター3選①】

ノラ・ミャオ 【女性カンフー映画スター3選②】

ムーン・リー 【女性カンフー映画スター3選③】

千葉真一 【日本のアクションスター俳優①】

真田広之 【日本のアクションスター俳優②】

第6章 カンフーを習おう!

カンフー(功夫)とは

カンフーの種類 【長拳・南拳・太極拳】

大阪のカンフー教室・カンフー漫画「拳児」

著者:HARUKA

大阪府出身。趣味はドラム。中国武術は現在見習い中です。好きな映画ジャンルはダントツでカンフー映画!小学生の頃にジャッキー映画にはまり、今に至る。カンフースターは映画「霊幻道士」の道士役ラム・チェンイン氏が一番好きです。多くの人に新旧問わずカンフー映画に興味を持ってもらえたら嬉しいです。

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この章(第2章)ではカンフー映画のスター俳優をご紹介。

このページでは「本物」と言われた世界的に有名なアクションスター俳優、ブルース・リー氏を紹介します。

 

▼紹介する9人のカンフー映画スター俳優

名前 人物概要 主な出演作品
1 ジミー・ウォング カンフー映画界のレジェンド 「片腕必殺剣」
2 ブルース・リー⇐当ページ 「本物」のアクションスター 「燃えよドラゴン」
3 サモハン カンフー映画界の主要人物 「燃えよデブゴン」
4 ジャッキー・チェン 世界のジャッキー 「酔拳」「プロジェクトA」
5 ユン・ピョウ カンフー映画アイドルスター 「ユン・ピョウinドラ息子カンフー」
6 ユン・ワー 中華圏芸能界屈指の名バイプレイヤー 「霊幻道士」
7 ラム・チェンイン 詠春拳の達人 「霊幻道士」
8 ジェット・リー 少林寺ブームの立役者 「少林寺」
9 ドニー・イェン 遅咲きのカンフー映画スター 「イップマン」

 

ブルース・リー李小龍

生年月日 1940年11月27日
本名 李振藩(リー・ジュンファン)
出身 サンフランシスコ⇒香港⇒ワシントン⇒香港
トレードマーク ヌンチャク、怪鳥音(アチョー)
子供 ブランドン・リー(俳優)他
師匠 イップ・マン
名言 「Don’t think, feel.」(考えるな、感じろ。「燃えよドラゴン」より)等

 

【ブルース・リーってどんな俳優?】

肉体や武術の技を極限まで突き詰めて鍛え上げた人物として、歴代のアクションスターの中で最も「本物」という言葉がふさわしく思います。

私がブルース・リー氏を初めに観た映画は「燃えよドラゴン」でしたが、始終シリアスなストーリーにもかかわらず、ブルース・リー氏が凄すぎて目が離せませんでした。

この映画は、一つの物事をストイックに突き詰めることについて考えるきっかけとなりました。

ブルー・スリー氏が活躍した時代の話は第1章で!(現在第2章です)

 

主な出演作品

発表年 タイトル
1941 「金門女」
1966-67 「グリーンホーネット」
1971 「ドラゴン危機一髪」
1972 「ドラゴン怒りの鉄拳」
「ドラゴンへの道」
1973 「燃えよドラゴン」
1978 「死亡遊戯」

 

ブルース・リー氏の略歴

誕生

 

父は広東オペラの人気俳優。父のアメリカ巡業中にサンフランシスコにて出生する。

 

▼ブルース・リー氏の父親、Lee Hoi-chuen氏

 

生後3か月でサンフランシスコにて製作されたエスター・エング監督の映画「金門女(ゴールデン・ゲート・ガール 日本版は無し)」(’41)で映画デビューをする。

その後香港で育ち、8歳頃から広東語映画の子役として多数の映画に出演。

 

広東語映画

1930年代~50年代にかけて製作された広東語映画のうち、全体の約40%を占めるのが、中国南部の伝統芸能「粤劇(えつげき)映画」と呼ばれていた広東オペラ映画

広東地方の伝統的な舞台演劇の演目から映画の題材を採用し、同時に舞台俳優をそのまま映画俳優として起用する場合が多かったよう。

 

ブルース・リー氏は少年時代から詠春拳(えいしゅんけん)をはじめ、少林拳、太極拳など様々な中国武術を学ぶ。

 

【コラム】詠春拳とは

▼詠春拳のイメージ

ブルース・リー氏も学んだことで有名な「実践本意の拳法」です。

詠春拳は、今から400年ほど前に中国の福建省で生まれたとされる武術で、女性武術家の「厳詠春(えん えいしゅん)」が創始したといわれています。

長江以南で広く行われる武術である南派拳法の「短橋狭(たんきょうきょう)()(手技が小さく、歩幅が狭い)」に属する武術です。

代表的な套路(とうろ:型の意)として小念頭(しょうねんとう)(初級)、(じん)(きょう)(中級)、標指(ひょうし)(高級)の3つがあり、詠春拳にこの三套路(さんとうろ)を定めたのが「詠春拳王」とよばれた梁贊(リャザン・18261901)です。

