人生に役立つ麻雀的思考力② ~「勝負の流れ」はある?~

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近年、インターネットの登場により麻雀の新たなブームが到来し麻雀を楽しみやすい環境が整ってきています。麻雀プロの筆者が、近年の麻雀ブームを解説すると共に麻雀の魅力をお伝えします。きっと麻雀を打ちたくなることでしょう!
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著者:平澤元気

1990年6月15日生まれ。CSモンド「ZOO麻雀道学生選手権」、オンライン麻雀天鳳公式ニコ生「天鳳解体新書」などの解説で好評を博す。
著書に「絶対にラスを引かない麻雀 ~ラス回避35の技術~ (マイナビ麻雀BOOKS)」「デジタルに読む麻雀 (マイナビ麻雀BOOKS)」等多数。お問い合わせはこちらから
twitter(平澤)twitter:@hira_ajmja

 

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「勝負の流れ」とは

 

今回のテーマはタイトルの通り「勝負の流れ」についてです。

 

このフレーズ、皆さんは聞いたことがあるでしょうか。

スポーツ中継なんかでもよく使われますよね。

野球でずっと劣勢だったチームが試合終盤に突然の連打で追いつくときなんかに「流れが変わった」なんて表現をすることがあります。

もしくは守備のエラーがあったとき、その後逆転されると「あのプレーで流れが持っていかれた」なんて言ったりもします。

 

厳密な定義はありませんが

「良いことや悪いことは連続して起こるもの」

という意味で使われることが多いのではないでしょうか。

 

野球の例で言えば「ヒット(良いこと)が2本続けば3本目も出るのではないか」「エラー(悪いこと)があればさらに相手のヒット(悪いこと)が生まれるのではないか」といったようなもの。

 

そういう感覚は多かれ少なかれ皆さんお持ちでしょう。

仕事の場面なんかでも商談が立て続けに成功した時に「流れが良いな」と思ったりすることがあるかもしれません。

 

麻雀放浪記で作られた「流れ」のイメージ

▲麻雀放浪記〈1〉青春篇( 画像クリックで商品詳細へ)

 

「勝負の流れ」はこのように日常生活でも耳にしたり感じたりすることがある言葉ではないかと思いますが、麻雀業界ではとかくこの「流れ」という言葉がよく使われます。

 

かなり前のページで「麻雀放浪記」という小説が麻雀ブームを牽引したという話をしましたが、この麻雀放浪記の作者である阿佐田哲也氏が非常に勝負の流れを重んじる方で、

「麻雀は点数のやりとりではなく運のやりとりである」

「放銃(相手のアタリ牌を切ってしまって点数を奪われること)をすると運も奪われる」

と言った意味合いの表現が、阿佐田氏の作品ではよく出てきます。

 

▼阿佐田哲也氏

 

その影響を大きく受けている現在の麻雀界でも

 

  • 良い手をアガったら次も良い手が来る
  • 放銃をしたら次は良い手はこない

 

こんな考え方をする人はプロも含めて多くいます。というか、ほんの十数年前まではこう言った考え方の方が「主流」でした。

 

放銃と(ほうじゅう)とは
自分が捨てた牌で他のプレイヤーにアガられること

 

麻雀に「流れ」があるのはおかしい?

 

けどよく考えると(よく考えなくても?)これっておかしいですよね。

麻雀の牌というのはよく混ぜてランダムに積まれているはずで、前の局の結果が影響するはずありません。

 

コインを投げて3回連続で表が出たからと言って、次も表が出やすかったり、逆に反動で裏が出やすくなったりはしないというのと同じです。

だから流れなんてものは本来無いはずなんですよ。

こんな確率の問題は中学生で習うことです。

 

でも

「そんなことに気づかないなんて麻雀をする人はばかなのか?」

というとそうも言えません。

 

「流れ論」が広く浸透している理由

 

