國谷正明氏による『ノワール文学(ノワール小説)入門』はこちらから
第1章 ノワール文学とは
第2章 各国のノワール文学
第3章 ノワール小説傑作選
第4章 ポップカルチャーに潜むノワール
『ノワール文学入門』目次へ (全16ページ)
ノワール文学の発展
前のページで解説したようにフランスでロマン・ノワールが隆盛をみせる裏で、ハードボイルド小説の本場アメリカは激しく揺れ動いていました。ノワール文学の発展をこのページで解説する上で少しベトナムの歴史を解説します。
ベトナムの歴史を知る事でノワール文学についての知識が深まりますので少々お付き合いいただければと思います。
ベトナムの歴史
長らくフランスの植民地であったベトナムは、第二次世界大戦の影響を受け1945年に革命家ホー・チ・ミン率いるベトナム独立同盟がインドシナ半島北部にベトナム民主共和国を樹立し、独立を宣言します。
▼ホー・チ・ミン
▼インドシナ半島
ベトナムの独立を容認したくないフランスは中国と協定を結び、完全独立を要求するベトナム民主共和国に対して、フランス連合の一員に留まるよう交渉を続けました。
しかし首を縦に振らないベトナムに痺れを切らしたフランスはインドシナ南部を制圧し、傀儡国家(かいらいこっか・名目上独立しているが事実上他の者に支配された国家)である「コーチシナ共和国」を樹立。
1946年、フランス・ベトナム両国は交戦状態に入ります(第一次インドシナ戦争と呼ばれています)。
▼コーチシナ共和国国旗
1953年、ラオス国境近くのディエンビエンフー盆地で展開した交戦でフランス軍が降伏。
▼ディエンビエンフー盆地
ジュネーヴ協定の成立とベトコン
翌年には関係国間で和平協定(ジュネーヴ協定)が成立し、ベトナム民主共和国(北ベトナム)の独立が承認されます。それは同時に、南北ベトナムの分断を意味していました。
▼南北に分断されたベトナム
ソ連と中国の援助を受けていたベトナム民主共和国(北ベトナム)が独立したことにより、東南アジアで共産主義が台頭することを恐れた資本主義国家アメリカは、傀儡国家であるベトナム共和国(南ベトナム)を建国。
東南アジアにおける反共産主義の砦としました。
しかし、ジュネーヴ協定で決められた南北統一選挙の実施をベトナム共和国(南ベトナム)政府が拒否したことで事態は悪化します。
ジュネーヴ協定での取り決めが反故(ほご・無しになること)されたことに憤ったホー・チ・ミンは1960年、南ベトナム解放民族戦線(通称ベトコン)を結成し、武力による南北の統一を図りました。
▼ベトコンの旗
ベトナム和平協定へ
それに対して、1961年第35代アメリカ大統領に就任したジョン・F・ケネディは対ベトナム政策の中で、ベトナム共和国(南ベトナム・傀儡国家)への支援を決定します。
▼ジョン・F・ケネディ
そして、1964年、ベトナム沖のトンキン湾において、北ベトナム海軍がアメリカ海軍の駆逐艦(軍艦の一種)を魚雷艇(魚雷を備えた軍船)で攻撃したことをきっかけに、アメリカは本格的な武力介入に乗り出します(これをトンキン湾事件と言います)。
▼トンキン湾
アメリカが武力介入した後も事態は好転せず、泥沼の戦いが続きます。
戦争が長引くにつれてアメリカ国民の間で反戦ムードが高まり、事態をあおるようにして、1968年アメリカ陸軍の小隊が無抵抗の村人504人を無差別に虐殺するという痛ましい事件が発生します(これをソンミ村虐殺事件と言います)。
事件が報道されると反戦ムードは一気に激化し、各地で大規模なデモが頻発します。
アメリカはその後も苦しい状況を戦い続けますが、1973年には和平協定(ベトナム和平協定)が成立し、アメリカ軍の撤退が決定します。
これはアメリカにとって事実上の敗戦を意味していました。
ネオ・ハードボイルドとベトナム戦争
長々と(と言ってもごく簡単にですが)ベトナム戦争の概要をご説明して参りましたが、これにはもちろん理由があります。
アメリカを祖国とするハードボイルド小説は、時代が下るにつれて大きな変貌を遂げました。
過酷な現実に直面しても感情に流されず、己の信念を貫くために命懸けで抗う強固な意志の持ち主であったハードボイルド小説の主人公が、過去のトラウマに苦しみアルコールや薬に溺れる、傷つきやすい神経の持ち主に取って代わられるようになったのです。
こうした流れは1970年代以降顕著になり、それら一連の作品は、日本におけるハードボイルド研究の大家である小鷹信光氏によって、ネオ・ハードボイルドと命名されました。
このような「ネオ・ハードボイルド」誕生の影には、ベトナム戦争が大きく影響しています。
ベトナム戦争は、アメリカが敗戦を喫した初の戦争であると同時に、多くの帰還兵を生みました。
帰還兵の中には後遺症を抱えている者も少なくなく、多くの国民が身体障害や精神的なトラウマに苦しむ帰還兵の現状を目の当たりにしています。また、国内で反戦ムードが高まっていたことから、帰還兵に非難の目が向けられることさえありました。
そういった環境がネオ・ハードボイルド小説の主人公の造型に大きな影響を与えたことは想像に難くありません。
2つの超有名暗殺事件
その他にも、ベトナム戦争が行われている間に、アメリカ人の心に大きな影を落とした事件がありました。
1 ケネディ大統領暗殺事件
▲ジョン・F・ケネディ
ひとつは、ケネディ大統領暗殺事件です。
アメリカが本格的な武力介入に乗り出す前年にあたる1963年11月22日、テキサス州ダラス市内をパレード中のジョン・F・ケネディ大統領を凶弾が襲いました
リー・ハーヴェイ・オズワルドによる犯行とされていますが、当のオズワルドが事件の二日後に警察署内でマフィアと繋がりのあるジャック・ルビーという男に射殺されるなど、いまだ多くの謎が残っています。
▼暗殺犯とされているリー・ハーヴェイ・オズワルド
▼オズワルドを殺害したジャック・ルビー
2 キング牧師暗殺事件
▲マーティン・ルーサー・キング牧師
もうひとつが、キング牧師暗殺事件です。
ソンミ村虐殺事件が発生した同年の1968年4月4日、テネシー州メンフィス市内で遊説を終え、モーテルのバルコニーで打ち合わせ中だったマーティン・ルーサー・キングが凶弾に斃れ(たおれ)ました。
犯人はジェイムズ・アール・レイという名の男で、強盗や詐欺・窃盗といった犯罪の常習者でした。
▼キング牧師を殺害したジェイムズ・アール・レイ
当時高い支持率を誇っていたケネディ大統領と、アフリカ系アメリカ人公民権運動※の指導者であるキング牧師の死は、多くのアメリカ国民に大きな衝撃と深い悲しみをもたらしました。
これらの出来事がミステリのみならず、さまざまな作品の題材となっていることからも、アメリカという国に与えた影響の大きさを窺い(うかがい)知ることができます。
また、ベトナム戦争がハードボイルド小説のノワール文学化を促したという点でも、ベトナム戦争の概要を知ることは、ノワール文学を理解する上でとても重要であるといえます。
ここまで第1章ではノワール小説が誕生した経緯や発展していった背景には戦争などの時代背景が絡んでいた事を解説してきました。次のページ、第1章の終わりに現在のノワール文学について解説をしていきます。
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