技術的な特徴は、飛んだり跳ねたりをせず、防御に重きが置かれ、あらゆる防御技術はそのまま攻撃技に直結するとされています。

木人(もくじんとう)(木の人形)を使用した訓練でも有名です。

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詠春拳三大手と呼ばれる膀手(ボンサオ)・攤手(タンサオ)・伏手(フォクサオ)とも全て防御技です。他に六点半棍(ろくてんはんこん)と呼ばれる棍術(こんじゅつ:棍棒の武術)と八斬刀(はちざんとう)という刀術が伝承されています。

 

詠春拳の修行は香港の武術家の葉問(イップ・マン)の下で5年間行う。

しかし、あまりに周りとの喧嘩が絶えなかったため、父より香港を離れ渡米を言い渡される。

ちなみに、後に葉問(イップ・マン)を主人公とした映画が制作される。

 

▼映画「葉問(イップマン)」(画像クリックでDVD詳細へ)

 

そして1958年、ワシントン州立大学に留学し、哲学を専攻。

アルバイトをしながら学業に取組むと同時に武術にも力を入れる。

 

截拳道(ジークンドー)の創設

 

1960年、ブルース・リー氏が最も信頼し、尊敬する弟子だった日系二世のターキー木村(木村武之)氏の勧めで、道場「振藩国術館(ジュンファン・グンフー・インスティチュート)」をチャイナタウンに開設する。

多様な格闘技からそれぞれの長所を採り入れた独自の武道「截拳道(ジークンドー)」を創設し、アメリカで多数の弟子を育てる。

 

截拳道(ジークンドー)とは

截拳道(ジークンドー)はブルース・リー氏を創始者としている武術で、ボクシングやフェンシング、合気道、柔術等の様々な武術から実践として使える箇所を採り入れている。

特定の形式や流派にとらわれずに、様々な突き・蹴りをはじめとする打撃技から、倒し・投げ・絞め・関節技など格闘技のあらゆるエッセンスを集大成した武術で、他の武術にあるような禁じ手(目突きや頭突き等)のない実践格闘術。現在でいうところの「総合格闘技」の先駆けとも言われる。

 

その後、ターキー木村氏と共に参加した広州市での武術大会においてチャンピオンになる。

これがハリウッドのプロデューサーの目に留まり、ドラマ「グリーンホーネット」の準主役を務めることになる。

 

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ハリウッドでの活躍を目指すが、1971年に香港へ戻り、ゴールデン・ハーベスト社と契約を結ぶ。

 

ゴールデン・ハーベスト社

1970年に設立された映画製作会社。大手香港映画会社ショウ・ブラザーズの制作本部長を務めていたレイモンド・チヨウとプロデューサーのレナード・ホーらが設立。

 

香港映画スターへ

 

主演映画第一弾「ドラゴン危機一髪」(’71)、続く「ドラゴン怒りの鉄拳」(’72)が爆発的な人気となる。

 

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▼ドラゴン怒りの鉄拳(画像クリックでDVD詳細へ)

 

「ドラゴン怒りの鉄拳」から有名な怪鳥音がトレードマークのひとつともなる。

怪鳥音とはブルース・リー氏が発する「アチョー」という奇声の事。

 

そして、1972年に自身のプロダクション「コンコルド・ピクチャーズ」を設立し、自身が監督・主演・脚本・武術指導と担当した「ドラゴンへの道」を発表。

 

▼ドラゴンへの道(画像クリックでDVD詳細へ)

 

上記3作により、ブルース・リー氏の人気は香港において不動のものとなり、映画会社ゴールデン・ハーベストは興行収入で香港一の映画会社となった。

 

1972年秋から「死亡遊戯」の製作に入るが、ハリウッドとコンコルド・ピクチャーズとの合作となる「燃えよドラゴン」(’73)へ出演することとなり、「死亡遊戯」の製作は一時中断となる。

 

▼燃えよドラゴン(画像クリックでDVD詳細へ)

 

32歳で急死

 

しかし、ブルース・リー氏は「燃えよドラゴン」完成直後の1973年7月20日に32歳の若さで急死し、世界中に衝撃を与えた。

死亡当時、「死亡遊戯」で共演予定であった、女優ベティ・ティン・ペイ氏の香港の自宅で頭痛を訴え、鎮痛剤を飲んで横になった。

しかし、そのまま昏睡状態に陥ったためベティ・ティン・ペイ氏はレイモンド・チヨウ氏(現ゴールデン・ハーベスト会長)を呼び、そのままブルース・リー氏をクィーン・エリザベス病院へ搬送したが死亡が確認された。

 

その後、未完成の「死亡遊戯」(’78)は、約5年間の紆余曲折を経て、監督をロバート・クローズ氏、武術指導はサモ・ハン・キンポー氏が担当し、ユン・ワー氏やユン・ピョウ氏の俳優を起用し、補足撮影がなされ公開された。

 

▼死亡遊戯(画像クリックでDVD詳細へ)

▼サモ・ハン・キンポー氏

▼ユン・ワー氏(右上)

▼ユン・ピョウ氏

(サモ・ハン・キンポー氏、ユン・ワー氏、ユン・ピョウ氏については後のページでご紹介!)

