落語の歴史

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落語は誰が聴いてもわかりやすく面白い芸能です。落語の基本的な知識や初心者におすすめの演目の紹介、実際に落語を楽しむ方法などを通じて落語(特に古典)の魅力についてお伝えします。

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著者:ミドケン

落語が大好きなフリーライター。10年程前に落語にはまって以来、ほぼ毎日落語を聴いている。お問い合わせはこちらから

 

 

 

落語について理解を深めることで、より落語を楽しむことができるようになるでしょう。

このページでは「落語の歴史」について解説してまいります。

 

年表

 

時代 出来事
戦国時代(1467-1591) 御伽衆
元和9年(1623) 『醒睡笑』
元禄期(1688-1704) 寄席の原型「辻噺」
寛政期(1789-1801) 寄席の誕生
文化・文政期(1804-1830) 落語ブーム
天保期(1831-1845) 天保の改革で人気下火
安政期(1854-1860) 水野忠邦失脚、再び人気
江戸時代末期(1853-1869) 「近代落語の祖」が活躍
大正時代初期~中期(1912-1922) SPレコードで人気
大正12年(1923年) 関東大震災で寄席消失
大正14年(1925年) ラジオ開局
昭和16年(1941年) 太平洋戦争、53演目禁止
昭和26年(1951年) 放送法成立、ラジオテレビで落語

 

落語の歴史

始まりは戦国時代

 

戦国時代には、面白い話や芸をして笑わせる「御伽衆(おとぎしゅう)」と呼ばれる人たちがいました。

 

御伽衆は戦国大名に仕えていましたが豊臣秀吉も多くの御伽衆を抱えていました。その中のひとり安楽庵策伝(あんらくあんさくでん)という僧侶は、秀吉の前でおもしろおかしいオチのついた話を披露して喜ばれていました。

 

豊臣秀吉
1537年-1598年。戦国時代から安土桃山時代の武将。天下統一を果たした。

 

文人、茶人としても知られている策伝は幼少の頃から聞き覚えた約1000話の笑い話を集めた『醒睡笑(せいすいしょう)』という書物を書きました。

収められている話は落語の元となったものも多くあり、こうしたことから策伝は「落語の祖」と呼ばれています。

 

▼「醒睡笑 全訳注」江戸時代の初期に編纂された「醒睡笑」ですが、現代語訳と解説付きで読むことができます。

 

落語家・寄席の起源

 

元禄期(1688年~1704年)になると有料で滑稽話を聞かせる人たちが、江戸や大坂、京という都市に登場します。

彼らはお寺や神社の境内、街頭などの人が集まる場所に席を設けて、料金を取っておもしろおかしい話を披露する「辻噺(つじばなし)」を行っていました。

この辻噺は寄席の原型でありそれを行う人たちが落語家の始まりといわれています。

 

寄席の誕生

 

寛政期(1781年~1801年)になると、寄席が誕生します。

それまでの話をする会といえば、いろいろな場所を借りながら不定期で開催をしていました。寄席の誕生により特定の場所で入場料を取るという現在の寄席のような形態になりました。

 

▼寄席のイメージ

 

本格的な商売となると演者側には客を飽きさせないよう演目に工夫をこらすことが求められるようになります。その結果、より芸が磨かれた落語家が次々と現れ、落語のレベルは上がり寄席も拡大していきました。

 

隆盛と衰退

 

文化・文政期(1804年〜1830年)には、芝居噺や怪談話、音曲噺なども始まり、江戸では落語ブームが起こり、隆盛を極めます。

 

音曲噺
噺の途中に三味線などのの伴奏が入り、演者の唄や演奏者による唄が入り噺が進む落語。「稽古屋」「植木のお化け」などの演目がある。

▼稽古屋を聴く(mp3、ストリーミング)

 

ところが、老中・水野忠邦による「天保の改革」が始まってしまいます。

 

▼水野忠邦(老中=幕府の政治を行う役職)

 

質素倹約(しっそけんやく)を推奨し庶民の娯楽も厳しく制限したこの改革によって、文政(1804~1830)末期には120軒以上あったといわれる寄席が15軒ほどになってしまい、落語人気も下火になっていきます。

 

しかし町人や大名達から激しい反対に遭い忠邦は失脚。落語は再び人気を得て、安政期(1854年〜1860年)には寄席の数も約170軒に達します。

 

落語を変えた三遊亭圓朝

 

幕末になると、「近代落語の祖」といわれる初代三遊亭圓朝が活躍します。

 

▼初代三遊亭圓朝

 

圓朝は三味線や太鼓などを使う歌舞伎を真似た「芝居噺」で人気となりましたが、明治時代になると政府は寄席での演劇などの行為を禁止します。

圓朝は道具を使う噺を弟子に譲り、現在のような「扇子1本を使う喋り」を中心とした「素噺(すばなし)」というスタイルを確立しそれまでの落語の常識を変えてしまいました。

徐々にこの「素噺」が主流となり鳴り物を使った「芝居噺」は廃れてゆくことになります。

 

戦争の影響

 

大正時代はレコードの発達により、SP盤(SPレコード)で人気を得る落語家も現れ始めます。

 

▼SP盤


photo by:MASA CC 表示-継承 3.0

 

しかし大正12年の関東大震災で多くの落語家が犠牲となり、寄席も焼失したため、しばらくは興行が行われていませんでした。

大正14年にラジオ局が開局し、落語の放送が始まるとラジオを聴いて落語に興味を持った人が寄席にも足を運ぶようになり、落語に再び注目が集まるようになります。

 

 

昭和になると太平洋戦争(昭和16年)が勃発し、落語界にも大きな打撃を与えます。

遊廓(ゆうかく)などをテーマにした廓噺(くるわばなし)など時局にそぐわないと判断された53もの演目が禁止となってしまうのです。

 

廓噺(くるわばなし)の補足
遊郭(ゆうかく:男性に性的なサービスを行う遊女が集められた区画)をテーマにし、有名な作品に「明烏」がある。

 

放送法が成立

 

昭和26年(1951年)に放送法が成立します。

この放送法成立によって、それまではNHKが中心となって進められていたテレビ放送でしたが民間放送の設置が認められました。

それにより愛知県の中部日本放送(現CBCラジオ)や日本テレビなどが放送を開始し、ラジオとテレビによる落語の新時代が幕を開けます。

 

ラジオをつければ落語が流れるといった状況になり、寄席の数も増えて落語界は活況を呈します。

やがてテレビの時代となり、初代林家三平や7代目立川談志などタレント的な落語家も現れるようになります。

 

初代林家三平
1922年生まれの落語家、1966年~1972年に起きた演芸ブーム(テレビ番組を中心としたお笑いブーム)の火付け役かつ中心的存在。「昭和の爆笑王」として知られる。
7代目立川談志
1936年生まれの落語家。国民的人気番組「笑点」の企画者であり初代司会者。

立川談志について詳しい解説は第4章にて!(現在は第1章)

 

そんな落語家たちの人気もあって寄席も賑わい、それ以降の落語ブームはテレビによって生まれるようになるのです。

 

落語がどのように始まり発展していったのか、お分かりいただけたでしょうか。

何度も危機を乗り越え、その時代を代表する落語家たちによって発展し、今日の落語に繋がっているのです。

酸いも甘いも嚙み分けた歴史ある芸能だからこそ、時代を問わず多くの人々を魅了するのだと思います。

 

次のページでは「落語家の階級」についてお伝えします。落語家がどのように昇進していくかを知ると落語家さんの見え方が変わり、より落語が楽しめるかと思います。

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