ノワール文学とは② 【ノワール文学の発生】

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ノワール文学(小説)を知っている方も知らない方も。「ノワール文学とは」から「おすすめノワール作品」までをご紹介。読めばノワール作品に興味が出る事間違い無し。

國谷正明氏による『ノワール文学(ノワール小説)入門』はこちらから

著者:國谷正明

北関東在住の1児のパパ。フリーランスのライターとして、ゲームのシナリオや小説の執筆、記事作成を中心に活動しています。趣味は作曲と爬虫類飼育。好きな作曲家はエリック・サティ。好きな映画監督は深作欣二。好きなアニメはスポンジボブ。好きな学問は民俗学。苦手な調味料はマヨネーズ。敬愛する作家はジム・トンプスン。いいにおいのする文章を書こうと日々苦心しています。お問い合わせはこちらから
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ノワール文学の発生

 

前のページ「ノワール文学とは <ノワール文学の定義>」で述べたように、ノワールという呼称はフランス語で黒を意味する「Noir」に由来し、そのルーツはアメリカのハードボイルド小説に遡ります。

このページでは、「ハードボイルド小説」がなぜ「ノワール小説」と呼ばれるに至ったのか、その経緯をご説明していきます。

 

ハードボイルド小説はヨーロッパへ

 

本国アメリカでハードボイルド小説の人気に火がつくと、その熱波はヨーロッパにも広がりました。

それは第二次世界大戦に揺れるフランスも例外ではなく、耳聡い(みみざとい・情報を聞きつけるのが早い)一部のミステリファンがハードボイルド小説の魅力に取り憑かれていきます。

そのうちのひとりが、後にノワール文学勃興(ぼっこう:盛んになる事)の立役者となるフランス人のマルセル・デュアメルです。

▼マルセル・デュアメル(右側)

photo by PRÉVERT Catherine at fr.wikipedia CC BY-SA 1.0

 

知人に勧められたハードボイルド小説を読み、それに惚れこんだデュアメルは、間もなく自力で翻訳作業(書かれている文章は英語だった)に取り掛かります。

その後、当時すでにフランスを代表する出版社だったガリマール出版社に、ハードボイルド小説の出版を提案します。

ガリマール出版社の経営者のひとり、クロード・ガリマールに渡英(イギリスへ渡る事)を命じられたデュアメルは、デュアメル自身も愛読していたピーター・チェイニー(Reginald Evelyn Peter Southouse Cheyney:イギリス人ながらアメリカ的なハードボイルドな作品で高い人気を博していた作家)とジェイムズ・ハドリー・チェイス(James Hadley Chase:イギリス人作家)というふたりの作家の著作の版権を獲得します。

 

▼ガリマール出版社

photo by LPLT CC 表示-継承 3.0

 

セリ・ノワールの刊行

 

そして1945年、ついに英米のハードボイルド小説専門の叢書(そうしょ・シリーズという意味)が刊行されます。

その叢書は、映画作家としても名高い詩人ジャック・プレヴェールによって、『セリ・ノワール※』と命名されました。

 

※編集部注
アメリカを代表するノワール小説作家、ジム・トンプソンの原作『死ぬほどいい女』が映画化された際に「セリ・ノワール」というタイトルで映画になりましたがここで言う叢書のセリ・ノワールとは別物になります。

▼セリ・ノワール(映画)

 

▼「セリ・ノワール」を命名した有名映画作家、ジャック・プレヴェール

photo by PRÉVERT Catherine CC 表示-継承 1.0

 

セリ・ノワールは叢書の第一弾としてピーター・チェイニー「この男危険につき(This Man Is Dangerous)」「Poison Ivy(未邦訳)」を発刊。

次いで、ジェイムズ・ハドリー・チェイス「ミス・ブランディッシの蘭(No Orchids for Miss Blandish)」を刊行して評判を博すと、その後も英米の優れたハードボイルド小説をフランスの読者に紹介し続けます。