このような「流れ論」が広く浸透している理由の1つは先ほど述べた麻雀放浪記をはじめとした作品の影響が強いでしょうが、小説や漫画などのフィクション作品にとっては「流れ」というのは重要なのです。

 

麻雀は確率のゲーム。

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確率というのは「運」と言い換えても良いものです。

結局良い手がアガれるかどうかというのは運の要素も大きく関わります。

 

もちろんこれは「実力が必要ない」という意味じゃないですよ。

例えば弱い人が打っていれば10%しかアガることができない手を、上手な人が打ったら20%アガれたりします。

 

この10%の差が「実力」な訳ですが、それでも結局10回に2回しかアガれないわけです。

 

麻雀漫画では「生死をかけた極限の勝負!」みたいな場面がよく描かれますが、その1回で20%を引けるかどうかは、現実的にいえば運です。

 

麻雀漫画「アカギ~闇に降り立った天才」
「生死をかけた極限の勝負」の一例が見れる麻雀漫画。主人公赤木しげるは自身の血液を賭けて闇の帝王である鷲巣との麻雀対決に挑む。

 

けど「主人公はただ運がよかったら勝ちました」じゃあ作品として成立しませんよね。

そこで流れの出番となります。

 

流れというのはすなわち「運すらも操る」ということで、確率的に20%の事象を流れを操ることで100%にして勝った、という演出の方が、ドラマとしては説得力がありますし主人公がカッコ良く見えます

 

その結果、麻雀を題材とした創作物の9割以上には「流れ」という単語が登場します。

それを読んだ初心者の方が「なるほど麻雀は流れを掴むことが重要なゲームなんだな」と思ったとしても仕方がありません。

 

「クラスター錯覚」

 

またもう1つ、実際に麻雀をやっていると「流れ」を感じる瞬間というのはたくさんあります。

麻雀は4人でやるゲームなので確率的には4回に1回アガれるはずなのですが、それが10回以上アガれなかったり、逆に一人の人が5回連続でアガったりすることがよくあります。

 

こうなるといくら理屈ではわかっていても

「流れが悪いな・・・」

と思ったりするものです。

 

実はこの思考、科学的に証明されています。

専門用語で「クラスター錯覚」と言い、サンプル数が少ない場合、本来ランダムであるはずの事象に偶然発生する偏り(コインの表が連続で出たり)を見た人間の脳が

「それをランダムではない」

つまり

「何かの理由があって必然的に生じたことである」

と感じることを指します。

 

▼クラスター錯覚的な考え方

 

 

簡単に言ってしまうと人間の脳というのは「ランダム」を正しく認識できない(しづらい)ようにできているのです。

 

コインを投げて5回連続で表が出ることも、麻雀で一人の人ばかり和了続けることも、「ランダム」の中の出来事。

むしろ良いことと悪いことが長期間に渡って常に順番に起きることの方が「ランダムとは言いづらい」ということになりますね。

 

したがって、麻雀や日常生活において「流れが悪い」と感じてしまうことは何も教養がないために生じる思考というわけではありません。

 

まとめ ~確率を把握することが日常生活に役立つ~

 

麻雀に限らず、確率を正確に把握してそれに応じた選択をするということは生きていく上で重要なスキルです。

仕事の商談が立て続けにうまく言ったからと言って、普段ならしないようなハイコストな試作を「今ならいける」としてみたり、逆にプライベートが上手く行っていないからとネガティブになっているせいで、思い切った行動を起こせずにビジネスチャンスを逃したり、ということは誰にでもありえることです。

 

日常に散らばるクラスター錯覚に騙されず、常に冷静な判断をしたいものです。

 

次に投げられるコインは、いつだって1/2で表が出るのです。

 

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著者:平澤元気

1990年6月15日生まれ。CSモンド「ZOO麻雀道学生選手権」、オンライン麻雀天鳳公式ニコ生「天鳳解体新書」などの解説で好評を博す。
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