京劇とは ~京劇の衰退の歴史もマニアがわかりやすく解説!~

 

このページでは「京劇とは何か」ということを解説いたします。

また、京劇衰退の詳細や京劇の役者学校を題材にした映画「七小福」についても合わせてお伝えします。

※このページはWebon編集部がカンフー映画マニア歴27年のHARUKA氏の「カンフー映画入門」の内容をまとめたものです。

▼HARUKA氏 著『カンフー映画入門』(全38ページ)

 

京劇とは


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▲京劇の様子

 

京劇は歌、舞踊、セリフ、アクロバティックな立ち回りから成る中国の総合芸術であり、オペラやミュージカルに近い音楽劇です。

役者のきらびやかな衣装や派手な化粧に訓練された演技力、そして中国の伝統的な民族楽器の生演奏が舞台を華やかに盛り立てます。

起源は1790年「清」の時代、皇帝である乾隆帝(けんりゅうてい)の80歳を祝う為に安徽省(あんきしょう)の地方劇の4つの劇団が北京に進出し、大人気を博して定着したとされています。

その後、他の地方劇や民間芸能の影響も受け、徐々に「京劇」の形を整えていきました。そして宮廷の支援を受けながら庶民層にも愛されて、首都・北京に君臨するようになりました。

 

京劇からカンフー映画への移行

 

京劇は衰退し変わってカンフー映画が登場しました。以下のことを知れば京劇のことをより深く理解できることでしょう。

 

京劇が衰退した理由

 

中国の伝統芸能である京劇は民衆にとても受け入れられていましたが、中国で1966年から行われた文化大革命という革命運動により弾圧を受けるなどで衰退していきます。

 

文化大革命

1966~1977年に終結宣言が行われるまで行われた中国の革命運動。国家主席の座を譲った前国家主席の毛沢東氏が復権のために学生などを煽動し、政府に対する暴力的な運動などが繰り返し行われた。

▼毛沢東氏

photo by Zhang Zhenshi CC 表示 2.0

 

文化大革命は経済に甚大な被害をもたらし、社会的不公平と貧富の差が生まれていました。過酷な社会情勢下で、いかにお金をかけずに自力でビジネスを成功させるか。どのようにして日々食べていくかについて誰もが知恵を絞っていた時代です。

生活が懸かっていたからこそ、彼らのその熱意は並々ならぬものでした。

1958年に香港の企業家ランラン・ショウ氏が立ち上げた香港映画会社「シヨウ・ブラザーズ」は、文化大革命下で弾圧を受けていた中国の伝統音楽劇である「京劇映画」に見切りをつけます。

それと同時期に香港などで使われる広東語の映画が流行るようになり、その流れから香港のカンフー映画がヒットしていきました。

 

京劇の要素を取り入れた映画がヒット!カンフー映画の誕生

 

1958年に香港の企業家ランラン・ショウ氏が立ち上げた香港映画会社「シヨウ・ブラザーズ」は、文化大革命下で弾圧を受けていた中国の伝統音楽劇である「京劇映画」に見切りをつけます。

そしてシヨウ・ブラザーズ社は若者に支持され始めていた、話し言葉調の広東語映画界のカンフー映画に進出し始めました。(広東語は中国の広州や香港などで使われる言語)

シヨウ・ブラザーズ社が大きく成功を収めた代表作は「大酔侠(だいすいきょう)」(1966)でした。

 

▼大酔侠

その大酔侠を撮影した監督、キン・フー氏は若い頃から中国の伝統音楽劇である京劇に傾倒(けいとう:ある物事に熱中する事)しており、この大酔侠では「剣劇映画(けんげきえいが)」(剣を用いた戦いをする映画)に「京劇」の要素を取り入れて脚色しました。

 

※イラストはイメージです

 

例えば、相手の体から刀を抜くと血がビュウッと吹き出たり、腕が切り落とされたりという残酷描写が演出として加えられました。

そしてこのような本格的な「剣術アクション」と「素早い編集」が融合する事によって、「京劇アダプテーション」と呼ばれる新しいアクション映画のスタイルを打ち出しました。

 

 

この「大酔侠」という作品は香港・東南アジアで驚異的にヒットし、監督による演出がいかに意味を有するかということを知らしめることになりました。

そしてこの成功などをきっかけに、シヨウ・ブラザーズ社は後に世界的に有名になる『カンフー映画』と呼ばれるジャンルの作品を次々に製作し「香港映画=カンフー映画」という認識が定着しました。

 

このあたりのカンフー映画の歴史について詳しくはこちら!

 

中国の京劇役者養成学校

 

京劇の役者養成学校が香港にありました。「中国戯劇学院」と言います。

著名な卒業生にジャッキー・チェン氏など。親元を離れた幼い子供が集った全寮制の学院。入学後には身体技を中心に演技力や表現力などかなり厳しい訓練を受けました。

ジャッキー・チェン氏、サモハン氏、ユン・ピョウ氏、ユン・ワー氏などの有名カンフー・スターを輩出しました。

 

選ばれた集団「七小福」

 

中国戯劇学院の最も優秀とされる7人の子供の子役集団は「七小福」と呼ばれました。

七小福結成当時の初期メンバーがジャッキー氏、サモハン氏、ユン・ピョウ氏、ユン・ワー氏達の7名でした。(7名の紹介は下でします。)

時代の流れにより、京劇の人気は衰退し、京劇の立ち位置は「大衆文化」から「古風な伝統芸能」へと移り変わってしまいました。

当然、中国戯劇学院への公演依頼も次第に減っていきました。そしてどんどん生徒も減り、ついに1971年に「七小福」は解散をしてしまいました。

 

七小福や中国戯劇学院の生活について詳しくはこちら!

 

京劇役者養成学校の映画「七小福」で京劇を知ろう!

作品名 七小福(邦題:七小福 夢に生きた子供達)
公開年 1988年
主演 サモハン
監督 アレックス・ロゥ
ジャッキー氏、サモハン氏、ユン・ピョウ氏の少年時代を描いた作品。皆、実際に京劇学院(俳優養成学校)で「七小福」というグループのメンバーだった。内容はカンフー映画ではなく文芸作品。

 

1988年香港で公開され、日本では1992年に邦題「七小福 夢に生きた子供達」として公開された作品です。幼いころのジャッキー氏、サモハン氏、ユン・ピョウ氏達が共に学んだ京劇学院での生活を描いた映画です。

「幼少期のジャッキー氏が母親に連れられて京劇学院へ入るところ」から「青年期に学院が解散してしまい、映画界へそれぞれが入っていくところ」までが描かれています。

60年代の時代背景もよく表しており、子供たちが毎日真剣に京劇の練習に励むのに反して、ジワリジワリと時代の流行りに押され、徐々に京劇が衰退していく様子は切なく感じます。

そして、学院長の幼なじみがラストでその衰退を顕著に表します。幼なじみが京劇への夢を持ちながらも映画のスタントマンを仕方なく務めていた矢先に、撮影現場で事故が起こります。

クライマックスとも言えるここでのサモハン氏とラム・チェンイン氏の演技の掛け合いは、京劇を実際にやっていた彼らだからこそ説得力があり、このシーンで私は泣いてしまいました。

 

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以上「京劇」についての解説でした。

また『カンフー映画入門』ではカンフー映画の歴史やスター俳優やおすすめ映画などを知ることができます。ぜひともご覧くださいませ。

▼『カンフー映画入門』(全38ページ)