 

▼海を越えてハードボイルド小説は人々を魅了していった

 

ロマン・ノワールとフィルム・ノワール

 

1950年代に入ると、フランス国内からもハードボイルド小説に影響を受けた暴力的な犯罪小説を執筆する作家たちが現れるようになります。

フランスの伝統的なミステリの系譜にありながら、英米のハードボイルド小説に強い影響を受けた一連の作品は、ロマン・ノワールと称されました。

 

ロマン・ノワール
フランスでの英米ハードボイルド小説の流入を機に、ミステリ小説のみを指す用語となった。元々は、イギリスの小説家ホレス・ウォルポール(Horace Walpole)による長編作品「オトラント城奇譚(The Castle of Otranto)」を元祖とするゴシック・ロマンス小説の一群を指す言葉だった。

 

ロマン・ノワールの第一波ともいえる代表的な作家に、ジョゼ・ジョヴァンニ(Jose Giavanni)、オーギュスト・ル・ブルトン(Auguste Le Breton)、アルベール・シモナン(Albert Simonin)らがいます。

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▼ジョゼ・ジョバンニ

photo by François Alquier CC 表示-継承 3.0

 

彼らには「自身が犯罪組織に属していた過去を持つ」など、フランスの裏社会に精通しているという共通点がありました。

下層階級に生き、犯罪者の実態に精通していた彼らは、自身の体験に基づいた生々しい描写でハードボイルド小説の新たな方向性を見出しました。

 

1954年にシモナン「現金に手を出すな(Touchez pas au Grisbi)」

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1955年にブルトン「男の争い(Du Rififi chez les Hommes)」

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1960年にはジョヴァンニが獄中で書き上げた処女作「穴(Le Trou)

▼穴(画像クリックで商品詳細へ)

 

がそれぞれ映画化され、それらの作品はフィルム・ノワールの名作として高い評価を得ています。

 

フィルム・ノワールとは
フィルム・ノワールとは犯罪映画の一群。前のページで紹介したダシール・ハメットの同名小説を原作とした映画「マルタの鷹(The Maltese Falcon)」、ジェイムズ・M・ケインの小説「殺人保険(Double Indemnity)」が原作の映画「深夜の告白」などがその先駆けとされる。

 

その後

極左のアナーキストであるジャン=パトリック・マンシェット(Jean-Patrick Manchette)

▼ジャン=パトリック・マンシェットの著書「眠りなき狙撃者」

 

ジャン・エルマン名義でアラン・ドロン主演の映画「さらば友よ」の監督も務めたジャン・ヴォートラン(Jean Vautrin)

▼ジャン・ヴォートランの監督作品さらば友よ

社会派ノワールの名手ディディエ・デナンクス(Didier Daeninckx)

▼ディディエ・デナンクスの著書「カニバル」

 

特異な筆致で人間の心の闇を浮き彫りにしたA・D・G(Alain Dreux-Gallou)

▼A・D・G

photo by Babelio CC BY-SA 4.0

 

など、個性豊かな作家たちが次々と登場し、ロマン・ノワールを独自の文化として形作っていきます。

 

そうした動きの中、ノワールという呼称は作品とともに英米に逆輸入され、犯罪行為を描いた小説や映画を指す言葉として定着するに至りました。

 

 

このようにして発生した「ノワール」というジャンル。これがどのようにして発展していったのかを次のページで解説していきます。

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著者:國谷正明

北関東在住の1児のパパ。フリーランスのライターとして、ゲームのシナリオや小説の執筆、記事作成を中心に活動しています。趣味は作曲と爬虫類飼育。好きな作曲家はエリック・サティ。好きな映画監督は深作欣二。好きなアニメはスポンジボブ。好きな学問は民俗学。苦手な調味料はマヨネーズ。敬愛する作家はジム・トンプスン。いいにおいのする文章を書こうと日々苦心しています。お問い合わせはこちらから
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