前記事⇒AAAのメンバーを紹介~主な活躍・出演作品・メンバーカラーなど~
今やドームツアーを敢行するまで大きくなったAAA。
ファンとしてデビューから共に歩いてきましたが、ドームにたどり着くまでの道のりは長かったです。
一体どうやって6人は出会ったのか、一体どうやってドームを埋めるほどのアーティストになったのか。
音楽を専門に学んだ人間として、ファンの1人としての目線を書いていきます。
目次
オーディションで出会ったメンバーたち
AAAは全員、avexが主催するオーディションで出会いました。
同時期のオーディションだったわけではなく、宇野実彩子さんが一番早くオーディションに合格。
続いて男性メンバー5人とも、男限定オーディションでの合格でした。
元メンバーの後藤友香里さんと伊藤千晃さんの2人は追加オーディションでの合格で加入しました。
嘘のような奇跡の話
デビューシングルと同時に、アーティストブックも販売されたのですが、その中には驚きの話が。
西島さんがオーディション会場で、最初に話しかけた4人が、今のメンバーだと言うのです。
無意識のうちに未来の仲間がわかっていたかのような不思議体験ですよね!
アーティストブックは、メンバー全員のあどけない表情や、Q&Aが盛りだくさんで読み応えがありますよ。
最近知った人はもちろん、5〜6年ファン歴を持つ人にもオススメです。
ストリートライブ時代
これはどのアーティスト・シンガーソングライターにも言えることですが、多くの人には「下積み時代」があります。
AAAにも下積み時代があり、デビューシングルを発売するまではストリートライブを行なっていました。
都内はもちろん札幌から福岡まで駆け巡り、自分たちを売りこむ日々です。
道行く人にチラシを配るも、目の前で捨てられるなんてこともしばしば。
この時チラシを捨てた人たちは、今のAAAを見てさぞ驚いていることでしょう!
賞を総ナメしたデビュー年
2005年にデビューしたAAAですが、同年の音楽祭において以下の受賞をしています。
○11月21日 ベストヒット歌謡祭2005
「新人賞」受賞
○12月17日 第38回日本有線大賞
「有線音楽賞」受賞
○12月31日 第47回日本レコード大賞
「最優秀新人賞」受賞
デビューしてからわずか3ヶ月で、こんな結果を残しました。
当時の私は小学生だったので、ただただ受賞を喜んでいましたが、大人になって振り返ってみると、なぜ受賞できたのかわかる部分があります。
それはもちろん、avexという大手の力もあるとは思います。
しかし、賞を受賞できるだけの歌唱力・パフォーマンス力があったことも確かです。
当時のAAAは、西島・宇野・浦田の3人が主にボーカルを務めていました。
現在は全員に歌のパートが割り振られていますが、当時はそうではありませんでした。
3人と5人の間には、圧倒的な歌唱力の差があったためにバランスが取れなかったんですね。
中でも特に宇野さんのパワフルな歌唱力は圧巻でした。
そしてもう一つは、他に類を見ないグループであったことです。
男女混合グループは多くいますが、それに加えてアクロバット・ラップをこなすというのは聞いたことがありません。
女性メンバーでもアクロバティックな振りをガンガンやってましたからね!
その点も大きく評価されたのではないかと思っています。
足りない部分を埋め合って勝ち取った賞だと言えます。
怒涛のリリースラッシュ
私はAAAの他にも、同じ年数応援しているアーティストたちがいます。
その中の一つはバンドなので、少し売り方が変わってきますが、比較してみると圧倒的な違いがあるんです。
それは、「楽曲リリース頻度」です。
AAAは追いかけるのが大変なくらい、リリース間隔が短い時期が多々ありました。
2008年1月9日にリリースした「MIRAGE」までの間に出した楽曲数は、16曲。
ほぼ月1ペースで新曲をリリースしていたんですね。
プラス、アルバムもリリースしていますから恐ろしいスピードです。
その後はしばらく落ち着きますが、10周年になる2015年に7作連続月1リリースをしています。
リリースペースが早いのには、メリットもデメリットもあります。
メリット
・次々と新しい曲を楽しめる(リスナー)
・リリースするたびに露出が増える(リスナー)
・話題性がある(アーティスト)
・色々な面を見せることができる(アーティスト)
デメリット
・出費が多くなる(リスナー)
・ハードスケジュールになる(アーティスト)
・1曲にかける時間が短くなる(アーティスト)
・製作費が半端なくかかる(アーティスト)
製作費に関しては売り上げが伴っていればデメリットから消えますね。
人数が多い分、歌・コーラスやダンスの振り・移動が細かく割り振りされています。
それを短時間でこなすには、箱詰めの状態で仕上げていたのではないかと思います……。
今は無きリリースイベント
AAAは、長年「リリイベ」と呼ばれるイベントを行なっていました。
CDをリリースするたびに、全国のショッピングモール等でイベントを行なっていたんですね。
その内容はさまざまなで、メンバー全員とのハイタッチ会だったり握手会だったり。
CDを買う枚数に応じた回数分、参加することができます。
今で言う、アイドルの握手会に近いですね!
違うところと言えば、メンバー別ではないところでしょうか。
このリリースイベントはもう5年ほど行われていません。
しかし、その頃にはすでにアリーナツアーを敢行していたので、だいぶ大きなアーティストとなっていました。
現在ではメンバー個人個人で、握手会などのイベントを行なっています。
大きくなっても、なるべく近くに感じられるようにしてくれるところは、昔から変わりません。
TKプロデュース時代
AAAの知名度をグッとあげることになった、「TKプロデュース時期」。
あの有名な小室哲哉さんが、2年にも渡って楽曲プロデュースをした時期がありました。
初プロデュースである「逢いたい理由」は、今でも知名度の高い楽曲の1つです。
この「逢いたい理由」から始まり「SAILING」まで一部を除き、TKプロデュース時期になります。
この間にリリースした楽曲は、9曲。
また、ライブでもピアノ演奏のために出演してくれたこともあります。
タイアップ曲で知名度はさらに飛躍
その後も地道にライブや楽曲リリースを続けていき、メンバーによってはドラマ・映画出演をしていきました。
これまで、数々のタイアップも取ってきましたが、その中でも大きなタイアップとなったのが
・仮面ライダー電王(Climax Jump)
・ONE PIECE(Wake up!)
です。
仮面ライダー電王をキッカケに、子ども・ママ層のファンを獲得し、ワンピースでさらに知名度を広げることとなりました。
また、2007年には福岡ソフトバンクホークスの球団歌をリメイクした「いざゆけ若鷹軍団2007」もリリースしています。
野球ファンの人は、これを機に知った人も多いのではないでしょうか。
AAAがドームツアーでできる程大きくなった理由~近道なんてなかった~
AAAがドームツアーをできるようになるほど大きくなった理由。
それは「頑張ることをやめなかったから」だと思っています。
私が見てきた限り、近道なんて一切なかったように思います。
小さなイベントを大切にし、地道に自分たちが広告役をした結果なのではないでしょうか。
自分たちがステージに立つためには、その裏でさまざまな努力があります。
ダンスやボイストレーニングはもちろん、メンバーによっては演技の勉強だってしたでしょう。
違った努力で言えば、体調を崩さないための健康管理だったり、アーティストとしての自分を保つ努力だったり。
何も特別なことなんてなく、ただやり遂げたのは「努力をすること」。
これに尽きると思います。
そう考えると、自分もなにか出来る気がしてきませんか?