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著者:ミドケン
落語が大好きなフリーライター。10年程前に落語にはまって以来、ほぼ毎日落語を聴いている。お問い合わせはこちらから
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この第4章では9ページにわたって落語名人を紹介しております。
このページでは「人情系の噺の第一人者」と言われる三遊亭圓生さんを紹介します。
▼おすすめ落語名人9選!それぞれのページで詳しく紹介!
②【五代目 古今亭志ん生】
③【六代目 三遊亭圓生】
④【五代目 柳家小さん】
⑤【三代目 古今亭志ん朝】
⑥【七代目 立川談志】
⑦【三代目 桂米朝】
⑧【ニ代目 桂枝雀】
⑨【十代目 柳家小三治】
六代目三遊亭圓生とは
名前 | 六代目三遊亭圓生(ろくだいめ さんゆうてい えんしょう) |
本名 | 山﨑 松尾 |
生年月日 | 1900年(明治33年)9月3日/没年 1979年(昭和54年) |
弟子 | ・5代目三遊亭圓楽(日本テレビ「笑点」の司会を務める) |
昭和の代表的な落語名人の1人であり「人情系の噺の第一人者」と称される。皇居に招かれて宮中で落語を演じた初めての落語家。文化庁芸術祭大賞や芸術選奨文部大臣賞受賞、勲四等瑞宝章など華々しい受賞歴がある。テレビ・ドラマ・CMにも数多く出演し、ハウス食品の豆腐のCMに出演した際に発した「バカウマ」という言葉が話題となる。 |
略歴
大阪で生まれた圓生さんは、母親とともに東京に出て「子供義太夫(=義太夫をやる子供)」として寄席に出演します。
10歳頃に落語家に転身し「橘家圓童(たちばなや えんどう)」と名乗ります。
1920年(大正9年)「五代目橘家圓好」で真打昇進。
1941年(昭和16年)に「六代目三遊亭圓生(さんゆうてい えんしょう)」を襲名。
終戦直前、前のページで紹介した五代目古今亭志ん生(ここんて しんしょう)とともに、旧満州に慰問興行をするために渡りますが終戦となったため帰国できなくなり、約2年ほど満州で過ごします。
1947年(昭和22年)に寄席に復帰し、この頃から人気が出始め数々の賞を受賞します。
1965年(昭和40年)からは落語協会会長を7年近く務めました。
1978年(昭和53年)「落語協会分裂騒動」を引き起こし、その結果弟子を連れて落語協会を脱退してしまいます。
「落語協会分裂騒動」は実力に関係なく二つ目昇進から10年以上経てば真打に昇進できるという「大量真打昇進制度」に反対したことがきっかけとなって起こった騒動で、脱退後は新協会・落語三遊協会を設立します。
芸に厳しい圓生さんだからこそ、真打昇進への考え方も厳しかったのだろうと思われます。
六代目三遊亭圓生のココがすごい!
① 芸の鬼
圓生さんは芸の虫・芸の鬼と言われていたほど芸については厳しい人だったようで、いつでもどこでも落語の稽古をしていたそうです。
仕事のない日も机に向かって一日中、何かを読んだり書いたりしていたそうで、博覧強記(はくらんきょうき:物事を広く知っていること)の人であったといわれています。
稽古だけでなく、とにかく勉強熱心な人だったのだろうと思われます。
② 群を抜くネタ数の多さとクオリティ
持ちネタの多彩さ、そのクオリティの高さとともに「他の追随を許さない」といわれる圓生さん。
「軽い”滑稽噺”」から「色気たっぷりの”廓噺(くるわばなし)”」「鳴り物が入る”音曲噺”」そして「泣かせる”人情噺”」まで、様々な噺を口演しそのどれもが超一流だったといわれています。
圓生さんは落語の登場人物それぞれに愛情を注ぎ、練り上げていくことに並々ならぬエネルギーを持っていたそうです。
役者が役作りを行うように、丁寧に人物像を作り上げていく作業を最も意識的に行い、それぞれをいかにもそれらしく描写することで高い評価を受けていった人なのだろうと思います。
③ 落語家初の宮中御前口演
1973年(昭和48年)圓生さんは落語家として初めて宮中(きゅうちゅう)へ招かれて「御前口演」を行った人です。
初代三遊亭圓朝(さんゆうてい えんちょう)が明治天皇の御前で落語を披露したそうですが、宮中、いわゆる皇居に招かれて落語をやったのは圓生さんが初めてだそうです。
▼初代三遊亭圓朝については前ページで詳しく紹介!
ちなみに昭和天皇両陛下の御前で披露したのは「御神酒徳利(おみきどっくり)」です。
また、圓生さんは、亡くなる半年前の1979年(昭和54年)3月には、歌舞伎座で落語家として始めての独演会を開催して大成功をおさめています。
▼六代目三遊亭圓生「御神酒徳利」収録作品:六代目 三遊亭圓生 名演集 1 お神酒徳利/二十四孝
④ 人物描写と人情噺の第一人者
圓生さんの魅力は人物描写の巧みさと、それを活かした人情噺のうまさにあります。
人情系の噺の第一人者といわれる圓生さんは「真景累ヶ淵(しんけいかさねがふち)」「牡丹燈籠(ぼたんどうろう)」「乳房榎(ちぶさえのき)」(いずれも初代三遊亭圓朝の作品)などを得意としていました。
ちなみに「牡丹灯籠」は、圓生さんの演目で私が特に好きな演目です。大袈裟な演出やむちゃくちゃな展開、余計なギャクなど、特別なことをやらずに安心して聴ける語り口が好きです。
▼「牡丹燈籠」収録作品:圓生百席(46)
また、圓生さんは芸の主眼を人物描写においており、登場人物の性格や感情の表現が無類にうまい人だったようです。
人物描写のうまさを感じれる演目は「死神」です。全体を通して死神のなんとも言えない不気味さが素晴らしいです
▼「死神」収録作品:六代目 三遊亭圓生(4)花筏/やかん/死神
⑤ 集大成のレコード
圓生さんは速記本(=落語や講談などが文字に起こされている刊行物)の「圓生全集」を出していました。
「『圓生全集』のレコード版を作りたい」というレコード会社からの要請を受け「三遊亭圓生 人情噺集成」と数ある持ちネタの中から自ら100席を選んだ「圓生百席」を6年間かけて作り上げました。
これらは高座(=演芸を演じる場所、またそこで演じること)をそのまま録音したものなどではなく、歌手の人がやっているようにスタジオで録音して作ったものでした。
芸事に妥協しない圓生さんは「とにかく最上のものを残したい」という強い思いで臨み、徹底的にこだわり抜いて完成させたといいます。
落語のレコードとしては最大級の規模(2つの作品集を合わせてLP115枚)で、価格も破格の高さでしたが、かなりの売り上げがあったそうで、これを真似て似たようなレコードを作る落語家が続出したといいます。
制作を始めたのは圓生さんが70歳を超えてからだったそうですが、編集にもすべて立ち合い、一文字もおろそかにせず、すべての噺を聴いて自分の芸を確かめたというからその熱量たるや驚くほかありません。
こうして完成した圓生さんの録音は、「最大至高の古典」といっても過言ではないでしょう。
筆者おすすめ作品
⚫圓生百席(55)真景累ヶ淵(しんけいかさねがぶち)~1「宗悦(そうえつ)殺し」~2「深見新五郎」
⚫圓生百席(23)品川心中(上・下)/死神
次のページでは落語界初の人間国宝となった「五代目柳家小さん(やなぎや こさん)」さんの紹介をします。
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