 

ブルース・リー氏は武術界においても映画界においても多大な影響を及ぼした人物である。

 

ブルース・リー氏作品の視聴方法

 

各動画配信サービスの料金とブルース・リー氏作品の取り揃え数を表した表です!

TSUTAYA TV Amazon Prime Netflix Hulu dTV U-NEXT
料金(税込/月額) 1007円~ 400円 864円~ 1007円~ 540円 2149円
ブルースリー

※〇:豊富 △:ややあり ×:ほぼ無し

 

以上、カンフー映画スター俳優ブルース・リー氏の紹介でした。

次のページではサモハン(サモ・ハン・キンポー)氏をご紹介いたします。

『カンフー映画入門』目次へ  (全38ページ)

 

【カンフー映画の取り揃えが豊富なのは「TSUTAYA TV」&「TSUTAYA DISCAS」!】

 

目次著者

はじめに

はじめに ~カンフー映画を楽しもう!~

第1章 カンフー映画とは

カンフー映画とは 【カンフー映画の歴史①】

ジミー・ウォング氏の時代 【カンフー映画の歴史②】

ブルース・リー氏の時代 【カンフー映画の歴史③】

ジャッキー・チェン氏の時代「酔拳・蛇拳」 【カンフー映画の歴史④】

ジャッキー・チェン氏の時代「プロジェクトA」 【カンフー映画の歴史⑤】

ジェット・リー氏とドニー・イェン氏の時代 【カンフー映画の歴史⑥】

第2章 カンフー映画スター俳優9選

ジミー・ウォング(王羽) 【カンフー映画スター俳優9選①】

ブルース・リー(李小龍) 【カンフー映画スター俳優9選②】

サモハン(洪金寶、サモ・ハン・キンポー) 【カンフー映画スター俳優9選③】

ジャッキー・チェン(成龍) 【カンフー映画スター俳優9選④】

ユン・ピョウ(元彪) 【カンフー映画スター俳優9選⑤】

ユン・ワー(元華) 【カンフー映画スター俳優9選⑥】

ラム・チェンイン(林正英) 【カンフー映画スター俳優9選⑦】

ジェット・リー(李 連杰) 【カンフー映画スター俳優9選⑧】

ドニー・イェン(甄子丹) 【カンフー映画スター俳優9選⑨】

第3章 カンフー映画を観る方法

カンフー映画を観る方法 【動画配信サービス比較】

第4章 おすすめカンフー映画13選

燃えよドラゴン(1973) 【おすすめカンフー映画13選①】

片腕カンフー対空飛ぶギロチン(1975) 【おすすめカンフー映画13選②】

酔拳(1978) 【おすすめカンフー映画13選③】

豚(とん)だカップル拳(1979) 【おすすめカンフー映画13選④】

ユン・ピョウinドラ息子カンフー(1981) 【おすすめカンフー映画13選⑤】

少林寺(1982) 【おすすめカンフー映画13選⑥】

霊幻道士(1985) 【おすすめカンフー映画13選⑦】

プロジェクトA(1983) 【おすすめカンフー映画13選⑧】

スパルタンX(1984) 【おすすめカンフー映画13選⑨】

七小福(夢に生きた子供達)(1988) 【おすすめカンフー映画13選⑩】

シティーハンター(1993) 【おすすめカンフー映画13選⑪】

イップ・マン 序章(2008) 【おすすめカンフー映画13選⑫】

捜査官X(2011) 【おすすめカンフー映画13選⑬】

第5章 カンフー映画の寄り道話

『七小福』とは 【ジャッキー達の子供時代】

アンジェラ・マオ 【女性カンフー映画スター3選①】

ノラ・ミャオ 【女性カンフー映画スター3選②】

ムーン・リー 【女性カンフー映画スター3選③】

千葉真一 【日本のアクションスター俳優①】

真田広之 【日本のアクションスター俳優②】

第6章 カンフーを習おう!

カンフー(功夫)とは

カンフーの種類 【長拳・南拳・太極拳】

大阪のカンフー教室・カンフー漫画「拳児」

著者:HARUKA

大阪府出身。趣味はドラム。中国武術は現在見習い中です。好きな映画ジャンルはダントツでカンフー映画!小学生の頃にジャッキー映画にはまり、今に至る。カンフースターは映画「霊幻道士」の道士役ラム・チェンイン氏が一番好きです。多くの人に新旧問わずカンフー映画に興味を持ってもらえたら嬉しいです。

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